メリちゃん「蜃気楼」に昇る
ある月曜日の昼過ぎだった。近所の女の子が午後の授業をサボって私のオフイスに遊びに来ていた。彼女は時たまやってきては勝手に台所の冷蔵庫を開けて私の胡乱茶を飲んでいく。私のオフィスは隣のギャラリーと同じになっている。そのギャラリーで「猫」をテーマにしたエッチング画の個展があった。彼女はそのギャラリーの訪問者であった。そして好奇心から私の奥のオフイッスにもついでに入ってきたのが最初のきっかけであった。ギャラリーは無料入場だが、私のオフィスでの占いは無料ではない。彼女はタロットカードを開けて自分の学期末試験の成績結果を占って欲しいと云うのだった。私は彼女の要望のままカードを開けてやったのだ。私自身は占い師と言うその仕事に確信をもってやっているわけではない。かなりのいい加減な「占い師」であると思っている。だから英語なんぞで、「アストロジスト」などと自分では格好をつけて自称している。だが、その時の彼女は目を見張って「アタッテいる~。スゴォ~イ!」と驚いたように目をまるくしてパチクリさせたのであった。そして「おじさん、またミテね」と出て行ってしまったのだ・・・貧乏人の私に金も払わずに。それ以来であったチョクチョク彼女が来るようになったのは。コノ世の中、タダのモノはないはずなのに、彼女はいまだに料金を払うつもりはないらしいのである。 「おじさんがウラナイ師ならば、私のお願い叶えてくれること出来るんでしょう?」 そうメリは私に尋ねた・・・彼女の名前が「メリ」であることを知ったのは随分と後のことであった。姓を聞いたが教えてはくれなかった。彼女は「メリでいいじゃない」と云うのでそれ以来敢えて尋ねなかった・・・私が魔法使いなら、メリの願い事は全部叶えてやるのだが。私は唯のオッサンである。いや、唯のオッサン以下の市民社会からかなり外れた生活をするヒトであるらしいのだ。 「残念だが、私は魔法使いじゃぁないからメリの願い事は叶えてあげることは難しいな。願い事にもよるが、『足長おじさん』のように金銭的なスポンサーになるのも無理だ。貧乏人でその日暮らし、そして、モウいい加減な歳だしな。メリの願い事を叶えてやるには種類にもよるかな」 「・・・そうなの、占い師って魔法使いじゃないの。でもテレビ番組でみた占い師は何でも願い事が叶うヒトだったみたい」 「私はテレビの奴とは全く違うんだ」 「・・・ダメウラナイシなの」 「駄目占い師か・・・そう言うことだな。ガッカリしたかな」 「じゃぁ、おじさんの出来ることって何なの?」 「普通のヒトの範囲よりかなり落ちるかな・・・」 「私に叶えてくれるモノもあるにはあるの?」 「ああ、でも限度がある」 「それでも何か、私のために叶えてくれるコトは出来るのよね?」 「そうだな、出来るモノもあるかも知れない・・・それでメリの願い事って何なんだ?」 「お願い事はいっぱいありすぎるモノ・・・魔法使いじゃないおじさんじゃぁ無理よネッ」 「そうだな。でも聞かせてくれるぐらいならイイだろう」 「・・・一番のお願い事は早く大人になりたいコト」 「オトナ・・・メリはモウ、しっかりしたオトナだよ。今、メリは十三歳だろう」 「十三歳はオトナじゃないわよ」 「・・・いくつのオトナになりたいんだ」 「二十二歳ぐらいのオトナ」 「どうして二十二歳なんだ?」 「好きになった人が二十三歳なんだもの」 「ほう、好きになった男がいるのか。そして彼は二十三なんだ・・・おませな女の子なんだな、メリは」 「オマセだけれどもオトナじゃないモノ」 「そりゃぁ、確かにオトナじゃないな、二十歳までは」 「はやく大きくなって彼と結婚して、お母さんに親孝行したいんだもの」 「そうか、お母さんに親孝行か・・・アッと云う間に二十二歳になってしまうさ」 彼女の話からすると兄弟姉妹はいないらしく、どうやらメリはロマンチックな夢見る一人っ子であるようであった。 「でも、彼、その時は今のままじゃないもの」 「メリだって今のままじゃないさ」 「そうよね、でも願い事は今、叶えて欲しいナッ。お嫁になれるぐらいの」 「そりゃ、難しい・・・タロットとおハナシぐらいだな。出来ることは」 「おはなしって?」 「たとえば、白雪姫とかな」 「イヤァ~ダ。もう、そんな子供臭いハナシの歳じゃないわよ、私は」 「そうだな・・・」 「白雪姫って、七人の小人とイジワルなおばあさんが出てくるお話しだったわよね。ソレって、小さい頃にお母さんにきかされたことがあるわ」 「そうか、おかあさんに聞かされたお話なのか・・・恐ろしいウラミのハナシだな、白雪姫は」 「ウラミって、でも最後はメデタシ、メデタシでしょう」 「そいつは、どうなのかな」 「どうしてよ?」 「人間の欲深い願望が実現されないって暗喩が語られているんじゃないかな、特に年増のオバサンのさッ」 「ふ~ん・・・美貌が衰えはじめ、鴉の足跡の小皺をカガミを見ながら気にするお妃様と、お鼻のナガイ魔法使いのおばあさんなのね。でも、白雪姫はメデタシだったわよ」 「なるほど鏡に写す鴉の足跡だな。白雪姫もどんなもんかさ。彼女もいずれは歳を取っただろうさ」 「フフッ、私もかしら・・・それに、どうして七人の小人なのかしらネッ?」 「そうだな、キット、七と言う数字には意味があるんだろうさ」 「その七の意味って?」 「ラッキーセブンって言うだろう」 「そうか、タバコの銘柄がそうだったわね。それに、おじさんが、たまぁ~にパチンコで勝った時の七七七で、幸福の数字なのよね。3×7=二十一の」 「パチンコが好きってだって、何故わかるんだ?」 「見たもの。おじさんがパチンコ屋から出てくるの」 「そうか、メリにはバレていたわけだ」 「七・・・つまんないナ、それって。体に悪いタバコのケムリと、ギャンブルの球」 「ほんとだな、ツマンナイな・・・でもさ、七がナラブと何とも言えない幸せな気持ちになって、お金も儲かるんだ。儲かった金で旨いモノも食えるしな」 「つまんない、そんなお金。泡銭って言うんでしょう」 「アブクゼニか・・・まぁナッ・・・でも金はカネだ」 「おじさんは何時も負けているんじゃないの?」 「イヤ、たま~には勝つさ」 「でも、この前見たとき、おじさん元気なかったもの」 「・・・勝率は時の運だからな」 「運・・・それでもやるんでしょう」 「ああ、そうだな。たまぁ~には引き出す時もあるけれど、繰り返し繰り返しチーン、ジャラジャラ銀行にほとんどのカネを永久貯金しにいくってコトだ」 「そうよね、私のお願いがソンナおじさんの力で叶うわけがないわよね。それにその貯金、年金にならないんでしょう」 「と、云うことだな」 「ヤッパし、おじさんはタダのヒトなんだ・・・七って、別な意味もあるんでしょう?」 「そうだな、七夕は七月の夕方だろう」 「そうよね、織り姫と彦星・・・ロマンチックで素敵よね」 「ああ、アメさえ降らねば願いは叶う恋人同士だな。七夕津女と牽牛だ。それに天の川に架かる白鷺の橋だ」 「そうよね、アメさえ降らねば・・・歳さえ二十二だったら、あの人と片想いにならずに済んだハズなのに・・・私のヒコボシ」 「なるほど、それで、二十三歳の彦星は誰なんだ?」 「ヒ・ミ・ツ」 「十三歳でも相思相愛は叶うかも。問題はあるがな」 「・・・無理だわよ。だって卑弥呼の宗女の壱与は十三歳の女王になったけれども、結婚を禁じられていた巫女だって歴史の先生が言っていたもの」 「ほう、それはナカナカ詳しいな。確かに壱与は十三歳であったらしいな。メリと同じ歳で、国家の運命を担わされた乙女であったカモ・・・でも真相はわからんな。むか~し、むか~しのことだし」 「ロ~ング、ロ~ング、タイム、アゴォよね。その真相って、好きな男性と結婚したかも知れないわよね、彼女」 「ワンス、アポンナタイムだ。まぁ、そのこともあるカナ。で、メリは日本史が好きなのか?」 「ええ、とっても面白いモノ。教科書だけじゃなくて図書館で色んな歴史の本を読んでいるの」 「ほう、勉強家なんだ」 「勉強って言うよりも私の趣味になってしまったみたい。そうだわ、私のお願いの一つには過去に行けるようなタイムマシンに乗ってみたいコト」 「タイムマシンか。その願い事は別な意味で叶うかもな」 「別な意味って、何、それ?」 「神様にお願いしてユメで過去をみさせてもらうのさ」 「ユメって・・・ユメなの」 「ああ、過去の歴史の出来事をユメの中で見せて下さい、ってさ」 「・・・ユメでもいいから見せてもらいたいな、ワタシ」 「じゃぁ、今夜、ユメの中で昔々に行ってみたらどうだ」 「ユメか・・・ええ、ユメでもイイから、お願いよ、おじさん。方法、あるかしら昔の時代の夢をみる方法が?」 「学校の図書館に『日本霊異記(ニホンリョウイキ)』って本あるかな?」 「『日本霊異記』って『景戒』ってお坊さんが書いた本でしょう。霊って死んだ人のタマシイで、異はコトナッタ、違った記録の」 「ほう、メリは物知りだな。本の内容からすれば、異はこの場合は奇異とか、不思議の意味だが、タイトルそのものはメリの云ったとおりの他の記録されたモノとはコトナッタ記録だな」 「そうか、不思議で奇妙、奇天烈、怪しい記録なんだ・・・まだ読んだことないけれど、それのタイトルを古語辞典と百科事典で調べたから知っている。それで、その本は何か夢を見させてくれる御利益でもあるの?」 「ああ、その本の上巻、中巻、下巻に記されている『第十三章』を読んで眠るのさ。きっとメリを夢の中で色んな昔の時代へ連れてってくれる」 「本当なの、ソレって?・・・十三巻って、私の歳と同じだからなの?」 「マァな、トライしてみればわかるさ。上巻の『第十三章』は清廉、気品(風声)に生きた女性が『七人の子供』を生み育てて、ある時、野草を摘んだ中に『仙草』があってそれを食べて天に昇っていった、と言うハナシだ。中巻の『第十三章』はメリの心境を叶えてくれるかも。下巻の『第十三章』は自分で読んでみるんだな」 「で、それを読んだら、ユメが視れるの?」 「ああ、まずはどの時代に行きたいかを紙に書いて、お願いいたします『景戒』さまって西に向かって両手を重ねてお祈りするんだ。そして、それを枕の下に置いて寝るんだ」 「ヨシ、ソレをやってみるわ」 「どの時代をみたいんだ?」 「うん、やっぱし『大化の改新』あたりよね」 「そうか、645(ムシゴロシ)だな。メリ、そのユメ、今度ここに来たときに報告してくれよな」 「モチロン。おじさんが聞きたいならね」 「そりゃぁ~キキタイよ」 「じゃぁ、まだ時間があるから鶴舞の図書館にいってみてくるわ」 「鶴舞図書館か。ここからは近くて都合がイイところだ」 メリは何か浮き浮きした調子で出ていった。私も彼女も愛知県の名古屋市、大須観音が鎮座する中区に住んでいた。鶴舞図書館は自転車で十分も走れば到着する場所にある。私は読書が大好きなのだがこの歳になるまで図書館と言う場所に足を運んだことがない。大概は古本屋で安い本を買って読む。図書館では寝ころんで読むわけにはいかないし、それに本には中学生時代から赤鉛筆で書き込んでしまう癖があったから借り出したモノには、それはマズイ。 二、三日後に亦、メリはやってきた。 「おお、メリちゃん。今日も授業はオサボリの早引けだな」 「チョット頭が痛かったのよ」 「イタサの種類が違うんじゃないのか」 「もちろん、歴史を研究する人間には頭のイタサが違うわよ」 「それで、旨い具合にユメ旅行は出来たかな?」 「ウン、確かに視たハズなの。だけれども朝起きてトイレに入っている時までは覚えていたのに歯を磨きだしている内に記憶がスーッと消えて行ってしまちゃった。ユメの記憶、どこかへ逃げちゃったみたい」 「そうか、これからは枕元に録音テープか、メモ帳が必要だな」 「学校で『大化の改新(645)』を習ったけれど、小学校では女の子の名前みたいな『藤原鎌子』だったのが、中学校では『藤原鎌足』や『中臣鎌足』になっていて同一人物なのよね。それに歴史の先生が『中臣・連・鎌足』は『欽明天皇』の十三年(552)にも出ているって教えてくれたけれど、645年ー552年=93年よね。違う人物なのに同じ名前。アレッてどうしてなの?」 「その先生は鋭いな。よく『日本書紀』を読んでいる。それは鎌子はカマシ(噛まし)とか、鎌足の漢字分解が金+兼+口+ト+人だからさ」 「ウソばっかし」 「マァなっ。だが足は十のことだぞ。『欽明天皇』の十三年のゴゴニ(552)か。この天皇も金+欠+日+月だろう」 「コン、かく、日月?」 「とにかく552年は仏教渡来の年号だな。十三年はメリの歳だな」 「・・・十三は偶然よ」 「仏教渡来の年がもう一つあることは習ったよな?」 「ええ、538年のゴサンパチは『聖徳太子』の別伝の記録だって」 「と言うことだ。『日本書紀』の記録者が複数の異なった伝来記録を診て、その一つを選択して書いた問題であると同時に、古代には姓名を色々変える習慣があったからさ・・・それに歴史やそれに関連するモノを『記録』した人々が本来の漢字を日本語の音をあてて記録したと言うこともあるな、音が同じでも違う漢字で書いた」 「漢字の音や訓に問題があったのね」 「ああ、『日本書紀』の中にも『一書にいわく』って、複数の記事が注釈のように天皇の子供の名前が違った漢字で書かれていたり、子供の人数が違っていたり、兄弟姉妹の生まれた順序が違って書かれているんだ。昔は万葉仮名と云ってほとんどの日本語の音の記録として同音の漢字を借用していた。アは安倍の安とか、按配の按とか、鞍馬の鞍とか、案内の案とか、杏子の杏で記録したんだ」 「イは井戸の井とか、委員の委とか、伊藤の伊よね。それは古語の時間に習ったわ」 「それでだ、人の実名である名前は中国では凄く大切にされたんだ。実名、字(あざな)、號(ゴウ)、それに死んだ後に付けられる諡(おくりな・シ・ジ)。これは坊主が葬式に付けてくれる死者の戒名だな。最近は二十万円とか三十万円も請求されるらしいが」 「ふ~ん、凄い高い。坊主丸儲けって、それよね」 「実名は家族以外には秘密にされ、諱名(いみな・キメイ・イメイ)と云って生きているときには使わないんだ。家族だけが知っている本人の実名は、生きている時には『名』、死んだ後には『諱』と、そう呼ばれるんだ」 「どおして?」 「人の名前そのものが命にかかわるモノであると考えたからなんだ。いわば現代のキャッシュカードの暗証番号みたいなモノなのさ」 「お金が盗まれてしまうわね。でも、他人に実名が知られるとどうなるの?」 「昔のことだから『本人=実名』であるから呪いをかけられて命が盗まれる恐れがある、とさ。日本でもこの中国の影響を受けたんだ」 「そうか、名前って大切なんだ」 「そうだな、親がくれた名前は大切にしなくちゃな。同じモノに本人の生年月日も家族以外には秘密にされたんだ」 「じゃあ、役所に届ける生年月日って、昔はいい加減だったのかしら」 「戸籍は税金取り立て台帳と徴兵台帳だったから自分の家族構成は知らせたくなかったカモ・・・家族以外に知ることが出来たのは占い師だけかもナッ」 「名前も誕生年月日も占いには必要だモノね。おじさん、私の名前や生年月日を誰かに教えないでね。恨まれたらコワイもの」 「ああ、占い師には守秘義務がある、と云うことだな」 「守秘義務?」 「秘密を守る義務のことだ。誰にもメリの秘密は漏らさないことをカミに誓います、ってさ」 「あやしいな。でもおじさんを信じるわ、トモダチだもの」 「アリガトウ。メリとの約束は死んでも守ります」 「でも、おじさんには秘密になるようなモノ何にもしゃべっていないわよ、メリの名前と誕生日だけで」 「そうだな住所も電話番号も聞いていないしな・・・住所と云えば、人の住む場所のことだが、学校では地理も習っているだろう」 「ええ、中学一年生の時に習ったけれど、地理、あんまり好きじゃないわ」 「そうか、でもさ現在の地名には都道府県と市町村、郡(ぐん)、区(く)、条(じょう)、それに字(あざ)、郷(ごう)、番地が付けられているよな。人の名前と共通するところがあるだろ」 「・・・共通するのは字(あざな)の字、號(ごう)の郷よね」 「だな。どおして地名には『字』を使用しているか知っているかな?」 「地名の漢字で字は○○であるって、ことじゃないの?」 「カモな。