クラクラ、目眩の毎日・・・
2023/1/13・金曜日・・・追加添文・・・
シーボルトの名前・・・「置維波斯徳利・施福多」
漢字化の意味・・・?
置=罒+ナ+目+乚
維=幺+小+隹
つなぐ・支える・しばる・結ぶ・たもつ
綱・大づな・物をつりさげる綱
すじ(筋)・糸
維摩=ユイマ
四維=よいつ・よつイ・・・スウイ?
維新=すべてのものが新しくなること
維持=物事を同じ状態・水準に保ち続けること
化学繊維=ナイロン・レーヨンなど・化繊
合成繊維=無繊維で
石油や石炭などを原料に作り出した繊維
ナイロン・ポリエステル・・・
繊維=細い糸に似た物質
動植物の細胞などが分化したもの
織物や紙などの原料
維持ずく
↓↑
維日不足(イジツフソク)
幸福が日が足りないほどにやってくるこ
「維」=調子を整えるの助辞
「維れ日も足らず」
現状維持
進退維谷(シンタイイコク)
どうすることもできないこと
ニッチもサッチもドウにも出来ない
進むことも退くこともできない
進退窮まる
「進退維れ谷まる」
維摩一黙(ユイマイチモク)
多くのことを喋るより
沈黙がまさる
「維摩」=釈迦の弟子の一人
文殊菩薩は
文字や言葉では言い表せないと言ったその後に
維摩は何も語らず
教えを態度で示した・・・
見ろ、アイツの態度と行動、行為を
進退維谷まる(しんたいこれきわまる)
窮地に追い込まれること
「谷まる」=窮まる、ぎりぎりの状態
「進退谷まる」・・・
谷=ハ+𠆢+口
コク・たに・や
波=氵+皮=さんずい+かわ
斯=其+斤
徳=彳+ナ+罒+心・・・徳川=悳川
利=禾+刂・・・利益
↓↑
・・・「シーボルト台風=1828年9月17日」・・・「1828年 戊子(壬・ ・癸)・0009月 辛酉(庚・ ・辛)・0017日 丙子(壬・ ・癸)・・・「2017年丁酉(庚・ ・辛)・0009月己酉(庚・ ・辛)・日0017丁未(丁・乙・己)」・・・「0016日丙午(丙・ ・丁)」・・・「シーボルト台風・九州北部を中心に高潮などで死者2万人・子年の大風(おおかぜ)・佐賀藩、死者が約1万人九州北部全体で死者約1万9千人」・・・「手がかり=手蔓(てづる)」・・・ ーーーーー 「蔓=つる=鶴・鸖・鶴・鶮・魡・逈・靎 鉉・弦・釣・吊 都留・津留 攣 敦(敦賀)・・・手厚い 厚手の土器の象形と羊の首? 羊の肉を長時間かけて 煮る厚手の土器 敦=亠+口+孑(子)+攵(攴) =あつい・てあつい・トン 人情があつい 鉱脈・水脈 ↓↑ 「蔓=艹+曼(日罒又)」 つる=つら=蔓の古名 植物の茎 長く伸びて他の物に 巻きつきよじ登ったりする ブドウなどの巻き髭(ひげ) 眼鏡の耳かけ 植物のつる・朝顔、胡瓜などの蔓 蔓=かずら・つる草の総称 のびて絡みつく草・蔓生 はびこる=蔓延 (マンエン) 家系の蔓 鉱脈(岩石の層で 有用鉱物が成している場所) 手がかり=手蔓(てづる) 頼り 離れている人と連絡する方法・手段 筋・系統・繋がり・家系 つるが出る・つるを出す=蔓生 延びる・広がる 乱れる 絡(から)まる・巻き付く 蔓纏 蔓菁(マンセイ)=野菜の名前・カブ(蕪)の別名 アブラナ科アブラナ属の一年草 蔓蔓=長く久しいさま・日々に茂っていくさま 広がるさま・まとまりがなく、わかりずらいさま ↓↑ 「葛藤」=葛飾(かつしか)・葛城(かつらぎ) 「葛」=艹+日+勹+乚+人 「ヒ=匙・匕・七・牝」 「ヒ」の部分は 「人」であったが JISが1983年に変更・・・無茶苦茶 ↓↑ 1828年 干支は戊子 日本(寛政暦) 文政十一年 皇紀2488年 中国 清王朝 道光八年 朝鮮 李氏朝鮮 純祖二十八年 ↓↑ 1月22日 イギリスで第一次ウェリントン公爵内閣 トーリー党政権成立 1828年 9月17日 シーボルト台風 九州北部を中心に高潮などで死者2万人。 