以て万世の為に太平を「開(あ)かん」と欲す・・・?
2022/12/10・土曜日・・・追加添文・・・
「開(あ)かん」=「開(ひら)かん」=閉じる
閉山(ヘイザン)⇔開山=カイザン=改竄・・・
中里介 山 作 「大菩薩峠」
1913年 ~ 1941年
『 都新聞 ・ 毎日新聞・ 読売新聞 』
などに連載された41巻にのぼる未完
幕末
虚無にとりつかれた 剣士
「 机竜之助」 が主人公
甲州 大菩薩峠 に始まる彼の旅の遍歴
「音無しの構え」の剣客
失明
辻斬り・通り魔殺人
中里 介山
(なかざと かいざん)
1885年(明治18年)4月4日
~
1944年(昭和19年)4月28日
大運1944年3月(58歳)癸酉偏財
乙┏酉(庚 辛)偏官食神長生⇔甲申正官
己┗卯(甲 乙)比肩偏官 病⇔戊辰劫財
┏己 丑(癸辛己) 比肩 墓⇔壬戌正財
┗甲 子(壬 癸)正官偏財 絶⇔庚子傷官
午未空亡
本名 中里 弥之助
阿寒湖
雄阿寒岳
あかん・・・阿韓・蛙漢・丫観
Y=Ẏ=y=ẏ
ラテン文字(アルファベット)の25番目文字
ギリシア文字
Υ(ウプシロン)に由来
キリル文字
У は同系
Υ の別形に由来する
F とも同系
Ÿ
または
IJ
の形をとることもある
漢字の
「丫(ア)」と類字
呼称
音素
ラテン語・フィンランド語:ユー /yː/
英語: wye(ワイ)/waɪ/
トルコ語:イェ
インドネシア語:イェー
ギリシア語「単なるウ/単なるユ/単なるイ」
ドイツ語: ypsilon(ユプスィロン)/'ʏpsilɔn/
チェコ語・スロバキア語:イプスィロン
ポルトガル語: ípsilon(イープスィロン)
ハンガリー語: ipszilon(イプスィロン)
エスペラント語: ipsilono(イプスィローノ)
ギリシア語の「イ」
スペイン語: i griega(イグリエガ)/iˈɣɾjeɣa/
イタリア語: i greca, i greco(イグレーカ/イグレーコ)
ベトナム語・ルーマニア語
フランス語・ポーランド語
イグレク /igʁɛk/, /igrek/
オランダ語: griekse ij(グリークセ・エイ)
音素
180度回転させた小文字
「ʎ」
硬口蓋側音(リ音)
ギリシャ文字
「λ(ラムダ小文字)」
の変形
・・・「キンニク」?・・・筋肉=竹+肉+力=キンジク=近字句・禁字句=金字句・琴字句・・・ 「おおさか なおみ」さんの「金字塔」・・・ お母さんが「環(たまき)」さん お父さんは「レオナルド・フランソワ」さん お姉さんは「まり」さん 祖父さんは北海道根室漁協の「大坂鉄夫」さん ーーーーー 耐え難きを耐え、忍び難きを忍び 耐へ難きを耐へ、忍び難きを忍び 耐へ難キヲ堪へ、忍ヒ難キヲ忍ヒ by enduring the unendurable and suffering what is unsafferable By enduring the unendurable and suffering what is insufferable 以て万世の為に太平を開かんと欲す 朕は茲に国体を護持し得て 忠良なる爾(なんじ)臣民の赤誠に信倚(シンイ)し 常に爾(なんじ)臣民と共にあり ーーーーー ↓↑ ↓↑ ハイチ革命(仏:Révolution haïtienne) アフリカ人奴隷の革命(反乱) 1791年8月22日~1804年1月1日 ハイチの独立 1791年8月22日 ブードゥーの高僧 デュティ・ブークマン が奴隷たちに動員令を発し 奴隷蜂起が起こり内戦状態となり 1804年の独立国家 ラテンアメリカ初 アメリカ大陸で二番目 世界初の黒人による共和制国家 ↓↑ ハイチ地震 ハイチ時間 2010年1月12日16時53分(UTC21時53分) マグニチュード (M) 7.0の地震 ーーーーー 筋肉(きんにく、羅: musculus; 独: Muskel; 仏, 英: