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メリちゃん「蜃気楼」に昇る(6~)


(6)

 蘇定方・・・(唐)・百済征討派遣(660)唐将軍、「神丘道行軍大            総管」            百済を滅亡させた後に帰国したが、高句麗、百済            残党が            国家再興を謀り戦闘を継続したので、            再度高句麗征伐の            為「遼東道行大総管」として派遣された  「名前からして、蘇らす、定法だな」  「しかも『神丘道行軍大総管』で、神の丘の道の大総管」  「そのココロは?」  「新旧、同じ、交訓、対の相関だから」  「なるほどナッ」  劉伯英・・・(唐)・「蘇定方」配下の「左驍将軍」  「『左驍将軍』は作行、将に訓、よね」  「次は?」  「『金春秋』の『武烈王』で『嵎夷道・行軍総管』は寓意の導き」  「なるほど。嵎夷は中国神話で太陽が出てくるところだな」  「しかも、嵎は『山+甲+冂+ム』で、参考は巻が前の史で、神代の邪悪だわ」  「なるほど」  武烈王・・・(新羅)・「金春秋」、「嵎夷道行軍総管」             「654年」、干支暦「甲寅」年に             女帝「新徳王」の後を継いで             新羅王に即位。「654年(永徽元年・甲寅)             」には「則天武后」が「皇后王氏」に             取って代わり「皇后」になった年でもあった。             女王「善徳王」の十二年に百済人によって娘を             殺害。新羅王で唯一「太宗の号名」を             有する。「661年6月」に死没  「注目すべきは彼が王位を継いだ654年の干支の『甲寅』年の示唆。同年には『則天武后』も高宗の皇后になったことよ。そして690年の庚寅年に年号を天授元年として彼女自身が『則天武后』と称して国号を『周』としたのよ」  「そのココロは?」  「二人とも『キのエの虎』に共通しているから」  「共通項のトラとは?」  「『日本書紀』の記録には天武天皇が『翼のつけた虎』と云われたことに重なるから『白村江の戦』への前哨はトラでそろったことになるわ」  「よく勉強しているな。それに持統天皇だが、太上天皇とも言われた彼女は690年の庚寅年に全国的な造籍と村落の編成を行ったんだ。庚寅(カノエのトラ)だよ。トラだが十二支の『寅』は音読みでインとも発音するんだ。コウイン(庚寅)だ」  「インならヤッパし、同類の漢字のオトを示唆する音、咽、拘引の引、隠、陰、公印の印、後胤の胤だわよね」  「イムでインのタネだな。記紀に隠されている意を務めよ、だ」  「次は『金法敏』の『文武王』よ。記務、紀務、方便で、字のとおりの文と武の示唆。法と敏の同音異字の全ての示唆で、特に方便の便だわ」  「ビンは罠も、文と糸の合字の紊も、鬢も、花瓶の瓶もビンだな」  文武王・・・(新羅)・「金法敏」・「武烈王」の太子              ・武烈王の後を継いで「661年」に新羅の王と               なる。              唐と対立し、旧百済領から「671年」に唐軍              を追い出し朝鮮を統一  「法はノリで、規範、規矩、そして天草の海苔・・・接着剤の糊=米+胡なんだ」  「海の苔・・・虚仮なの、糊が米と胡・・・ コメのウ、コ・・・込めて有る行で、胡の女のウ(盧+鳥)=鵜、あるいは胡(ウ・コ)の女の虎なのね」  「だな・・・込めの胡の恵比寿で、蛭の子の蛭子、戎の蝦の素は蝦夷の州で、毛人の州だな」  「毛人って、長州藩の毛利家じゃぁないわよね?」  「メリ・・・ワタシならソウ考えたいんだがナッ」  「オジサンはすぐ戦国末期、江戸時代の幕末に跳ぶのよね・・・毛人はモウ人!・・・って?」  「『蝦夷(カイ・エゾ・えみし)』が『毛人(モウジン・えみし)』と同じ意味で記録されている。目の不自由なのは盲人で、蒙人ならば蒙古人だな。そして、猛虎人は、猛は胡人だな。胡=古+月は虎の柘の紀で、『古事記』、『日本書紀』の方便だな」  「『古事記』、『日本書紀』の記録上の方便なの?」  「じゃないか。蝦夷(カイ)は甲斐の甲の四菱の斐紋◇◇◇◇の山間、山海、散開、纂解。海で諏訪湖で、カイはX(エックス)だからな」  「Xって、カケるってことなの・・・バツ(X)はメを抜(ぬく)、ペケ(X)は経化か経懸、経華・・・オジサン、モウ、アタマがパンクだわ」  「カイの音の襷懸けさ。次にいこうか」  金仁問・・・(新羅)・「武烈王」の子息、「蘇定方」配下の副大総管             となる             唐で死没  「名前そのものの、金の、ジンモン」  「そのココロは?」  「金武の尋問、筋分、記務の人文で、紀の武、訊ね問うの尋問、戦いの布陣の陣門、人文地理の人文だから」  「次は?」  金(广臾)信・(新羅)・武烈王配下の将軍  真珠・・・・・(新羅)・武烈王配下の将軍  天存・・・・・(新羅)・武烈王配下の将軍  欽純・・・・・(新羅)・武烈王配下の将軍  「これも全てが名前の示唆暗示だわ。『金(广臾)信』は紀の武、喩、信」  「(广臾)信の『(广臾)』は米倉で、また屋根のない囲いだけの米倉で野外の米置き場だな。そして米を量る『升目の量』で、『十六斗』のことなんだ」  「『十六斗』って、度務図、タリのムのハカル・・・足の武の謀り、誰の夢の諮り・・・垂れは武の謀りで、陰謀なんだ」  「どうしてだ?」  「だって、『則天武后』は、夫『高宗』の後ろに控えて『垂廉の政治』をやった女だから」  「そうだな。ところで『十六斗』って、何リットルか知ってるか?」  「リットル(L)って、元々はフランスの単位じゃないの、そんなのわからないわよ」  「でも、一升瓶の容量は知っているだろう?」  「1・8リットルよね。一升の十倍が斗だから、斗は十八リットルだわ」  「賢いな。数字にも強いんだな、メリは。ジャァ、『十六斗』は?」  「18×16=288なんだ」  「中国の単位の斗は1・94リットルなんだ」  「・・・1・94×16=31・04だわ」  「ジャァ、『(广臾)』は、その漢数字の示唆だな」  「参拾壱・零四・・・参拾壱、点、零四・・・」  「『日本書紀』は30巻だが、これに加えて系図が一巻あったらしんだ。だから全部で『三十一巻』だ。あるハズのモノが無いとは隠しているか、焚書されたんだ」  「三重の位置の殿の麗姿の令姉で、礼子・・・伊勢神宮の天照大御神なんだ。三重の位置の添、の令嗣・・・纂重の位置、典の齢史・・・ヤマトタケルが伊吹山で見た白い猪で、山獣の霊視・・・タケルは足が三重に折れてタギタギしくなったわ。多くの義、他を疑う史なんだわ」  「『日本書紀』の第三〇巻は『持統天皇』の『鵜野讃良皇女』なんだ。『鵜(ウ)』は始末トリで、仕末する鳥だな」  「シマツする鳥って、暗殺する長なの?・・・スパイのCIA長官」  「じゃないか・・・『(广臾)』の同音異字は喩すだし」  「サトス・・・里の素・・・実家の親元ってことなの?」  「だな。次にいこうか」  金文穎・・・(新羅)・新羅将軍、百済戦での「七月十日」の白江戦場              への合流に遅れ「蘇方定」と対立。この期に於              いて唐と新羅は対立するようになった。              元々「高宗」の戦略は百済戦後、新羅をも軍事              的に支配下置くモノだった。  「『金文穎』、この人物も名前のどおりの示唆で、記務の文永で、文の長、文の重ねる、文を洩すだわ。『文永十一年』は元と蒙古の軍船が日本を襲撃して突然の嵐で沈没し敗退した年よね!」  「重ねているな『白村江の海戦』を。そして江戸幕末の『文久一年』の事件、特にロシア軍艦の略奪暴行事件も重ねているな」  「?・・・江戸時代・・・『蘇方定』は軍律違反を怒って彼『金文穎』を切ろうとしたらしいのよ。しかもその期日が『七月十日』だった」  「よく調べているな」  「小林恵子さんの本に書かれていたことを抜き書きしただけよ。でも読むのがとっても難しかったわ。漢和辞典がないと読めない漢字ばかりだもの。でもこの本の参考資料のところを見ると、イヤになるほど沢山の史料が記されていた。普通の人にはみれないモノも、この参考史料の中にあるみたい。そんなの、なんだか狡いよね」  「ズルイか・・・マッ、歴史の不都合な事実を知られたくないのが国家権力と云うモンだ。ところで『金文穎』の穎は筆先・秀才・穂先を意味して、植物の芽とも読むんだ」  「メなら女よね。それに音読みは芽よね。そしたら虎のクサカンムリ(艸・日下・草加・久坂)のカンムリの牙よね」  「久坂玄瑞の諫、無理だな。幼名は誠、名は通武、義助」  「?・・・それって、蛤御門、禁門の変で自殺した人物のクサカゲンズイのこと?」  「アァ・・・1864年7月19日、関白鷹司の邸内で自刃」  「とびすぎよ、おじさん・・・でも彼、吉田松陰の弟子で医者、そして伊藤博文らと英国公使館を焼き討ちにした人物だわよね・・・英国コウシカン・・・オオヤケのシのカン?」  「とにかく、木の場は『武士獲』の商売の材木、木材置き場だったな。そして記録の場、紀年の場だな」  「『古事記』、『日本書紀』のバなんだ」  「次にいこうか」  悩音信・・・(高句麗)・高句麗の将軍・「661年5月」に新羅の北                漢山城を攻撃するが撤退  「もう、これはマッタク、お巫山戯の名前だわ。実在したとは思えない人物の名前だもの。『悩音信』だなんて。ラブレターでももらったのかしらネッ。私も貰ってみたいわよ」  「史料自体をシンジちゃぁいけない、神事の臣事って見本だな」  「でも、どうしてミエミエの名前なんかを使用したのかしら?」  「史料の書き手は事実は違うんだ、と言うことをミエミエの漢字を記録することで読者に知らせたいのさ」  「でも、ホントウに音のルビ振りの信には悩んでしまうよね」  「うまいこと云うな。次は?」  「同じく名前の音のいい加減さで、照会、正解、奇怪の『生偕』だわ」  生偕・・・・(靺鞨)・靺鞨の将軍・「悩音信」と同盟し新羅を攻撃  「次は?」  「百済滅亡の主役であるはずの悲劇の百済の王様、議事の王で、疑うべき、『疑似王』」  義慈王・・・(百済)・660年7月13日、百済「泗比(水比)城」陥落、              滅亡後に唐に捕虜となって連れ去られた  「なるほど、ギジオウだな」  「そして、660年7月13日、百済『泗比(水比)城』陥落、のすべての示唆」  「そのココロは?」  「660はムツ・ムツ・レイで、武の柘、柘植の拓本の例、武の都の令。7のナナツは名を納める柘植の印鑑。13のトオあまりミッツは私の年齢で、十三の置き換えは三十だから。しかも『泗比(水+比)城』の『泗』は鼻汁って漢和辞典にはあったけれども、『水+比』の漢字は見つけることが出来なかった。類字には水が清いの意味する『泚(セイ・サイ・シ)』があったわ。別な意味は汗が出る様、だって。『汗』は北方の匈奴の王様の称号よね」  「葉の名の字を留る、か、頗を詰る、だな」  「ヨコシマをナジル・・・イヤミを云うってことなの?」  「ウン。とにかく汗は蒙古のテムジン、清国の遠祖『ジンギスカン(成吉思・汗)』だ」  「清国・・・で、『水+比』は何かしら」  「それは水を比べるで、比=上+牝さ」  「そうか、編纂の上巻、軍艦の乗艦、軍隊の上官を比較するなんだ」  「『泚筆』は墨を含んだ筆のことだな」  「ジャァ、記録することなんだ」  「次は?」  「・・・オジサン、なんか、アホらしくなってきた」  「そう言わずにさッ」  「『カイ(土+皆)伯』は『海の柏』で、シーチキンはツナで鮪のカンヅメ」  「オッ、メリも云うな、エゲレス語」  「イヤダ、オジサンの癖がうったジャナイの。『興首』は巧守の好手で、朱い主の首を興す天武。『成忠』は『正中年号』の示唆の誠忠、それに『孝』の人物。親孝行の孝は『孝徳天皇』、『孝謙称徳天皇』、それに柏手で膳部臣の高橋が仕えた第八代の『孝元天皇』よね」  カイ(土+皆)伯・・・・(百済)・「黄山」守備の百済将軍、  興首・・・・(百済)・「白江、炭(山+見)」の要地防備進言の             百済将軍  成忠・・・・(百済)・興首と同一人物(?)、別人(?)  孝・・・・・・(百済)・義慈王太子。父王とともに、唐に捕虜となって              連れ去られた  「次にいこうか」  扶餘隆・・・(百済)・義慈王子息・唐に降伏後、「白村江戦」で唐軍              に参加             ・新羅「文武王」と同盟し、「劉仁軌」、              「劉仁願」帰国後、「665年8月」に「熊津              都督」。新羅に攻められ唐に亡命  「『扶餘隆』は裏切り者よね」  「誰を裏切ったんだ?」  「百済の国の人民を裏切った・・・売国奴じゃないの。アマのリ、リュウを扶養、タスケルだわ。だいたいからして名前が『リュウ』で『たかし』でしょう」  「確かに、リュウだな。メリ、『売国奴』の『売』は『比売』の売だな」  「?メ・・・比べる売=女の奴・・・龍は中国の象徴でしょう・・・そうか、判ったワっ、『八俣の大蛇』って中国、唐の売=女なんだわ。『出雲』に流刑され、追放された『須佐之男』は日本の人民を守ってくれたのよ。『櫛名田姫』は日本のか弱き女性だったのよ。そして彼は出雲の国の王様になったのよ」  「『流刑』された唐の将軍は誰だった?」  「?!・・・姚州に流された『劉仁願』」  「だな。とにかく、国家の権力を握る王様が人民を守るなんてことはないんだ。イイ王様ってどんな王様だ?」  「イイ王様は・・・王様は人民を守るべきだわよ。ホントウは人民を守らない王様っていないんじゃないの?」  「専制君主であれ、皇帝であれ、王様は人民を守るじゃなくて支配する存在だ」  「支配って、ワルイことなの?」  「個人の自由を縛るヒトだぞ。メリの生き方すべてを。生きるも死ぬも、王様シダイ、気分次第だな。dominantor のドミナント」  「支配者・・・我が儘な独裁者の王様って、こまるなぁ、それって。じゃぁ、人民にとって王様なんかイラナイんじゃナイ」  「ああ。だが、どんな組織でも、民主的に選ばれた指導者は必要かもな」  「イイ王様も少しはいるんじゃないの?」  「王様の人格の問題じゃないんだ。存在としての王様にイイもワルイもないんだ」  「日本に天皇がいるけれども独裁者じゃぁないよね。象徴天皇なんだもの・・・デモ、日本は民主主義の国じゃないの?」  「『政治家』の選ばれ方はそうかもしれないな。だが民主主義的に選ばれても、民主主義の政治をしなきゃナッ。選ばれたほとんどの『政治家』は最初のココロザシを曲げて政治屋と言う『商売人』になっちゃうんだ」  「民主的な政治をやってないんだ。政治家って悪どく儲けているモノね。選挙のやり方と、政治のやり方は違うもね」  「政治のやり方の問題とは何だ?」  「民主的に選ばれても、税金から高い給料をもらっているくせに、選ばれた指導者だってことで、自分だけ儲けることをやって、ウソをついて、ばれそうな都合のワルイことを隠すからだわ」  「儲けるコトは悪いコトかな?」  「・・・儲けるコトはワルイことじゃぁないわよ。自分だけ儲けることがイケないんじゃぁないの」  「自分だけが儲けているワケでもないだろう」  「でも・・・悪い政治家は儲けは山分けはしないわよね」  「そうだな、少しはやるさな」  「元々が国民の税金をかすめ取ったお金の分け合いだから、正規の商売の儲けじゃないよ。わかった、蛆虫が氏の武士なんだ。お百姓に寄生する虫の」  「なるほど、氏を有する武士はウジムシだな。牛ムシなら蝸牛でマイマイだな」  「毎々、ちゃんと商売して儲ければいいのにね」  「世の中には儲けるコトが上手い奴と、下手な奴がいるよな」  「下手な人は努力をしないからじゃないの?・・・ナマケモノなのよ」  「怠け者か。じゃあ、儲け方の問題は怠けるか、どうかの問題か?」  「・・・アタマのワルイ人も儲けることが出来ないんじゃぁナイの」  「だったらアタマの悪い人にアタマのイイ人は儲け方を教えてやればイイんじゃないか?」  