子年の大風(おおかぜ) 佐賀藩、死者が約1万人 九州北部全体で死者約1万9千人 ↓↑ 文政十一年(1828年)9月 オランダ商館付の医師 シーボルト・・・「置維波斯徳利・施福多」 1796年2月17日~1866年10月18日 丙辰(乙・癸・戊) 庚寅(己・丙・甲) 丙辰(乙・癸・戊)子丑=空亡 が帰国する直前 所持品の中に国外に 持ち出すことが禁じられていた 日本地図などが発見され それを贈った 幕府天文方 書物奉行の 高橋景保 ほか十数名が処分 高橋景保は獄死し (後、死罪判決で斬首 景保の子供らは遠島) シーボルトは 文政十二年(1829年) 国外追放 再渡航禁止 事件は 間宮林蔵 の密告・・・ ↓↑ 「樺太東岸」の地図資料を求めていた 高橋景保に シーボルトが クルーゼンシュテルンの 『世界周航記』などを贈り その見返りに 高橋景保が 伊能忠敬の 『大日本沿海輿地全図』の縮図を シーボルトに贈った この縮図を シーボルトが国外に持ち出そうとした ↓↑ シーボルトは 江戸で幕府天文方 高橋景保 のもとに保管されていた 伊能図を見せられ 地図は禁制品扱いであったが 高橋はその写しを シーボルトに渡した シーボルトらが 1826年7月 江戸参府から出島に帰還 この旅行で 1000点以上の 日本名 漢字名植物標本を蒐集 日本の 北方の植物にも興味をもち 間宮林蔵 が蝦夷地で採取した 押し葉標本 を手に入れたく 間宮宛に 丁重な手紙と布地を送った 間宮は外国人との 私的な贈答は国禁に触れると考え 開封せずに上司に提出 高橋景保 と 間宮林蔵 のあいだに確執があった・・・? 間宮が シーボルトから 受け取った手紙の内容が発端 高橋景保は捕らえられ取調べを受け シーボルトも日本地図の返還を拒否 ↓↑ 長崎市 鳴滝 シーボルト記念館の研究報告書 『鳴滝紀要』第六号(1996年)発表 梶輝行の論文 「蘭船コルネリウス・ハウトマン号 と シーボルト事件」 これまで通説だった暴風雨で座礁した船中から 地図等のご禁制の品々が発見されたという説が 後日の創作であることが判明 コルネリウス・デ・ハウトマン号は 1828年10月 に出航を予定していたが 9月17日夜半~18日未明に 西日本を襲った猛烈な 台風(シーボルト台風) で座礁 12月まで離礁できなかった 座礁した船の臨検もなく 船に積み込まれていたのは 船体の安定を保つための バラスト用の 銅500ピコルだけだった ↓↑ 江戸 高橋景保が逮捕され シーボルトへ高橋より送った 「日本地図其の他、 シーボルト所持致し居り候」 ため、 シーボルト の所持する 日本地図を押収する内命が 長崎奉行所にもたらされ 出島のシーボルトは 訊問と家宅捜索 軟禁状態のシーボルトは 研究と 植物の乾燥 動物の剥製 つくりをしてすごしたが 収集品が 無事オランダやバタヴィアに 搬出できるかどうか心配であり コレクションの中には 個人的に蒐集していた 標本や絵画も所有しており これが彼一人の自由には出来なくなっていた。 ↓↑ シーボルトは 訊問で科学的な目的のためだけに 情報を求めたと主張し 捕まった 多くの日本人の友人を助けようと 彼らに罪を負わせることを拒絶 自ら日本の民になり、 残りの人生を日本に留まることで 人質となることさえ申し出た ↓↑ 高橋は 1829年3月に獄死 シーボルトの陳述は 多くの友人と彼を手伝った人々を救った・・・ だが 日本近海の海底の深度測定など スパイの疑惑が晴れたわけではない ↓↑ シーボルトは 高野長英から 医師以外の肩書は何か、と問われて、 「コンテンス・ポンテー・ヲルテ」 とラテン語で答えたと 渡辺崋山が書いている これは 「コレスポンデントヴェルデ」 であり、 「内情探索官=spy・007=間諜・忍者・お庭番」 と訳すべきものである・・・ ↓↑ シーボルトは 安政五年(1858年) 日蘭修好通商条約 の締結により追放が解除 安政六年(1859年) 長男 アレクサンダー を伴って再来日し 幕府の外交顧問となった ↓↑ 文久二年(1862年) 秘書役であった 三瀬諸淵・・・・・・三瀬諸淵=みせもろぶち サンセショエン が、 シーボルトのために 日本の歴史書を翻訳した罪で 捕らえられる事件 シーボルトの 孫娘にあたる 三瀬諸淵の妻
楠本高子・・・・・・・・・・・楠の本の高の子 の手記によると 原因は他のところにあった・・・ 楠本高子 嘉永五年二月七日 (1852/2/26)壬子(壬・ ・癸) 壬寅(己・丙・甲) 戊午(丙・ ・丁)子丑=空亡 ~ 昭和十三年 (1938/7/18) 改姓・・・三瀬(山脇)高子(たか) 年月日 満86歳没 シーボルトの娘
楠本イネ・・・・文政十年(1827)5月6日生まれ 丁亥(戊・甲・壬) 乙巳(戊・庚・丙) 丙辰(乙・癸・戊)子丑=空亡 の子 長崎で生まれる イネの産科医としての師 石井宗謙がイネに対し強姦妊娠 出生当時は「タダ子」とよばれていた 13歳まで祖母 お滝によって育てられ 琴や三味線、舞など芸事に打ち込んだ 最初の夫 三瀬諸淵に先立たれた後 高子は母と同じ 産科医を目指す 勉学の道半ばで 高子は医師 片桐重明 に強姦され 子を身ごもって 医師の道を断念 後、医師 山脇泰助と再婚 一男二女をもうけた 夫に先立たれ 以後は母 イネとともに暮らす 高子の生計は幼少時に熱心だった 「琴曲の山田流 生田両流の奥義を極め 権大教正の最高位をかち得た芸事」 ↓↑ ↓↑ ーー↓↑ーーー 1828年12月18日 (文政11年11月12日) 越後三条大地震 M6.9で死者1559人 ↓↑ 「葛=勹+ヒ」・・・「ヒ=人」 ↓↑ 「葛」 くず・かずら(山野に自生する草の一種 茎の繊維をとって 布を織るのに用い 根からはくず粉をつくる) くずの茎の繊維で織った布=葛布=褐 草木のつる茎 古代の国名=河南省 「葛=つづら・くず・カツ =くずのつる(茎)で 作った衣服などを入れる 箱形の籠(かご) 衣服の 表地と裏地の色の組み合わせ名前 表は青黒色 裏は薄青色 かずら・かたびら・つづら かず・かつら・かど・さち つら・ふじ・・・ 面・・・ 附字・不治・不二・不時・富士・冨士・藤 ーーーーー ・・・
