不確かなモノ・・・個々人の認識機能、認識機能性・・・?
2022/2/18・金曜日・・・追加添文・・・
「科学認識」が
「科(とが・カ)=禾+斗(はかる)=咎・罪」の
「学=學=まなぶ」であるって・・・?
茉菜+分
真魚+分
眞名+分
愛 +撫
「科学対象の
人間の五感→認識→思考・思惟⇔記憶→音声言葉⇔記号・文字⇔概念・理屈」
「概念」⇔「概念規定」・・・?
「概=木+既=十+八+艮+旡(キ・ケ)」
艮=日+㇙+㇔
𠄌(⊥=上)
「念=今+心=亼+フ+心・・・亼=合・・・亼=人+一
𠆢+ラ+心
𠆢+一 +フ+心」・・・忄=心⇔必=心+ノ=儿+丶+ノ+丶
𠂭=必=心+丿(ヘッ・ヘチ)
「𠚍=凵+𠂭=発音「chàng」
異字は
「𠚊=凵+必=発音「chàng」
𠂭⇔※=米印・・・亜米利加の国旗?
「込め・混め・籠め・小目・小女」+尹?
「小女=少女=乙女=壹與」の長官(尹)?
胡女字留詞?
籠女児瑠史?
米音・・・米語の音?
忄⇔小=㇒+亅+㇔
必・秘・泌・蜜・密・樒・謐
「八+戈(ほこ・カ)=必」・・・?
「儿+忄=必=心+丿」
・・・心を分ける「丿(へツ・ヘチ)」
・・・儿の立身(心・)弁
「丿+弋(いぐるみ・ヨク)=必」・・・?
「丿+弌(ひと・ひとつ・イチ・イツ)=必」・・・?
「⺗=したごころ=小+丶=ハ+亅+丶」
⺗=下心=邪心・裏心・背信・本心・謀略・策謀
「㣻=乂+心=ガイ・ケ=刈(かる)」
・・・お前等が「厳密には」と言うならば「科学」なるモノを先ず「厳密」に概念規定しろ・・・「自然科学」は「自然界の人間認識対象の存在と変化の法則性をコトバ、記号で認識(記録、暗唱音声も含む)」するモノである。「社会科学」は「人間界の人間諸関係での慣習、きまり、掟、法律、契約、約束などの設定、改変、新規の設定のコトバでの認識(記録、暗唱音声も含む)」である・・・「自然界」も「人間界」も、いずれも、対象の「普遍化→特殊化→個別化」、「個別→特殊→普遍」される「共通項の有無・差異」を「コトバで分類・区別」される「学問体系」である。だが「認識対象」は異なった領域のモノである。「人間界の法則性=諸個人の諸関係性に於ける相互約束」とは「私有財産」上の「衣食住の生活環境」での「冨の生産と分配」の「妥協・合意(?)」の問題だから、その枠内で「護られる」か、どうかは「不確かなモノ」である。「法律」があっても「殺人、詐欺、強盗」は日常茶番である・・・ 「サイエンス」が「科学」とされている「科」とは、対象物、対象事象の「分化・分科・相異の区別」の「文化(記憶の記録化)」で、「学」とは、その「記憶方法」と「実践方法」である・・・ だが、「生物学」は体系理論の「概念」として「一般的コトバ」で納得、理解できるモノが多いが、ボクにとって、「理論物理学」の「概念」は「目茶苦茶(滅茶苦茶)?」