シリ・ウス・・・イヌガミ=犬上 御田鍬=遣隋使
2022/8/15・月曜日・・・追加添文・・
↓↑
権力の最高神は
「シリウス」か、「ジュピター=ユピテル」か・・・
天下に二人の権力者はいらない・・・
「皇帝」か、「天皇」か・・・
「煬帝=本名は楊広=別名は英=小字は阿𡡉=隋の二代皇帝」
天和四年
(569年)
~
大業十四年三月十一日
(618年4月11日)
・・・終わったね、オリンピック・・・ギリシャ(希臘)・・・台風は追い打ちをかけて北海道に駈け上って来ている・・・シリウス=「天狼(星)」=「おおいぬ座(大犬座、Canis Major)はトレミーの48星座の1」・・・日本で冬の南の空に低く見られる星座・・・「冬の大三角」・・・「シリウス(天狼)」か、盲目のオリオンを救った「アポロン(太陽)=ヘリオス」か・・・牝狼か牝狐か・・・天照大神・・・ ーーーーー シリウス(α星) 全天21の1等星の中で最も明るい 大犬座(シリウス) 小犬座(プロキオン) オリオン座(ベテルギウス) の3つの1等星で、 冬の 「大三角」を形成 ↓↑ プトレマイオス この星座の周りの 十一(11・壱拾壱)個の星を 「星座を形作らない星」 とした 現在、そのうちの 九(9・玖)個は 鳩(はと)座、 一(1・壹・壱・弌)個は・・・聿・位置・位地・市・佚 鴪・鷸 一角獣(いっかくじゅう)座、 一(1・壹・壱)個は 大犬座の星 ↓↑ 「偽エラトステネス」・・・「偽」ですか・・・ ↓↑ 記録、造作されたモノに 「贋」は無い・・・ ↓↑ 「まなんだ結果」である や 「ヒュギーヌス」 は 「神犬ライラプス」に結び付けている ↓↑ 「ライラプス」は、 「ヘーパイストス(鍛冶神)が ゼウスのために作った 必ず獲物を捕まえる犬で その飼い主は転々とし、 アテナイの 「ケパロス(Cephalus)」 のものとなった ↓↑ 「アムピトリュオーン」は 「テーバイ」を苦しめる 「テウメーッソスの牝狐」 を退治するために 「ライラプス」の飼い主の 「ケパロス」を頼ったが 「牝の狐」 は 「ヘーパイストス(鍛冶神)=ヴィーナスの夫」 が誰にも 捕まらない宿命として生まれ 「ライラプスの犬」は 延々と追いかけ続けるコトになった ゼウスは、 犬も牝狐も 石に変え、 空の大犬座とした 別の神話では オーリーオーンの「猟犬」で 彼の足元で ウサギ(兎・うさぎ座) を追いかけている「犬」 (アラトス、ホメロス、ヘシオドスなどの説) ↓↑ 「シリウス(大犬座)」の日本の呼称 青星=アオボシ(北海道・石川) 唐耒(からすき・唐犂)の アト(後・跡・迹)ボシ=北海道 ・・・蝦夷のアイヌ語ではないだろ? 明治の 入植開拓時代以後? 風星=石川 大星=広島・香川・高知・三重 えぬぐ星=岐阜?・・・ナイジェリア南東部の州で 州都、エヌグ? 「ヱ・衣・ゐ」脱ぐ、抜く、貫く 抽く、擢く? 鴉(エ・ア・からす) 踝(エ)=くるぶし 足首の関節内外両側の突起部分 エ脱(拭)ぐ? 柄(え)=道具類につけた取っ手 柄杓のエ・キノコのエ 葉柄や花柄 無理な理屈、口実の「エ」つける 雪星=埼玉 「δ星-ε星-η星」で 三角星=宮城・岩手・山形・奈良 鞍掛星=静岡 鱗(うろこ星)=静岡 倉端(くらはし)=土佐 南の色白(イロシロ)=島根 ↓↑ 小犬座 プロキオン 小さいオオボシ=三重 イロシロ=島根 プロキオン(Procyon) 小犬座α星 最も明るい恒星で 全天21の1等星の1つ 大犬座のシリウス、 オリオン座のベテルギウス ともに、 冬の 大三角を形成 冬のダイヤモンドを形成 する恒星の一 ↓↑ 小犬座 学名=α Canis Minoris ラテン(羅典)語 プロキオン (Procyon・Procion・Prochion) ギリシア語 Προκύων 「犬に先立つもの」の意 犬の星(シリウス)が東の地平線から昇ってくる 少し前に、姿を現すことに由来 ↓↑ アラビア語では、「北のシリウス」を意味する 「アッ=シアラー・アッ=シャーミヤ (aš-ši‘ra aš-šamiyah) 」 シリウスが「南のシリウス」を意味する 「アッ=シアラー・アル=ヤマーニヤ (aš-ši‘ra al-yamāniya) 」 対して命名されたもの 島根県地方で 「色白 (いろしろ) 」と呼ばれ シリウスは「南の色白」と呼ばれている ↓↑ おおいぬ座=狩人オリオンの猟犬 こいぬ座の神話では アクタイオンに噛み付いた猟犬 冥界の門を守る三つ首の獣 ケルベロス 乙女座の 女神に関係する イカリオス王の犬 メーラ等 犬の姿とされたのは 古代ギリシャ以後のこと・・・ 古代バビロニアでは アルゴ船座の一部を、 「弓の星」として、 シリウスは その弓につがえた 「矢先」に当たる星 ↓↑ 神話 狩人 ケファロス は、 エレクテウス王の娘 月の女神 アルテミスの侍女 プロクリスと結婚していたが 曙の女神 オーロラに愛され、 三角関係になった 女神は、 「プロクリスも、浮気をしている」 と言いいい ケファロスは、 妻(プロクリス)を疑い オーロラの力を借り、 別の男に変身し、 旅人を装い 妻を浮気に誘った 妻は誘惑に負け その時に ケファロスは元の姿になり、 妻を責めた・・ プロクリスはその後、家を出て放浪し クレタ島の王 ミノスの愛人になったが 王は 妻の パシパエの嫉妬に恐れ、 プロクリスと別れる事にし ミノスは プロクリスに 「獲物を 必ず捕まえる 俊足の猟犬 レラプス と 投げれば 必ず当たる槍を与えた」 プロクリスは 夫 ケファロスとの復縁に この二つを彼に贈った その後 国中を荒す 牝狐を狩るため ケファロスは 猟犬 レラプス を連れて狩猟に出かけた だが、 牝狐は非常に素早く、 捕まえることができず ケファロスは、 投げれば 必ず当たる槍を投げようとした時 レラプスも牝狐も 石になってしまった ゼウスが、 猟犬と牝狐が傷つくのを恐れ、 石に変え 猟犬の レラプスは天に上げられ、 大犬座になった・・・ 牝狐は「狐座」にはならなかった、らしい・・・ ↓↑ 女神オーロラの呪いで、 夫の ケファロスは 茂みにいた 妻 プロクリス を獣と間違って、 その槍で殺してしまった・・・ ↓↑ ライラプス=レラプス=(猟犬) (古希: Λαῖλαψ, Lailaps) ギリシア神話 狙った獲物は決して逃がさない「犬」、 そして 狙った獲物は決して外さないという「槍」 とともに クレータ島の王 ミーノースの宝物 ↓↑ ヘーパイストス が ゼウスのために作った 犬(ライラプス=レラプス) ゼウスはこれを エウローペー・・・・ヨーロッパの女神、ゼウスが誘拐 に 槍とともに与え、 エウローペーは息子の ミーノース に与えた・・・ アルテミスの宝物だった、とも・・・ ↓↑ アテーナイの王 エレクテウスの娘 プロクリス は夫 ケパロス と仲たがいしたときに ミーノース あるいは アルテミス から ライラプス(猟犬) と 槍を得て、 ケパロスと仲直りしたさいに それを 夫(ケパロス)に与えた。 ↓↑ 後に アムピトリュオーン は テーバイ を苦しめる テウメーッソス の 牝狐を退治しなければならなく、 アムピトリュオーン は狩りに ケパロス の猟犬に頼った タポス島 との戦争で得られるであろう戦利品と 引き換えに ライラプス(猟犬)を テーバイに連れて来て狐狩りを行ったが 際限なく 牝狐は逃げ、 猟犬は牝狐を追いかけた ゼウスは、 猟犬ライラプスが獲物を取り逃がすことも、 牝狐が捕まることも 運命に反していたので・・・「矛盾」するので? 両者を石に変えてしまった・・・ ↓↑ ・・・ギリシャ神話は複雑に入り組んでいて、人間関係の名前にも混乱する。それでも、古代ギリシャ人は網の目のような人物と神々を張り巡らしてモノガタリを作りあげた・・・他の犬も登場するが・・・ ↓↑ オルトロス (古希: Ὄρθρος, Orthros, ラテン語: Orthrus) or オルトス (古希: Ὄρθος, Orthos, ラテン語: Orthus) 双頭の犬 オルトロス=速い オルトス=真っ直ぐな ↓↑ テューポーン と エキドナ の子 ケルベロスは兄 ↓↑ 母、 エキドナ との間に ネメアーの獅子、 パイア(クロミュオーンの猪) スピンクス・・・・・・・・・スフインクス をもうける 黒い双頭の犬 鬣(たてがみ)一本一本 と 尻尾が蛇 落ち着きが無く、せっかち クレータ島 or ゲーリュオーン の雄牛を守っていたが、 ヘーラクレース に棍棒で殴り殺された・・・ ↓↑ シリウス(α星) ギリシャ語の セイリオス 焼き焦がすもの・輝くもの ↓↑ エジプトでは 日の出前、 東の空に シリウスが出ると 夏至 ギリシャでは シリウス=犬の星=キュオン(犬) 禍のしるし、 疫病の兆し ヨーロッパやローマでは、 7月~8月頃 シリウスが太陽と並んで輝く時期を ザ・ドッグ・デイズ=犬の日 厄払い日とした・・・ ↓↑ 古代エジプト(約5000年前) シリウスは 夏至の「日の出前」に、 太陽と共に東に昇り 一年の元日とした シリウスを アヌビス神(犬の顔、人の姿の死の神)とし ナイル川増水を兆す星として、 ソティス(水上の星)と呼ばれた 女神 イシス の光とも見られ シリウスの出てくる方向に 女神イシスの神殿が建てられた 太陽光線とシリウスの光が、 イシスの神殿内に差し込んだ・・・ ↓↑ 中国では 天狼(テンロウ)星 ミルザル(β星) アラビア語のアル・ムルジム 「吠えるもの・予告するもの」 中国では 「野鶏(ヤケイ)」と呼んで α星(狼)がβ星(鶏)を狙っている様子・・・ ↓↑ ↓↑ ↓↑ ーーーーーーーーーー 「隋書・俀國伝」・・・・「俀=イ+妥(爪女)」 「妥女=うぬめ=采女」か? 妥協・妥結・妥当 ↓↑ ↓↑ 「鶏(にわとり)=鷄=雞」は 「阿毎王朝」の 「阿輩-雞彌」の「雞-彌」・・・ ↓↑ 「開皇二十年(600年)、 倭王姓、阿毎、 字、多利思比孤、 號、阿輩-雞彌、・・・・アワの「雞-彌」? 阿波・安房・・・? 遣使詣闕。 上令所司訪其風俗。 使者言、 倭王、 以天為兄、・・・・天=夜・・・天体観測・天文観察 以日為弟、・・・・日=昼・・・政治・実務官吏 天、未明時、 ↓↑出、聽政、 跏趺坐、・・・跏趺(カフ)=「跏=足+加」 ↓↑ 「趺=足+夫」 これは単純に音写の yoga(瑜伽)なのか? 