・・・1973年から連載されてきた「ジョージ秋山(74)」の「浮浪雲(はぐれぐも→逸れ愚慕)」が、9月20日発売号で終了するらしい・・・「人間のクズ」って・・・マァマァ~ッ、ミンナからハグれちゃったョゥ~・・・he scum of society (the earth)・the dregs of mankind (society)・a good‐for‐nothing・・・親父は「屑」じゃぁなかったョなッ・・・「銭ゲバ」はスゴカッタケレド・・・「蒲郡風太郎=ガマゴウリフウタロウ=蝦蟇郡附得多賂得」・・・? rubbish・waste・trash・refuse・rags・junk・scraps・crumbs・・・chadic language・chadic・chad・tchad・republic of chad・chad・lake chad・loser・・・ 「この、ハゲぇ~ッ」って・・・グズだったんだ・・・
ーーーーー 国栖(くづ)人 岩穴に住む 非稲作民 「山人」の呼称 国栖人は つる草の根から澱粉をとり 里に出て売った 澱粉を「クズ」と呼び その植物を「クズ」と呼ぶようになった・・・ ↓↑ 葛藤(カットウ) 「葛=植物のカズラ・蔓草(つるくさ)の総称 藤=豆(まめ)科の蔓(つる)性の「ふじ」 葛(かずら)や藤(ふじ)の 蔓(つる)が絡みあっていることから 縺(もつ)れ、絡(から)み合って 解けないことのたとえ ↓↑ 「葛藤と逡巡」 葛(くず)も藤(ふじ)も蔓(つる)植物 葛藤とは二つの植物が絡まり合う様 逡巡=ためらうこと・しり(尻)込みすること ↓↑ ・・・以下は 「葛(クズ) - 季節の花300」さんのブログ記事から断りもなく勝手に拝借、ゴメンなさい・・・クズのドウサツが素晴らしかったデス・・・ 原文は ↓↑ http://www.hana300.com/kuzu00.html です・・・以下は摘まみ食い・・・モウシワケナイ・・・ ↓↑ 葛(くず・カツ)=裏見草(うらみぐさ・秋の七草の一つ) Arrow root=クズ(花) 矢状 根→a bundle of arrows 蛙分捕る於部あろう素 allow・・・ ~を許す・~が入るのを許可する let,permit,admit,forgive ↓↑ 葛=くず=屑・九図・阤・久豆・九頭・国栖 葛=Pueraria(プエラリア) 根に多量の澱粉(でんぷん)を含み 葛根(かっこん・解熱の漢方薬) 葛粉(くずこ)→ 葛餅(くずもち) 別名 「裏見草(うらみぐさ)」 葉が風に 飜(翻・ひる)返(がえ)ると・・・翻訳、変える(かえる) 裏の 白さが 目立つ 平安時代には 「裏見=うらみ=恨み・怨み」 に 掛け 和歌にも 多く詠まれた・・・ ーー↓↑ーー 「ま葛原 なびく秋風 吹くごとに 阿太(あた)の大野の 萩が花散る(万葉集 作者不詳)」 ↓↑ 「梨棗(なつめ) 黍(きび)に 粟(あは)つぎ 延(は)ふ葛の 後も逢はむと 葵花咲く(万葉集 作者不詳)」 ↓↑ 「葛の風 吹き返したる 裏葉かな(高浜虚子)」 ・・・ナルホドです・・・ボクの伯父さんは「高浜虚子」の弟子(号は巨鐘)でしたが・・・ ーー↓↑ーー 秋の七草 萩、薄、桔梗(ききょう)、撫子(なでしこ) 葛、藤袴(ふじばかま)、女郎花(おみなえし) ↓↑ 薄(すすき)=花穂(穂の出たすすき)を尾花(おばな) ↓↑ 葛(くず) 実葛(さねかずら・核葛とも書く) 美男葛(びなんかずら) 吸葛(すいかずら・忍冬とも書く ハニーサックル=Honey suckle) 半分常緑の葉と時に応じて 黄色く変色する 香りの良い 白い花を持つ アジアの匍匐性の 常緑の スイカズラ(吸葛)は ニワトコ(庭常・接骨木) サンゴジュ(珊瑚樹) などの総称 honeysuckle=漢語の翻譯は 