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丙午日(ひのえうま・ヘイゴ)・・・?

2022/10/20・木曜日・丙午(ひのえうま・ヘイゴ)・・追加添文・・・

2022年 干支39 壬寅(己・丙・甲)年

1 0  月 干支47 庚戌(辛・丁・戊)月

20  日 干支43 丙午(丙・ ・丁)日

 「丙午日(ひのえうま・ヘイゴ)」

 十二運が帝旺・日刃

 男性は亭主関白・・・?

 女性はカカア天下・・・?

 「天一天上の14日目」

 唯一八専に含まれない・・・?

  ↓↑

 八専(ハッセン)

 日の干支が

 壬子(甲子から数えて49番目)から

 癸亥(同60番目)の間の12日間

 干支共に同じ五行となる

 壬子、甲寅、乙卯、丁巳、己未、庚申、辛酉、癸亥

 の8日

 干支の気が重なる日が全部で12日

 そのうち8日が

 壬子~癸亥までの12日間に集中

 「専一」

 同気が重なる日が

 8日あることから

 「八専」

 「八専の間日(まび)」

 八専の期間には

 同気の重ならない日の

 4日

 八専のうち間日を除く8日間は

 同気が重なる(比和)こと

 何事も極端になる吉凶日・・・

 強運日・狂運日・・・?

  ↓↑

 第22王朝の首都「ブバスティス(猫神の都)」とは

 古代名で「バスト」・・・「バ」は共通項だが・・・

 ペルシャ軍は「猫」でエジプトに勝利した・・・「バステト神」と結びついて崇められるようになる第22王朝時代・・・「紀元前525年、ペルシアのカンビセスはエジプトの前哨地ペレシウムに侵攻。彼は、盾に「猫」を貼り付け、「猫神」崇拝のエジプト兵は、戦闘放棄して敗走・・・

 バステト(猫)神崇拝は紀元390年、禁令・・・

 ・・・とにかく、飼い猫の「原産地」はエジプト・・・

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 なぜ、  「ラモーゼ」  を  「モーゼ」と重ねて考えないのだろう?  ボクの知りうる情報は限られているが・・・  以下はブログ記事からの「コピペ」・・・   ↓  「ラモーゼ」  アメンホテプ三世  アメンホテプ四世  の時代のエジプト宰相

