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三角山の梺の橋の下に捨てられていた捨子の拾い児・・・



 「ゴガツ」が

 「皐月(さつき・コウゲツ=香月・黄月英・光月・纐纈)」・・・

 「瑞皐・瑞光・随行」・・・?

 ・・・まだ続いている「地震」・・・昼(12時)は北海道、夕方(17時)は熊本・・・「蜷川(似名臥話)」さんですか・・・体制を批判しながら結局は「恰好(格好)イイ体制」に飲み込まれていった・・・「格好=pose・外から見た形・外見・姿・丁度、似つかわしいサマ・体裁・世間体・みば(え)・見た目が良い・体裁が栄える・小粋・きりっとした・格好良い・かっこ良い・シック・粋・おつ・ 瀟洒・スマート・小意気・いなせ・御洒落」・・・「ユウ(祐)ちゃん」は「イカスぜ、ッ」て云ったが・・・「プチブル意識の社会」では「有名」になりたいのが「当たり前」であるカナ・・・しかも、「善悪」を問わない「有名人」になれる「自由な可能性の選択」が出来る社会である・・・映画、演劇、TVドラマを観てミンナが「主人公」になった心算(つもり)の気分にしてくれる・・・自分自身が「通行人のエキストラ」だと思う「鑑賞者」はアマリいないだろう・・・「マクベス」は黒沢明の「蜘蛛の巣城」が最高だったが、王になっても自己保身の悩みは尽きないだろうが、戦いで殺し合う一兵卒の悩みは語られない・・・数年前、日本のTVニュースのインタヴューを受けていた「大陸中国の男性労働者」が素朴に「オレタチ、労働者が主人公なんだョなッ」と云っていたが・・・労働者が「主人公」になれるのは「賃金労働者」にではない・・・素朴で純真な「労働者」が「有名人」になれるのは、「素朴で純真」を捨て、「プチブル意識社会」での「出世欲・金銭欲」への並々ならぬクロウとドリョクの「アンビシャス(Ambitious)」がなければ無理である・・・無理なく「出世と金銭」が手に入るの「労働者」ではないから・・・  手を繋いで電車に跳び込んだ二人の演劇サークル部の女子学生は「最期の主役」を演じてしまったのか、「朱也苦」を演じたのか・・・「絶望」を感じているのはまだ生きている時の苦しみと痛みの「価値」である・・・「死を恐れず」に死んでしまっては「絶望」の「価値」もない。残された家族、友人、恋人は自分自身の心の中に「ゼツボウ」を感じているカモ・・・  自然災害で、恐怖を経験した子供達は「恐怖の価値」を知ったのである・・・そして、彼らは「生きている」と云う「価値」も知ったハズである・・・オトナは「崩壊」した「家・事業」等での借金で「生死の選択」は「自由勝って」だが、コドモを道ずれにはするな・・・熊本県には「子供を捨てる場所(児童養護施設・赤ちゃんポスト)」もあるハズだから・・・産まれたモノは、親がいなくても生きる子供は「社会の中で生き残る」のが自然界の鉄則である・・・  「宮城まり子(本目眞理子)」さんの「ガード下の靴みがき」は戦災孤児の唄である・・・ https://www.youtube.com/watch?v=X4j1X-_wdeQ https://www.youtube.com/watch?v=Oe39Uzy6a4g https://www.youtube.com/watch?v=3uemLdmwihI https://www.youtube.com/watch?v=PXRSQace9ak  ・・・そして「ねむの木学園(ねむの木養護学校)」・・・だが、「ねむの木学園元会計管理の職員が5億円搾取(2011年2月、宮城まり子さんの口座から現金約3100万円をだまし取った)」の事件?・・・  「2011年2月」・・・「2011年3月11日」は東北の地震、津波、そして原発事故だった・・・  庭のサクラが散ってしまった・・・伐り倒されない限り、来年もサクに違いない・・・枯れる時は寿命マットウである・・・

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