ゴオン?・・・チンピラの恫喝・脅迫・・・腐汚塵
2022/4/17・日曜日・・・追加添文・・・
「恩無き刑・自刑」が相当・・・黒い鞄・・・破壊者プーチンの末路・・・
↓↑
恩=因+心=㤙=囙+心
囗+大+心
オン
めぐみ・いつくしみ・なさけ
㤙=囙+心
囗+コ+心
囙(よる)
囙(ちなみ)
囙(ちなむ)
囙(よすが)
囙(よって)
囙=因・・・コ=大=一+人
イン
よる・ふまえる・もとづく・由来する
よる・たよる・たよりにする
もと・物事のおこり
ちなむ・ちなみ・ゆかりがある
よすが・理由
よって・よりて・理由で・原因で
ちなみに・ついでに
↓↑
姻(とつ)ぐ=婣=女+𣶒=女+片+一+爿・・・淵
𣶒(エン)=淵・渊
𣶒⇔𤕰
異体字「渊・渕(俗字)・𡆼(同字)
𣶒(古字)・囦(古字)
𠝃(古字)・𣴸(同字)
𣴺(同字)・渁(同字)
渆 (同字) ・㴊(同字)
𣾬(同字)・㶜(同字)
淵=ふち・かたい・はなわ?
↓↑
𨓯=辶+𣶒=𨖳=辶+淵
↓↑
粛(エン)=聿+𣶒
水がうずまく象形
・・・渦=氵+咼(冎+口)⇔過・過失・過去⇔水主(かこ)
冎=カ・えぐる(剮・刔・抉)・えぐりとる
さく(削)・さいてわける
咼(冎+口)=呙=口+内(冂+人)
カ
カイ・・・甲斐武田・甲府・咼氏之璧
ケ
口がゆるむ(歪む)
和氏之璧(カシのヘキ)
和氏之璧=咼氏之璧・・・瑪瑙・琥珀・水晶
蛇・它・巳(己・已)・⺋⇔蜷局(とぐろ)
囬=異体字「囜・囬・佪・𢌞」=回
回=囘
𦣞⇔姫(キ)=姬=比売
媐(キ・イ)=巸+女=𡟮=𡢰
妻・楽しむ
𦣝(イ・アイ)=𦣞・頤・ 頥・𩠡=顎(あご・おとがい)
=搾乳の大きな二つの乳の象形
=授乳して養う
=百年曰期=頤
顎で人を使う=顎使
顊=阜+頁
声符「𦣝」=姬・頤・㺇・㺿
巨=匚+コ(コ)=なんぞ・どうして=匸+コ
反語の意
目を伏せた様・目を見張る?
かしこまる
ハコの中のコ?
円をかく器具・・・・・ろ・ロ=櫓・艪・櫨・櫂⇔compass
compass=羅針盤・方位磁石・両脚規・規矩
製図用コンパス・分まわし⇔∧・入
曲がった・弧形の
取り囲む・丸い・円形の
を囲い込む・巡らす=encompass
目的を達する・成就する
を企てる
を十分に理解する
筆で丁寧に書くこと
おそれつつしむ
婣肅淵嘯彇鏽驌鷫鱐奫
潚簫繡蕭蠨瀟棩裫蜵歗
橚熽璛蟰鼘櫹鼝
𢏮・䄗・裫・𫃺・肅
𪔥・𡙆・鼘・䨊
↓↑
・・・恩着せがましいって・・・アンタだろう・・・ ・・・他人のために復讐(仕返し)・・・? ・・・自己保身のタメだろう・・・KKK・・・? 「物質存在の条件」・・・有=存=在=或・・・? 「生命の条件」・・・・? 「生物の条件」・・・・? 「人類の条件」・・・・? 「人間の条件」・・・・? 「オンナの条件」・・・? 「オトコの条件」・・・?
↓↑
宋果・・・ソウか?・・・緒口(いとぐち)はソウなんだ?
・・・宋=宀+木・・・宇宙の十(拾・足)の八(捌)
う=鵜(鸕)+記紀
鸕野讚良
果=田(かり・デン)+木
借り・傳(伝)・記紀
ソウカ(ソウクワ=総鍬?蘇鵜鋤?)・・・草加(日下)・総花?