  ↓↑

 「根拠」とその「プロセスの説明」・・・「カミ」がエジプトで「奴隷」としてアマンジテいた「イスラエル人」を「解放」したのが「アブラハムと結んだ契約の履行、実行」であった・・・だが、「乳と蜜の流れる地への約束」は未だである。「カミ」は様々な「奇蹟」を以て「イスラエル人」に示し、その「奇蹟」で「エジプトからの脱出」を実現させた。だが、「一部のイスラエル人」は「神の行為と約束」を信じきるコトが出来なかった。ナゼか?「現実的な生活」は「軍事侵略の準備と体制確立」の前に犠牲にされていた。食えるものは「マナ」だけ。「民意」は不満タラタラ。チョッと「つぶやく」だけで、「呟(つぶや)いた人間」は皆殺し。「軍隊至上主義」的体制を固めるには流浪の「イスラエル人60万人」の「一部の血の粛清」である。  「神」とは「理想(人間善)追求のパラドックス的な独裁(人間悪)執行」の司令発信の「絶対者」である。「生きている人間」とは「善悪合体の存在、実存」で、「階級社会的な掟、法律での妥協バランスの協働体の中」で生きていく存在である。「人間社会」は「自然界の新陳代謝(生態系)」の枠内にあり、その生命活動の枠内で個々人が「殺生」しながら生きている。「喰うコト自体が動植物の殺生」である。坊っちゃん育ちの「ホトケ」にはソレが悟れなかった。キリストも、これが「原罪」ならば、「人間」の「自然からの解放は無い」の当然である。モーゼの「カミ」は当然のコト、それを「理解」していた。「人間をどうしたモノか?」・・・「自然からの解放」とは「餓え」と「病」、「自然災害」からの「解放」である。ムリ(無理)である。だが「階級社会」からの「解放」は可能性だがウリ(有理)かも。  「神」の思惑で人間を「人間として教育」するには「無垢な初児」からの「洗脳教育」だった。「少年少女、若者」は御し易い。年齢経験と知識を有する「壮年、老人」は「秘密警察」でなんとか。かっての「生活のノスタルジーに浸る人間」は不要な存在である。  「ドイツのナチス、ソ連のスターリン、帝国日本、大陸中国の毛沢東、東欧社会の独裁者、カンボジアのポル・ポト、アフリカ諸国の独裁者」と、同次元。  アメリカはドウだったのか?黒人は「奴隷として財産」だった。「奴隷」でなくても「労働力」である。殺す必要はない。「人間の解放」は・・・「アメリカンドリームの拝金主義」に吸収されていった。「努力すれば報われる」・・・「乳と蜜の流れる地」、だが、原則的に「共有を拒否」する「プチブル意識の集団国家」。  「ニッポン国家」は「共有を意識、実践する国家」なのか?  「Abe」は確かに「アブラハム」じゃぁないが・・・「三本の矢(経済活動=生活の安定?)」と「安全保障(軍事行使の拡大・憲法改正)」・・・  「我が国の存立を全うし、国民の命と平和な暮らしを守るための必要最小限の自衛の措置」・・・「約束履行」・・・「我が国の存立」とは「エゴ」である。「諸国民の存立」としても、「諸国民」とはダレのコトなんだか。 ーーーーー  旧約聖書  民数記 第12章 12:1 モーセは クシ・・・・・クシ=櫛・串・釧・九氏  ↓    句詞・九史・駆使       コーム (comb)       櫛名田比売=奇稲田姫       櫛は髪を梳くモノだが、       虱(しらみ)を       掻き落とす道具       クシ=クシュ(Qes)との記述も       エチオピアの「クシュ」で、      「黒い肌の妻」?      「第25王朝時代に       エジプトを支配した       ヌビアの王たちの       出身地である       クシュ王国」      「イリケアマノテ(紀元前5世紀後半)       の碑文       カワにあるT神殿の列柱室東壁に       126行にわたり丁寧に彫られおり、       イリケアマノテの即位と       カワの       アメン神殿への       寄進を記録したもの」      「アララとアメン・ラーの契約」の碑文     ・・・「クシュ王国」に関してもはやお手上げであるが、     エジプト王の     「ネコ1世(紀元前664年に殺害)」や     「ネコ2世(紀元前609年のメキドの戦い)」が関係してくる。     ・・・黒猫ニャンコのモモ女王の疑問は・・・     「ネコ(根子)」の名を有する     「日本の天皇」である      七代 孝霊天皇     大日本-根子(ねこ)      八代 孝元天皇     大日本-根子(ねこ)      九代 開化天皇     稚日本-根子(ねこ)-彦大日日尊     二二代 清寧天皇     白髪武広国押稚日本-根子(ねこ)尊     四一代 持統天皇         大倭-根子(ねこ)天之廣野日女尊         高天原廣野姫天皇     四二代 文武天皇         倭-根子(ねこ)豊祖父天皇         天之真宗豊祖父天皇     四三代 元明天皇         日本-根子(ねこ)天津御代豊国成姫天皇     四四代 元正天皇         日本-根子(ねこ)高瑞浄足姫天皇     五一代 平城天皇         日本-根子(ねこ)天推国高彦尊         奈良帝     五三代 淳和天皇         日本-根子(ねこ)天高譲弥遠尊         西院帝     五四代 仁明天皇         日本-根子(ねこ)天璽豊聡慧尊         深草帝     の記載があるコトである・・・  ↓ 女(むすめ・おんな)を 娶(めとっ)ていたが、 その クシの女(むすめ・おんな)を 娶(めとっ)たゆえをもって、 ミリアム・・・・・・・・・モーセの姉ミリアム アロン・・・・・・・・・モーセの兄アロン モーセを非難した。・・・? 12:2 彼らは言った、 「主は  ただモーセによって語られるのか。  われわれによっても  語られるのではないのか」。 主はこれを聞かれた。 12:3 モーセはその人となり柔和なこと、 地上のすべての人にまさっていた。 12:4 そこで、 主は突然 モーセ アロン、 および ミリアム にむかって 「あなたがた三人、  会見の幕屋に出てきなさい」 と言われたので、彼ら三人は出てきたが、 12:5 主は 雲の柱のうちにあって下り、 幕屋の入口に立って、 アロン ミリアム を呼ばれた。 彼らふたりが進み出ると、 12:6 彼らに言われた、 「あなたがたは、  いま、  わたしの言葉を聞きなさい。  あなたがたのうちに、  もし、  預言者があるならば、  主なるわたしは  幻をもって、・・・・・幻覚・幻視  これにわたしを知らせ、  また  夢をもって、・・・・・ユメ  これと語るであろう。 12:7  しかし、  わたしのしもべ  モーセとは、そうではない。  彼は  わたしの全家に  忠信・・・・・・・・・チュウシン  なる者である。 12:8  彼とは、  わたしは  口ずから語り、・・・・直接話す  明らかに言って、  なぞ・・・・・・・・・謎・ナゾ  を使わない。  彼は  また  主の形・・・・・・・・シュのカタチ  を見るのである。  なぜ、  あなたがたは  わたしの  しもべ  モーセ  を恐れず非難するのか」。 12:9 主は彼らにむかい 怒りを発して去られた。 12:10 雲が 幕屋の上を離れ去った時、 ミリアムは、 癩病(らいびょう)となり、 その身は 雪のように 白くなった。 アロンがふり返って ミリアムを見ると、 彼女(むすめ・おんな)は 癩病(らいびょう)になっていた。 12:11 そこで、 アロンはモーセに言った、 「ああ、わが主よ、わたしたちは  愚かなことをして罪を犯しました。  どうぞ、  その罰をわたしたちに受けさせないでください。 12:12  どうぞ彼女(むすめ・おんな)を  母の胎から  肉が  半ば滅びうせて出る  死人のようにしないでください」。 12:13 その時モーセは主に呼ばわって言った、 「ああ、神よ、  どうぞ  彼女(むすめ・おんな)を  いやしてください」。 12:14 主はモーセに言われた、 「彼女(むすめ・おんな)の父が  彼女(むすめ・おんな)の顔に  つばきしてさえ、  彼女(むすめ・おんな)は  七日のあいだ、  恥じて身を隠すではないか。  彼女(むすめ・おんな)を  七日のあいだ、  宿営の外で  閉じこめておかなければならない。  その後、  連れもどしてもよい」。 12:15 そこで ミリアムは 七日のあいだ、 宿営の外で閉じこめられた。 民は ミリアムが連れもどされるまでは、 道に進まなかった。 12:16 その後、 民は ハゼロテ を立って進み、 パランの荒野に宿営した。  ↓ 第13章 13:1 主はモーセに言われた、 13:2 「人をつかわして、  わたしが  イスラエルの人々に与える  カナンの地を探らせなさい。  すなわち、  その父祖の部族ごとに、  すべて彼らのうちの  つかさたる者  ひとりずつを  つかわしなさい」。 13:3 モーセは主の命にしたがって、 パランの荒野から彼らをつかわした。 その人々はみな イスラエルの人々の かしらたちであった。 13:4 彼らの名は次のとおりである。 ルベンの部族では ザックルの子 シャンマ、 13:5 シメオンの部族では ホリの子 シャパテ、 13:6 ユダの部族では エフンネの子 カレブ、 13:7 イッサカルの部族では ヨセフの子 イガル、 13:8 エフライムの部族では ヌンの子 ホセア、 13:9 ベニヤミンの部族では ラフの子 パルテ、 13:10 ゼブルンの部族では ソデの子 ガデエル、 13:11 ヨセフの部族すなわち、 マナセの部族では スシの子 ガデ、 13:12 ダンの部族では ゲマリの子 アンミエル、 13:13 アセルの部族では ミカエルの子 セトル、 13:14 ナフタリの部族では ワフシの子 ナヘビ、 13:15 ガドの部族では マキの子 ギウエル。 13:16 以上は モーセが その地を探らせるために つかわした人々の名である。 そして モーセは ヌンの子 ホセア ヨシュア と名づけた。 13:17 モーセは彼らをつかわし、 カナンの地を探らせようとして、 これに言った、 「あなたがたは  ネゲブに行って、  山に登り、 13:18  その地の様子を見、  そこに住む民は、  強いか弱いか、  少ないか多いか、 13:19  また彼らの住んでいる地は、  良いか悪いか。  人々の住んでいる町々は、  天幕か、城壁のある町か、 13:20  その地は、  肥えているか、やせているか、  そこには、  木があるかないかを見なさい。  あなたがたは、  勇んで行って、  その地の  果物(くだもの)を取ってきなさい」。  時は、  葡萄(ぶどう)の熟し始める季節であった。 13:21 そこで、彼らはのぼっていって、 その地を チン の荒野から ハマテ の入口に近い レホブ まで探った。 13:22 彼らは ネゲブ にのぼって、 ヘブロン まで行った。 そこには アナクの子孫である アヒマン、 セシャイ、 および タルマイ がいた。 ヘブロンは エジプトの ゾアン よりも 七年前に建てられたものである。 13:23 ついに彼らは エシコル の谷に行って、 そこで 一ふさの 葡萄(ぶどう)の枝を切り取り、 これを棒をもって、 ふたりでかつぎ、 また、 ざくろ(石榴・柘榴・ザクロ)・・・石木留 いちじく(無花果・イチジク)・・・一 字句                  意知字句                  異地字句                  位置字句                  位地字句 をも取った。 