「みんなが儲けることが出来るようになったら、教えた人はソンするんじゃないの」  「教えたら損するコトになるな」  「アタリマエじゃないの」  「でも儲かった人は金持ちなるけど、儲けることが出来ない人は貧乏人のまんまだな」  「・・・お金を儲けた人はお布施すればイイのよ」  「じゃぁ、怠けて貰いぱなしの人も出てくるな」  「・・・シャーロックホームズのハナシにあった『乞食』と金持ちの『紳士』は『乞食』が職業だったよ」  「乞食をするのにも苦労があるんだな。乞食は怠け者でなくてさ、修行の坊さんのことなんだ」  「坊さんの修行が乞食なの・・・戸口で般若心経のサワリを唱えて一軒で百円、十軒で千円、百軒で一万円だわッ。だから坊主もお金持ちになるのよね」  「修行の乞食坊主にお布施しても、金持ちは貧乏人には儲け方は教えないだろうな」  「当然よ」  「教えないで、秘密にするか」  「・・・教えてもイイけれど、全部はダメよ」  「全部はダメで少しはイイんだ。歴史の記録と同じだな」  「・・・同じよね・・・おかしいなァ~・・・わからないわ、わたしには・・・オンナジ・・・音の名の字で、ウソノの記録を暴露したいんだ!・・・カシコぉ~イ、それって、日本の歴史を書いた人なんだよね。読む人が気がつかなかっただけなんだよね?」  「どうかな。そう言う風に書いた奴、ズルイ奴かもな」  「でも『謎解き』がオモシロイのはその人に感謝しなきゃぁね。謎があって、謎を教えてくれるオジサンもいなければ、歴史なんて全然オモシロクないもの・・・だから儲けることもそれと同じよね。少しずつ儲けることがワカッってくることが。だからみんな年を取れば、少しずつお金持ちになるんじゃないの」  「なるほど、みんな金持ちなるんだな。そう言うことにして、次にいこうか」  「『扶餘勇』の付与の『尼の勇気をたすける』で、有紀の『酉の記』で、『酉の紀』」  扶餘勇・・・(百済)・豊王子の弟。日本に人質。所在不明  「なるほど。酉の紀は西紀、西暦と云うことだな」  「次は鬼の部屋に福が来ることを信じるって云う名前の『鬼室福信』」  「なるほど、鬼は室内、福を信じろ、だな」  「でも、自分自身が国家再興の為に百済に帰還することを要請した『豊(餘豊・豊璋・扶餘璋・糺解)』に洞窟に監禁されて殺されてしまうのよ。小林恵子さんの本の唐の史料には『鬼室福信』が『豊』を殺そうとして逆に殺された、と記されていた・・・事情があったとしても、腹心の大臣を殺すのはおかしいよね。この対立を予測していたのが唐の将軍『劉仁軌』だったと記録にあるらしいから、『豊』と『鬼室福信』は将軍『劉仁軌』の罠にはまったのよ」  鬼室福信・・(百済)・百済滅亡後の「周留城」を根拠地にした               中心人物。日本にいた               「豊(餘豊・豊璋・扶餘璋・糺解)」を               百済王として迎えるが、               「豊」に「663年6月」に殺害される  「まさにだな。メリの推理の方が鋭いよ。スパイの工作で、『揣摩の術』にハマったのさ」  「シマのジュツ?」  「『揣摩の術』とは心理作戦で、謀略戦だな。シマの大臣とはダレだ?」  「蘇我の蝦夷、入鹿だわ」  「我、ヨミガエル、重ねる観る史、意を留る史家だな。入鹿の亦の名は?」  「鞍作の太郎よ」  「『島』と云う名前の女性は日本で最初に出家した比丘尼だったな」  「フ~ン・・・尼さんの何処がいいのよネッ。私ならアマになんかは絶対ならないけどな。ワタシ、最近、よくテレビに出ている元女性の作家で、アマになったヒト、スキじゃないわ」  「次にいこうか」  「『道タン(王+探)』だけれども、これも名前の示唆。漢和辞典では『タン(王+探)』を『チン』と読ませて、宝物、宝玉としているけれど、探索、探偵の探の類字だわ。道を探せの示唆じゃないかしら。同単で、同類の『耽羅人』の」  「そのココロは?」  「鬼に殺されたトラだから・・・でも、おかしいカナ?」  「『道チン』で、チンの同音異字には、沈む、珍しい、陳る、鎮める、狆は貴酬・雲南省に住む種族、砧、椿、枕、それに皇帝が使う自称の朕があるな」  道チン(王+探)・・・・(百済)・百済滅亡後の「熊津都督」。                     「鬼室福信」によって殺害  「『白村江』が海の戦いならば、道は海道のことで海の道に沈むことなんだわ。枕詞の意味は沈んでいる頭領、アタマで、カシラかしら?」  「そのとおりだな。和歌の一首に沈む枕詞だな。次は?」  餘自信・・・(百済)・百済「周留城」陥落後に日本へ亡命  「『扶餘勇』の付与の『勇気』なら、『餘自信』は『自信』そのもので、自分自身、大地が揺れる地震、方位を示すコンパスの磁針、そして時計の針の時針。いずれも『周留城』陥落後の人物達は浦島太郎であり、山幸彦なのよ」  「そのココロは?」  「『餘自信』の『餘』は『食+余』で、「『周』は周遊魚の『鯛』で、『竜宮城』は唐であり、その『遣唐留学生達』であり、『白村江海戦』の『捕虜達』のハナシで、シュウとチョウの同音異字の示唆で、修学、修造の修める、学習の習う、囚人の捕囚、復讐の讐、鑑長、船長の長、重複の重、釣竿の釣る、帰朝の朝、潮汐の潮、宗像、高宗、舟の周りだから」  「そのココロは?」  「アマのリの自信よ」  「なるほど。寺の比丘尼の尼か、魚籠を持つ海女。虫の蚊か、虻の阿武。吸血の蛭の子か、雨の蛙の子の譜のお玉杓子は音符。海部の阿毎の改史か、開国開始の阿倍老中。壊血病の海軍海士か、怪死の土佐の海士の自信だな」  「土佐の海士の怪死って?」  「海援隊の暗殺された坂本龍馬だな」  「龍馬って、彼は幕末の志士じゃないの」  「だな」  「時代は唐王朝と大和朝廷のハナシです」  「そうだったな」  「『周留城』は当然、周=唐が留まる城だわ」  「そうだな」  「次の『豆方婁』も名前の示唆、東方の郎、東邦の郎、『唐を放浪』か、『唐の報労』で、該当するのは遣唐留学生の誰かだわ」  「なるほど『阿倍仲麻呂』の暗示カモな」  「『陶=陶磁器』の『琺瑯』は『釉薬』で、『上薬』・・・唐の時期に上薬を塗ったこと」  「『唐三彩』だな。読む三歳の纂差異の纂年か、三才のみっつの蜜柘、密通で、山菜の纂の名だな」  「トウホウロは東方郎で、『婁』はタタラとも読むわ。本来は牛をつなぐ意味で、牛にひかせる唐鋤のことらしいけれど、足で皮袋を踏んで空気を送って火をおこす鍛冶屋の『踏鞴』だわ」  「日本のフイゴやフイゴウは長方形の木製の箱で、筒になった箱の中に空気を押し出す取っ手がついた栓で風をおこすんだ。漢字では吹子とも書くんだ。そして、多々良だな」  「牛を牽く牽牛はアルタイのワシ座。お相手は七夕津女で、織り姫の星で、琴座のベガだわ。その真ん中に白鷺、白鳥座のデネブが天の川に両翼を広げている。だから『婁=タタラ』は風を起こし、火の勢いを強め、鉄をアカくして打ち鍛える男女の仲の示唆よね。で、郎子と郎女だわ。しかも、『豆方婁』のマメ、カタ、フイゴウなら、・・・」  マ  メ   カ  タ フ  イゴ  ウ  ↓  ↓  ↓  ↓ ↓ ↓↓  ↓  真 の女  嫁の侘 夫の以後に有  真  音名 読  他 付  意語  得  と、メリはノートに書いて私に見せた。  豆方婁・・・(高句麗)・高句麗大将(658)  「なるほど。豆方婁は、図方の賂の有とも読めるな。昔、弘法大師、空海が日本に持ってきた占いの『宿曜経』では、『婁宿』に生まれた人物は西方の守り神で、漢方医薬に詳しい、とある。しかも星座宮は『羊宮』だ。『婁』はヒクと訓読みされて、牛をつなぐ意味だが、豆の方法なら大豆、小豆で精進料理の食材調理の方法だな」  「豆をヒクなの・・・大豆は豆腐、味噌、醤油、納豆。豆まき厄払い。それに小豆はメデタイ時のお赤飯で、三重の赤福アンコロ餅、虎屋の羊羹」  「ウマイな、メリちゃん。コナをひく、マメをひく機械はミールだな」  「cofee meal のミールは曳き臼で、曳き碓だわね。コナヒキ」  「大碓の命、小碓の命の豆曳きで、粉々にするだな。どうも漢字の『婁』はミールの形をしているみたいだよな。どう思う、メリは?」  「これって囗が○で十なら、〇+十の車輪みたいだけれど、車の中の女」  「なるほど、確かに平安時代の牛車か、西部劇の馬車の中の女だな。現在ならタクシーの中の女だな。だが卑弥呼なら楼閣の中の女だな」  「そうだよね。粉ひき女のほうはどうなの?」  「『婁』=囗+十+中+女で、類字の『樓』は高殿で、櫓。『僂』は人が背をかがめる意味だ。穀物粉砕の道具、曳き臼を曳くには背をかがめて上の石ウスの取っ手を掴んでグルグルと引き回すだろう。計算する数字の数は『數』と同字で旧字体だ。数える意味の『婁』だが、建物の部屋が重層に重なる塔の意味もあるハズだ。この『婁』が『米+女』になってしまったんだ。囗=国=國=クニの十方位、中、女で、込めるオンナだな。クニは9と2で、方位の九番目は申南西、二番目は丑の北北東だな」  「・・・アメリカって、どおして漢字で米の国になったの?」  「オッ、訊いてくれましたね、イイ質問を。米国は幕末か明治の当て字だ」  「本来は、麦の国のハズよね」  「そうだな。日本人に聞き取れなかった『ア』を端折ったメリケン粉の国だ。方位の四方、八方って同音漢字は?」  「司法、私法、仕法で、ハチ法、罰法、把持法、恥法かしら」  「臭いんだよ。アメリカって国は」  「臭い・・・牛肉を食べ過ぎて?」  「牛肉のハンバガーが常食だからな。体臭もだが、臭うのさ。押しつけガマさが、蝦蟇(マ)カエルのようにナッ」  「それって、偏見じゃん」  「ゴメン、これはアメリカ合衆国の人民を云っているんじゃないんだ。アメリカ国家の支配者に対するモノだ。アメリカ政府さ。胡散臭いだよな」  「難しいわね」  「とにかく米蔵の虫は穀象虫で、穀倉虫の穀潰しさ。幕府の財政を潰し、幕府を崩壊させた歴史上の発端はアメリカのペリーの軍艦、黒船だったからな。当時としては国潰しの元凶さ。虫のオケラが『螻姑』で、『虫+婁』の姑なら、『虫+米+女+女+古』だ。『天螻』は黄金虫の幼虫で宿毛虫。『宿毛』は四国土佐の北緯32度50分あたりにある地名だ」  「フ~ン」  「メリ、今度はこの北緯三二度五〇分の線上を地図で調べてくれ。地球儀を東西に輪切りにしているこの北緯にどんな地名があるのかをな」  「わかった、北緯32度50分の上にある地名ネッ」  「それで、虫けらの『地螻』はミズチで、龍のことだ。『螻(虫+國)』は蛙のことだ。そして臭いだな」  「臭いを感じる器官は鼻の嗅覚だけれど、臭い過ぎで、モウ、わかんないよ、オジサンのおハナシは・・・こんがらガチャってサッ」  「鼻の臭覚とは尾州閣で、美醜混在の金の鯱を飾る名古屋城のことさ。中京地方さ」  「・・・尾張、愛知、名古屋、尾州公、徳川宗春さん・・・?」  「おっと、ゴメン、『豆方婁』のマメの計算の方法を云いたかったんだ。計算道具は升の升目って」  「豆曳き・・・納豆の糸曳き、粘って嫌い、甘いアンコ大好き・・・ソラマメ、インゲンマメ、エンドウマメ・・・落花生・・・ピーナッツ・・・豆は小さいことの修飾語で、形容詞だよね」  「だな。隠元豆さ、アヤシイマメは。ところで、豆の形は?」  「・・・ツィンの対で二つに割れる形・・・ほそ長くて丸い・・・勾玉で、曲った玉だわ・・・三種の神器の勾玉」  「音楽のお玉杓子は何の形?」  「オタマジャクシに足がない・・・音符で、カエルの子なんだ。でも、何故なの♪ドレミファソラシド♪・・・?」  「西洋音楽の音符、楽譜は明治以降だがな・・・豆名月は陰暦九月の十三夜で、栗名月とも。芋名月は陰暦八月の十五夜だな」  「壱与も十三、私も十三、マメもスキなら、サツマイモ大好きなイモ姉ちゃんだ」  「メリは美人で、イモはイモでも妻なる妹さ。大須小町だ」  「あぁ~ん、はやく嫁さんになりたいなぁ~」  「まだまだ嫁入り修行がタランな」  「ダヨねッ」  「そして、マメの当て字には勤勉で忠実、手足に出来るイボの肉刺があるんだ。肉を刺すって書くんだ」  「キンベンの忠実、異母の憎し、字の句の視・・・字の駆使」  「肉の漢字は偏になる時は『月』になるんだ。そして舟も『月』になるんだ」  「フ~ン・・・ジクがツキで、シュウがツキに変わるんだ」  「次にいこうか」  王文度・・・(唐)・百済残党によって「泗(水+比)城」奪回の             為に攻撃された為、唐の「熊津都督」として             660年9月23日に「劉仁願」守備の             「泗比(水+比)城」へ援軍として派遣されたが             、その途中で死没  「これも、王の文の度で、ワンさんの文章のタビ、よ。死んで『劉仁軌』将軍と交代」  「まさに西欧の欧文、応神天皇の応文、黄帝の黄文、邪な横文、音名が合う姶文で、話は蚊、虻の、『和武、和文の交替』だな。次は?」  薛仁貴・・・(唐)・高句麗の貴端城攻略した将軍(658)  「ヘキのジンキで、日置、神亀かしら?・・・それに日置を何故、ヘキって読むの?」  「神亀は西暦724年~729年の年号だな。神亀元年は聖武天皇が即位した年だ。前年の723年、養老7年7月7日に『太安萬侶』が死亡して、729年の神亀6年は8月までの年号で『小治田・安萬侶』の墓誌が出来た。2月には天武天皇の孫であった左大臣の『長屋王』が自殺させられているんだ。彼は684年の『天武十三年』に『高市皇子』の息子として生まれたんだ」  「またもや『十三』なのォ~」  「自殺させられたのは『漆部の造・君足』と『中臣・宮処の連・東人』とに密告された結果なんだが『藤原一族四兄弟』、特に『藤原武智麻呂』の策謀だったらしんだ。この『武智麻呂』と密告者の示唆と暗示はワカルよな?」  「胡留史部、史柘部。訓則。究書。唐人・・・武を知っている間の呂なのね。それでこの『武』とは『天武天皇』と『則天武后』の『武照』のことなのね」  「そして、日置がヘキと読ませるワケは?」  「ヘキの同音異字は『経』の『紀』、あるいは『記』なんでしょう?」  「賢い、まさにだな。日は『ジツ・ニチ』が音読みだ。訓読みは『ひ・か』だな。ヒオキならば、『比、隠岐』だな」  「比較する隠岐の島・・・島が二つ並んで、後鳥羽天皇が流された場所だわ」  「ヒチなら質屋の発音が関西ではヒチ屋だな」  「人質、捕虜、捕囚なのね」  「カチならば価値、加地、可知、勝ちだ」  「知るべきは、勝利の地名を加える価値よね」  「ジッチならば実地か、実智だ」  「実際の地名、事実を知る日よね」  「そして日置の意味は記録文の日付で、場所ならば日置は国衙領にあった地名だ。現在的には山口県長門の西。鹿児島県の串木野、市来あたりが日置郡。滋賀県琵琶湖今津あたりに日置前があるんだがな」  「藤原の四兄弟って、その後に全員が流行病で死んだのよね」  「長屋王のタタリだな」  「ホントウなの?」  「わからんが、当時はそう信じていたんだろうなッ」  「迷信って云うことなのね」  「だな。次は?」  契芯何力・・(唐)・鉄勒、親唐北方民族「突厥の王子」  程名振・・・・(唐)・高句麗貴端城攻略した「薛仁貴」の副将              (658)高句麗の「豆方婁」を撃破  「『契芯何力』と『程名振』で、字のとおり、まったく、ふざけている名前よね」  「次にいこうか」  扶餘豊・・・(百済)・「義慈王」王子・              百済王(扶餘璋・瑶・糺解=くげ)              日本に人質。「多臣蒋敷」の妹を妻とした。              「多品治」は「多臣蒋敷」の子供。百済滅亡後              、「鬼室福信」等の              百済残党将軍の要請で「百済国王」に即位  扶餘勇・・・(百済)・「扶餘豊」の弟で日本に人質  「既に前に検討した人物名だけれど、『扶餘豊』は『多臣蒋敷』の妹を妻とし、天武天皇に荷担した『多品治』は『多臣蒋敷』の子供だって」  「この名前がオホノ、オオノならば、『古事記』は『太安萬侶』が記録したモノとされているから『太』は他意で、魚の鯛、妊娠胎児の胎、束帯の帯、隋書の妥(イ+妥)、鎌倉幕府の執権『北条泰時』の『泰』、執権への権力交替の替だな」  「鎌倉なのぉ~。あぁ、アッ、なんだか疲れちゃったよ、オジサン」  「今日はこの辺でやめとこう」  「また調べて来るね」  「イイ夢をみてな。あんまり学校、サボンナよ」  「うん、じゃぁまたね」