元々『字』は子供を生む、孕む、養う、増えるの意味なんだ」 「じゃあ、産み育てる場所のことだわね」 「文字の『文』は象徴的なモノの形を表したもので象形字、出来事や、ありさまを示す指事字。文字の『字』は出来上がっている既成の文字を組み合わせたモノで意味を合わせる会意字とか、音声を示す形声字と云われるモノなんだ」 「カイイ文字で、ケイセイ文字・・・『日本霊異記』の怪異と経世じゃないわよね」 「文字の『文』は『亠+乂』で、『亠(トウ・ヅ)』は音の字の略字、『乂(ガイ・ゲ)』は草を刈る、おさめる、賢い人、こらす、いましめる等の意味なんだ。カタカナの『メ』に似ているな」 「・・・トウのガイ、唐の害、ヅのゲ・・・柘植、柘の解、告げる・・・何、それ?」 「唐の害の女だろう。柘を植えるは木と石で、木を直すさ」 「?・・・ワカンナイわっ」 「字は『宀(ベン・メン)』の家、屋根と、『子(シ・ス)』で、子供」 「・・・弁はワキマエル、面で、施、州なの?」 「『子』終了の『了』と始まりの『一』だな」 「・・・オワリとハジメ・・・尾張と、土師の女・・・初め・・・羽島?」 「とにかく、歴史的事件とは、先ず第一には人間=名前、そして第二には場所=地名、そして第三には『年号=年名』と数字がハッキリ記録されていなくちゃダメだけれど、同音の地名や、漢字が同じでも違った読み方をする地名が多い日本の地理史はかなりこれが曖昧だな」 「そうよね。暗記物としての地名や年号を習う生徒は苦労するのよ」 「漢字は借り物だし、ときおり主語が端折られて述語だけで話される日本語は曖昧だ。だから過去の記録からはスンナリと理解するのは難しいよな」 「そうなのよ」 「そこだが、地名や人名、年号は単なる暗記物ではないんだ。どおしても推理して考えなくちゃならんシロモノだ」 「英語も難しいけれど、もっと日本語って難しいのよね。だってトモダチと話をしたり、先生の話しを聞いたりしても時々ワカンナイもの」 「ワカンナイか・・・で、そんな時どうするんだ?」 「考えるのよね・・・友達とか先生が何を云いたいのか、云ったのかを・・・自分のコトバで」 「それだな。だからさ、コトバの曖昧な日本人は特に推理小説や探偵小説、そして曖昧な歴史の推理が好きなんじゃないかな」 「日本人、それって推理小説が好きなんじゃなくて、単なるコトバのセンサクや、他人のウワサやスキャンダルのセンサクが好きってことじゃないの。テレビの報道ってかなりいい加減で、ソレを見てあれこれ無責任なウワサをして人権侵害もいいとこだもの」 「なかなか云うなメリは。確かに詮索だな」 「でも、曖昧な日本史って謎がありすぎるから面白いのよね・・・実際、歴史上の人物が生きていたら名誉毀損で訴えるかもね」 「と、云うことだな。日本史は歴史的事件と言うよりも、歴史的物語に近い次元で理解されているのさ。すべてじゃぁないが、その殆どが、ありもしない夢物語に改作された」 「・・・ユメ、忘れてしまったけれど、ユメはやっぱしユメなの?」 「夢でみてもそれを証明するモノがないからな。メリは歴史の何処が面白いと思うんだ?」 「やっぱし、謎解きみたいだから・・・結局、自分の勝手な空想が膨らむからよね。それに私の両親のお爺さん、お婆さん、その両親のそのまた両親の結びつきの物語。遡っていけば何処に行き着くのかしらって」 「そうだな。で、いままでどんなコトが判ったんだ」 「日本のコトが文字として記録されたのは中国の『魏志倭人伝』。それに『隋書妥(イ+妥・倭)國伝』」 「ほう、メリ、凄いな。それを読んだのか」 「うん、最初は漫画でね。そして原文の日本語訳も読んだわ」 「そうか、感心するな、君には。じゃぁさ、その知っているところを聞かせてくれないかな。おじさんも大好きだから」 「いいわよ。調べて知っていること教えてあげるわ、おじさんには特別に。まず、『大化の改新』だから『魏志・倭人伝』よりもこの時代に近い『隋書・妥(イ+妥)國伝』から・・・エート、倭の国の王様の名前なんだけれども西暦600年(開皇二十年)に『倭妥王』と云う人物が存在して、その姓は『阿毎』、字は『多利思比孤』、号を『阿輩鶏弥』と云ったらしいの。その『妥(イ+妥)王』の妻の名前が『鶏彌』、太子が『利歌彌多弗利』であった、と記録にあるのよ」
『隋書妥(イ+妥)國伝』・・・・ズイショ・タイコクデン 西暦600年(開皇二十年)・・カイコウ・ニジュウネン 『妥(イ+妥)王』・・・・・・・・・・タイオウ 姓は『阿毎』・・・・・・・・・・・・・アマイ 字は『多利思比孤』・・・・・・・・タリシヒコ 号を『阿輩鶏弥』・・・・・・・・・・アワキミ・アハキミ・アハイケイミ 妻の名前が『鶏彌』・・・・・・・・キミ・キビ 太子が『利歌彌多弗利』・・・・・リカミタフリ
「メリはよく勉強しているナ。まったく凄いよ。中学二年生だったな。それで、姓が『阿毎』、字が『多利思比孤』、号が『阿輩鶏弥』とはどんな人物であったのか検討してみたいが、メリはこのように記録された人物を誰だと考えるかな?」 「倭國の王様だから当時の日本人であることは間違いないと思うけれど、『鶏(にわとり)』と『彌(や)』の王様・・・どうして『倭(わ)』の漢字が『妥(イ+妥=たい)』になってしまったのかしら。『魏志・倭人伝』には『倭』の漢字を使用しているんだからソレを踏まえれば国家の歴史を記録する書記官が『妥(イ+妥)』を使用するハズがないって思うけれどな」 「それは・・・考えられる理由は、『鶏(ニハトリ)』と『彌(や)』の訓読みにあるんじゃぁないかな。メリは漢和辞典で調べたことはないかなコレを」 「調べたけれど音読みは鶏(ケイ)で、訓読みはニワトリ。彌はミ・ビで、ヒサシイだったよ」 「訓読みはもっとあるんだ。鶏はニワトリ以外には『クタカケ』ってヨマれている。彌は腐るほど沢山あるんだが・・・アマネシ(遍)・ワタル(亘)・ヘル(経)・ミチル(満)・ハビコル(蔓延)・キワメル(究)・オワル(終)・イヨイヨ・マスマス(益々)」 「フ~ン、『くたかけ』って何?」 「鶏を罵って云う言葉なんだ。ニワトリノの奴め、って」 「鶏のような奴、と云うことなのね。でも何故、ニワトリなの?」 「ブタなら臭いがくさくて不潔な奴だろう。サルなら真似の上手い奴だな。イヌなら忠実な奴だが、幕府のイヌめ、ってスパイみたいに嗅ぎ回る目明かしだな」 「ニワトリって・・・コケコッコウ~って夜明けを告げるけれど、罵るのは誰かしら・・・まだ眠たいヒトが鶏の奴め、なの?」 「まさに、そう言うのは朝寝坊の常習犯か、夜遊びする奴か、夜盗だな。とにかく、夜に重要な何かをしている奴が鶏を擬人化して罵り、罵倒のコトバにしたのさ。夜明けの太陽が昇って欲しくない誰かさ」 「暗闇が好きなヒトはいなわよネッ・・・わかったワ、トリの奴って、罵るのは、おじさん。それは天文観察している天文学者じゃないの」 「だな。夜が好きな人間は色々いるけれどな・・・きっと江戸時代ならトリの奴め、と罵られたのは『鳥居耀蔵』で、罵ったのは蘭学者だ」 「江戸時代・・・鳥居さんって恨まれてたのね、蘭学者に」 「そう言うことだな。『隋書・妥(イ+妥)國伝』が記録された『唐』代なら新羅の別名が『鶏林』だったから、新羅を恨んだのは滅ぼされた百済人とか、朝鮮半島に於いて戦争で負け、本国に撤退した唐人だな」 「フ~ン『鶏林』、新羅がトリの奴めなの。彌は覚えきれないわね・・・でもイヨイヨは『伊予の壱与』かしら、『愛媛』だし」 「メリ、頭の回転が早いな」 「それほどでもないけれど。フフッ・・・ウレシイわ。で、『倭』と『タイ』はどうなの?」 「それはだ、『倭』と『タイ=妥(イ+妥)』が類字しているので、①書き間違えか、②意図的に『タイ』の漢字を使用した。あるいは、まったく、③『倭』とは異なる国が存在した、と云うことだな」 「書き間違えはあり得るよね。でも②意図的に『妥(イ+妥)=タイ』の漢字を使用した、ってどう云うことなのよ。おじさん」 「『イ+妥』はタイと読み、漢字の造りは人(イ・ニン・ジン)+妥(ダ・タ)で、『妥』は穏やか、安らか、落ち着くで、訓よみでは『やす』と読ませているんだ。古代では『妥女(うぬめ)』の妥だな。漢字の解字として『女が安座する様子』とあるから『魏志倭人伝』の女王國、卑弥呼と壱与の血統系譜が続いているコトを暗示したいからではないかな。それにタイ(イ+妥)の音は乙姫さまの竜宮城の鯛(たい)を示唆しているモノと考えることが出来るだろう。それに願望の・・・シタイ、ヤリタイ、そうアリタイのタイだな」 「竜宮城の乙姫様、それに咽喉(のど)に山幸彦の釣り針がヒッカかった鯛なのかぁ~」 「乙姫さんの『乙(オト)』は、オツ、イツとも読むんだ」 「乙がイツなの?」 「ああ、『オトヒメ』は『音』の『秘め』なのさ。そして、645年の『大化改新』は年号干支の六十年サイクルで『乙巳』の年で、『乙巳の変』とも云われるのさ」 「乙巳でなくて、イツシのヘン・・・何時の史の変なのぉ~」 「それに『タイ(イ+妥)』の漢字は『佞(ネイ・デイ・ニョウ・へつらう・よこしま)』、『侫(ボウ)』にも似ている。それに不思議なんだが私の持っている漢和辞典には『タイ』も『侫』も載っていないんだ」 「どおしてなの。ほかの漢和辞典には載っているのかしら?」 「多分な。そう記録されている漢字だからあるハズさ。だが漢字は何万語もあるんだ。そして自分だけが使用するオリジナル漢字もある。唐の『則天武后』は『則天文字』を創り出したことで有名なんだ」 「フ~ン。じゃぁ、③『倭』とは異なる国が存在したってのは何?」 「島国日本には地域によって権力が異なった国がいくつもあったんじゃないか、とさ」 「そうか、そうよね。当時、中央集権的な国が一つだなんて、チョットおかしいカモよね」 「それにだ、『阿毎』は日本語流で読めばアマイだ。毎の音読みは『バイ』、『マイ』、『メ』で、訓よみは、つね(常)、ごと、そのつど(都度)、しばしば(屡々)、しきり(頻)、いえども(雖)、おかす(犯)、おろか(愚)と読ませているんだ」 「じゃぁ、毎がメなら『阿毎』は『アメ』じゃないの!」 「だろう、まさに『阿毎』は『アメ・アマ・アバイ』だ」 「アメ=雨、天、編。アマ=海女、海士、海部なんだ・・・そうか、わかったわ、安部=海部で、アバイ=安倍・阿倍なのね、おじさんが云いたいこと」 「メリ、頭がイイ。相性がイイナ」 「アイショウって、それ、ワタシとおじさんとのコトなの?」 「アメ、アメ、フレ、フレ、かぁさんが~、蛇の目でお迎え嬉しいなぁ~ダ。考え方の相性のことさ」 「今は蝙蝠傘だわよ。フフッ・・・そうみたい。小さい頃お母さん、私の傘を持って必ず雨降りには向かいに来てくれたモノ・・・」 「それでだ、海部(あま)=安部(あべ)なら、アベの姓の漢字は陪審の陪の安陪と、二倍の倍の安倍、それに阿蘇山の阿の阿部と、阿倍だ」 「そうだわ、『阿毎』の王様は阿蘇山が見えるところに居たのよ」 「まさにだね。阿蘇の蘇は『蘇我氏』の蘇だろう」 「そう、まさに蘇我のヨミガエル(蘇)よね。そうかッ、これって、我=倭の例、読み替えるじゃぁないの、ネッ、おじさん!」 「そうだな。字面とおりでも吾(われ)、よみがえる(蘇)だ」 「すごお~いッ・・・ヨミのカエル・・・?って・・・雨蛙」 「『蘇我蝦夷』の『蝦』は蝦蟇=蛙(かえる)で、蛙は『ア』と音読みするんだ。と言うことは、これは何だろうな?」 「阿蘇山、蘇我、蝦夷、蛙、ア・・・単なる漢字のアソのビじゃないの」 「まさにさ。メリは賢いな。日本史の鍵は漢字そのものにあるみたいなんだ。ここに日本人名辞典があるからアベの姓名を持っている人物をチョット調べてみればイイ、ハイこれ」 そう言って私は彼女に「日本人名辞典」を本棚から取ってわたした。
(2)
①阿毎王朝(阿輩鶏弥)
↓
②阿部内麻呂(倉梯麻呂)・・・「?~649年」。「大化改新」時の孝徳天皇下の左大臣で、中央豪族。「孝元天皇」の皇子「大彦命」の子「武」
③阿倍比羅夫・・・・・・・・・・・・斉明天皇の水軍の提督
④大海人皇子(天武天皇)・・・「壬申の乱」の中心人物・第四十代天皇
⑤阿倍皇女(孝謙・称徳天皇)・第四十六・四十八代天皇
⑥阿部仲麻呂(朝衡)・・・・・・・遣唐留学生
⑦ 阿倍市郎兵衛・・・・・・・・・・江戸時代後期の近江の「麻布」商人。代々「市郎兵衛」を名乗った。五代目は「紅染業」も営み、「麻布」売買では「享和年間(1801~1803)」に3~6ヶ月間の「掛け売り(延売)」もし、商業利潤と金利の「二重利益」を得た。六代目は「北海道・奥羽」に販路を拡大し豪商となった。
「ヘェ~、これ何よ・・・『阿倍市郎兵衛。江戸時代後期の近江の麻布商人』で、『市郎兵衛』って!北海道って、蝦夷よね!・・・二重利益って・・・商業(あきない)と金利(もうけ)・・・秋津島の秋と、金武(キン)の利」
「アッハ、メリの耳の付け何処が鋭いな。まだ、まだいるよな、『日本書紀』に記録されている『阿倍』は」
「何時の時代のアベなの?」
「推古天皇の時代の十六年(608)に『阿倍・鳥・臣』、十八年(610)には『阿閉・臣・大籠』と再度、『阿倍・鳥子・臣』が記録されているんだ」
「鳥、かご、トリコ・・・で、このアベの人々は何をしたの?」
「そうだな、十五年(607)に『小野妹子』と通訳として『鞍作福利』が唐に派遣されたんだが・・・鞍作太郎の関係者だな」
「通訳の鞍作で・・・遣隋使の『小野妹子』なのね」
「ああ。この『小野妹子』が隋から帰国するときに隋王の使いとして『裴世清』とその部下十二人が日本にやって来るんだが、『阿倍鳥』はその時の道案内と接待役。十八年(610)には新羅と任那の使者が来るんだが、その時『阿閉・臣・大籠』は任那の案内接待役で、『阿倍・鳥子・臣』は会見の交渉担当者の一人として」
「阿倍鳥子は、阿倍鳥の子供なの?」
「じゃないかな。それに、この時の新羅の案内接待役として『秦造河勝』が記録されているんだ」
「フ~ン、シンゾウカショウ・・・振増加証、審造化章、『秦造河勝』ってハタ氏よね」
「ああ、ハタシだ。それにアベは『阿倍清明』とか江戸時代の譜代大名の阿部家なんかがさ。それに第四十三代『元明天皇』も「阿+閇(門+下)」の合字で、『阿閇皇女』と記録されているんだ。さらに『下』を分解すれば「一+ト=ハジメのウラナイ」だ。読みはアヘ皇女か、アベ皇女だよ」
「どおしてぇ~?」
「雨蛙は爬虫類の蜥蜴と同じように両生類の皮膚が変化する動物だからさ。蜥蜴の象徴は占いなんだ。皮膚や、皮は肌だろう。肌は股の漢字に似ているだろう。類字だよな。ようは、当たるも八卦、あたらぬも八卦の易占で、易=蜴なんだ。すなわち易とは変化と言うことなんだ。そして蘇(ヨミカエル)だからさ。関係するアベの姓が示唆している事件を変化させて重ねたいからだろうさ」
「名前の変化・・・アベのセイメイなの!?」
阿部一族
メリは「古事記(712・和銅五年)」や「日本書紀(720・養老四年)」、「日本霊異記(787~833・延暦六年~弘仁十三年)」を読んで、その事件の「物語」の中に吸い込まれていったようだった。そして願望どうりの夢を視ては朧気(おぼろげ)な記憶を辿りながら私に報告を兼ねて議論をしていくのだった。私にとってはトッテも楽しいユメの時間でもあったのだが。
メリの視た夢は「初唐」、そして「孝謙・称徳女帝(阿倍皇女)」の時代へ飛んでいた。
「おじさん、『大化の改新(645)』の阿倍内麻呂って、阿倍倉梯麻呂と同一人物なのかしら?」
「どうだかな違う人物かも。『阿倍』は『第八代』の『孝元天皇』の皇子『大彦命』の子供『武渟川別命』が祖先らしいが。この『第八代』も問題だが、この天皇の名前が『大日本根子彦国索』で、その皇后が『鬱色謎』で、母親が『細媛』と記録されているんだ。書き出すとナ・・・」
文字転換
↓
孝元天皇・・・・・・・コウゲンテンコウ=巧言転向
大彦命・・・・・・・・・・・・・タイガンメイ=他意贋(願・含)名
武渟川別命・・・・ブテイセンベツメイ=武帝選別名
大日本根子彦国索
・・・・・タイニホンコンジガンコクイン=他意似本今字贋刻印
鬱色謎・・・・・・・・・・・・・ウツシキメイ=有柘史記名
細媛・・・・・・・・・・・・・・サイエム(ン)=作意重務・才媛
「・・・ウッソ~・・・アソビじゃないのこれって!」