意味としての yoga(相応)なのか? ↓↑ 左右の足の甲を 反対の足の腿の上に交差し、 足の裏が上を向くように組む座法 結跏趺座 (ケッカフザ)なのか? 足(たり・王)の ↓↑ 夫を加える意味なのか? 日、出、 便停・・・・・便=たより・すなわち ↓↑ 障りなく事が運ぶ 都合がよい・簡単 便益・便宜・便法 便覧・便利=簡便・軽便 至便・不便・方便・利便 くつろぐ・ふだんの やりやすい・ついで てだて 便船・便乗 やすらぐ 便衣・便殿 大便・小便(いばり) 便所・便通 口がうまい・へつらう 便巧・便佞(ベンネイ) すなわち(即・曽・迺・乃・則 ↓↑ 輒=車+耳+乚(乙) わきぎ・チョウ 車の両側の前に そりだしている板 すなわち いつでも たやすく 類字は 軋=車+乚(乙) きしる・きしむ 擦れあって音をたてる 軋轢(アツレキ くわしい・こまかい 軋辞 同義字は 輙=わけない・容易い かるがるしい ↓↑ 類字は ↓↑ 「陬」=片すみ・片田舎 ↓↑ 「諏訪」の「諏=言+耳+又」 理務、 云、 委、 我弟。 高祖 曰、 「此太無義理。」 於是、訓令改之。 ↓↑ 「王妻、 號、雞彌、・・・「雞-彌」 後宮 有 女 六七百人。 名、太子、 為、 利歌彌多弗利。・・・利-歌彌-多-弗利 無城郭。 内官有十二等 一曰、大紱、・・・1 次、 小紱、・・・2 次、 大仁、・・・3 次、 小仁、・・・4 次 大義、・・・5 次、 小義、・・・6 次、 大禮、・・・7 次、 小禮、・・・8 次、 大智、・・・9 次、 小智、・・・10 次、 大信、・・・11 次、 小信、・・・12・・・・十二冠位 員、 無定數。 有軍、尼一百二十人、・・尼=比丘・仏門の女 ↓↑ あま・ニ・ジ(ヂ) 「牟尼=釈迦牟尼」 牟尼=賢者・聖者・寂黙 山林で沈黙の行をする人 「尼父 (ジホ) 」=孔子 孔子の 字は「仲尼」 ↓↑ 諱は「丘」 猶、 中國、牧宰。・・・尼=牧宰=国守 ↓↑ 尼=尸(屍)+匕(牝) 七(7) ヒ(匙) 匕(匕首=短刀・小刀・懐刀 手裏剣・ドス ↓↑ 鍔の無い小刀) 八十戸置 一伊尼翼、 如今、 里長也。・・・・・一伊尼翼=里長 十伊尼翼 屬 一軍尼。」 ↓↑↓↑ ーーーーー 「尼父 (ジホ) 」=孔子 孔子の 字は「仲尼」 諱は「丘」 ↓↑↓↑ 孔子・・・? 「孔=孑(ひとり・ケツ・ケチ)+乚(イン)」 「孑孒(ぼうふら)」の乚(乙) の のこり・あまり 「子=一(はじめ)の了(おわり)」 「子、孑、孒、孓」は異字漢字である・・・ ↓↑↓↑ 紀元前552年(or551年) 紀元前552年9月28日~紀元前479年3月9日)? 魯国 昌平郷辺境 陬邑・・・・・・・陬=阝(阜)+耳+又 (山東省曲阜(キョクフ)市) 陬邑大夫の次男として生まれた 父は 叔梁紇(シュクリュウコツ) 母は 16歳の巫女であった 顔徴在(ガンチョウザイ) 不倫関係 or 尼丘山に祷って生まれた=処女懐胎? 孔子の祖先は宋の人(史記) 3歳で父の叔梁紇を失い 母の顔徴在とともに 曲阜へ移住し 17歳の時に母も失い、孤児となった 幼いころは 「葬式の儀式」で遊んだ・・・ 紀元前534年 孔子19歳 宋の 幵官(ケンカン) 氏・・・幵の官→鳥居の形だろう と結婚 翌年 子の鯉(リ)、・・・・・・鯉=魚+里 字は伯魚・・・・・・・・伯の魚 が誕生 苛政は虎よりも猛なり=苛政猛於虎也 「孔子過泰山側。有婦人哭於墓 者而哀。 夫子式而聽之、使子路問之曰、 子之哭也、 壹似重有憂者。 而曰、然。 昔者、吾 舅死於虎、 吾夫又死焉、 今、 吾子又死焉。 夫子曰、何爲不去也」 「曰、 無苛政。・・・・・・・苛(苛酷)な政(治)が無い 夫子曰、小子識之、 苛政猛於虎也」 ↓↑ ・・・「取=耳+又」が「とる」と云う意味は「聴き取る」と云うコトよりは、文字を 「目で確認せよ」と云うコトだろう・・・が、「漢字」が日本語になっていたから・・・困ったのは・・・後から来た「渡来人・帰化人」・・・「今来の秦氏、漢氏」である・・・ ラテン(羅典)語の「Confucius(孔夫子・孔子)」は 「That confused them. He confuses them.」 ・・・そして、 「Don't confuse me with the facts.」であるが・・・ 「There are no facts, only interpretations.」 である? 「The search for truth begins with the doubt of all ‘truths’ in which one has previously believed.」 「Friedrich Nietzsche」 ・・・「フリードリヒ・ニーチェ(1844年~1900年)」ですか・・・?・・・「振り意訳理比・似意智恵」・・・ ↓↑ ーーーーー 乚(乙)=「乚」は「隠」の古字 かくす 人の目に触れないようにする 物で覆ったり、しまいこんだりする 物事を人に知れないようにする 秘密にする 死者を土に埋める かくれる 表面・外部から見えないところに存在 世間に名前や力が知られないでいる 去る・いなくなる ひそむ・ひそかに かすか いたむ=心配する=(同意語)=慇 悲しむ 落ち着いている 盛ん=殷 拠(よ)る ↓↑ ある物事の根拠 基準・理由となる 甲乙の「乙」・・・偶数の始り「二=次」 甲乙の「甲」・・・奇数の始り「一=初」 甲音・・・甲高い音声 乙音・・・押さえてつかえさせ止める 書物を読んで口調をとめるしるし 吃音(どもり・キツオン) ↓↑ ーーーーー ・・・以下、付録・・・ ↓↑ 大犬座 ウェズン(δ星) アラビア語のアル・ワズン(重さ)が語源・・・重(かさなる)? 地平線から昇る重そうな星・・・・・・・・重なってる星? 冬の南の地平線上低く見える星 アダラ(ε星) アラビア語のアル・アダーラ(処女)・・・・乙女 「δ、η、σ」を含めた星(座)の名前 日本で 「δ、η、ε」の三つの星は 「三角」 「馬の背中につける鞍」の「Λ形」で 「鞍掛け星」 フルド(ζ星) アラビア語のアル・クルド(猿)が語源・・・猿・申・狙・猨 猴・沙流 大犬座の「ζ、λ」 と、 鳩座の「γ、δ、θ、κ、λ、μ、ξ」・・・鳩=九+鳥 アルドラ(η星) アラビア語のアル・アドラ・アル・ジャウザ 「オリオンの乙女」が語源 ーーーーー ・・・???・・・ ・・・以下も引用添付・・・ 「カタステリスモイ」=「星々の配置」 (ギリシア語 Καταστερισμοί, Catasterismi) 星々や星座の神話的な起源を、 ヘレニズム期の解釈で語った アレクサンドリアの散文 天文学者の 「エラトステネス」の著作・・・? この「作者?」は 占星術には詳しいようだが、 エラトステネス の科学的な推測・問題解決とは何の関係もない・・・? ↓↑ ・・・「日常生活の精神面」には膨大な影響を与えてきた・・・ ↓↑ 「占星術は天文学の起源だが、 天文学は 論理的問題解決能力に欠ける占星術の 前兆や解釈を切り捨てている。 この分離は紀元前1世紀頃、 アレクサンドリアの知的サークルでなされた。 そうした理由から、 『カタステリスモイ』 は エラトステネス作とする偽書で、 その作者は 「偽エラトステネス(pseudo-Eratosthenes)」 と呼ばれている」 ・・・名前を騙(かた)ったってか?・・・ ↓↑ 「オリジナルは失われていて、それに基づいて、 1世紀末にまとめられた要約の形で残っている。 その後、長い期間をかけて熟成した。 メソポタミアの黄道十二星座が、 ペルシア人解釈者を経由して 古代ギリシアにもたらされ、翻訳された。 翻訳するにあたっての重要な要素は、 個々の星や プレアデス星団や ヒアデス星団のような星座の形を、 ギリシア神話の何にあてはめるかである。 古典ギリシア時代、 プラトーンはというと、 「遊星」 とそれを管理する神々とを 完全に切り離していた。 ヘレニズム文化には、 その繋がりは切り離せないものになっていた。 たとえば、 アポローンはもはや 太陽の統治者ではなくなり、 ヘーリオス、 つまり太陽そのものになった」・・・ ↓↑ 「内容は 第1章から第42章 トレミーの48星座のうちの43を扱っている。 その中にはプレアデス星団も含まれる。 第43章と第44章 5つの惑星と銀河系を扱っている。 ヘーシオドス作と言われる失われた本 『アストロノミア(Astronomia)』 からの引用がいくつかある。 神話的主題の多くは アラートスの 『現象(Phaenomena)』(紀元前275年頃) から引かれていて、 実質的にアラートスの書いたことを 脚色したものである。 反対に、 後世の ガイウス・ユリウス・ヒュギーヌス作と言われる 『天文詩』は『カタステリスモイ』 と類似」 ーーーーー ・・・・だから、ナニ・・・
