何を歌っても「美唄」な歌唱力・・・
2022/10/7・金曜日・・・追加添文・・・
「島津亜矢」さん
何を歌っても「美唄」な歌唱力・・・
アイヌ語の
「ピパィ=カラス貝の川」
「ピパオマナィ=カラス貝・ある・川)」
「ピパオィ=カラス貝・多い・所」
「美しい(うつくしい)のギリシャ語
カロス・カラス=καλος」
美声
「美しい(うつくしい)のギリシャ語
カロス・カラス=καλος」
美声を
「美唄(口+貝)」・・・「美空ひばり」・・・???
「マリア・カラス
(Maria Callas
ギリシア語
Μαρία Κάλλας)
1923年12月2日
~
1977年9月16日
大運1975年10月(51歳)己巳(戊・庚・丙)
癸亥(戊・甲・壬)⇔丁巳(戊・庚・丙)
癸亥(戊・甲・壬)⇔己酉(庚・ ・辛)
己酉(庚・ ・辛)⇔丙子(壬・ ・癸)
寅卯=空亡
↓↑
ではなく
「推命」に合致するなら誕生日は
次の日の
1923年12月3日
~
1977年9月16日
大運1975年6月(51歳) 己巳印綬 年害
癸亥(戊甲壬)傷官・食神 病⇔丁巳正官 月害
癸亥(戊甲壬)傷官・食神 病⇔己酉印綬 日害
庚戌(辛丁戊) ・劫財 衰⇔丙子偏官
壬午(丙 丁)食神・正官沐浴⇔
寅卯=空亡・魁罡日・従児格(傷官・食神)
だろう・・・???
古事記字源 ・・・「ブラック・イズ・ビューティフル(Black is Beautiful・黒って素敵・黒って素晴しい・黒は最高・黒はイカスゼ・黒はスゴイ・美しい)」?・・・「Black is Crows(Ravens)」、「Black is 」・・・「ブラック・インディアン、アメリコ・ライベリアン、アフリカ系ラテンアメリカ人、アフリカ系アメリカ人(African-American)は、アメリカ合衆国民のうち、アフリカ出身の黒人(ネグロイド)もしくはその子孫」・・・Black is Beautiful・・・「漆黒の美」・・・
「Black is sad; unhappy; sorrowful(嘆き悲しむ); mournful(哀れな)」・・・
「ススを混ぜた黒い漆の上に更に純粋な漆を塗り重ねられていた」
「細かい炭素の粉末を混ぜた漆」
「漆黒=七黒」の「漆器=japan」・・・黒光りって?・・・
「朱塗りの漆器が、長年使われ
下地の黒が浮かび上がってきたものを
根来(ねごろ)」・・・
「東大寺に伝わる根来の盆」
・・・根来=ねごろ⇒ニグロ=ネグロ=Negro
ネグロイド(Negroid)=ニガー(nigger)差別用語
「切支丹国より、黒坊主参り候・年齢は26歳~27歳ほど
十人力の剛力、牛のように黒き身体(信長公記)」
「太田牛一末裔の・・・ナンで「太の田の牛の一」なのか?
加賀-大田家に伝わった自筆本の写し」に
「黒人・弥助(彌+助)が
↓↑ ・・・彌(弓爾)+助(且力)
且(かつ・シャ・ショ)=其の上に・ながら、つつ
↓↑
まづ(先)・しばらく(姑)・未定の意をあらはす
よし・たとへ・仮設(假設)の辭
また、はた、すら
それでも矢張り、然るになほ
まさに…す(先づ マサニと讀み、 スと返し讀む)
將に同じ
↓↑「苟且(かりそめ)」
と(與)・此処に・殆んど
次且(シシヨ)は、しさる貌、進まず=趑趄
しく(薦)
祭に牲を載する臺、まないた、俎の古字
多き貌
陰曆、六月の異名
シヨ・ソ
へだつ(阻)
恭謹の貌
ソ
↓↑ ゆく(往)=徂
弥助は
私宅と腰刀を与えられ
時には道具持ちをしていた」の記録・・・
↓↑ ↓↑
「黒瑪瑙=オニキス(Onyx)=瑪瑙で平行な縞のあるもの
ギリシア語の爪(Onyxis)に由来」
「黒瑪瑙=ブラックオニキス(black onyx)」
「黒瑪瑙、白瑪瑙はカメオの材料
「表面に浮き彫りを施したものをカメオ(cameo)
沈め彫りを施したものをインタリオ
カメオ(cameo)と・・・「亀尾」?
インタリオ(Intaglio)を
まとめて
カメオ(cameo)と呼ぶ」
黒曜石(obsidian・オブシディアン)=「黒曜石」の反射?・・・
「アブシィディィアン(ヌ)」・・・「阿武私意出意異案?」・・・
輝き=かがやき=耀き・・・加賀焼き?
・・・「九谷焼」と、「大樋焼」
↓↑ ↓↑
「ブライトネス brightness.
オレオ材料ール aureole.
ダズル dazzle.
グリント glint.
グリッター glitter.
グロー glow.
ラスター luster.
レイ ray.
シーン sheen.
スパークル sparkle.」・・・
「Shine like a obsidian(luster black stone)」・・・
「luster(lʌ'stər・ラァスタァ(ル)」
「北海道地方
東部に
遠軽町
白滝黒曜石原産地、
西部に
赤石川黒曜石原産地・・・「朱は、辰砂・丹
加熱した漆に朱を混ぜる」
がある。
例文
Hokkaido region: Obsidian is produced in Shirataki,
Engaru-cho in the east of Hokkaido
and in Akaishikawa in the west of Hokkaido.」
↓↑
美しい・ご立派・・・ギリシャ語=カロス(καλος)=カラス=(ómorfos)・・・
ギリシア語「ωραίος (el) 男性 (oraíos), όμορφος (el) 男性 (ómorfos)」・・・
スロヴァキア語「krásny 男性・krásna 女性・krásne 中性」・・・
ーーーーー
黒艶のカラス
「からす=烏=鴉」は「くろい」
「からす=烏=鴉」は「かしこい」
「からす=烏=鴉」は「かんがえる」
↓↑
英語・・・・・・クロウ(crow)・・・黒鵜・黒兎・苦労
九郎義経(源氏=ゲンジ=言字・玄事)
カラス(鴉・烏)天狗
レイヴン(raven)
ルク=ルック(rook)・・・ロック(rock)磐
ロック(lock)錠
ジャクドー=ジャックドー(jackdaw)
ギリシャ語・・・コラキ(κοράκι・koraki)
コローネー(κορωυη)
オランダ語・・・クラーイ(kraai)・・・暗ぁい
韓語・・・・・・カマグィ・・・・・竃灰・釜喰・鎌句意
釜次郎(榎本)・鎌足(中臣)
中国語・・・・・ウーヤー・ウヤ(烏鴉)
ドイツ語・・・・ラーベ(Rabe)
クレーエ(Krähe)・・・暮れぇえ
フランス語・・・フルー(freux)・シュカ(choucas)
コルボー(corbeau)・コルネイユ(corneille)
イタリア語・・・コルヴォ(corvo)
ラテン語・・・・コルウス(corus)⇔児(子)留碓(臼)=小碓
ーーーーー
アフリカン・アメリカン
民族的回帰運動でもある
・・・ルーツ(Roots)は
アレックス・ヘイリー原作の小説『ルーツ』
(Roots: The Saga of an American Family)
発祥(起源、由来、原点)・先祖(祖先)・故郷(出身地)
「ブラック・パワー」
を提起した黒人たちは、
「ブラック・イズ・ビューティフル(黒は美しい)」
をスローガンに掲げ、
人種的存在(?)を
・・・黒人の王は同胞の黒人を奴隷として売った
どんな人種も同胞、家族構成員を奴隷として売った
飢饉で日本東北では妻子、娘を売った
自分自身を借金の肩代わりとして奴隷として売った
秀吉は
葡萄牙(ポルトガル)奴隷商人に激怒した?