「ああ、まさにアソビだナ、同音異字の漢字転換のさ。『才人』は唐の『則天武后』が後宮に入った時の位なんだ・『才媛』とは『才女』のことさ。『鬱色謎』なんて、この漢字を使用した記録者が記録を読む人間に『鬱な色の謎』を問いかけているのさ」
「『鬱な色の謎』って、鬱病の恋人の謎・・・秋の空の色かしら・・・オンナのココロとアキのソラ・・・変わりやすいって」
「それは音の名の個々を賂と、蛙の紀の唐だな。色の解釈だが、難しいところだな。小乗仏教のお経に『阿含経アゴンキョウ』と云うモノがある」
「阿を含むお経なんだ・・・漢字分解は『阜(フウ・ブ・おか)+可』と『今+口』だわよね!」
「サスガに早い頭の回転だ。そして、メリは色を恋人と解釈したがさ。でも、たいしたもんだヨ。メリは古語もかなり勉強しているんだ。イロには『倚廬』の漢字があって、天皇の父母が死んだとき、諒闇の御所と言って天皇が喪に服す特別に設えた御殿の意味があるんだ。喪の期間は十三日間なんだ」
「十三日間」
「ああ、壱与とメリの歳の数の十三だな。秋の色は占いでは白なんだ。色は有名なお経の『般若心経』の『色即是空』の『色』だ」
「『色』は『空』、『空』は『色』・・・透明で白に色がついて形がみえるってことなのね・・・若(わか)の心(こころ)を般(はこぶ)、お経・・・般若って鬼(おに)で、キ」
「方位は西で、聖獣は麒麟と白虎さ。それに十二支の酉(とり)が真西の動物だ」
「黄色に黒のまだらの斑点の首の長いキリンさんと、白に黒い縦縞の虎と、羽を持って空を飛ぶ鳥が重なっているんだ・・・」
「白装束を着た虎だ。そして色はニビ色で濃いネズミ色の喪服の色のことでもあるな」
「色はニビ色でネズミ色・・・濃い灰色なのね」
「色は色っぽい意味と、喪に服する悲しみの意味でもあるな。とにかく、白いトラならば、時代は『白村江の海戦』の謎に関わる『鬱色謎』カモな」
「トラって天武天皇ことでしょう」
「ああ、『翼の生えた虎』だ。ネズミは蘇我氏だな」
「大化改新(645)」を契機とする謎は「白村江の海戦(663)」、そして「壬申の乱(672)」と連続する歴史のウラの「事実(?)」が表に記録された「漢字」そのものの「転向・転換」にあるらしいのだ。そして過去の「歴史書物」の「改竄」そのものではなく、タイ(他意・対)の同音異字に転換するべきモノとしての記録なのである。「アマ、カエル」の、いわば同音異字に転換、置換してその「意味を汲み取れ」と云うことらしいのだ。
考えるに「中国の原典に於ける日本関係の記録の文字」そのものが怪しいと、疑惑が湧く・・・その記録に携わった可能性のある人物・・・中国書籍の「改竄文字(?)」の張本人は遣唐留学生であった中国名「朝衡(晁衡)」こと、「阿部仲麻呂」ではないのか?・・・「徴候・兆候・聴講・調光・調香・彫工」である。更に疑えば、遣唐使であった怪しい人物は『犬上御田耜(ケンジョウオンデンシ・ケンジョウオンデンジ=兼常音伝字)』で、この名前自体の漢字名と、「耜(シ・ジ・すき)」の示唆と、遣隋使、遣唐使であった中国名「蘇因高」の「小野・妹子(いもこ)」の「妹子」は「マイシ(間意志・間遺志・真意思・毎史)」、「マイジ」なら「真維持・真意字・真異字」で、「魔の異字は鬼」、「摩の意字は高山」、「魔の遺児は鬼子」、「毎の子は輩(ハイ・ヘ)の子」、「妹の子は裴(ハイ・ベ)の使」である、と。「輩」は「車の列・仲間・連なる・ナラブ」で、「裴」は「長い衣服・衣服の裾を長くひく様子」の意味である。「間」の漢字は「間人皇女」に使われているが、「間の人」とは「間諜の人=忍の者」、すなわち、スパイである。「間人」が「真人」なら「仙人」の意味だが、「天武天皇(大海人皇子)」もその諡(おくりな・シ・ジ)は『天渟中原瀛真人真人』で「真人」である。「八草の姓(ヤクサのカバネ)」は
①真人、②朝臣、③宿禰、 ④忌寸、
↓ ↓ ↓ ↓
真尋、 聴診、 素句音、 意味記
⑤道師、⑥臣、 ⑦連、⑧稲置
↓ ↓ ↓ ↓
同詞、 振、 錬、 倒置=等値
「八草の姓(ヤクサのカバネ)=訳さ(埜句差・夜句差)の化葉音)」
で、本来なら「天武天皇が臣下に与えるべき位の等級」である。理屈を通すならば「天武天皇」は死んで、「臣下=真人(まひと=海人)」になった(?)、と言うワケだが・・・違うだろう・・・「真人=まひと=海人」に掛けたか、あるいは生死に関わらず、彼(大海人)は「天皇」ではなく、「臣下的存在」であったのだ。そして「素因考・訴因稿・疎音交・措咽喉」等である。
メリは私の話しを聞いて疑わしそうな目をして云った。
「・・・ホントウなのかしら」
「小野妹子が記されている『隋書妥(イ+妥)國伝』の記事を読んでいるならば、メリは『輩』と『裴』を有する漢字の人物が誰かは知っているよな?」
「・・・それって、阿毎の妥(イ+妥)王の『阿輩鶏彌』と、隋王『煬帝』の使者の『文林郎』の『裴世清』でしょうッ」
「だな。その『煬帝』の子孫が太陽の漢字を採った『陽侯(ヤコ・ヤコウ)氏』と言われる渡来亡命人で、日本朝廷の文書、書記係りみたいな地位にいたんだ」
「ヤゴって蜻蛉(とんぼ)でアキツの幼虫・・・夜光で、屋号・・・」
「オッ、ナカナカな発想だ。私の仮説だが、滅亡した隋王朝に関係する子孫なら唐にはウラミがあるハズだ。大規模な運河を造らせた『煬帝』はその宮殿の庭園にも天の川に模した小川を引き入れ、そこに橋を架けさせた。その橋の名前が『天津橋』なんだ。その水軍の戦艦も大規模なものだった。今の沖縄、琉球にも海軍を派遣し、ほとんど根こそぎに滅ぼした記録が『妥(イ+妥)國』の前に記録されている『隋書・琉球伝』だ。『日本書紀』の天皇の血筋は天孫降臨の一族だが『天津族』とも言われているだろう。実際に地名の天津は洛陽の東北に存在し、黄河河口にある。春秋戦国時代には燕国で、現在の北京のすぐ南東にあるんだ。この地方は三国時代には卑弥呼も関わったハズの『公孫』氏の支配地だったんだ」
「ウラミ・・・オジサンの仮説・・・フ~ン・・・でも、面白いわよね」
「海は(さんずい・水)+毎だろう」
「ホントよね、ウミ(海)は確かに、(さんずい・水)+毎で、毎は『阿毎』の毎だわ・・・随所、随処、隋書の纂隋(さんずい)、診図(みず)で、水のタビなんだぁ~」
「そして、随分ひどいの隋の文だな」
「随の分けで、隋の文章・・・?・・・脊髄の髄ってスネよね・・・ナガスネ彦?」
「イイ線、イっているな。賢いなメリちゃんは。随分はさなぶとも訓じられているんだ。サナブは漢字の意味からすれば、サナラブ(さ並ぶ)だが、さなば(早苗場)、さなぶり(早苗振り・早苗饗)の変形か、その意味に掛けられているかもナ。音を採れば、差の名の重だろう。ズイの漢字の区別ワケを文字に書けば」
隋・・・・・・・マツリの肉(ジク)のアマリ
随=隨・・・従う・たびごとに・下役(したやく)・付き添い
「マツリの字句のアマリ・・・シタヤク、シモヤクって、史の模の訳なんだぁ~・・・」
「それに『宇美』ならば宇宙の美しさだな。天の星、星座だよな。漢和辞典を調べれば『毎=(ノ+一)+毋』は母が頭にカンザシ(簪)をつけた形とある。『毋』は母に似ているが本来違う漢字でカンと音読みし、『貫く』の意味なんだ」
「・・・難しいけれど、お母さんが髪飾りをつけているってことなのね。しかも櫛を髪に貫き通している。そして(サンズイ=水)のミズは水カガミで、その姿をうつし見ているのよネッ」
「メリは天才かも知れないな。まさにだ」
「だって、お母さんが寂しそうに鏡台に座って、櫛で髪の毛をトイている姿のイメージなんだもの」
「・・・そうか・・・お母さんを大切にな」
「もちろんよ、大好きなお母さんなんだモノ」
「そうだな、言うまでもないか。そしてだ、サン・スイ・ゴトとは編纂の推察の語の途、ミ・ズ・ゴトとは、観図ごとで、図面を見る毎、密語塗で、秘密の語の塗り込み、蜜語の吐で、蜂蜜の言語を吐き出せだな」
「わかった、ブ~ン、ブ~ン、ブンブンブン、8の字に蜂が飛ぶ、でしょう。蜂蜜マーヤの冒険、読んだわ」
「そうか、メリちゃん、『メリサ』はギリシア語では蜜蜂のことなんだ」
「ホントウなの・・・私の名前がミツバチだなんて!」
「ああ。オジサンは若い時分にな、しばらくギリシアに滞在していたことがあるんだ」
「フ~ン。どおして?」
「マァッ、フラフラと旅人をしてたのさ。『日本書紀』にもな、蜜蜂を養蜂しょうとしていた人物が記録されているんだ」
「誰なの?」
「日本に人質になって来ていた百済の義慈王の王子『扶餘豊』で、後に『武王』となった百済の最期の王様なんだ。『扶餘璋・瑶・糺解(くげ)』とも記録された人物だ。養蜂には失敗したらしいけれどさ」
「フ~ン。女王バチが死んでしまった・・・それとも巣分かれで二匹の女王バチが弱ってしまったのね」
「メリ、君は確かにユメでその時代を視てきたんだよな」
「?・・・ユメじゃないわよ。昆虫百科図鑑で読んだのよ、ミツバチの巣分かれ、『分封』って言うのよね」
「『册封サクフウ・サクホウ』は中国王朝の外交政策だな。この『册封』の册は本が一冊の『冊』だな」
「じゃぁ、一冊の本に封じ込めるじゃぁないの・・・文章の作風、印刷の刷方、昨日の昨報・・・帰納の作法・・・一札って、記録文章のことよね。借金の証文書は一札入れるって」
「カシコイなメリは。一の札は辞典の初めの索引の耳だな」
「辞書の耳のハジメは『あ・ア』・・・『い・イ』・・・アイなんだ!」
「そして、ハジのメ、ハチのメ、把握して知る葉知の、診察のタクの診拓だな。その蜜蜂の巣分かれがこの時代の事件に重ねて暗示されているんだ。ハチを観察して、その姿はどんなんだ?」
「目は黒眼で、尻尾に剣のような針・・・」
「その尻尾の模様は?」
「黄色と黒の縞模様・・・」
「虎の縞模様に似ているな」
「!・・・トラのシマ文様・・・女王バチ同士の戦い・・・」
「女王バチの役目は卵を生むことだ。そして白いハチの子の幼虫は蜜蜂の養育係に育てられ一匹の蜜蜂になるんだ。蜜蜂に似ているのはアブ(虻)だろう」
「アブ・・・似ているわね・・・虻ハチとらずって、二兎追うものは一兎も得ず、と同じ意味よね」
「ああ、まさに一般的な解釈はそのとおりだな。だが、アブ=あふ、ハチ=わち、をトラズ=トラのス、の漢字の掛けだな」
「阿武、倭地を獲らず・・・なの?」
「ああ、阿武は則天武后だな」
「アブが則天武后?」
「そうさ・・・それに虎の図は掛け軸の絵にもなっているが、コトワザには虎を描いてイヌに類する、がある」
「最初のの目的が違ったモノになることよね」
「ああ、そうだが、素直に漢字を当てればイヌは犬、戌、狗ケン、ジュツ、クだな。懸ける、述、句だ」
「ジャァ、阿武、倭地を獲らす(ず)・・・阿武、和智、虎、棲(頭・事)・・・蛙符、和知、寅の素アフ・ワチ・トラのスで、カエル符、和字、韻のモト、にもなるよね」
「阿武と罵られたのは則天武后の武照なんだ」
「ハチに似ているアブ・・・蔑称された蜜ハチの偽物ってことなのよね」
「山形県の出羽三山の開祖に『蜂子皇子』と言う人物がいたんだが、彼は夢殿と言われる『六角堂』で瞑想した『聖徳太子』の従兄弟で崇峻天皇の第一皇子であったんだ。『能除皇子』とも言われ、法名は『弘海』なんだ」
「『能除皇子』、ユメ殿、六角堂・・・蜂の巣も六角形だわ・・・崇峻天皇って、『蘇我馬子』に暗殺されたのよね」
「ああ、実際は馬子に唆された『東漢人直駒』に殺されたことになっているんだが、 唐が勧進の直句で、漢字の務、肝心、肝腎、閑人、寛仁の勅句だな」
「その崇峻天皇の子供なのね、蜂子皇子は・・・おじさん豊臣秀吉が小さい頃は『日吉丸』だったわよね。その時、橋の上であったのが野武士の大将『蜂須賀小六』だったんじゃない?」
「メリは何でも知っているな」
「それ、テレビ番組でみたもの」
「蜂須賀小六は豊臣秀吉に臣下し、秀吉の朝鮮征伐の『文禄の役』にも出兵し、忠州で朝鮮の大将『元豪』に敗北し、後に徳島の阿波守になった人物だ。メリ、聖徳太子の別名は知っているよな?」
「厩戸豊聡耳皇子でしょう」
「・・・ 豊臣秀吉の名前と似ているよな。豊の臣だろう」
「・・・!・・・どおしてなの?・・・トヨトミミ」
「豊の臣は豊の国の臣でもあるよな」
「豊の国の臣って?・・・じゃぁ、九州の豊後、豊前で大分あたりの大臣・・・蜂須賀小六は秀吉の従兄弟だったのかしら?」
「フ~ン、なるほど。じゃぁ、ショウトク太子の名前に似ている人物は?」
「・・・孝謙・称徳女帝だわ」
「だよな。八条院は鳥羽天皇の第三皇女で名前は『暲子』といった。この女性は膨大な所有地を持ち一時、女帝に擁立、と言うこともあったんだ」
「女王蜂の分封・・・ハチの付く名前は怪しいのね」
「ああ、八幡太郎義家とかもさ」
「源氏ってことなの?」
「だな」
私はメリの連鎖思考と推理力には感心するばかりであった。
さて、「金春秋(新羅の武烈王)」は「親唐派」だったとの説もある。だが、新羅「女王」であった「真徳王」の退位と「男王」擁立を唐から迫られ、「苦悩」し、唐に「抵抗」した「金春秋(新羅の武烈王)」は「唐」の間者に暗殺(661年)されたのカモしれない。彼には「女王」を護りたい意志があったハズだ。同時代に日本の女王は「斉明女帝」であった。もちろん唐王朝は『則天武后』の支配下にあったのだ。「金春秋(新羅の武烈王)」の死後を嗣いだ「文武王」が対唐政策を「反唐」とした理由は、唐の「百済」占領政策にあるとしても「金春秋(新羅の武烈王)の死」そのものにあるに違いない。「金春秋(新羅の武烈王)」は唐に救援を求めた「張本人」である。だが、それを以て単純に「親唐派」などとは云えないのは自明である。「親唐」、「反唐」の立場は状況変化の流れによるのだ。「自国の存亡」こそは「国家間に於ける相互の政治技術」とその「戦争技術」の行使によって果たされ、その国家のリーダーには国家存立と維持に於いてこそ、その意味での指導性を要求されるからだ。既に中国は「戦国時代」にそれを「合縦連衡」として経験し、その戦争技術の「思想と理論」は『孫子』と『孫賓(月+賓)』によって確立され、その後の中国統一王朝はその領土的膨張に於いてその「国境」で更に周辺「諸種族」との摩擦を経験せざるを得なかった。「冊封政策」は統一中国の知恵であったが、周辺諸種族が「中国型の国家形成」に自覚した次元に於いては、「国家」存亡の「政治的駆け引き」を中国文化と共に学んだのは云うまでもない。隋王朝が滅び唐王朝が成立しても唐王朝がスンナリ中国を安定させて統一したわけではない。「高祖(李淵・在位618~623)」時代の初期にはまだ群雄割拠で混乱していたのだ。しかも次代の「太宗(李世民・在位627~649)」は皇帝継嗣問題で兄弟「三人」で争っていた。「太宗(李世民)」の後を継いだのが問題の『高宗(在位650~683)』と『阿武』と『淑妃』に罵られながらも皇后の位に就いた『則天武后(在位690~703)』である。この「690年」は彼女が国号を『周』とした年であり、干支年号が『庚寅』であった。
『高宗』と『則天武后』にとっては朝鮮半島の百済・新羅のいざこざよりも中国東北での中国と国境を接し、隋王朝時代からコレを犯す「高句麗」との関係こそが問題であった。「隋王朝」はこの「高句麗」に軍を進めて手痛い敗北を喫し、国家滅亡の要因ともなったのだ。そして、「唐王朝」はその後始末をせねばならなかった。歴史的には「後漢王朝」が滅びた後(220)の「三国時代(魏・呉・蜀)」に於いても遼東半島と朝鮮北部は「公孫」氏の支配領域であり、この場所は「魏」と「呉」の対立を巡って「邪馬台国」の女王「卑弥呼・壱与」も絡んだ複雑な政治情勢を経験している場所なのである。
「おじさん、歴史って面白いわね」
「ああ、謎に満ちているな。そして『三国時代(魏・呉・蜀)』の漢字を私は『纂語句次第(疑誤植)』と置き換え、敢えて読みたいんだ」
そう言って私はメモ用紙に書いた漢字をメリに見せた。
「フ~ン・・・編纂の語句の次第、誤植を疑う、なの・・・ツゴウのイイ漢字転換だわね」
「その都合のイイ漢字そのものなのさ」
「・・・都が合う、なのね!」
「そして、拓本、拓殖、柘植の木の拓の柘が合うさ」
「・・・?・・・ツゲって、木の判子の材料のことなの?」