のように思える・・・現象、事象認識の「アナグロ」と「デジタル」の相異なのかも・・・ ・・・「科-学」とは・・・ ーー↓↑ 「科」=とが(咎=科) 人から責められたり非難されたりするような行為 あやまち・しくじり 罰されるべき行為・罪 非難されるような欠点 ・・・これは、人間界の生活上の「ルール」・・・ ーー 「カ(科)」 物事を区分した、その一つ 学問・教育の場で 系統別に分類したもの 生物分類学上の基本階級の一 「目(モク)」の下位で、 いくつかの 「属」の集合からなる 一属で一科を形成する場合もある ・・・これは事物の「区別・区分」・・・ ーー しな(品・科・階) (品)何かに使用する、形のあるもの 品物 品=商品 物の品質 材料や品質の良し悪しによって分けた種 ・・・これは事物の「差別・優劣・序列」・・・ ーー 科(カ) とが・シナノキ 「説文解字」 「科」=「程(はか)るなり」 「程」=「品なり」 品定めの意味 「広韻」 「科」=「條なり、本なり、品なり」 基準・条文の箇条の意味 ・・・これは事物の「使用価値・使用機能」・・・ ーー 「科」 品・ほど・定める・規則 種別・等級・区分・箇条・法律の条文 中国官僚試験 ありのまま・はかる・俳優の仕草 日本語 とが・シナ(信濃)のキ 「説文解字」 「程(はか)るなり」 「程」は「説文」では 「品なり」で、品定めの意味 「広韻」 「條なり、本なり、品なり」 基準の意味、条文の箇条の意味 また 「坎(あな・カン・コン)=土+欠」と通じて 「穴(あな・ケツ・ゲチ)=宀+八」の意味・・・ 「宀」=うかんむり・メン・ベン 「宀=丶+冖」 「冖(わかんむり・ベキ・ミャク)」 ーー 「科」の字形 「科=禾(のぎ・いね・カ・ワ) + 斗(はかる・ト・ツ)」 「説文」 「禾に從ひ斗に從ふ。斗は、量るなり」 農作物を量るという字。 「科」の音訓 音読み「カ」、 訓読み「しな・とが・とぐさ」 名のりは「いつ」 「科」を声符とする漢字に、 「蝌」=蝌蚪(虫斗)=御玉杓子=おたまじゃくし 蚪(ト・トウ)も「おたまじゃくし」 カエル(蛙)の子 ーー↓ http://cgi.search.biglobe.ne.jp/cgi-bin/search7-c9?q=%E7%94%84 甄(ケン・キョン)=西+土+瓦 優劣、真偽などを鑑定する 審査する・見分ける ーー↓ 黄磵 「甄」氏 始祖は新羅末期の 沙弗城(尚州)の豪族 阿慈介で、 全州 甄氏の始祖は 阿慈介で 後百済を立てた 甄萱である 阿慈介は 新羅 真興王の子孫で 本姓は 李氏だったが、 甄萱 15歳の時 姓を 甄に変えた 甄萱はその後 900年に 完山州(全州)を占領 して 「後白済」を建国・・・?「百」→「白」 ・・・ナゼ「百」を「白」に替え「白斉(ハクサイ・伯済)」としたのか?・・・「新羅を済(清)める、澄ませる、終わらせる、決着する」の意味か?・・・「金で済ます」とは・・・日常的な解決策だが・・・それに「百姓」の語原は「百済の姓」、「百済の民」の意味ではないか?・・・そして「百」は「一に曰く」・・・ ーー 「文昭」皇后 甄氏(シンシ) 文昭皇后甄氏 (182年~221年) 魏の初代皇帝 曹丕(文帝)の妻 諡号は 文昭皇后 上蔡県(河南省南部)の県令、 甄逸の娘 中山郡毋極県(河北省無極県)の生まれ 甄氏は代々二千石の高官の家柄 三男五女の末女 兄は豫・厳・堯 姉は姜・脱・道・栄 ーー↓↑ 初めは 袁紹の 次男 袁煕の妻 曹操が 冀州を攻め落とした時に、 曹丕(文帝)は 袁紹の屋敷に乗り込み 甄氏を見初めて妻にした 曹丕に寵愛され、 息子の 曹叡(明帝)と 娘の 東郷公主(早世)を産んだ 曹丕の寵愛は 郭貴嬪(郭皇后)や 