 境内の囲いに「烏瑟沙摩明王」と書かれた朱色の旗がパタパタひらめいていた。通称「明王さん」と呼ばれている寺だった。そこの桜も散って、少し暖かくなりかけては、また寒い日がぶりかえす、という不順な日が続いていた。そんな日からヤヤもすると、「紙張り地蔵」で有名な「陽秀院」の門には八重桜が咲き始め出していた。そして冬に落葉した銀杏の街路樹が遠くから観ると、その幹にコケが張り付くような感じで緑の葉っぱを吹き出していた。その等間隔で並ぶ銀杏の街路樹に肩を並べている木があった。落葉樹ではあるが科目不明、苗字不明の木。そいつも緑の葉っぱの芽を吹き出しつつあった。私にとって、名前不明の木なのだが、アリフレタ名前の奴なのかも知れない。十六年前は三十センチあるかないかの細身で、私のオフィスのビルの前の鉄柵の片隅にまさにヵ細く生えていたモノのだった。だが、その三年後には結構、背丈を二メートルほども伸ばした奴になっていた。ある日その背丈を半分に伐られてしまっていた。お日様の恩恵を受けるべく、その体を曲げて、車道の方に手を広げ伸ばしてしまったのが伐られるべき原因だった。伐られたのにも拘わらず、またもや夏に伸び出すのだ。それで、私はナナメになるのを避けるため、麻縄で真っ直ぐに伸びるように矯正してやった。だが、枝は私のお節介よりも車道の方に伸びるのがスキらしいのだ。そして、同じ繰り返し、通行中の車のサイドミラーに枝を引っかけられては折られてしまうのだった。私は奴に針金で括った札を付けてやった・・・「木を伐らないで下さい」と。  

 それから十三年後・・・今は図太くも、銀杏に負けじとその背丈もビルの二階を越え、天を目指して枝葉を広げている。  

 ちょっとこの木が異質だと思うのは、春に吸着板のようにな芽を幹に生やしたかと思うや、たいした日数も経ずにロッドアンテナのようにスルスルスルと細身の枝を50センチくらいも伸ばし、その枝に相似形に葉っぱを生やすのだ。そして、秋には枝の根もとに吸着力がなくなったように、葉っぱを付けたまま、その枝は太い幹からポロポロと落葉ならぬ落枝するのだった。  

 奴は、この十三年間のプロセスでも、私同様、その存在性をを問われるべく最大の危機があった・・・市役所の園芸植林課(?)の担当者がやってきて、「引き抜くか、さもなければ背丈を低くする為に伐る」と云うのだった。「エェ~ッ、それは・・・ご無体な」と、ワタシの台詞。街路樹の銀杏には責任を持つが、勝手にデッカクなった名無しのゴンベイには責任が持てないから処分する、と云うのがお上だった。背丈を伸ばした奴は、枝を車のサイドミラーには引っかけられることは無くなった。だが、大風が吹くと、枝が折れて落ちてくる危険性がある・・・のだ、と。そうなっては市はその責任はとれない、と。なるほど、もし銀杏の木の枝が折れて人の頭に落ちてきたならば、責任はとる、と云うことらしい。名無しのゴンベイの所有者はいないらしいのだ。しかも勝手に市の所有地にハエてしまった。私はビルのオーナーの奥方で、一階の喫茶店「ローズセラヴィ」の女主人でもある彼女に、「どうか、名無しの木を生きながらえさせて下さるようにお役人さまにお頼み下さい」と懇願し、その非道を訴えたのである。奥方の尽力の甲斐があって、「お上の慈悲」を貰ったヵの木は、図太くも生き残っている。  

 花が咲くのかどうなのか、確認をしたことがない。だが種らしき干涸らびたエンドウ豆みたいなモノを秋の落葉した枝に付けていた。私はその種らしきモノを小さな鉢に植え込んで、柿栗三年、桃八年と芽が出るのを待ったがその兆候はなかった。だが、最近気が付いたのだが、「名無しのゴンベイ」はその子供を彼女(?)から数十センチくらい離れた根本に生んでいた。  

 日本各地で地震が頻発していた。北は北海道の有珠岳、東京の三宅島の大噴火、鳥取島根の大地震。出雲の神様が国曳きでもやっているんだろう。確かに日本列島は弓形で、弦をひいてビョーンと矢を放ったら、その振動影響もあるに違いない。いずれは東海地震で私の住んでいるボロッチイ借り家も倒壊の憂き目を見るに違いない。  

 私のオフィスのビルは名古屋の中区大須の本町通りに面しており、この道はここから北に直進すれば名古屋城の裏門(南西)に突き当たる。大須は江戸時代は「名古屋」の歓楽街であり、文化の中心であったらしい。昔は「名護屋」、「那古野」と漢字を当てたらしいが、「名語也」、「納語也」だろう。アメリカで発見された「伊能忠敬」の地図には「名護屋」とあった。いまも骨董市が「八の付く日」に行われているのは「大須観音神社」の境内だ。コレを要の場所として大須は名古屋の「若者文化(?)」の町になっている。その「若者文化」だが、ここ四、五年は「古着」と「雑貨」、そして「中古品」の町なのだ。だが、私が大須を最初に訪ねた1975、6年の頃は寂れた「ジジババ」の町で、殆どの若者がこの町の稼業を捨て、大須から出ていってしまったらしかった。再度、私が大須に来たのは1985年の秋であった。それ以来、住み着いてしまったが、当時は「第二アメ横」なるビルが出来ていて「安い最先端の電気製品が買える町」になっていた。今はパソコンの町である。  

 「昭和天皇」が亡くなられた時、他の市町村が「夏祭りのイベントを中止」した中にあって、唯一「大須夏祭り」を大敢行し、「おまつり」で天皇の御霊をおくった場所でもあった。どんな人物の「生死」であれ、それは「生活者達の日常」であり、何時でも「おまつり」なのだ。この場所はそれをチャンとカラダで知っている場所であるらしい。  

 「大須商店街」は名古屋の中心地「栄」に南面しているが、この場所に人々が流れ込んで活況を見いだすには周期的な波があるようだ。「古事記」や「日本書紀」と同じように忘れさられそうになると、思い出したように活気を取り戻す、トコロらしいのだ。  

 とにかく「文字」として記録された最古(?)の「日本文化の原点」はここの「大須文庫」に所蔵されていた「古事記」である。「古事記」にも「日本書紀」にも「漢字そのものとしての謎」がある。日本人といった人種が記録した「日本人使用漢字」そのものにも「星の数ほどの謎」がある。  

 そして、ワタシは、これもまた「日本歴史」を「漢字の裏」でチャンと「ナゾの解き明かし」を表明しているモノのらしい・・・と考えるのだ、が。


 メリはしばらく私の所へはやってこなかった。私は彼女が現れるのを心待ちに待っていた。そして、ある日の水曜日の午後に彼女はやってきたのである。

 「オジサン、ヤットカメだね」

 そう、彼女は言った。「ヤットカメ」とは漢字で書けば「八十日目」と書く。標準語では「お久しぶり」とか、「ご無沙汰していました」の意味である。名古屋人しか通用しない言葉だ。

 「メリちゃん、ヤットカメだったなぁ~。逢いたかったよ」

 「勉強が忙しかったんだよ。それに私、新聞部に入部したんだ。学校の新聞にオジサンと勉強したコラムを書こうと思って」

 「ホゥ、そうか。それで、どんなコトを記事にしたんだ?」

 「残念無念、慚愧の至り・・・私の書いた記事は、没にされちゃったッ」

 「どおして?」

 「中学生の新聞記事としては難解で難しいって、部員も担当の先生も言うのよ」

 「ムヅカシイ、そりゃぁ、また、何故だ?」

 「高校に進学する人もいるでしょう。オジサンと私の説をカジってしまったらアタマが混乱して日本史のテストではカギリナク、ゼロ点に近くなるカモって」

 「まさに・・・0点だろうな」

 「コラムは事件の報道そのものじゃないし、アソビの部分があってもイイんじゃないの、って言ったんだけれども。高校受験の生徒のコトを考えると、影響あるか、ナイかはワカンナイけれど、止めときましょう、だって」

 「フ~ン、そうか。もし、メリの記事が載ったとして、その新聞、受験生が読まなければイイのかネ」

 「そう言う意味じゃナイけど」

 「で、メリは悄げちゃったのか?」

 「ゼェ~ン、ゼン。没にされたけれど、新聞部の先輩の殆どがオモシロイって言ってくれた。それで、ヤッパシ、私の書いた原稿に影響されてしまった、って」

 「どんな影響だったんだ」

 「西暦や、日本年号の共通項ばっかし探しハジメたり、漢字分解と当て字に夢中になったり、それに、日本史が虚偽ならもう歴史の勉強なんかしたくなくなっチャッた、なんて」

 「フ~ン、そうか、ソリャ、甚大な影響だな。影響されてもイイが、学校の教科書と混同してしまっては問題だな。試験勉強とは区別しなきゃ、ナッ」

 「オジサン、歴史の記録って事実じゃない怪しいモノが沢山よね。だから色々な説があってもいいし」

 「メリはどうだ。学説、珍説、虚説はチャンと区別しているだろうな?」

 「モチロンだけれど、理論的に信じたい説は主張してはダメかしら?」

 「説と言っても、数学とは違うからな、『1+1=2』にはならないぞ。オジサンの説は、『1+1=11=十一=壱拾壱』って考え方を基礎にしたら、コウなるぞ、と言うモノだからな」