・・・小さい町の川も轟音の濁流である。「台風・颱風」が行ったが、「鮐諷」じゃないョ、なッ・・・「風と共に去りぬ( Gone with the Wind)」じゃぁなくて、「Gone with the the typhoon Damages」で、人間も家畜もペットも日常性は「悲しみよコンニチは(Bonjour Tristesse)」である・・・「子育てに自信を失い我が子を・・・」、「お勉強の強制で我が子を・・・」ですか・・・「子羊たちの沈黙(The Silence of the Lambs)」・・・中国では淡水の「河豚(ふぐ)=河+豚」はブタに似た鳴き声をするらしいからの名前らしい・・・そして「鮐・鰒・鯸・魨・鯺」の異字漢字も「フグ」らしい・・・「鮐=フグ(fugu)フグ科の魚類の総称・ふぐ(河豚)・およそ120種の魚がフグ科に分類」・・・「ナゴヤフグ(名古屋フグ)」との呼称もあるらしく、「毒に当たればミノオワリ(美濃尾張)」の洒落らしいが、「毒」は「主(亠+十+一)の「毋(ない・ブ・ム) or 母(はは・ボ) or 毌(つらぬく・カン・ガン・貫)」である・・・ 「毌丘倹(カンキュウケン)」 ?~255 字は 「仲恭」 并州 河東郡 聞喜県 出身 尚書郎 洛陽の典農 魏の 荊州刺史 幽州刺史 魏の将軍 最後は 司馬師に反乱後、討伐された ↓↑ 魏の官僚 毌丘興 の子 毌丘甸 毌丘宗 の父 毌丘秀 の兄 孫は 毌丘重 毌丘奥 孫娘は 毌丘芝 ↓↑ 毌丘倹は 237年 孫権は 高句麗と通じ、 遼東へ親征を行おうとした 魏は 毌丘倹を派遣しこれと対陣、 毌丘倹が鮮卑の軍を動かして 遼東に駐屯させたので、 孫権は遠征を断念 ↓↑ 魏は 公孫淵に対し上洛を命じたが、 公孫淵はこれを拒否、挙兵して 遼隧で毌丘倹を撃退する ↓↑ 遼東の 公孫淵が 呉と接触 ↓↑ 毌丘倹は 魏王 曹叡の命により 幽州刺史となり、 烏丸の単于 寇婁敦 と 袁尚 烏丸へと逃げた者 5000余を降伏させた ↓↑ 遼隧の戦い(238年) 魏王 曹叡は 司馬懿に4万余の兵を与え、 公孫淵征伐 ↓↑ 「238年・・・遼隧の戦い」と「卑弥呼」 ↓↑ ーーーーー 倭に関係する極東国際情勢 57年 倭の奴国王、後漢の「光武帝」から金印を賜る 107年 倭国王、「帥升」、後漢の「安帝」に「生口」を献ずる 146年 倭国動乱、邪馬台国に女王「卑弥呼」が立つ 189年 「公孫度」、「玄菟郡」の小官吏から遼東半島太守となる 190年 「公孫度」、遼東郡を遼西、 中遼の二郡とし自らの太守を置 また、山東半島に営州刺史を置き、 「遼東侯・平州牧」と号した「公孫度」の子、 「公孫康」が継ぎ、 「度」の弟、 「恭」が「永寧郷侯」となり、 「康」は西暦196~220年まで 楽浪郡を分けて帯方郡を置いた 220年 後漢滅亡。魏王・「曹丕」、 「献帝」を廃し、 魏の「文帝」となる 221年 「劉備」、燭漢の「昭烈帝」となる 229年 「孫権」、呉の「大帝」となる 「公孫康」の子、 「淵」が「魏王」から「遼東太守」、 「車騎将軍」の爵号を授 232年 呉の「孫権」、 「淵」に「燕王」の爵位を与える 233年 呉が一万人ほどの軍隊を遼東に派遣。 「淵」はこの使者を殺し、 その首を「魏」に差しだし、 「楽浪公」の爵位を得る 235年 高句麗王、「位宮」、 呉から「単于」の爵号を受く 237年 「魏」は 幽州刺史の「毋丘倹」を将軍にし 「淵」軍と戦い敗北 ↓↑ ↓↑ ↓↑ 238年 六月、「卑弥呼」、 大夫「難升米」を 「魏」におくる ・ ↓ ・ 八月、「魏」の「司馬懿」を 将軍とする軍隊に 「淵」軍敗北、戦死 ↓↑ ↓↑ ↓↑ 239年 帯方郡・太守 「弓遵(辷+尊)」が 「韓」族に攻められ戦死。「韓」滅亡 244年 「魏」は 幽州刺史の 「毋丘倹」を将軍にし、 高句麗軍を壊滅さす 帯方郡太守 「王・(斤+頁)」、 塞曹掾史 「張政」を「倭国」に派遣 ↓↑ ↓↑ ↓↑ この「年表」に記されている「人名」と「官名」、「地名」の漢字とその「音」に注意すれば「古事記」が何を示唆しているか明かである。 更に「238年」の「六月」から「八月」・・・ワズカ、「二カ月間」・・・。 「卑弥呼」の「倭」は、少なくても 「六月」までは 「もと『燕=公孫氏』に属」 さざるを得なかったハズである・・・ 何故なら 「公孫淵=燕」は「237年」には「呉」と同盟、 あるいは册封関係にあり、 敵対する 「魏」の「幽州刺史」の「毋丘倹」を将軍とする軍隊と戦い、コレを撃破して勝利。 翌年の「238年の八月」に 「魏」の 「司馬懿」を将軍とする軍隊に敗北し、戦死したのである。 時間的な流れでいえば、 「倭」は「238年六月~八月」までは 「呉」と深い関係にあった「公孫淵=燕」に 「属」していたハズだ・・・もちろん、状況的に、直接的にも「倭」は「呉」と深い関係にあった・・・ すると、 「238年『六月』」、 この『六月』に「卑弥呼」が大夫「難升米」を「魏」におくる 、と云うことはどういうことなのであるか。 記録上の齟齬がナイとしたならば、朝鮮半島・遼東半島は いまだこの年の 『八月』まで「公孫淵=燕」の支配下にあった・・・ この「未だ燕の支配下の『六月』」、 どのような経路でいけたのか?・・・ どのような目論見で「難升米」を「魏」におくったのか?・・・ 方法は色々考えられるとしても・・・ 戦局が未だ定まらぬ「敵地=燕地」の経路をである。 「卑弥呼」は「邪馬台国」をまもるため、「呉=燕」の配下にありながらも二股をかけざるを得なかったのだ。あるいは「公孫淵=燕王」の「対魏戦略」に「卑弥呼」は乗せられたのである。あるいは「燕=公孫氏」、「呉=孫氏」そのものと「縁籍」であったのだ。 そして、 『八月』、「公孫淵=燕」は「魏」の「司馬懿」を将軍とする軍隊に敗北、戦死した(?)・・・ 『十二月』、「卑弥呼」は「魏王=明帝」から詔と「親魏倭王」としての「金印紫綬」と「銅鏡百枚」等をもらった・・・ ↓↑ ↓↑ ↓↑ 238年(景初2年)「女王卑弥呼」が派遣・魏へ使 240年(正始元年)「女王卑弥呼」が派遣・魏へ使 243年(正始4年)「帯方郡太守」が派遣・倭へ使 244年(正始5年)「高句麗王=位宮」敗北 245年(正始6年)「倭王」 が派遣・魏へ使 247年(正始8年)「邪馬台国」と「狗奴国」の交戦 卑弥呼の死亡 「邪馬台国で男王」立つが「内乱」 「宗女・壱與」が 「十三才で女王」となる ↓↑ ↓↑ ↓↑ 238年から六年後、 244年に「高句麗王=位宮」も敗北した。 朝鮮半島での敗残者は何処に逃げていったのか?・・・当然、「倭」へ、である・・・。そして「卑弥呼」の「邪馬台国」は「魏」の「張政」に担ぎ上げられた「壱与」に権力交替したのである。「狗奴国との対立」や「卑弥呼死後の男王の擁立」は怪しい・・・ すなわち、この部分に於いても「陳寿」は「使訳」の報告すべてが正しいわけがあるまい、と言っているのだ。「司馬懿(シバイ)」の名前も示唆的である。同音異字なら「芝居」で、しかも「芝居(しばい)」は日本語であるから・・・。 ・・・この『六月』の「卑弥呼」に対する「魏」の答えは・・・「卑弥呼」の排除である。 243年は「宗主国」である「魏の帯方郡太守」が「倭へ使者」を派遣してきたのである。 その後の「壱与」の権力交替は「帯方郡使」としての 「張政=魏」の策謀(告喩)による 「淵=燕=呉」親派の「卑弥呼」の「縊殺・絞殺」、 あるいは「溺殺」によるものである・・・ 漢字の「乙・乚」の秘密である・・・ 「張政」と「壱与」の「告喩」としての「卑弥呼」に対する侵攻は朝鮮半島、博多「伊都」、そして長崎県の「五島列島」を根拠地にし、「長崎」、「諌早」、「熊本・宇土・横島」へとその勢力を浸透させて「卑弥呼」を「殺害(?)」したのだ・・・ その後、「壱与」は「宇佐」に東遷し、権力の基盤を「大分」に置いた。だが、「卑弥呼」の親派勢力は長崎「諌早」、「天草諸島」、「熊本・横島」、そして「沖縄」、「台湾」にその勢力を有していたハズである・・・ 結論的に九州(倭)は「魏」の配下に入ったが、「二人の女王」の勢力は「遼東半島」、「山東半島」、「高句麗」、「朝鮮半島」、「南韓」の亡命者、血縁者を抱え、「太陽の烏=卑弥呼=長崎・諌早=左目=天照大御神」と、「月の卯=壱与=大分・宇佐=右目=宇受女=豊受大神」に分裂=磐余(イワレ)=「大分」していたのだ。 もちろん、「中央の鼻=中津=名賀津=那賀津」は「博多・伊都=須佐之男」であるハズだ・・・ その後、 ーーーーー ↓↑ 公孫淵も 卑衍・・・・・・・・・卑の衍? 衍=あまる・エン・余分にあまる 余計な 衍字・衍文 延び広がる 押し広げる 衍義=敷衍 楊祚 らに数万の軍を与えて 遼隧に派遣・・・・・遼の隧? 司馬懿が 遼東に到着 卑衍が 司馬懿を攻撃したが、 司馬懿は 胡遵らを派遣して・・・胡の遵(辶+尊) 卑衍を破った ↓↑ 公孫淵は 遼隧に塹壕を掘り、 司馬懿の軍を迎え撃った 遼隧の公孫淵の防衛陣が堅固だったので 司馬懿は、 東南に退却したとみせかけ、・・・東南=辰巳=巽 国都の 襄平に侵攻 公孫淵は遼隧の軍を撤退 都の守備に当たらせたが、 敗退を繰り返し 司馬懿に襄平を包囲された ↓↑ 公孫淵は 呉の 孫権に謝罪し、援軍を求め 孫権は援軍として 羊衜・・・・・・羊の衜=彳+首+亍=みち・ドウ・トウ 道 鄭冑・・・・・・鄭の冑=かぶと・介冑・甲冑 「胄(あとつぎ)」は別字・・・? 何処が別の字なんだか? 同字にしか見えないのは、 ドウジだから・・・ 兎に角、「胄」は「世継ぎ」 孫怡・・・・・・孫の怡=忄(心)+台(臺) を派遣 が、すでに公孫淵は敗北、 遼東で 魏の 張持・・・・・・張の持 らを破って、 男女の 捕虜を得たにとどまった・・・ ↓↑ 長雨の時期で兵糧が欠乏 公孫淵は人質を出して 和睦・・・・・・・和の「睦」とはダレ? しようと画策するが、 司馬懿はこれを拒否 公孫淵を捕え、処刑 遼東 公孫氏は滅亡 ↓↑ 司馬懿はこの地に 魏への反抗勢力が出ぬよう 15歳以上の男子を皆殺(genocide) ↓↑ 244年(甲子年) 毌丘倹は 呉との同盟していた 高句麗討伐 高句麗王 位宮・・・・・・・・位の宮 を攻め 都を破壊 位宮 は逃亡 高句麗を滅ぼせなかった 高句麗の 東川王(憂位居)=位宮 は 公孫淵討伐には 協力的であったが、 242年以降 再び魏と険悪な関係になった 毌丘倹は高句麗への攻勢を強め、 244年 更に東へと進んで 高句麗の軍勢を大破し、 都の 丸都・・・・・・・・・丸い都 を蹂躙 東川王(憂位居)に逃られ 高句麗を 滅ぼすことはできなかった ↓↑ 司馬懿・・・・・「懿」が付く天皇? が反乱し 魏を支配し 司馬懿の長男 司馬師・・・・・・馬師の司は「左右の馬の守」? が実権者となる ↓↑ 毌丘倹は 胡遵・王昶・諸葛誕・陳泰 らと共に 都督 左将軍 鎮南将軍 豫州刺史・・・・・・豫の州とは「伊豫」? となる ↓↑ 252年 呉の 孫権、死亡 ↓↑ 討伐軍として 呉に攻め込んだ 魏の 諸葛誕・・・・・・諸の葛の誕 が 呉の 驢馬の息子・・・・驢=馬+盧 諸葛恪・・・・・・諸の葛の恪=忄+各=つつしむ きまじめ カク・キャク に大敗 ↓↑ 毌丘倹は 諸葛誕に代わって、 揚州刺史の文欽と共に 呉への備えとして 鎮東将軍に転じ 揚州に駐屯し 驢馬の息子の 諸葛恪が攻めてきた時 文欽・司馬孚・張特 と共にこれを防ぎ、 撤退の 諸葛恪を追撃 ↓↑ 254年 夏侯玄・・・・・・・・夏の侯の玄 が 司馬師に反乱し失敗 司馬師は 曹芳を帝位から降ろし 曹髦を帝位につける ↓↑ 夏侯玄と親しかった 毌丘倹の立場もあやうくなり、 息子の 毌丘甸と かって、 司馬師に処刑された 曹爽の寵臣だった 文欽と共に・・・・・・・・文は「欽」・・・欽明天皇? 彗星が 西北の空を・・・・・・・・北西=乾=戌亥・・・狗意 覆ったのは瑞祥・・・瑞・・瑞皐(ズイコウ)=高野長英? 玄瑞(ゲンズイ)=久坂玄瑞? だとし 司馬師を弾劾する 皇太后の詔勅を偽造し、反乱 毌丘倹は、 寿春を老人や子供に守らせて 項城に入り、 毌丘倹は城内 文欽は城外に駐屯 ↓↑ 先鋒の 王基が 攻撃を避け 毌丘倹は 諸葛誕や胡遵が 寿春を攻撃される状況で 退却も出来ずに兵は逃亡・・・ ↓↑ 城外の 文欽は 訒艾・・・・・・・・訒の艾=よもぎ に夜襲を仕掛けたが 敗れて 呉へと逃亡 毌丘倹は逃亡しようとしたが 張属・・・・・・・・張の属 に射殺され、 首は 魏都にて晒された ↓↑ 毌丘甸は、 父の反乱に際に 魏都に残ってい 山に篭ったが討伐軍に敗れて捕らえられ、 一族もろとも処刑された 荀一族の女であった 毌丘倹の妻は 荀邈らの嘆願によって許され、 孫の 毌丘重 毌丘奥 は、 晋の時代に出仕 ↓↑ ーーーーー ・・・?・・・「キクの名前」の「背負う説」資料です・・・