漢幷州・・・幷=幷=干+干
異体字「并」
「竝(並)・倂(併)」
併合・併呑
ヒョウ(ヒャゥ)
ヘイ(ヘィ)
あわせる・ならぶ
刺史(シシ・地方巡回観察官→地方治所観察官)
↓↑ 前漢
武帝が紀元前106年
全国に十三州を設置し
同時に設置した監察官
州の監察官や行政長官
郡大守を監察する刺史を置いて
各地を巡回させ郡大守を指導
紀元前8年
成帝の時代に刺史は
郡大守と同等の二千石の奉給に
引き上げられ
名称も
「州-牧」と改められた
牧の行政権は
郡を越えて州管轄になり
牧は州内の各郡県の内政に
直接干渉できるようになる
地方官になった・・・
↓↑
「宋果」
字は仲乙(仲文)・・・仲(人は中)の乙(弟)
扶風郡の人
《後漢書・郭太伝》・・・郭は太の伝?
↓↑
「宋果」は
軽はずみで荒々しい性質で
他人のために
復讐(仕返し)してやるのが好きだった
↓↑
「郭太」から
義について諭され
懺悔感服し、叩頭して謝罪
三公の役所から招かれ
侍御史・幷州刺史
となって
彼の赴任先をよく治めた
《後漢書・郭太伝》
↓↑
郭 泰(カク タイ)
128年~169年
後漢代の儒者
字は林宗
太原郡
界休県の人
八顧の一人
↓↑
後漢書
編者の
范曄
↓↑・・范曄
字は蔚宗
先祖は南陽郡順陽県(河南省南陽市淅川県)
会稽郡山陰県(浙江省紹興市柯橋区)にて出生
「言以足志、文以足言。不言誰知其志。
言之無文、行而不遠(春秋左氏伝・襄公二十五年)」
↓↑ ↓↑
司馬遷は散文体
班固はそれを詩風の韻文体
「述」と称した
范曄は
「述」を
「賛」に改めた
「述」や「賛」は史書の体例となり
巻ごとに一つ書かれるようになった
事柄が多い巻は要約され
内容が空虚な巻は
誇張された
文章となってしまった
形式と内実が乖離し
詳細さと簡略さが符合していない
人の善悪や
歴史上の褒貶を知ろうとするうえで
この形式を利用する必要もない・・・
↓↑
賛=㚘+貝
夫+夫+貝
夫+二+人+貝
二+人+夫+貝
夫+一+一+人+貝
二+人+二+人+貝
一+一+人+夫+貝
二+人+一+一+人+貝
一+一+人+二+人+貝
一+一+人+一+一+人+貝
サン
たすける
たたえる
ほめる
まみえる・会見する・お目にかかる
たすける・力をそえる
みちびく・引く
すすめる
たたえる・ほめる
文体のひとつ
人をほめたたえる文章
賛辞
↓↑
が父の諱を避けて
「郭太」
「郭林宗」
と表記
↓↑
「後漢書・郭太伝」
郭太のことを
「身長八尺、容貌魁偉」と形容
「後漢書巻六十八郭符許列傳第五十八」
↓↑
危言覈論
(キゲンカクロン)
正しいと思う主張について
激しく議論を戦わせること
「危言」は自身の身が
危険な状況になることを気にかけず
自分の考えをはっきりと言うこと
「覈論」は激しく論じること
出典『後漢書(郭太伝)』
『後漢書・郭太伝』に
「身長八尺、容貌魁偉なり」
ーーーーー
魁=北斗七星の第1星 魁偉(クワイヰ) 「後漢書・郭太伝・容貌魁偉」 顔やからだが 人並はずれて大きく立派なさま 魁岸(カイガン) ↓↑ かい(魁) かしら・頭領 さきがけ・先鞭 北斗七星の第1星 ↓↑ かい‐い(魁偉)ヰ 「後漢書・郭太伝・容貌魁偉」 顔や身体が人並はずれて大きく立派なさま ↓↑ かい‐がん(魁岸) 容貌の偉大なさま ↓↑ かい‐けつ(魁傑) 容貌・才幹のすぐれていること・すぐれた人物 かい‐ご(魁梧) かい‐ご(魁梧) 体が大きくて立派なこと・魁偉 かい‐しゅ(魁首) かい‐しゅ(魁首) かしら・長・首魁 かい‐すい(魁帥) かい‐すい(魁帥) 賊徒などの長 かいすいえん‐やき(魁翠園焼) 御庭焼の一 嘉永(1848~1854)の頃 美濃 高須藩主 松平義建が 江戸角筈(つのはず)の下屋敷 魁翠園で焼かせた陶磁器・角筈御庭焼 ↓↑ かい‐せい(魁星) かい‐せい(魁星) 北斗七星の第1星=北斗七星(Big Dipper、Plough) ↓↑ おおぐま座の腰から尻尾を構成する 7つの明るい恒星で象られる星列 北斗・北斗星・七つの星・七曜の星 柄杓の形をして 「斗」の名が付けられている 日本では 四三の星・七剣星 3等星であるδ星を除く 6星は全て2等星