 「学校の歴史教科書の基礎はどうなのよ?」

 「・・・1+1=一十一で、全部で十二、あるいは二十かな。そして、前部の膳部が重なる尼の字だな」

 「モウ、それもオジサンの説でしょうッ」

 「だな。ようは『歴史の事件の事実』というよりも『歴史の事件が起こった原因の考え方』の問題だな。事件が起こる要因は様々あるけれど、その事件が起こった原因の説明の仕方が、国の教科書は『国の基本的な立場』としての説明の基礎としているんだ」

 「『国の基本的な立場』って、憲法でしょう?」

 「そうだな、『日本国憲法』だ」

 「じゃぁ、問題はないわね。『平和憲法』だモノ」

 「ナルホド、確かに『平和憲法』・・・ダナ。ところで、起こった事件はどう説明するかな、マメ新聞記者のメリは?」

 「5Wと1Hだわ」

 「Who、What、When、Where、Why、How だな」

 「誰   何    何時   何処    何故 そして、どうしたらいいのか、だわヨネ」

 「問題は Why=何故と、How=どうしたらイイのか?、のセツメイだな」

 「原因の理由と、その問題解決の方法」

 「そうだ。何故は、自然災害のトラブルも含めて、宗教や信仰、商売や事業のやり方、侵略や防衛戦争、そのトラブルの理由は様々な『人と人との利害関係』によってなされるが、起こった理由も、起こす理由も、起こされた理由も、『自分の正当性』で説明される可能性が大きいな」

 「『正当性』って、自分が正しいと言う『大義名分』って、ことだよね」

 「メリは教養を増してきたなァ~。まったく、その『大義名分』だな。ここに国語辞典と漢和辞典、和英辞典があるが、チョッとタイギ、そしてメイブンの漢字を調べてくれないか」

 「和英辞典でも調べるの?」

 「ああ、参考までになっ」

 「タイギ、メイブンは・・・great cause, justice, They fought for in  the cause of freedom・・・自由と言う大義の為に戦った・・・」

 「cause に似ている単語は?」

 「似ているのは course よね」

 「意味は?」

 「道筋とか道程、過程、それに進路だわ」

 「他に違った意味がないかな?」

 「エート・・・course は、逆方向、政治上の反動化だって」

 「テルミドールの反動ってことか」

 「?・・・照美度烏留・・・照美土兎留・・・烏は太陽・・・夕陽のコトなの?・・・兎は月・・・満月?・・・胡ならエビスで、胡人」

 「胡人が西域人、西洋人、西欧人ならば、1794年は『甲寅の年』。7月は『辛未の月』。27日は『丙戌の日』、そして、28日は『丁亥の日』の『暑い夏の、8、9日』だな。その前年の1793年は『癸卯の年』で、日本では『海国兵談』の『林子平』が死んで、『塙己保一』の『和学講談所』設立だ」

 「コウイン、シンミ、ヘイジュツ、テイガイ、キボウ・・・何、それ?」

 「その干支の同音異字の熟語のスベテだな」

 「熟語って?・・・連れて引っ張られるの『拘引』、トラえて引っ張る、引っかける鈎の『勾引』・・・それから、外航、洋行、銀行の『行員』、矢のゴトシの時間の比喩の『光陰』・・・織工、織り姫の『工員』・・・ジャア、七夕津女の織り姫と牽牛の彦星の関係で七夕の星座のコトなのかな。王様や殿様の落としダネの『後胤』、役所の文書の『公印』・・・句の音の『句音』。新しさの『新味』、辛い味の『辛味』、親切の『親身』・・・オジサン、親を切るで何故『親切』なの?」

 「ホントだな、気が付かなかった。『親身』の『親切』は親を切るダナ・・・オヤオヤと驚くのは、同音異字の漢字だな。「お・を」は夫の夫家おや・フヤ・フケ・ユウケ、牡の牡家、麻の麻家、苧の苧家で、苧は麻の一種だが、同じ意味の異なる漢字に、草冠に予の、茅ある。だが茅の別の意味はクヌギの団栗どんぐりで、茅栗ショリツ・チョリツとも云う、芋(ウ・いも)にも似ている苧(チョ・ジョ)の漢字の意の重なりだ。箸墓の箸(はし)もチョと発音するな」

 「驚いたのは泥鰌と団栗なんでしょう?」

 「どおして、ソウ思うンダ?」

 「だって、ドングリころころドングリコ、お池にハマって、サァ、大変。泥鰌をが出てきて今日は。坊ちゃん一緒に踊りましょう、ダモノ」

 「なるほどな。すると、親の身を切るほどにツクシたのはドジョウの方だな」

 「だって、ドジョウは努の娘、奴の嬢、怒の情、度の丈、土を壌、土を譲るじゃないの。戦争に負けたら国土の割譲と女性の貞操が要求されるのよ。当然、『白村江の海戦』の結果だわ。そして、これに抵抗したのが『壬申の乱』じゃないの?・・・だって、『栗隈王』って天武天皇に荷担して九州筑紫の太宰府の帥、長官だったもの。團栗(トンリツ・ダンリツ)は、屯率、灘率、曇率、断率で、栗隈王くりくまおう・リツワイオウの示唆だわ。栗隈王は唐人よね。立話意、立歪、率倭夷。それに隈は隅と同じ。偶反は四方の一角を知らされて他の三角を知る、とあったわ。偶=隅ならば、偶反=隈反だよね。倭夷反、倭違犯。デクのボウって、木の偶の坊と書くのよね。木偶は操り人形で、傀儡で、クグツだわ・・・モチロン、唐の」

 「フ~ン、驚いたよ、メリは勉強しているな」

 「漢和辞典が最高に面白いから」

 「そうか・・・問題は親切だったな。親を切るとは、骨肉分離で、同音異字で考えれば、乞、字句の文理で、『乞巧奠キッコウデン』の七夕祭りで、七夕の『七遊、七酉、七憂、七優、七邑、七祐、七又、七結』に重ねてムスブならば、親=立+十+八+見(女+足)、切=七+刀で、志知唐、『質唐』、七塔、あるいは匕の刀で、女の方拿、方名で、『女の宿』だな」

 「女の宿って、後宮・・・」

 「マァ、遊郭だな。唐の使いの『郭務宗(心+宗)』のユウの、カク(郭)の、ム(務)のシンソウ(心+宗)だな・・・郭(くるわ)の務(つとめ)の心宗(ココロのモト)だ。ここは心と宗をヨクヨク漢和辞典で調べてみることだナッ」

 「・・・遊郭って、今なら男が遊ぶソープランドでしょッ・・・確かにソコの女性は男には親切よね」

 「ムッ・・・確かに、だな。そして、切るは記に留、紀に留、企に留、木の流の『紀貫之』だ。切ならば接の説カモな・・・女性は確かに親の縁を切って他家に嫁にいくが・・・それが、親切かな?・・・切=七+刀なら、石上神社の『七支刀』で、七支は午支=馬史=旨・・・宇摩志、摩遅で、婆の詞、施、磨の字で、トグは、塗の具の字だな」

 「ババのコトバ・・・『則天武后』の父親は材木商人の『武士カク(尋+艸+隻。類字は獲・護・〈源字は尋と獲、護の扁を取り去った漢字との合字〉)ブシカク』だったわ。娘が出世すれば両親一族もその恩恵に預かれるわよねッ」

 「ナルホド、賢い結論だな。ならば『白楽天』の『長恨歌』に歌われた『楊貴妃』もだな。『比翼の鳥になりならん』、比べる都の婆の作の重に名の裏、名の覧・・・その真説か、新設の新説だ」  

 「フ~ン・・・それで、次が軍人、武士の『兵術』、並べて述べるの『並述』、併せて述べるの『併述』。定める害、帝の害、綴の該・・・綴の解。希望・・・既望、気泡、紀宝、貴方で・・・規を模の宇、鬼の母の胡なんだ・・・胡人は西域の人で、西欧人」

 「蛮夷のエビス、やっと西欧人に繋がったな。1794年の『甲寅の年』の月と日は、フランス大革命の指導者ジャコバン党のロベスピエールが、サン・ジュスト等と逮捕され、処刑された日だ。『ジャ・コ・バン・党』、すなわち、邪は蛇、者で、胡、虚の虎が、蛮の萬の挽の版が判、問の答の到、唐の頭を、読むさ」

 「フ~ン、オジサンのコジツケってチョウ凄い!」

 「コジツケとは故事つけだが、虎の児の柘の懸で、奈良の平城京とは、胡が治める都の怪さ」

 「胡が治る都の華・・・フランス革命なら『ヴェルサイユのバラ』の『マリー・アントワネット』・・・『オスカル』じゃないのサッ」  

 「宝塚少女歌劇団の女の園だな。メぁリィも云うじゃないか」

 「それで『林子平』と、『塙己保一』は何を意味するの?」

 「祭りのお囃子はやしで、『古事記』の『お囃子の詞併』で、『華木の補位置』だな」

 「囃子って『邇藝速日命にぎはやしひのミコト』で、華木は『木の花の佐久夜媛』かしら」

 「カモな。で。さて、タイギ、メイブン、漢字ではどうだ?」

 「・・・タイギ、メイブンは・・・ノートに書き出してみるよね」


 タイギ

 大義=父子、君臣の道

 大義名分=臣民として守るべき節義と分限

 大儀滅親=肉親よりも国家君主につくすべき道(左氏伝・隠公四)


 「これは、臥、訓の振よね」

 「左(ひだり)は、ヨコシマなウジの伝えだ」

 「比べ拿わす理は、邪(よこしま)な悪、胡の時の伝えなの?」


 大儀=重大な儀式。苦労。面倒で億劫なこと

 大議=大きな議論、相談  

 対義=男と女、天と地、広いと狭い等の意味が互いに対応すること

 体技=素手等で戦う肉体的格闘技


 「格闘技は書く唐の擬。郭との討議、『郭務宗(心+宗)カクムソウ』との討議かしら」

 「肉体はジクタイで、字句の他意だな。しかも『肉』の漢字は部首の偏になると『月』の漢字に変化するんだ。『肉=人+人+冂まきがまえ・けいがまえ・ケイ・キョウ』だ。人が重なる巻きが前、あるいは経が前か、刑の前、橋(はし)、景(かげ)、計(はかる)=稽等の前・・・刑の構えカモ」

 「ハシ(橋)は川に架けるモノ、箸は食べ物を摘むモノ、梯は高い屋根にカケるモノ、端は紐の両端、波子は波の子で、海士の子、葉詞はコトバ・・・コトバを懸ける他意の意義なんだ」


 他意義=他の意義、理由  

 大偽=大きなイツワリ。大きな人為  

 大欺=大きな欺瞞、ウソ

 台木=接ぎ木されるモトの木。物の台にする木


 「そして『古事記・上巻』に記録されている『竜宮城』の『鯛たい・チョウの誼(よろしく・よしみ・ギ)』だな。タイギは書き出せば、次の漢字でも採れるな・・・」


 鯛疑=竜宮城のタイを疑え

 替技=替えるワザ

 帯義=古事記序文の「帯」の読み方の意義・「帯方郡」の魏

 (イ+妥)欺=隋書「タイ国伝」の欺瞞

 胎妓=「胎中天皇」の「応神天皇」・月台女支・孕む女の支

 戴魏=魏志倭人伝の「戴冠式」

 碓犠=小碓、大碓の犠牲

 泰誼=北条泰時の誼


 「・・・フ~ン。北条泰時も・・・メイブンは・・・」


 メイブン

 名分=君臣、臣子等の名の身分に応じて君や親につくすこと

 名聞=名高い、有名な

 明文=条文

 名文=すぐれた文章

 銘文=金石の器物に刻まれた文字

 盟文=同盟国の契約の条文

 迷文=迷いの文

 謎文=謎の文


 「辞典には見あたらないけれど、命の文・姪の文・瞑の文・鳴の文」

 「なるほど、ヤルナッ」

 「そして、タイギの言葉とメイブンを台木にして接ぎキにするのよね。それに命の文・姪の文・瞑土への文・鳴く文は、旧聞、九分の文鳥、カゴに窮する鳥、級の長、鴉、雅、烏クラスのおさ、からす、みやび、カラスに似た黒い九鳥はオシャベリの九官鳥だわ」

 「相変わらずアタマの回転が早いな。九官は九人の大臣のチョウで、総理大臣の『司空』だ。昔の時刻の九つは子の刻と、午の刻だな。九州は中国支那の中華で、九合は集める、併せるだな。そして、九は極めるで、オワリだ」

 「オワリ名古屋はシロでモツ・・・天守閣が金の鯱しゃちほこの城・・・タイギ+メイブンの組み合わせで、とにかく、タイ・ギメイ・ブンは他の意、偽の名、分で、大ウソのメイ文よね・・・オジサン、これって、『大須の名文、銘菓』を私に云わせたかったんじゃないの?」  

 「ソリャア、大須コジキと、大須ウイロウだもな」

 「フ、フフフッ・・・モウ、笑ッチャゥんだから」

 「そして、その理由が『正当化』されれば、解決方法はそれを基礎にして解決されるよな」

 「『正当化』の基礎って何?・・・セイトウのカ、同音異字は沢山あるわよ・・・征討の下・・・盛唐の蚊、西の唐の嫁・・・なの」

 「流石さすがで、龍の跡だよ、メリちゃん。占いで正答の八卦を得るには難しいな。だが、ヒントは婿(むこ)は唐(から)の家だな」

 「ムコって、天武天皇のことよね?」

 「じゃないのか・・・とにかく、『正当化』とは客観的なイイ、ワルイは別にして自己犠牲を払っても守るべき信念だな」

 「信念、何それ?」

 「キリスト教国や、回教国ではそのすべての原因の理由が『カミさまの思し召し』だな。仏教国は『仏さまの御心のママ』だ。社会主義国では『階級闘争の為』だな」

 「カミさま、ホトケさまの教えを信じて守るってことなんだ。でも、『階級闘争の為』って、何?」

 「オジサンが考えるには、身分差別を無くして、社会的生産物を計画的に再配分する社会をつくるために戦う、と云うことだな」

 「・・・日本は身分差別は無いし、国民が納めた税金は社会的生産物のコトだし、その再配分って、税金の使い途のことで、国がやってんじゃないの?、ソレって」

 「勉強してるな、メリは。オジサン、勉強不足で、答えには困ってしまうな。で、政治家や役人が賄賂を貰ったり、くれた相手に便宜をはかったり、役人が天下る公共事業団で高い給料を貰ったり、財務省が銀行業者から高級料亭や飲み屋でオゴッテ貰って便宜を与えたり、厚生省が薬屋とツルンでエイズの感染経路を隠したり、外務省が機密費で給料の水増ししたり、自家用車を買ったり、外国では贅沢な晩餐パーテーをやったり、チョロまかした億を越える税金で競馬の馬の馬主になったり、とにかく税金が無駄に使われているって、テレビでも新聞でも云われているのは、どおしてなのカナ?」