「忍冬(ニンドウ)」 冬場を耐え忍ぶ事から Honey=Terms of endearment (タームス オブ エンディアメント) 愛称、親愛な呼びかけ語 蜜蜂(みつばち・ミッポウ) suckle=…に乳を飲ませる・授乳する 養う(nourish)・育てる 吸わせる・栄養を摂取する 吸収する 乳を飲む ・・・「honey-suckle」と「忍冬」の漢字はソグワナイと思うけれど、クッツイテいれば冬も耐え忍ぶコトが出来るって・・・「honey(ハニー)・darling(ダーリン)・sweetheart(スウィートハート)・baby(ベィビィ)」・・・ ↓↑ 定家葛=有毒植物 式子内親王を愛した藤原定家が 死後も彼女を忘れられず つたかずら(蔦蘿・蔦葛)に生まれ変わって 彼女の墓に絡みついた・・・怖ろしい執着・・・ 椿葛(つばきかずら・ラパゲリア=Lapageria) 青葛・青葛藤 風船葛=Cardiospermum =カルディオスペルマム)は ギリシャ語 cardia(心臓)+ sperma(種子) 語源はハート形の種子 蛍葛(ほたるかずら)=蛍蔓とも書く 蛍草(ほたるそう)=瑠璃草(るりそう) =Gromwell =Lithospermum (リソスペルマム) ギリシャ語 lithos(石)+sperma(種子) ーー↓↑ーー 「葛藤=心の中に相反する動機、欲求、感情などが存在し そのいずれをとるかで迷うこと 義理と人情とのあいだで葛藤 正道を妨げる煩悩のたとえ 禅宗で文字言語にとらわれた 説明、意味の解きがたい語句や公案、 問答、工夫などの意にも用いる」・・・? ーー↓↑ーー 葛藤(つづらふじ) ツヅラフジ-ツヅラフジ科の蔓(つる)植物 オオツヅラフジの別名 二つの同程度の魅力的(嫌厭的)な 選択肢のなかから 一つを選ばなければならない状況 ↓↑ 葛藤 もつれ合う葛(かずら)や藤(ふじ)の意から 人と人とが譲ることなく対立すること 争い、もつれ合うコト ↓↑ 二種類の 同時に存在しながら 矛盾する気持ちの対立 コンフリクト(conflict) 人、意見、利害が対立していること 論争・摩擦・物争い・争い 繋争・揉事・衝突 紛紜・揉め事 ↓↑ 同意あるいは調和の欠如 漣(さざなみ) 不協和音・軋轢・摩擦・軋み 不一致・仲違・間隙・隙意 風波・入り組み・細波・軋 不仲・相克・入組み・不和 相剋・ちぐはぐさ 小波・確執・波風・仲たがい 背中合わせ・不調和・入組 齟齬・仲違い・敵対 複雑で混乱した状態 複雑・錯綜・煩・煩雑 こんぐらかり 縺(もつ)れ・いざこざ・紛糾 ごたくさ・錯雑・トラブル いさくさ・もつれ もめ事 コンフリクト 芝居、小説での 登場人物間 勢力間の対立、衝突 怒りの騒動 揉・紛争・騒ぎ・波瀾・風波 もめ事・揉事・いざこざ・ごたくさ 紛擾・悶着・揉め事 ごたごた・もやくや ↓↑ 欲求が満たされず 落ち着かない心模様 ムシャクシャ・イライラ 苛々・イライラ感・イラつき 不満・苛立ち・ムカつき 欲求不満 ストレス・フラストレーション モヤモヤ・カリカリ ↓↑ 両者の関係性が悪化していることを表す語 葛藤・摩擦・いざこざ・衝突・亀裂 ギャップ・軋み・不協和音・細波・さざ波 不調和・確執・反目・仲違い・対立 ↓↑ 葛藤=trouble・discord(a)・conflict undergo mental conflict 葛藤を生じる ーーーーー ・・・キツネがコォ~ン、コォ~ン・・・?オイナリさんの憑依だぁ~ッ・・・