「ああ、木版印刷の材料でもあるんだがな、音読みは柘で、桑の木のことだ。それに中国には歴史書の『漢書』を記録し、班が固まると書く『班固』と言う人物が存在した。『班』は分ける、配分する、アマネシとも訓読みする。班には同類の王+文+王の『斑』があるが、斑鳩いかるがの『斑』だな」
「ミタラシ団子じゃなくて、『班固』は配分を固める。『斑の固』ならマダラ、ブチが固まる・・・柘植の判子、表面の意味を強く否定する反語・・・クワの木・・・そうか、桑の葉はお蚕さんが食べる葉っぱでマダラの斑点になってしまうんだよね。ジャァ、言葉がマダラでブチってことなの。扶桑って日本の別名よね。名古屋市の北にある犬山のモンキーパークの近くにある地名にもなっている」
「ホントにメリは物知りだな」
「だって、小学生の時にお母さんと一緒に犬山のモンキーパークにお猿さんを見に行った途中にあったもの、扶桑って所」
「そこで、孔雀は見なかったか?」
「クジャク・・・お猿さんだけよ、いたのは。どおして?」
「おじさんが1996年の桜満開の春に行ったときには孔雀が放し飼いになっていたからさ」
「フーン。いたかも知れないけれど・・・オジサンはそこへ独りでいったの?」
「・・・メリちゃんと一緒にな」
「私はお母さんと一緒よ・・・フフフッ、でもオジサンがそう言うとは思ったんだ」
「初唐」に於いて、この「高句麗」と「新羅」、「新羅」と「百済」、「百済」と「高句麗」はその国境で武力衝突を繰り返していたのだ。朝鮮半島に於ける「新羅」は「百済」と「高句麗」に挟撃されていた。そして「新羅」は「百済」、「高句麗」と敵対関係にあった。そして「唐」は「高句麗」と敵対していた。この時期、唐王朝と新羅は利害関係が一致しただけである。唐王朝は「朝鮮半島直接支配」と云う領土的野心を抱いていたとしても「新羅」と「百済」に対しては「册封」次元であったろう。だが国境を接している「高句麗」に対してはそうはいかない存在であった。
「字面」だけのことだが、怪しいのは「660年9月3日」に百済を滅ぼし百済の「義慈王」を捕虜として唐に帰還した将軍『蘇定方』である。『蘇定方』は「左驍衛将軍」の『劉伯英』と共に百済討伐に派遣された人物で、同年の3月に「神丘道行軍大総督」に任じられていた。「神」の「丘」の「道」の「行軍」である。「蘇」は「蘇我」の「蘇(よみがえる)」である。とにかく百済滅亡時の唐の派遣軍全権はこの「蘇定方」であった。当然にも「日本書紀」では「蘇我氏」の記述は徹底的な悪者にはなっていない。しかも、政治的に仏教を利用したとしても、その後の「日本仏教」は彼と彼の血縁である「聖徳太子」の存在なくしてはありえなかったのも事実である。だが、「明治維新政府」は「廃仏毀釈」を煽って、「仏教」と「日本の仏教徒元祖」である「蘇我氏」はとにかく、「聖徳太子」を国賊とまで非難したことがある。「蘇我氏」は「仏教徒」故だけで非難されたわけではないが、「蘇我氏」は、朝鮮半島、新羅、百済、加羅、任那からの渡来人ではなく、「唐本国」の「渡来人(?)」であったからではないのか・・・「帰化人」と言う熟語概念は
「①君主の徳に感化されてつき従う」、
「②他国の国籍を得てその国民になる」
と漢和辞典には記されているが、本来、「帰=歸=追+帚(婦の省略形)」は「嫁入り・嫁ぐ」の意味で、その「化人」である。解字は「追+婦」で、その「化人」である。離縁された女=婦人の出戻りとか、実家への里帰りの嫁である。「奇禍人」、「麾下人」、「軌家人」、「鬼化人」、「木の歌人」が見えてきそうだ。もちろん、「麾下人」、「軌家人」とは唐の大将軍『劉仁軌』の「キカの人」である。
百済滅亡後には『劉仁願』が「泗城」を守備したが「百済」残党『鬼室福信』を中心に百済再興の為に彼を脅かしていた。そして再度「蘇定方」と『契芯何力』、「劉伯英」、『程名振』を「高句麗」に派遣し、『劉仁願』 支援の為に『劉仁軌』を「百済占領地」へ派遣したのだ。
「人物の名前」と「城の名」を見れば怪しい・・・
私はメリに漢字を書いて見せた。
「だいたいからして『契芯何力』だの、『程名振』だの名前ジタイがオカシイだろう。書くとこんな漢字なんだ」
「契約の契、花芯の芯、何の力・・・程度の程、名前を振る・・・なの?」
「そうだ」
「フ~ン」
「この漢字の同音異字を採ればもっと面白い」
「どうなるの?」
「例えば、鶏の進化力、あるいは程の名の振、程(のり)は、天草海苔、辞典の典、掲載の載り。渟、定、訂、碇、綴りの名の振りと読んでみればいい・・・たとえ、実在した人物の姓名としてモダ・・・おかしいのさ」
「おじさん、怒(オコ)っているみたい」
「・・・いやチョッと熱くなったのさ。オコっているんじゃなく、イカ(怒)っているんだ」
「フフフッ・・・船(フネ)の碇(イカリ)は石の定めなのね」
「ホーォっ、メリ、おまえはホントに漢字には結構詳しいんだ」
「それくらいは常識だわよ」
「そうか、イカリには金の苗の錨、イノシシ狩りの猪狩、五拾の里の五十里もあるんだゾっ」
「混乱するわよ、そんなに云われたら。知識はオジサンの年齢の蓄積でしょッ。私もオジサンの歳くらいになればモット知っていることになるわよ」
「そうだな、ゴメン。でも、偉そうに言っているんじゃないんだ」
「わかっているって、オジサンは何でも一所懸命にハナスのは。カワイイわよ」
「・・・ありがとう・・・言いたいのはさ、猪狩のイノシシはな、日本タケルが伊吹山であった白イノシシの神様ってことなんだが」
「それで、死んだのよねタケルは・・・その神様って白い雪のことじゃないかしら、おじさん」
「伊吹颪(おろし)だな・・・多分、雪混じりや、雹混じりのアメさ」
「アメ・・・アマで、海部なんだよね、ソレって」
「・・・と、言うことなんだが、メリには参った。先を読まれてしまうんだからさ」
「まだ、まだだわよ」
(3)
「百済救援」、「白村江の戦い」では「日本書紀」に明確に名前すら出てきていないのは「天武天皇(大海人皇子)」である。彼の妃が「太田皇女」で、彼女は「大迫皇女」を百済救援の海路に於いて「妊娠・出産」したとはあるが、肝心の彼「大海人皇子」の名前そのものは「日本書紀」では記録されていないのだ。「天武天皇(大海人王子)」とは一体誰であったのか?
「大江匡房」が記録した「江談抄(巻三)」の「吉備入唐問事」には「天明鬼」が「吉備(下道)真備」に
「我、是遣唐使也。我子孫、『安部』氏侍。比年、慾、聞、今、不叶也。我、大臣、来侍、被登比楼、不与食物、餓死也」
と聞いたと記録されてある。「吉備真備」が「遣唐使」として派遣されたのは「元明女帝(阿閇皇女)」の時であり、帰国して「孝謙称徳女帝(阿部皇女)」の大臣となっているのだから、この「天明鬼」なる「我子孫『安部』氏」は「阿倍一族」の誰かではあろうが、「阿部」の名前を指す人物とは「元明女帝」か、「孝謙称徳女帝」自身であり、ここは「氏(シ)」と「侍(ジ)」の意味のみに惑わされることなく、「音」も兼ねて推理した方が謎が解きあかされるのだ。そして彼女らに直接、血縁、縁戚関係する者から考えた方が「阿倍氏」が見えてくるハズだ。「大化改新」の「阿倍倉梯麻呂(内麻呂)」は活躍もせずしての「左大臣」であった。「孝徳天皇(軽皇子)」の「妃」が「小足姫」で、この「阿倍氏(小足姫?)」が「軽皇子」の別殿で「中臣鎌子」の「寝床」の世話をしたらしい。この「阿倍倉梯麻呂(内麻呂)」は、「大宝三年(703)」に「六九歳」で死亡した「右大臣従二位・阿部・朝臣・御主人」にも関係するだろう。「阿倍倉梯麻呂(内麻呂)」は「蘇我・山田・石川麻呂」が殺された「大化五年(649)」に死亡している。「703ー649=54」である。ならば「阿部御主人」は当時「十五歳」であった。ここは「阿部御主人」、「御主人」、「阿倍倉梯麻呂(内麻呂)」と読んでみるのだ。「麻呂=麿=私=ム」は「アサ」の「呂(リョ・ロ)=音調で陰の音律」で、「せぼね・長い」とも読む。「呂」を有する人物は「漢の高宗の皇后」であった「呂后(名は雉)」と、周の文王の師である「太公望」の「呂尚」が存在した。そして「呂」は「周代の国」の名前である。極めつけの「呂」は「沈中記」に記された「邯鄲の夢」の「呂翁」である。「阿部・・・」のルビの変換は「音の阿留字」、「語の種を訊」、「想定の真賂(摩路)」、「名の意を真に賄」である。そして、「阿部」は元はその姓が「布施(フセ)」であったらしく、彼は『布施麿古』の息子であった。本来、「お布施」は「修行僧=乞食僧」に対する施しである。そして「フセ(伏・臥・賦・付)」である。また「布施」は「富制(ふせ)」とも記録される「氏姓」との説もある。この「富制」は「日本書紀・大化二年(646)三月」に「穂積臣咋」が法違反したことをとがめなかった「介・富制・臣(名を闕り)」と、「巨勢・臣・紫檀」の二人に対して、「其の上を正さず」の「過(あやまち)」を犯した人物として記録されている。「富制臣」は「名前を欠落(不明)」としている。「日本書紀」にある「名を闕り」と記録される人物は怪しいと考えた方がイイのだ。これは「欠落不明」の意味ではなく「意図的に名前を伏す」ことの示唆である。もし「布施」が「富制(フセイ)」で「とみ制」であるなら「古事記」の「登美毘古(とみひこ)=那賀須泥毘古(ながすねひこ)」に関係するだろう。その理由は「制(セイ)」が、
制=きる・さく・つくる・さだめる・きめる・おさえる・おさえつける とめる・ひかえる・しばる・おさめる・つかさどる・あやつる もっぱらにする・ほしいままにする・さばく・ただす・のり・おきて とりきめ・はかりごと・ほど・しな・かた・つくり・つとめ・さしず みことのり・喪中のしるし
と「漢和辞典」では訓読みされ、さらに「いさむ・おさむ・さだ・すけ・ただ・のり」とヨミ、「抑える・禁ずる・裁く・掟」の意味である、としている。更には私の「漢和辞典(大修館漢和辞典)」には「称制」とは「天子の詔であると称する・天子に代わって、または偽って政治を行う」とある。 「フセイ」の同音異字には、
フセイ=不正・不整・府政・父性・父姓・府政・斧正 があるのだが・・・「腐生」ならば、「お笑い草」である、と思うのだ。
「フフフッ・・・不正って、正義じゃないのよね。何時の時代もフセイには困ったモノなのよね。苦労しているボセイも知らないで・・・」 メリも私のハナシを聞いて軽く笑ったのだが・・・苦労している「ボセイ」には私だって申し訳なく思うのだが。 「日本書紀・皇極二年(643)十一月丙子朔」には「山背大兄」が斑鳩で襲われたが、「奴三成」の活躍で生駒山に逃げ隠れた記事があり、その後の記事に「三輪文屋君、舎人田目連、及び其の女、菟田諸石、伊勢・阿部の堅経(かたふみ)、従(とも)につかまつる」とある。「アベの堅い経」である。「阿部」が「布施」より改姓したらしいが、「富制(布施?)」よりも「阿部の姓名」が「三年」前に記録されている理由は何か?・・・もちろん「推古天皇」の時代にも「阿部氏」は記録されていた。「あべ」とは、
「阿部・阿倍・安部・安倍・安陪」
と記録され、「阿閇」とも記録されている。これは「隋書・妥(イ+妥)國傳」に記録されている「阿毎」である。 『大江匡房(キョウボウ)』は「江談抄(巻三)」や唐の「任氏伝」を重ねて変案された「狐が化けた美人の嫁さん」のハナシの「狐媚記」を記録したのだ。タイトルが「コビキ」とはドウイウ意味なのか?そして彼は、「文章得業生、対策、式部少丞」、「後三条天皇」の「侍読」となったのだ。「侍読」とは漢和辞典には
「侍講と同意・天子や皇太子に講義をすること・また、その役」
とあり、『侍郎』とは
「天子の左右に仕えた高官で、秦王朝では『黄門侍郎』で天子への謁見等を司った・唐王朝では門下侍郎と云い宰相の職となった」
とある。後に彼は「正二位・権・中納言・兼・太宰・権帥」となった人物でもある。 注目すべきは『大江匡房(まさふさ・キョウボウ)』が「承久の変(1221)に於ける鎌倉幕府の参謀で「問注所執事・政所別当」であった『大江広元(コウゲン)』のご先祖(曾祖父)であったと云うことだ。「匡房(まさふさ)」が漢音で「キョウボウ(凶暴・狂暴・強暴・共謀)」の同音異字であることも踏まえれば、なおさら「鎌倉時代に記録されたモノ(?)」は怪しいのだ。 「大江(おおえ)」と同音異字で読まれる類似の漢字は「近江(おうみ)」であり、『中・大兄皇子』の「大兄(おほえ・おいね)」である。「青海(おうみ)」、「淡海(あわみ)」、「大海(おおうみ・おほうみ)」ならば「大海人皇子」でもある。そして「阿波見」、「安房見」で、「あわ(泡・粟・沫・粱)実」である。そして「沫(バツ・マチ・マツ)」の類字は「水(サンヅイ)+未=(バイ・メ・カイ・ケ・ほのぐらい・顔を洗う)」で、漢字の違いは「末(すえ)」と「未(いまだ)」である。 『黄門』と呼ばれた人物には『大江広元』と同時代の『藤原定家』と、東北の雄『伊達政宗』、そして「大日本史」を編纂させた『徳川光圀』が存在した。とにかく「大江一族」は平安時代の朝廷に於ける「記録文章」を扱った家系であった。「大江」の姓は元は「大枝」と記録し、『大江音人』の時代から改めたと人名辞典にはある。「音のジン」の示唆である。 ・・・更に「我子孫(ガシソン)」を置換した姓を有する「我孫子(あびこ)」は「安孫子」、「吾孫子」、「安彦」とも記録される。「ガシソム(臥史素務・臥史蘇務・画詞組務)」・・・でもあるかな? 「我孫子(あびこ)」、「阿部(阿倍・安部・安倍・安陪)氏」に類似する姓に「尼子(あまこ)」が存在する。「尼子経久」は出雲守護代「尼子清定」の長男で、その一族は「尼子清久」の時に「毛利元就」に滅ぼされたが、その本拠地は「出雲・隠岐」で、山陰山陽「十一ヶ国」を経略していた。播磨上月城を守りきれずに捕虜となって、「七生報国」を念じて備中「合の渡」で殺された「山中鹿之助(幸盛)」は「尼子一族」の支流であった。 江戸時代には幕臣の大名に「阿部」家が二つある。「江戸城・帝鑑の間詰」であった「備後福山藩」と、「雁の間詰」の「陸奥棚倉藩」である。「帝鑑の間」とは「帝王の歴史(鑑)の図書室(間)」であり、「棚倉藩」の「阿部」家は先祖を「大彦」としているらしいのだ。「阿倍」を姓に有する人物ならば、「資料室=帝鑑の間」に「阿倍一族」に関する書籍があるなら経歴、履歴をご先祖を遡って調べたくなるのは人情であり、過去の「阿倍」と関連つけたくなるのも人情であろう。そして「記録の改竄」や「経歴の詐称」もしたくなるに違いない。歴史的には「成り上がり者の家系図」と云うモノがある。もともと日本に於ける「支配階級」となった人々は「新しい知識を有した渡来人(亡命者・流れ者)」であったから常に「自分の出自を詐称」する傾向があったし、島国の土着の人々には受け入れられる基盤もあった。逆の意味で「事実として記録された家系図が渡来人」には存在し、「焚書」された可能性も大である。「日本紀私記序」の中には「延暦年間(782~805)」に下命によって「焚書」されたらしいことが小林恵子氏の著書「白村江の戦いと壬申の乱」に記されている。この「延暦」年代は「桓武天皇(山部皇子の時代であり、「安曇」と「高橋(膳部)のいざこざ(789)」、「学僧に漢音習熟(792)」、「平安京へ遷都(794)」、「続日本紀撰修(794)」、「諸国の地図の作成(796)」、「坂上田村麻呂の蝦夷平定(801)」、「最澄・空海入唐(804)」等の事件があった。 「大江匡房」が記録した「江談抄(巻三)」からの抜粋文の漢字を同音異字漢字に置換してみると、
「我是遣唐使也」・・・・・・我、是、検討、詞(史・死・氏)、也。 「我子孫『安部』氏侍」・・臥詞(史・字・死)噂、「阿武」、私事。 「比年」・・・・・・・・・・・・・秘念(干念・一撚) 「慾聞今不叶也」・・・・・与(代・夜・輿)区分、混部(武)郷也 「我大臣来侍」・・・・・・・画題尋等意字(記事) 「被登比楼」・・・・・・・・・比唐(藤・頭)披露(拾) 「不与食物」・・・・・・・・・付与初句文柘 「餓死也」・・・・・・・・・・・臥詞(史)也