李貴人や 陰貴人に移った 更に 山陽公(後漢の献帝)の二人の娘たちが入内 悲嘆した甄氏は曹丕に対して恨み言を述べ これが曹丕の勘気に触れ、 黄初二年六月に死を賜った 「魏書・周宣伝」 曹丕は 「青い気」が地から立ち昇って 天まで繋がるという夢を見、 周宣に尋ね、周宣は 「天下のどこかで高貴な身分の女性が、 冤罪のために死ぬことになるでしょう」と答えた この時に甄氏に死を賜う璽書を使者に届けさせており、 これを聞いた曹丕は後悔して、 その使者を追わせたが、結局間に合わなかった・・・ 「青(あおい)」の意味は何を指すのか「色」か「音」か・・・ ーー 見分けるモノ・・・ 「日本書紀」の 「皇極、斉明天皇(寶女王)」が 百済支援で難波から瀬戸内海を西、筑紫の朝倉宮遷幸 661年、当地にて崩御 皇子は即位せず称制。 「朴市秦造田来津」を「司令官?」とし、 倭国軍は朝鮮半島南部に上陸、 「白村江の戦い」で 唐と新羅の連合軍に敗北・・・ ーー 北方の蝦夷に対し、 三度、 阿倍比羅夫を海路遠征で蝦夷地を平定 蝦夷地の北海岸や樺太に存在した 粛慎まで出兵・・・ 「有間皇子の変」で 「蘇我赤兄」は天皇の3つの失政を挙げた 大いに「倉」を建てて民の財を積み集めた 「長く溝」を掘って公糧を損費した・・・・? 船に「石」を載せて運び積んで丘にした 後 有間皇子は絞首刑 塩屋鯯肴と 新田部米麻呂は 斬刑 ーー↓↑ 斉明天皇七年 (661年・68歳) 1月6日 西に向かって出航 1月8日 大伯海に至る 大田皇女が皇女を産み、 大伯皇女と名付ける 1月14日 伊予の熟田津の 石湯行宮に泊まる 3月25日 娜大津に着き、 磐瀬行宮に居す 4月 百済の福信が、 使を遣わして王子の 「糺解」の帰国を求める 5月9日 朝倉橘広庭宮に遷幸 5月23日 耽羅が初めて王子の 「阿波伎」らを遣わして貢献 7月24日 朝倉宮で崩御 8月1日 皇太子が天皇の喪に付き添い、 磐瀬宮に到着 10月7日 天皇の喪が帰りの海路に出航 10月23日 天皇の喪が 難波津に着く 11月7日 飛鳥の川原で殯した 9日まで発哀。 ーー↓↑ 五月乙未朔癸卯、 天皇遷居于 朝倉橘廣庭宮。 是時、斮除 朝倉社木 而 作此宮之故、 �撥忿壤殿、 亦見 宮中 鬼火。・・・鬼火とはナニ? 由是、 大舍人 及 諸近侍 病死者衆。 ー 丁巳、 耽羅 始遣 王子 阿波伎 等貢獻。 伊吉連博�噐書云 「辛酉年正月廿五日還到越州、 四月一日 從越州 上路 東歸、 七日行到檉岸山明。 以八日 鶏鳴之時・・・「鶏の鳴く」→鶏林=新羅 順西南風、 放船大海。 海中迷途、漂蕩辛苦。 九日八夜僅到 耽羅之嶋、 便 卽招慰 嶋人 王子 阿波伎 等九人同載客船、 擬獻帝朝。 五月廿三日奉進朝倉之朝、 耽羅 入朝 始於此時。 又、 爲智興?人 東漢 草直 足嶋 所讒、 使人等 不蒙寵命。 使人等 怨徹于 上 天之�撥、 震死 足嶋。 時人稱曰、 大倭天報之近。」 秋 七月甲午朔丁巳、 天皇崩于朝倉宮。 八月甲子朔、 皇太子奉徙天皇喪、 還至磐瀬宮。 是夕於 朝倉山上 有 鬼、・・・「鬼」とは鬼室福信 「鬼室福信」 ?~663年 百済の将軍・義慈王の父 第三十代 武王(余璋=徐璋)の甥 官位は恩率(三品官) 佐平(一品官) 「鬼室」氏の祖 「日本書紀」 669年 佐平(百済官位) 余自信、 佐平 ↓ 「鬼室集斯」・・・「集斯」→修史? 