13:24 イスラエルの人々が、 そこで切り取った 葡萄(ぶどう)の 一ふさにちなんで、 その所は エシコル・・・・・・・・・・・・・重詞凝る の谷と呼ばれた。 13:25 四十日の後、 彼らはその地を探り終って帰ってきた。 13:26 そして、 パラン の荒野にある カデシ にいた モーセ アロン、 およびイスラエルの人々の 全会衆のもとに行って、 彼らと全会衆とに 復命し、 その地の 果物(くだもの) を彼らに見せた。 13:27 彼らはモーセに言った、 「わたしたちはあなたが、  つかわした地へ行きました。  そこはまことに  乳  と  蜜  の流れている地です。  これはその  果物(くだもの)  です。 13:28  しかし、  その地に住む民は強く、  その町々は堅固で非常に大きく、  わたしたちはそこに  アナク  の子孫がいるのを見ました。 13:29  また  ネゲブ  の地には、  アマレク  びとが住み、  山地には  ヘテ  びと、  エブスびと、  アモリびとが住み、  海べと  ヨルダン  の岸べには、  カナン  びとが住んでいます」。 13:30 そのとき、 カレブは モーセの前で、 民をしずめて言った、 「わたしたちはすぐにのぼって、  攻め取りましょう。  わたしたちは  必ず勝つことができます」。 13:31 しかし、 彼とともに のぼって行った人々は言った、 「わたしたちは  その民のところへ  攻めのぼることはできません。  彼らは  わたしたちよりも  強いからです」。 13:32 そして 彼らはその探った地のことを、 イスラエルの人々に 悪く言いふらして言った、 「わたしたちが  行き巡って  探った地は、  そこに住む者を  滅ぼす地です。  またその所で  わたしたちが見た民は  みな  背の高い  人々です。 13:33  わたしたちは  またそこで、  ネピリム・・・・・・「巨人」            「天から落ちてきた者達」            「ネピリム」とも             神と人間の混血             寿命120歳            「・・・神の子たちが             人の娘たちのところに入って、             娘達に産ませた             彼らは             昔の勇士であり、             有名な人々であった」            (創世記6:1~4)  から出た  アナクの子孫  ネピリム  を見ました。  わたしたちには  自分が、  蝗(いなご)・・・・・・・イナゴ  のように思われ、  また  彼らにも、  そう見えたに違いありません」。  ↓ 第14章 14:1 そこで、 会衆は みな声をあげて叫び、 民はその夜、 泣き明かした。 14:2 また イスラエルの人々は みな モーセ アロン にむかって呟(つぶや)き、 全会衆は彼らに言った、 「ああ、  わたしたちは  エジプトの国で  死んでいたらよかったのに。  この荒野で死んでいたらよかったのに。 14:3  なにゆえ、  主はわたしたちを  この地に連れてきて、  剣(つるぎ)に倒れさせ、  また  わたしたちの妻子を  餌食(えじき)とされるのであろうか。  エジプトに帰る方が、  むしろ良いではないか」。 14:4 彼らは互に言った、 「わたしたちは  ひとりの頭(かしら)を立てて、  エジプトに帰ろう」。 14:5 そこで、 モーセ アロンは イスラエルの人々の 全会衆の前で 平伏(ひれふ)した。・・・・ヒレ臥・ヒレ附 14:6 このとき、 その地を探った者のうちの ヌンの子 ヨシュア エフンネの子 カレブ は、その衣服を裂き、 14:7 イスラエルの人々の全会衆に言った、 「わたしたちが  行き  巡って  探った  地は非常に良い地です。 14:8  もし、  主が良しとされるならば、  わたしたちをその地に導いて行って、  それを  わたしたちにくださるでしょう。  それは  乳と蜜の流れている地です。 14:9  ただ、  主に  そむいてはなりません。  また  その地の民を恐れてはなりません。  彼らは  わたしたちの  食い物にすぎません。  彼らを  守る者は取り除かれます。  主が  わたしたちと  共におられますから、  彼らを恐れてはなりません」。 14:10 ところが 会衆はみな 彼らを撃ち殺そうとした。 そのとき、 主の栄光が、 会見の幕屋から イスラエルのすべての人に現れた。 14:11 主はモーセに言われた、 「この民は  いつまで  わたしを侮るのか。  わたしが  もろもろの  しるしを  彼らのうちに  行ったのに、  彼らは  いつまで  わたしを信じないのか。 14:12  わたしは  疫病をもって  彼らを撃ち滅ぼし、  あなたを  彼らよりも  大いなる強い国民としよう」。 14:13 モーセは主に言った、 「エジプトびとは、  あなたが力をもって、  この民を  彼らのうちから  導き出されたことを聞いて、 14:14  この地の住民に告げるでしょう。  彼らは、  主なるあなたが、  この民のうちにおられ、  主なるあなたが、  まのあたり現れ、  あなたの雲が、  彼らの上にとどまり、  昼は雲の柱のうちに、  夜は火の柱のうちにあって、  彼らの前に  行かれるのを聞いたのです。 14:15  いま、もし、  あなたが  この民をひとり残らず殺されるならば、  あなたのことを聞いた  国民は語って、 14:16  『主は与えると誓った地に、   この民を導き入れることが   できなかったため、   彼らを荒野で殺したのだ』  と言うでしょう。 14:17  どうぞ、  あなたが約束されたように、  いま  主の大いなる力を現してください。 14:18  あなたはかつて、  『主は   怒ることおそく、   いつくしみに富み、   罪ととがをゆるす者、   しかし、   罰すべき者は、   決してゆるさず、   父の罪を子に報いて、   三、四代に   及ぼす者である』  と言われました。 14:19  どうぞ、  あなたの大いなる  いつくしみによって、  エジプトからこのかた、  今にいたるまで、  この民をゆるされたように、  この民の罪をおゆるしください」。 14:20 主は言われた、 「わたしは  あなたの言葉のとおりにゆるそう。 14:21  しかし、  わたしは生きている。  また  主の栄光が、全世界に満ちている。 14:22  わたしの栄光と、  わたしが  エジプトと荒野で行ったしるしを見ながら、  このように  十度も  わたしを試みて、  わたしの声に  聞きしたがわなかった人々は  ひとりも、 14:23  わたしが  かつて  彼らの先祖たちに与えると  誓った地を見ないであろう。  また  わたしを侮った人々も、  それを見ないであろう。 14:24  ただし、  わたしのしもべ  カレブ  は違った心をもっていて、  わたしに完全に従ったので、  わたしは  彼が行ってきた地に  彼を導き入れるであろう。  彼の子孫は  それを所有するにいたるであろう。 14:25  谷には  アマレクびとと  カナンびとが住んでいるから、  あなたがたは、  あす、  身をめぐらして  紅海の道を  荒野へ進みなさい」。 14:26 主はモーセとアロンに言われた、 14:27 「わたしにむかって  呟(つぶや)く  この悪い会衆を  いつまで忍ぶことができようか。  わたしは  イスラエルの人々が、  わたしにむかって  呟(つぶや)くのを聞いた。 14:28  あなたは彼らに言いなさい、  『主は言われる、   「わたしは生きている。    あなたがたが、    わたしの耳に語ったように、    わたしはあなたがたにするであろう。 14:29    あなたがたは    死体となって、    この荒野に倒れるであろう。    あなたがたのうち、    わたしにむかって    呟(つぶや)いた者、    すなわち、    すべて数えられた    二十歳以上の者は    みな倒れるであろう。 14:30    エフンネの子    カレブと、    ヌンの子    ヨシュアのほかは、    わたしがかつて、    あなたがたを住まわせようと、    手をあげて誓った地に、    はいることができないであろう。 14:31    しかし、    あなたがたが、    餌食(えじき)になるであろうと    言ったあなたがたの子供は、    わたしが導いて、    はいるであろう。    彼らはあなたがたが、    いやしめた地を    知るようになるであろう。 14:32    しかし    あなたがたは    死体となって    この荒野に倒れるであろう。 14:33    あなたがたの子たちは、    あなたがたの死体が    荒野に朽ち果てるまで    四十年のあいだ、    荒野で羊飼となり、    あなたがたの    不信の罪を負うであろう。 14:34    あなたがたは、    かの地を探った    四十日の日数にしたがい、    その一日を一年として、    四十年のあいだ、    自分の罪を負い、    わたしが    あなたがたを    遠ざかったことを知るであろう」。 14:35    主なるわたしがこれを言う。    わたしは必ず    わたしに逆らって    集まったこの悪い会衆に、    これをことごとく行うであろう。    彼らはこの荒野に朽ち、    ここで死ぬであろう』」。 14:36 こうして、 モーセにつかわされ、 かの地を探りに行き、 帰ってきて、 その地を悪く言い、 全会衆を、 モーセにむかって、 呟(つぶや)かせた人々、 14:37 すなわち、 その地を悪く言いふらした人々は、 疫病にかかって 主の前に 死んだが、 14:38 その地を探りに行った人々のうち、 ヌンの子 ヨシュア と、 エフンネの子 カレブ とは生き残った。 14:39 モーセが、 これらのことを、 イスラエルのすべての人々に告げたとき、 民は非常に悲しみ、 14:40 朝早く起きて 山の頂きに登って言った、 「わたしたちはここにいる。  さあ、  主が約束された所へ上って行こう。  わたしたちは  罪を犯したのだから」。 14:41 モーセは言った、 「あなたがたは、  それをなし遂げることもできないのに、  どうして、  そのように  主の命に  そむくのか。 14:42  あなたがたは  上って行ってはならない。  主があなたがたのうちにおられないから、  あなたがたは  敵の前に、  撃ち破られるであろう。 14:43  そこには、  アマレクびとと、  カナンびとが  あなたがたの前にいるから、  あなたがたは、  剣(つるぎ)に倒れるであろう。  あなたがたが  そむいて、主に従わなかったゆえ、  主は  あなたがたと  共におられないからである」。 14:44 しかし、 彼らは、 ほしいままに 山の頂に登った。 ただし、 主の契約の箱と、 モーセとは、 宿営の中から出なかった。 14:45 そこで、 その山に住んでいた アマレクびとと、 カナンびとが下ってきて、 彼らを撃ち破り、 ホルマ まで追ってきた。 ーーーーー  ・・・どんなに眼前の「奇蹟」を見せられても