安寿、厨子王、そして姉弟の母は
人買いに拉致誘拐され
山椒大夫に売り飛ばされた
「マリア・ルス(Maria Luz)号事件
明治五年(1872年)
日本の横浜港に停泊中の
マリア・ルス号(ペルー船籍)内の
清国人苦力を奴隷であるとして
日本政府が解放した」
ー↓↑ー明治五年(1872年)ー↓↑ー
外務卿(外務大臣)
副島種臣は
人道主義と
日本の主権独立を主張し
神奈川県権令(県副知事)
大江卓
に清国人救助を命じ
大江の指揮で
林権典事
と
法律顧問の
米国人ジョージ・ウォーレス・ヒル
らによって
マリア・ルス船内に
清国人230人を発見し
清国人救出のため法手続きを決定
↓↑
出航許可を申請していた
マリア・ルスは
旧暦7月4日
横浜港からの出航停止を命じられたが
ポルトガル領事をはじめとした
数国から抗議の申し入れがあり
7月20日
ポルトガルとイタリア領事
傍聴のもとで
ヘレロ船長の裁判が行われた
↓↑
清国人奴隷解放
↓↑
船長側弁護人イギリス人
フレデリック・ヴィクター・ディキンズは
仮にこの船が奴隷船として
奴隷を載せていようが、いまいが
マカオ及び清国海上で行われた犯罪は
日本政府の所轄ではない
買奴は、
万国公法にあたる
海賊行為にあたらない上に、
日本でも禁止していないではないか
奴隷運搬船の出航停止について速やかに解除し
日本側に
出航停止中の保証金を要求する
との意見書を提出
↓↑
マリア・ルスの船長は訴追され
神奈川県庁に設置された
大江卓を裁判長とする
特設裁判所は
7月27日(8月30日)の判決で
港内での乗客虐待に対する
厳重処罰として
清国人の解放を条件に
マリア・ルスの出航許可を与えた
しかし、船長は判決を不服とし
清国人の
「移民契約」履行請求の訴えを起こし
清国人をマリア・ルスに戻すよう主張
これに対し
2度目の裁判で
移民契約の内容は奴隷契約であり
人道に反するものであるから
無効であるとして却下
清国人は解放され
9月13日(10月15日)に帰国
清国政府は
日本の友情的行動への謝意を表明
翌年2月
ペルー政府は
海軍大臣ガルシャを訪日させ
マリア・ルス問題に対して
謝罪と損害賠償を
日本政府に要求
両国間で仲裁契約が結ばれ
両国同意のもとで
第三国のロシア帝国による
国際仲裁裁判が開催
ロシア皇帝
アレクサンドル2世により
サンクトペテルブルクで
国際仲裁裁判開催
日本側代表として全権公使の
榎本武揚が出席
1875年(明治八年)6月
法廷は
「日本側の措置は一般国際法にも条約にも
違反せず妥当なものである」
とする判決
ペルー側の要求を退けた
旧暦7月20日に大江が下した判決は
有名になり
「奴隷解放事件」と呼ばれた
↓↑
船長側の
フレデリック・ヴィクター・ディキンズ弁護士の意見書は
芸娼妓の見直しに繋がり
同年10月の芸娼妓解放令に至る・・・
ー↓↑ーー↓↑ー
第二次世界大戦終結後も
白人から否定され、・・・洗脳・刷り込み
自らも否定してきた・・・自虐・現状諦念?⇔神の慈悲、他力本願?
黒人の人種的特徴を
「黒人らしさ」
として逆に強調し、
彼らの
民族的アイデンティティーを・・・民族的≠人種的
主張する
表現のひとつとして
アフロヘアーという
髪型も生み出した・・・清王朝の辮髪の暴力的強制は
「民族としての同化」か?・・・
「国民としての公平化」か?
彼ら黒人は
キリスト教から
イスラム教へ
改宗したほか、・・・なぜ、「イスラム」だったのか?
男性社会(家父長)維持なのか?
食えない女性(未亡人・寡婦)の
一夫多妻システムは
現実救済だったのか?
自らを
「ブラック(黒人)」
と自称し、
これを現在の黒人たちの一般的な自称とした・・・?
ー↓↑ーー↓↑ー
2018年7月18日
「ヨハネスブルクAFP時事
オバマ前米大統領は17日
南アフリカの
ヨハネスブルクで演説し、
世の中に
「恐怖と恨みの政治」
・・・人類史で
「恐怖と恨みの無い時代」は無かった?
が広がっていると警告
トランプ米大統領について
直接的な言及はなかったが
気候変動や
移民問題などを話題に取り上げ
暗に批判した」
↓↑
南アの
故ネルソン・マンデラ元大統領の
生誕100年を記念する集会で演説
オバマ氏は集まった1万人以上の聴衆を前に
「私たちは今、・・・・・・昔も今も、だろう・・・
奇妙で不確かな時代にいる
少しの間、一歩下がって、
物事を大局的に見ることが役に立つかもしれない」
と訴えた。
移民問題に関しては
「国境が問題だと主張するのは
間違いではないが・・・間違いだろう・・・
だからといって
人種や信仰に
基づいた政策を
取る理由にはならない」
と強調
メキシコ国境の壁建設や
移民への強硬策を暗に批判した
トランプ氏が
懐疑的な気候変動について
「ほぼ全ての科学者が認めている」
と指摘した(2018/07/18-07:31)・・・
ーーーーー
以下も以上も検索ページから添付し「?」にイチャモン・・
・・・侵略者か・・・難民の移動か・・・?
盾津(たてつ)
孔舎衛坂(くさえのざか)・・・くさかざか(孔舎衙坂)
・・・「衛(エイ・エ)」ではなく
「衙(ガ・カ)」・・・孔舎衙(くさか)
衙=彳+吾+亍
つかさ・まいる・あつまる
ゲ・ゴ・ガ・ギョ
天子のいる所・宮城
衙内・衙兵・兵営・役所・衙府・衙門
「衙門(ガモン)」
戦ひ合わす
郡衙(ぐんが)=地方の役所
大阪府
中河内郡
孔舎衛村・・・「衛(エイ・エ)」は「まもる」・衛兵・自衛
「攻められた」、だから「守衛・防衛」した
大字
日下〔東大阪市日下〕の山麓地帯から
草香山の北部を越える坂道・・・
↓↑
若御毛沼命(神武天皇)
と
那賀須泥彦の
日下の戦い
難波の生駒山地の西側の
潟湖岸に上陸した若御毛沼命(神武天皇)
盾津にかっては飛行場
那賀須泥毘古(ナガスネヒコ)の防衛・自衛
神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ命
若御毛沼命・神武天皇)
と
五瀬命(イツセ命)の上陸侵攻・侵略
「盾」を持って進撃
その土地を名付けて盾津(タテツ)
日下の蓼津(タデツ)
「盾」を持って進撃とは、相手が弓矢を射って防戦した
↓↑
盾(たて・ジュン・楯・shield)・・・矛盾
・・・イージス(Aegis, Egis)=女神アテナが用いる
防具「アイギス」
蓼=艹+翏(羽𠆢彡)
・・・㐱=シン
髮の稠(しげ)る
彡に従ひ、人に従ふ
詩に曰く、㐱髮(シンパツ)雲の如し
𠆢=ひとやね・ひとがしら・mǒu
彡=毛羽・刷毛痕・爪痕
↓↑ 翏=the sound of the wind,
to soar(ソァー)
飛ぶ・鳥が高く飛ぶさま
The eagle soared into the sky.