 「チャンと再配分しないでチョロまかしているんだ。ソレって、国のシステムが悪いんじゃないの?」

 「三権分立って習っただろう」

 「社会科で習ったわッ。民主主義の基礎だって」

 「日本は三権分立の国だよな?」

 「そうだよ。立法、司法、行政の独立だよね」

 「三権分立で立派な憲法もあるよな」

 「あるけれど・・・オカシイね」

 「何処がオカシイのかな?」

 「・・・司法は裁判官だけれど、立法と行政の長を国会議員がやっているよね」

 「フ~ン、なかなか鋭いな。同じ国会議員が立法し、行政をしていると云うことは、ドウイウことになるカナ?」

 「都合のイイ行政をする為に、都合のイイ立法をするんだ」

 「メリちゃん、将来、政治家になるか」

 「・・・儲かるかもね、都合のイイ政治家になったら」

 「儲かるな、ウマクやれば」

 「儲かるね・・・デモ、儲けるのなら別な仕事がイイな」

 「日本も含めてだが、三権分立は西洋近代国家の要かなめだが、メリが云った立法と行政を担う人物が同じであるのは二権が分立していない、ってことじゃないのかな」

 「みんなの為にはアンマリ役にたっていないんだ。三権分立って、民主主義の基本だけれど、二権分立じゃぁ、ダメじゃない」  

 「それに、三権分立であっても、司法は立法されたモノを守るルールだし、司法官も買収されるよな。特に日本では役に立たないカモな」

 「裁判官も買収されるの・・・どおして?」  

 「お金が欲しいからさ。それに立法の根本は資本主義、自由主義をまもるのが原則だからさ」

 「自由主義ってイイコトなんじゃないの?」

 「ああ、そうだな。西洋近代市民社会は、その国家の枠内では誰でもが『好きな場所に住める』、そして『好きな職業』の選択が出来る『個人の権利と自由』が前提だ。いわば原則的に生産と商売は何でも自由で、それによってドンだけ儲けても自由と言うことだ。結果はどうなるかな」

 「フッフ、フフフッ、ドン(首領)だけが、ボスだけがお金持ちになれるのよね。でも税金も払っているんでしょう」

 「ああ、儲けた金の何分の一かはな」

 「税金ってみんなのタメに使われてイナイものネッ」

 「そうだな。金持ちにもなれるし、そして、どん底の貧乏人にもなれるな」

 「お金持ちか、貧乏人かドッチか・・・でも真ん中もいるよ」

 「そうだな。貧乏はスキかな、メリは?」

 「・・・貧乏はイヤだわ。欲しいモノが買えないモノ。お金持ちか、なれなくても真ん中くらいの金持ちになりたいナッ。オジサンは?」

 「オジサンも貧乏はイヤダな。でも、貧乏なんだ」

 「ドンだけ貧乏なの?」

 「国民年金も国民健康保険料も払えないときがある」

 「パチンコに使うお金があるんじゃナイ」

 「そうだな。実はこの商売じゃ生活費がギリギリだから、時たまパチンコで勝った金で支払っているんだ」

 「負けたらお終いジャン」

 「だな」

 「オジサン、チャンと儲けようとして働かないカラじゃないの?」

 「そうだな、儲けようとして働かないカラだな。カラの理由だな」

 「カラの・・・ウラナイ師って、儲カラないの?」

 「お客がこなければ儲カラないサッ」

 「カラか、そうよね。イツも私以外に来る人って、いないみたいだものね。ジャァ、ガンバって、来るようにしたら」

 「・・・そうだな・・・考えてみるか。オジサン、メリに説教されてしまったナッ」

 「貧乏がイヤならソレしかないョ」

 「だな。反省するよ。だが、金持ちになったらミンナどおするのかな?」

 「ダカラ、貧乏にならないように、お金持ちであり続けるのよ」

 「それじゃないのか、二権不分立の問題は」

 「・・・二権の立法と行政の不分立、お金持ちが問題なの?」

 「イヤ、金持ちを続けたい、ってことさ」

 「・・・変なの、それって。誰だってお金持ちになりたいし、なったら、ズゥーットお金持ちでいたいんじゃないの」

 「だな。貧乏で困っている人々はどうなるんだろ」

 「お金持ちが助けてあげるのよ。困っている人々には」

 「よし、そのハナシはそう云うコトにしておこうか」

 「ナンカ、ヘンなの?」

 「イヤ、ヘンじゃなく、アタリマエだと思い込んでいるのは当たり前さ」

 「ムズカシイヨねッ。お金持ちが困っている人を助けるとは限らないから」

 「だな。だが、国境を越えて人類、人間すべてに拡大して『自由、平等、博愛』の精神でタスケあうんだよな」

 「アタリマエのコトじゃないの」

 「このアタリマエの考えは、どうにか、こうにか苦労してヤットコ手に入れたもんなんだがな。実行はムズカシイのさ」


(8)