muscle) 動物の持つ組織の一 収縮することにより力を発生させる運動器官 英語の「muscle(マッスル)」は ラテン語で小さなネズミ(musculus)から派生 ↓↑ 厚司=厚子=あつし アイヌ語 オヒョウ などの樹皮を細く裂いて織った布 その布で作ったアイヌの衣服 アイヌ語のアツシ(attush) オヒョウ(於瓢)・・・於瓢=オヒョウ=大鮃・雄彪・雄豹・嗚雹 の樹皮からとった繊維で ・・・繊維=センイ=遷移・船医・戦意・線維・撰意・潜意 織った織物 アイヌの着物 厚司=厚子=ニレ(楡)科の落葉高木・・・楡=にれ=似例・爾例 オヒョウ(於瓢)の別称 ↓↑ アイヌ語のアツシ(attush) オヒョウ(於瓢)=厚司=厚子・・・睦(あつし) ・・・於瓢⇔瓢箪・・・・千成瓢箪 などの樹皮を細く裂いて織った布 その布で作ったアイヌの衣服 背・袖口・裾に独特の模様を刺繍 平織り 綾織り の厚い木綿織物 紺無地 (こんむじ) ・・・今の無知(ムチ・無智・無恥・鞭) ↓↑ アイヌ語の オヒョウ(於瓢) シナノキ=シナノキ属(Tilia 漢字表記:科の木属、級の木属・榀の木) 新しいAPG植物分類体系ではアオイ科に含める イギリスではlime tree だが ライム(lime)とは関係ない?・・・関係有り・・・ 別名はリンデン(linden)・・・・・・臨伝・林伝? シナノキ(品=ホンの記)・アカジナ・シナ ・・・赤 字名・赤地名=はに アイヌ語名 ニペシニ ni-pes-ni(ニペシ・・・似部詞・爾経詞 木からも ぎとった裂皮・縄の材料の木) 列比・条の罪料の記(紀) などの内皮からとった繊維を用いて織った織物 その布を用いて作った衣服 経たて糸に染めた 繊維か木綿糸を使った縞入りなどもある アイヌ人が衣料とした 大阪地方で産出する厚地の綿織物 それで作った衣服・・・異腹・威服・威伏・・・息吹山・伊吹山 紺無地か大名縞で前掛けや労働着として用いる 「厚子・厚司 (あつし)⇔コウシ」 ・・・公私・公使・講師・格子・子牛・孔子・厚志 とも書く ↓↑ オヒョウ(於瓢、学名:Ulmus laciniata) ニレ(楡)科ニレ(楡)属の落葉高木 東北アジアの山地に分布し、北海道に多い 別名 アツシノキ(厚司の木) ヤジナ(矢科) ネバリジナ(粘科) アイヌ語は オヒョウの樹皮と 繊維を アッ(at) オヒョウの木を アッニ(atni)と呼ぶ 樺太の方言では アハ(ax) アハニ(axni) という 白浦地方では樹皮を オピウ(opiw)とも呼び 「オヒョウ」の名称はこれに由来・・・ (オピウ opiw→ op-i-u→ iの後ろにuの重母音になるためuが子音化してwとなった op=尻のもの→槍の穂先の後ろに付いている木の棒 オプでたいてい槍(ヤリ)を指す i=それ u=両数・こちらとあちら 槍ヤリとその持ち手のこと 獲物に刺さった槍(ヤリ)が (引っ張られて持って行かれたときに ヒモが付けてあって 持ち手はヒモを送り出したり 手繰ったりして獲物を捕らえる そのためのヒモの材料に オヒョウニレの内皮を使っていた・・・) 「オヒョウ」の和名 ハルニレ(春楡) 別名 ニレ・アカダモ アイヌ語名 チキサニ chi-kisa-ni (我ら・こする(発火に使う)・木)など 樺太東海岸のアイヌはこの樹皮を オピウ(opiw)と呼ぶ 質は洋紙質 葉の表面は濃緑色、裏面は淡緑色で 両面とも短毛でざらつく 若い枝は緑色で無毛。2年枝は茶褐色で円い皮目が散生 樹皮は強靭 アイヌはこれで アットゥシという布(衣料)を織った 薬用、衣 アイヌ語名 チキサニ=chi-kisa-ni (我ら・こすって発火させる・木) ↓↑