ワシは空に舞い上がった=飛鳥・飛翔
Ibis(アイビス・朱鷺・鴇)
or
Grosbeak(グロォゥスビィーク
カル・シメ・アトリ科の
嘴が大きな円錐形の
鳥の総称・斑鳩)
↓↑ were dipping and soaring.
蓼(たで・リョウ・リョウ・リク
・ペルシカリア節・Persicaria) の総称
タデ科タデ属の植物の総称
イヌタデ・ハナタデ・ オオケタデ・サクラタデ
特に、葉を和風香辛料とするヤナギタデ・・・草加・草香
蓼食う虫も好き好き
↓↑
日下貝塚遺跡
神武天皇聖蹟
盾津 顕彰碑
善根寺春日神社
足立氏の屋敷跡
↓↑
磐余彦(若御毛沼命・神武天皇)が上陸した
「白肩(しらかた)の津」は
「盾津(たてつ)」と呼ばれるようになった
↓↑
神武天皇
聖蹟
盾津
顕彰碑 (東大阪市日下町7丁目に所在)
「神武天皇
戌午年三月
皇軍ヲ率イテ
青雲
白肩津
二至リ給ヒ
翌四月
孔舎衛坂二
戦ハセラレ・・・」
↓↑
「近鉄石切駅
石切四光地蔵堂
石切劔箭(つるぎや)神社上之社
旧生駒トンネル入り口近くの
旧孔舎衛坂(くさえざか)駅から
丹波神社、大龍寺、旧河澄家
原始蓮・稲田桃栽培地
日下貝塚遺跡
神武天皇聖蹟盾津顕彰碑
善根寺春日神社
足立氏屋敷跡
↓↑
古代大阪湾の東端の
日下・石切地域周辺は
縄文時代の
日下貝塚遺跡
鬼虎川遺跡・・・弥生時代中期の銅鐸・銅釧・異形青銅器
銅剣・銅戈の鋳型や、鉄鑿・鉄鏃が出土
縄文時代晩期末のものと思われる
土偶(小型の立体的な体部)が1点出土
頭部(人面)のみ
などの遺跡
↓↑
尾根道をとおる
雄略天皇の
日下直越のルート
↓↑
古代には
河内国
河内郡
日下郷に含まれ
一帯は
河内湖の
草香江(日下江)とよばれる入江で
生駒山から北にのびる山系
盾津(たてつ)と曰ふ、今
蓼津(たでつ)と云へるは訛れるなり
↓↑
隣接自治体
大阪府
中河内郡
石切町、盾津町、英田村
北河内郡
四条町
奈良県
生駒郡
生駒町
孔舎衙村役場
大阪府
中河内郡
孔舎衙村
大字
日下
孔舎衙村(くさかむら)は
大阪府中河内郡にあった村で
東大阪市の北東端にあたる
↓↑
日根市村(ひねいちむら)
1889年(明治22年)4月1日
町村制の施行により
河内郡日下村・善根寺村・布市村・河内屋南新田
の区域をもって
日根市村が発足
1896年(明治29年)4月1日
所属郡が中河内郡に変更
1912年(大正元年)10月1日
日根市村を改称し
孔舎衙村
となる
1955年(昭和30年)1月11日
枚岡町・縄手町・石切町
と合併して
枚岡市が発足
同日
孔舎衙村
廃止
ーーーーー
神武天皇=狭野命〈さののみこと〉
神武天皇
庚午年~神武天皇76年3月11日)
初代天皇
在位
神武天皇元年1月1日~神武天皇76年3月11日
和風諡号
神日本磐余彦天皇
(かむやまといわれびこのすめらみこと・日本書紀)
神倭伊波礼毘古命
(かむやまといわれびこのみこと・古事記)
狭野尊(さののみこと・幼名)
彦火火出見(ひこほほでみ・諱)
↓↑
狭野神社
鎮座地
宮崎県
西諸県郡
高原町
蒲牟田117
由緒等
主祭神
神日本磐余彦天皇(幼名:狭野尊)
相殿
吾平津姫命
天津彦火瓊瓊杵尊
木花開耶姫命
彦火火出見尊
豊玉姫命
鵜葺草葺不合尊
玉依姫命
↓↑
狭野弟上娘子
(さの の おとかみおとめ)
狭野茅上娘子
(さの の ちがみおとめ)
は万葉集の女性歌人
夫は天平朝に
越前国に流罪となった
中臣宅守(天平十三年赦免)
宅守との贈答歌が
『万葉集』巻十五にある・・・
↓↑
ーーーーー
福山藩とは
「備後・深津郡・十一万石」
(びんご)
↓ 深津郡
↓ ↓ 十一万石」
↓ ↓ ↓
↓ シンシングン ジュウイチマンゴク
↓ 身心訓云 重 位置 萬語句→太安萬侶
↓ ↓ ↓ 多夜須満路
↓ ふかず たりはじめよろずいし
↓ 附加事 足 肇 夜路図意思
便 語→ビゴ
↓ 卑
備互=(毘・美・火・日・薇・微・・彌
鼻・琵・媚・眉・梶=尾語(弥)
↓
(古・景・山・曜・苑・光・ 呼・腔・琶・態・毛・取)
↓
毘(田+比)・琵(王+王+比)琶(王+王+巴)・眉(巴+目)
梶(木+尾)→きび→黍・機微・驥尾・記備→吉備
→かじ=化字・加地
張(弓+長)→弓矢の長、伴う鞆(とも)
革+丙→カクヘイ→(改)革兵
↓
かわ ひのえ→化話の比の江
渦輪 ヒ(匙・七)の柄→天体図の目数
七→牝・雌・♀(金星記号)
メス→手術用執刀小刀
↓
「西(酉)=長崎=諌早=七赤・金星・少女」
九星学=鬼(気)門遁甲
七→北斗七星
「宝永七年(1710年・庚寅)」
↓
ホウエイシチネン→訪英志知念・訪英(七年=漆年→失念)
「水野家」から
「阿部(正邦)家」の領地となったところで、
↓
正邦=セイホウ→西方・栖鳳・正方・制法
ただしくに→忠国→正鵠
ただすくに→糺(糾・質)す句似(句字・句辞)
江戸城の詰め所は
「帝鑑の間」
↓
帝の
鑑(かがみ・加々見・加賀見・各務)=歴史の
鑑(金+監)→近刊・金柑・金管・金冠
間(カン→巻・奸・姦・翰)
(あいだ→合拿)
(ま→眞・間・磨・魔・摩)
間(門+日)→もんひ→文比・聞比・悶彼・問秘
岡山県
笠岡市→「笠」の音ヨミは「リュウ」
「横島」がある・・・
阿蘇山、熊本、玉名、ヨコシマに
登場したのは
「阿毎王朝(隋書の煬帝の随処)」と
↓
「卷八十一 列傳第四十六 東夷俀國」
「大業三年(607年丁卯)」
皇帝(煬帝=楊広)激怒
「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」の文言
「裴世清」、
「小野妹子=蘇因高→素咽喉→音声、発声の本(もと)」
子供に「毛人・広人」
↓ ↓ ↓
↓ 蝦夷・煬帝=楊広は文帝楊堅の次男、名は広
↓ 母は独孤伽羅
↓ 王子時代は北方の「晋王」
↓ 腹心に「楊素」と「張衡」
「日本書紀(巻第弐拾弐・22)」には、
「十五年…秋 七月戊申朔庚戌
大禮
小野臣妹子(冠位大徳冠)→中国の冠位十二階の大禮(示+豊)
(蘇因高)
の
遣於大唐
以
鞍作福利、・・・鞍(革安)作の福利・・・福利厚生?