「信じない人々の存在根拠」とはナンなんだかニャン・・・


 ・・・「選ばれた人々」には最早、「選択の自由は無い」・・・「選民思想」って、「自由が無い人々のコト」なんだ・・・前日は「旧約聖書(民数記)」に記されてある「ヌビア(スーダン)で成立した古代「クシュ人の王国」の「クシ(クシュ・クシテ)」の「娘(女)」をモーゼが娶ったコトに関して兄姉が文句を云ったコトに知識不足で「お手上げ?」としたが、現在の「スーダンの事情」しかボクにとっては「知識が無い」の一言に尽きる。TV番組やニュースで「スーダン(内戦)」をみたコトが・・・その程度の知識である。  国家間の紛争は「国内、身内」の「兄弟姉妹の内紛」から、である・・・「難事の隣人を兄弟のように愛せ」とは「愛が恨み」に変わり、「根深い損得感情のエゴの恨みが身内同士に染み付いて」は手の打ちようがない・・・多分、「汝の親子供、兄弟姉妹を、隣人、客人のように愛せ」である。「ニホンジン」は「客人・隣人」には「気を使う人々」である。「自分、身内の食べ物を削ってもモテナス」。「京都」では少々違っているらしいから田舎モンは出された菓子は食べないほうがイイ。それも「菓子を出す方も困窮しての建前の作法」のコト・・・「出されたモノを食べないの」は「礼儀」だそうだが、「お互いが暗黙の了解」があってこそだが・・・香りと鑑賞だけ、とはねッ・・・  それにしても「アフリカは内戦と難民の諸国」で、中古の「兵器・武器」の国際市場。その銃を持つ少年兵が村を襲う・・・ブログで色々調べてみたが、「クシ(クシュ・クシテ)」・・・ ーーーーー  「クシ(クシュ・クシテ)」の  「娘(女)」は「黒人」だった・・・  ・・・「神」は「人種差別」に怒った・・・   ↓  「スーダーン」は  アラビア語で  「黒い人」の意味・・・  スーダン  ナイル川流域北部は  ヌビア  北方の  古代エジプトの影響を強く受けた地域  古代エジプトの諸王朝  ナイル川沿いに南下  金や象牙の交易拠点を作り支配   ↓  紀元前2200年頃  南部から移動してきた黒人集団が  「クシュ王国」を建国  王国は中王国時代のエジプトの  影響を受けながら勢力拡大  エジプト新王国時代  トトメス1世が・・・トトメス1世(紀元前1524年~1518年  ↓               OR                  紀元前1506年~1493年)            古代エジプト            第18王朝            第3代ファラオ(王)           「トトメス」は           「トート神の造りしもの」            即位名           「アアケペルカラー」は           「偉大なるはラーの魂」の意味           「アメンホテプ1世の子ではなかったが、            王の将軍で、            シリア、            ヌビアへの遠征軍を指揮」           「アメンホテプ1世の王女            イアフメスと結婚」            し、王の後継者となった            アメンホテプ1世の信頼を受けて            共同統治者となり            各方面に遠征            宗教政策で            アメンホテプ1世のアメン神官団と協調            カルナックのアメン大神殿の造営継続            アメン神官団の権力拡大させた            アメン神官団の膨張            アメン(アモン)神  ↓          ↓↑            太陽信仰         「旧約・エレミヤ書・46章25節」に         「万軍の主、イスラエルの神は言われた、          『見よ、わたしは           テーベの           アモンと、           パロと、           エジプトと           その神々と           その王たち、           すなわち           パロと彼を           頼む者とを罰する。』」と記述      ・・・「アモン」はモーゼの神の「敵」なのか?      ・・・「唯一神教」の手前だが、      ・・・「結多神教の主神」で、「ゼウス」である・・・  ↓         ↓           アンモナイト・アンモニウム塩           アンモニアなどの語源           アンモナイトは          「Ammon(アモン神)+ ites(石)」 「太陽の石」=「アモンの石」は          「渦巻く円形」の意だろう・・・           太陽のフレア(縮れ髪)の           スピン(Spin)を           観察していた・・・           「ites(イテス)」は           「石(いし・いわ・セキ)」である           アメン神を、          「ゴエティア          (Goetia=17世紀から伝わる           作者不明の           グリモワール           『レメゲトン』の           第一書の表題)」に記載された          「悪魔アモン(Amon)」・・・   ↓          ↓↑             第20王朝の末期             最後の王            「ラムセス2世」時代             ヌビア総督             パネヘシは             テーベ周辺の             上エジプト南部まで管理権拡大             後、  ↓          ↓↑            「パネヘシ」は             謀反の罪で地位を追われ、              ↓↑             新しく             アメン大司祭に             クシュ(上ヌビア)副総督と宰相職の             ヘリホルが就任             ヘリホルの妻             ノジメト(Nodjmet)は             ラムセス2世の姉妹             ヘリホルは             姻戚関係を軸に権勢拡大・・・             ヘリホルは             アメン神官団の財力を背景に             第20王朝を無視して             独自の年号            「ウヘム・メスウト」を採用             神託によって             テーベの             統治権を与えられたと主張             上エジプトを領土とする             事実上の国家を形成             独自に王号を称し、             即位名(上下エジプト王名)を             ヘムネチェルテピエン-アメン             (アメン第1の預言者)とした             ヘリホルは            「ラムセス2世」より早く死亡             その後、             ヘリホルの娘婿と推定されている             ピアンキが             アメン大司祭職を継いだ             彼は            「ラムセス2世」と             ほぼ同じ頃に死んだ・・・  ↓    ↓     ↑     「アテン神」VS「アメン(アモン)神」     「アテン神」      夕日を神格化した神      テーベで祀られていた      神像も神話もない     「夕日の神」であることから、      太陽神ラーと同一視      後、      神ではなく、     「天体としての太陽」      を表すようになっていった  ↓  ↓↑    「アマルナ革命」     アメンホテプ4世の妃     ネフェルティティは    「アテン神」を信仰     妃の影響で    「アメンホテプ4世」も     アテン神を信仰     当時エジプトでの信仰は    「アテン神」ではなく、   「太陽神アメン」であった   「アメンホテプ4世」の治世   「アメン信仰」は全盛期   「アメン」を讃えていたエジプトの   「アメン神団」は    ファラオをも凌ぐ権勢を誇った   「アメンホテプ4世」は、    これらの    アメン神団を抑圧し    王権を強化する目的で、    自分の名も   「アクエンアテン」に改め、   「アメン神の文字を削った」    王家として   「アメン信仰」を停止   「アテン信仰」に換え、    他の神々の祭祀も停止した    ↓   「アマルナ様式」   「アテン神の変貌」    アテン神は、    動物的、人間的形態である    他のエジプトの神々とは異なり、    先端が手の形状を取る    太陽光線を何本も放ち、    光線の一つに   「生命の象徴アンク」を    握った「太陽円盤の形」で表現された   「アテン神は平和と恵みの神」とされた    太陽光線を崇めるため、    リアリスティックな表現が行われた・・・    宗教改革は    アメン神団の抵抗で失敗    アメンホテプ4世アクエンアテン死亡後    息子である   「ツタンカーメン王」の時代に   「アメン信仰」に戻った   「アテン信仰」は消滅・・・    ↓   「フロイト」は、    アクエンアテンの治世年と    出エジプトの年と推定される    年代がほぼ同じであるとし、   「アテン神」が   ユダヤ教の神   「ヤーウェの原形」だと唱えた・・・    ↓   「ネフェルティティ」は   「ミタンニ」出身との説がある・・・   「アテン神」は   「ミタンニ」で信仰されていた   太陽神  「ミトラ」とが習合した神・・・   アメンホテプ4世は対外的には   戦争を忌避し、   外国に侵略されることもあった   遺棄したハズの   アメン神団の存続も許していた・・・           ↓   ↑                    アメン大司祭国家          ピアンキ死亡後          その息子          ピネジェム1世が          アメン大司祭となった          下エジプトでは          スメンデス1世          が          タニスを中心に          第21王朝を建てた          パネジェム1世は          名前を          カルトゥーシュの中に刻んで          王として振舞った           ↓↑          ピネジェム1世(アメン大司祭)は          対外的に          第21王朝の王権を認め、          スメンデス1世の          治世年を年号として用いた          ラムセス2世の娘          「Duathathor-Henuttawy」を妻とし          王女「マートカラー」をもうけた          既に初代のアメン大司祭であった          ヘリホルは          ラムセス2世の姉妹を、          第21王朝の          スメンデス1世は          ラムセス2世の娘の一人を娶って          第20王朝の          ラムセス2世を介して姻戚関係が形成           ↓↑          スメンデス1世が死去後          政治闘争で          ヘリホルとノメジトの息子の          アメンエムニスウが          第21王朝の王位          これが激しい政治闘争を伴っていた          彼の即位に伴って          多数の人々が           ↓↑          エジプトから          追放されている・・・モーゼではないのか?           ↓↑          という点から確認          反対派の官吏はその地位を失っている          アメンエムニスウ死去後          ピアンキは自分の息子である          プスセンネス1世が          第21王朝の王位に付いた          ピアンキの別の息子である          マサハルタと          メンケペルラーは          アメン大司祭職を継承          メンケペルラーは          プスセンネス1世の娘          イシスエムケブ(Istemkheb)と結婚          アメン大司祭国家と          第21王朝の間には濃密な血縁関係が構築           ↓↑          第22王朝          タニスの第21王朝と          アメン大司祭国家の協力関係は、          第21王朝が倒れると変化          第21王朝最後の王          プスセンネス2世の後に          第22王朝の          シェションク1世は、          元々          エジプトに土地を与えられた          リビア人傭兵の子孫であり、          その軍事力を背景に          アメン大司祭国家に対して          統制を強めて人事権を握った          シェションク1世は          アメン大司祭職に          息子          イウプトを充て、          以降          アメン大司祭国家は          第22王朝の制御下に置かれる          しかし自律的な組織を持つ          アメン神殿や          アメン神官団の勢力は          その後も健在で、          第22王朝下においても          アメン大司祭職は強い権限を保持          その権力は          国内を二分する争いを引き起こした・・・           ↓↑          歴代王         「国家」の創始者とされるのは、          独自の年号を用い王号を称した  ↓     ヘリホル以降  ↓      ↑  「トトメス1世」が  クシュを滅亡させた  紀元前900年ごろ  ナパタを都として  「クシュ王国」は再興  衰退したエジプトに攻め入って  エジプト第25王朝を建国  第25王朝は  アッシリアに敗れ  ヌビアへと撤退  ヌビア支配権は保持し続けた  紀元前6世紀半ば  クシュは首都を  南の  メロエへと遷都  王国はメロエ王国  メロエは牧畜と  ソルガムの農耕を主産業とし、  鉄の産地  ↓ ーーーーー  クシュ(クシテとも)・・・クシ・・・  ↓  現在の  南エジプトと北スーダンに当たる  北アフリカの  ヌビア地方を中心に繁栄した文明地  最も早い時代に  ナイル川流域で発達した文明の一  クシュ人の国は  エジプトの領域内への進入の時期の後で発展  クシュ文化は、  期間は短いが、  エジプト新王国と相互影響の関係  メロエ語  およそ紀元前1000年~紀元前750年の間  ヌビア(スーダン)で成立した  クシュ人の王国  紀元前800年頃の  古代ヌビアの碑文があり  全て、  ヒエログリフ(神聖文字)の  エジプト語で記録   ↓  「メロエ語」  国家の成立から  数世紀の間に、  メロエ語による碑文  古代のヌビアの人名は  「メロエ語」・・・  「クシュ人の王国」の  中心地は  ナパタ(Napata)であった  紀元前300年頃に、  現在の  ハルツームの北の  メロエ(Meroë)に中心地が移動  同じ頃に独自の文字、  「メロエ文字」による  表記法が発展し、  メロエ語が公的な記録に使用  メロエ語は現在のところ充分に解明されていない。  メロエ語を特定の語族と結びつけることはできず、  推測することも困難・・・  後にヌビアにおいて  書記言語となった  古ヌビア語と似ている点も見られない・・・  メロエ語には  古代エジプト語からの  借用語がいくつかあるが、  短く、定型的な  奉納文を翻訳する以上のことは不可能・・・  メロエ語は  ナイル・サハラ語族に含まれる・・・  紀元300年頃には、  環境破壊による大異変、  あるいは  「アクスム王国」による軍事的敗北  かによって、  「クシュの王国」は滅亡し、  「メロエ語は死語」となった・・・   ↓  エジプト第1王朝頃  (紀元前3100年頃~紀元前2890年頃)  ヌビアに現れた  「クシュの国」  最初の国は  「ケルマ王国」  紀元前2600年ごろ  「ケルマないしケリーマ王国」は  アフリカ最初の  「黒人王国」  ヌビアの全てと  エジプトの一部を支配・・・  だが、記録が(あまり)無い・・・? ーーーーー  古代エジプト  トトメス1世=(在位:紀元前1524年~1518年         OR 紀元前1506年~1493年)         第18王朝         第3代ファラオ(王)  トトメス2世=(在位:紀元前1518年~1504年         OR         紀元前1493年~1479年)         第18王朝         第4代ファラオ(王)         即位名         アアケペルエンラー        (偉大なるはラーの形)         下位の王妃の子         正妃の第一王女であった         異母姉         ハトシェプストと結婚         王位簒奪を警戒して         側室         イシスとの間の子         トトメス3世を後継指名  トトメス3世=(在位:紀元前1479年頃~紀元前1425年頃)         第18王朝6代目のファラオ  トトメス4世=(在位:紀元前1419年~1386年         OR         紀元前1401年~1391年         OR 紀元前1397年~1388年)         第18王朝         第8代ファラオ(王)         即位名         メンケペルウラー        (永遠なるかなラー神の出現)        「トトメス」の名は        「トト神の生み出したもの」の意味        「夢の碑文」に記されている        「砂に埋もれたスフィンクスを         掘り出して救い、         スフィンクスの助力によって         ファラオとなった」         スフィンクスとは         ヘリオポリスの太陽神崇拝を示す         即位後の         トトメス4世は         アメン神官団の影響力の排除を試み、         アメン大神官が         就任する慣例であった要職に         腹心を任じた         息子アメンホテプ3世の時代         テーベからマルカタへの遷都         墓所にも         様々な神と対話する姿が描かれており、         アメン神官団との間には確執があった         軍事面では         ヒッタイトの危機に対抗するため、         ミタンニをはじめとする         諸国との間に同盟を締結、         シリア方面の情勢を安定させた ーーーーー  ・・・「トトメス」=「トト神の生み出したもの」  トート神(希臘語・トトとも)  古代エジプトの  知恵の神  書記の守護者  時の管理人  楽器の開発者  創造神   ↓  自らの力で「石」から生まれた  早く生まれた為に「足」が悪くなった  セト神の頭を割って誕生した   神々の書記  ヒエログリフを開発  書記の守護者  死者の審判で  死者の名前を記録する神  王が即位したときに  王の名前を  「イシェド」と呼ばれる  永遠に朽ちない葉に書き記す  時の管理者  天空の神ヌトが  オシリスたちを生む際に、  太陽神であるラーが  「その子供たちは災いを生む」  と言って子供を産むことを禁じた。  困ったヌトはトートに相談  トートは  月と賭けをして勝ち、  時の支配権を手に入れ、  太陽神の管理できない5日間を作りだす  (太陰暦と太陽暦の差)  ヌトはこの5日に  オシリス、  セト、  大ホルス、  イシス、  ネフティス  の5柱を生んだ  そして  月としての属性を得たため  太陽の沈んだあとの  夜の時間は、  トート神が太陽にかわって  地上を守護する   ↓  魔法に通じており、  イシスに数多くの呪文を伝えた  病を治す呪文も熟知し  医療の神・・・  魔法の書物を書き、  この世のあらゆる知識を収録する  42冊の本も書いた  楽器の開発者  ピラミッドの建設方法を人間に伝えた  シナイ半島では  トルコ石や銅鉱石を採掘に行った  エジプト人の守護者  「遊牧者の主」  「アジア人を征服するもの」  シナイでの信仰はハトホルよりも古い  スネフェル王の時代から、  シナイ半島の碑文に名前が登場  「大いなる導きヒヒ」と呼ばれ  ヒヒの姿で描かれる  ヒヒを聖獣とする  知恵の神  ヘジュウルとの習合による  ヒヒは魔術の象徴  ラーを補佐する事から  「ラーの心臓」とも呼ばれる  古代エジプト以外での  トート  ギリシア神話のヘルメス神と同一  発展して  ヘルメス・トリスメギストスを生んだ  エジプトの知恵は  タロットに残されたと考えられたため、  タロットは  「トートの書」とも呼ばれた   ↓  古代エジプトで  ジェフティ(エジプト語・ḏḥwty)  聖獣は  朱鷺(トキ)  と  狒狒(ヒヒ・霏霏)  数学や計量を司る女神  セシャトを妻(または妹)としている・・・ ーーーーー  ・・・「蒼頡(ソウケツ・倉頡)」は、「目が四つ目」で・・・「鳥や獣の足跡の形」から文字を発明した・・・  「頡」=「吉(十一口)」+「頁」  「蒼頡」廟は  現在の  陝西省・・・・陝西省=略称は「秦」、             または「三秦」         古代中国の         長安一帯を含む地域         黄河が流れ、黄土高原  「白水」県  「史官」郷にあり、  彼の墓の横には大きな  「柏=木+白」が植えられている・・・