等男女 七百人を 近江国蒲生郡に移民 「鬼室福信」の 死亡二ヶ月後 「白村江の戦い」で 倭国と百済の連合軍が 唐と新羅に大敗 「旧唐書」 「倭人と白江口で遇い、 四戦してみな克ち其の舟 四百艘を焚く 煙炎は天を灼がし、 為に海水は丹(アカ)くなった 扶餘豊は身を以て脱し行方不明 唐軍は扶餘豊の宝剣を得た 王子 扶餘忠勝らは倭人を率いて降った」 「日本書紀・天智天皇四年(665)」 亡命者、「鬼室集斯」 小錦下を授ける 天智天皇の八年(669) 近江国 蒲生郡に遷居、 天智十年(671) 学職頭 鬼室神社が 近江日野ある ↓↑ 別名は 「扶余福信」・・・付与、覆審・腹心? 着 大笠・・・?大笠=大+竹+立 「新笠」とは桓武天皇の母親 臨視喪儀、 衆皆 嗟怪。・・・?・・・嗟=口の差を怪しむ ーー↓ 「新撰姓氏録」 「右京諸蕃下百済公の条」 「鬼神感和の義によりて、 氏を命じて鬼室といふ」 由来は 「宿容経」の「鬼宿」だろう・・・ 南方の「朱雀の目」 朱雀七宿の第二宿 十二宮の「蟹宮の四足」 七曜で「月」の影響 蟹座の「θ、η、γ、δの4星」の「θ星」 「官府の舌」・・・口舌 興味があるなら http://www42.tok2.com/home/nikorao/tokepe/ura2/syukut23.htm ーーー↓. ・・・ハナシがトンだ・・・ 「甄」の「優劣、真偽などを鑑定、審査、見分ける」の漢字の検討であった・・・ 「甄」の漢字分解した漢字を読むなら・・・ 「甄=西+十+一+瓦」 瓦=「互+ゝ」=「万+ゝ+一」 互=「一+L+7+一」 互=「丅(カ)+丄(ジョウ)」 「丅=下」+丄=上」 「西の土(士)」、あるいは「十一」 「瓦」、「上下の中」にある 「ゝ=テン・チョン」である 「天朝、天頂、天聴、天長、店長」の転調 甄氏 息子である明帝は、 母の名誉を回復して、即位後に 皇后を追贈し、 「その英知によって世を啓蒙した」 との意味をこめて 「昭」という謚を贈った 母后の一族に厚遇を与え、 甄家の男子を列侯に取り立てた 「八王の乱」に際しても危難を回避 ーー↓ 甄豊 「新王朝」の 王莽の腹心 同姓の 甄邯とともに献策 綏和一年(紀元前八年) 甄豊は京兆都尉から水衡都尉に遷る 綏和二年(紀元前七年) 泗水相に遷る 元寿二年(紀元前一年) 左曹中郎将から 光禄勲に遷る 元始一年(一年) 甄豊は光禄勲から離れ 同年二月までには左将軍に遷る 少傅も兼任し、 太傅王莽、 太師孔光、 太保王舜とともに 四保となった 光禄勲、左将軍就任時に、 廣陽侯に封じられた 元始二年(二年)四月 病により罷免された 王崇の後任として、 大司空に就任した 元始年間 甄豊と甄邯は 王莽の側近として台頭 元始三年(三年) 王宇、呂寛、衛氏一族が誅滅 甄豊は王莽の意を汲み、 何武、 鮑宣、 彭偉などの 名士・豪傑数百人を連座で死に追いやる 居摂一年(6年)三月 甄豊は 太阿、右拂を兼任 孺子嬰を補佐 居摂二年(7年)九月 東郡太守 翟義の反乱 王舜とともに夜間に宮中を巡回し、 王莽を護衛 王莽が 摂皇帝 皇帝に即位後 甄豊ら古くからの腹心は疎遠 