・・・「努力をしても、さまようペリカン(鵜(テイ・ダイ)・鸕(ロ)・伽藍鳥(ガランチョウ)・al-qadus・アホウドリの語源albatross)」じゃァないんだ。「勢力強めサマヨ(彷徨)う台風10号」・・・「カッショクペリカンは空中から急降下して水中の獲物(魚)を捕らえる」、「岐阜、長良川の鵜飼いの鵜」は?・・・首に縄を嵌められ、「鮎(あゆ・きゅうり魚・香魚・年魚・銀口魚・渓鰮(渓流の鰯=イワシ)・細鱗魚・国栖魚(土着、国栖人の魚)・鰷魚・アイ・アア・シロイオ・チョウセンバヤ・アイナゴ(幼魚・南紀)、ハイカラ(幼魚)、氷魚(幼魚)」・・・「アユ(鮎)」の語源は、「秋の産卵期に川を下ることからアユル=落ちるの意)」であるらしいく、「川の石についた藻類を食べる」らしい・・・本来、日本では「鯰(なまず)=年魚」を指した・・・中国でも漢字の「鮎」は同様に「ナマズ(鯰)」を意味したらしく、地方によって「山東省で、秋生魚、海胎魚、福建省南部で、溪鰛、台湾で、魚+桀魚、國姓魚」らしい・・ペリカンに「鮎=アユ=阿諛(媚びる・阿諛追従)」を捕らえさせ、吐き出させる・・・「私は誰?私はどんな人?・・・多分、あなたは考えたことがなかっただろう」・・・そんなコトはない。「鵜呑みニする奴」はいないだろう・・・「誰があなたと一緒にいたい?・・・そこ、どけ!!ぺりかん(pelican)=屁理官」・・・「DEATH NOTE デスノート」を記録する奴等・・・ 「私は最も遅く帰る人。私は最も早く仕事をする人」 「私は自分のことを最も少なく考える人。私は最後まで堅持する人」 「私は最も速く行動する人。私はみんなのことを最も思う人」 「私は、中国共産党。ずっとあなたと一緒にいます」 「そこ、どけ!!ぺりかん(pelican)=屁理官」・・・「DEATH NOTE デスノート」を記録する奴等・・・「親ペリカンが自らの胸に穴を開けて子に血を与える奴等」ではない・・・ ・・・「とまどうペリカン」・・・ https://www.youtube.com/watch?v=7ykE5P_qbAg 昨夜(8月24日・水)はココでは曇りで観測出来なかったが、南の空で火星と「アンタレス」が接近し、土星と一列に並んで輝く日であったらしい・・・ 「アンタレス」 火星と接近して大きく見える時期がある 赤い星 ギリシャ語で 「火星(アレース)に 対抗(アンチ)するもの」を意 和名は 赤星(あかほし) 古中国語で 火、大火 ラテン語は コル・スコルピイ(Cor Scorpii) フランス語は ル・クール・デュ・スコルピヨン(le Cœur du Scorpion) アラビア語は カルブ・ル・アクラブ ↓↑
「スコルピオン2世(King Scorpion II)=エジプト第1王朝のナルメル(前3125年頃~前3062年頃・前3150年頃~前3125年頃)と同一人物?・・・ナルメル(Narmer)=ナルメルウの後継者古代エジプトに実在したとされるファラオ」・・・ナルメルウ 「ナルメルの名は、 ナマズ(ナル)・・・鯰・癜・魸・鮀 と 鑿(メル)・・・・・のみ・うがつ・サク 穴を掘る・うがつ 鑿岩=開鑿・掘鑿 穿鑿(センサク) 斧鑿(フサク) 削(けずる・さく・そぐ・はつる) 削岩機 の象形文字によって表される 他に考えられる読み方として 「ナルメル(Narmer)」 「ナルメルウ」 「メルウナル」 があるが、慣習的に 「ナルメル」を採用 ナルメルは 「荒れ狂うナマズ」という意味らしい・・・ 「セルケト(Serket)は古代エジプト神話の女神 サソリの姿または頭上に サソリ(蠍)をつけた女性の姿 猛毒をもつサソリは、 北アフリカでは 恐るべき虫(動物)とされ それを象った セルケト女神は、 古代エジプトで サソリの毒や、 その他の砂漠に住む 有害な生き物たちの毒から 人々を守るとされた 死者の内臓が入った カノプス(canopic jar)・・・ヒト形の臓器収蔵器 ↓↑ メネラオス王の水先案内人 トロヤからの帰還途中に 事故に遭い、死亡し ギルダの海岸に葬られた Gilda 1946 https://www.youtube.com/watch?v=a4l2o1MEUyY Down to Earth (1947) - comedy movie https://www.youtube.com/watch?v=VFdADXWu760 ↓↑ 壺を守護する イシス女神が幼い ホルスを守るために サソリを護衛につけた セルケトは イシスの眷属 セルケトヘティト(喉に呼吸をさせる者) という名もある 壁画などには 描いたサソリが 動き出して害をなさないように 足と 尻尾(しっぽ)を もぎ取った形で描かれている・・・ ↓↑ 英雄オリオンの傲慢さに怒った 女神ヘラ(ガイアやレトともいわれる)は、 蠍(さそり・スコルピオン)を地上に送り、 その毒針でオリオンを殺した この功を讃えられ、 蠍(さそり)は 天に昇り星座になった 殺されたオリオンを憐れんだ 女神アルテミスは ゼウスに頼み、 オリオンも星座とした オリオンは 蠍(さそり)を恐れて、 東の空からさそり座が現れると オリオン座は西の地平線に逃げ さそり座が西の地平線に沈むと オリオン座は東の空へ昇ってくる ↓↑ アポロンの息子 パエトーン が天をかける太陽の馬車を 強引に運転したときに、 さそりが馬の足を尻尾の毒針で刺し 馬たちを制御不能、 天と地を焼きつくしそうになったので 雷神ゼウスが馬車に雷を落とし、 落ちた先が エリダヌス川(エリダヌス座)であった ↓↑ 中国 青龍にたとえ 天に現れ春を予告 星との対応は さそり座のサソリと同じ 頭部に房宿、 心臓部に心宿、 尾部に尾宿の3星宿 漢字では 「蠍」の右の「欠」がない字体があった・・・ ーーーーー 「蠍」・・・「虫+曷+欠」・・・「曷=なに・なんぞ・いずくんぞ・いつ・なに・なんぞ・いずくんぞ」・・・「どうして=疑問・反語」を表す「曷若(いかん)」「曷為(なんすれぞ)」・・・ ・・・個人的には、和やかな、名古屋尾張の生活だったかな・・・1985年~2011年・・・感謝しています・・・
・・・二十六日の未明は「月」と「アルデバラン」が大接近だったらしいが、恒星の「地球から約4.2光年離れたプロキシマ・ケンタウリ」。「プロキシマ」は「ラテン語で最も近い意」・・・「ケーロンのケンタウルス(半身半馬)」とは別の「(ケンタウルス=人頭牛身=ポロス=フォロス」であるらしいが、ギリシャ神話には混乱する。オマケにローマ神話との名前も重なっているし。両親は呑んべの「人身半山羊の水の精、セイレーノス(父)」と「トネリコ=梣=いぼた蝋の木の妖精の息子)」らしい。「舎人(とねり)の子」じゃぁないョな?でも漢字の「梣=木+山+今」が怪しい・・・で、「ケンタウルス座(Centaurus)座のα星(リギル-ケンタウルス)を構成する三重連星の第二伴星)」の近くで 、地表に水があるかもしれない惑星を発見ですか・・・水も火も風も、金も欲も、妄想も、なんでもであるが「極大、厖大、甚大」になれば、生きているモノには厄介なモノになる。「年金運用で5兆円×5兆円=5,000,000,000,000円」が消えたって?・・・指数で記録すれば、「5×10¹²」、ゼロが12個・・・この恒星を「11.2日間で1周する惑星プロキシマ・ケンタウリb」・・・木星の衛星「エウロパ」は、表面が「氷」で覆われているらしいが、「4.2光年」先の「水」をドウするって?・・・「イオ (Jupiter I Io) は、木星の第1衛星。2007年までに発見された衛星の中で内側から5番目の軌道を回って、活火山が観測された」・・・「木星の63個の中の衛星の…イオ、エウロパ、ガニメデ、カリスト、アマルテア、ヒマリア…」・・・
で、以下も以前も「日記中」に示した「↓↑~↓↑の文言」は、ホトンドが「ウイッキペデア」からの添付、参照、参考と、ブログ検索で調べたモノを添付したモノで、「・・・~・・・の文言」だけが「ボクの妄想的見解」デス・・・典拠を記さないが、「先人の研究」に敬意を表し、感謝しています・・・御容赦・・・
ーーーーー
で、
ギリシャ神話
フェニキア王
アゲノールの娘である
エウロパ(エウロペ)に恋をした
ゼウスが、
牡牛(おうし)に変身して
エウロパ(エウロペ)を
誘拐
↓↑
同じゼウスの愛人(不倫相手の乙女・巫女)の話が
「イオ」・・・・「イオ(イヲ)」は「イヨ」?
「壹(壱)與(与)」である?
・・・・「臺與」でも可?
「壹(壱)」は
「右目」から生まれた
「月宣(月読)命」・・・
「壹(壱)與(与)」
ならば
「張政」は・・・「ヘルメース」である?
時間的な歴史的経過とすれば、
「ゼウス」は「魏王」であろう
「魏」=「禾+女+鬼」である・・・?
「呉・蜀」も
「呉」=「口+L+亠+八」
「蜀」=「罒+勹+中+ム」
ではアルが・・・・・戯の誤植かも?