鞍作=鞍作 止利(鳥)
鞍作=鞍作 太郎=蘇我入鹿=林太郎
鞍作=鞍作の子供=イマヌエル・カント
馬具職人の四男
1764年
『美と崇高との感情性に関する観察』出版
鞍作 =皮安作・かわやすつくる
臓(月蔵)カワヤス作=秦河安(秦河勝)
虫を「常世神」として崇める集団を討伐
為通事」
↓
開皇二十年(600年・庚申・推古天皇八年)
倭王
姓
阿毎→アマイ・アブ→阿武・アベ→阿部
則天武后 阿毎王朝(肥後・阿蘇山麓)
俀王姓阿毎 字 多利思北孤
アマイ 號 阿輩雞彌
アマイ 阿波(安房・安和)
の君・掲備
字
多利思(北)比孤
號
阿輩雞(鷄)彌・・・雞=鶏=鵻・・・推古?
遣使詣闕。
上令所司
訪其風俗。
使者言
倭王
以天為兄⇔兄=億計天皇・大石尊・意祁命・仁賢天皇
意富祁王(おほけのみこ)
諱は大脚(おおし)・・・?
以日為弟⇔弟=弘計天皇・来目稚子・袁祁之石巣別命・顕宗天皇
袁祁王(をけのみこ)・・・?
天
未明時出
聽政
跏趺坐
日出
便停理務
云委我弟。
高祖曰
「此太無義理」・・・此(これ)、
太(おほの)に
義の理が無い?
於是
訓令・・・訓(倭語・和語・日本語)での令
令=いいつけ・命じる
のり・きまり・おきて
訓令=上級行政機関が
下級行政機関の権限行使について
指揮、命令
令=おさ・長官・よい・りっぱな
他人の親族に対する敬称
令室・令嬢
改之。・・・之を改(あらためる)
王妻
號
雞(鷄)彌
後宮
有
女六七百人。
名
太子為
利歌彌多弗利。
ーーーーー
「推古天皇、五年(607年丁卯)
鞍作福利と隋王朝、大唐に渡る」
↓
鞍作太郎=蘇我蝦夷の子、蘇我入鹿
鞍作止利(鳥)は「司馬達等」の孫、
「鞍部多須奈」の子
子供は「福利・人足・眞枝」
法隆寺の釈迦三尊像を制作。
制作様式は
杏仁形の眼
アルカイックスマイルの微笑
↓
「仁」とは種子(シュシ)
趣旨・主旨・諏詞・修史・終始
↓
↓三輪氏の祖→三輪山の祭神は「蛇」
たね→意富多-多泥古(古事記)
大田-田根子(日本書紀)
大直-禰子(大神神社大和一宮、
真清田神社尾張一宮)
大田-田根子
(兵庫県美方(みかた)郡
多他神社 観方
(美方郡は
明治に出来た郡名
太 安萬侶
おほ たた ねこ
意富 多多 泥古→意は富で多音の呼
いとみタタ ねコ
意斗見 多、他音呼→多=(夕+夕)
夕暮れ・黄昏
いとみタタ どろ いにしへ
意図見、タのタ、太の度路、異西辺
汰・うず→渦
杏 仁形の眼
↓
キョウニン→漢語音
「杏(あんず)、杏子」の種
あんにん→唐語音
「銀杏・アーモンド」の種(禾重)
喘息の治療薬→苦み強い「苦杏仁」
薬膳、嗜好食品→苦み弱の「甜杏仁」
「杏仁」=アンジン
三浦按 針=ウイリアム・アダムス
「日出処天子」とは、
「聖徳太子」らしいのだが・・・?
・・・別名、異称もどっさり、多くある。「十二個」も・・・?
↓
「厩戸皇子」、
厩(キュウ)=厂(がんだれ)+既(艮の牙)→うまやど→午宿
九・球 Lの逆字・元誰 キ・昏の解 宇摩夜斗
「厩戸王」、
戸(とだれ・と・へ・コ)=一+尸(屍・シ・形代→潟代)
頭誰 都 辺 胡 肇 史 示華場音 兄弟
位地 視 氏 臣 ↓
来目皇子・組め往時・往事
真人=大海人皇子 久米・久留米・包め
「上宮王」、
上(うえ・かみ・ジョウ)
上=ト(うらなう・ボク)+一(壱・イチ・はじめ)
占う
馬宿宮
「豊聡耳」、
豊(とよ・ホウ)=曲(くせ・よこしま・くま・キョク)
+ 横島・邪 熊 極
豆(まめ・トウ・ズ)
間女 島 頭
「上宮之厩戸豊聡耳命」
聡(さとし・ソウ)=耳+ハ+ム+心
訓 双 字 葉 務 個々賂
「法主王」、
法(のり・おきて・きまり・ノリ)=氵+十+一+ム→ノリ=海苔
沖出 記眞理 水 足 武 典・憲・法
「豊耳聡聖」、
聖(ひじり・セイ)=耳+口+王
比字理 姓 時 候 追
「徳豊聡耳法大王」
徳(トク)=彳+ナ+罒+心=悳=直(ナ目L)+心→L=乙
解 行 人 編 名阿見 個々賂
「上宮太子聖徳皇」、
太(うず・おほ・タイ)=一+人+ゝ
太秦 尾補 他意・対 壱の人は天・点・店・転
手務→織姫
「厩戸豊聰耳聖徳法王」
耳=みみ・ジ
みみ→見観・身診・実味・巳未・三視
壬看→水野(美津濃)の看護
ジ→辞・字・時・児・時・地・璽・次・自
そして、
「阿部」である・・・そして、「阿部正邦」である・・・
「阿部の姓」→「阿部御主人」の祖、
「日本書紀」には元「布施」であった、とある。
・・・「乞食(こじき)」や「坊主」に
施すコトを「布施」と言うが、
犬に「伏せ」と命令コトバや、
漢字に「ルビ」を「附せ」と言うことは
カタ仮名や平仮名である。
「病気」になった時は「臥せ」である。
ーーーーー
・・・???・・・
| 古事記字源 ・・・前回、「マリア・カラス(Maria Callas, ギリシア語: Μαρία Κάλλας, 1923年12月2日~1977年9月16日)」さんの「命式」を書き込んで、北海道(北加伊道・蝦夷地)の「美唄市」の地名をアイヌ語の「ピパィ=カラス貝の川」、「ピパオマナィ=カラス貝・ある・川)」、「ピパオィ=カラス貝・多い・所」・・・「美しい(うつくしい)=カロス・カラス=καλος ・ギリシャ語」と漢字の美声を「美唄(口+貝)」が重なった、だなんって・・・???・・・「マリア・カラス」はニューヨーク生まれだった・・・日本時間では「1923年12月3日」かも・・・ 北緯40度42分46秒 西経74度00分22秒 2018年07月19日 10時06分 (日本) 2018年07月18日 21時04分 (紐育) ↓↑ マリア・カラス 出生名 Sophia Cecelia Kalos 本名は Maria Anna Sofia Cecilia Kalogeropoulos ニューヨーク市(New York City)生まれ 生誕 1923年12月2日 死没 1977年9月16日(53歳没) フランス パリ ーーーーー 1923年12月2日 ~1977年9月16日) 癸亥(戊・甲・壬)⇔丁巳(戊・庚・丙) 癸亥(戊・甲・壬)⇔己酉(庚・ ・辛) 己酉(庚・ ・辛)⇔丙子(壬・ ・癸) 寅卯=空亡 ↓↑ ニューヨークとの時差は-14時間 1923年12月3日 ~1977年9月16日)…54 癸亥(戊・甲・壬)⇔丁巳(戊・庚・丙) 癸亥(戊・甲・壬)⇔己酉(庚・ ・辛) 庚戌(辛・丁・戊)⇔丙子(壬・ ・癸) 魁罡(庚辰・庚戌・壬辰・戊戌) ↓↑ 寅卯=空亡 大運 戊辰(乙・癸・戊)偏印 ーーーーー