オヒョウ(大鮃・halibut) カレイ目カレイ科オヒョウ属の海水魚 形状や生態は鰈(かれい)に似ているが1mを超える大型の魚 漢字ではオヒョウは「大鮃(大きなヒラメ)・大兵」 カレイ科の海魚の総称 王余魚=かれい=鰈(かれい)・・・魚が喋べる・・・魚の間諜・諜報 官牒(カンチョウ) 通牒(ツウチョウ) 符牒(フチョウ) 牒送・移牒・度牒 牒=ふだ・かきつけ・文書を書き記す木の薄いふだ 牒=片+枼=片+世+木 書籍・記録・書き物・帳簿 枼=うすいきふだ・まど・ヨウ・チョウ 異体字は「枽・楪・葉」 声符は「枼」 喋・揲・緤・諜・屧・牒・蝶 韘・媟・楪・䐑・䢡・弽・䈎 褋・鰈・屟・渫・葉 鍱=金属板の裏面から 模様や浮き彫りを打ち出す金工技法 鎚鍱 (ツイチョウ) ・ 鎚鍱仏 出衣 (いだしぎぬ) ・・・鰈=カレイ=華麗・加齢・夏黎・下令 ・・・仮令(たとえ)=譬・喩え・縦令・例え 砂や泥の海底に生息し 海底に潜み平たい体をして 目が体の右側の面に 2つある形態をしている ↓↑ 「カラエヒ」の「エヒ」は魚の・・・・・・加羅嬴(瀛=海・沼・沖) ↓↑ ↓↑ 始皇帝(紀元前259年~紀元前210年)姓は嬴(エイ) 天武天皇?~686年10月1日 ↓↑ (朱鳥元年九月九日) ↓↑ =大海人皇子=天渟中原瀛真人天皇 (あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと) ↓↑ えい=エイ(鱏・鱝・鰩・海鷂魚 で、体が平たく形が似て カレイがエイの一種と考えられていた・・・ 「カラ」は「枯れる」の意味 体色が枯れた葉の色に似る・・・ 漢字「鰈」の右側にも、薄くて平らな「葉」・・・平仮名? ひらめ「鮃・比目魚・平目」 かれい「鰈・加良衣比・加礼比」 「鰕魿・嘉列乙・嘉鰈・魪・鮙・鰜魚」などの漢字表記 語源は、この「カタワレイヲ(片割魚)」に由来・・・ 辞書『倭爾雅(わじか)・1694年』 では 「比目魚(ひもくぎょ)」=カレイ・ヒラメ 大鮃(大きなヒラメ・オヒョウ・ダイヒョウ)
・・・余震がツヅク・・・ナマズの「名真」ちゃんが「ジシン兵器」を連発していアソんでいるらしい・・・ アメリカでは「アメリカ東海岸、ノースカロライナ州を直撃・9月13~14日にも上陸予定の大型ハリケーン・フローレンス (Florence)」・・・フィリピンでは「9月15日に颱風22号が直撃か」・・・ ↓↑ 方丈記(はうぢやうき) 「この世のすべてのことはハカないものだ」という無常観・・・? 「ハカないもの」=「儚いもの」=「果敢無いもの」・・・? ・・・「ハ」+「か・き・く・け・こ=カ・キ・ク・ケ・コ」・・・ はかナイ=ハカ名意 儚い=ィ+夢=ィ+艹+罒+冖+夕 =はかない・はかなむ・くらい・ボウ・モウ 頼りない・むなしい・あっけない=瞬時、瞬間 頼るものがない・心細い・弱々しい 異体字は「𠐧・𢟼・懜・顭・𩕫」 「儚儚、佪佪、惛なり(爾雅・釈訓)」 「𠐿の字の注に〔爾雅〕を引いて 儚=𠐿(イ+薨)・(段注本)」 ↓↑ 薨=艹+罒+冖+死 薨(みまかる・コウ)・・・薨⇔薧⇔甕⇔甍 みまかる・死ぬ・身分の高い者が死ぬこと 薧(はかば・コウ)=艹+𣨻(亠口冖死) 異体字は「槁・𣨻・𧂎(艹高死)」⇔墓場 甕=雍+瓦=亠+維+瓦=亠+纟+隹+瓦 (かめ・もたい・みか・オウ) 甍=艹+罒+冖+瓦 (いらか・ミョウ・ボウ) ↓↑↓↑ 甕棺墓(かめかんぼ) ↓↑↓↑ 甕(かめ)や壺(つぼ)を棺(ひつぎ)とし 埋葬する墓 甕棺=北部九州に特有の棺 大型の素焼きの土器に 亡くなった人の手足を折り曲げて入れ 土の中に埋める埋葬方法 縄文時代後期に幼児骨を納めた 歴史的墓制として世界各地に見られる 乳幼児の墓として用いられる例が多い 1個の甕に土器などの蓋をするもの(単棺) 2個の甕を開口部で合わせたもの(合口棺) 「懜=本字が儚(集韻)」 はかない=墓無い・・・?