 「そうかな・・・で、ドオしてヤットコなの。ハジメからなかったモノなの?ソレって。ナンカ、それ、変だよ、オジサン・・・実際はなかったけれど、言葉はあったんじゃないの?、その『個人の権利と自由』、『自由、平等、博愛』は?、だって漢字であるじゃないの、ムカシから。漢字があるなら実際にもあったんじゃないの?」  「なるほど、イイ質問だな。だが『自由、平等、博愛』の漢字は何時の時代のモノかな」  「日本じゃぁ『宇治平等院鳳凰堂』があるじゃない」  「あるな、平等院、確かに。十円玉の裏の絵だったな。言葉はあったし、『自由、平等、博愛』の言葉も考え方もあった。そして実際にもあった。平等とはニュアンスが違うけれど対等と云う言葉もあるよな。『自由、平等、博愛』は身分が同じレベルの人々の関係で、あったものなんだ。古代ギリシャや、ローマでは、その市民権を有する者に限られたモノだ。だが、市民の中には特権階級の貴族もいたし、男女間の差別はモチロンあった。そして奴隷は市民権の埒外だった、よな」  「奴隷だった人々って、戦争で負けた人々よね。ローマのスタルパクスは奴隷解放を指導した人物よね。アメリカの黒人奴隷はダマされて連れてこられた人々よね」  「そうだな。アメリカ合衆国って云うけれど、1960年から1970年代に公民権問題が起こって黒人の人々はヤット、法律的な公民権を手に入れたんだが、まだ完全に現実的な権利とはなっていないんだ」  「法律的なモノになっても実際に守られなくちゃダメよね」  「そうさ。法律は人と人との間のルールだけれど、対等であることが前提なんだ。しかも対等でない関係でのルールも古代から文字として粘土板に刻まれてきた」  「でもハムラビ法典の、『目には目を、歯には歯を』は対等関係の罰則なんでしょう?」  「違う。対等な掟ではないんだ。チャンと『身分条件』も刻まれているんだ」  「・・・罰則は身分が同じレベルでの人々の関係で、その中でのモノだったんだ。身分が違うと対等にはなれなかったのね。権利がない人は平等じゃぁないんだ」  「ああ、ムカシもイマも、この社会には色んなレベルがあって、あらゆることで人々は対等でも平等でもないんだ。あるとしたら、神のモトでの平等か、ある国家体制のモトでの平等か、ある組織のモトでの平等か、法律のモトでの平等なんだ。つまり、言葉としての理屈だ。そして基本的にはあるルールを守っている仲間でのナニかに対する平等だな。すべてではない。しかも上下関係の秩序に制約されている」  「テレビでみたけれど、アメリカ映画に出てくる刑事さんは、『お前にはアメリカ市民としての法の下で裁かれる権利がある。弁護士を呼ぶ権利がある』ってイイながら捕まえた犯人を気絶するくらいボカボカと殴っていたものね」  「法律があっても、実際に犯罪者が問題を起こしたときには対等、平等には扱われないし、裁かれないんだ」  「当然じゃないの、悪いことをした人は」  「もし、捕まった人が犯人ではなく、冤罪だったら」  「・・・困るよね」  「疑わしい場合は?」  「疑わしいのも困るよね。だから裁判なんじゃないの、白黒つける?」  「だな。その裁判も問題だ。灰色はどうする?」  「証拠が無く、証人がいなければ、疑わしくても罰せず、だよ」  「良く知っているな」  「テレビでみたもの」  「なるほど、テレビは知識の源泉だな」  「為になるよね」  「そして誰でも裁判で平等に裁かれる権利があると云うが、実際には法律自体が但し書きの諸条件を付けて人々の対等、平等を制約しているモノなんだ。高額の保釈金が支払える奴は牢屋から一時的にしろ出られるが、無い人間は全くダメだな」  「そうよね」  「メリは十三歳で日本の法律上では結婚できないことになっているな。だが、実際に結婚出来ないワケではない」  「実際は結婚できるの?」  「法律を無視すればのハナシさ。だが、法律違反は罪になる。バレれば牢屋に入れらてしまうかもな。問題は法律を守るかどうかの意識的な立場の問題だ。そして、バレなければ法律は意味がない」  「バレないようにすればイイんだ」  「みんなが考えている法律のレベルがソウなんだ」  「罰則の法律って無いほうがイイんじゃない」  「法律は無いほうがイイさ」  「でも、困るよね。犯罪者が増えるのは」  「破る法律がなければ犯罪者もいないさ」  「でも、悪いことする人はいるよね」  「法律にかわるモノがあればイイな」  「ナニ、それ?」  「モラルさ」  「道徳なの。でも、それもルールよね」  「だな。罰則に縛られないルールだ」  「守らないヒトも出てくるよね」  「ああ。でも一応、どんな人でも小さい頃から教えられていれば、常識として守ろうとするよな」  「常識になれば当たり前のことだものね」  「だが、どんなモノでもコモンセンスになるには時間が必要だ。ところで、コモンセンスって何だ?」  「わかっているわよ、オジサンのコモンのセンスは『城の顧問、撰素』で、『胡文、潜主』。そして、虎の門、潜む主、胡の文、寅の文を撰ぶ、古文にアル字、アル事なんでしょう」  「オジサンのココロをヨマレテしまったな」  「だって、種はミエミエだものね」  「参ったな。虎は黄色に黒の縞模様で、額には王の文字だ。黄文とは詔だな。黄門サンとは水戸の『徳川光圀』で、『中納言』だった」  「『大日本史』を作らせた水戸黄門さんよね」  「『楠木政成』を崇拝した人物だよな。彼を武士の倫理、道徳のカガミとしたんだ」  「君臣、朝廷への忠誠心のあつい人よね。黄門さんは正義のお爺さんだモノね。でも、不忠な敵によって『楠木政成』は戦死したんでしょう。モラルを守らない人々はどうするのよ」  「そうだな・・・ルールも、モラルもいらない社会になればイイんだが、アダムとイヴの『エデンの園』・・・無理かな。そんな社会は人間に無理だな」   「その『エデンの園』では結婚も自由だったのかしら」  「結婚するのは自由だが、結婚は男女間相互の制約だな・・・オジサンが中学二年生の時にブラジルへ移民した女の子の同級生がいた。家族でブラジルに開拓移民したんだが、その彼女からクラスへ手紙が来た。手紙にはかなり年長の男性と結婚しました、と書かれてあった。みんな、ウソだろうって、何故かショックな顔をしていたな」  「じゃぁ、私も年齢に関係なくブラジルでは自由に結婚できるのね?」  「ウッ・・・道徳と自由のハナシ、ズレちゃったな。結婚か、今、どうだかは知らないがな。ブラジルの密林はエデンの園じゃ無いさ。場所や国によって、あるいは国の中の種族によってルールはイロイロだな。お金があればアメリカへ行って結婚式も出来、子供も生むことが出来る。そして、子供はアメリカ人にもなれるし、その親はとりあえず永住権も貰える可能性がある」  「ルールもお金の枠内でのハナシなんだ・・・でも、神様も、自由、平等、博愛もミンナいいことよね」  「問題は、『神』さんや、『自由、平等、博愛』の『大義名分』を、ある立場の人が自分の都合のいいように利用するってコトだな」  「結局、お金持ちがって云うことなんだ」  「金持ちも事業に失敗してスッカラカンになってしまうこともあるよな」  「!・・・そうよね」  「問題は誰でもが金持ちになれるって云う幻想を維持出来るような社会体制をマモっていきたい、って云うことだな」  「・・・教科書も利用されるのよね。ある幻想を守っていきたいって」  「特に歴史の教科書は、コウであるベキだ、って、イイ意味にも、ワルイ意味にも利用されやすいな」  「オジサン、モウ、疲れちゃった。今日はこれで帰るね。この前の『白村江の海戦』と『壬申の乱』の続きは明日来るから、また教えてね」  「そうか、冷蔵庫に『烏龍茶ウーロンチャ』があるから飲んでくれ」  「うん、オジサンも飲むならお茶碗に注いでくるよ」  「アリガトウ、飲みたいな」  「わかった・・・どおして『烏龍茶』なんだろネッ?」  「それは、脂っこい中華料理にはウーロン茶で、胡人、胡人、古人の乱のチャは、虎の乱のチャ、寅の覧のチャ、『茶=艸+八+ホ』で、日下の蜂を保だからさ」  「・・・アッ、そうなんだ。トラの a rum customer, a rum start で、酔っぱらいのチャで、句左官(佐官)武吏の覇地の補なんだ・・・じゃぁ、雨と嵐の治、也でもあるよね」  そう言って、彼女は台所で自分と私の分のお茶を入れて運んできた。  「相変わらず反応が早いな。Ram は雄羊で、白羊宮の Aries 十二星座宮の第一宮だな」  「そうか、ジャア、兎の ran は、tortoise,turtle 亀との競争よね・・・宇佐と穐の戦いは安芸が勝ったってコトなのかしら」  「ウ『鵜(ウ)=鳥+盧』と卵の知、也でもあるな」  「鵜(鳥+盧)野讃良の持統天皇、玉子で、王子、往時、往事なんだ」  「鵜=弟+鳥で、オト(音)のチョウ(重)、テイ(綴)のチョウ(帳)で、『古事記』、『日本書紀』の閲覧だな」  「モウっ、疲れるワァ~。オジサン、明日は『阿倍比羅夫』からだよ」  「よし、阿倍さんだな。アベ、マリア、サンタ、マリア」  「アベ、マリア・・・サンタ、マリア?」  「明日のお楽しみだ」  「・・・ワカッたワッ、サンタのその意味は。デ、また、変なコトを教えてくれるのよね。期待しているから」  そう言って彼女は烏龍茶を一気に飲み干して帰って行った。  木曜日であった。アメが降っていた。傘を彼女はさして登校したのだろうか。その日の朝はアメが降っていなかった。私は壁掛けの時計をチラッとみて、再度時計の針の位置を確認した。午後の十三時だった。昨日、メリは確かに明日来ると云っていた。私の気持ちは待っていた。メリがやってくるのを。まだ学校の授業が終わるはずがないのに・・・きっと昼休みが終わって、午後の授業が始まったばかりに違いない。黒板に教師が白墨で書き殴っている課目は何なんだろう。数学、それとも英語か・・・社会科・・・課目は何であれ、きっと彼女のアタマの中は古代史に違いない、と勝手に妄想していた。  湿気った不味いタバコのケムリが目にシミた。客も来ない。時間の流れが緩慢であった・・・シャッフルもせずに二十二枚のタロットカードの一枚を抜いてみた。カードは、Wheel of fortune・・・二枚目はStar・・・ 三枚目は・・・Fool だった。運命の輪、ホシ、そしてバカはナニを意味しているのか。  「オジサン、目を覚ましてよ。勉強の時間よ。オジサン」  メリの声が頭の上で響いていた。私は椅子に座ったまま眠ってしまっていたらしい。  「・・・オッツ、メリちゃんか。ハヤカったな」  「オジサン、寝ぼけっているんだ。もう、十六時過ぎよ。ハイ、これ、たこ焼き。ワタシのオゴリよ。ウーロン茶はオジサンのもいれといたから」  「アリガトゥ。随分と夢の世界に漂っていたな。ウ~ン、うまそうな匂いだナ。ご馳走になるよ」  「美味しいのよね、あそこのタコ焼き屋さんてッ」  「うまいな・・・誰が考え出したんだろうナッ、タコ焼き」  「これが調べた漢字よ」  「ナニをシラべたって?」  「タコの漢字よ。ハイ、これ・・・英語のノートに書き出したモノなんだけれども」  メリはノートを開いて私に見せてくれた。  蛸・鮹・凧・多古・胼胝・章魚・多胡・田子・多湖・・・他語・多語  Octopus・・・October・・・8・・・ハチ、ハ、チ  タコが重なるたこ焼き・・・・食べたい  「授業は英語の時間に調べたのか?」  「ピンポン、あたりッ。オクトゥバーって、十月だけれども、ラテン語では『8』を意味するんだって今日、英語の授業中に先生が教えてくれたのよ。『ハチ』って、吸盤がついた八本のタコの足のことでしょう。それに8なら八月なのに十月。それで、オカシイなって、国語辞典を取り出して調べてみたのよね、タコ。調べて、突然、吹き出して笑っちゃったの。シマッタって思ったけれども、後の祭りで、まわりのミンナも驚いちゃって、私をみているのよ。そして、先生にナニをワラってんだ、って怒られちゃったのよ」  「ハッ、ハハハハッ・・・そうか」  「先生が私の所へきて、机の上にある私の国語辞典を取って、英語の辞典じゃないな、コレは、って云うのよ。私は英語の辞典もココにあります、って云ったんだけれども、チョッとノートを見せろって英語のノートを取り上げられたのよ。先生はノートの漢字をみて、タコ、たこ焼きか、って云うの」  「それで?」  「イエッ、先生が先ほど教えてくれた October の単語を確認して、ついでに Octopus のスペルと、それに関連するタコの漢字を確認してみたら、つい・・・笑っちゃって、スミマセン、ってアヤマったんだけれど・・・黒板にその漢字を書いてミンナに教えてやれ、って」  「フ~ン。それで?」  「それで、ショウがないから教壇に上がってこの部分を黒板に書いて、これがタコの漢字ですって・・・そして、お前はたこ焼きのウマイ場所を知っているなら先生にも教えろって。そしたらクラス中が大笑いの爆笑」  メリはそう云って、爪楊枝で突いたたこ焼きを口に運んで、肩をすくめた。  「そうなんだ」  「モウ、たこ焼きが食べたくなっちゃって・・・お小遣いをはたいてしまったのよ」  「そうか、面白いな・・・イヤ、凄くウマいよ、コレ」  「サァ~、食べ終わったら昨日の続きね、オジサン」  「よし、チュウ、チュウ、タコ、カイ、ナの謎の解明からいくとしょうか、だな」  「・・・チュウ、チュウって、ネズミの鳴き声よね。それって、ナニかの意味があるの?」  「あるさ、ネズミは木をカジって自分の歯の成長を調整しているからな」  「チュウの漢字の同音異字なんだ・・・書き出せば・・・」  チュウ  中、注、註、忠、宙、柱、廚、駐  多胡の  交い名、改名、甲斐名、戎名、偕名、海名、解納  「多(おおく)の胡(えびす・コ・ウ)の名・・・西域、西洋人の胡なの?」  「エビスがコウだな。今日はアベの名前からだったなッ」  「そうだけれど」  「『アベ』はラテン語で『メデタシ』と言う意味なんだ」  「メデタシ・・・お目出度いのメデタシなの?」  「ああ、そうだ。『アベ・マリア』って聖母マリアのことで、『イエス・キリスト』を処女懐胎して産んだからソウ云われるんだ」  「アベ・・・阿倍の苗字が・・・なんか嘘臭いわッ、ソレって。『則天武后』の『アブ』ならば納得するけれども、キリストの母親だなんてッ!」  「だな。だが、唐時代のキリスト教は『景教ケイキョウ・ネストリュウス』と漢字で記録され、『イエス・キリスト』は漢字で移動の移、鼠で『移鼠(イス)』と記されていたんだ」  「うつる、ネズミなのぉ。それってホントウ?」  「本は唐で、本当さ」  「でも、どおしてぇ・・・」  「ネズミ算の意味は?」  「増え続けるコト・・・信者を増大させること・・・」  「さすがにメリは頭の回転がハヤイ。ネズミはコレラ菌の媒体動物でもあるよな。コレラの漢字は『虎の列を刺』と当て字しているんだ。」  「ジャァ、『寅(イン)の列を指す』、『眈羅の裂を挿す』でもあるよね・・・コロリ病・・・ジャア、聖母マリアは、生む母で、ネズミの母親なんだ・・・エイリアンⅢと、Ⅳのクイーン、『ジェフリ』なんだ!」  「オジサンも視たぞ、その映画は。それで、お中元の贈答品は6月の午(ウマ)の月だが、お歳暮は何時の時期にする?」  「十二月・・・」  「十二月は子の月だな」  「クリスマスのサンタクロースなんだぁ!・・・十二月二十五日の餐の卓を賂、胡の主」  「メリー・クリスマスのメリーは、メリの名前の由来でもあるな。チョット聴いてみるか、アベ・マリアを」 ☆アベ・マリア★(音楽を聴きたい方はココをクリックして聴いてみる?)  「アベ・マリア!・・・オメデトウ・・・ジャァっ、Merry は・・・アベなの?」  「英和辞典を調べてみるか、ABを、サッ」  「abー、って、away,from,off,・・・about の略じゃなかったかな・・・英和辞典・・・アベ・・・『A・B』は『二等水兵』・・・海軍のセイラー!・・・『文学士』の略・・・『Abb』は『横糸』、『尼(あま・ニ)の院長』、『僧の院長』で、 abbess,  abbot, の略なんだぁ~・・・どおして?」  「セイラー服って日本じゃ女子学生の制服で、代名詞だな。『薬師丸ひろ子』って女優が出た映画は『セイラー服と機関銃』じゃなかったか?それに『時をかける少女』は誰だったかな・・・原田なんとか」  「オジサン、古いよ、もう、彼女たちはオバンよ」  「そうか、とにかく、ABCDEは、エビシイデイか、エビスイデイだな」  「エビス・・・蝦夷、示、出意・・・蛭子、出、射・・・なのね!」  「『日本書紀』では『山背大兄皇子』の事件のところで、蘇我蝦夷、入鹿、蘇我氏は『古人大兄皇子』にネズミに例えられていた」  「アベは海の戦士、海の女、海の部、阿の毎、尼、(女+亞)、ガマ(蝦蟇)蛙のカエルなのね・・・でもォ~・・・ホントカシラ」  「本は唐さ。『古事記』も『日本書紀』も当時のモノは現存しない、だろう」  「書き写された写本・・・だったわね・・・大須の観音で、観る音だ。大須の外郎で、改漏で、改めて漏らすなんだ」  「外郎(ウイロウ)は唐の官職名で記録係の下っ端役人だったろう。そして、ウイロウは初めは江戸時代に中国から渡来した帰化人が売り出した『のど飴』だった」  「江戸時代・・・」  阿曇比羅夫・(日本)・「扶餘璋」を百済に送った水軍の大将  阿部比羅夫・(日本)・「阿部引田比羅夫」・日本水軍提督   「アズミ、阿蘇が曇る、アベ、阿蘇の辺はモウ、いいわよね・・・とにかく、人物を重ねて解く鍵なのよね」  「だな」  「次は高句麗の『泉蓋蘇文センガイソブン・いずみ、ふた、よみがえらす、ふみ』。これも名前の示唆だわね」  泉蓋蘇文・・・(高句麗)・高句麗王                ・「莫離支(マリキ)」=王の意味                ・「莫=無」、「離」、「支=十二支」                ・「莫離支」=「バクリシ」=「場句理詞」                ・宝蔵王・「668年11月」、唐将「李勣」                 に敗北降伏  「そのココロは?」  「センガイソブンは選外の蘇文だもの。パクリの史だわ。泉のフタを蘇らす文なのよね・・・泉って地名のことなの?」  「イズミの地名や、名前の漢字は、和の泉、出の水、出の海、泉の水、井の澄、湶、伊の豆の見で、泉台=仙台だな。そして、江戸時代の蘭学者の総称だな。それに十二支を離れるナカレ、だ」  「フ~ン。重なる、似る史を、離れるな、なんだ」  「次は?」  李勣・・・・(唐)・遼東道行軍大総官、兼、安撫大使・英国公           ・「666年」に高句麗へ遠征。「667年」平壌            を攻撃  「『李勣リセキ』の名前と『安撫大使』の官職名、『英国公』の領主であること」  「そのココロは?」  「安撫の音読みアンブは、安部で、阿武になり、暗部と按配の按で、按の武、案文で、『蘇我=入鹿=鞍作太郎』の鞍作の分だから」  「英国公とは?」  「エイコクコウは洩告行で、行を洩らし告げる、だから。それに英の同音異字は永でナガイ。英は花房で、華房で、中華の蚊=虻=阿武の謀で、陰謀だわね」  「英国はエゲレスだな」  「イギリスだわ。前にもオジサン、ブツクサ云っていたけれど・・・このことは英語に重なるってコトなのよね。そして英和辞典よね」  「ああ。まさに英和辞典、和英辞典がナゾを解いてくれるのさ」  「英語・・・なのぉ~」  「次は?」  独孤郷雲・・(唐)・「李勣」配下の将軍・鴨緑江道  「『独孤郷雲ドッコキョウウン』は、『読む虚の経の云』で、読む虎の教えを云う」  「まさにだな。名前も北方種族的だ。次は?」  郭侍封・・・(唐)・「李勣」配下の将軍・積利道            水軍で兵糧運搬中に船が沈没し、到着遅延で            「李勣」に叱責される  「『郭侍封カクジフウ』は名前の姓の音読みが『日本書紀』に記録されている『朝散大夫』の『郭務宗(心+宗)』と同じで、画字諷で、加来次夫、賀来次夫だわよ」  「メリはホントに名推理のデュパンだな。ジャァ『柿本人麻呂』も重なるワケだな」  「・・・カキのモトの人の間の賂なんだ・・・」  「次は?」  馮師本・・・(唐)・「李勣」配下の「郭侍封」と同僚の(?)将軍             積利道水軍で兵糧運搬中に沈没したのは             彼の船であった  「『馮師本ヒョウシホン』は表紙の本、批評の評誌の本、拍子のモトは樫の木で、拍子木の火の用心」  「そして、ツクシ、筑紫の本だな」  「ツク詞はルビよね」  「土筆だな。十一の筆で、ツクシンボウは柘の句の深謀、筑紫の辛抱だな」  「心の棒、信の望、辛の卯で、唐の憂さ気かも」  「上手いな、憂さ晴らし、とは。次は?」  金仁泰・・・(新羅)・「劉仁願」とともに「卑列道」から兵を徴集し             、平壌攻略に遅延して参戦  「記に務る、人の体か、靱帯だけれど」  「靱帯は臑の筋だ。アキレス腱さ」  「アキレスの筋って?」  「ギリシャとトロイの『トロイ戦争』さ。戦争の原因は美女のヘレネだったのさ」  「戦争の原因は女って云うことなの?」  「王女、女王はワガママだしな」  「・・・戦争やるのは男達でしょう」  「嗾けるのは女だな。古代にはアマゾネスってのもいたし」  「アマゾネス、オンナ・・・次の『(赤+邑)処俊』は威嚇する処は駿河かしら」  「シュンは春、惷で、尾張の『徳川宗春』かもナッ」  「尾張徳川の宗春なんだ・・・そして、春ならハルで、邪馬台国に派遣された『張政』じゃないのぉッ!」  「だな。江戸時代なら怖い江戸の将軍の後宮を仕切っていた大奥のオツボネ、『春日局』かも」  「大奥のオバタリアンなんだ」  (赤+邑)処俊・・・(唐)・「劉仁軌」配下                 「カク(赤+邑)処俊」の                 「カク・セキ・シャク」は耕すの意味  「(赤+邑)処俊は耕すところの春の俊英で・・・多賀の八州、田賀の八州、『多が安』の古事記、割拠の駿河は『徳川家康』かも」  「駿府の家康なのぉ~」  「次は?」  男生・・・・(高句麗)・泉蓋蘇文(莫離支=マリキ)の長男・弟達の               反乱にあって唐の「契芯何力」に               666年6月に救出され唐に亡命  「オトの子の生まれ。あるいは断章、談笑・・・男娼、男妾」  「則天武后にもいたな、男妾が」  「・・・」  「オット、ゴメン。学校では習わないだろうが、最高権力を握った女王にはつきモノだから」  「大丈夫よ、オジサン、気を使わなくても。ワタシはチャンと女王蜂の世界の雄蜂の存在と同じように理解しています」  「ハイ、ハイ、恐れ入りました。次は?」   献誠・・・・(高句麗)・男生の子息  「混成だわ」  「そうだな混声で、今世だ。次は?」  男建・・・・(高句麗)・泉蓋蘇文(莫離支=マリキ)の次男              ・男生から権力奪取  「これは断剣でヤマトタケルだわ」  「次は?」  男産・・・・(高句麗)・泉蓋蘇文(莫離支=マリキ)の三男  「断纂、断纂」  「そのダンサンは橿原の纂かもな」  「旦那さん・・・サンって、ご苦労サンとも云うけれど、語源は何?」  「様子、様態のサマの訛りだろう。様=木+羊+水で、記は用水、揚水で、子宮の羊水のことだな。次は?」