・・・TVの映像画面そのものが「葛飾 応為(かつしか おうい」の光と影だった・・・「江戸時代後期の浮世絵師・葛飾北斎の 三女・名は栄(えい・お栄・阿栄・應栄・栄女とも記された」・・・「北斎はアゴと娘を呼んでいた」・・・?「顎=あご=阿児・頷(含頁)・顋(思頁)・頤(臣頁)」・・・ 「頤=おとがい・下あご・あご・減らず口・減らず口をたたくこと」・・・ 「頤が落ちる=寒くて震え上がるさま・食べ物が非常にうまいことのたとえ・あごが落ちる・口数が多いこと・多弁である」・・・ 「あごで人を使うこと・頤使に甘んずる・人を頤使する」・・・ 「頤=おとがい・あご・下あご」・・・ 「頤を解く=おとがいをとく=あごがはずれるほど大笑いする・解頤(カイイ)」・・・ 「期頤(キイ)=百歳の人・期=百年、頤=養う意」・・・ 「朶頤(ダイ)=あごを垂らして、食べようとすること 欲しがること 強国が弱国を併呑しようとすること 𦣞=匚+口+¦=叵+¦=イ=乳房の象形 頁=ケツ=祭事の帽子、呪飾・人の首から上 =ページ(page)・大貝 授乳の儀礼・やしなう意 乳を飲むとき、乳飲み子は 顎を動かすので、顎の意 姫の「臣」は、見張る・大きな瞳 姫=女性に対する美称 姬=歌舞をなりわいとした女性 妾或寵婢(情婦)的別稱 「姬=女+𦣞」の「𦣞」と「臣」は 別の意味の字 「姫=ひめ・シン=女臣・見詰める 湖畔・滸・邊・阿」 「姬=ひめ・キ=女+𦣝(𦣞)=乳房」の 旧字体は「姫→姬」だが 「女の形象に 乳房(𦣞)を有する成人女性」で 「女の形象に 臣(シン・見張る)」の意味はない ーー↓↑ーー 葛飾北斎・・・葛飾派の祖・・・「葛(かづら)」→蔓 誕生 1760年 庚辰(乙・癸・戊) 0010月 丙戌(辛・丁・戊) 0031生 甲子(壬・ ・癸)戌亥=空亡 没年 1849年 己酉(庚・ ・辛) 0005月 己巳(戊・庚・丙) 0010日 丙辰(乙・癸・戊) ↓↑ 別人がいるらしい・・・ 「葛飾北斎 (別人)」「牛馬図の作者」 と 「二代目 葛飾北斎(を名乗る後継者)」は「二人」もいたらしい・・・「鈴木」と「橋本」の姓で二人いた・・・ ↓↑ 本ものは 「シーボルト事件」では摘発されそうになったが 「川原慶賀」が身代わりとなり、難を逃れた・・・? ーー↓↑ーー
「シーボルトと川原 慶賀」 川原 慶賀(かわはら けいが) 天明六年(1786年) ~ 万延元年(1860年) 長崎の画家 出島出入絵師として 風俗画、肖像画、生物の写生図を描いた 諱(字)は 種美 通称は 登与助(とよすけ)・・・登の与の助 訳を與え助(援)ける 号は慶賀 別号 聴月楼主人 後に 田口姓を名乗る 息子は 川原盧谷で洋風画を描いた ↓↑ 長崎の 今下町(いましたまち・長崎市築町)に生まれ 父は 川原香山(町絵師) 文化八年(1811年)頃 石崎融思に師事 出島オランダ商館への出入りを許され 文化十四年(1817年) 来日した ブロムホフの 家族肖像画などを描き 長崎の風俗画や風景画 出島での商館員達の生活等を描いた 異国の風俗と 日本の浮世絵を 融合させた独自の画面を創った 文政六年(1823年) シーボルトが商館付医師として来日 ↓↑ 慶賀は 日本の動植物等を蒐集し始めた シーボルトの注文に応じ 『日本』という本の挿絵のため 精細な動植物の写生図を描いた ↓↑ 文政八年(1825年) ジャワ島バタヴィアから