・・・弔う人が居ない? はか=少ない・僅か=わづか 夢=ゆめ・ム =𦭝+冖+夕 萈+夕 字は「夢・梦・㙹・夣・𡪎・㝱・𡬌・瞢 𦴋・𧁌・矒・𡬆・𥉞・𥊃・𥊄・𥌋・𦱛・𦴁・𦴔」 果敢無い=果+敢+無=田+木+丅+耳+𠂉+乂+𠂉+卌+一+灬 =果無し=はかなし =もろくて長続きしないさま 束の間に消えていくさま 不確かであてにならないさま =「はか無い」 =「結果が無い・成果が無い・甲斐が無い・無駄な結果」 =「カカン・勇敢なさま・思い切りがいいさま」無い 果=くだもの・草木の実 果実・果樹・青果 はたす・成し遂げる・おおせる 逃げ果せる はて・できばえ 結果・効果・釣果 思いきってする・思いきりがいい 果鋭・果敢・果断 はたして・思ったとおり・果然 原因があって生ずるもの・因果 果報・悪果・結果・効果・成果 敢=あえて・カン あえて困難・障害を押し切って行動を起こすこと 思い切って 敢行・敢然・敢闘・果敢・勇敢 敢死=死を覚悟すること ↓↑ 鴨長明(かものちょうめい) 1153~1216年 方丈記(はうぢやうき) 建暦二年(1212年) 鎌倉時代の 随筆 「于時、 建暦のふたとせ、 やよひ(彌生)の つごもり(晦・晦日・月隠)ごろ 晦=つごもり・くらい・くらます・カイ(クヮイ) 月の末日・晦朔(カイサク) 月が出ず、暗い・晦冥 よくわからない・晦渋 人に知られない・くらます 韜晦=トウカイ=倒壊・投壊・東海・東開・冬海 当会・凍解・倒潰・等海 晦日(みそか) 桑門の蓮胤、 外山の庵にて、これをしるす」 ↓↑ 明文社 初版発行日 明治三十九(1906)年1月30日 aozora・青空文庫・・・ ↓↑ ゆく河の流れは絶えずして しかももとの水にあらず 淀みに浮かぶうたかたは ↓↑ ・・・泡沫(うたかた)=液体固体の内部や表面に 生じた気体の塊を気泡 気泡の集合状態を泡沫 気泡、泡沫を総称して泡 (あわ) ・・・泡の「たま」 うたかた=「ウクタマカタ(浮玉形)」の転? 「ウキテエガタキモノ (浮きて得がたきもの)」の略? 「ワガタ(輪型)」の「ワ」の延音「ウタ」 「ウツカタ(空形)」の転 うたかた=「うたがた」 うたかた=唄方・歌語・「詩多・詠・吟・唱・雅楽」形 ↓↑ ↓↑ 宇多天皇=867年6月10日(貞観9年5月5日) ~ 931年9月3日(承平元年7 月19日) 第59代天皇 在位 887年9月17日(仁和3年8月26日) ~ 897年8 月4日(寛平9年7月3日) 光孝天皇の第七皇子 臣下の諱は「源定省(さだみ)」 空理(クウリ)・朱雀太上天皇 阿衡事件=藤原基経と宇多天皇の確執 「阿衡は位貴くも、職掌なし (地位は高いが職務を持たない)」・・・? ↓↑ ↓↑ 衝=彳+重+亍 折衝・衝突・要衝・緩衝・衝動 かなめ・大事な所・要衝 ↓↑ ↓↑ 銓衡(センコウ)=銓は分銅、衡は天秤の竿(棹) 衡=彳+𩵋(魚)+亍 ・・・𩵋(俗字)=刀(々・勹)+田+大(一人) 均衡(キンコウ) 阿倍 仲麻呂 文武天皇二年(698年)~宝亀元年(770年)一月 姓は朝臣・筑紫大宰帥・阿倍比羅夫の孫 中務大輔・阿倍船守の長男・弟に阿倍帯麻呂 唐名を 「朝衡=チョウコウ=晁衡」 ↓↑ 衡=はかり・くびき・コウ スキをつけたくびき 車をつけたくびき 天秤ばかり 金文・篆文は 衡=彳+「角(牛のつの)+大(牛のからだ)」+亍 行=彳+亍=二頭の牛の角と首にかけ渡した 横木(くびき・頚木・頸木・衡) 連衡(レンコウ)=東西の国の同盟 合従連衡 度量衡=はかり 衡=よこぎ・くびき・まっすぐな横木 門の二本の柱の上にわたした横木 牛の角 衡=車の轅(ながえ)の先端につけて 車を引く牛馬の頸の後ろにかける横木 牛車・比喩的に「自由を束縛するもの」 公理・公約数・かたよらない ↓↑ 公正・公平・公明. かつ消えかつ結びて 久しくとどまりたる ためしなし・・・・・・・・・・例(ためし)なし 世の中にある人とすみかと・・・栖(すみか) またかくのごとし たましきの都のうちに・・・・・玉敷き(たましき) 棟を並べ、甍を争へる 高き、卑しき、人のすまひは 世々を経て尽きせぬものなれど これをまことかと尋ぬれば 昔ありし家はまれなり・・・・・・・稀(希・まれ) あるいは去年焼けて今年作れり あるいは大家滅びて小家となる 住む人もこれに同じ 所も変はらず 人も多かれど いにしへ見し人は・・・・・古=いにしへ=居西辺? 