(9)

(广+龍)孝泰ホウコウタイ・・・(唐)・唐の将軍・662年1月に高句麗の             「泉蓋蘇文」と平壌付近の「蛇水」で             戦って戦死  「ホウ、補って得るで、法の交替、交代かしら?」  「方法の交代は孝元、孝徳、孝謙、北条泰時だな」  「赤い梅干しの入ったご飯を黒い海苔で包む丸いオニギリならば、天智、天武の交代で、源平の交替も」  「そうだな。そして病原菌の抗体は白血球、リンパ球、種痘のたぐい」  「後退なら广の龍マダレのリュウの皇太后の後退よね」  「マダレなら真の垂れの劉で、垂廉の劉は『則天武后』と『劉仁軌』だな」  「・・・オジサン、もう疲れてアタマが熱くなッちゃった。勉強はまた今度にするよ」  「そうか、よし、今日はここまで。さっきまでアメが降っていたようだが、上がったかな」  「大丈夫、晴れているから」  「そうか。ジャア、また今度だな」  「ウン、今度ね」  メリはそう鸚鵡オウム返しに言って出ていった。「今度」と云う言葉も不思議なコトバだな、と思いながらタバコに火を付けて、フーッとケムリを空中に煙らした。「コンド」と発音すれば、その意味は「この次」、「次回」である。「このたび」と発音すれば「今回」、「今、現在」である。ある過去的な出来事の継続としての「今」である。だが、「今」、「度」の漢字からは、ドウ考えても「今現在」、「度数」の出来事の継続として未来的な再会を期待する「次回」と云う意味は出てこない。「来る度」、「今一度」の「一」の省略したコトバならば納得できる。「今度」は国語辞典にはあっても、漢和辞典では「今度」と言う熟語を発見できなかった。「次回」を意味する本来的な漢字は「近度」の「近」であったのではないだろうか。あるいは、漢字分解での「今=八+ラ」、ハラならば「原」、「腹」、「把羅」、「波羅」、「歯(齢・年・歳)等」で、発音が類似して訛るなら「ハリ・ハル・ハレ・ハロ」で、「言葉を賄う」の「葉賂」である。英語ならば、「Hal(ヘンリーの略),haram(後宮),haras(種馬飼育場),harass(困らす),hare(ウサギ),fall(落ちる),far(遠い),fare(料金・飲食を接待される)・・・アマゾン川の南河口の地名は「Para」である・・・「Paraーrubber」はパラのゴムである・・・「paranoia」は偏執狂か、妄想狂だ・・・ウンベルトの「バラ(薔薇)の名前」、天体の星図、占いの「紫薇斗数命」シビトスウメイと、「密教」の「宿曜経」スクヨウキョウである。そして、コンド、コムドの発音の同音異字を重ねたモノではないのか、とワタクシは妄想していた。  六月も後半、梅雨の季節であった。その日は異常に暑い日であった。例の「名無しのゴンベイの木」は青々とその葉っぱを満開にさせた枝を広げ、梅雨の合間の太陽の光を浴びていた。幹の胴に両手をあててみるとその太さは三十センチ以上はある。フッと歩道の石畳をみると蟻がせわしくうごめいていた。掘った穴から砂粒を運び出して小さな塚の山を造りだしていた。都会のど真ん中に敷かれた石畳の下に蟻達は棲息しているのだ。わずかな石敷きの隙間から地上に出てきてうごめいていた。イヤ、蠢いているのではなく、誰かが落としていった親指ほどのドーナッツの欠片かけらに数十匹も群がって、それを切り取っては蟻の巣に運搬しているらしいのだ。蟻は働いているのだった。蟻にしてみれば巨大な食料の塊を天から授けられたようなモノに違いない。だが、この欠片の大きさは蟻にとってはそうカンタンに運べきれるモノではない。しかも、また天気が崩れてアメが降ってくれば作業は中止になるだろうし、欠片も鳩や、鴉に食べられてしまうカモ知れない、と私は思った。  次の日の朝、私の好奇心はあのドーナッツの塊はドウなってしまっているのだろうか、と云うことだった。同じ場所にはドーナッツの塊はなかった・・・そこにあったのは砂の山であった。よく観るとドーナッツは砂で被われていたのだ。一晩で、彼らは食料を砂の山でカモフラージュしていたのだった。生存する為のアリの知恵であった。  あれからメリはプッツンと糸が切れたようにワタシの所には来てくれなかった。だが、その日は七月七日の土曜日だった。七夕祭りであった。「織り姫」と「彦星」の年に一度のデートの日だ。アメは降っていなかった・・・夕方、彼女はやってきた。  「オジサン、ヤットカメだったね」  「ヤットカメだったな。元気だったかな?」  「元気、元気のマタ元気だったヨ」  「そうか、ヨカッタ。勉強、忙しいかったんだろうな」  「勉強が仕事だからネ」  「例の古代史、まだ、興味があるかな?」  「ある、ある、あるから来タンじゃないの」  「そうか、ウレシイヨッ。オジサン」  「でも、今回はタコ焼きなしだよ」  「いいさ、イツモおごって貰うわけにはいかないさ」  「暑いね、ウーロン茶、飲んでもいい?」  「モチロンさ。冷蔵庫にはチャンとメリの分は確保してあるんだから」  「アリガトウ、遠慮なく飲むね・・・」  「さあ、『白村江の海戦』、今回は何処からだったかな?」  「孫の『馬子』を訊ねる詞の『孫仁師ソンジンシ』の名前よ」  孫仁師・・・(唐)・百済を滅亡させた唐の陸軍四十万の総大将  「『孫仁師』は唐陸軍の総司令官。そのココロは?」  「『蘇我馬子』の正体だわ。そしてバシは『司馬遷=太史公』の『史記』で、通称、『馬史』と云われているモノよ。バシは高橋の橋、阿倍倉梯麻呂の梯、箸墓古墳の箸、撰端、先端と戦端の端に掛けられている言葉よ」  「なるほど」  「バシは『古事記』に記録されている『登美毘古』の妹『登美夜毘賣』と『邇藝速日命』の間に産んだ『宇摩志・麻遅・命』にも掛けられているハズよ」  「何故?」  「彼が『物部・穂積・采女の祖先』と記されていたモノ」  「そのココロは?」  「モノ述べ、保つ、補う事の見、才の女。『才人・才女』は『則天武后』が初めて『太宗』の後宮に入った時の位でしょう。模して之、述べる、保って事を見よ、あるいは、補して罪、才の女の」  「メリ、かなり勉強したな」  「オジサンに似てきただけだわ」  「・・・そうか。次は?」  余自信・・・(百済)・日本に亡命  「アマのリの自身の自信、よね」  「前にも検討したな」  「そうよね。次は『劉仁軌』で、これはモウ、既に検討済みだけれど、彼がこの時代の立役者よね」  「そうだな、シナリオライターだな」  「きっと、『則天武后』は夜伽に『日本書紀』を読ませているか、自分で読んで、『劉仁軌』リュウジンキに質問しているのよ。そして、『劉仁軌』と笑いながらソノ裏の意味を楽しんでいるのよ。まるで、ワタシとオジサンみたいに」  「メリとワタシのようにか。メリが遊んでくれて感激だよ」  「ヤッパシね。オジサンは遊んでくれるお相手がいなかったのね」  「ソレ、真実だな」  劉仁軌・・・(唐)・検校帯方州刺史・検校熊津都督           ・死後「則天武后」により「弁州大都督」           ・「新唐書列伝(三三)」            青州刺史として左遷されていたが661年3月に            「王文度」に代わり「劉仁願」守備の「泗城」            へ援軍として派遣された。            663年「白村江海戦」の唐の海軍提督で勝利者  「次は『杜爽トソウ』の名前そのもの」  「ココロは?」  「壁の塗装は左官の仕事。そして仙人になりたかった『杜子春』の『杜』の姓を有する人物のすべて。そして『古事記』も『日本書紀』も杜撰ズサンなのよね。爽快の爽の意味は『あきらか・さわやか・違う・違える・誤る・滅びる・損なう・猛・惑う』と漢和辞典には記されていた。『爽然』は失意の様子。そして、どうみても狭い、『夾=挟』に類字するわ。夾の意味は、『はさむ・さしはさむ・おびる・混じる・助ける・近ずく・兼ねる・ハサミ・柄』で、熟語の挟撃はハサミ撃つは唐が高句麗を滅ぼすために採った戦術よ。鋏みは『カミ』を切る道具よ。波佐見の漢字もあった。そして、『夾帯』は他物の中に隠して持っていくこと。秘密に携帯する。『夾袋』は隠しポケット、だって。オジサン、コレって巫山戯ふざけているよね」  「よく調べたなぁ~。まったく、おフザケるんじゃナイ、だな。夾侍は左右に侍るで、夾鐘は陰暦の二月のことだ」  「『壬申の乱』には『十市姫』がお魚の腹を割いた中に秘密の文を入れて天武に差し上げたって記録もあるらしいのよ。コレは、『夾帯』だわよね」  「まさにだな、メリちゃん」  杜爽・・・・(唐)・「白村江戦」時の「劉仁軌」水軍配下の将軍  「次は『劉仁願リュウジンガン』だわ。これも既に検討したけれど」  「云うまでもなく龍神の願いだな」  「ソウならば『劉仁軌』は龍神の軌道か、軌跡よね」  劉仁願・・・(唐)・「太宗」時代から朝鮮の「卑列道総管」・郎將・            留鎮郎將・熊津都督・「雕陰大斌」出身。「高宗            」から「帯方州刺史」を賜る。「雕(チョウ)」            は「鷲」、文章をちりばめる・小細工・「斌(ヒ            ン)」は文章のアヤ            朝鮮北方『卑列道(江原道・安辺郡・安辺)』に            駐留・「卑列道行軍総官・右威衛将軍」「劉仁軌            」と朝鮮政策を巡って対立。後に「謀反陰謀」あ            りとして「668年8、9月(?)」に「姚州(            雲南省)」に 流刑となる。「通鑑(唐紀一七)            」・高句麗遠征の期日に遅れたことが原因(?)  「次は?」  「『真巧』で、真に巧だわ」  「なるほど、ウマイだな」  真巧・・・・・(新羅)・「文武王」が「劉仁願」へ派遣した使者  「次は反唐の高句麗の『剣牟岑』。ケン無人、見武人だわ。そして『安勝』は暗記の暗誦、暗唱で、難破船の暗礁だわ」  「『古事記』の稗田阿礼だな」  剣牟岑・・・・(高句麗)・「670年4月」、唐に反乱し、「安勝(                安舜)」を高句麗王としたが、その後「安                勝」に殺害された  安勝・・・・・(高句麗)・安舜・宝蔵王の孫・泉蓋蘇文の弟、「淵浄                土」の息子・「安勝」殺害後に新羅に逃亡  「『剣牟岑』とか、『淵浄土』、『安勝』の名前の漢字に今までの歴史を研究してきた学者や先生達は疑問に感じなかったのかしら」  「カンジを調べ無かったんだろうな」  高侃・・・・・(唐)・「剣牟岑」が唐に反乱(670年4月)し、「             安勝」を擁立したときの唐の遠征将軍「東州道             行軍総管」  「侃(カン)は正義で剛直の意味だわ」  「モノの交換、本の公刊で、侃(カン)はイの口の爪だな」  「イロの津女よね」  楊方・・・・・(唐)・「高侃」と高句麗遠征した将軍  李守眞・・・(唐)  法聡・・・・・(百済)・「劉仁願」の使者(?)  劉徳高・・・(唐)・朝散大夫・沂州司馬上柱國・「唐の記録」には            存在しない人物  郭務(心+宗)     ・・・(唐)・朝散大夫・「劉仁願」配下の「倭国」への唐使            「唐の記録」には存在しない人物            664(天智三年)            665(天智四年)=二百五十四人            669(天智八年)=二千余人と共に来日            671(天智十年)=唐國人六百人                        沙宅孫登千四百人                        船、「四十七隻」                        「道文」の派遣  金萬物・・・(新羅)  「金、キムが萬の物だわ」  「兼ねる、萬の者だな」  「『古事記』の太の安の萬の侶よね」  禰軍・・・・(百済)・百済佐平  智弁・・・・(倭)・「劉仁願」の牒書を「郭務宗」から受け取った             人物  間皇女・・(倭)・「孝徳天皇皇后」・「中大兄王子」の妹・665             年死没 黒歯常之コクシジョウシ     ・・・・(百済)・「白村江の戦」後、「劉仁軌」に降伏服属  「国史、定史、『劉仁軌に降伏服属』だわ」  「まさにだよな」  遅受信・・・(百済)・「白村江の戦」後、高句麗に逃亡  「ナニが遅れる、受信なのよね・・・まったく。オジサン、もう、イヤになちゃった、ワッ。今日は、ここまで」  「そうか」  「マタ来るよ。夏休みの前に」  「首を長くして、楽しみに待っているよ」  「寂しいカモ知れないけれど、待てて」  「ああ」  「じゃぁネッ、オジサン」  「ウーロン茶はどうだ?」  「冷蔵庫にカルピスウォターの缶があったみたいだから、アレ貰っていくよ」  「オキドキ、オッケィだ。食べ物と夏風邪に気を付けてな」  「ウン、ジャァ、カエルね」  「阿部比羅夫」と「阿曇比羅夫」は同一人物ではないのか?・・・  「背中を撫(而撫其背)=而して其の背を撫る                ≠私考                  試行・思考・施行・志向                  伺候・施工・史稿・歯垢                  史稿・志功・至高  シコウして其の背反を慰撫する=せ・なか・を・な・ぜ(で)る」  とは、  「而撫其背=ジブキセ(字分記施)」  か、  「示(字・蒔)、名出(是・施)留、紀(記)、背反」  で、  「侍武企背」、「次武紀施」  ・・・である。  もし、「国家戦略」なるものがあるとしたならば、唐周辺の諸種族国家(?)の「反唐」とか「親唐」とかの概念は「近代民族的国家」としての「独立」を前提にしたモノではないだろう。諸種族の支配者は自己の権力維持のためには、いともカンタンに「国家」を裏切ってしまうからだ。