・・・「モーゼ」は「猶太(ゆだや・JUDAEA)・アブラハム→ヤコブ=イスラエル→ユダ」と云う一族郎党の末裔の「リーダー」ではなく、当時の「エジプト」での「支配階級の内紛(宗教的対立)」と「対外戦争」、「自然災害・飢饉」で「エジプト」を出た「難民集団」のリーダーであった・・・「旧約聖書・民数記」は「荒野」を彷徨ったのではなく、「古代エジプト史」を彷徨っている・・・当然、「モーゼ」は「エジプトの王族」か「支配階級の高級官吏」であったハズである・・・「エジプト脱出」中の彷徨と放浪には「ユダヤ人」のみならず、「寄留人・異国人(寄留している他国人)」の存在が語られている。「エジプト国家秩序」の混乱は、その場所からの「避難難民の発生」である。しかも、自分の私有財産のみならず「残留エジプト人」から「金銀財宝」を略奪、掠奪し、携えての難民である・・・今現在の「シリアの難民」はどうか・・・かっての「ベトナム」、「香港」、今現在の「大陸中国」の「富豪、金持ち連中」は「難民」ではなく、「移民(?)」・・・移民、難民も事情は様々である・・・そして「キャンプ難民」でない限り、行き先の伝手と援助者の存在が条件である・・・  終戦後、満州、半島から命からがら引き上げてきた「ニホンジン」はウンがよかったのかも。シベリヤに抑留され死亡した人々は無念であったろうな。中国残留孤児の日本帰還はどうだったんだか・・・帝国日本の秘密機関が現地人から「宝石」を掠奪、略奪して戦後の政界要人にバラ撒いた、と云う噂もあったが・・・  エジプト脱出の人間には「金銀財宝」はあった。だが「食糧」はどうするのか・・・「農地=穀物」を放棄して荒野を放浪する為には「牧畜業の人々」を頼るほかに手はない。なんせ、「民数記」の記録には「60万」の人間である。これらの放浪、彷徨する「人間」を養うには膨大な「食糧の確保」が前提である・・・しかも、充分に食事を全うできるのは「アロンの一族」である「レビ人」である・・・不満を呟き、述べる「イスラエル人」は次々と「神の怒り」によって「殺された」・・・  「神」は「イスラエル人」の「レビ人(祭司集団=軍事官僚・参謀本部)」と、「軍事的組織化=軍隊・兵卒」をはかったが、うまくいかなかった・・・「兵站=兵糧物資」の奉納「10分の1」は「レビ人」に分配され、「神の作戦会議」には「モーゼ・アロン=レビ人」の一族のみ参加・・・「イスラエル人の他部族の頭」は「神の下の公平化、民主化」を要求した・・・  「軍事戦争」に「民主化」では「勝利」出来ないのは自明である・・・「民主化、公平化」を望んだ者は当然、粛清、処刑されたのである・・・  ・・・この当時の現実的な生活の場である「乳と蜜の地」を目指した「イスラエル人」に「天国」、「陰府(冥府・地獄)」と云うコトバの観念があったのか、どうなのか・・・そして、「乳と蜜の地」であって、「豊饒な穀物の地」ではない・・・「遊牧民主体の放浪、彷徨の軍事組織」は「天幕移動」の「宿営」生活そのものが「兵站」でもある・・・  「不倫条項(5:22)」には  「また、呪いの水が、   あなたの腹にはいって   あなたの腹をふくれさせ、   あなたの腿(もも)をやせさせるように」。  その時、  女は  「アァメン、アァメン」  と言わなければならない。」  と記されているが「手足が痩せ、腹が水で膨れているように見える」のはTV映像や、報道写真でみる「栄養失調の難民小児」の状態である・・・だが女性が妊娠でないならば「子宮の筋肉にできた腫瘍(子宮筋腫)」か「卵巣嚢腫」であろう・・・  ・・・問題にしたいのは「アァメン、アァメン」である。類似(類字)するコトバは、  「アモン(Ammon)=アムン(Amun)=アメン」・・・ナイル川 東岸のテーベ(ルクソール)の「大気の守護神、豊饒神」・・・  「アモン」  「アメン」    ↓  「アテン=アトン(Aten)」・・・「夕陽の神・太陽光線の神」で「唯一神の創造神」、「アマルナ革命の象徴神」・・・「アマルナまたはエル・アマルナ(アラビア語: العمارنة al-'amārnah‎)は、ナイル川東岸、 現在のエジプトのミニヤー県に位置する場所」である。「アル・アマルナ」とも。「テル・エル・アマルナ」とも。  紀元前1353年ごろ  エジプト第18王朝後期の  ファラオ・アメンホテプ4世(Amenhotep IV)  「イクナートン= Akhenaten(在位4年・紀元前1346年)」  「アク・エン・アテン=アテンに愛される者」  が建設した都市で  「在位7年(紀元前1343年)」にテーベから遷都  古代エジプトでは  「アケト-アテン (Akhetaten)」 と呼ばれた?          明けた 天?  「アケト-アテン」とは  「アテン神の地平線」の意・・・絵画からは「夕陽が海平線(水平線)に沈む光景」の象徴ではないのか・・・あるいは「朝陽(旭日)」が昇る光景・・・  正妃(皇后妃)は  「ネフェルティティ(Nefertiti・NeFeRTiTi)」で、  「NeFeR-T-(美しい・者)」が  「iTi(訪れた)」の意味・・・「イティ」?  古代エジプト三大美女の一人  (ネフェルティティ    ↓   ラムセス2世の妻の   ネフェルタリ・・・ネフェルタリ・メリ・エン・ムト           (Nefertari   MeRi- eN - MuT)            愛らしき者 寵愛されし者 ムトに                   メリエン=マリアン?                   Marian・Marianus                       Marianne    ↓   クレオパトラ7世)  6人の娘を産んだ  大神官アイ(Ay)と、その  妻テイ(Tey)の娘  ツタンカーメンの義母   ↓↑  「ある・海女婁名(アル・アマルナ)」・・・  「天照大御神の岩戸隠れ」の後の・・・  「カデシ」で死んだモーゼの姉の  「ミリアム」・・・「マリア」の語源  「開け戸-阿天(アケト-アテン)」    ↓  「アトン」  「アテン(Aten)」    ↓  「アーメン(アァメン)」  である・・・「エジプトの神」である・・・  そして、  「アモン (古代ユダ王国       第15代の王       前642~前640       在位2年で暗殺       第14代マナセ(Manasseh)の子」、       父の「マナセ」は預言者イザヤを       鋸(のこぎり)挽き殺した       バアル(嵐・雨)神と       アシュタロス(中傷・告発)神を崇拝  「アモン(アブラハムの甥       ロトと       ロトの娘(次女)との関係で生まれた       ベン・アミの子孫」       父親以外に「男」がいなかった ーーーーー  旧約聖書  民数記 第15章 15:14  ・・・  また  あなたがたのうちに  寄留している他国人、  または  あなたがたのうちに、  代々ながく住む者が、  火祭をささげて、  主に香ばしい  香(かおり)としようとする時は、  あなたがたがするように、  その人もしなければならない。 15:15  会衆たる者は、  あなたがたも、  あなたがたのうちに  寄留している他国人も、  同一の定めに従わなければならない。  これは、  あなたがたが  代々ながく守るべき定めである。  他国の人も、  主の前には、  あなたがたと  等しくなければならない。 15:16  すなわち、  あなたがたも、  あなたがたのうちに  寄留している他国人も、  同一の律法、  同一の掟(おきて)に  従わなければならない』」。  ↓ 15:28  ・・・   そして  祭司は、  人があやまって罪を犯した時、  そのあやまって罪を犯した人のために、  主の前に罪の購(あがな・贖)いをして、  その罪を購(あがな・贖)わなければならない。  そうすれば、彼はゆるされるであろう。 15:29  イスラエルの人々のうちの、  国に生れた者でも、  そのうちに  寄留している他国人でも、  あやまって罪を犯す者には、  あなたがたは  同一の律法を用いなければならない。 15:30  しかし、  国に生れた者でも、  他国の人でも、  故意に罪を犯す者は  主を汚すもので、  その人は  民のうちから  断たれなければならない。 15:31  彼は主の言葉を侮り、  その戒めを破ったのであるから、  必ず断たれ、  その罪を負わなければならない』」。  ↓ 第16章 16:1 ここに、 レビの子 コハテ・・・・・・↓ の子なる イヅハル・・・・・↓ の子 コラ・・・・・「三代目の孫」         叛逆・反逆・背信 と、 ルベン・・・・・・↓ の子なる エリアブ・・・・・↓ の子 ダタン・・・・・「三代目の孫」          叛逆・反逆・背信 および アビラム・・・・「三代目の孫」          叛逆・反逆・背信 と、 ルベン・・・・・・↓ の子なる ペレテ・・・・・・↓ の子 オン・・・・・・・「三代目の孫」          叛逆・反逆・背信 とが相結び、   ↓↑  ・・・いずれも「三代目の孫」・・・   ↓↑ 16:2 イスラエルの人々のうち、 会衆のうちから選ばれて、 司(つかさ)となった 名のある人々 二百五十人 と共に立って、 モーセ に逆らった。 16:3 彼らは集まって、 モーセとアロンとに逆らって言った、 「あなたがたは、  分を越えています。  全会衆は、  ことごとく聖なるものであって、  主がそのうちにおられるのに、  どうして  あなたがたは、  主の会衆の上に立つのですか」。 16:4 モーセはこれを聞いてひれ伏した。  ↓ 16:24 「あなたは会衆に告げて、  コラ  と  ダタン  と  アビラム  の  すまいの周囲を去れと言いなさい」。 16:25 モーセは立って ダタン アビラム のもとに行ったが、 イスラエルの長老たちも、 彼に従って行った。 16:26 モーセは会衆に言った、 「どうぞ、  あなたがたは  これらの悪い人々の天幕を離れてください。  彼らのものには何にも触れてはならない。  彼らのもろもろの罪によって、  あなたがたも滅ぼされてはいけないから」。 16:27 そこで 人々は コラ ダタン アビラム すまいの周囲を離れ去った。 そして、 ダタン アビラム とは、 妻、子、および幼児と一緒に出て、 天幕の入口に立った。 16:28 モーセは言った、 「あなたがたは  主が  これらのすべての事をさせるために、  わたしをつかわされたこと、  また  わたしが、  これを  自分の心にしたがって行うものでないことを、  次のことによって知るであろう。 16:29  すなわち、  もし  これらの人々が、  普通の死に方で死に、  普通の運命に会うのであれば、  主がわたしを  つかわされたのではない。 16:30  しかし、  主が新しい事をされ、  地が口を開いて、  これらの人々と、  それに属する者とを、  ことごとくのみつくして、  生きながら  陰府(インプ)に・・・・?  下らせられるならば、  あなたがたは  これらの人々が、  主を侮ったのであることを  知らなければならない」。 16:31 モーセが、 これらの すべての言葉を述べ終ったとき、 彼らの下の土地が裂け、 16:32 地は口を開いて、 彼らとその家族、 ならびに コラに属するすべての人々と、 すべての所有物を のみつくした。 16:33 すなわち、 彼らと、彼らに属するものは、 皆生きながら 陰府に下り、 地はその上を閉じふさいで、 彼らは 会衆のうちから、 断ち滅ぼされた。 16:34 この時、 その周囲にいたイスラエルの人々は、 みな彼らの叫びを聞いて逃げ去り、 「恐らく地はわたしたちをも、  のみつくすであろう」 と言った。 16:35 また 主のもとから火が出て、 薫香を供える 二百五十人をも焼きつくした。  ↓ 16:44 主はモーセに言われた、 16:45 「あなたがたはこの会衆を離れなさい。  わたしはただちに彼らを滅ぼそう」。 そこで 彼らふたりは、 ひれ伏した。 16:46 モーセはアロンに言った、 「あなたは火ざらを取って、  それに祭壇から取った火を入れ、  その上に薫香を盛り、  急いでそれを会衆のもとに持って行って、  彼らのために  罪の購(あがな・贖)いをしなさい。  主が怒りを発せられ、  疫病がすでに始まったからです」。 16:47 そこで、 アロンはモーセの言ったように、 それを取って会衆の中に走って行ったが、 疫病はすでに民のうちに始まっていたので、 薫香をたいて、 民のために罪の購(あがな・贖)いをし、 16:48 すでに死んだ者と、 なお生きている者との間に立つと、 疫病はやんだ。 16:49 コラの事によって死んだ者のほかに、 この疫病によって死んだ者は 一万四千七百人であった。 16:50 アロンは 会見の幕屋の入口にいるモーセのもとに帰った。 こうして 疫病はやんだ。  ↓ 第17章 17:1 主はモーセに言われた、 17:2 「イスラエルの人々に告げて、  彼らのうちから、  おのおのの父祖の家にしたがって、  杖(つえ・ジョウ)  一本ずつを取りなさい。  すなわち、  そのすべての司(つかさ)たちから、  父祖の家にしたがって、  杖(つえ・ジョウ)  十二本を取り、  その人々の名を、  おのおのその杖(つえ・ジョウ)に書きしるし、 17:3  レビの杖(つえ・ジョウ)には  アロンの名を書きしるしなさい。  父祖の家のかしらは、  おのおのの  杖(つえ・ジョウ)  一本を出すのだからである。 17:4  そして、  これらの杖(つえ・ジョウ)を、  わたしが  あなたがたに会う会見の幕屋の中の、  あかしの箱の前に置きなさい。 17:5  わたしの選んだ人の杖(つえ・ジョウ)には、  芽が出るであろう。  こうして、  わたしはイスラエルの人々が、  あなたがたにむかって、  呟(つぶや)くのをやめさせるであろう」。  ↓ 17:8 その翌日、モーセが、 あかしの幕屋にはいって見ると、 レビの家のために出した アロンの杖(つえ・ジョウ)は 芽(め・ガ)をふき、 蕾(つぼみ・ライ)を出し、 花(はな・カ)が咲いて、 あめんどう・・・・・・・アーモンド             ポルトガルの外来語の             アメンドース             カラモモ(唐桃)の別名             アーモンド(Almond)              Prunus dulcis             シノニム(Amygdalus dulcis)             バラ科モモ属の落葉高木の             ナッツ             ヘントウ(扁桃)             ハタンキョウ(巴旦杏)             ヘブライ語の             シャケド=「目覚める者                   見張る者」の意 17:9 モーセが それらの杖(つえ・ジョウ)を、 ことごとく主の前から、 イスラエルのすべての人の所に持ち出したので、 彼らは見て、 おのおの自分の杖(つえ・ジョウ)を取った。 17:10 主はモーセに言われた、 「アロンの杖(つえ・ジョウ)を、  あかしの箱の前に持ち帰り、  そこに保存して、  背(そむく・そむく)者どものために、  しるしとしなさい。  こうして、  彼らの  わたしに対する  呟(つぶや)きをやめさせ、  彼らの死ぬのを  まぬかれさせなければならない」。  ↓ 第18章 18:21  ・・・  わたしは  レビの子孫には  イスラエルにおいて、  すべて  十分の一を  嗣業として与え、  その働き、  すなわち、  会見の幕屋の働きに報いる。  ↓ 18:28  ・・・  そのようにあなたがたもまた、  イスラエルの人々から受ける  すべての  十分の一の物のうちから、  主に供え物をささげ、  主にささげたその供え物を、  祭司アロンに与えなければならない。  ↓ 第19章 19:17  ・・・  汚れた者があった時には、  罪を清める  焼いた雌牛の灰を取って器に入れ、  流れの水をこれに加え、 19:18  身の清い者がひとり  ヒソプ・・・・・・ヒソプ(Ezob)           ヤナギ(柳・楊)ハッカ           ヒソプ(hyssop)           マヨナラ シリアカ          (Majorana syriaca)  を取って、  その水に浸し、  これをその天幕と、  すべての器と、  そこにいた人々と、  骨、  あるいは  殺された者、  あるいは  死んだ者、  あるいは  墓などに  触れた者とに  ふりかけなければならない。 19:19  すなわち  その身の清い人は  三日目と  七日目とにその汚れたものに、  それをふりかけなければならない。  そして  七日目にその人は身を清め、  衣服を洗い、  水に身を  すすがなければならない。  そうすれば  夕になって清くなるであろう。 19:20  しかし、  汚れて身を清めない人は  主の聖所を汚す者で、  その人は会衆のうちから  断たれなければならない。  汚れを清める水が  その身に注ぎかけられないゆえ、  その人は汚れているからである。 19:21  これは  彼らの  永久に守るべき定めとしなければならない。  すなわち  汚れを清める水をふりかけた者は  衣服を洗わなければならない。  また  汚れを清める水に触れた者も  夕まで汚れるであろう。 19:22  すべて汚れた人の触れる物は汚れる。  また  それに触れる人も  夕まで汚れるであろう』」。  ↓ 第20章 20:1 イスラエルの人々の 全会衆は 正月になって チン の荒野にはいった。 そして民は カデシ にとどまったが、 ミリアム・・・・・・モーゼの姉 がそこで死んだので、 彼女をそこに葬った。  ↓ 20:10 モーセはアロンと共に 会衆を 岩の前に 集めて彼らに言った、 「背(そむく・そむく)人たちよ、  聞きなさい。  われわれが  あなたがたのために  この  岩から水を  出さなければならないのであろうか」。 20:11 モーセは手をあげ、 杖(つえ・ジョウ)で 岩を 二度打つと、 水がたくさん わき出たので、 会衆と その家畜はともに飲んだ。 20:12 そのとき主は モーセとアロンに言われた、 「あなたがたは  わたしを信じないで、  イスラエルの人々の前に  わたしの聖なることを  現さなかったから、  この会衆を  わたしが彼らに与えた地に  導き入れることができないであろう」。 20:13 これが メリバ の水であって、 イスラエルの人々は ここで主と争ったが、 主は自分の聖なることを 彼らのうちに現された。 20:14 さて、 モーセは カデシ から エドム・・・・・・・・イスラエルの兄弟            ヤコブの兄エサウの子孫            エドムはパレスチナの南南東            死海の南からアカバ湾に至る地域            エドムの範囲            北は死海、南は葦の海(紅海)に            至る山地で、            北はセレデ川の境界に            モアブと接していた の王に 使者をつかわして言った、 「あなたの兄弟、  イスラエルはこう申します、  『あなたは   わたしたちが遭遇した   すべての患難をご存じです。 20:15   わたしたちの先祖は   エジプトに下って行って、   わたしたちは   年久しくエジプトに住んでいましたが、   エジプトびとが   わたしたちと、   わたしたちの先祖を悩ましたので、 20:16  わたしたちが主に呼ばわったとき、  主はわたしたちの声を聞き、  ひとりの天の使をつかわして、  わたしたちを  エジプトから導き出されました。  わたしたちは  今  あなたの領地の端にある  カデシ  の町におります。 20:17  どうぞ、  わたしたちに  あなたの国を通らせてください。  わたしたちは  畑も  葡萄(ぶどう)畑も通りません。  また  井戸の水も飲みません。  ただ  王の大路を通り、  あなたの領地を過ぎるまでは  右にも左にも曲りません』」。 20:18  しかし、  エドムはモーセに言った、 「あなたは  わたしの領地をとおってはなりません。  さもないと、  わたしは剣(つるぎ)をもって出て、  あなたに立ちむかうでしょう」。 20:19 イスラエルの人々は エドムに言った、 「わたしたちは大路を通ります。  もし  わたしたちと  わたしたちの家畜とが、  あなたの水を飲むことがあれば、  その価を払います。  わたしは  徒歩で通るだけですから  何事もないでしょう」。 20:20 しかし、 エドムは 「あなたは通ることはなりません」 と言って、 多くの民と強い軍勢とを率い、出て、 これに 立ちむかってきた。 20:21 このように エドムは イスラエルに、 その領地を通ることを拒んだので、 イスラエルはエドムから ほかに向かった。 20:22 こうして イスラエルの人々の全会衆は カデシ から進んで ホル山 に着いた。 20:23 主はエドムの国境に近いホル山で、 モーセとアロンに言われた、 20:24 「アロンは  その民に連ならなければならない。  彼はわたしが  イスラエルの人々に与えた地に、  はいることができない。  これは  メリバの水で、  あなたがたが  わたしの  言葉に背(そむ)いたからである。 20:25  あなたは  アロン  と  その子  エレアザル  を連れて  ホル山  に登り、 20:26  アロンに衣服を脱がせて、  それを  その子  エレアザル  に着せなさい。  アロン  は  そのところで死んで、  その民に連なるであろう」。 20:27 モーセは主が命じられたとおりにし、 連れだって 全会衆の目の前で ホル山に登った。 20:28 そして モーセは アロンに衣服を脱がせ、 それを その子 エレアザル に着せた。 アロン はその山の頂で死んだ。 そして モーセ エレアザル 山から下ったが、 20:29 全会衆がアロンの死んだのを見たとき、 イスラエルの全家は 三十日の間 アロンのために泣いた。 ーーーーー  ・・・