二、三十人が中に わづかに・・・・・・・・・僅かに=わづかに=倭塚邇? ひとり ふたりなり 朝に死に 夕べに生まるる ならひ ただ水のあわにぞ ・・・泡=あわ=阿波=安房=安和=粟=沫=淡 似たりける 知らず 生まれ死ぬる人 いづかたより来たりて・・・伊豆・井津・井筒・・・何時・伊津 ・・・いづも=出雲・伊豆母・出茂・出模 いづかたへか去る また知らず 仮の宿り たがためにか 心を悩まし 何によりてか 目を喜ばしむる その、 あるじとすみかと・・・あるじ(主・アル字・阿留字)と(訳) すみか(住家・棲家・素実科)と(訳) 無常を争ふさま いはば朝顔の露に異ならず あるいは露落ちて花残れり 残るといへども朝日に枯れぬ あるいは花しぼみて露なほ消えず 消えずといへども 夕べを待つことなし ↓↑ 安元三年四月二十八日 (1177年5月27日8時頃)の都の火災 治承四年(1180年)四月の都の竜巻 養和年間(1181年~1182年)の飢饉 元暦二年七月九日 (1185年8月6日)の都の大地震 ーーーーー 北海道地震 2018/9/6/3:18 戊戌(辛・丁・戊) 庚申(己・壬・庚) 辛丑(癸・辛・己) 己丑(癸・辛・己) ーーーーー ハイチ地震・・・20万人以上死亡 2010年1月12日16時53分 2010年1月13日3時53分(日本時間) 己丑(癸・辛・己) 己丑(癸・辛・己) 丁丑(癸・辛・己) 丁丑(癸・辛・己) 壬戌(辛・丁・戊) 癸亥(戊・甲・壬) 辛未(丁・乙・己) 癸丑(癸・辛・己) ↓↑ 自衛隊ハイチPKO派遣 ハイチ共和国へ 国際平和協力法に基づく 自衛隊海外派遣活動 2010年2月5日 2月8日 - 現地到着 2月17日 - 現地での活動を開始 自衛隊ハイチ国際緊急援助活動・・・350名の要員を派遣 ↓↑ 2011年3月11日14時46分 東北地方太平洋沖地震 辛卯(甲・ ・乙) 辛卯(甲・ ・乙) 乙丑(癸・辛・己) 癸未(丁・乙・己) ↓↑ 2012(平成24)年末にハイチより撤収開始 重機の現地譲渡は 2012年12月18日の閣議で正式決定 2013年3月15日付をもって終了 2013(平成25)年2月末まで全要員帰国 2013年3月15日 - ハイチPKOの全隊が撤収完了 ↓↑ ハイチ 9/11(火)21:46 日本 9/12(水)10:50・・・時差13時間~14時間 ーーーーー ・・・???・・・歯位置・葉位置・羽位置・播位置・把位置 波位置・・・・横島・・・「よこしま」と訓ずるスベテの漢字 「頗(よこしま・ハ)=皮(かわ・ヒ)+頁(ページ・ケツ)」 の 「位置」・・・ 頗(よこしま・ハ)=かたよる・不公平・偏頗(ヘンパ) すこぶる・たいそう 頗梨采女(はりさいじょ、はりさいにょ) 牛頭天王の后とされる神 波利采女、波利賽女とも表記 名前の由来は 梵語のハリ(水晶) 人の吉凶をつかさどる方位の女神 京都八坂神社の祭神 牛頭天王(ごずてんのう)の后(きさき) 八王子(八将神)の母 ・・・
・・・「稀勢の里 寛(ゆたか・1986年7月3日=丙寅-甲午-戊申・空亡=寅卯)は、茨城県牛久市出身(出生地は兵庫県芦屋市)で田子ノ浦部屋(入門時は鳴戸部屋)」・・・土俵で・・・「たえる=耐・堪・絶・仔える・断える」・・・「忍耐・耐久」は「抵抗力」・・・「がまん=我慢・我満」・・・「つらい=辛い・貫井・貫意」・・・ジシンにタエル耐える・・・タエレナイ人びともいる・・・老人、子供、幼児、障害者・・・「仔(イ+子)えられない=人の子はタエラレナイが人間以外の動物の子供」は「仔(た)える」・・・?