ーーーーー 官職名 日向守 ↓↑ 安倍黒麻呂 761年(天平宝字5年)頃 藤原広嗣の乱における 広嗣捕縛(740年(天平12年)の功をひくもの・・・ ↓↑ 大津大浦、天平神護元年(765年)任官、左遷人事 生年不詳 - 宝亀6年5月17日(775年6月19日) 奈良時代の陰陽家 姓は連、次いで宿禰、のち連 官位は従四位上・陰陽頭 ↓↑ 大津氏(大津造、大津連) 摂津国を根拠とする一族 氏の名は 難波大津の名称に因む 一説では毛野氏の一族とされ 和銅七年(714年) 大津意毗登 が占術を用い 還俗を許され叙爵 代々陰陽家を務めた 藤原仲麻呂に信頼され 事の吉兆を占っていた 大浦は仲麻呂の意向が 反逆の謀計に及んでいることを知り 災いが自身に降りかかることを恐れ 朝廷に密告 天平宝字8年(764年)9月 藤原仲麻呂の乱 正七位上から従四位上へ一挙に10階昇進 連姓から宿禰姓への改姓を許され 左兵衛佐兼美作守に任ぜられた ↓↑ 天平神護元年(765年)3月 藤原仲麻呂の乱で功績のあった 和気王と共に功田を与えられた 同年8月 和気王の謀反が発生 和気王と親しく交際して連座 兵部大輔から 日向守に左遷 位封を剥奪 姓も連に戻された 神護景雲元年(767年) 日向員外介の官職を解任の上 所持する天文や陰陽などの書物も没収 宝亀元年(770年) 罪を赦されて帰京 宝亀二年(771年)陰陽頭に任ぜられ 宝亀五年(775年) 安芸守を兼ねた 宝亀六年(775年)5月17日 卒去 最終官位は従四位上陰陽頭兼安芸守 ↓↑ 大江 玉淵(おおえ の たまふち) 大江音人の子・・・音の人? 大江朝綱の父 歌人の遊女・白女を女(むすめ。養女)とした ↓↑ 兵部少丞などを経 仁和二年(886年) 従五位下に叙され 式部大丞から 日向守に転じた 息子の 朝綱の参議任官について記した 『公卿補任』 天暦七年(953年)条に 朝綱を「従四位下玉淵男」と記録 従四位下に叙されていた・・・ ↓↑ 大江 音人(おおえ の おとんど・おとひと) 弘仁二年(811年)~元慶元年11月3日(877年12月15日) 貴族・学者 備中権介 大枝本主の嫡男 大枝諸上の孫 官位は従三位・参議 江相公と号 ↓↑ 百済俊哲 宝亀六年(775年) 鎮守将軍 大伴駿河麻呂らに従って 陸奥国で叛乱を起こし 桃生城に 侵攻した夷俘を鎮圧・服従させ 百済俊哲は 勲六等の叙勲を受ける 宝亀九年(778年) 蝦夷征討に軍功 勲五等に叙せられた 宝亀十一年(780年)3月 宝亀の乱 従五位下 4月 従五位上と昇進し 6月には反乱鎮圧のために 鎮守将軍 藤原小黒麻呂の配下として 陸奥鎮守副将軍に任ぜられた 12月に陸奥国の桃生・白河などの 郡の神 十一社を官幣社に加えるように 朝廷に申請、許可 天応元年(781年) 正五位上 勲四等の叙勲 ↓↑ 延暦六年(787年) 日向権介に左遷 延暦九年(790年) 赦免され入京を許される 免罪の理由 武官としての才が惜しまれ 百済王氏を 外戚とする詔が出され 同氏への待遇の上昇のため・・・ 延暦十年(791年)正月 蝦夷征討を目的に 坂上田村麻呂 とともに東海道に派遣 下野守に任ぜられ 征夷副使 陸奥鎮守将軍 を兼ねた 延暦十四年(795年)8月7日 卒去 最終官位は 従四位下 陸奥鎮守将軍兼下野守 ↓↑ 日向掾・権掾 藤原乙縄 757年(天平宝字元年) 任官、左遷人事 ↓↑ 武家官位としての 日向守 ↓↑ 江戸時代以前 蒲池武久 三好長逸 飯森盛春 明智光秀 1575年(天正三年)任官 ↓↑ 江戸時代 水野家宗家(備後福山藩・下総結城藩藩主) 水野勝成:初代藩主 鬼日向=水野勝成・・・ ↓↑ 日向介・権介 伊勢 亀山藩 石川家 石川総純:第三代藩主 石川総博:第四代藩主 石川総紀:第八代藩主 石川成之:第十一代藩主 ーー↓↑ーー 「杉田伯元」は 『青地林宗』と共に幕府の翻訳係となった・・・ 『青地林宗』の娘は 「高野長英」の「妻」・・・ ーー↓↑ーー 「まくらことば=真蔵言葉・磨句・言葉」 が 「麻倉言葉(朝倉子渡場=越前一乗谷)」 なら 「朝倉氏(景長)」・・・朝倉景長・・・越前朝倉の血統? は 「享保六年」に 「白石」の息子 「明卿」に娘を嫁がせた 「婿筋」である。 「白石」の娘 「べん(宝永三年生)」は 「享保八年」に 「書院番士」の 「石谷清寅」に嫁いだ・・・ ーー↓↑ーー 備中国 猿掛山城の城下は、 草壁(くさかべ)庄と言う場所 備中国 草壁庄 猿掛山城跡・・・ 備前長船勝光、宗光の片手打ちの 合作刀 その茎(なかご)に 「備中 草壁」と文字・・・ ↓↑ 日向正宗=相州正宗作の短刀 所持した 水野日向守勝成の官銘に因み 日向正宗と呼ばれ 紀州徳川家に伝来・・・ 保管先 三井記念美術館 日向(堅田)正宗 長八寸二分の短刀 石田治部少輔所持 水野日向守、分捕 ↓↑ 石田三成が所持し 三成から妹婿の 豊後国府内城(荷揚城)主 福原長堯へ譲られ 大垣城攻防、落城の際 長堯から 水野勝成(鬼日向)が分捕った・・・短刀 ↓↑ 朝倉市(あさくらし) 福岡県の中南部、筑後地域に位置 福岡県の中央部、福岡市の南東約40km、 久留米市・・・来目皇子 の北東約20kmに位置 ↓↑ 隣接している市町村 福岡県 久留米市 うきは市 的邑(いくはのむら) →生葉郡→浮羽郡→うきは市と変遷 嘉麻市 朝倉郡筑前町・東峰村 三井郡大刀洗町 大分県 日田市 ↓↑ 鎌倉時代 1203年(建仁三年) 原田種雄(たねかつ) が幕府より 秋月庄を賜り 秋月城を築城 以降 原田氏は 秋月氏を名乗り 以後 十七代にわたって統治 1587年(天正十五年) 豊臣秀吉の軍勢に敗れ 秋月氏は 日向国 高鍋に移封 ↓↑ 江戸時代 1623年(元和九年) 福岡藩を統治していた 