である。 「大化改新(646)」で「蘇我入鹿(鞍作太郎・島大臣・林臣・豊浦大臣)」の暗殺を目前にして「私宮」に逃げ帰って「韓人鞍作臣を殺しつ」と云ったのは「古人大兄」であった。これはどのように読むべきか、 「韓(から)人が、鞍作の臣を殺」 「韓(から)人の 鞍作の臣が殺」 「唐(から)人が、鞍作の臣を殺」 「唐(から)人の、鞍作の臣を殺」 「空(から)人・・・・・・・・・・・・・」 「蚊等(から)人・・・・・・・・・・・」 「私=己=我=吾=拙=自=ム=ギリシャ文字(μου=ム・εγω=エゴー)」 『鞍作(アンサク)=革+安+人+乍(たちまち・ながら)』とは意味深長な名前である。「ジャ」の同音異字漢字とは「蛇・邪・者」である。「革(かわ)」の「安(やす)」の「作(つくる)」とは「川安(河安・かわやす)」で、「撰案」、「掛案」ではないのか・・・そして「カク」の同音異字には「郭」がある。この漢字を有する人物には唐の『郭務宗(心+宗)』が存在した。 「宗(心+宗=シンソウ=真相)」とは「心(リッシンベン)+ウを示(二+小)す」で、「立身、編(勉・弁)、氏(宇治)の証」ではないのか? 「古人皇子」が逃げ帰った「私宮=ム宮」は自分の館であろうが敢えて「私宮(ワタクシのミヤ)」と記録しているのは、 「わたくし(話託し) のミヤ」 「わたくし(倭他句史)の診也」 「わたくし(環蛇句支)の宮」 ・・・・ミテラ(μητερα)=母 「わたくし(和多句誌)のミヤ」 「わたくし(把詫愚姉)能見也」
「和」を「託し」、「綿櫛(ベンセツ・メンセツ)=梭杼(サジョ・機織りの管のついた横棒・ひ)」、「棉梳(わたくし)=梭杼(サジョ)」ならば、白絹の「綿積」、綿花の「棉積・棉串」は「長くて磯に打ち寄せる白い波の飛沫の色と形」に関連させた「海原」で、海原をサシて縫う横棒とはフネか、舟の櫂や、櫓ことである。あるいは「シキュウ(支給・子宮・至急・史求)のミヤ」とも読める。「私=ム」は「よこしま(邪・横・横島・横嶋)」とも訓じられている漢字である。「ム」は「私」の源字である。だがカタカナでは「ム(む)」である。彼「古人(ふるひと)皇子」は「古人太子・吉野太子・古人大市皇子」とも記録され、「いにしえ・ひと」、あるいは「コジン(故人・胡人・虎人)」とも読める。彼は「翼をつけた虎」と言われ、怖れられた「天武天皇」が「吉野」に出家し、その命の難を避けたと同じように「吉野」に引きこもった人物である。この「古人皇子」の吉野行きに従ったのが「白村江の海戦(663)」で壮烈に戦死した『朴市田来津(ボクシデンライシン)』であった。だが「日本書紀」に記録されている「古人皇子」は謀叛ありとして「中大兄(天智天皇)」に殺された(664)ことになっているのだ。だがどういうワケか詳細に事件を網羅しているようにみえる「中央公論社出版」の「日本史年表」には「古人皇子」の名前も事件も記載されていない・・・「ふる・ひと」と「え・いち・た・き・つ」はどんな関係であったのか。「朴念仁」の「朴(ボク・ハク)」は「木の皮・大きい・素直・打つ・白い花」で、「市(シ・ジ・いち)」には類字の「市(ひざかけ・まえかけ・まえだれ・フツ・フチ)」がある。「朴(木ト)の市(音+巾)」の「他記柘」だ。「朴市田来津」が謀叛者「古人皇子」の「忠臣(?)」であったならば、この時期(白村江戦)まで「中大兄皇子」に「生かされていた」のが不思議だ。「古人皇子」に対する裏切り者、背反者か、「中大兄皇子」の間者(スパイ)のどちらかであったのだ。「蘇我入鹿」が暗殺された時に「皇極天皇」に彼が云った言葉は、
「乞垂審察(キツスイシンサツ=記柘素異診察)」
であった。その時の「中大兄」が「皇極天皇」に云った言葉は「儘鞍作(ジンアンサク=尋案作)、滅天宗(メツテンソウ=女柘典組胡)、傾日位(ケイカイ=啓開)」であった。ついでに「多品治(タ・ヒン=ホン・ジ)と「湯沐令(トウ・モク・レイ)」とヨマせているルビは何か?・・・これらの漢字の「ルビ振り」どおりの「日本語意味」に解釈するよりは「漢字そのもの」の意味で考えるべきではないのか・・・
「多」+「品」+「治」、あるいは「湯」+「沐」+「令」
等と。「湯沐令」が「皇族が賜った領地」等とはとても漢字からの解釈は出来ないが、「湯浴み」が「温泉地」で「休養地」とか、「出産する時の静養地」を賜ったとかならばナントナクわかる。そして「多品治」が「多いシナ(支那)のオサメ(修)」とか「多いホン(本・翻・叛)のジ(字・辞・事)」とかならば「湯沐(ゆあみ・ユモク)」は「喩編み」か「喩黙・喩目」であろう。そして、「唐黙礼」か、「頭目励」だ。
「多(おほい=覆い・被い)=タ=他・汰」 + 「品(ほん=本)=ヒン=瀕・斌・賓・浜・嬪」 + 「治(じ=字・辞・侍・事・慈・次・時)」
「おほのほむじ=将(尾)・捕・之・補・武(務)・治(字)」であり、「ゆのうながし=喩・之・得名(促)・氏(詞・史)」である・・・ 「大化改新」に登場する人物は、
①中 ・大兄(葛城皇子) ②中 ・臣・連・鎌子(藤原鎌足) ③佐伯・連・子麻呂 ④蘇我・倉山田・臣・石川麻呂 ⑤葛木・稚・犬養・網田 ⑥海 ・犬養・連・勝麻呂 ⑦漢 ・直 ⑧巨勢・徳陀・臣 ⑨高向・國押 ⑩船史・恵尺 ⑪軽 ・皇子(孝徳天皇)
等であった。 この暗殺「前後」の記事には同じ「謡歌」が載せられ、その解釈が暗殺「後」に「或人」によってなされているモノとして記録されているが、その「謡歌(わざうた・ヨウカ)」とは
一・・・遥遥、琴聞、 島、 藪原・・・・藪(やぶ・ソウ・シュ) ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 瑶瑶 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 篁(たかむら・たけ・コウ) 要用 金武務 史真 哉武把拉 さわ・ぬま・みずうみ ↓ くま(隈)・すみ 世雨、 世鵜 もとめる(捜) ↓ ↓ 車輪のコシキ(轂=コク)や、 編 胡 ヤ(輻=フク)を 天 宇 はめ込む穴 阿女 有(在) こしき(甑=ショウ・ソウ) 海女 羽(はね) 海人 芋(いも=妹)
「轂(コク)」とは「車軸」であり「輻(フク)」とは「スポーク」である。ついでに云えば「軽」は「キン・ケイ」と音読みし、昔の戦車のことだ。しかも「カル皇子」とは「孝徳天皇」であり、「文武天皇」であった。「甑(ショウ・ソウ)」とは「せいろ(蒸籠)」のことで「蒸し器」である。「こしき(古式・虚四季)」なら「秋」である。「こシキ」を置換した「こキシ(吉支)・こんきし」とは古語辞典には「古い朝鮮語の王の意味で三韓の王」であり、「琴後集」には、
ことさえぐ南の島の「コキシ(王)」らを、ことむけ(帰服させ)まして
とあり、「王」の漢字に「岩波文庫」の「古事記」には「こきし」とルビが振ってある。「こんきし」ならば「金・吉士」で、「吉士」は「新羅の官名」で、古語辞典には「吉士」は「外交事務、文書を管理した職」で、「新羅の吉士舞いは『阿倍氏』が司った」ともある。 「琴後集」そのものタイトルが、
「琴(キン・こと)=王+王+今=二王がナラブ、今(いま=居間)」 「後(ゴ・あと・のち・しり)」 「集=隹(スイ・サイ・セ・ふるとり・ふふどり・きじばと) + 木(ボク・モク・き)」=(ルビの)振るを採りキ
である。「新羅征伐」を「願望」して果たせなかったのは「日本書紀」に登場する歴代の「古代天皇」だが、その遺恨は「唐王朝」も果たせなかったのである。唯一その「新羅征伐」を果たしたのが夫「仲哀天皇」を「暗殺(?)」した「神功皇后」である。歴史的時間を追えば、先ずは「隋王朝」が滅びその王族が「倭」に亡命して「陽侯」氏となった。「倭の水軍」とは「隋王朝の残党」+「阿毎(阿部)」のことだ。
① 「唐+新羅」が「百済」を滅ぼし、 ② 更には「倭の水軍」を「白村江」で壊滅させた。 ③ だがその後「唐」は「新羅」と対立し、「百済残党」を支援し、 滅亡百済の、その場所に「百済王子=隆」を「熊津都督」とした。
単純に考えれば「新羅」を一番にヤツケたかったのは「滅亡した百済」であった。そして、その実体は「唐+百済=渡来人の倭(日本)人」が「新羅」を征伐したかったのだ。
④ 「唐+百済=日本」とは「白村江」で敗北した「倭」を占領した「唐人」 であり、国家滅亡で「倭」に亡命した「百済人」 ⑤ 「新羅」によって押し出された「済州島」の「耽羅(トラ=虎)」
である。すなわち、「日本書紀」の「新羅征伐願望」の実体は「倭」に流れ込んだ「日本=唐+百済+耽羅+高句麗」である。「皇極・斉明天皇(財媛・宝媛=タカラヒメ=高羅秘女・甲良比女)」の「倭」は「親百済」ではなく、「親高句麗」であったハズだ。甲良とは「亀の甲羅」である。「玄武」とは「穐津媛=秋津秘」に「蛇」が絡んだ聖獣で、「北方」と「雪原」、「水」と「黒」の象徴である。大修館漢和辞典では「玄」を「とら・のり」とも訓読みさせているが「とら」と読ませている根拠は何か?。「玄元皇帝」とは唐王朝の「李」姓と同じ「老子」を始祖として贈った尊号であった。そして「玄理」とは「高向玄理」の名前でもあった。このルビは 「高の婿(武子・武胡)」、 「タカのイ=(多可、多寡、他家、他科、隆、孝、尚、『鷹=鷲=鵰=わし=和史』、崇、嵩、尭)の意=他界=多交」、 「タのカイ=太の解=多の改=侘の戎」 の 「太の解・太の下意=安萬侶の下位」 「正五位上勳五等=正誤委譲訓誤等」 「成語意定訓語読=整語彙常訓誤答」
「整える語彙、常に訓読するは答えを誤る」、カモ。「玄武旗」は行軍の後方に立てる旗であった。 「遥遥、琴聞、島、藪原」、これは「ヨウヨウ(要用・揚々・洋々・はるか、はるか)」、「キンブン(均分・金武分・金武務・こときく)」、あるいは「こと(琴=二王が並ぶ今・古都・言・異)、きく(規矩・起句・菊・企救)」、「トウ=等(唐・討・頭・籐・問・答)」、あるいは「しま(史真・縞・志摩・揣摩・死魔)」、「ソウゲン(総言・争現)・シュゲン(主言・取言・首言・主源・修験・種元)」、「やぶはら(養父把羅・家負波羅)」とも読める。「波羅」とは「鎌倉幕府の京都における密波羅探題」であった。「揣摩」とは「読心術」で「心理的作戦」である。 漢和辞典では、
「藪(やぶ)=艸{(草かんむり) =屮+屮(テツ・テチ・ソウ・め・めばえ・めむぐ) =(日下)}+數(数)」
「ソウ・シュ」と音読みし、『小野妹子』につながる『小野篁(たかむら)』の「篁(コウ)」も「やぶ」と訓読みさせている。しかも「藪」の他意は「コシキ」や「ヤ」を「はめ込む穴」である。これは古語では濁点の「ゞ」が省かれている「こしき」の「ごじぎ」であるならば、「後時宜・也」、「誤字欺(技)・也」、「語字規・也」、「互字技・也」で、サラには「護持祇也」、「五時・五字・五次・五児」の「義」の「也」であり、「こじき」ならば「古事記・也」の「阿名(あな・蛙名=アメイ・かえる名)」である。 「やぶ(藪)」の同音異字は「養父(ヨウフ)=鳥親」である。「ヨウフ」とは「用譜・用符・用布・妖婦」等々である。「沢(澤・タク)、沼(ショウ)、湖(コ)=(他句称呼・託証拠・多久証拠)」とは「渟(ぬま・テイ・チョウ)で「天武天皇」の「天渟中原瀛真人」の「渟」であった。「天渟中原瀛真人」ならば、その音を採れば、
「点綴(典訂・転綴)、忠言、洩振、訊」
であるか、
「添定、中元、詠進、壬」
だ。「中原」は「鹿、中原に戦う」の中国で、「重意の審訊」だ。「渟水」とは「止水・死水」とある。「渟泊」とは「碇泊」と同意語で船が港にとどまることである。「碇(錨)・泊」とは「いかり(怒・五十里・猪狩)・とどまる(留)」である。「真人」とは「仙人(センニン)」のことであった。「センニン」とは「選任・撰人・潜人」である。 「篁(たかむら)」の名前を有する歴史上の人物とは「小野篁」であった。彼の係累のご先祖「小野妹子」とは「遣隋使」で、「遣唐使」でもあった。「小野妹子」とは中国では「蘇因高」と記録されていた人物であった。
二・彼方、粟野、 雉( きじ・チ・ジ)、 不響、我、寝共、人響、動 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 秘法 属之 理 記事 知 事(字) 布教 臥 審句 尋経 導 悲報 族之 自殺 疑似 不興 吾 辛苦 陣境 道 飛報 続 擬死(欺史) 秘方 足 魏志(疑史) ↓ 仮名汰(かなた・仮名他)
三・小林、我、引入、為人、面、 不知、家、不知 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 証臨 臥 隠入 異人 女武 付置 掛 付字 ↓ こばやし 古葉椰子 木場(記把・ 紀葉)ヤシ(野師・香具師=詐欺師) ↓ ↓ 古事記 日本書紀
である。まさか「小林」は「小林・寺(ジ)・拳法(ケンポウ)」ではあるまいな。 メリは私のハナシを聞いて、 「寺(てら)が字(ジ)で、拳法(ケンポウ)が法律の憲法なの・・・」 と訊ねた。 「ああ、音できけば同じだが漢字は字(ジ)のアザと、憲法(ケンポウ)のノリだ」 「オジサン、小林はヲハヤシとも読めるわよね?」 「ヲハヤシなら、杜の鎮守のオマツリのお囃子だな」 「ドンドンヒャララ、ピィヒャララ・・・なのね」 「ああ、読み過ぎの、コバヤシかヲハヤシの杜撰、杜漏な記録だな」 「オジサンは漢字偏りすぎジャナイの」 「でもな、使用され、記録され文字は紛れもなくカンジだよ」 「変な感じになっちゃったわ。オジサンのハナシを聞いて。でもオジサンのカンジのハナシは謎解きの鍵よね。面白いわ。もっと調べてみなくちゃぁね」 「アリガトウ。それを聞いて嬉しいよ、メリちゃん。今日はこれまでとするか・・・」 メリとの楽しい時間は、その日の夕暮れ、7時の時計の音の知らせで幕切れとなった。 「今度来るときはもっと勉強してくるから期待していてね」 「ああ、期待している・・・メリが早く来ることを」 「でも、当分は勉強するからすぐにはダメよ」 「ああ・・・あんまり無理をしないようにな」 「うん。じゃぁネッ」
私はメリに唐の「高宗」と「則天武后」時代の「白村江の戦」に絡んだ中国、朝鮮、日本の人名を調べてみると面白いことがわかるかも知れないぞ、と言っておいたが、ある火曜日の夕方にメリは私の所に来てノートを広げて見せた。
「オジサン、この時代の人物を人名辞典と百科事典で一応調べてみたわ。それに小林恵子と言う女性歴史家が書いた『白村江の戦いと壬申の乱(現代思潮社)』を読んで関係する人物を書き出して見たの」
「ホォーッ、これは凄いな」
私はメリのノートを手にとってその文字に目を通していった。かなりの人物を調べ上げていた。私の記憶にない人名もその中にあった。
「結構時間がかかっちゃった。はやくオジサンの所に来たかったけれど」
「イヤァ~、スゴイ、コレはたいしたもんだ」
「昔の人の名前をどう読めばイイのか漢和辞典で確かめなくちゃいけなかったけれど、一つの漢字で、訓では色々に読むし、日本人の名前って一つの漢字でいくつも違った読み方をするのよね。でも一応調べてみた。関係した人物の事件も年代順がバラバラで整理もされてないけれど」
「メリちゃん歴史家になるつもりか?」
「私はお医者さんか、ダメだったら、さっさとお嫁さんになる」
「専業主婦か。医者も嫁も両立が出来るだろう」
「二つも一緒になんて、時間がないわよ」
「まぁ、まだ先のハナシだな。とにかくこれだけの人物をよく調べてきたな」
「お隣の中国、特に古代日本史は初唐時代の文献を調べて判らなければ、日本の歴史は判らないみたい。『李』氏の唐王朝って、元々の血筋が北方『胡』族で、その種族には突厥トッケツの『阿史那アシナ』族の『思摩シマ』とか、『朝卑チョウヒ』出身の『長孫チョウソン』氏が居ることが判ったわ。それに、なんか果物のなのよね。『ス桃』って李で、銀杏はイチョウの実、杏子って梅の実の一種。『胡桃くるみ・コトウ』は胡の桃。突厥の厥は蕨わらびの類字で、闕の欠落の類字。阿史那って『足名』とか『葦名』って名字があるし、思摩って、『蘇我の島大臣』。朝卑って、『朝の卑弥呼』で、朝の日の巫女。長孫って、『長の孫』で、『武の孫』。なんかオジサンの考え方を真似して考えたら日本語に重なっているみたいでオカシイのよね」