ーーーーー
「仔(たえ)る=イ+子」⇔「怺(こら)える=忄(心)+永」
↓↑
仔供の出産・・・陣痛(甚痛)に耐える、怺(こら)える
↓↑
「耐える(苦しいこと、つらいこと、嫌なことをじっと我慢する)」
「任にたえる(まかせられた役目を我慢してなんとか成し遂げる)」
「忍耐力・耐久力・抵抗力」
「細かい・小さい」
「動物の子=(仔牛・仔豚・仔鹿・仔犬)」
↓↑
「堪(た)える=堪忍・甚大=堪(こら)える=こらえる=怺(こら)える=忄(心+永)」・・・
「怺(こらえる)」が、ナゼ「心(忄)」が「永い」のか・・・「立身の弁は永遠の心情(プチぶる根性orエゴ)」である?・・・我慢、忍耐の延長・・・「怺(こらえる)」・・・許しを乞う、懇願・・・
「長い=異体字は镸・杖の形象?」ではなく、髪の、鬚の長さの象形だろう・・・「権威者、指揮者、老人(年長者)を支える杖の長さ⇔時間・空間⇔モノの有限の幅・枠・区切り・長短が比較でき、ハカれるモノ」・・・「永い=異体字は咏・𠘷・𣱵・泳・泳河川の水の流れ⇔永続・永遠・永劫・永久・永逝 ・永眠⇔無限・動的連続性」・・・永久機関・・・
「水=異体字は沝・𣸕・氵・⽔・氺」・・・「水⇔川の本流+支流」
「ステントグラフト」・・・血管の欠陥、欠管・・・欠巻・・・血管の機能不全・・・血栓・・・結線・・・
「怺(こら)える=忄(心)+永」・・・心臓から延びる「循環機能動脈-毛細管-静脈-血管」と「血液」・・・
ーーーーー
「諸行無常」=ショギョウ・ムジョウ=「所業・所行・初行」+「無情・無上・霧状・夢情・六条」・・・「憲法6条 (憲法)・憲法6条 天皇の任命権[憲法第6条] ・天皇は、国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する・天皇は、内閣の指名に基づいて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する」・・・
「日本国憲法 第6条=天皇による内閣総理大臣・最高裁判所長官の任命について規定する」
「日本国憲法 第6条=日本国憲法の第1 章・天皇にある条文の一・天皇による内閣総理大臣・最高裁判所長官の任命について規定」・・・
「第六条 第1項=天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。第2項 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する」・・・行灯=アンドン=行燈・・・昼行灯・・・唐音・・・
役人=役行者・・・行基
訳人=訳業者・・・行規・行記・経記
薬業者・・・行気・堯記・暁軌
堯(尭・ギョウ)=中国神話の君主・姓は伊祁(イキ)
名は放勲(ホウクン)
陶、 次いで唐に封建されたので
陶唐氏・舜へ権力禅譲
役行者=エンのギョウジャ
↓↑ =エンアンシャ=延安者=中国陝西省北部の都市
渭水(イスイ)盆地とオルドスを結ぶ
軍事上の要地・旧称、膚施 (フシ)
↓↑ 延安=イェンアン・盂攻鬼方
役行者=役 小角(えん の おづの=おづぬ・おつの)
舒明天皇六年(634年)伝
~
大宝元年六月七日( 701年7月16日)伝
呪術者
役-優婆塞(えんの うばそく・日本霊異記)
優婆塞=在家仏教信者・・・維摩
=優しい婆の要塞?
神変大菩薩(じんべんだいぼさつ
光格天皇が
寛政十一年(1799)・・・官制壱拾壱念?
役行者に贈った諡号)
禅師
山伏の元祖
姓は君
姓は役公(えだちノきみ)
名は小角(おづぬ)・・・「続日本紀」
修験道の開祖
加茂-役君(賀茂-役君)とも呼ばれる
「役民」を管掌した一族であったために
「役」の字をもって「氏」とした
役民=律令制下の租税の一種、
無償労働にかり出された者
事跡記事
「文武天皇三年五月丁丑・699年5月24日
役君小角、伊豆島ニ流サル。
初メ小角、葛城山ニ住シ、呪術ヲ以テ称サル。
外ノ従五位下
韓国連廣足(からくにのむらじ ひろたり)焉ヲ
師ト為ス、後、
其ノ能ヲ害(そね)ミ、
讒(ザン)スルニ妖惑ヲ以テス。
故ニ遠島ニ配セラル。
世ニ相イ伝エ言ク。
小角、能ク鬼神ヲ役使シ、
水ヲ汲ミ、薪ヲ採セ、
若シ命ヲ用ヒザレバ
即チ呪ヲ以テ之ヲ縛ス」
↓↑
「陰陽道+神仙術+密教
を日本固有の山岳宗教に取り入れ
独自の修験道を確立
吉野金峰山(きんぶせん)や
大峰山(おおみねさん)
他多くの山を開いた
新羅や唐に往来したとする伝承・・・
終焉も
唐、もしくは虚空に飛び去った・・・」
唐=から=虚(から)=空(から)の「重語」だろう・・・
虚空蔵菩薩=無限虚空に智慧と功徳、福徳を有する菩薩
修験道の系譜
役行者〜1.義学(覚)〜2.義元(賢)〜3.義真
〜4.寿元(彦山開山)〜5.芳元(五代山伏)
〜6.助音〜7.黒珍(羽黒山)〜8.日代
〜9.日円(天台 熊野社)
〜10.長円(天台 法華行者)十代山伏》
〜11.円珍(智証大師 天台寺門派祖)
↓↑
行基=ギョウキ・アンキ・・・暗記・暗鬼・安危・安企?