 ・・・「マリア」にコダワル・・・宿曜図「二十八宿」は「紀元前5世紀後半の曾侯乙墓(曾国の乙侯の墓)から出たものが最古らしい・・・  以下の参照原文は「ウイッキペデア」 ーーーーー  江戸幕府の天文方  渋川春海による  貞享二年(1685年)の改暦で、  「二十七宿」が廃され、  「二十八宿」に変更  貞享暦は別名を大和暦ともいう  元朝の  授時暦を  渋川が  独自の天体観測に基づいて改良した暦法  星宿に関しては中国流を取り入れ、  貞享二年正月朔日(ついたち)を  「星宿」とした。 方合会局 月→火→水→木→金→土→日(七曜日)  ↓ ================================== 亥子丑北→畢→翼→箕→奎→鬼→氐→虚 申酉戌西→危→觜→軫→斗→婁→柳→房 巳午未南→心→室→参→角→牛→胃→星(貞享二年正月朔日) 寅卯辰東→張→尾→壁→井→亢→女→昴 ==================================  以上のサイクルで進行  「婁宿」は  十二宮の西方「白虎(西方神獣)七宿」の第二宿  牡羊座の「β星、γ星、α星の3つの星」から構成  「距星(明るい星)」は牡羊座のβ星  「羊宮(白羊宮)」に「四足」とも属す。  「星宿」が「貞享二年正月一日(朔日)」とするならば、  「婁宿」は「正月二十日(はつか)」である。   すなわち、  「星宿(一日)」~「婁宿(二〇日)」は  「二十番目」の「日」である・・・   ↓  「婁宿」・・・「動土・造作・縁談・契約          造園・衣類仕立」の吉日         「狩猟・神仏祈願・降伏」に吉         「婁」は「つなぐ・とらわれる」の意?         「婁」は「ふいご(鞴・吹子)」である          鍛冶屋の火力を調節する送風器の         「たたら(蹈鞴・踏鞴)」である         「つなぐ」とは「手風琴・オルガン」の         「蛇腹」からの発想かも・・・          前述の         「方合会局西(白虎)」は          方位の「西を中心」にした結合だが、          別に         「三合会局(金)」と云う          五行結合が          「巳酉丑=金」である。         「蛇鳥牛」が「聖(神)獣」である   ↓  「法合   多   技能   少   疾病   好   解医方   性   好和合布施   足   田疇   多   遊僕   從   合事   君主   受性   勤公務   禀志・・・・本来の性格・「禀」=米蔵   愼密」   ↓↑   技能を多くして   疾病少なし   医方を解し、   布施を好み、   臣下の徳を解す   田宅足りて   僕従多し   君主に仕えて堅く励む   性は慎密 ーーーーー  「ミリアム(Miram)」は  ヘブライ語系の女性名で、  「モーゼ」の姉の名であった  「モーゼ」を  「水の中から   私が引き出したからです  (出エジプト記・2:10)」  この「私」とは  「パロの娘」のコトなのか、  「ミリアム」のコトなのか・・・  文脈の「私」は「パロの娘」であり、  「モーゼの姉」は  ナイル川の岸の葦(芦・蘆・あし)べりに  流された  「モーゼが入れられた   パピルスで編んだ籠(かご)」を  どうなるかを遠くで見張っていたのだ・・・  この姉が  「ミリアム(Miram)」かどうかの説明も無い   ↓  「ミリアム(Miram)」は  ラテン語・英語・イタリア語などでは  「Miriam」  ドイツ語・オランダ語などでは  「Mirjam」  フランス語では  「Myriam)」  ギリシャ 語では  マリアム(Mariam)  「マリア(Maria)   マリー(Marie)   メアリー(Mary)」の語源  ・・・「苦さの海・反逆的・子供を願う」の意味  ・・・エジプト語の女性名(mry・mr、愛)から」など諸説がある・・・らしい・・・   ↓  「アケトア-テン (Akhetaten) 」   ↑  紀元前1353年ごろ  エジプト  第18王朝後期のファラオ  アメンホテプ4世が  新たな首都として建設したが、  短期間で放棄された都市・・・  古代エジプトでは  アケトアテン (Akhetaten) と呼ばれていた。  アケトアテンとは  「アテン神の地平線」の意・・・   ↓  「巳酉丑」  「婁」=「挹婁」=「粛慎」  漢代以降は  「夫余」に従属  「夫余が重税を課したため、   魏の黄初年間(220年~226年)に反乱   後、独立し、   魏に朝貢」   ↓   明帝(在位:226年~239年)の  青龍四年(236年)五月  粛慎(挹婁)は  楛矢を献上   ↓  元帝(在位:260年~265年)の  景元三年(262年)四月  遼東郡の報告で、  「粛慎国(挹婁)」 の遣使が  「重譯(二重通訳して)」入貢し、  長さ3尺5寸の弓30張  長さ1尺8寸の楛矢  石弩 300枚  皮骨鉄雑鎧20領  貂皮400枚を献上  元帝は詔で  相府に帰属させ、  その王  「傉雞」に錦罽と綿帛を賜った  「傉」=「イ+辱」     =「人+辱」・・・人の恥辱  「雞」=「爫+幺+大+隹」=「鶏」の異体字  「雞」の漢字は  「隋書・俀國傳」に記録された  「阿毎王朝」の  「倭王姓、   阿毎、   字、   多利思北孤、   號、   阿輩雞(鶏)彌」の  「雞」である  「鶏(にわとり)」が鳴いて泣いたのは  イエスのコトバを思いだした  「ペトロ(シモン)」であった・・・   ↓  晋代の  挹婁=粛慎   ↓  武帝(在位:265年~289年)  咸寧五年(279年)十二月  粛慎(挹婁)は  楛矢(コシ)・・・楛=あらい(木+苦)矢  石砮(セキド)・・石の砮=やじり(女+又+石)               砮→弩(いしゆみ)  を献上   ↓  東晋の  元帝(在位:317年~322年)  大興二年(319年)八月  粛慎(挹婁)は  江東(建康)に詣でて  楛矢、石砮を献上   ↓  成帝(在位:325年~342年)  後趙の  「石虎(在位:334年~349年)」に朝貢   ↓  前秦の  「苻堅(在位:357年~385年)」  が華北を統一すると、  粛慎(挹婁)は  楛矢を献じた   ↓  粛慎(挹婁)は、その後  「勿吉」→「靺鞨」→「女眞・女直」と名称を変えた・・・  地下に縦穴(竪穴)を掘り生活  竪穴は深く梯子で出入  部屋の中央に置いた  尿を溜めた容器を囲んで暮らし、  その人尿で手や顔を洗った・・・  五穀、麻布、赤玉、  貂(てん・いたち=鼬・チョウ・テウ)を産出   ↓  テン(貂・黄鼬・Martes melampus)は、  哺乳綱ネコ目(食肉目)     イヌ亜目イタチ科テン属に分類・・・     「貂」は中国東北部で     「トン」とも発音     「かわうそ(ビーバー)      ラッコ(海獺・猟虎      アイヌ語=Rakko)」に類似・・・     鼦(てん)=鼠+召(めす)     鼬(いたち)=鼠+由     鼪(いたち)=鼠+生           黄鼠狼(いたち)    「白貂を抱く貴婦人(ダビンチ)」は    「いたち(鼬=フェレット(ferret)」・・・    「狗尾続貂」・・・官爵地位の粗製乱造   ↓  主な食料調達手段は  漁業、養豚、養犬・・・   ↓  「婁」   ↓  「巻婁(ケンル)  手や足がひきつること  疲労のはなはだしいこと  「離婁の明(リロウのメイ)」  視力・眼力のすぐれていること   「離婁」は中国の伝説上の人物  視力が すぐれていて、  百歩離れた所からでも  毛の先が見えたといわれる  「離朱」ともいう   ↓  「婁」  二十八宿の一  西方の第二宿  牡羊(おひつじ)座の頭部分の三星  たたら星=鞴(ふいご・鍛冶の送風器)  「婁宿」  「婁」=部首は「女」      総画は十一画      異体字は「娄(簡体字)」      音読み=呉音は「ル」          漢音は「ロウ」      訓読み=つなぐ・ひく・ろ      熟語は「挹婁(ユウロウ)」         「挹」=くむ・ユウ=「手+邑」         「邑(むら・ユウ・オウ)」=口+巴          巴(ともへ・ともゑ・ハ・ヘ)   ↓  「挹婁」   後漢から五胡十六国時代(1世紀~4世紀)   外満州付近に存在  「粛慎(シュクシン・みしはせ)」の末裔  「挹婁の呼称は、   彼等自身の自称ではなく、   鏃(yoro)、   箭(セン)や   後の   牛禄(niru)、   坑(yeru)   などの音訳と考えられている」・・・   ↓↑  「三国志魏書・挹婁伝」  「挹婁在   夫餘   東北千餘里、   濱大海、   南與北   沃沮接 、   未知   其北所極。   其土地多山險。   其人形似   夫餘、   言語   不與夫餘、   句麗同。   有   五穀、牛、 馬、麻布。   人多勇力。   無大君長、   邑落各有大人。   處山林之間、   常穴居、   大家   深九梯、・・・」   ↓  「胃瘻(イロウ・Gastrostomy)」  「腸瘻(チョウロウ)」  腹壁を切開して胃内に管を通し、  食物や 水分や医薬品を流入させ投与する処置 ーーーーー  楼=樓=木+婁    たかどの・高層の建物    楼閣・楼上・高楼・鐘楼    蜃気楼(しんきろう)・白玉楼・摩天楼    物見やぐら    「望楼」    歓楽や飲食のための店    「楼主・妓楼(ぎろう)・酒楼・登楼」     楼閣・楼台・楼榭・楼観     檣楼 殿楼 登楼 井楼 土楼 望楼 門楼     竜楼 楼閣 楼観 楼鼓 楼主 楼上 楼船     楼台 酒楼 翠楼 層楼 海楼 船楼 高楼     鐘楼 紅楼 鼓楼 常楼 玉楼 貝楼 画楼     楼川 娼楼 水楼  ・・・