オランダ人の画家 デ・フィレーネフェ を招聘、 彼から洋風画の画法を習得 文政九年(1826年) オランダ商館長の江戸参府に シーボルトに同行し 道中の風景画、風俗画、人物画等も描いた 絵図のほとんどはオランダへ発送された ↓↑ 文政十一年(1828年) シーボルト事件 多数の絵図を提供した 慶賀も 長崎奉行所で取り調べられ、叱責 シーボルト追放後 シーボルトを慕う人々によって 嗅ぎ煙草入れが シーボルトの元へ送られ この嗅ぎ煙草入れの蓋には 慶賀が下絵を描いた ↓↑ 楠本滝 楠本イネ の肖像画が表裏に 螺鈿細工で表されている (シーボルト妻子像 螺鈿合子) ↓↑ その後もシーボルトの後任となった ハインリヒ・ビュルゲルの指示を受け 同様の動植物画、写生図を描いた 天保七年(1836年) 『慶賀写真草』(植物図譜)を著 ↓↑ 天保十三年(1842年) オランダ商館員の依頼で描いた 長崎港図の船に当時長崎警備に当たっていた 鍋島氏(佐賀藩)・・・花杏葉=杏葉(ギョウヨウ・ギョヨウ) 茗荷紋と似ているが 杏葉は馬具などの装飾品 西アジア地方から 中国に流入した文様の一種 細川氏(熊本藩)・・・引両紋=(ヒキリョウモン) 丸の内に二つ引 の家紋を描き入れ これが国家機密漏洩と見做され 再び捕えられ 江戸及び長崎所払いの処分を受けた ↓↑ 弘化三年(1846年) 長崎に戻った・・・ 長崎を追放されていた慶賀は 長崎半島南端・野母崎地区の集落の1つである 脇岬(長崎市脇岬町)に向かった 脇岬観音寺に残る 天井絵150枚のうち 5枚に慶賀の落款があり 50枚ほどは慶賀の作品ともいわれる この頃から 別姓「田口」を使用 嘉永六年(1853年) プチャーチン の肖像画が残っている 出島の日常風景を描いた 唐蘭館図(出島蘭館絵巻とも) は開国後に描かれていること、 慶賀の落款がある 万延元年(1860年)作と 推定される絵が残っていることなどから 75歳までは生きた・・・一説には80歳まで生きた 慶賀は 伝統的な 日本画法に 西洋画法を取り入れていた 精細な動植物図については シーボルトの指導もあった 日本に現存する作品は約100点 オランダに送られ ヨーロッパ各地に分散した 慶賀作の 絵図は6000-7000点・・・ ↓↑ 慶賀が描いた動植物図のほとんどはオランダに送られ シーボルトらの著作である 『日本動物誌』等の図として利用 標本がなく、慶賀の写生図をもとに記載された ウミヒゴイ Parupeneus chrysopleuron(Temminck et Schlegel, 1844) などもある これらは ライデン国立自然史博物館に所蔵 ーー↓↑ーー クララ
「葛飾応為」 「眩=くらむ・くらます・まぶしい・まばゆい ゲン・グヱン 目がくらむ・目をくらます 眩暈 (ゲンウン) ・眩人・眩惑 眩暈 (めまい) ・目眩 (めまい) 瞑眩 (めんげん・めんけん) 」 ーーーーー ・・・クラクラ、目眩の毎日・・・
ーーーーー ・・・???・・・ ↓↑ ↓↑ 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
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モモちゃん
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