天智天皇七年(668年)
~
天平二十一年二月二日(749年2月23日)
↓↑
河内国大鳥郡(大阪府堺市西区家原寺町)
父・高志才智・・・高句麗・高麗
母・蜂田古爾比売
の長子として誕生
天武天皇十一年(682年)・・・壱拾壱撚
15歳で大官大寺で
得度、出家し
法行と称した
持統天皇五年(691年)
24歳で戒師の
高宮寺
徳光禅師のもと受戒
飛鳥寺、薬師寺で
法相宗を主として教学を学び
名を
行基と改めた
教師
道昭は、入唐して
玄奘の教えを受けた
大宝四年(704年)
生家を
家原寺に改め、
母と大和の
佐紀堂で暮らす
40歳で生駒山の
草野仙房に母親と移り修行
43歳で母を亡くし3年間喪に臥す
↓↑
「知識結」とも呼ばれる
新しい形の
僧俗混合の宗教集団を形成
近畿地方を中心に
貧民救済・治水・架橋などの
社会事業に活動
行基が開基した寺院は
『続日本紀』で40余処
興融寺の鎌倉時代中期の顕彰碑では49院
小規模な修行と布教の為の拠点・・・
養老元年(717年)4月23日
詔をもって
「小僧の行基と弟子たちが、
道路に乱れ出てみだりに罪福を説いて、
家々を説教して回り、
偽りの聖の道と称して人民を妖惑している」
と、新しい宗教集団を寺の外での活動を禁じた
「僧尼令」に違反するとされ弾圧を受けた
天平二年(730年)九月
平城京の東の丘陵(天地院)で
妖言を吐き
数千人から多い時には1万人を集めて説教し
民衆を惑わしているとされた(続日本紀)
行基とその集団の活動が大きくなっていき
指導により墾田開発や社会事業が進展
朝廷が恐れていた
「反政府」的なものではないと判断し
天平三年(731年)に弾圧を緩め
翌年
河内国の
狭山池の築造に
行基の技術力や農民動員の力量を利用
天平八年(736年)
インド出身の僧
菩提僊那が
チャンパ王国出身の僧
仏哲
唐の僧
道璿とともに来日
彼らは九州の大宰府に赴き
行基に迎えられて平城京に入京し
大安寺に住し、時服
天平十年(738年)
朝廷より
「行基大徳」の諡号が授けられた
最初の律令法典
「大宝律令」の注釈書などに記録
三世一身法が施行され
灌漑事業などをはじめ、多くの行基の事業は
権力側に入れられた
聖武天皇が接近し
740年(天平十二年)
聖武天皇に依頼され
大仏建立に協力
天平十三年(741年)三月
聖武天皇が
恭仁京郊外の
泉橋院で行基と会見
同十五年(743年)
東大寺の大仏像造営の勧進に起用
天平十七年(745年)
仏教界、最高位である
「大僧正」の位を贈られた(続日本紀)
天平二十一年(749年)
喜光寺(菅原寺)で81歳で入滅
生駒市の
往生院で火葬後
竹林寺に遺骨が納められ多宝塔を立て墓所
行基は「文殊菩薩の化身」とも言われた
天平勝宝四年(752年)
菩提僊那
聖武上皇の命により
東大寺大仏開眼供養の導師を勤めた
宝亀四年(773年)
↓↑
行基は
寺と僧侶を広く仏法の教えを説き人々より篤く崇敬され
行基集団を形成
道場や寺院を49院、溜池15窪、溝と堀9筋、架橋6所
国家機関と朝廷が定めそれ以外の直接の民衆への
仏教の布教活動を禁じた時代に
禁を破り畿内(近畿)を中心に
民衆や豪族など階層を問わず
困窮者のための布施屋9所等の設立
朝廷からは度々弾圧や禁圧
逆境を跳ね返し
大僧正(行基が日本で最初)として
聖武天皇により
奈良の大仏(東大寺)造立の実質上の責任者として招聘
この功績により
東大寺の「四聖」の一人に数えられている