符命を献上した新たな部下たちが王莽に信任 始建国一年(9年) 王莽は 新を創建 甄豊を 廣新公に封じ 更始将軍に降格 甄豊は 王興、 孫建、 王盛 とともに四将の一人 餅売り出身の 王盛と同列 甄豊とその子 甄尋は不満を抱き沈黙 始建国二年(10年) 甄尋が作成した符命に基き、 甄豊は右伯に任命 就任する前の 同年十二月 甄尋がさらに作成した符命の内容が、 「平帝の王皇后(王莽の娘)は甄尋の妻である」 というもので 王莽の怒りを買い、 甄尋は逃亡し、 甄豊は自殺 ーーー クッペ. クープ(切れ目)がすーっと1本だけ入ったパン クッペ(クーペ)”とは、 「フランス語」で 「切る」の意味 ・・・中学生時代に給食で食べた「コッペパン」・・・? ーー クッベ・ナイエ(kubba ni'a)=「生クッペ」 イスラエル内のアラブ種族のキリスト教徒の食べ物 クッペ=麦の生汁 クッベ・ナイエ(生肉のたたき) 山羊肉のたたき=「クッベ・ナイエ」 羊の肉に小麦を挽いたものや スパイスを混ぜ合わせて 叩いたもの では・・・「ナイエ」は「生肉」・・・? クッベ・ナイエ=生肉ミンチ(挽肉) クッベ・ナイエ (香辛料を混ぜたクッベ用の挽肉を生で食べる) ↓↑ 聖体のパンと麦粥のほかに、キリスト教徒の食文化のすばらしさを象徴するものは、 「クッベ・ナイエ(kubba ni’a)」であろう。 これは小麦を挽き割りにした 「ブルゴル(burgul)」をふやかし、 山羊の生挽肉と 香草、 香辛料、 パプリカの ペーストとともに練って 団子状にしたものであり、 キリスト教徒の多いガリラヤ地方北部の農村のもてなし料理である。 「クッベ・ナイエ」を誇ることは、新鮮な「生肉」を食すことのできる環境と技術、双方を誇ることに他ならない。 また、復活祭のときに各家庭で作られる菓子マァムール(ma‘amūl)もまた、小麦を主原料としており、その形はイエスの荊冠や墓など、キリスト教的な象徴性を帯びている。イスラーム教徒にとって、マァムールは犠牲際のときにふるまわれる菓子であるが、その形に特別な意味はないという。 原文は以下の「論文」からの部分抜粋です http://www.cismor.jp/jp/publication/jismor/documents/JISMOR3_jp_sugase.pdf 「クク+パブ」=「クッパ」は韓国には汁物にご飯を入れて混ぜて食べ、日本では「クッパ」は「スープとご飯を組み合わせた雑炊」・・・「クッベ」とは似ている音だけれど・・・中東・・・ で、「ナイエ」は「生」の意味なのか?・・・「ないえ」・・・? ・・・「何も削るものがない状態」、「ナイエ=nayet」は「三人称・単数・パラスマイパダ・願望法・彼は~だろう、彼は~するべき・指導する・案内する・導く・連れていく」・・・「サンスクリット語」・・・「パラスマイパダ(parasmaipada)」・・・「他者のための(parasmai)言葉(pada)」・・・??? ーー 「レバノン」という国名は 「アラム語」で「白」 ーー ・・・?・・・「ナイエ」にコーデネート(coordinate)するには知識不足・・・
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