柄杓の器の部分を作る 天枢、天璇、天璣、天権 4つを 魁(カイ) 柄の部分を作る 玉衡、開陽、揺光 3つを 標、杓(ヒョウ) あわせて 「斗」と一字でよぶことも 神祇伯家行事傳に 北斗七星の名前とし ↓↑ 「魁𩲃𩵄䰢魓𩳐魒」 魁・・・α星(天魁星) 二十八宿の 奎星(ケイセイ)と混同され 文運をつかさどるとされた 科挙の試験で 進士首席合格者・状元・魁選 さき‐がけ(先駆け・先駈け・魁) さき‐がけ(先駆け・先駈け・魁) 衆に先立って敵中に攻め入ること 物事のはじめとなること 特に、同類の中で先になること さき‐が・ける (先駆ける・先駈ける・魁ける) 他に先立って進む 他よりも先に物事をする ひと‐ごのかみ(魁帥・首長) (人ひと兄このかみの意) 上代における一群の人の長 首魁〈神武紀訓注〉 魁=カイ〈クヮイ〉(漢) さきがけ (名)いさお・つとむ さきがけ・まっさき・第一番目 かしら 首領・首魁・巨魁・渠魁 花魁(おいらん) 大きくてすぐれている 魁偉・魁傑 ーーーーー 郭泰・・・郭=廓・曲輪・・・郭務悰・・・ダレ? (by Wikipedia) 郭泰(カクタイ・128年~169年) 後漢代の儒者 字は林宗 太原郡 界休県の人 名儒を数え上げた八顧の一人 ↓↑ 「後漢書」の 編者の 范曄(ハンヨウ・398年~445年) 魏晋南北朝時代の 南朝宋の政治家・文学者・歴史家 『後漢書』の作者 字は蔚宗 先祖は南陽郡順陽県 (河南省南陽市淅川県)の出身 会稽郡山陰県 (浙江省紹興市柯橋区)出生 ↓↑ が父の諱を避けて 「郭太・郭林宗」・・・カクタイ・・・化句臨想? と表記 ↓↑ 范曄・・・范=艹+氾 ↓↑ 艹+氵+㔾 ハン いがた かた のり 草の名 虫の名・蜂 鋳型・鋳造の型 のり・法則・規範 曄=日+華 異体字「曅」 ヨウ あきらか かがやく さかん かがやく・あきらか・ひかりかがやく ↓↑ さかんなさま 范曄(ハンヨウ・398年~445年) 士族生まれ 祖先の 范晷は 西晋の雍州刺史 曾祖父の 范汪は 東晋の安北将軍・徐兗二州刺史・武興県侯 祖父の 范寧は 臨淮郡太守・豫章郡太守 父の 范泰は 宋の侍中・光禄大夫 死後は 車騎将軍を追贈 范汪は 「博覧強記にして、道理に通ず」 『尚書大事』20巻・『范東陽方』105巻 などを著 范寧は 『春秋穀梁伝集解』12巻を著し 范泰も『古今善言』24巻を著した 范曄には 兄の 范昂、范暠、范晏 末弟の 范広淵 がいた ↓↑ 范曄(ハンヨウ・398年~445年) 無神論者 『後漢書』の中で 人に諂う仏を猛烈に非難 神の不滅 因果応報 の説法を否定 仏教を信じる後漢の 桓帝を風刺 天命論にも反対 「天道の性命、聖人の難言之 況して乃ち憶測を僅かに隠す 猖狂無妄之福 宗親の汚滅を 觖一切の功を以て哉!」 『後漢書・張衡伝』で 大量に、古代の予言書を引用して 史実や論証を述べることに 張衡が反対した話を収録 陰陽の禁忌についての 誤った論を論破・・・ ↓↑ 屈伯彦 の学問を学び、三年でこれを修め 墳籍(古代聖賢の手による経籍)に通じ 談論を善くし、その発音は美しかった 洛陽に遊学 賈彪 と共に 太学の冠とされた 当時河南尹だった 李膺は・・・膺=䧹+月・・・贋・雁(鴈)・鷹 广+倠+月 广+亻+隹+月 郭泰を大いに奇とし 親善を結んだ 郭泰の名は洛陽に拡散 司徒の 黄瓊が招聘し 太常の 趙典が 有道に推挙したが、応じなかった 党錮の禍で名士達が被害を受けたが 郭泰 と 袁閎だけが禍を免れた ↓↑ 建寧元年(168年) 陳蕃 竇武 が宦官との抗争に敗れて害され 建寧二年(169年)春、家で死去・享年42 ↓↑ 斗と筲 容積を量る器 小さな単位を測る程度の小さな人間 ーーーーー 郭-皇后(カク-コウゴウ) ?