「メリは勉強家なんだ。その蕨に似た『厥』はケツ・カチと音読みするんだが、訓読みでは、掘る、暴く、さげる、垂れるとヨミ、『突厥』はトルコ人、蒙古人の一種族なんだ」
「暴くって、すると『突厥』は、突いて暴露することよね?」
「ああ、突は穴の大きさだから、それをアバクことさ。大は一+人で、アのナはハジのメのヒトにもなるな」
「アナのオホキサをあばく、アナのハジメのヒトがアバクって?・・・書けばこんな漢字になるのかな」
蛙(ア・かえる)の名のハジの女の人、阿婆の苦・・・
娃 の名の恥 のオンナ
亜 のナの把持の音名
阿 のナの橋 の女
(女+亜・亞) 梯 の女
唖 のナの土師の女の人が暴く・・・ハチのオンナのヒト
「・・・土師なら古墳の周りに置いた埴輪の土器よね。土師部の娘の人がアバク・・・何、この意味は?」
「『崇神天皇』に出てくる美奴の村、陶の村の『意富多多泥古(大多多根子)』は、『陶津耳命』の女の『活玉依毘賣』の子供だ。そして殉死をやめ、人間の代わりに人型の埴輪を造らせた『垂仁天皇』に出てくる『土師部』の女だな」
「それが?」
「あのなぁ~、それはだよ、って、意味さ」
「訊ねられて、答えるとき、教えるとき、サトスときの前置きのアノナ~なんだ。疫病の原因は何だ、って天皇がタズネタのよね。そしてコタエはアノナのオホタタネコだったんだ」
「さすがに頭の回転はロータリーエンジンだナ。『陶津耳命』は音を採ればトウシンジメイだな」
「答申、自明の音の名で、唐の心、自明の恩命なんだ・・・字名、音名なんだ!!・・・でも迷うもメイだし、怨むもオンメイだよネッ」
「迷ってよし、だな。それに『旧約聖書』には『土師』に漢字が似ている『士師シジ記』がある。女性が主人公となっているのは『ラピドテ』の妻『デボラ』で、『カナン王・ヤビン』の将軍『シセラ』を撃破した人物だな」
「聖書なのぉッ・・・難しいな、もっと勉強しなくちゃぁ、ダメダねッ」
「そして、『蕨の絵』は『船・人・矢立の靫、胡・太陽・鳥・蛙』等と一緒に描かれている九州の古墳、『珍敷塚古墳』や『鳥船塚古墳』、『原古墳』に見られる壁画で、海の波を象徴しているらしいんだ」
「フ~ン。ワラビが海の波。漢字なら倭の羅の備かしら」
「なるほどな。そして問題の漢字の『闕』は元々は宮城の門のことなんだ」
「お城の門なの。何故、欠落の意味になったのかしら?・・・お城の門が欠落したら落城だわよね・・・人が出入りする場所だからなの」
「そうだな、出入りじゃなくて、落城寸前に逃げ出す門じゃないのかな。日本語的に考えれば『闕』は漏らす、漏水で水門だな。漏洩、戦争ならば壕の水を堰き止めている水門が開けられても落城だ。そして城内の情報を外に漏らすスパイの秘密の通り道の抜け穴だな。陥落寸前に王様達が逃げ出す秘密の門だな。中国の城や宮殿、市街、住宅は必ず城壁で囲まれた中に存在した。古代日本の発掘された居住地である村落も周りが水を張った周濠、柵濠の堀に囲まれていた。古墳なんかも水の張った濠に囲まれているだろう」
「前方後円墳の仁徳天皇陵や、応神天皇陵などの周濠よね」
「墳墓への侵入を防ぐだけのモノじゃなく、灌漑用水を兼ねたモノだったかもナ」
「フ~ン」
「奈良の『飛鳥京』も都全体が外部の川から水を引き込み、大きな溜め池を都の内部に造り、都の外を水の壕で囲み、しかも区切られた都内部に網の目のように水を流し、噴水まで造り、排水されるようになっていたんだ」
「今でも水の利水は都市設計には重要だよね」
「ああ、世界の廃墟になった古代都市はすべてが上水道、下水道を基礎に設計されていたんだ。古代ギリシャのプラトンなんかも『アトランチスの都』は巨大な水濠に囲まれていたと記録しているからな。古代ギリシャ、ローマの諸都市はモチロン、古代インドや、カンボジアのアンコールワットの遺跡もまったく同じ設計だな。水の神様はインドでは『ナーガ』と呼ばれ、崇拝されていたし」
「ナーガって、長い蛇のことよね・・・英語の『nagger』は、がみがみ女で、口うるさい女性だわ」
「ナガーか、そうだな。英語もよく勉強しているんだな」
「チガウのよ、英語の先生が中年のオバンなのよね。授業に関係ないことにも私たちに小うるさいのよ。彼女のアダナなの」
「アダ名か。小うるさい、って、いま流行りのルーズソックスとか、髪の毛を黄色いチャパツに染めること、にか?」
「・・・ホントだわ、ナガい靴下と、ナガいカミの毛・・・フフフッツ・・・ワタシは違うわよ、品行方正な生徒だモノ。でもイロイロとウルサイのよ」
「スペルは若干違うけれど『nuggar』 はエジプトのナイル川で用いられている『舟』のことだ」
「ナガがフネなの?」
「ああ、そうだな」
「ナガ、ナガー、ナーガ・・・ミズやカワ、ウミに浮かぶ舟、蛇・・・発音が似ていて、どこかで関連しているのかしら?」
「らしいな。そしてだ、戦国末期から江戸時代初期の城は殆どが水を張った城堀に囲まれていた。スナワチ、宮城、宮殿は皇帝、天皇、王様、殿様の代名詞だよな。そして宮城の門は防戦、出撃、侵入の要だ。だが、モレル門とは」
「『闕』は、負けた時の逃げる門なんだ」
「『闕』の熟語に『闕画』や『闕字』、『闕漏』があるんだ。これには単なる文字や文章の欠落、脱落、不明の意味ではないんだ。皇帝や天子、天皇、高貴な人物の名前と同じ漢字を使用する時に尊敬、敬意、憚ってわざと漢字の線や点を書かなかったり、その人物の名前自体を空白にして記さないことなんだ」
「どういうコトなの?例えば」
「そうだな、もし、メリの名前が漢字で『明の里』だとすると、『里』の字を『甲』や『由』として書くとか、里の文字を構成している一線を省いて書くとか、文章の中では『明里』の漢字そのものを記録せずに意図的に二文字『□□』と空白にしてしまうんだ」
「ふ~ん、そうか、オジサンが以前にお話ししてくれた知られたくない名前のイミナの『諱(キ・イ)』と、天国に行けるようにって死後のオクリナの『諡(シ・ジ)』の意味があるんだ。しかも高貴な人は漢字で名前も記録しない。高貴な人の名前と同じ字も使うときにはその漢字を変えて記録するんだ」
「さすがに、相変わらず頭の回転が早いな、メリは」
「・・・だから『日本書紀』の『阿部臣(名闕=名をもらせり)』ってあるのは意図的に名前を欠落させた、と言うことなのね」
「ご明察のとおりですな、名前不明の○○チャン」
「おもしろォ~いワッ、オジサン」
メリもかなりの歴史、漢字のオタッキーになりつつあるようだった。
「私が調べてきた名前はどうなの?」
「どれどれ、ドレミ、ファ、ソラのシド・・・」
「・・・ドは、どなたのド~、レは例題のレィ~、ミは未刊のミィ~、ファは・・・付吾のファ・・・葉っぱのハぁ~よね・・・符蛙の符丁をカエルかしら。ソラ~はラピタが浮かぶ天空・・・白い雲だわ・・・太陽と月と星、星は日月星辰の辰の時かしら」
「上手いな、まさに辰は時間の進行で、トキだな」
「空がトキなんだ。朱鷺ときの隠匿の匿の都督の退くの説を解くなのね」
「朱鷺は朱雀、朱鳥だよな。アカいスズメはジャクで、蛙蚊と垢の字訳、持薬だな」
「朱鳥一年(686)は天武天皇が九月に死没した年で、持統天皇が『大津皇子』を十月に殺した年だわ・・・言い張るの主張、メインポイントの主調、親潮の主潮、出来物の腫脹、一族の首長の危篤を解くなんだ」
「まさに、赤の鳥は、垢の取りだよな。翌年の『689年』には草壁皇子が死亡している。多分、草壁皇子も殺されたハズだ」
「暗殺されたの・・・何故?」
「689の数字の示唆、そして天武天皇の子供だからだ」
「6+8+9=23・・・6+8=14、1+4=5、5+9=14、十四、壱拾四・・・重なるシ・・・でも、持統天皇の実子でもあったのでしょう?それに草壁皇子を殺しても天武天皇の子供はまだいたんじゃないの?・・・高市皇子とか、舎人皇子とかが」
「ああ、だが、高市皇子はメリが読んだ小林恵子さんの本に何て書かれていたかな?」
「・・・『高市皇子』って・・・そうか、思い出したわ、『扶桑略記』には天武天皇の子供じゃなくて、『天智天皇』の子供だって、記録されていた、とか・・・」
「高市皇子は生き残って『太政大臣』になっているが、天皇じゃない」
「じゃあ、孫の文武天皇の存在は?」
「草壁皇子の子供であっても、なくてもイイだろうな」
「・・・血統は関係ないのかしら?」
「持統天皇の父親は?」
「天智天皇でしょうッ」
「もし、『扶桑略記』が正確なら高市皇子も、大友皇子も、持統天皇も『天智天皇』の子供と言うことだな」
「複雑でわかんなくなってきちゃった」
「よし、次に行こうか・・・ドレミファソラシドのシドへ」
「シドは志度で、ココロザシのタビだわ」
「少年よ、大志を抱け、か」
「ちがいます。オトメよユメをお持ちなさい、だわ」
「私度僧・・・の小坊主かもな。いやいや、おお、あこがれの美少女・・・小さき白き百合の花の『乙の女』で、『乙の女』だ」
「ユリなの・・・チョット、アレは臭いがきつすぎない。花は向日葵の花よ」
「メリにピッタンコだな、ヒマワリは。でもメリの誕生月は冬の十二月だろう。冬の花は六角形に結晶するユキの花だな・・・ユリはフランスの国家を象徴するのかな、ユリの臭いは鼻につき、頭が痛くなるな」
「香水の国だモノね」
「なるほど・・・」
「そして、シドは死土で、『白村江』での四度の海戦だわ」
「なるほど、うまい。まさに、四度の海戦で倭軍の海軍は撃沈されたな。スゴイよ、メリは。よく調べている」
「うれしいな、そう言われると。で、私が調べた『白村江の戦い(663)』と『壬申の乱(672)』に関係して登場する人物は・・・先ずは唐の皇帝の『高宗』よ、これを見て、オジサン」
「高宗・・・か」
高宗・・・・(唐皇帝)・「李治」・幼名は「雉奴」
「太宗(李世民)」の第九番目の子供。
「晋王」
「長孫皇后」の「第三子」
「天皇」の号は彼が初めて使用
「簡潔で要領がイイな。さぁ、この名前から何を連想し、何を推理するかな、メリは?」
「彼は、まず唐の第三代目の皇帝だから三の字に注目したいわ。スナワチ、サンの音、ミッツの音の示唆と暗示よね」
「そのココロは?」
「ココロって、心の中は、ホントウの意味はどう考えているかってことなの?」
「ああ、そしてココロの漢字は箇々に賂う、九に賄う、茲でココロだ」
「わかりました。三巻に編纂されたサンの本と、その秘密のミツ(密)の本だから」
「それは『古事記・三巻』と『日本書紀・三十巻』のことだ。それに高句麗、新羅、百済の三韓の歴史書だな」
「そう。それに『李治』の名前と、幼名の『雉奴』の漢字そのものの意味と、音読み、訓読みの同音異字」
「そのココロは?」
「スモモを納める、理の事、理の字。用命、用名の記事の度と努のヤツコだから」
「なるほど、理屈がコトワリときたか。断絶、切断の断るでもあるな。李の漢字は『木+子』の合字で、記の音だな。キジは生地、木地で、桃太郎にオトもするサルと犬と雉だった。犬猿の仲のキジだ。鬼退治さ」
「倦厭ケンエンの中・・・そうか、桃太郎の雉で、鬼退治なんだ」
「ケンエンの音を採るならば、『軒轅』とは古代中国の『黄帝』のことなんだ。この皇帝は、医者の『岐伯』との医学問答を『黄帝素問・二十四巻』としても記録させたんだ。しかも『黄帝』の姓は、お姫様の『姫』なんだ。そしてヤマトタケルが『月建』なら『美夜受媛』の月経に懸かるよな。月起ちは月の一日だ」
「ヒメの・・・メンスのことぉ~ッ」
「懸けるもケンで、剣も、繭も、嫌いも、兼ねるもケンで、鳥の雉(キジ)は記事で、ケーン、ケーンって懸かって鳴くのさ」
「そうか、キジは生地で木地の『記事』なのね」
「『建築』の建なら、木でタテるモノだ」
「キ・・・鬼もキよね」
「じゃあ、鬼とは誰だ?」
「鬼とは鬼道の『卑弥呼』だけれど、時代が『白村江』ならば『鬼室福信』だわ・・・鬼子母神・・・姉の子供、大津皇子を殺した『持統天皇』なの?」
「・・・だな。ここの大須観音の節分の豆まきでは『鬼は外』とは云わないんだ」
「じゃあ、『鬼も内』なのね。桃太郎は誰のお噺なの?・・・日本人のじゃないのね」
「物語作者の立場はな。桃は『木+兆』で、『トウ』と読むだろう」
「唐王朝のトウと読むんだ。唐土は『モロコシ』で、『トウモロコシ』は、キビ団子なんだ」
「ならば、退治される鬼ヶ島とは日本だな」
「・・・桃太郎って、唐人なの・・・桃の太の郎・・・李はスモモよね」
「『郎』の官職名は唐代では大臣の『次官』なんだ」
「・・・唐の『太宗の郎』、あるいは『太皇后の郎』・・・郎子は男子、郎女なら女子・・・『太宗の妾郎』ならば『則天武皇后』、あるいは彼女自身の配下の『郎将』だわ。『郎将』の肩書きを有するのは・・・日本に来た『劉仁願リュウジンガン』なんだわ。彼は「668年」に『姚州(雲南)』省に流刑になった記録がある・・・『桃』と『姚』は似ているわ。妖しいわね、オジサン」
「姚を漢和辞典で調べれば、美しい、器量がよい、みめ良い、遥か、あがる、強くてはやい。熟語には『婀娜・姚冶』の容姿が美しくて艶めかしい等の意味があるんだ。そして『姚江』は江省・余姚県の南を流れる川の名前だ。蛇足だが付け加えれば、清の古文作家で、『古文辞類纂』を著作した『姚鼎』がいた。字は『姫伝』で、号は『措抱』、『安徽省・桐城』の出身なんだ。生存していたのは1732~1815年までだがな」
「・・・その生存期間、清王朝だなんて、時代が跳び過ぎよ・・・オジサン、何かふざけていない」
「まァナ。参考程度に頭の中に入れといてくれ」
「とにかく、日本に来た『郎将』は、『劉仁願』だわ」
「だな。彼の流刑が『668』年だったな」
「うん」
「『天武天皇』は朱鳥元年、『686』に死没しているだろう。その差は十八年だな」
「!?・・・十八・・・西暦の数字が類似しているわッ・・・拾のハのチって、拾う鉢かしら、坊さんの托鉢の?」
「だな。朱鳥は『朱雀スジャク・スザク』ともいわれる南の門で、赤門だな。つい最近『キトラ古墳』で発見された南壁に描かれていた朱雀だ。飛鳥時代の『高松塚古墳』や『キトラ古墳』は円錐形の墳墓だな」
「鉢の形を伏せたモノよね!」
「古墳石室の南面は、タイガイ、入り口になっていて、そこが塞がれているんだ。盗掘人の常套はこの南の入り口を掘り崩し、そこから侵入、内部の宝物を盗み出す。だから朱雀の壁画は壊されてしまう場合がほとんどなんだ」
「フ~ン、朱雀の壁画がまさに欠落するんだ」
「だが、『キトラ古墳の朱雀の壁画』は奇跡的に残っていたんだ」
「スゴイわねぇ~・・・朱雀門、赤門って、東京大学の赤門かしら?」
「東大の赤門は元々江戸時代は昌平坂学問所、蛮書調所のあった所だ。オジサンは学生時代、赤門前の喫茶店『にんじん』と言うところの二階に下宿していたんだ。今は無いだろうがな。二畳間だった。残念ながら東大生ではなかったがな」
「フ~ン・・・にんじんって、ウサギとウマの大好物よね」
「ああ、宇佐の戯、胡の真、雨の間だ。そして東大であると同時に、時代は東大寺じゃないかな」
「大仏殿の東大寺は聖武天皇と『孝謙称徳女帝』の時代よね」
「ああ、そうだ。アマのアイダさ」
「そして『晋王』は深奥の山で、震源地点の震央は中央の震え」
「そのココロは?」
「日を並べて振るだから・・・これって、比べ並べてルビを振るよね。フルえるチュウオウは『中王』で、中大兄王子かしら。中は名賀で、長・・・オサよね。長田は訳語田だわ」
「メリは冴えているな。そして、天武天皇の後継者は草壁皇子で、日並皇子とも言われ、柿の本のヒトマロに歌われた人物だ」
「カキノモト・・・書きの本で、人麻呂は記録係なんだ」
「そのトウ・リだな」
「それって唐の理ってことなの?」
「ダジャレさ。モモとスモモは桃李だろう」
「フ~ン・・・唐の官吏の吏カモねっ。とにかく、『高宗』は『長孫皇后』の生んだ第三皇子よ」
「そのココロは?」
「オサ(長)の孫で、天孫族の長官」
「オサダは、訳語の田と書いてオサダと読む名字なら?」
「翻訳の長官で、記録係、書記の長官なのね。訳はワケで理由なのね。じゃあ、和気の清麻呂って、ふざけている名前なんだ」
「ああ、しかも長孫無忌は長孫皇后の兄だ」
「じゃあ、高宗は長孫無忌の甥なのね」
「そうさ叔父と甥の関係だ」
「オサダって、長い田でもオサダ」
「長くて多いもオサタで、長い蛇もオサダだな」
