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モモちゃんの追憶




 ・・・だが、書き込んだモノのスベテが順調に出てくるワケでもないらしい・・・肝心の「占いの命式」はダメ、アメリカを舞台にした物語はダメ・・・その他のモノもダメなモノが多々・・・  「コジキ姫の「壱与」、・・・・モモ蘇姫・・・鳹=今+鳥  カンジて赤い絨毯にのり、・・・姫=ひめ=鳹=ついばむ・ケン  空をカケメグル        ゲン・キン・ゴン・カン・コン  「古事記・字源」物語」    fabulous mythical bird=鶼                ・・・a mythological bird called                  a "mythical crow"・・・            mythological=神話=禊=ミソギ            ミソロジカル=見素賂字(時)化留?            ミス=myth=神話・・・「み・・・そ」=禁止            見素賂字意=ミソロジー=mythology   ↓↑  は完全ではないが、なんとか・・・最期のページに「あとがき」なるものが「2002・3・13・水曜日」の日付で書き込んでいたので・・・以下に添付・・・2017-2002=15・・・「十五年前」ですか・・・「1996年」は2017-1996=二十一年前・・・ですか・・・オッソロシくなるほど時間が流れたのか、まだ、昨日のコトだったんだか・・・ ーー↓↑ーー  あとがき  人生で一度ぐらいは「序文」とか、「あとがき」みたいなモノを「製本」され、「表装」された自分の本の中に書いてみたいと思っていた。貧乏人のワタシにはこの先も実現できそうもない。けれど、ワ-プロで書いて「CD-R」に記録するには簡単な作業で、取りあえず読んで貰いたい人の分だけは能率的に「製本」出来る。ワタシにとってはスゴイ高い値段の中古コンピュータを買って、この小説をワープロで書き出し、「5インチ」のフロッピーデスクに記録していったのは「1991年の湾岸戦争」勃発の時であった。それでもフロッピーデスクに記録したモノは「カミの本」になってから読まれるのだ、と考えていた。個人で簡単に「CD-R」を出版と同じような感覚で造れるなんて、当時はまだ思いも寄らなかったことである。小学校五、六年生の頃から鉄筆とガリ版、そして謄写版とロラーが大好きであった。そして、この歳になっても内容と言うよりは「文字」そのものを書いて、「コピー」したカミを閉じて、開いてみたいのだ。学生時代は毎日が大した内容のない「ビラの生産」であったような気がする。文章も文法もかなりいい加減であったし、今もそうなのだが・・・  一応、この「本」が完成したのはイマヤ、三児の母親で、主婦、当時一八歳の乙女であった「蟹江ゆかり(旧姓橋本)」さんとの出会いであった。「昭和一二年発行・(株)誠文堂新光社」、「非売品」と記されていた「古事記」の漢字ルビ振り付、原文、解釈付の古本を読んでいたワタシに高校を卒業して商事会社に務め始めた彼女がワタシに「志望は出来れば、大学に行きたかった。そして、まだ使いたかったけれど、もう、その必要もなくなったから、この漢和辞典と古語辞典、使って。プレゼントだから」と言うことがきっかけであった。辞典はワタシも持ってはいたが開いて調べるのが億劫であった。「漢字」と言ったって「日本語」だろう。それにルビも振ってある。「古語」って言ったって、「日本語」だろう。何となく判るようになるのでは・・・と。高校時代に使用したワタシの「辞典類」の頻度はほとんどが「英和辞典」だった。だが、あらためて彼女のくれた「漢和辞典」をみると、「漢字そのものの説明」は「日本語の意味」ではなっかったし、「古語辞典」にいたっては「意味不明」のヶ所がかなり目に付いた。「日本人」が「日本語」を「理解出来ていない」のだ・・・。理解できていない「日本語」で「英語」や「仏語」、「独語」等を「理解」しようとしている。しかも、そのほとんどが「漢字の意味」で理解しようとしているのだ。  「日本語、ワッカラナイッ・・・ワッカリマセン」・・・マァ、ワタシの「日本語」の日常会話には「誤解」も多いけれど、それほど支障がないか・・・ナントナクワカレバさっ。  彼女が丁寧に使用していたこれらの辞典はいまやボロボロである。それで、ワタシの頭が詰まった、か、と言えば全然カラッポである。何度も何度も同じ漢字や単語、熟語のページを開くのが日課である。  彼女に感謝、感謝である。  それで、ワタシは「古事記」なるモノを、彼女のプレゼントの「漢和辞典」と「古語辞典」を片手に「研究」しだしたのだ。「古事記の漢字」を・・・  もう一つ更にこのきっかけを「加速」させてくれた人物は名古屋の「大須」に代々居住してきた「鬼頭吉子」さんであった。おふくろさんの代までは手芸店の老舗であったそうだ。現在、彼女は「喫茶店・ローズセラヴィ」の女主人である。ワタシの故郷は「蝦夷・北海道」であったから、彼女の仕事のお手伝で「大須」に住むようになってからも、モチロンのこと「大須」のことは「大須観音」と織田信長のオヤジの菩提寺の「万松寺」ぐらいしか知らなかった。そして、「大須商店街」のラーメン屋や、食堂、パチンコ屋、質屋ぐらい。彼女はワタシにとっては「大須の歴史知識の信玄袋」そのもので、「江戸時代」からの諸々の「お祭り」、「儀式」、「しきたり」、おまけに日常生活には欠かせない「暦の意味」や、「仏教行事」、サラには「ウイロ・ウイロウ(外郎)」の由来や「黄八丈」等の織物に関する知識を教えてくれた人であった。人生に於ける縁とかユカリとかは、不思議である。しかも、彼女は「大須」に存在する「ナコヤ古墳」、「浅間神社」、おまけに「大須観音神社の一部分」なっている「大須文庫」の存在を教えてくれたヒトなのである・・・まさに、そこには「日本最古の写本(?)」と言われている「古事記」が存在したのだ。ワタシは「古事記」を研究しだしてからも、彼女が教えてくれるまではその存在には無知であった。  ついでにワタシの「ハナシ」を熱心に聴いて下さった三洋工業の「吉田重一」さんと、西洋アンチック店を営んでいる「福本志朗」さん、それに、ここ「大須」に直接的にワタシを「存在」させしめてくれた女優の「高部シゲコ」さんに感謝、感謝である。  そして、「那古耶古墳」の大樹の下で眠っている、いつもワタシのそばで寄り添ってくれた二代目「モウ」、一代目「モウ」、「コロッケ」、「マリー」、「ミヤオ」、「ミヤ太郎」、君たちには「ありがとう」と「不思議」の回数を唱えても足りないくらい「ありがとう」です。  「古事記」に関してこの「小説」にした理由は単純で、明解・・・それは「理論・学問」としていまだのワタシにとっては「ムリ」があった、と言うことに尽きる。  一応「小説」で、「稗文」だから・・・「アソビ程度」に読んで下さることを願います。     K・K  2002・3・13・水曜日  (壬午年癸卯月庚辰日)  ・・・モウちゃんの命日も忘れ、気配をカンジて小声で呼ぶワタシかな・・・

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