~景元四年(263年) 三国時代の 魏の 曹叡(明帝)の 二番目の皇后 諡号は明元皇后 涼州西平郡の出身 父は郭満 母は杜氏 叔父は郭立 従弟は郭徳・郭建 ↓↑ 一ヶ月後 曹叡は死去 曹芳(斉王)は即位後 郭氏を尊んで 皇太后とし 永寧宮と称した ↓↑ 郭皇后 郭聖通 後漢の 光武帝の最初の皇后 文徳皇后郭氏 魏の文帝 曹丕の皇后・明元皇后郭氏 魏の明帝曹叡の皇后・懿安郭皇后 唐の憲宗の皇后・章穆皇后 北宋の真宗の皇后・郭皇后 (宋仁宗) ↓↑ 郭皇后 河右の豪族の娘 西平郡において叛乱が起こり 連座して後宮に没収 黄初七年(226年) 曹叡の即位後 寵愛され夫人(妃の位の一、皇后に次ぐ) 景初二年(238年)十二月 曹叡の病が篤くなると 皇后に冊立 一ヶ月後曹叡は死去 曹芳(斉王)は即位後 郭氏を尊んで 皇太后とし、永寧宮と称した ↓↑ 少帝 曹芳の時代 当初は 曹爽 司馬懿 やその息子たちが実権を握り 皇太后自身には権限がなかった・・・ 正始十年(249年) 司馬懿が 曹爽にクーデターを起こし 曹爽・曹芳 らが墓参に出かけた留守に 皇太后の支持を取り付け 正当化・・・ ↓↑ 毌丘倹 鍾会 など反逆者たちは 皇太后の命と称して叛乱を起こした 司馬師が 曹芳を廃したときも 名目は皇太后の令を理由としていた・・・ ↓↑ 曹芳の廃位後 後継者を決定するとき 司馬師が 曹據を推したのに対し 皇太后は 曹髦を推した 皇太后と司馬師は対立したが 皇太后の主張が通り 曹髦(高貴郷侯)が即位・・・ ↓↑ 諸葛誕の反乱 皇太后と曹髦らが親征する形で 司馬昭に奉戴され反乱を鎮圧 曹髦は、専権を極める 司馬昭を排除しようとして失敗 司馬昭の側近である 賈充の部下 成済に殺された 司馬昭は皇太后の令と称し 「帝が皇太后を害しようとしたため殺害された」 と理由を付け 司馬昭が 曹髦 を庶民の格式で葬ろうとすると 司馬孚は反対し 皇太后に上奏し 王の格式で葬る許可を取り付け行わせた 景元四年(263年)十二月に死去 景元五年(264年)二月 曹叡の高平陵の西に埋葬された ↓↑ 拳拳服膺 人から教わった事や言葉などを 決して忘れることなく 常に心に留めて大切にすること 「拳拳」は 丁寧に両手で捧げるように持つこと 「服膺」は 胸に付けるということから 心に留めるという意 出典『中庸(八)』 銘肌鏤骨(メイキルコツ) 銘心鏤骨(メイシンルコツ) ーーーーー ・・・???・・・メイキルコツ(明記留兀)・・・兀? 兀⇔π(パイ・pie)・・・π
円周率=円の周長の、直径に対する比率=π=3.14159 26535・・・ (π=ペリメトロス・ペリペレイア) 半径 R の円周の長さ 半径 r の円板の面積=πr² ↓↑ アルキメデスは 正96角形を用いて 半径 r の球の体積=4/3πr³ ↓↑ この球の表面積=4πr² その球の大円による切り口の面積の4倍 祖沖之(五世紀、中国) 小数点以下第6位まで弾き出した ・・・無駄な「あんき」・・・嫌いだけれど・・・ ・・・思考、構成と判断の原材料・・・ あんき=安藝=安徽=暗鬼=安危=諳記=暗記・・・闇に記すって?
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