・・・蝦夷地は朝から「夏の日」・・・アレッ!?・・・地震、「発生時刻:2018年09月17日23時42分ごろ」・・・ ーーーーー グレゴリオ暦 ↓↑ ↓↑ 西暦2099年12月31日 ↓↑ ↓↑ 2488069 ↓↑ ↓↑ 西暦2099年12月18日 己未 丙子 壬寅 木曜日 ↓↑ ↓↑ 西暦1年1月1日・・・1721424 1/1/1 ・・・1721424+2 ユリウス暦 西暦1年1月3日・・・1721426 ↓↑ ↓↑ U西暦1年1月1日=G紀元前1年12月30日 ↓↑ ↓↑ 1)庚申・・・1)辛酉・・1)辛酉 1)戊子・・・2)己丑・・2)庚寅 1)己卯・・・5)甲寅・ 10)己未 1721461 月曜日 ↓↑ ↓↑ (垂仁) 29年11月20日 ↓↑ ↓↑ 2100/1/1 ↓↑ ↓↑ 神武1年1月1日・・・1480407 (辛酉年春正月庚辰朔⇒辛酉年1月1日) G紀元前660年2月11日 U紀元前660年2月18日 ↓↑ ↓↑ 1)辛酉 2)庚寅 11)庚辰 土曜日 ↓↑ ↓↑ 2019/1/1 西暦2019年1月1日 西暦2018年12月19日 2458485 1)戊戌 1)乙亥 1)戊戌 ↓↑ ↓↑ 月の異称 (和風月名) と二十四節気 一月 睦月 立春(2月5日頃) 雨水(2月18日頃) 二月 如月 啓蟄(3月 5日頃) 春分(3月21日頃) 三月 弥生 清明(4月 5日頃) 穀雨(4月21日頃) 四月 卯月 立夏(5月 5日頃) 小満(5月21日頃) 五月 皐月 忙種(6月 6日頃) 夏至(6月22日頃) 六月 水無月 小暑(7月 7日頃) 大暑(7月23日頃) 七月 文月 立秋(8月 7日頃) 処暑(8月23日頃) 八月 葉月 白露(9月 7日頃) 秋分(9月23日頃) 九月 長月 寒露(10月8日頃) 霜降(10月23日頃) 十月 神無月 立冬(11月 7日頃) 小雪(11月22日頃) 十一月 霜月 大雪(12月 7日頃) 冬至(12月22日頃) 十二月 師走 小寒( 1月 5日頃) 大寒( 1月21日頃) ↓↑ ↓↑ 太歳(木星)の位置 寅卯辰巳午未申酉戌亥子丑 太歳(月 )の位置 甲乙丙丁戊己庚辛壬癸甲乙 ↓↑ ↓↑ タイ の十二獣 ベトナムの十二獣 チベットの十二獣 鼠牛虎「猫」竜蛇馬羊猿鶏犬豚 ↓↑ ↓↑ ロシア の十二獣 ベラルーシの十二獣 鼠牛虎「兎or猫」竜蛇馬羊猿鶏犬豚 ↓↑ ↓↑ アラビアの十二獣 鼠牛虎兎「鰐」蛇馬羊猿鶏犬豚 ↓↑ ↓↑ 元和2年(西暦85年)の改暦で 三統暦の超辰法自体が廃止 これ以後、 木星を観測し その位置で 年を記録することはなくなった ↓↑ ↓↑ 余り(一の位) 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 十干 庚辛壬癸甲乙丙丁戊己 戊 ↓ 2018÷10=201,8=201…8 2018%10=8 ↓↑ ↓↑ 余り 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 十二支 子 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 申 酉 戌 亥 ↓↑ ↓↑ 余り 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 十二支 申 酉 戌 亥 子 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 戌→→→→→→・ ↓ 2018÷12=168.16666=168…2 2018%12=2 ↓↑ ↓↑ 8 2 2018年=戊 戌年 ーーーーー 1943年1月15日~2018年9月15日 壬午(丙・ ・丁)⇔ 戊戌(辛・丁・戊) 害 癸丑(癸・辛・己)⇔ 辛酉(庚・ ・辛) 三合・辛 癸酉(庚・ ・辛)⇔ 庚戌(辛・丁・戊) 戌亥=空亡 大運 丙午(丙・ ・丁)75歳 ↓↑ ↓↑ 1939年11月17日 己卯(甲・ ・乙) 乙亥(戊・甲・壬) 戊午(丙・ ・丁) 子丑=空亡 ーーーーー ・・・???・・・
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