 ・・・「すると、主が、驢馬(ろば)の口を開かれたので、驢馬(ろば)はバラムにむかって言った、「わたしがあなたに何をしたというのですか。あなたは三度もわたしを打ったのです(22:28)」」・・・「驢馬」=「馬+盧(ロ・ル)→盧(虍田皿)」→「毘盧遮那(サンスクリット語、Vairocana(ヴァイローチャナ)」の音訳で「光明遍照( こうみょうへんじょう)」、「毘盧舎那仏」とも表記され、「盧遮那仏・遮那仏」とも記録・・・

 「摩訶毘盧遮那仏」、「大毘盧遮那仏(Mahāvairocana=マハー・ヴァイローチャナ)」、聖武天皇の発願の天平十七年(745年)に制作開始、天平勝宝四年(752年)に「開眼供養会」・・・奈良の東大寺の「毘盧舎那仏」で、「大日如来」である・・・「盧」の類字は「蘆=芦・葦・あし」と「鸕(う・ロ)=鵜(う)」である・・・

 「大日如来」の原型とは古代エジプトの「アトン神」であろう・・・

 「鸕(う・ロ)=鵜(う)」とは

 「鸕野讃良(うのさらさ)

  菟野沙羅羅

  鸕野讃良(うののさらら)

  和風諡号は

  高天原広野姫

  大倭根子天之廣野日女尊

 (おほやまとねこあめのひろのひめのみこと)=持統天皇」

 であった・・・「ねこ(ネコ・根子)」である・・・

 持統天皇

 大化元年(645年)~大宝二年十二月二十二日(703年1月13日)

 「大海人皇子」が「壬申の乱」勝利後、

 「天武二年正月」に

 「鸕野讃良皇女」が皇后になった。

 子は

 「草壁皇子」、

 孫が

 「文武天皇(珂瑠王子・軽皇子)

  倭根子(ねこ)豊祖父」、

 曾孫が

 「聖武天皇(首皇子)」、

 玄孫が

 「宝字称徳孝謙皇帝

    称徳孝謙天皇

  阿倍内親王

  高野天皇(高野姫天皇)

  倭根子(ねこ)天皇」・・・「ねこ」である。

 ↓↑

  親

  子

  孫

 曾孫(ひまご・ソウソン)=孫の子(三代後)

 玄孫(やしゃご・ゲンソン)=曾孫の子(四代後)

 来孫(ライソン)=玄孫の子(五代後)

 昆孫(コンソン)=晜孫=来孫の子(六代後)

 仍孫(ジョウソン)=昆(晜)孫の子(七代後)

 雲孫(ウンソン)=仍孫の子(八代後)

  ↓

 「子子子子子子子子子子子子」は、

 「ねこのここねこ、ししのここじ し

 (猫の子子猫、獅子の子子獅子)」

 問題を提出

 「嵯峨天皇」・・・諱は「神野(賀美能・かみの)」

          死刑を廃止

          桜見の公式行事

          元号は「大同・弘仁」

          父は「桓武天皇」

          母は「藤原乙牟漏

            (ふじわら の おとむろ」

 回答者

 「小野篁」・・・小野岑守(陸奥守)の長男・副遣唐大使

         唐へ渡航に失敗・三度目の航海を拒否

 むかし、どこかの大学試験の設問にも出された・・・愚問?・・・「十二の子」の漢字羅列・・・

 この時代の日本史は「改竄」された・・・?・・・記録自体が暴露されることを示唆している・・・「乙牟漏」である・・・

 「鼠(ねずみ)」の天敵は「猫(ねこ)」である。穀物ならず、記録された「パピルスの紙」も、木造建築も齧(かじ)り、伝染病、疫病の病原菌を媒介運搬するのが「鼠」である・・・「改竄」の「竄」は「宀」+「鼠」である・・・

 「ねこ(猫)」は古代エジプト王の名前(ネコ・ネカウ)」でもあり、古代エジプトの「猫神=バステト(Bastet)は猫の女神・ハトホル女神の化身=ラー(太陽神)の瞳(夜光性の目)=聖地は下エジプト第18ノモス=ヘビの首をはねる雌ネコ神」でもあった・・・

  ↓

 アッシリアと結んでいた

 「ネコ(ネカウ)1世」は、

 第25王朝(前664~656年)頃の

 最後のファラオであった

 タヌトアメンを支持して侵入してきた

 クシュ(ヌビア)=エチオピア

 の軍勢によって殺害

  ↓

 このヌビア(クシュ・クシ)勢の

 ナイル川デルタ地方への侵攻は、

 アッシリアの反攻に遭い、

 アッシリア勢は

 上エジプトへと

 南進してテーベを陥れた。

  ↓

 エジプトを再統一し、

 ファラオとして

 第26王朝(サイス朝)を開いたのは、

 「ネコ(ネカウ)1世」の

 息子である

 プサメティコス1世(プサムテク1世)

 その後を継いだのが

 孫の

 「ネコ(ネカウ)2世」

  ↓

 第22王朝

(ブバスティス)

(リビア朝・前773~767年頃)の

 八代目(or 七代目)の王は

 「パミ」

 または

 「ペマウ」という名前

 ネコをあらわす古代エジプト語「マウ(Mau)」の派生・・・?

 「マウ」は「ミャァ」、「ニャァ」に訛ると思うが・・・「マウ」なら、もろ「マウス(ねずみ)」の「チュウ、チュウ」と・・・互換された?・・・「ネコ」と・・・紀元前701年、第25王朝(ヌビア王朝)の「シャバタカ」の治世第2年に「野ネズミの大軍がアッシリア軍の軍営を襲い、弓と盾の取ってを齧(かじ)って敗走させた」・・・?

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 第22王朝の首都「ブバスティス(猫神の都)」とは

 古代名で「バスト」・・・「バ」は共通項だが・・・

 ペルシャ軍は「猫」でエジプトに勝利した・・・「バステト神」と結びついて崇められるようになる第22王朝時代・・・「紀元前525年、ペルシアのカンビセスはエジプトの前哨地ペレシウムに侵攻。彼は、盾に「猫」を貼り付け、「猫神」崇拝のエジプト兵は、戦闘放棄して敗走・・・