唐に寝返るのは「民族国家維持の戦略」としての「国家的戦術」ではないだろう。  「中大兄皇子」、あるいは「大海人皇子」に「国家独立維持」の国家戦略はあったのか?  「親唐」とは「唐王朝そのものの立場」ではないのか・・・「高句麗」は別にして「百済」自体の支配者は「唐」を敵にするとは考えていなかったのだ。モチロン、「倭国」の支配者もである。そして、「新羅」は「親唐」などではなく、唐と対等の「国家維持戦略」を有していたのだ。  ・・・「大海人皇子」とは誰か?・・・唐人である。  ① 「新羅の権力者」は「白村江戦」、「高句麗戦」の後、結果、戦術的な対立によって「反唐」になった。だが、新羅の国家戦略は「民族国家(?)防衛」にあった。  ② 「百済の権力者」は「唐」の『蘇方定』に滅ぼされ、「百済王子の『隆』」は「義慈王」と共に降伏捕虜となったが、彼は、その後「唐軍に荷担」し、「唐軍と共」に「白村江の戦」を戦ったのだ。その後「隆王子」は「旧百済の熊津都督」になった。だが、新羅の侵攻によって「唐に亡命」した。 滅亡百済の「義慈王」と「隆王子」は心理的事情はどうであれ、「反唐」の立場を取れなかった。  ③ 「滅亡百済」の遺臣「鬼室福信」は「国家再興の為の反唐」であった。  「鬼室福信」に百済再興の為に担がれ、結果、彼を殺した「余豊王子(扶餘璋・瑶・糺解)」は「反唐」であったが、微妙である。「白村江戦」後に高句麗に逃亡した。  ④ 「高句麗人」は「反唐」ではあるが、権力者内部の争いによっては唐に亡命したり、唐の軍事力を背景にその地位を維持しようとした。 ⑤ 「『倭人』権力者」は中国大陸、北方種族、朝鮮半島の「亡命渡来人の溜まり場」であった。「隋王朝」の残党も「陽侯氏」として倭王朝の一翼を担っていたのだ。モチロン、「隋王朝」は「倭国」に使者を派遣し、その内部事情も把握していた。しかも「隋王朝」とは大規模な「水軍」を有していたのだ。かってはこの「水軍」で「琉球」を侵略したのだ。隋王朝滅亡後、唐の指揮下に全ての「隋の水軍」が入ったとは思えない。この「水軍」はどうなったのか?  唐の記録「旧唐書」からすれば、「倭国」と「倭国の別種」である「日本国」は区別された存在であった。しかも唐王朝は「唐に派遣された日本人」が高慢であり、彼らが云う「日本王朝の発生」を疑っている。何故、彼らが高慢で、日本事情を曖昧にしか伝えなかったのか?・・・「日本事情」は「則天武后」が自ら日本人の「朝臣真人」を接待しているのだ。唐の「記録」係りが「日本事情」のそれを知らないはずはない。しかも、「阿倍仲麻呂」は「唐王朝」の高級官僚、「唐王室図書館長」になって活躍した人物である。  「旧唐書」と「新唐書」が何故あるのか・・・。  唐の立場を中心に考えれば、中国周辺の諸「国家(?)の支配者」は「册封」による傀儡くぐつ・カイライ政権、カイライ政権であった。あるいは直接支配することが「国家戦略」であった。唐の周辺「国家」であった高句麗と百済の支配者は、その意味で「民族国家」としての「国民(?)」をまもらなかったのである。百済滅亡後の「劉仁軌」の占領政策は敵味方区別の無い戦死者の埋葬、戦禍を受けた居住民への気遣いは懐柔策であったとしても、滅亡百済の人々には「歓迎」されるモノであったらしい。まるで戦後の日本占領最高司令官「マックァサー元帥」である。  「長安三年(703年・癸卯年)」に日本国の大臣、中国の「戸部尚書=民部省」にあたる『朝臣真人』が唐にきて、『則天武后』に「麟徳殿」でもてなされ、料理人の長官である『司膳郷』を授けられ、帰国したとある。だが唐の記録には『朝臣真人』とあるだけで「氏姓名」が欠けている。「真人」は「八色の姓(天武十二年・684)」で「天武天皇」が制定したことになっているし、彼の死亡後の「諡号」にも「真人」が付けられた。  「龍朔三年(663年)」は「白村江戦」で百済が壊滅した年であった。  「麟徳一年(664)」は「甲子」の年。  「麟徳二年(665)」は「高宗」が皇后「則天武后」を伴った             空前の「泰山封禅の儀式」の年であった。      翌年(666)には高句麗へ討伐遠征軍の派遣であった。  この「703年(長安三年)」は『則天武后』が国号「周(シュウ・チョウ)」として権力を握っていた最期の時期である。魚の「鯛たい」も「チョウ」と音読みする。  『司膳郷』とは「配膳係の長官」で、日本では「かしわで(柏手)=膳部」の長官である。この「膳部」一族は元々が、「第十二代・景行天皇」とその皇后「八坂媛」の御膳に「鰹、白蛤のナマスあえ」を奉った「磐鹿むつかり(六+獣+葛)」を遠祖とし、「天武天皇」の時代に『高橋』の姓を与えられたのだ。「磐鹿ムツカリ」は「孝元天皇」の王子「大彦」の末裔、だとされている。  「磐鹿ムツカリ=伊波我牟都加利(いわがむつかり)」の「ムツカリ」には次の漢字も当てられている。 ムツカリ=六雁・六鴈・・・・リクガン(理句、贋)・ロクガン(録、贋)  同音異字を採れば、  「いわかむつかり=意、倭(話)の化、務、柘の借り」、  「イワカムツカリ=違、和歌、陸奥の仮」、  「イカムツカリ=医家の武通華理」  である。漢字音で採れば「磐鹿」は「バンカ」である。「挽歌」、あるいは「蛮禍」、「版禍(出版の禍)」、「伴禍」等で、地理を採れば「磐(いわ)の国の蝦」で、「鹿」は「鹿、中原に戦う」で、「王」を意味する。  「古事記」、「日本書紀」には、この『景行』天皇の子供の、  「大碓命(ダイタイメイ・おおうすのみこと)」のところに「膳部の大伴部」、         ↓        大隊名・代替名・大腿名・・・代大名  「小碓命(ショウタイメイ・をうすのみこと)」にも「久米直の祖、膳部の七拳脛(ななつかはぎ)」         ↓        小隊名・招待名・正体名・小体名・・・姓大名  の名前が記されている。  「碓(うす・からうす・ふみうす)=石(いわ・いし・セキ)+隹(古鳥=コチョウ・旧鳥=キュウチョウ)」  は「タイ・テ」と音読みする。熟語には「碓擣(タイトウ)=唐碓で衝く」がある。「タイトウ」の同音異字は「対等・他意等・台頭・台東・帯刀・帯島・駘蕩・鯛等・堆盗・太等・体等・対当・対唐」等であるが、「碓擣(タイトウ)」の漢和辞典の説明はこうである。  アシでフミ、マタは、水の力でキネを上下してベイコクをツクところのノウグ  ↓  亜詞・文・・・真他・・水野・・・記音・・・・・・・・・米国・・・通句・・・・・・悩愚  どうやら、江戸幕末時代の「米国」との「不平等条約」に掛けたモノであるらしいのだが。この時代に天文学者の『高橋景保』は「シ-ボルト事件」で密告され無念の最後を遂げたのだ。  そして「膳部」に関連しては、「桓武天皇」の時代の「高橋氏文(延暦十一年・792)」に記録され、「宮廷・神事御膳係の地位」を巡っての『安曇氏』との確執の時(延暦八年・789)の『高橋』氏からの上奏文であった。  「延の暦の十一年・792」ならば、その「十一年後(792+11=803)」の「西暦803年」には「延暦交替式撰定」、「坂上田村麻呂が陸奥志波城を築城」。  「延の暦の八年」ならば、その「八年後(789+8=797)」の「西暦797年」には「勘解由使任命」、「坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命」、「菅野真道等が続日本紀を撰進」、「空海の三教指帰」。『空海』の持ち帰ったモノは『景教』でもあった。  江戸幕末の問題は北方「蝦夷地」に関する事件であった。  西暦789年が「延の暦のハチ(葉知)」ならば「西暦1789年」は江戸時代で事件は「国後島での蝦夷(アイヌ)の叛乱」、そして「大目付・桑原盛員」が「大名の系譜編修」を命じられ、「大坂大火」の年である。  西暦792年が「延の暦のジュウイチ(重位置)」ならば「西暦1792年」は「林子平(友直)」の禁固、「安房嶺岡牧場での白牛酪の精製」、「ロシア使節・ラクスマン、漂流民の光太夫を伴って根室に来る」、「異国船取り扱い令の発布」、「江戸大火」の年であった。  時代を初唐に戻せば、この意味する内容は『則天武后』と『朝臣真人』との会食のダブりではないのか。このわずかな「旧唐書」と「高橋氏文」の記録は『朝臣真人』と『天武天皇』、『則天武后』の特別な関係を意味してはいないか?・・・既に「天武天皇」は「朱鳥一年(686)」に死没しているが、「長安三年(703年・癸卯年)」とは『持統天皇』が死没(702)する一年後、「天武天皇」の孫「文武天皇」の在位七年目で、「大宝三年(703)」である。しかも同年には『阿倍御主人』が「69歳」で死亡した年であった。  「日本書紀」によれば、『則天武后』にもてなされた「朝臣真人」とは遣唐使『粟田真人』であった。彼は大使『高橋笠間』、副使『坂合部大分』、遣唐抄録『山上憶良』と共に「702年6月」に出発し、「703年」に『則天武后』に謁見したのだ。彼の経歴は「筑紫太宰」、「大宝律令撰修(700)」の勅命、「704年」帰国、「708年」に『中納言』、「和銅一年(708)」に「太宰帥・正三位」になった。  『中納言』になった平安・鎌倉・江戸時代の歴史上の各有名な人物は誰か?・・・彼『粟田真人』は「養老三年(719)二月五日」に死没であった。「真人」は「天武天皇」の皇子「舎人親王」の血をひく一族である・・・「文屋」の姓名有する人々が「真人」を賜っている。  『粟田真人』がもてなされた場所も「麟徳殿」である。「麒麟」は「白虎」と重なる「西の聖獣」である・・・大使『高橋笠間』は「膳部臣=磐鹿六ツカリ=高橋氏」の一族であったハズだ。だが、作者不詳の『高橋氏文』は本物なのか?・・・「第十二代・景行天皇」、その皇后「八坂媛」、「第八代・孝元天皇」と「大彦」の末裔『磐鹿六ツカリ』である。江戸時代の譜代の幕臣「阿倍家」は「大彦」の末裔と自称しているのだが・・・  ⑥初期に於いて「中大兄(天智天皇)」は「親唐」であったハズだ。後期は百済救援の「反唐」であった。さらに「白村江戦」後は「親唐」に成らざるを得なかった。唐が「旧百済王子・隆」を「665年8月」に「旧百済領・熊津都督」にしたからだ。だが「隆」は新羅に侵攻されて唐に亡命した。  日本に派遣されたのは『劉徳高(?)』で、唐の「朝散大夫・沂州司馬上柱國」であった。そして『郭務宗(心+宗)』、唐の「朝散大夫・上柱國」で、「劉仁願」配下の「倭国」への唐使であった。彼等が日本に来たのは、  664(天智三年五月) =『郭務宗』・十二月帰国  665(天智四年九月) =『劉徳高』等、254人・十二月帰国                   「旧百済王子・隆」を「8月」に                   「熊津都督」  667(天智六年十一月)=「法聡」・熊山県令上柱国司馬  669(天智八年十二月)=『郭務(心宗)』2000余人と共に来日  671(天智十年一月) =『李守真』来日(七月帰国)     (天智十年十一月)=『郭務宗』等、600人                   「沙宅孫登」等、1400人。                   船、「47隻」。                   来航説明の為「道文」を派遣  671(天智十年十二月)=「天智天皇」死没  672(弘文一年三月) =『郭務宗』が国書を日本に渡す     (弘文一年五月) =『郭務宗(心+宗)』等に                 甲冑弓矢を賜う・帰国  である。  「日本書紀・巻第二十八(天渟中原瀛真人天皇・上・天武天皇)」に記載されている「672年・天武元年・五月」、「『郭務宗(心+宗)』等に甲冑弓矢を賜う」とは「賜う」であるから主体、主語は「大和朝廷」ではあろうが、前年の「671年十二月」に「天智天皇」は死亡しているから「大友皇子(弘文天皇)」の朝廷と考えられる。だが「天武元年」の記事に記録され、読む者には「天皇の主体はダレか(?)」が曖昧である。ダレが「『郭務宗』等に甲冑弓矢を賜えた」のか。  「大海人皇子」は「反唐」であったのか・・・?・・・そもそも「天武天皇」なる人物は実在したのか?  ・・・「大海人皇子」とは漢字から推理すれば、「唐人のダレか」か、あるいは「親唐のダレか」である。「倭国」に「女王権力者」として現実に存在したのは「卑弥呼、壱与」の時代から『女』の系列、血統である。「日本書紀」では「皇后・妃」と記録された女性が「天皇」であったハズだ。だとするならば、「天皇」とは「推古」、「皇極・斉明」、「間人」、「持統」、「元正」、「元明」、「孝謙・称徳」に冠せられた系列である。問題の時代は当然『持統天皇』である。だが「日本書紀」は旧百済系の母親を有した『桓武天皇(山部王)』の時代に再編されたのだ。「桓・武」と「山・部」の漢字の意味するところは何か?・・・「桓=木+亘」の「武」、「山」の「部」             ↓            記紀にワタル、武の三部、纂部  既に中学校は夏休みに入っているハズなのにメリは遊びには来なかった。そして、ある日の金曜日にオフイスのメールボックスに葉書が一通入っていた。差し出し人は「タカハシ」とあるが住所は記されていない。消印は島根県の××となっていた。  裏の文面には

オジサン、元気?  お母さんと一緒に親戚の富山県に行ってきました。海の沖合にラピタのような大きい蜃気楼を視ました。街並みには教会の高いセントポールのようなモノがあり、まるで中世ヨーロッパ風の都市のようでした。  今、おばあちゃんの田舎に来ています。昨日の午前中、霧のかかった出雲大社に昇って参拝してきました。気分は、この間視た蜃気楼の中にいるようなカンジでした。  夏休みが終わったら、タコ焼きもって、また、いくカラね  と、カカレテ、アッタ。


2001年8月

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