「燕」は「公孫」氏である・・・
天照大神は地上に「孫」を送った・・・
ーーーーー
↓↑
・・・木星(甲星・太歳星・辰星)の衛星・・・
↓↑ 1610年1月7日 ガリレオが初めて観測 彼はこれらの天体の動きを数日間観測 発見は、 ニコラウス・コペルニクス・・「ニコラス 尼格拉士 ↓↑ 尼科拉斯 尼格来 尼古拉 尼哥拉 尼克刺 尼哥労 尼古拉」 コペルニクス=哥白尼 ↓↑ の 地動説の裏付けの一つとなり キリスト教の 天動説に反した 1609年12月29日 ドイツの シモン・マリウス・・・・・・「西門」 「試問、諮問」の「万理得諏」? ガリレオよりも早く観測・・・「伽利略」 当時のドイツは ユリウス暦で・・・・・・・・「凱撤・該撤」 グレゴリオ暦では・・・・・・「Gregory」・暮呉於理意? 1610年1月8日 個々の衛星の名称は マリウスの提案したもの・・・ ↓↑ 中国の天文学史家の 席澤宗によれば、 斉の天文学者・占星術師の 甘徳・・・・・・・・・「甘い徳」・・・? 「蛙万意解句」 「阿毎王朝の訳句」=阿倍 「尼居匿」? が、 紀元前364年 木星近傍の暗い星を記録 これらがガリレオ衛星ではないか・・・と推測 ガリレオよりも 2000年近くも前に、 望遠鏡も使わず 裸眼でガリレオ衛星を視認・・・ ガリレオ衛星は視等級が5-6等なので、 単独であれば肉眼で見える明るさだが 木星が非常に明るく周辺の衛星を 視認することは困難 甘徳の他に、 裸眼による観測記録は無い・・・ ーーーーー ↓↑ 1610年 命名 ガリレオ・ガリレイ 発表誌 「星界の報告(Sidereus Nuncius) 1609年より トスカーナ大公となった メディチ家 コジモ2世に敬意を表し “Cosmica Sidera” (コジモの星々)・・・・・故事摸? と命名 後に大公の提案に従って “Medicea Sidera” (メディチ家の星々)・・・女出位地(位置・意知 聿・弌・市) と改名 大公だけでなく、 メディチ家の4兄弟 (コジモ、フランチェスコ=虎児摸 サン-フランシスコは漢字で 「桑方西斯哥」で 「桑港・旧金山」だが フランシスコは 「普蘭師司怡・不龍獅子虎」 普蘭の師、怡(喜び)の司? 龍獅ではない、虎の子? 天王星の第22衛星の星名は最近・・・ カルロ、ロレンツォ) ガリレオは 衛星の個々には 木星からの距離に応じて内側から 「I,II,III,IV」と番号を振った 20世紀の後半に 衛星にも固有名が命名され 以後、固有名で呼ばれるようになった 1614年 シモン・マリウス 発表誌 「Mundus Jovialis」 衛星が 木星(ユーピテル・ゼウス) に付き従っていることから ゼウスの愛人だった イオ エウロパ ガニメデ カリスト と命名 1656年 ジョヴァンニ・バッティスタ・オディエルナ 発表誌 「Medicaeorum Ephemeride」 メディチ家の4兄弟にちなんで プリンキファルス(Principharus ) ヴィクティファルス(Victipharus ) コスミファルス(Cosmipharus ) フェルディナンディファルス(Ferdinandipharus ) と命名 ヨハネス・ヘヴェリウス “Circulatores Jovis”(木星の周りを回るものたち) あるいは “Jovis Committees”(木星委員会) と命名 ジャック・オザナン “Gardes”(衛士) あるいは “Satellites”(従者) と命名 ↓↑ イオ:エウロパ:ガニメデ ≒ 1:2:4 の公転周期の対比関係が成り立つ これは 軌道共鳴・・・・・・・・・「キドウ-嬌名・経名」 鬼道 という 天体力学の メカニズム・・・・・・・・「me-chani-sm」? により説明されている・・・ いずれも 自転周期は 公転と同期している・・・ ↓↑ イオは火山活動が確認された地球以外の最初の天体 火山のひとつは 噴煙を200~300km上空へ 秒速1 kmの速さで吹き上げていた (ボイジャー1号の撮影写真を解析 NASAの科学者 リンダ・モラビトが発見) 他にも数多くの噴火山があり、 25 km以上のサイズを持つ カルデラ地形は100個以上 火口から噴出しているのは 硫黄や ナトリウム(NATRIUM)・・・・・名取産む などを含む物質と考えられ これらは宇宙空間まで到達している・・・ イオが火山を持つ理由 木星の強大な引力と 他の衛星との軌道共鳴による 潮汐力によるもの・・・とされている 木星の巨大な質量 かつ 木星から近い軌道を回る イオと、 イオの 2倍の公転周期を持つ エウロパ、 4倍の公転周期を持つ ガニメデ・・・・・・・・雅似女出? との位置関係によって、 イオには強大な潮汐力が働いている・・・ 結果、イオ自体に地表面が 100m程度も上下する歪みが生じ、 歪みが生じる際の摩擦によって 内部で熱エネルギーが発生しているため・・・ ガリレオ(探査機)による 磁力計データを再解析したところ、 イオの地殻下に 50km以上の マグマの海があることがわかった・・・ イオの火山ガスは、宇宙空間に噴出され、 イオの公転軌道上に プラズマ化した環として滞留 イオプラズマの環は 木星オーロラの 大きな発生要因の1つとなっている 地形 イオの地形には 「パテラ(噴火口)」 「フルクトゥス(溶岩流)」 などのように、火山活動によるものが多い 一部は ギリシア神話から、 残りは 世界各地の火山、 および 火山や太陽、雷などに関する 神話から名付けられている・・・ ↓↑ 日本と関連した命名 アマテラス・パテラ・・・・パテラはラテン語で 皿や浅いボウル 臼=うす→大碓・小碓 窪み・凹 ヒルコ・パテラ・・・・・・蛭子・蛯子 スサノオ・パテラ・・・・・須佐之男・素戔男・素戔嗚 マスビ・フルクトゥス・・・産霊・産巣日・産日・産魂? 不動明王(アチャラ・ナータ) に由来するアチャラ・フルクトゥス アイヌの神話に由来する フチ・パテラ・・・・・・・祖母、婆さん? 日本語に由来する カミナリ・パテラ・・・・・雷 ライデン・パテラ・・・・・雷電 センゲン・パテラ・・・・・浅間(木花之佐久夜毘売 木花開耶姫) がある・・・・・・・「ウス」とは「臼・碓」、「宇受女」 ↓↑ イオの表面には クレーターがほとんど見られない 火山活動に見られるように イオが地質学的に活発で、 表面が常に 更新されているから・・・ ーーーーー 女神=めがみ=眼が視 ↓↑ ・・・・「女媧(ジョカ・Nüwa)」 媧=女+咼=(よこしま・くちがゆがむ カイ・ケ・クウ・カ) 「咼」は渦で 「螺旋・螺子・捻子・捩子」の形状 古代中国神話で 土と縄で人類を創造した女神 笙簧の発明者 縄の発明者の 葛天氏と同じく 「伏羲の号」 or 三皇の一人に挙げる・・・説 三皇は伏羲、神農、女媧 五帝は黄帝、帝高陽、帝高辛、帝堯、帝舜 蛇身人首の姿 コンパスと定規(曲尺=勾金)を手に持つ 姓は「風」 「伏羲」とは兄妹の夫婦 ・・・・「女娥=娥皇(ガコウ)」 娥皇=堯の娘で、 妹の 女英とともに舜(帝俊)の妻 娥肓=倪皇=後育=娥盲=娥娙 とも記録される 姓は 「伊祁」氏 祁(キ・ギ)=示+阝(邑) 舜の父母や弟は 舜を殺そうとしたが 娥皇 と 女英 が助けた 舜が 蒼梧で死ぬと、・・・蒼の梧(木吾) 蒼頡=倉頡(ソウケツ) 娥皇と女英は 江湘の間で自殺 湘君(水神)と呼ばれた ・・・・「嫦娥」 太陽神の 「帝俊=舜」の妻・・・女娥=娥皇(ガコウ)? 月に住む仙女 弓の名人の 羿(ゲイ)の妻 夫が西王母からもらった不死の薬を 盗んで飲み、月に入って 蟾蜍(ガマ蛙・センショ)になった 「姮娥(コウガ)・常娥・常羲(ジョウギ)」とも 月の異称 ↓↑ 「イーオー(Ἰώ・Īō)」=「イオ」・・・「壹・壱」與 「逸・佚」書 ゼウスに誘拐され、 牝牛に姿を変えられ ギリシア~エジプトまでの各地をさまよった 河の神イーナコスの娘 ペイレーンの娘・・・ イーアソスの娘との説・・・ イーナコスは アルゴス地方(アルゴリス)を流れる河 アルゴスは ゼウスの妃 ヘーラー信仰の中心地 イーオーは アルゴスで ヘーラーに仕える 巫女 ↓↑ イーオーはヘーラーの巫女だったが ゼウスがイーオーを愛人とした ヘーラーがこの関係を知って ゼウスはイーオーを 「白い牝牛」の姿に変えてシラを切った ヘーラーはゼウスから 「イーオー=牝牛」を貰い受け 全身に眼がある 「普見者(パノプテース)=アルゴス」・・・全方位の 昆虫の複眼? 比喩的には 鮭・鱒の卵 すじこ イクラ=赤いキャビア キャビア=黒いイクラ はロシア語 蛙(かえる)の卵(ラン)? に見張りをさせた アルゴスは牝牛を ミュケーナイ・・・・・・・・・邁錫尼人(Mycenaean) 邁進・英邁 錫=金+易=すず・エキ 錫石 僧の杖=錫杖・挂錫 巡錫 の森の中に連れて行き、 一本のオリーブの木につないだ ゼウスは、 ヘルメース 命じ 牝牛を助けようとしたが 「ヒエラクス」の密告で ヘルメースは穏便に イーオーを救出出来ず 石を投げつけ アルゴスを殺し、 このことで ヘルメース は 「アルゲイポンテース (アルゴスの殺戮者)」 と呼ばれるようになった・・・ ↓↑ イーオーは 牝牛の姿のまま逃亡したが ヘーラーが牝牛に 虻(アブ)の群れを放ち 牝牛の耳に入れたので、 逃げ彷徨って イオーニア湾(イオニア海) イリュリアー ハイモス山 を経て トラーキア海峡 (ボスポロス=ボスポラス海峡)を渡って スキュティアー キメリアー そして エジプト に至り、 この地で ヘルメース によって 牝牛の イーオー は人間の姿に戻された ↓↑ イーオー は ナイル川の河辺で ゼウスとの子である エパポス を生んだ しかし、 ヘーラー が クーレース たちに命じて エパポスを誘拐し隠したため、 ゼウス は クーレース たちを殺し、 イーオー は息子を捜しに出かけた エパポスは シリア の ビュブロス王の下で養育されていたので 彼女は エパポスと再会し エジプトに戻った その後 イーオー は、この地の王 テーレゴノスと結婚・・・ ↓↑ イーオーはこの地に デーメーテール・・・・・・出重眼(女)重手重留 の像を建て、 エジプト人は デーメーテール と イーオー を イーシスと呼んだ エパポスは エジプト王となり、ナイル川の娘 メムピスと結婚 妃の名の メムピス市を創建 二人の娘 リビュエー と ポセイドーン との間に アゲーノール ベーロス の双子が生まれた ↓↑ プロメーテウスの予言 ↓↑ イーオー は ヘーラーの放った 虻に追われながら スキュティアーの岩山に縛り付けられた プロメーテウスに出会い その時 プロメーテウスは、 イーオー がさらに各地を・・・・豊鍬入姫・・・壹與=臺與? ↓↑ (とよすきいりひめ・生没年不詳) 「豊鍬入姫命・豊耜入姫命(日本書紀)」 「豊鉏入日売命・豊鉏比売命(古事記)」 の後を受けて 彷徨の末に 垂仁天皇25年3月 丙申(10日)条・・・? 