 バステト(猫)神崇拝は紀元390年、禁令・・・

 ・・・とにかく、飼い猫の「原産地」はエジプト・・・

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 なぜ、  「ラモーゼ」  を  「モーゼ」と重ねて考えないのだろう?  ボクの知りうる情報は限られているが・・・  以下はブログ記事からの「コピペ」・・・   ↓  「ラモーゼ」  アメンホテプ三世  アメンホテプ四世  の時代のエジプト宰相  父は  ネビィ  母は  アプヤ  父はデルタ地帯の  アメン神殿の穀物の管理者  妻は  メリエトプタハ  二人に子供はいなかった・・・  「ラモーゼ」が  アメンホテプ三世に仕えた頃、  彼の墓の製作にかかった・・・  後  アメンホテプ四世(アクエンアテン)が  アマルナに遷都、  ラモーゼも  アマルナに転居  墓は  未完のまま放棄・・・・・未完で使用されなかった?  墓は  1879年  ビリー・スチュワートにより発見  スチュワートは  1882年  墓を再調査  後  ガストン・マスペロ  が研究  1924年  ニューヨークメトロポリタン美術館の  ロバート・モンドによって  現在の状態に復元   ↓ ーーーーー  旧約聖書  民数記 第21章 21:1 時に ネゲブ に住んでいた カナンびと アラデの王は、 イスラエルが アタリム の道をとおって来ると聞いて、 イスラエルを攻撃し、 そのうちの数人を捕虜にした。 21:2 そこで イスラエルは主に誓いを立てて言った、 「もし、  あなたがこの民を  わたしの手にわたしてくださるならば、  わたしは  その町々を  ことごとく滅ぼしましょう」。 21:3 主はイスラエルの言葉を聞きいれ、 カナンびとをわたされたので、 イスラエルは そのカナンびとと、 その町々とをことごとく滅ぼした。 それでその所の名は ホルマ と呼ばれた。 21:4 民は ホル山 から進み、 紅海の道をとおって、 エドムの地を回ろうとしたが、 民はその道に堪えがたくなった。 21:5 民は神とモーセとにむかい、 つぶやいて言った、 「あなたがたはなぜわたしたちを  エジプトから導き上って、  荒野で死なせようとするのですか。  ここには食物もなく、  水もありません。  わたしたちは  この粗悪な食物は  いやになりました」。 21:6 そこで主は、 火のへびを民のうちに送られた。 へびは民をかんだので、 イスラエルの民のうち、 多くのものが死んだ。 21:7 民はモーセのもとに行って言った、 「わたしたちは主にむかい、  また  あなたにむかい、  つぶやいて罪を犯しました。  どうぞ  蛇(へび)  を  わたしたちから取り去られるように  主に祈ってください」。 モーセは民のために祈った。 21:8 そこで 主はモーセに言われた、 「火のへびを造って、  それを  さおの上に掛けなさい。  すべての  かまれた者が仰いで、  それを見るならば  生きるであろう」。 21:9 モーセは 青銅で一つのへびを造り、 それをさおの上に掛けて置いた。 すべてへびにかまれた者は その青銅のへびを仰いで見て生きた。 21:10 イスラエルの人々は道を進んで オボテ に宿営した。 21:11 また オボテから進んで東の方、 モアブ の前にある荒野において、 イエアバリム に宿営した。 21:12 また そこから進んで ゼレデ の谷に宿営し、 21:13 さらにそこから進んで アルノン川 のかなたに宿営した。 アルノン川は アモリびとの境から 延び広がる 荒野を流れるもので、 モアブ アモリびととの間にあって、 モアブ の境をなしていた。 21:14 それゆえに、 「主の戦いの書」 にこう言われている。 「スパ  の  ワヘブ、  アルノン  の谷々、 21:15  谷々の斜面、  アル  の町まで傾き、  モアブ  の境に寄りかかる」。 21:16 彼らはそこから ベエル へ進んで行った。 これは主がモーセにむかって、 「民を集めよ。  わたしは  かれらに  水を与えるであろう」  と言われた  井戸である。 21:17 その時イスラエルはこの歌をうたった。 「井戸の水よ、  わきあがれ、  人々よ、  この井戸のために歌え、 21:18  笏(しゃく・コツ・コチ)  と  杖(つえ)とをもって  司(つかさ)たちが  この  井戸を掘り、  民の長(おさ)たちがこれを掘った」。 そして 彼らは荒野から マッタナ に進み、 21:19 マッタナ から ナハリエル に、 ナハリエルから バモテ に、 21:20 バモテ から モアブ の野にある谷に行き、 荒野を見おろす ピスガ の頂に着いた。 21:21 ここで イスラエルは アモリびとの王 シホン・・・・・ 使者をつかわして言わせた、 21:22 「わたしにあなたの国を通らせてください。  わたしたちは  畑にも  葡萄(ぶどう)畑にも、はいりません。  また  井戸の水も飲みません。  わたしたちは  あなたの領地を通り過ぎるまで、  ただ  王の大路を通ります」。 21:23 しかし、 シホン はイスラエルに 自分の領地を通ることを許さなかった。 そして シホンは民をことごとく集め、 荒野に出て、 イスラエルを攻めようとし、 ヤハズ にきて イスラエルと戦った。 21:24 イスラエルは、 刃(やいば)で 彼を撃ちやぶり、 アルノン から ヤボク まで彼の地を占領し、 アンモンびとの境に及んだ。 ヤゼル アンモンびとの境だからである。 21:25 こうして イスラエルはこれらの町々をことごとく取った。 そして イスラエルはアモリびとのすべての町々に住み、 ヘシボン とそれに附属するすべての村々にいた。 21:26 ヘシボン はアモリびとの王 シホンの都であって、 シホンは モアブの以前の王と戦って、 彼の地を アルノン まで、ことごとくその手から奪い取ったのである。 21:27 それゆえに歌にうたわれている。 「人々よ、  ヘシボンにきたれ、  シホンの町を築き建てよ。 21:28  ヘシボンから火が燃え出し、  シホンの都から炎が出て、  モアブの  アルを焼き尽し、  アルノン  の  高地の君たち  を滅ぼしたからだ。 21:29  モアブよ、  お前はわざわいなるかな、  ケモシ  の民よ、  お前は滅ぼされるであろう。  彼は、  むすこらを逃げ去らせ、  娘らを  アモリびとの王  シホンの捕虜とならせた。 21:30  彼らの子らは滅び去った、  ヘシボン  から  デボン  まで。  われわれは荒した、  火はついて  メデバ  に及んだ」。 21:31 こうして イスラエルは アモリびとの地に住んだが、 21:32 モーセはまた人をつかわして ヤゼル を探らせ、 ついにその村々を取って、 そこにいた アモリびとを追い出し、 21:33 転じて バシャン の道に上って行ったが、 バシャンの王 オグ は、その民をことごとく率い、 エデレイ で戦おうとして出迎えた。 21:34 主はモーセに言われた、 「彼を恐れてはならない。  わたしは彼とその民とその地とを、  ことごとく  あなたの手にわたす。  あなたは  ヘシボンに住んでいた  アモリびとの王  シホンにしたように  彼にもするであろう」。 21:35 そこで彼とその子とすべての民とを、 ひとり残らず撃ち殺して、 その地を占領した。  ↓ 第22章 22:1 さて、 イスラエルの人々はまた道を進んで、 エリコ に近い ヨルダンのかなたの モアブ の平野に宿営した。 22:2 チッポル の子 バラク イスラエルが アモリびとにしたすべての事を見たので、 22:3 モアブ は大いにイスラエルの民を恐れた。 その数が多かったためである。 モアブ イスラエルの人々をひじょうに恐れたので、 22:4 ミデアン の長老たちに言った、 「この群衆は  牛が野の草を  舐(なめ)つくすように、  われわれの周囲の物をみな、  舐(なめ)つくそうとしている」。 チッポルの子 バラク はこの時 モアブの王であった。 22:5 彼は アンモンびとの国の ユフラテ川のほとりにある ペトル に使者をつかわし、 ベオル の子 バラム を招こうとして言わせた、 「エジプトから出てきた民があり、  地のおもてを  おおってわたしの前にいます。 22:6  どうぞ  今きてわたしのために  この民を  呪(のろ)ってください。  彼らはわたしよりも強いのです。  そうしてくだされば、  われわれは彼らを撃って、  この国から  追い払うことができるかもしれません。  あなたが祝福する者は祝福され、  あなたが呪(のろ)う者は  呪(のろ)われることを  わたしは知っています」。 22:7 モアブ の長老たちと ミデアン の長老たちは 占いの礼物を手にして出発し、 バラムのもとへ行って、 バラクの言葉を告げた。 22:8 バラムは彼らに言った、 「今夜ここに泊まりなさい。  主がわたしに告げられるとおりに、  あなたがたに返答しましょう」。 それで モアブの司(つかさ)たちは バラム のもとにとどまった。 22:9 ときに神は バラムに臨んで言われた、 「あなたのところにいる  この人々はだれですか」。 22:10 バラムは神に言った、 「モアブの王  チッポルの子  バラクが、  わたしに人をよこして言いました。 22:11  『エジプトから出てきた民があり、   地のおもてをおおっています。   どうぞ   今きてわたしのために   彼らを   呪(のろ)ってください。   そうすればわたしは戦って、   彼らを追い払うことが   できるかもしれません』」。 22:12 神はバラムに言われた、 「あなたは彼らと一緒に行ってはならない。  また  その民を呪(のろ)ってはならない。  彼らは祝福された者だからである」。 22:13 明くる朝起きて、 バラム バラクの司(つかさ)たちに言った、 「あなたがたは国にお帰りなさい。  主は  わたしがあなたがたと一緒に行くことを、  お許しになりません」。 22:14 モアブの司(つかさ)たちは立って バラクのもとに行って言った、 「バラムはわたしたちと  一緒に来ることを承知しません」。 22:15 バラク はまた前の者よりも 身分の高い司(つかさ)たちを 前よりも多くつかわした。 22:16 彼らはバラムのところへ行って言った、 「チッポルの子  バラクはこう申します、  『どんな妨げをも顧みず、   どうぞわたしのところへおいでください。 22:17   わたしはあなたを大いに優遇します。   そして   あなたがわたしに言われる事はなんでもいたします。   どうぞきてわたしのために   この民を呪(のろ)ってください』」。 22:18 しかし、 バラムは バラクの家来たちに答えた、 「たとい  バラクがその家に満ちるほどの金銀を  わたしに与えようとも、  事の大小を問わず、  わたしの神、  主の言葉を越えては  何もすることができません。 22:19  それで、どうぞ、  あなたがたも今夜ここにとどまって、  主がこの上、  わたしになんと仰せられるかを  確かめさせてください」。 22:20 夜になり、 神はバラムに臨んで言われた、 「この人々は  あなたを招きにきたのだから、  立ってこの人々と一緒に行きなさい。  ただし  わたしが告げることだけを  行わなければならない」。 22:21 明くる朝起きて バラムは、 驢馬(ろば)に 鞍(くら)をおき、 モアブ 司(つかさ)たちと一緒に行った。 22:22 しかるに 神は彼が行ったために怒りを発せられ、 主の使は彼を妨げようとして、 道に立ちふさがっていた。 バラムは、 驢馬(ろば)に乗り、 そのしもべふたりも彼と共にいたが、 22:23 驢馬(ろば)は主の使が、 手に 抜き身の 剣(つるぎ) をもって、 道に立ちふさがっているのを見、 道をそれて 畑にはいったので、 バラムは、 驢馬(ろば)を打って道に返そうとした。 22:24 しかるに 主の使はまた 葡萄(ぶどう)畑の間の狭い道に立ちふさがっていた。 道の両側には 石がき があった。 22:25 驢馬(ろば)は主の使を見て、 石がきにすり寄り、 バラムの足を 石がきに押しつけたので、 バラムは、また、 驢馬(ろば)を打った。 22:26 主の使はまた先に進んで、 狭い所に立ちふさがっていた。 そこは 右にも左にも、 曲る道がなかったので、 22:27 驢馬(ろば)は 主の使を見て バラムの下に伏した。 そこで バラムは怒りを発し、 杖(つえ)で 驢馬(ろば)を打った。 22:28 すると、主が、 驢馬(ろば)の口を開かれたので、 驢馬(ろば)はバラムにむかって言った、 「わたしがあなたに何をしたというのですか。  あなたは  三度もわたしを打ったのです」。 22:29 バラムは、 驢馬(ろば)に言った、 「お前が  わたしを  侮ったからだ。  わたしの手に  剣(つるぎ)があれば、  いま、お前を殺してしまうのだが」。 22:30 驢馬(ろば)はまたバラムに言った、 「わたしはあなたが、  きょうまで  長いあいだ乗られた  驢馬(ろば)ではありませんか。  わたしはいつでも、  あなたにこのようにしたでしょうか」。 バラムは言った、 「いや、しなかった」。 22:31 このとき 主が バラムの目を開かれたので、 彼は主の使が 手に抜き身の 剣(つるぎ)をもって、 道に立ちふさがっているのを見て、 頭を垂れて 平伏(ひれふ)した。 22:32 主の使は彼に言った、 「なぜあなたは  三度も驢馬(ろば)を打ったのか。  あなたが  誤って道を行くので、  わたしはあなたを妨げようとして出てきたのだ。 22:33  驢馬(ろば)は  わたしを見て  三度も身を巡らしてわたしを避けた。  もし、  驢馬(ろば)が身を巡らして  わたしを避けなかったなら、  わたしはきっと今あなたを殺して、  驢馬(ろば)を生かしておいたであろう」。 22:34 バラムは主の使に言った、 「わたしは罪を犯しました。  あなたがわたしをとどめようとして、  道に立ちふさがっておられるのを、  わたしは知りませんでした。  それで今、もし、  お気に召さないのであれば、  わたしは帰りましょう」。 22:35 主の使はバラムに言った、 「この人々と一緒に行きなさい。  ただし、  わたしが告げることのみを  述べなければならない」。 こうして バラムは バラクの司(つかさ)たちと一緒に行った。 22:36 さて、 バラクはバラムがきたと聞いて、 国境の アルノン川 のほとり、 国境の一端にある モアブの町まで出て行って迎えた。 22:37 そして バラクは バラムに言った、 「わたしは人をつかわして  あなたを招いたではありませんか。  あなたは  なぜわたしのところへきませんでしたか。  わたしは実際あなたを  優遇することができないでしょうか」。 22:38 バラムはバラクに言った、 「ごらんなさい。  わたしはあなたのところにきています。  しかし、今、  何事かを  みずから言うことができましょうか。  わたしはただ神が  わたしの口に授けられることを  述べなければなりません」。 22:39 こうして バラムは バラクと一緒に行き、 キリアテ・ホゾテ にきたとき、 22:40 バラクは 牛と 羊とを ほふって、 バラム および 彼と共にいた バラムを連れてきた 司(つかさ)たちに贈った。 22:41 明くる朝 バラクはバラムを伴って バモテバアル にのぼり、 そこから イスラエルの民の宿営の 一端をながめさせた。 ーーーーー  片仮名・・・「コンガラガッ」てしまう・・・  「笏」・・・象牙製の牙笏(げしゃく)と木製の木笏(もくしゃく)があるらしい・・・王笏(おうしゃく、sceptre、scepter)は、君主が持つ象徴的かつ装飾的な杖であり、「レガリア」の一種?・・・  「レガリア(ラテン語regalia)・リゲイリア(英語regalia)は、王権などを象徴し、それを 持つことによって正統な王、君主であると認めさせる象徴となる物品である。 天叢雲剣 などの刀剣、伝国璽などの印璽が用いられる例があるほか、西欧諸国においては王冠・ 王王笏・宝珠の3種」・・・「三種の神器」らしい・・・  「笏」=「竹+勿(なかれ・モチ・ブツ)」とは元来は裏にメモの紙片を貼り備忘に役立てたもの・・・  なるほど、「勿論(モチロン)」か・・・これは「民数記」に記録されている「12の杖」である・・・


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 ・・・???・・・

 (表紙・画像・音楽)」の

  移転先・・・

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 ボクの「古事記字源」の発端・・・

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 干支歴

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 追加添文

 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」

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