黒田長政の遺言により 長政の三男 黒田長興 が秋月に五万石で分封され 秋月藩が成立 以後は 黒田氏による統治 廃藩置県により 秋月県が誕生 県庁所在地となったが 福岡県に統合 1876年10月24日 熊本藩で起きた 神風連の乱に呼応し 10月27日 秋月の乱 ↓↑ 朝倉橘広庭宮 (あさくらのたちばなのひろにわのみや) 斉明天皇が営んだ宮殿 ↓↑ 斉明天皇は 百済救援の為 中大兄皇子(天智天皇) 大海人皇子(天武天皇)? ら文武百官を従えて 難波の港から海路 筑紫に向かい 661(斉明七年)年1月14日 四国の 石湯行宮に到着 3月25日 博多 娜大津(なのおおつ=福岡市南区)に至り 磐瀬行宮(いわせのかりみや)に坐し 5月9日 朝倉橘広庭宮に遷られた 滞在75日 7月24日 御年68歳で崩御 ↓↑ 難波の宮 →伊予の石湯(いわゆ)行宮 →筑紫の磐瀬(いわせ)行宮 →朝倉橘広庭(あさくらのたちばなのひろにわ)宮 ↓↑ 「是夕於朝倉山上有鬼、着大笠臨喪儀、衆皆嗟怪」 鬼室福新・・・? ↓↑ 鬼室 福信・・・ナゼ、鬼の室の福の信なのか? (キシツ フクシン・?~663年)・・・医者? ↓↑ 百済の王族・将軍 義慈王の父である 第三十代 武王(余璋)の甥 官位は 恩率(三品官) 佐平(一品官) 鬼室氏の祖 ↓↑ 死没 2か月後 白村江の戦い(663年) で倭国と百済の連合軍が大敗 ↓↑ 鬼室福信=扶余福信 ↓↑ 義慈王時代 660年 唐と新羅の連合軍によって 百済滅亡後 旧臣らを糾合して抵抗運動を続け 百済の故都である 泗沘城(忠清南道-扶余郡)の奪還を試みた 義慈王の王子であった 余豊璋 は 倭国との同盟の人質で倭国に滞留 鬼室福信ら遺臣は 百済復興の旗印として 豊璋の帰国と、倭国の軍事支援を求めた ↓↑ 斉明天皇・中大兄皇子は了承し 百済復興を支援することとし 翌年正月には 斉明天皇自ら、筑紫へ遠征 ↓↑ 『百済本紀』 『旧唐書百済伝』 『三国史記』28巻百済本紀 『旧唐書』199巻上百済伝 では 豊璋は 662年5月に入国 鬼室福信は 王を迎えに出て 国政をみな委ねた 倭国は 鬼室福信あてに軍需物資を送り 鬼室福信も 唐人の捕虜 続守言・・・続け守る言(ことば) らを倭国に送った 7月 扶余豊(扶余豊璋)は 鬼室福信が 自分を殺そうとしていると疑い 鬼室福信を殺した ↓↑ 『日本書紀』 663年6月 百済王 豊璋は 鬼室福信の謀反を疑って捕らえ その掌を穿って革紐で縛り 諸臣に対して 福信を斬るべきかと問い 達率(二品官)の 徳執得は 「これは悪逆人であるから 放しおくわけにはいかない」 と答え 鬼室福信は 執得に唾して罵った 王は 鬼室福信を斬らせ その首を 塩漬けにした・・・塩漬けにされたのは「高橋景保」も? ↓↑ 鬼室福信の近親者 ↓↑ 鬼室集斯は 天智四(665年)年二月 (即位元年起算よると天智十年正月) 鬼室福信の功績で 小錦下の位階を与えられ 百済の民男女四百余名と 近江国 神前郡に住居を与えた 天智八年(669年) 男女七百余名とともに 近江国蒲生郡に移住 ↓↑ 鬼室福信は 660年 黒歯常之 僧道琛(どうちん) 等とともに 任存城(大興)で挙兵 旧都 泗沘(しひ)城(扶余)奪回を図った 同年 日本の朝廷へ救援軍の派遣 人質の王子 豊璋の送還を要請 661年8~9月 救援軍が派遣 豊璋と軍需物資は 周留城(錦江下流域)に拠った 鬼室福信のもとへ送り届けられた ↓↑ 鬼室集信(キシツ シュウシン) 百済の官吏 鬼室福信の一族 鬼室集斯(キシツ シュウシ) らとともに来日 近江(滋賀県) 蒲生(がもう)郡に居住・・・ 医薬に精通し 天智天皇十年(671年) 大山下(ダイセンゲ)の位を賜った ↓↑ 続守言(ショク-シュゲン) 渡来人 唐人 百済と唐・新羅との戦闘で百済軍に捕らえられ 天智天皇二年(663)ごろに日本に連行 中国語教授の音博士として活動 持統天皇から銀、田などをあたえられた ↓↑ 7世紀後半来日した中国人 斎明六(660)年 百済滅亡後 唐、新羅に抵抗する 百済の遺臣 鬼室福信の捕虜となり 日本に 連行、献上された 『日本書紀・斎明七年条』 鬼室福信が捕虜とした 続守言 らが筑紫に至った 天智二(663)年条 福信が 唐の俘虜 続守言を上送したと記録 彼は 朝廷に仕え 持統三(689)年 稲を賜り 音博士として 中国語の発音を教授し 五年に銀 六年に水田 を賜った ↓↑ 薩弘恪(サツ-コウカク) 斉明朝に 日本におくられた唐人 音博士 続守言(ショク-シュゲン) とともに 持統天皇三689)年、五、六年に賞されている 文武天皇四年 大宝律令撰定の功で禄をあたえられた ↓↑ 持統三(689)年六月 薩弘恪は 唐人の 続守言と共に稲を賜った 同五年九月 ふたりは銀二十両を賜った 翌年十二月 水田四町を与えられた 刑部親王(忍壁皇子) 藤原不比等 らと共に 大宝律令の編纂 令の選定終了に伴い 文武四(700)年六月 禄を賜って 位階は勤大壱 ↓↑ 「朝倉山」は 恵蘇八幡宮の東方に位置する 麻底良山(まてらさん)のこと ↓↑ 雄略天皇の泊瀬朝倉宮 第二十一代 雄略天皇の宮跡 万葉集 開巻第一の歌が有名 脇本付近は発掘調査で建物遺構も出土 ↓↑ 福岡県 朝倉市 三連水車のある町 1878年(明治十一年) 行政区画として発足した郡域に 日向石村 ↓↑ 豊臣秀吉の九州征伐に伴う戦の結果 秀吉に敗れた 秋月種実は 日向高鍋3万石に領地替え ↓↑ 日向石(旧上秋月村) ↓↑ 秋月城下町 鎌倉時代(1203年) 原田(秋月)種雄 がこの地に配されてから 戦国末に 秋月種実・種長父子が 秀吉によって 日向高鍋に移されるまで 16代約400年間 秋月氏の本拠地 ↓↑ 多奈神社 朝倉郡 上秋月村 大字 日向石・・・「日向の石」は「朝倉」にあった・・・ 字田中河原 金刀比羅神社 朝倉郡 上秋月村 大字 日向石 ↓↑ 甘木山 安長寺 ーーーーー
ーーーーー
・・・・???・・・
古事記字源