「ヘビなの・・・じゃあ大蛇はヤマタのオロチだわ」
「漢字では八の俣の大きい蛇だな。水俣病の俣は日本人が造った漢字なんだ。そして、亦の名のマタだな」
「別名なのね、亦の名って」
「気長足姫、息長帯日賣命って誰だ?」
「神功皇后の亦の名だわ」
「息子は?」
「応神天皇のホムダワケ、ホンダワケ(品陀和気)のミコト(命)」
「音を採れば、本の多くの訳の命だな。すなわ、ヤクのメイだな」
「・・・翻訳の名前なのぉ~。品陀和気命・・・品がホンなのね」
「そして、品はシナで、ヒンだな。区別、差別、等級の意味もある。とにかく、口が三、あるいは国が三の合字だ」
「三つの国は三国志の『魏・呉・蜀』だわね・・・シナ(支那)の本の翻訳は、中国の本のヤクなんだ・・・それに三韓の歴史書で、『三国史記』」
則天武后・・(高宗皇后)・「武照」
元は「太宗」の後宮の妾女「才人」の位
永徽六年(655)十月、高宗皇后となる
天授元年(690)、干支暦の「庚寅」の年に
「則天武皇后」として国号を「周」とし、女帝に
就く
父親は山西省出身の人物。
名前は「武士獲(尋+艸+隻)」で、
植林、木材商人であった。
役職は四川省「利州刺史」、「荊州都督」を歴任
母親は「楊氏」でこの婦人の次女
「大后」の号は彼女が初めて使用
「問題の人物『則天武后』だな」
「『則天武皇后』は天の則は武の交合で、検校の校合」
「そのココロは?」
「天子の規則。武の交わり、検校の官職名を有する人物は『劉仁軌』だったから。彼は『検校帯方州刺史』で、『検校熊津刺史』だったモノ。『則天武皇后』は『劉仁軌』を一番信用していたみたい。『検校』の意味は本来『検討』とか『検考』で取り調べることだわ。日本の盲人の長官や寺社の監督官の官職名の『検校』とは違うから」
「なるほど、そのとおりだ。感心するな。『検』は書状の『封印』、『検査』、『草稿』、『下書き』で、木の曲がりをため直す道具の『ためぎ』のことだ。このことから『古事記』、『日本書紀』は当然、誰かが『検校』していたことになるな」
「『則天武皇后』と『検校熊津刺史の劉仁軌』だわよね。でも日本ではその読書能力がまったく皆無の盲人の長官を『検校』にしたところがミソだわね」
「だな。視力のある学者にもさ、差別用語としてではなく歴史的な概念としてアキメクラを使用したいもんだな。そして、天体の運行、規則、分の考、文の行でもあるな」
「天文暦・・・天子の重要な役割は暦を明らかにし、人民に布告するコトよね」
「そのとおり、太陽と月の運行をツゲることだ。そして暦は歴史のことだ。次は?」
「彼女の名前が『武照』の示唆と暗示」
「そのココロは?」
「武を照らす、だから」
「舞踏を照らしたのは?」
「・・・岩屋からのぞき見た天照大御神・・・なのネ」
「踊っていたのは?」
「猿女の君よね」
「そして、ブのすべての同音異字を照らすだな。メリが知っているブの音の漢字はどれくらいアルかな?」
「部分、葡萄の葡、奉行の奉・・・そのくらいカナ」
「慰撫、愛撫の撫、無難の無、舞台、舞踊の舞、赤蕪の蕪、侮辱の侮」
「何故の留、名瀬の流。有無のナシ。マウは、目が有、摩が有、魔が有。カブは下の部、歌と舞。アナドルは岩屋の穴を採る・・・阿部の名、努力、留で・・・蛙の名は、青カエル、蝦蟇カエル、殿様カエル、雨蛙・・・アマカエル、海女を変える、努めて留める・・・名を施して留めるなのね」
「阿毎のアベは?」
「『隋書妥(イ+妥)國伝』の記事なんだ!」
「アッチコッチ、色んな所、随所にあるって云う意味は?」
「!・・・そうか、スゴイ、判ったわ、オジサン・・・随所って、『隋書』の『至る所にアル』、なのよね」
「頭の回転が早い」
「フ~ン・・・疲れるね、オツムが熱いわ」
「次は?」
「『則天武后』は、元、『高宗』のお父さん『太宗』の後宮の『愛妾』で、その後宮に於けるクライが『才人』だったのよね。メカケと、サイジンの漢字と音の示唆」
「そのココロは?」
「漢字の妾は、立つ女。メカケは目を掛ける編み物で、女が書ける作文、書物。才人は才能のある人で、お祭りの斎宮、斎人は巫女さん?・・・オジサン、大発見よ、斎宮の斎は『文+リ+示』の合わさった漢字だわ」
「建つ序文の序なら『古事記・序文』で、女文だな。『編み物』とは編纂された記録で、『日本書紀』だ。サイジンは差異を訊ねよ、だな」
「タツは龍よね」
「ああ、東を守る龍神は青龍と呼ばれている。持統天皇は頻繁に『竜田姫』の神社に詣でていることが『日本書紀』に記録されている。その場所は都の西の方角にあたるんだ」
「中国の東は日本よね」
「洛陽からみれば、奈良の都は東だな。両方とも全く同緯度の北緯34度30分あたりに存在しているんだ」
「地球の同じ緯度の北緯34度30分なのぉ~。どおして?」
「占いの方位では真東は卯だが、聖獣は青龍だ。十二支では、辰巳は南東なんだ。しかも選択や勅撰のセンに類字する漢字が巽なんだ」
「撰ぶ、選べ、なんだ」
「エラは、魚の鰓でもあるな。魚は音でギョだが、訓ではマナとも読む。真名仮名は漢字そのもののことだ」
「魚の息をする呼吸器、鰓って、魚と思うの合わさった漢字よね」
「すると、『真名=漢字』の音声を思考する示唆がエラだな。『魏略』って本を書いたらしい『漁拳・魚豢』って奴もいたらしいが」
「魏略(ギリャク)、漁挙(ギョケン)、魚豢(ギョカン)・・・魚干って鰹節で、雄略天皇が日下姫を尋ねた時の事件かしら?」
「だよな。メリはよく知っているな、古事記の物語を」
「それに・・・魚鰓(えら)って、マナ(真名)よみで思え・・・漢字の音読み、そして訓読みなんだ・・・龍にもエラがあるのかしら?」
「長いヒゲは確かにあるよな。鰓(えら)、湖とか海に棲んで居るんだからあるだろうな。だが、鼻もあるからな。両方あるんだろうな。それに西洋の龍のように羽根はないが、空中を渦巻いて巻き上がっていくんだから推進器官を持っていたはずだな」
「フ~ン、西洋の龍には羽根があるんだ・・・東方の青龍って、トラゴンの訛りなのかしら?」
「そのメリの説に大賛成だな。青龍はトラのゴンで艮の寅支さ」
「?・・・でも、英語だよ、ドラゴンは」
「その時代に『英国公』っていなかったか?」
「!?いたわ・・・『李勣』と言う人物。『遼東道行軍大総官、兼、安撫大使』で、『英国公』だわ。666年に高句麗に遠征し、667年に平壌を攻撃した将軍・・・でもイギリスと関係ないんじゃないの」
「そうだな、当時の英吉利は国家でもなかったかもナッ」
「エイキツリ、って?」
「英の記の通吏さ。英語の通訳の役人のコトさ。イギリスの漢字あてで、英語の英、大吉の吉、利益の利って書くんだがな」
「モウ、ワタシが知らないと思ってカラカッテいるんでしょう、オジサンは」
「イヤ・・・唐の勝手は・・・とにかく、青龍のリュウは中国漢王室の姓で、同音の『劉』だな。これを漢字分解すれば少しは判るさ」
「『劉』は『卯+金+刀=暮雨、金武等』だわよね。そして、暴く筋の読み・・・リュウはリユウで、理由かしら・・・『劉仁軌』は唐海軍の提督・・・」
「メリはタイした冴えてるよ・・・そして、『則天武后』は皇后、『本妻』になる前はいわゆる『愛妾』だな。アイショウの同音異字は、名前に関しては『愛称』がある。愛称であったかどうかは判らないが、彼女は『阿武』と前の高宗の妃に蔑称され、罵られたんだ。しかも彼女は来世でネコになり、ネズミになった『則天武后』を食ってやる、って、サッ」
「アブって、罵倒されたのね。そして名前の別称なんだ。でも何故、ネズミなの?」
「漢字でネズミは『鼠(ソ)』と音読みし、ネコは『猫(ビョウ)』と音読みするからさ」
「ソビョウ・・・素を描くの素描、粗く描くの粗描、ご先祖の祖廟」
「蘇我氏の蘇はヨミガエルで、『日本書紀』の『古人皇子』の言葉では蘇我氏はネズミに例えられていた。植物の蘇鉄の鉄は『金失』の『蘇』だ。酢酸、酢の物の酢、盃を交わす、返すの醋、味噌の噌、乳酪の酥、咀嚼の咀、俎上の肉や、魚の鯛だ。俎はマナ板で、マナイタの上の獲物で、袋の中の鼠と同じだ。ニュアンスはチョット違うが、飛んで火にいるムシと云うこともある。姉の姐、祖先の素、蛆虫の氏の武の史」
「ウジの白子・・・ローヤルゼリーの酥を食べて蜜蜂の子、蛆を生み出す蜜蜂の女王蜂。その偽物の虻に比べられて蔑称されたんだ」
「まさにだな。次は?」
「永徽六年(655)十月、『高宗』の皇后となったこと。この年号と数字の六」
「そのココロは?」
「ナガい徽章のムツのネンのジュウの月だから」
「長いはオサで、訳だったな。キショウは記章で、ムツは武の都か、武の柘だ。ネンは、撚糸の撚るイトだな。年始は正月の睦月元旦、年歯は年号と数字で、歳年の数だ。そして、十はタリ(足)、トォだな」
「重なる足は、帯で、みやこの都の大将の将なんだ。すると、あてはまる人物は、『検校帯方州刺史』で、養蚕の絹業、商売や地位の兼業、帯を垂らす方の刺すトゲの史の『劉仁軌』よね・・・じゃぁ『劉仁軌』と『劉仁願』の確執は考えすぎじゃぁないかしら。それに『劉徳高』、『郭務宗(心+宗)』が『日本書紀』にだけ登場し、『唐書』や、他の文献にないのはオカシイわよね」
「『朝散大夫』って云う官職、コレ、逃散大夫で、竜宮城のタイの鯛の、宴会の餐の、退部だな。山幸彦のハナシで、参考の元さ」
「?サンコウのモト・・・山の幸の彦なんだ」
「光の三光源の赤、青、緑が重なると白だな」
「散光源・・・纂の光源、孝元・・・紫式部の光る源氏なの?・・・新羅・・・ジャァ、朝廷じゃなく、朝鮮を散じる大夫かしら」
「鋭い、イイセンいっているよ。唐王朝、周王朝の血族、親類、朝家=王家を分散させる大夫じゃないのかな」
「分散?・・・文纂、蚊纂・・・難しいなッ、オジサンの云うことは」
「次は?」
「天授元年(690)、干支暦の『庚寅の年』に『則天武皇帝』として王権を握って国号を『周』とし、女帝に就いたこと」
「そのココロは?」
「天授元年は、海人、海女、尼に授ける元の年で、干支が『庚の寅』だから。そして『周』はチョウとも音読みするから」
「そのココロは?」
「金の兄の虎は・・・金はキムで、記紀の武の重の寅、天武天皇で、翼のある虎の大海人皇子。『周』は『鯛』で、音読みでチョウだから・・・キン=金武、ケイ、コウは懸る遺功、傾向・・・筋は景行の天皇かしら。子供は有名なヤマトタケル・・・ブが武(たける)、モウが猛(たける)、チョウが長(たける)、ケンが健(たける)、ケンならば建(たてる)、兼(かねる)、懸(かかる)、そして腱(すね・脛・臑)で、虔劉(ケンリュウ)は殺害を意味する、だわ。オジサン、虔(ケン・ゲン)は虍(とら)の文で、劉は劉仁軌、劉仁願、劉高徳のコロス(劉)だわ。それに漢王朝の姓」
「なるほど。カの兄の虎とは、ダレ?」
「蚊の兄の虎・・・蚊(カ)は虻(アブ)で、阿武は『則天武后』。蚊=虫(中ム)+文、虻=虫(中ム)+亡だわね。その兄って、彼女にお兄さんは存在したのかしら?」
「実の兄も、義理の兄もいただろうさ。『武氏一族』だもの。『則天武后』の姉に『韓国夫人』に封ぜられている女性がいる。旦那の『賀蘭』氏は早死にしたらしいが」
「御主人が『賀蘭』・・・韓国夫人って、場所は何処?」
「戦国時代には現在の河南省、山西省にまたがっていた国だが」
「朝鮮半島の南部じゃないのね」
「だと思うんだがな。でもひっかけられているさ、ソコが。そして『則天武后』の妹には『郭素慎』と云う旦那がいたんだ」
「それって『郭務宗(心+宗)』と同じ姓の『郭』なの?!」
「全く同じさ。メリがヒラメイタことはオジサンにもピーンときた。『郭』の姓名が怪しいって。『則天武后』は武氏の姓を高めるために王朝の家系図を改変した人物でもあるんだ。似てるよな『八色の姓』も」
「フ~ン」
「そして鯛は妥國のタイだし。対の国は『対馬』、『津島』だな。鯛がチョウなら長い国で、『長津』だ。長津が他意なら『大津』だな。草壁皇子は九州の大津で生まれたらしいんだが、持統天皇に殺された弟の名前が『大津皇子』だ」
「草壁皇子と大津皇子は異母兄弟なんかじゃなくて、同一人物なんじゃぁないかしら」
「メリはホントに鋭いな」
「そして、オジサンが教えてくれたとおり、妥(タイ=人+妥)で、妥女は『ウヌ女』でしょう。海に潜る海女の国だわよね」
「まさに『宇奴女』だな。『猿女』は別名が『宇受女』とも記録されている。宇宙の宇は天だな、授はサズケルだが、受け身の受はウケルの意味合いが強い。『猿田彦』は日本土着の神様らしく、海に沈没して溺死した人物だ。別名が『底度久』、『都夫多都』、『阿和佐久』だ。その後を継いだのが『宇受女=猿女』だ」
「『猿田彦』って日本海軍の長官なら『白村江の海戦』で撃沈されて溺死した人物なのよね・・・ならば、『猿田彦』は怨みを伝える願い。『底度久』は提督。『都夫多都』は都の夫、都を建つ、戦に起つ、戦に発つ、消息を断つ、縁を絶つ。あるいは、都の武は龍、柘の武は劉なんだ」
「『阿和佐久』は阿波を割くで、割譲かしら?」
「アの同音異字は・・・鴉・雅・娃・婀・ア(女+亞)、吾の和を裂くでもあるな」
「ア(女+亞)って?」
「自分の妻の姉妹の夫で、媚びるとか、腰元の意味がある」
「自分の妻の姉妹の夫かぁ・・・自分が『猿田彦』なら、彼の妻の姉か、妹の夫・・・『猿田彦』って、誰なの?」
「天武天皇じゃァないな」
「どうして?」
「天武天皇は『猿田彦』が祀られていた熱田神宮の『草薙の剣』を宮廷にもってきたらしく、そのタタリで『朱鳥元年』の『戊寅』に病になって、死んでいるんだ。そして『天智天皇の七年十一月』の記事の後に『是年、沙門の道行が草薙の剣を盗んで新羅に持っていこうとしたが路中で風雨のために果たせなかった』とあるんだ」
「フ~ン、新羅人にたたるモノは敵対者のモノよね・・・『草薙の剣』は別名が『雨叢雲の剣』で、そのタタリならばその所有者のタタリ。最初の所有者は『須佐之男』で、その妻は『櫛名田姫』よね?・・・彼女の姉妹は七人とも『八俣大蛇』に食われてしまったんじゃないの?」
「そうだな、食われたと云うよりは略奪されて、強制的に嫁にされたんじゃないのか」
「じゃぁ、彼女の姉妹の夫は『八俣大蛇』よね」
「だな」
「『ヤマトタケル』の妻は相模の走り水の海に投身した『弟橘姫』」
「彼女の『櫛』が投身七日後に海辺に漂りついたんだ」
「七日(なのか)なんだ・・・『櫛』は『櫛名田姫』なんだ。じゃぁ『須佐之男』と『ヤマトタケル』は物語上で『櫛・ナダ』と『オト・タチバナ』、『草薙の剣』で重なるんだ・・・櫛は木の節で、記紀に伏すエダの分かれ目、伏し目、年輪・・・年号の数字の7の後はハチ」
「メリちゃん、頭の回転はアインシュタイン並だな」
「特殊相対性理論、それほどでもないけれど。絶対なモノじゃないわよね」
「認識科学に於いては絶対なモノはないな。no ab+solute だ」
「?・・・ノゥ・アブ+ソルート・・・何、それ」
「悩、納、阿武、姐が留る胡とウ(鳥+盧)=鵜(ウ)の都の柘植、拓本・・・イヤイヤ、考えすぎだな」
「考え深いのヨ、ね、おじさんは・・・タケルの別の妻は尾張愛知の『美夜受姫』よね。場所は熱田神宮。『美夜受姫』に姉妹はいたのかしら?」
「わからんな。『古事記』に記録されている『ヤマトタケル』の嫁さんは、六人とされているんだ」
「ゲぇッ、六人もの妻だなんて、不潔」
「男女の区別無く、今も昔も、お妾さんを持てるのは権力や金がある人間だけのハナシだな。だが一夫多妻とか、一妻多夫とかは男女のバランスが崩れた時におこるものだ」
「何それ?」
「戦争とか災害、疫病などで適齢期の男と女の数が同率でなく、どちらかに極端に狂ってしまったんだ。後家さんになったらダレが面倒見てくれるのか、って問題さ。特に大きな船の沈没は大量の後家さんが出来ちゃうな」
「男が少なくなったり、女が少なくなったりしたんだ」
「とにかく、貧乏だったカグヤ姫の竹取のジジとババは一対だろう。イヤ、現在の方が男と女の関係は金銭、権力、関わりなく入り乱れて混乱しているな。社会が豊かになると男女の関係もアソビになってしまうのさ。ホントウは、結婚は一対の男女の関係で双方がイイもワルイもゼンブ命を賭けて引き受けますってモンなんだがなッ」
「・・・イイもワルイもの中には相手の浮気やワガママも含まれているんじゃないの」