90年をかけ 元伊勢 (丹波・太迩波=たには 福知山近辺) より 天照大神の 「御杖代」として 伊勢神宮に辿り着いたのは 第十一代垂仁天皇の 第四皇女の 倭姫命(やまとひめのみこと) ↓↑ 「倭姫王」は別人 古人大兄皇子の娘 母は未詳 ↓↑ 天智天皇の皇后・・・? 彷徨(さまよ)った末に エジプトで元の姿に戻り、 エパポスを生むこと、 イーオーの子孫の 13代目の末裔が プロメーテウス を解放するだろうと予言した ↓↑ ヘーロドトスの著述で イーオー は ヘーラーによって 鼻鉗(はなばさみ)で アルゴスからエジプトまで追われ エパポスこそ エジプトの神牛 アーピスにほかならないとした イーオー がエジプト人の 女神イーシスと似ていることは スーイダースからの記録を挙げている・・・ ↓↑ アルゴスの人々は新月を 牝牛の角に見立てて崇拝してい イーオーは雨をもたらす 月の女神の化身だった・・・との説 ↓↑ 「アルデバラン」 オリオン座γ星から プレアデス星団の中間に位置 オリオン座の中央に並んでいる3つの星を 東から西(北半球では、左から右)に結んで 延長し、最初に突き当たる 星が 「アルデバラン」 北半球の中緯度地域で 12月上旬頃に 一晩中アルデバランを観察できる 春の夕方や、秋の明け方にも観測できる 黄道のすぐそばにあり 毎年5月下旬~6月上旬に 太陽に接近 地上からは全く観測することができない 1等星のなかで、 月に隠されることがある恒星は、 レグルス、 スピカ、 アンタレス である アルデバランの周囲に ヒアデス星団が V字型に観察でき アルデバランに属するように見える 占星術で アルデバランは幸運の星 ペルシアでは 紀元前3000年頃 アンタレス、 フォーマルハウト、 レグルス と並んで、 王家の星の1つ 学名はα Tauri(αTau) アルデバラン アラビア語でアッ・ダバラーン・ad-dabarān) 「後に続くもの」の意 アルデバランが東の地平線から昇ってくるときに プレアデス星団の後に続いて昇ってくる ラテン語で ル・タウリ(Cor Tauri) 「牡牛の心臓」の意 英語で Aldebaran (アルデバラン) Alpha Tauri (アルファ・タウリ) 日本で 後星(あとぼし)、 統星の後星(すばるのあとぼし) 統星の尾の星など アラビア語と同じ発想 赤星とも 「牡牛座(タウラス)のアルデバラン」 ↓↑ ーーーーー ヘルメース=メルクリウス ゼウス と マイアの子 ゼウスの伝令神 マイアに密会するコトで 嘘と泥棒の才能を持つ息子ヘルメスを産ませた 百眼の巨人アルゴスの殺害で 「アルゲイポンテース=アルゴスを退治した者」 と云われる つば広の丸い旅行帽 「ペタソス」 を頭に被り、 ゼウスの伝令の証である 杖「ケーリュケイオン」を手に 空を飛ぶ翼の生えた 黄金のサンダル(タラリア)を 足に履いた姿で表され、 時には武器である 鎌「ハルペー(ショーテル)を持つ 英雄の魂を冥界に導く プシューコポンポス(魂の導者)であり 冥界から死者の魂を地上に呼び戻す オルペウスが 妻エウリュディケーを冥界から 連れ出そうとした際に同行 アポローンの竪琴の発明者 骰子 天文学 アルファベットの発明 度量衡の制度を整えた ヘルメースは早朝に生まれ、 昼にゆりかごから抜け出すと、 アポローンの飼っていた 雄牛50頭を盗んだ ヘルメースは自身の足跡を偽装し、 証拠の品を燃やして 雄牛たちを後ろ向きに歩かせ、 牛舎から出た形跡をなくしてしまった 翌日、アポローンは不思議な足跡に戸惑うが、 占いによりヘルメースが犯人だと知る 激怒したアポローンはヘルメースを見つけ、 牛を返すように迫るが、 ヘルメースは 「生まれたばかりの自分にできる訳がない」とうそぶき、 ゼウスの前に引き立てられても 「嘘のつき方も知らない」と言った ゼウスはヘルメースに泥棒と嘘の才能があるとし ヘルメースに対してアポローンに 牛を返すように命じた ヘルメースは牛を返すが アポローンは納得いかず、 ヘルメースは生まれた直後(牛を盗んだ帰りとも)に 洞穴で捕らえた亀の甲羅に 羊の腸を張って作った竪琴を奏でた アポローンは牛と竪琴を交換し ヘルメースを許し、 ヘルメースが 葦笛をこしらえると、 アポローンは自身の持つ ケーリュケイオンの杖をヘルメースに贈った (牛はヘルメースが全て殺したため、交換したのは ケーリュケイオンだけ・・・ 殺した牛の腸を竪琴の材料にした・・・) アポローンと必要な物を交換したことから ヘルメースは 商売の神と呼ばれ、 各地を飛び回ったことから 旅の神にもなった ヘーラーの息子ではなかったが、 アレースに替わってその 乳を飲んでいたため、 ヘーラーはヘルメースを我が子同然にした ゼウスは イーオーと密通し ヘーラーはゼウスに詰め寄るが、 ゼウスはイーオーを牝牛に変え、その場を切り抜けたが ヘーラーはその牝牛をゼウスから貰うコトにし 百眼の巨人 アルゴスを牝牛の見張りした アルゴスは身体中に 百の眼を持ち、 眠る時も 半分の50の眼は開いたままの怪物で ゼウスは イーオー救出を ヘルメースに命じ、 ヘルメースは 葦笛で アルゴスの全ての眼を眠らせ 剣で首を刎ね、あるいは 巨岩を投げ当てて撲殺 このことから、 ヘルメースは 「アルゲイポンテース(アルゴス殺し)」と呼ばれた ↓↑ ある時 アプロディーテー(ヴィーナス)に惚れた ヘルメースは彼女を口説いたが、 相手にされなかった ヘルメースはゼウスに頼んで 鷲を借りて 鷲と泥棒の才能を使って アプロディーテー の 黄金のサンダルを盗んだ ヘルメースはこのサンダルを返すことを条件に 関係を迫り、彼女をものにした 2人の間には ヘルマプロディートス プリアーポス が生まれた ヘルメースは この他にも ペルセポネー ヘカテー など ニュムペー たちと関係を持ち エウドーロス アウトリュコス などの子供を産ませた パーン もヘルメースの息子・・・ ↓↑ ギガントマキアー において ヘルメースは ハーデースの隠れ兜を被って姿を消し、 ギガンテスの一人 ヒッポリュトスを倒した ヘルメースは元々 薄明の神 風の神でもあったらしい・・・ 牧畜の神 豊饒神でも・・・ ギリシアの先住民族 ペラスゴイ人の神 ヘロドトスは、 ギリシア人がヘルメース柱像(ペニスの柱)を 造るようになったのは ペラスゴイ人の風習と述べている・・・ ヘルメース崇拝の中心地は、 古代ギリシアの中でも原始的な アルカディアで、 牧畜民が多い丘陵地帯であり、 羊飼いたちは ヘルメースを 家畜の守り神として崇めていた ドーリア人の侵入後に アポローンが ヘルメースに代わって牧羊神を担うようになった・・・ ↓↑ ヘルマ もしくは ヘルマイと呼ばれる ヘルメース神の石柱像があり、 道端などに立てられていた トゥーキュディデースの『戦史』によると、 紀元前415年 ペロポネソス戦争を戦っていた アテーナイのヘルマ が一夜のうちに全て壊され アルキビアデースの一派が起こしたものと疑われ、 アルキビアデースが ラケダイモーン側に寝返る原因となった アルキビアーデスが ラケダイモーン側に対して行った進言がきっかけで アテーナイは打撃を受け、敗北する ヘルマ(ヘルメース柱像) アッティカやエーゲ海のいくつかの島にみられ 髭面の胸像と 起立する陽根(ペニス)を有する角柱 路傍や畑の境界などに立てられ、 境界を示す石で 農民や牧人が豊饒多産を祈願する神霊の像 ヘルメースの原始的形態 ヘルマは道の端や角に積まれた 累石堆(ヘルマイオン)の名称で ヘルメース柱像はこれの発展したもの・・・ 街道を示す道しるべで ヘルメース神は 旅人の庇護者とされ、 生者と死者の案内人 伝令、 商売や交通を司る神となっていった・・・ ↓↑ ローマ神話 メルクリウス(マーキュリー)=ヘルメース 水星はギリシアではヘルメースの星 メルクリウス=水星 ↓↑ エジプトの 叡智 魔術 書記の守護神である トートとヘルメース(メルクリウス)が習合した ヘルメス・トリスメギストス 紀元1世紀~3世紀に書かれた ヘルメス文書の著者に擬せられ、 アブラハム モーセの同時代人とされた 伝説上のエジプトの賢者 ヘルメス(トリスメギストス) 12世紀頃から錬金術と結びつけられ 錬金術=ヘルメスの術 ヘルメス は 錬金術師の守護者 学問や技芸の始祖 ーーーーー ・・・
・・・「イオ・イヲ」にコダワル・・「晋(晉・シン・265年~420年)」は、「司馬炎が魏の最後の元帝から禅譲で建国・280年に呉を滅ぼして三国時代を終焉させた」・・・「匈奴(前趙) に華北を奪われ一旦滅亡し、南遷した317年以前を西晋、以後を東晋と呼ぶ」・・・古代史に興味のナイヒトにはどうでもイイことだが・・・ギリシャとなれば、「神話」で「天文学」だが、「スウガク(数学)・幾何学」、「化学・生物学・医学」、「冶金・鉱学」、「土木建築」、「絵画・造形・音楽」、そして、「哲学」、「文学」、「オリンピック」、「戦争」の「記録の国」でもあった。初期のローマ帝国時代の(支配階級の)国際語は「ギリシャ語」であった・・・しかも、古代エジプトの歴史を継承したのはギリシャ人マケドニア(トラキア)のアレクサンダー大王の臣下の「プトレマイオス」であった。そして「トラキア」、「ディオニュソス=バッコス(Bakchos)」は「トラキア」に由来・・・葡萄酒(ワイン)と酩酊(大虎)の神、男性ディオニュソス信者がサテュロスで、パーン(半身半山羊)も同類らしいが「ギリシア語のパン(あまねし・全ての意)で、全てを意味する接頭語 Pan(汎)の語源になった」、漢字の「普」も「あまねし」だが・・・ ガイアの子「テューポーン(多頭竜で翼を持つ怪物)」はゼウスと戦い、地球を灼熱地獄とし、天上の神々を大混乱させ、追い掛け回された神々は、動物に姿を変えてエジプトへ逃げ、動物の姿になった。パーン神 (Pan) は、恐慌のあまり上半身がヤギで下半身が魚に化けて逃げたので「Panic (パニック)=混乱」の語源となった、とか・・・まるで、今現在のシリア、イラクではあるが、「古事記・日本書紀」では「やまたのおろち(八岐大蛇・八俣遠呂智・八俣遠呂知)」だろう・・・退治したのは「すさのお(建速-須佐之男・素戔男・素戔嗚)」である。ならば「ゼウス」とは・・・ アレクサンダー大王はペルシャに勝利し、エジプトをも支配下に置き、インドにも遠征した。 文明、文化は戦争で膨大な屍を地上に曝したが、生き残った「勝者」にも「敗者」にも「文明文化」を「融合」させたのである・・・ それ以前から当時の地中海沿岸、島々は「ギリシャ人の商業と植民の地」であった・・・「ローマ人」の「神話」は「ギリシャ神話の借り物」であり、「融合」であった・・・そして、「古代ギリシャ」は「先進古代エジプト文明文化」の「融合」でもあった・・・ その「文明文化」を「アラブ」が西の「ヨーロッパ」へ、極東の「ジポン」にも伝えた・・・ ーーーーー ・・・「神話の混乱」か、ボクの混乱か・・・ ↓↑ 「神話を有しない種属共同体」は「他種族の神話」を借りて、その「神話」を「模造する」・・・あるいは、異種属共同体間の戦争での「勝敗の結果」、敗北種属は「自分たちの神話を征服種族のモノと合体」させ、「他種族の神話を微妙に変化させる」・・・当然ではある・・・ さても、「アルゴス」は 「アルゴス(古代ギリシア語: Ἄργος, Argos,ラテン語: Argus)、ギリシア神話に登場する100の目をもつ(あるいは体に多くの目を具えた)巨人で、アゲーノールの息子・・・ そして、「ヘラー女神」の忠実な「浮気女(?)」