・・・7/17/19:50・・・「海の声」・・・「島津亜矢」さん、何を歌っても「美唄」な歌唱力・・・アイヌ語の「ピパィ=カラス貝の川」、「ピパオマナィ=カラス貝・ある・川)」、「ピパオィ=カラス貝・多い・所」・・・「マリア・カラス(Maria Callas, ギリシア語: Μαρία Κάλλας, 1923年12月2日~1977年9月16日)」・・・「美しい(うつくしい)のギリシャ語、カロス・カラス=καλος ・ギリシャ語」・・・美声を「美唄(口+貝)」だなんって、漢字を当てた命名者はギリシャ語も堪能だったカモ・・・
1923年12月2日 ~1977年9月16日)
癸亥(戊・甲・壬)⇔丁巳(戊・庚・丙)
癸亥(戊・甲・壬)⇔己酉(庚・ ・辛)
己酉(庚・ ・辛)⇔丙子(壬・ ・癸)
寅卯=空亡
ーーーーー
「朝三暮四」って?・・・「トランプ・17日、2016年の米大統領選にロシアが介入したとする米情報機関の捜査結果を受け入れると述べた。ロシアのプーチン大統領と行った16日の記者会見では、米情報機関よりプーチン氏を信じるような発言をしたが、言い間違いだったと釈明。共和党など足元から批判を受け、わずか1日で発言を軌道修正」・・・?・・・コロコロと変わるが、ウソの上塗り、言い訳の「某国政府」よりはマヒか?・・・マシ・・・
「トランプはホワイトハウスで議会幹部と会談。当初は非公開の予定だったが、急遽、冒頭部分を公開」し、「米情報機関を全面的に信頼している」と強調。「2016年の選挙にロシアが介入したという情報機関の結論を受け入れる」と語った・・・
トランプとプーチン
フィンランドの首都
ヘルシンキで
16日に会談
会談後の記者会見で米露の関係改善をアピール
敵はロシアではなく、ナトウ・・・
米大統領選への介入を否定するプーチンに
トランプは異議を唱えず
米国の情報機関(CIA)よりも
ロシアの主張を信じる・・・?
イラク情報は「捏造されたインテリジェンス=偽情報」・・・
・・・戦争仕掛け目的で(味方に?)流す謀略情報・・・
「意図的な偽の情報=謀略情報・流言飛語・デマ・流言・流言蜚語」
で
「誤った情報・誤報」ではない「fake news=がせねた」・・・
「誤報」ならば後で言い訳出来るのか?
「フェイク (Fake)・偽物」・・・「米国大統領選に関する「ロシア疑惑」を捜査してきた米国の特別検察官は7月13日、ロシア軍の情報機関要員12人を新たに起訴した。いずれも、2016年の米国大統領選キャンペーンに不正に介入したという罪状」・・・
「政治的な目的で、意図的に流す扇動的かつ虚偽の情報」・・・
「Demagogi・demagogy・Demagogie」・・・
にせもの・模造品・まやかし・・・
フェイクファー(fake fur)=合成繊維を使った模造毛皮
アメリカンフットボールで、意図しているプレーや動作を
相手に見破られないように行うトリックプレー・・・
ジャズの即興演奏・・・ad lib・・・?
ーーーーー
遺跡が残されるのは
水害での土砂に埋もれる
噴火での火砕流、熔岩、火山灰で埋もれる
地層や年輪からも当時の現実、実情が「推測」が出来る・・・
リュウグウの採石から宇宙の歴史が推測出来る・・・?
↓↑
・・・事実は銘文文字の中にも埋もれる・・・?
・・・オモイもコトバの音中にもウズもれる・・・?
↓↑
安康天皇が、
大草香(大日下)皇子の遺子の
眉輪(目弱)王に暗殺
大泊瀬(長谷)皇子は、
兄弟や
従兄弟を殺害し、
雄略天皇に就任
↓↑
父の
市辺押磐皇子・・・市(亠巾)の辺(あたり)の押磐(磐を押す)
亠の巾=音のハバ
を殺された
億計、・・・億(人の意)を計る
弘計・・・・弘(弓のム)を計る
・・・ム=私・よこしま・曲がった腕、肘の形象
の兄弟の皇子は、
日下部連使主と
息子の
日下部
吾田彦・・・・・・・吾(我・私)田(狩・田圃)彦(比古)
に連れられて、
丹波の・・・・・・・丹羽・丹葉・丹場・但馬・萱場
足んば?
=京都府中部と兵庫県中東部に相当
兵庫県中東部の市
日本海側斜面と瀬戸内海側斜面を分け
氷上(ひかみ)地区の
石生(いそう)は日本で一番低い分水界
太平洋に注ぐ加古川と
日本海に注ぐ竹田川
(下流で由良川に合流)の源流域
与謝郡に逃げ、
更に
志染(しじみ)の
石室から、
志染の天領に向かった
日下部連使主は、
荷物を焼却し、
綱を切って馬を逃がし、
志染の石室で縊死
二皇子(億計・弘計)と
日下部吾田彦は、
身分を隠し、
志染
天領の長の
忍海部造-細目
(おしぬみべのみやつこ-ほそめ)
の屋敷で、
牛馬の世話などの
使用人になっていた
細目の屋敷の新築祝いで
新嘗祭の供物を集めに来ていた
播磨国司の
伊予
来目部-小楯・・・来目=くめ=久米=組め=来米=くるめ=久留米
(いよの
くめべ-おだて)も、
この宴に招かれ
小楯は、
兄弟に踊れと命じ
弟王は、
舞い歌いながら
身分を明かした
驚いた小楯は、
2人(億計・弘計)を
大和に連れてもどった
弟が即位して
顕宗天皇になり、
兄もその後、即位
仁腎天皇になった
小楯は、
その功績により、
吉備臣(きびのおみ)を副官とする
山守部の長官に任命され、
山部連(やまべのむらじ)
を名乗った
(記紀・播磨風土記・先代旧事本紀)
↓↑
第十六代
仁徳天皇は、・・・大雀命(おほさざきのみこと・古事記)
大鷦鷯尊(おほさざきのみこと・書記)
大鷦鷯天皇(おほさざきのすめらみこと)
皇后=磐之媛
日下部一族を
大草香(日下)皇子
と
草香(日下)幡梭姫皇女
の近侍に定めた
皇后の近侍の
日下部が
二皇子(億計・弘計)を逃がした
↓↑
丹後国風土記によると
浦島太郎伝説が・・・書いたのは「高橋虫麻呂」
高橋=膳部(かしわでべ)
膳臣(かしわでのおみ)=孝元天皇の皇子
大彦命(おほひこのみこと)
阿倍臣の祖の孫
磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)が
バンロクリクガンメイ
景行天皇に堅魚(かつお)と蛤(はまぐり)を
調進、嘉賞
膳部の統領に任命されたのが起源
丹波与謝郡にあり、
日下部はその子孫・・・
↓↑
日下部連使主は逃亡の際、
この縁故を頼った
日下部は、
第九代
開化天皇の子、・・・開化=文明開化=明治?