「相手を信じる自分自身の気持ちの問題だ」
「ジャァ、オンブに抱っこの相手を信じるって、結局はどっちか一方の我慢の問題じゃないの」
「ホレタ相手なら我慢、忍耐・・・献身の立場だ」
「ナンカおかしいよ、ソレ・・・献身って双方の立場にはならないのかしら、一方的なコトバみたい。それでも、相手がいれば、よね・・・でも、片想いは自分だけが苦しいのよね、あ~ぁアァ、あッ」
「とにかく、六人の妻だが、①布多遅能伊理毘賣、②弟橘比賣、③布多遅比賣、④大吉備建比賣、⑤玖玖麻毛理比賣、⑥『一妻』で、六人だ。この『一妻』が産んだ子供が『息長田別王』なんだが、その孫が『息長真若中比賣』なんだ」
「息長帯日媛は、神功皇后」
「だな。タケルの子供『仲哀天皇』を暗殺した。彼女は『胎中天皇』である『応神天皇』を産んだ」
「タイ中天皇なんだ・・・武内宿禰とツルンでよね」
「それで、タケルの最期の嫁さんは、⑦美夜受姫なんだが、子供を産んでいないからなのか、六人の妻の番外で、記録されていないんだ。『七人目の妻』なんだがな」
「『美夜受姫』が、その⑥『一妻』なんじゃないの。だって、タケルの東征の物語では彼女がタケルをサンドウィッチにしている出発点で、到着点じゃない」
「わからんが、そうかもな。タケルの亦の名は?」
「『小碓の命』よね。『大碓の命』は彼の双子の兄」
「オ・ホ・スなら将を補、州で、御三家の一だ。トラの尻尾を捕、主で、加藤清正だな。しかも、メリ、ここは名古屋市中区の『大須』二丁目だよ。織田信長の本拠地であっった『万(萬)松寺』、桶狭間の戦で戦勝の鬨とき・トウ・ツの声をあげた熱田神宮はここからすぐの所にある」
「トキの声なんだ!・・・尾張名古屋・・・尾針は蜜蜂の剣で、丸八(○+八)マークの末広がりは愛知県、名古屋のシンボルだわ・・・」
「養蜂で有名なのは岐阜だな。油売りの『斉藤道三』の国だ。ムカシ、オジサンが子供の頃に視た日本で最初の天然色カラー映画は菜の花畑の鮮やかな黄色を背景に秀吉の妻ネネがたっているものだったような記憶なんだがなッ。女優は岡田茉莉子(?)じゃなかったかな。菜の花の時期には蜜蜂が群がるよな。しかも日吉丸は針の行商人だった」
「ヤマトタケルの古代からこの丸八(◯+八)マークがあったのかしら?」
「江戸時代からではないのかな・・・麻呂、麿、萬侶の葉の知だな」
「名古屋、名の護の屋だものね。それに、おうすウイロウは名古屋の名物よね」
「オット、そのウイロウって漢字を知っているか?」
「ウイロウ?・・・有為転変の有為漏、辛苦の憂慰労、秘密を有遺漏、初子の愛郎、ウイロなら卯の色で、白・・・シラないわ。蒸籠セイロウならしっている。蒸し籠でしょう・・・ムシカゴ?・・・虫の籠・・・無私、無死の加護・・・ウイロウ、何、それ?」
「外の郎と書いて『外郎』なんだ。外は唐音でウイと読むんだ。中国の官名で下級官吏のことだ。そして、元、『礼部員外郎』であった中国の帰化人が売り出した薬で、痰切りの薬のことなんだ。売り出した時期が江戸時代で、京都、小田原名産であったらしいんだ」
「その『礼部員外郎』の礼部って何?」
「唐代の役所名で尚書省六部の一つで、『礼楽、祭祀、学校、貢挙』等を司ったところだ」
「文部省みたいな所ね。尚書省って?」
「ヤッパシ、宮廷の文書記録を扱う役所だ。『尚書』は中国上代の史実、伝説を記録した本だ。『礼部員外郎』はそこの下ッ端の役人のことだ」
「外の郎なら外の郎で、『郎将』は『劉仁願』だわねッ。外郎・・・蓋の郎・・・『泉蓋蘇文』の息子か、娘なの?・・・下郎、解漏」
「外郎はゲロゥ、ゲロゥで、吐き出す痰切りアメで、ゲロゲロの鳴き声だな」
「カエルなんだ。蛙なのネッ・・・ウイロウと柔らかい感触が似ているカモ」
「官職は似ているさ。とにかく、外郎は字面とおりなら外国の王子か、王女だな。それに中国の北方『胡人』の『胡』は『ウ』とも読むんだ」
「胡夷郎ウイロウなのね・・・じゃぁ、元々は『胡』族であった唐の『高祖・李淵』の血縁の王子、王女もじゃないの!唐王朝の子女、子息はゼンブ、胡夷郎なんだ」
「複雑だな。膳部の外郎は高橋家だったな」
「タカハシよねッ!・・・膳部臣(かしわでのおみ)・・・『景行天皇』、その子供『小碓命・日本タケル』、高橋家・・・天武天皇、その子供『大津皇子』と『草壁皇子』。『小碓命・日本タケル』は『大碓命』と双子だったわね。結局二人とも死んでしまう。そして、ウイロウ・・・」
「大須観音と大須文庫。そして『古事記』があった場所だ。『草薙の剣』は熱田神宮だ」
「一体、『猿田彦』の妻って・・・、誰の妻なの?」
「エムデムガムの、重る武の出の武を画く武・・・卑弥呼の時代の『公孫淵』の淵伝元(エンデンガン)だな」
「?・・・天武天皇の妻は持統天皇。その姉の太田皇女の夫は・・・じゃぁ、夫は・・・やっぱし天武じゃないの」
「天武天皇の嫁になった二人の女性に『鏡王女』と『額田姫王』と言う姉妹が存在した記録が『日本書紀・天武二年』にあるんだがなッ」
「『額田王』は元、天武の愛人で、後に天智天皇の妻になったのよね。三角関係よね。イヤじゃなかったのカシラ、彼女は」
「サンカク関係はイヤだろうさ。何故、額田王は天智の妻になったんだろな。娘の『十市皇女』まで産んだのにな」
「天武さんって、乱暴で陰険だったんじゃないの」
「なるほど、額田王は天武がイヤになって愛想を尽かし、天智の妻になったんだ・・・彼女、通説、一般的には天智天皇に略奪されて、恋しい天武なんだがナッ」
「・・・乱暴で危険な夫からは逃げるのよね」
「マァ、理由は沢山あるだろうが・・・だろうな」
「その姉の『鏡王女』も天武天皇の妻だったのね。じゃぁ『猿田彦』は『額田王』を妻にした天智天皇なの?・・・『ア(女+亞)』の意味はそうなのよね?」
「わからんが・・・そのセンだな。次にいこうか?」
「『則天武后』は、神龍元年(705)十一月二十六日に死んだわ。もうこれは『神龍』そのものの示唆。オジサン流に考えれば、十一月二十六日は、イチ拾イチのツキ、ニ拾ロクのヒで、位地、位置を拾うイチの柘記。二重の録の比較じゃないの」
「アタマがイイな、感心、カンシンだ。次は?」
「『則天武后』の父親は『山西省』出身の人物で、名前は『武士獲(尋+艸+隻)』で、『植林、木材商人』であった、と言うところ」
「そのココロは?」
「サンセイショウの同音異字は、参政、纂生、産制、『餐整の照の章』だから」
「そのココロは?」
「『則天武后』はその名前が『武照』で、彼女が実権を失った同じ年、『長安三年・癸卯年・703年』に遣唐使の『朝臣真人』とその家来を『麟徳殿の晩餐会』でもてなしている。そこで彼女は『朝臣真人』に『司膳郷』の位を与えているから。遣唐大使は『高橋笠間』と云う人物で、『高橋氏』の一族は元々朝廷の『お膳係』の役人だから。調理師はクックだわ。『膳部臣』をカシワデのオミとよませているでしょう」
「キャプテン・クックだな。カシハデは『柏の手』と書くよな。昔は柏の木の葉っぱをお皿代わりに使用したんだ。万葉集二巻の142に和歌山県の藤白の坂で殺された『有馬皇子』の『いへにあれば、笥にもる飯(いひ)を草枕、旅にしあれば椎(しい)の葉にモル』があるが。椎は柏の木でもあるな。実は団栗だな。シイの葉は、思惟のコトバを漏らす、だ」
「141は『イワシロの浜松がエダを引き結び真幸くあらばマタかへりミム』よね」
「ふ~ん~n.n.n.n.ゥん・・・才女だな」
「古文で習ったのよ・・・そうか、お皿の代用だったんだよね。柏餅って五月の子供の日に食べる餅よね。ドングリころころドングリコなのね」
「そしてカシワは『茶褐色の鶏』のことだな」
「朱鳥じゃないの、それって」
「だな。名古屋名物の畜産は?」
「ナゴヤ・交趾(コウチン)の味噌漬け」
「交趾は交わるに趾=足+止だな。交わるは亠+ハ+乂だ」
「音のハチを刈って、タラシてトメる、足は十で重なんだ」
「交趾は中国原産の鶏の肉だな。鶏は朝明けの象徴で鳴き声はコケコッコーだが、英語では?」
「クック・・・cock-a-doo-dle-doo だわ・・・cook 何でェ~?」
「英国公の英語と重なるのさ」
「・・・エイゴ・・・」
「次は?」
「『武士獲(本来の漢字は尋+艸+隻=尋ねよクサカのセキ、尋ねよクサカンムリのフルトリの又)』は、武士を書くか、武士が書くで、植林、木材商人は日本なら木曾の国か、紀の国の商人だから。しかも古代中国の商王朝は殷王朝でもあったから」
「なるほど。『武士の郭』で、朝散大夫の『郭務宗(心+宗)』の『郭』でもあるわけだよな。前に検討した『則天武后』の妹の夫『郭素慎』も姓が『郭』だったな」
「そう、そうよね。『郭務宗(心+宗)』はムシのカクで、虫の城郭は蜂の巣なんだ。帳に散じる台譜・・・台帳・・・台詞(せりふ)になっちゃう・・・心+宗で、シンソウなんだ。オジサン、真相、新装、深層だわ!」
「ダナッ。シンシュウ(信州)なら、『人が城』って、城郭を無視したのは甲斐、甲府の武田信玄の同族真田一族なんだがナッ。風雲真田城は真田昌幸の信州上田城だ」
「甲斐の山梨、信州(シンシュウ)長野の真田一族、神州、新州、真宗、深秋、進奏(シンソウ)、神宗、新装・・・オジサン、ハナシは唐の時代よね?」
「ああ、メリとハナシているテーマは中国唐時代の『白村江の海戦』と『壬申の乱』のことさ」
「ハナシが跳び過ぎない」
「トンでもいないんだが、ソウだな。則天武后の時代に戻ろう」
「・・・『武士獲(尋+獲)』は、役職は四川省の利州刺史、荊州都督を歴任したとあったわ。これも漢字の音でしょう?」
「シセンショウは、目の視線で照せ、和歌の詩仙が証す、生死の死線の將、干支、幹枝、葉っぱの支線の生。リシュウサッシは『履修の冊子』だが、刺・史そのモノ意味で採れば史を刺す、だ。『荊州都督』は、日本なら茨木、茨城か、栃木の長官だが、ケイシュウなら刑の執行、刑の囚人、経典の収蔵、軽舟の長官だな。軽いはキンとも音読みするから『金武州の長官』だな。カル皇子とは孝徳天皇と文武天皇の名前だ」
「そして百済の金江の長官に重なっているんだよね。『則天武后』の母親は楊氏で、この婦人は『武士獲(尋+獲)』の再婚の後妻で、『則天武后』はこの母親から生まれた次女だったわ」
「そのココロは?」
「楊氏は柳の木で、柳(やなぎ)はリュウのキで、劉の記録。楊は歯の垢の歯垢や、歯石を取る爪楊枝の材料。再婚、次女の同音異字は、ツマ、ツメの用字・・・妻、嬬、着物の褄で、端っこ、端緒の要事だわ。それに夫もツマでしょう。爪は七夕の津女で、音読みはソウ、ショウだから、すべての総称。先生の知識を受け継ぐ相承。左右対称の相称。学芸、技芸の宗匠。そして役所の総省か、すべてを省みるの総省か、中国の行政区画の総省。裁判での訴訟争いの争訟・・・争うメカケさん達も争妾だわね。喧嘩の怪我で傷が付く創傷。そして、文章創作の創章、再建、自序じゃないかしら?」
「なるほど、そのとおりだな。冬至が厳しい雪の降る北海道や北国の東北などの地方では」
「冬至は、湯治で、唐の時、答の辞、当事の当て字なんだ!」
「まさにメリ、冬季オリンピックのスキーのジャンプと大回転、レースで優勝だな。手や足に出来る軽い凍傷のことも霜焼けで、霜焼だ。俗にアカギレとも言うが」
「トウショウ・・・唐の照の総将、宗将、相称、相承、宗匠、総称、そして、赤色、朱色、阿の蚊の夫の・・・垢のキレなんだ」
「それに占いの『木火土金水の循環五行思想』でも相対立するエネルギーの反発関係を『相克』、相強めるエネルギー関係を『相生』とか、ソウジョウと言うんだ。赤は火で、南、赤鳥、朱鷺(トキ)、朱雀だな」
「フ~ン、占いの相生なの」
「マァッ、男と女の関係を言う相性だな。木=青は火=赤を強め、火=赤は土=黄を強めるってさ。火=赤を弱めるのが水=黒だ。この水=黒は金=白によって強まるのさ」
「・・・青龍が赤鳥を強めるのは劉が則天武后のイロだからなんだ」
「・・・イロだな」
「夫婦のイイ時と、ワルイ時みたいなもんなんだ。独りじゃ喧嘩も仲良くも出来なくて、夫のツマも、婦のツマもツマランもんね」
「イウナ、メリは。夫婦を『メオト』と言わせているワケが判るかな?」
「メオト茶碗のメオト・・・陶磁器で、二つで一緒だから・・・唐の時期、フタツで一書。メの音、女の音・・・オンナ!?・・・音の名、そうなのね、対の音の名、なのね。それに目(め)は鼻を中心に対なってモノを立体的にみせる機能性を持っている。耳(みみ)も頭と顔の左右両端にあり、音を立体的なステレオ機能で聴いている。目はモクで、眼(まなこ)はガン。耳はジだわ。女(おんな)の音(おと)で、乙姫様と山幸彦のヤマビコの音響、反響だわ」
「頭の回転が早いな。対馬や津島って地名があるよな。そして並んで対になっている島に隠岐の島があるのを知っているかな?」
「島根県よね、ソレって」
「ああ、島前(ドウゼン)、島後(ドウゴ)とヨマセて、対になっている隠岐の島さ。地名の都万は隠岐の島の島後にあるんだ」
「ヘーエ、『承久の変』で後鳥羽上皇が流された隠岐の島で、ドウゴに都万があるんだ。同語のツマミと言う訳ね」
「メリ、ホントに反応が早くて、詳しいな。日本史も地理も」
「単なる趣味。スキで地図を見るのが・・・実は、お母さん島根県出身なんだ」
「ホゥー、出雲のカミサンか。まさに『爪楊枝』は柘の間で、柘植の木目だな。要事、用事の用いる言で、用の字、楊氏だな。楊は日本ではネコヤナギ、カワヤナギ、柳はシダレヤナギって言うんだ。柳で、シダレ柳に跳ねて跳びつくカエルの絵は花札の『小野の道風』の姿だな、メリは」
「カエル、ハネて、トビツク、ヤナギの葉、尾野の同封・・・尾張に同封?・・・小野はショウヤで、ミチカゼ・・・柳はリュウで、劉・・・」
「一所懸命に勉強しなさい、って言う意味なんだ、この絵札は」
「なに、ソレ、オジサン?」
「証也、答付で、白い豆腐、都と同府、親父は同父、女頭領の頭婦、桃が助けた桃扶、唐の都の唐婦の、問題を問う付さ・・・撓るのは柳か竹、楊と武。撓(しな)って歩くのは楊貴妃かマリリモンローだな」
「?・・・ナンカ、頭がおかしくなってきちゃった」
「混乱、混乱、漢字のコンラン、頭のコンラン、キン、コン、カンだな。『古事記』と『日本書紀』の謎解きの暗号さ」
「『古事記』と『日本書紀』の漢字の暗号・・・」
「『古事記』の712年に編纂されたモノも、『日本書紀』の720年に編纂されたモノも現実には存在しないんだ」
「じゃあ、今あるのは何?」
「『古事記』は1371、2年に写本されたモノで、日本年号は『応安四・五年』なんだ」
「写本って、写し書きしたものなのね」
「ああ、『真福寺』の『賢瑜』と言う坊さんのやったことだ。実はこの裏の大須観音の大須文庫に所蔵されていたモノなんだ。当時にはマダ印刷の活字の『FONT』は存在しなかった。だが泉や洗礼盤、聖水盤、油壺の『FONT』は存在したハズだ」
「・・・ソレってインターネットのホームページに使用する『FONT』のこと・・・ヘ~エ、この近所の大須観音の所にあったモノなの。1372年、じゃあ、712年の実物じゃぁないんだ・・・660年後の書き写したモノか・・・フォントがナイ・・・本当が無いなのぉ~。しかも、ここは昔、尾張の国だったのよね」
「まさにオワリで、ナゴヤだよな、ここは。観音様の漢字はどう書く?」
「観音って・・・音を観れ、だわ!」
「そして『日本書紀』は『弘仁』時代(810~823)の『嵯峨天皇』の時に再編纂されたモノなんだ」
「823年・・・103年後のモノね・・・元の本を正確に書き写してはいないカモね、オジサン。『弘仁』時代・・・「弘=弓+ム」、「仁=イ+二」・・・喩(ゆ)壬(み)のム(よこしま)、人(ひと)の二(に・じ)・・・『弘文天皇』って『壬申の乱』で天武=大海人皇子に負けた『大友皇子』だわ!」
「メリちゃんは名探偵の素質があるな」
「シャーロック・ホームズより、『奇岩城』のルパンがイイな、ワタシ」
「祈願の女、ルパン六世ぐらいにはなるかな。次の人物にいこうか、『白村江(663年)』、『壬申の乱(672)』に絡んでくる」
「・・・うん。次の人物は百済を滅ぼした『蘇定方』よ」
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