の監視の「獣神」であった・・・モチロン、ヘラーの「浮気でエゴな夫」はゼウスである・・・「イオ」には罪がないハズだが・・・「主婦の敵」は乙女か、若い女か・・・ 漢字では 「普見者(パノプテース)アルゴス」の百目の怪物であった・・・ナゼ、 「普見者」なのか・・・「普=あまねし・フ・全体に行き渡る・全体にわたって」、「普及・普通・普遍・普段」・・・ そして真言「オン・サンマヤ・サトバン」の「普賢菩薩(フゲンボサツ・サマンタ・バドラ)・法華経」で、 「二十二の手を持つ仏」で、 「女性の救済の仏」で、 「四七日の仏・金剛手菩薩」 「遍吉(ヘンキチ)」で、 「理智と慈悲、減罪の仏」でもあるらしい・・・ 「四川省の峨眉山が霊場」・・・ 問題にしたいのは「菩薩」の後利益ではなく、 「普(並+日)=ならぶ・フ・ホ」 と 「晋=晉(―+ム+ム+一+日) =すすむ・おさえる あき・くに・ゆき・シン」 楚材晋用=優秀な人材が流出し 他国で重用されること の漢字である・・・ 「晉」は「一はヨコシマ(ム)が并(ならぶ)一の日(ひ・び・か・ニチ・ジツ)」・・・?・・・「草壁皇子=日並皇子=日並知(ひなめし) 皇子」は「阿陪(阿閉)皇女(元明天皇)」に殺されたのカモ・・・持統天皇(鸕野讚良)はモチロン、実姉(大田皇女)の子である「大津皇子」を殺した・・・ヤマトタケルは「建(他懸留)」であった?・・・「日本武=倭建=小碓=倭男具那=日本童男」・・・である・・・「倭の男(おとこ・ダン)の具える那(ナ)」・・・那落に落ちるのは刹那いけれど・・・
ーーーーー ↓↑ 「犍牛」の漢字の考察・・・ ↓↑ 「邪馬台国の宗女、13歳の壹(臺)與」の記録は 「魏志倭人伝」では「壹與」・・・ 「梁書・北史」では「臺與」・・・ 「梁書諸夷伝・倭」 「更立男王、国中不服、更相誅殺 復立、卑弥呼、宗女、臺與為王」 「復立、卑弥呼(247年死?)、 宗女の壹與、年十三、為王、国中、遂定」 ・・・「復立、卑弥(彌)呼」であるならば「卑弥(彌)呼」として「また、壹與を立てる」は・・・役職名?・・・「ひみこ」か、「ヒミカ」か、「ヒ(甶or囟ノ十)ミ(弓爾)と呼ぶ?」か、異字体は「𤰞(田ノ十)・𡮁(小田廾)・𡭼(小田ノ十)」で、「ノ+十」は「(斗)-(ノ)」である・・・「彌次郎兵衛(balance toy)」・・・「歴史=暦(こよみ)の史(ふみ)」の「記録」だから先ずは「漢字文字」を勉強しなくちゃァ~・・・「那=尹+阝」に意味がナイと考えるのは勝手だけれど・・・「認識できるモノは意味がアル」である・・・個々人の「認識範囲」は生きている経験的時間の問題でアルカナ・・・「卑怯」は「臆(憶)病」なのか、「億劫」なのかはその時の状況次第である・・・ ↓↑ ーーーーー 266年 「正始中、卑弥呼死、其宗女、臺輿、為王(梁書) (注:魏略云倭人自謂、太伯之後) 其後、復立、男王並、受中国爵命、 晋武帝、太始初、遣使重訳入貢(晋書)」 ・・・「遣使」と「重訳、入貢」の「重」は「従訳人」か? 「晋、泰始初、遣使朝献、 臺與死、其国、復立、男王、安帝時(通志)」 「晋書、武帝記・(泰始)二年十一月已卯・倭人、來獻方物」 「臺與の死は泰始の遣使の後」・・・ ↓↑ 「晋書」・・・シンジョ・晉書 晋王朝(西晋・東晋)について歴史記録書 二十四史の一 648年、唐の太宗の命により 房玄齢・・・・ボウゲンレイ? 李延寿・・・・リエンジュ? らの編纂 ・・・彼らの名前を疑うヒトはいないらしい・・・ 帝紀十巻 載記 (五胡の単于・天王・皇帝の関係記録) 三十巻、列伝七十巻、志二十巻の構成、紀伝体 「三国志」に「地理志」が存在しないので 「地理志」に限って『晋書』の記録が多用 また、 「司馬懿の伝記」がなく、 「晋書には司馬懿伝記=宣帝紀」がある 「太康十年(289年)条」 「東夷絶遠三十餘國 西南二十餘國來獻」 「東夷伝(四夷傳・東夷条) 「武帝紀」に記録 「266年 倭人が来て、 円丘・方丘を南北郊に併せ、 二至の祀りを二郊に合わせた」 「梁書」・・・梁(502年~557年)の歴史「記録書」 56巻 629年(貞観三年) 陳の 姚察・・・・・?・・・女の兆しを察する の遺志を継いで 息子の 姚思廉・・・・?・・・チョウシレンです が完成させた 倭伝では、 「倭王武が大将軍」に除正と記録 「倭 文身國、在、倭國の東北七千餘里 大漢国、在、文身國東五千餘里 扶桑国、沙門の慧深によれば 扶桑が在るのは 大漢國の東二萬餘里 地在、中國之東 其土は多、扶桑木。故以爲名」 「北史」では「臺與」・・・ 北朝の歴史記録書 李大師により編纂が開始 子の 李延寿が完成 全100巻・本紀12巻・列伝88巻 南北朝時代(439年~589年) の北朝にあたる王朝 北魏・西魏・東魏・北斉・北周・隋などの歴史 「北史・倭国伝] 「北史東夷伝」 「正始中、卑彌呼死、更立男王、 國中不服、更相誅殺、 復立、卑彌呼、宗女、臺與、爲王」 「漢光武時、遣使入朝、自稱大夫」 「後漢の光武帝の時(25~57年) 遣使が入朝、大夫を自称 安帝時(106~125年)、又遣朝貢、 謂之、倭奴國」 ↓↑ 西晋、東晋とも晋朝 東晋時代は 五胡十六国時代 首都は洛陽、 呉を滅ぼし中国全土を統一し、 後漢末期以降分裂していた中国を 100年振りに統一した王朝 建康に遷都した後の政権(東晋)に対して 西晋と呼ばれる 西晋末期に長安に遷都後、 南遷後の首都は 「建業」で・・・・「犍」+「業」 ・・・やっと、「建業」・・・「犍」+「業」に辿り着いた・・・ ↓↑ ーーーーー 司馬氏 河内郡の名族 秦の滅亡後に項羽や劉邦と共に活躍した 殷王 司馬卭の子孫・・・ 後漢時代 歴代の郡の長官輩出 司馬防 後漢末期の争乱から台頭した 曹操に接近、関係を持ち その長男 司馬朗は曹操の重臣 司馬防の次男 司馬懿は 208年 赤壁の戦い 年から 曹操に仕え、参謀 その嫡子 曹丕の世話役として 曹操の丞相府で地位を確立 220年 曹操が死去 司馬懿は丞相府の司馬として葬儀 曹丕を後漢の丞相・魏王 曹丕(文帝)の信任を得 226年 文帝曹丕が崩御する直前に 皇太子 曹叡(明帝)の後事を託された 曹丕の崩御で 孟達に 蜀の諸葛亮から帰順を勧める使者が遣わされ 孟達が魏に反逆した際、 司馬懿は鎮圧して 蜀の北進を防いだ 魏の軍事最高責任者として 諸葛亮の率いる蜀軍と対峙 234年 五丈原で諸葛亮の死を受けて 蜀の勢威を挫いた 238年 呉と連動して反魏的行動をとっていた 遼東の 公孫淵を討ち、 魏における勢威を確立 その 直後に 明帝 曹叡も崩御 曹芳を 魏宗室の 曹爽と共に託された 曹爽との間に確執が生じ、 司馬懿は一時的にその実権を奪われた 249年 司馬懿はクーデターを起こし、 曹爽一派を誅滅(高平陵の変) 司馬一族は 魏の権力を完全に掌握 251年8月 司馬懿は死去 ↓↑ 実権は正妻 張春華との息子である 司馬師 が継承 252年 孫権の死 諸葛誕 を呉に侵攻させるが、 東興の戦いで大敗 司馬師は 敗戦の諸将を不問にし人心を得た 254年2月 宰相の 李豊による 反司馬師の密謀が露見、関係者を処刑 皇帝 曹芳をも皇太后の命令と称して廃位を実行 皇帝には 文帝の孫 曹髦が傀儡として立てられた 255年2月 この廃立に 対呉戦線の重鎮にあった 毌丘倹 文欽 ら宿将らが反発 司馬師 自ら反乱を鎮圧したが 病状が悪化して死亡 司馬師の死後、 同母弟の 司馬昭が後継者 大将軍・録尚書事に就任 257年5月 対呉戦線で強大な勢力の 諸葛誕を 皇帝や皇太后を奉じて 258年2月までに滅ぼした 260年5月 傀儡 曹髦のクーデターを鎮圧し殺害 諸葛亮亡き後の蜀に 263年5月 司馬昭は 元帝から蜀征討の詔を出させ 8月に18万の大軍を 蠟艾・鍾会らに預け 11月に滅ぼした 蜀平定前の10月から 司馬昭に対して 晋公就任の詔が出され、 司馬昭は 晋公となった 264年3月 晋王 5月 司馬懿を晋国の宣王 司馬師に景王を追贈 10月に嫡子 司馬炎を 晋国の世子と定めた 魏臣に対しても本領安堵 265年8月 司馬昭は急死 ↓↑ 司馬炎 司馬昭の死後は嫡男の 司馬炎が継いで 晋王・相国となった 265年12月 魏の元帝から禅譲を受けて即位 年号を 泰始と改め 晋王朝を立てた 晋の実質的な創立者は 司馬炎(武帝)の祖父の 司馬懿・・・孫の代が司馬炎(武帝) ・・・「曾孫降臨」・・・ 殷王、 司馬卭の子孫・・・ 後漢末の 司馬防・・・ 司馬懿・・・ 司馬昭・・・ 司馬炎・・・ 270年 鮮卑の 禿髪樹機能 が反乱し、 秦州刺史 胡烈 や 涼州刺史 牽弘 を破った 277年 文鴦 が 禿髪樹機能を降伏させた 279年 禿髪樹機能は再び反乱 涼州を制圧したが、 西晋の 馬隆に大敗し 部下の 没骨能に殺害(禿髪樹機能の乱) 三国最後の呉は 孫皓の暴政 279年11月 武帝(司馬炎)は東西から20万余の大軍を 賈充・杜預・王濬・王渾 らを大将にして派兵 280年2月 江陵を攻略 3月 石頭城を陥落させ 呉都の建業に侵攻 孫皓は降伏 中国は 晋によって 再び統一 ↓↑ 武帝の統一事業完成 だが武帝は女と酒に溺れて朝政放棄 武帝の皇太子 司馬衷は暗愚 武帝の12歳年下の同母弟の 斉王 司馬攸に後継を期待 司馬炎は 司馬攸を斉へ赴任命令 諫言を封殺し 司馬攸を支持する派閥を粛清 司馬攸は発病し 283年に死去 武帝の晩年には 皇后 楊氏の父 楊駿が朝政を掌握し 外戚が国を専権した ↓↑ 「八王の乱」 290年4月 武帝は崩御 司馬衷(恵帝)が 第2代皇帝として即位 恵帝は政治を放り出し、 実権は 楊皇太后の父 楊駿が輔政の形で壟断 楊駿は2人の弟を要職に就けて一族で専横 だが恵帝の皇后の 賈后(賈充の娘)は 楊氏の専横を憎み、 禁軍の中にも楊氏一族に対する不満 291年 汝南王 司馬亮 楚王 司馬瑋 と結託して 楊駿を殺害 司馬亮は 賈后は 司馬瑋を扇動して司馬亮を殺させ その罪を全て 司馬瑋に負わせて彼も殺害 実権を掌握 賈后と甥の 賈謐による10年弱の専横が継続するが 張華 らによって 西晋は安定が保たれた・・・ 賈后は美少年を宮中に入れて淫行 299年12月 賈后は自らの実子ではない皇太子 司馬遹を廃し 300年3月 に殺害 賈后に対する専横に反発 300年4月 趙王 司馬倫は 斉王 司馬冏と 賈后とその一派を殺し 首都洛陽を制圧 301年1月 恵帝を廃して自ら即位 ↓↑ 司馬倫の簒奪で諸王が反発 301年 司馬倫は 斉王 司馬冏 河間王 司馬顒 成都王 司馬穎 により殺害され 恵帝が復位 八王の乱は 306年11月 東海王 司馬越によって 恵帝が毒殺され(病死説) 12月 異母弟である 懐帝 司馬熾が 第3代皇帝に擁立され終焉 ↓↑ 永嘉の乱 八王の乱による混乱を見た 匈奴の大首長 劉淵は、 304年に晋より自立し 匈奴大単于を称し 五胡十六国時代の始まり 劉淵は 308年 皇帝を名乗って 匈奴単于氏族たる 攣鞮氏 と漢室 劉氏の通婚関係の歴史を背景に国号を 漢(劉曜の代にこれを廃して趙、前趙)とした 四川で氐族の 李雄による 成漢(大成、後に漢を称す)が自立 西晋に反抗する諸勢力が各地に割拠 東海王 司馬越が各地の勢力を抑えていた ↓↑ 西晋朝廷内部で実権を握っていた 司馬越 が詔と称して丞相を称し 懐帝との対立 311年 懐帝が司馬越討伐の勅命 司馬越は逃亡先で 3月に憂憤のうちに病死 匈奴による漢朝の武将 石勒は4月に 司馬越の跡を継いで 晋軍元帥となっていた 王衍の軍勢10万余を 河南省苦県において殺害・捕虜にした 西晋は統治能力と抵抗力を喪失 劉聡 劉曜 と 王弥 石勒 に 311年6月 西晋の首都洛陽を攻めさせ、 略奪暴行 ↓↑ 一連の動乱を年号をとって 永嘉の乱と呼ぶ 西晋は 匈奴後裔国家に滅ぼされた・・・ 洛陽は陥落 懐帝は玉璽と共に 漢の都平陽に拉致 前帝=恵帝の皇后(恵皇后) 羊氏は 劉曜の妻とされた 懐帝は生かされたが 劉聡により奴僕の服装をさせられ、 酒宴で酒を注ぐ役をさせられ、 杯洗いをさせられ、 劉聡外出の際には 日除けの傘の持ち役にされ 313年1月 処刑され 西晋は滅亡 ↓↑ 懐帝の甥の 司馬鄴(愍帝)は 313年4月に即位して漢(前趙)に抵抗 長安も漢の 劉曜により攻撃され、 晋軍は連敗し 愍帝の政権は華北に残存していた 西晋の残党により建てられた脆弱な政権で 支配力は長安周辺にしか及ばない 関中地域政権で 長安は「八王の乱」で既に荒廃 統治力も無く、 西晋の諸王も援軍せず 316年 長安が陥落 愍帝は漢に降伏 平陽に拉致された 西晋は完全に滅亡 愍帝は生かされたが、 懐帝同様の扱いを受けた後 317年12月 漢の劉聡により殺された 司馬越の命令で 江南の方面軍司令官として 安東将軍・都督楊州諸軍事として統治に当たっていた 琅邪王 司馬睿(元帝)は、 愍帝が降伏すると 317年3月 晋王を称して 建武と改元 318年3月 即位して 建康に都して 東晋を建国・・・ ーーーーー ↓↑ 「建康=建業」を首都とした王朝 呉においては建業(ケンギョウ)という名であった 東晋の元帝が 西晋の愍帝(司馬鄴)の諱に触れるので、 建康という名に変えた 都を建康(建業)においた 6つの王朝=六朝文化 呉 (222年~280年) 東晋(317年~420年) 宋 (420年~479年) 斉 (479年~502年) 梁 (502年~557年) 陳 (558年~589年) ↓↑ 「犍度 (khandhaka・カンダカ)」=上座部仏教の 「パーリ仏典・パーリ律」 において、 出家 修行者(比丘・比丘尼)」 が属する僧伽(僧団)内の 作法・規則、 その由来を説いた領域 ↓↑ 「犍(ケン・コン・bullock・fabulous monster) 異体字は「㓺・㸫・㹇」・・・去勢された家畜、人的宮刑 「公牛=特に指す骟去睾丸的公牛」 「地名=中国の四川省」 「如四川、犍為縣、北的、犍為山,一名大鹿山 如四川省的、犍為縣」 「犍為縣、嘉(喜)州 益州」 ↓↑ 「犍牛」=閹割牲畜・明の張自烈の正字通 「犍,以刀去勢也」齊氏の要術.卷六 養豬=「其子、三日便掐尾 六十日後犍」 「被閹割的公牛」 宋. 陸游.稻飯詩=「買得烏犍遇歲穰, 此身永免屬官倉」 ↓↑ 「犍稚」=梵語ghaṇṭāの音写・鐸・鈴・鐘など 仏教寺院で、時刻を知らせ、 また 集会の合図として打ち鳴らす器具 ↓↑ 目連(音写=目犍連、目健(腱)連 菜茯根、采叔氏 釈迦の内弟子の 一人 弟子中で神通第一 略して「目連」 「佛陀十大弟子」=神通第一 目犍連尊 摩訶「目-犍」連尊 上宣下化老和尚 姓氏は蘿菔 字は「拘律陀」 「拘律陀是樹」名 「目犍連」 字は「拘律陀」 佛教裏、是「神通第一・神通最大」 他 曾經是一位 打魚維生的漁夫 一天看到一位修行者 捕魚為業的漁夫 常在海邊、捕捉、魚蝦、出賣 目犍連尊者在佛陀的弟子中 舍利弗號為智慧第一 目犍連則為神通第一 其實凡是 佛陀弟子 他只要修證到阿羅漢果的話 他都成就了神通 只不過在個人一生的行誼 事蹟當中 有他獨到的特色 目犍連就是以「神通聞」名的 ↓↑ 「晋=晉」は」 「宋」により滅亡させられた・・・ ーーーーー ↓↑ で、「壹(臺)」=「イオ・イヨ・イヲ」に「與・与」である・・・ナニをって?・・・塵(ちり)が及ぶ、埃及(エジプト)を、でアル・・・そして、位地と位置は「輿(みこし=神輿」で、「チリ=地理」である・・・じゃぁ、「硫黄(S・sulfur・ sulphur)=燃える石」はどうか?・・・「マッチ(match)スル」かな・・・match with(添う・釣合う・連れ添う)・・・ 「宇宙望遠鏡での木星の衛星「イオ」のスペクトル観測では S2, S3, S4 の存在が観測」、当然だョな、火山噴火が探査機で観測されているんだから・・・「金、白金以外の多くの金属と反応して硫化物を形成」・・・小さい頃、ズリ(捨石・ぼた)山で黄鉄鉱石を発見し、キンと思って大喜びしたが・・・硫酸は危険である・・・「辰砂=硫化水銀=賢者の石?赤色硫化水銀、丹砂、朱砂」・・・丹前、丹後の國である・・・
↓↑ イーオー(Ἰώ・Īō)=イオ 牝牛 アイスキュロス オウィディウス ヒュギーヌス 年代記作者の カストール らは 河の神 イーナコスの娘 ヘーシオドス アクーシラーオス は ペイレーンの娘 アポロドーロス は イーアソスの娘・・・ ↓↑ イーナコスは アルゴス地方(アルゴリス)を流れる河 アルゴスは ゼウスの妃 ヘーラー信仰の中心地 イーオー は アルゴス で ヘーラーに仕える巫女 ↓↑ ジョヴァンニ・アンブロージョ・フィジーノ イオの牝牛とゼウス、そしてヘラー、キューピットのヘルメス の画(1599年)は パヴィア、マラスピーナ絵画館 ・・・1599年は「1600年(関ヶ原)」の一年前・・・「1600年」には「三浦按針=ウイリアム・アダムス」が「豊後大分」に漂着・・・家康に謁見し、顧問となった・・・ ↓↑ イーオーはナイル川の河辺でゼウスとの子、エパポスを生んだ。 ヘーラーがクーレースたちに命じて エパポスを隠したため、 ゼウスはクーレースたちを殺し、 イーオーは息子を捜しに出かけて、 シリアの ビュブロス王の下で養育されていた エパポスと巡り会った。 エジプトに戻った イーオーは、この地の王 テーレゴノスと結婚した。 ↓↑ イーオーはこの地に デーメーテールの像を建て、 エジプト人は デーメーテール と イーオー を イーシスと呼んだ。 エパポスは長じて エジプト王となり、ナイル川の娘 メムピスと結婚し、 妃の名に基づく メムピス市を創建した。 二人の娘 リビュエー と ポセイドーンとの間に アゲーノール と ベーロス の双子が生まれた。 ↓↑ 木星(Jupiter・ジュピター)は ローマ神話の天空神で、 ギリシャ神話のゼウス ↓↑ イオはヘラの巫女であった ゼウスが 雲に化けて イオを犯した ↓↑ 絵画は(1531年頃)・・・干支は「辛卯」年 日本年号は享禄四年 7月17日(享禄四年六月四日) 「大物崩れ」=管領、細川高国 摂津国大物において大敗 逃亡、後に捕縛され自害 中国は明国、嘉靖十年 コレッジョによる イーオーとゼウス ウィーン美術史美術館 ↓↑ 妻のヘラに見つかりそうになり、 イオを牝牛に変え、浮気を云い逃れたが ヘラは信用せず、 牝牛をもらい受け、 全身に目があるアルゴスに見張りをさせた。 アルゴスは牝牛を森の中のオリーブにつないだ。 ゼウスは ヘルメスに牝牛を盗み出すよう命令 アルゴスは百目で寝むらない怪物 ヘルメスは 芦(葦・蘆)笛を吹いてアルゴス眠らせ、 石で撲殺、あるいは剣で刺殺し イオを逃がした ヘラはアルゴスの死を悼んで、 その目を クジャク(孔雀)の・・・孔雀明王(経) ↓↑ 毒蛇を食う 孔雀神格化した明王 祈れば一切の害毒を除く 金色の孔雀に乗る 四臂(シヒ)菩薩で 手にクジャクの羽 蓮の 花・具縁果・吉祥果を持つ 密教の法は孔雀明王を本尊 ↓↑ 「役小角が呪に用いた」・・・ ↓↑ 日下の楯津=孔舎衛(衛)の楯津 ↓↑ 神武天皇の上陸敗退地 羽に 「普見者(パノプテース)」 あまねく見る者(the All-seeing)とし 付けた ↓↑ ヘラは逃げた牝牛にアブ(虻)・・・あぶ=阿部・阿武・煬 を送り アブに苦しめられた牝牛は逃げ惑い イオニア海、ボスポラス海峡、 エジプトへと逃げ、そこで ヘルメスに人間の姿に戻され エバポスというゼウスの子供を産んだ。 ヘラは部下にをツ使い エバポスを誘拐し隠したが、 ゼウスはヘラの手下を殺し、 イオは ビュブロス王に育てられている息子を見つけ 王の王妃になった エバポスもエジプト王になった ↓↑ 絵は雲に化けた ゼウスに 抱かれるイオで コレッジョの作品ではなく、ボクのコラージュ・・・ ↓↑ イオは川の神イナコスの娘のニンフ(妖精) 美貌 ゼウスはイオが川から上がってくるのを見、黒雲に化け彼女と関係した・・・ 正妻のヘラは、 地上を見下ろし、彼女はゼウスの浮気に気付き 白鳥に馬車を引かせ、その場てに駆けつけたが ゼウスは、イオを牝牛に変えられ ヘラの追及を逃れ、ヘラに牝牛を与えた ヘラはアルゴスに牝牛を預け見張り番とした 牝牛が 木に紐で繋がれている所へ 父親の イナコスがやってきたが 牝牛になった娘とは気づかない イオは牛になった前足で 地面に自分の名前をイオと書いたので イナコスは牝牛が娘であることを知った だが、 アルゴスが来て、イナコスは追い払われてしまった ゼウスはヘルメスに イオを自由することを命じ ヘルメスは羊飼いに姿を変え ヘルメスは葦の茎の笛 シュリンクス吹きながら、 アルゴスに近づき 石に腰をかけて、眠りの曲を吹き 百眼のアルゴスを眠らせ ヘルメスは剣でアルゴスの首を切り落した そのアルゴスの首と100の眼はヘラが拾って、 孔雀に与えた・・・ 孔雀の羽には眼のような模様がついていた・・・ 自由になったイオだが ヘラが虻を放ち、彼女を苦しめ 虻に追われてながら各地を転々とし、 海峡を越えてエジプトに辿り着き イオは元の姿に戻り 父親の故郷に帰った・・・ ーーーーー ・・・「古事記、日本書紀」の下敷きはワンサカ・・・? それにしても、「慧深」って、だれ?・・・
ー↓↑ー--
・・・???・・・
(表紙・画像・音楽)」の
移転先・・・
↓↑
ボクの「古事記字源」の発端・・・
↓↑
干支暦
↓↑
追加添文
「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
Comments