孝元天皇七年~開化天皇六十年四月九日)
孝元=十一ノ一了二儿
和風諡号
稚日本根子彦 大日日・・・ネコ=猫
(わかやまとねこひこおおひひ)
若 倭 根子日子大 毘毘命
彦坐命・・・・・・・ひこ=彦根・肥後?
(ひこいますのみこと)
の子孫
彦坐命の子に
四道将軍の一人、
丹波道主命
彦坐命は、
丹波に縁
日子坐王
(ひこいますのきみ)
(丹後風土記)
↓↑
日下部は、
日向の
海部と関係・・・
浦島太郎・・・・億計(おほけ)=大石尊(おほしのみこと)
=意富祁王
=意祁命
大脚(おほし)・大為(おほす)
字は嶋郎(しまのいらつこ)=浦島太郎
↓↑
において、
海亀が・・・・・・潜水艦?・鉄甲船・亀甲船(キッコウセン)?
若狭湾にいる・・・
↓↑
日向の・・・福岡の朝倉市に日向石の地名あり
日向土(ボラ土)=軽石・・・珂瑠
軽 皇子・・・孝徳天皇
軽 =軽戦車
珂瑠皇子・・・文武天皇
珂瑠=白瑪瑙
日下部が
丹波・・・・越前に朝倉氏
までやって来た・・・逆は越前の日下部が朝倉へ・・・来た?
縄文時代から日本列島内の交易は遠近頻繁だった・・・
↓↑
弘計(をおけ)=来目稚子(くめのわくご)=袁祁王
袁祁之石巣別命・袁奚
石巣別=砕石の採石の場所
・・・イシス=石州・・・石出・岩手
イシス=エジプトの女神・オシリスの妻
ホルスの母
頤使す=イシす=頤指す・頤使す
来目皇子(くめのみこ)
?~推古天皇十一年二月四日(603年3月25日)
久米王とも
父は用明天皇
母は穴穂部間人皇女
聖徳太子は同母兄
億計(おほけ)=大石尊(おほしのみこと)=意富祁王
意祁命・大脚(おほし)・大為(おほす)
字は嶋郎(しまのいらつこ)
↓↑
・・・朝倉⇔日下部庄・・・朝倉市=福岡⇔長門(穴戸⇔宍戸?)
越前朝倉氏
但馬国を拠点とした豪族
越前国を拠点とし
戦国大名となった
本姓 日下部氏・・・日下部
家祖 朝倉宗高
種別 武家
出身地 但馬国 養父郡 朝倉
根拠地 但馬国
越前国
著名人物
朝倉孝景
朝倉宗滴
朝倉義景
支流、分家
八木氏(武家)
越前 朝倉氏(武家)
土佐 朝倉氏(武家)
溝江氏(武家)
↓↑
朝倉市=福岡県の中南部
筑後地域に位置する市
日下部は
彦坐命の子孫・・・
↓↑
↓↑
日下部は、
上総(かずさ)、大和、播磨、日向
など大和朝廷と関係の深い地域に居住
↓↑
孝徳天皇
第三十六代天皇
在位期間
645年7月12日~654年11月24日
元号 大化
白雉
先代 皇極天皇
次代 斉明天皇(皇極天皇重祚)
誕生 596年
崩御 654年11月24日
陵所 大阪磯長陵(大坂磯長陵)
諱 軽(かる)
別称 天万豊日天皇
父親 茅渟王
母親 吉備姫王
皇后 間人皇女
子女 有間皇子
皇居 難波宮
↓↑
敏達天皇の孫
押坂彦人大兄皇子の
王子
茅渟王の長男
↓↑
母は
欽明天皇の孫で
桜井皇子の王女、吉備姫王
皇極天皇(斉明天皇)の
同母弟
↓↑
天智天皇(中大兄皇子)
間人皇女
天武天皇(大海人皇子)
の叔父
↓↑
姪の間人皇女は皇后
↓↑
阿倍倉梯麻呂(阿倍内麻呂)の娘の
小足媛を妃とし
有間皇子を儲けた
↓↑
蘇我倉山田石川麻呂の娘の
乳娘(ちのいらつめ)を妃とした
↓↑
大化四年(648年)
新羅が使を遣わして調を貢じた。
磐舟柵を治めて蝦夷に備え
越と信濃の民を選んで
初めて柵戸を置いた
↓↑
大化五年(649年)
高向玄理
釈僧旻
に命じて
八省百官を置いた
3月17日
阿倍倉梯麻呂が死亡
天皇は
朱雀門に出て哀哭し、嘆いた
3月24日
蘇我日向が・・・・なぜ、日向なのか?
皇太子(中大兄)に
蘇我倉山田石川麻呂を讒言
天皇が軍兵を起こし、
石川麻呂は逃げた
3月25日
蘇我倉山田石川麻呂が自殺
3月26日
追討軍が
蘇我倉山田石川麻呂の首を斬った
4月20日
巨勢徳陀古を左大臣
大伴長徳を右大臣
5月1日
三輪色夫
掃部角麻呂
を新羅に遣わした
新羅が
金多遂・・・・・・・・・金の多を遂(とげる)?
を遣わして人質にした
大化六年(650年)
2月9日
穴戸国司の
草壁醜経・・・・・・・・草壁の醜経(くさかべ の しこぶ)
醜経(酉鬼糸又十一)
が白い雉を献じた
白雉元年(650年)
2月15日
白雉を観る儀式を行い、
しろきじ=代記事(生地・木地・喜字・起辞・奇事)?
大赦し、
白雉(ハクチ・しろきじ)と改元
穴戸国・・・長門国一帯の古名
に鷹(ヨウ・たか)を
放つことを禁じ
同国の調(税)を3年間免除・・・
4月
新羅が使を遣わして調を貢いだ
10月
宮地にするために
墓を壊されたり
家を遷されたりした人に物を与え
荒田井比羅夫・・・・・・荒田井の比羅夫?
に宮の堺の標を建てさせた。
山口大口
が詔を受けて千仏の像を刻んだ
安芸国に
百済舶2隻を造らせた・・・百済舶?・・・なぜ、百済の船なのか?
↓↑
粟田細目
推古天皇十九年(611)大和(奈良県)
菟田野(うだの)でおこなわれた
薬猟(くすりがり=鹿狩りの角を薬とする)の責任者
粟田細目
「息長足日広額天皇
(おきながたらしひろぬか の すめらみこと=舒明天皇)の
喪(みも)を発(おこ)す・・・
小徳粟田臣細目(あはた の おみ ほそめ)
軽皇子に代(かは)りて誄(しのびごとまう)す」
細目(ほそめ・サイモク)は、
播磨風土記では、
「伊等尾(いとみ)」となっている・・・伊=等=尾
意図は尾張?
新羅から連れて来られた・・・?
製鉄鍛冶職人達が
大和に住み、
それが
全国に散らばって技術を伝えた
忍海部もその一
細目の館跡がある
木幡の近くの
帝釈山には、
水銀を含有する
赤土(丹)がある
↓↑
億計・弘計
二皇子の父の
市辺忍歯別王、
叔母の
飯豊青皇女
(いいどよあおのひめみこ)
の
母の
黒姫が葛城氏
↓↑
神功皇后の治世に
葛城氏始祖の
葛城襲津彦
(かずらきのそつひこ)
が新羅から連れ帰った捕虜に
忍海漢人(おしみのあやひと)=新羅人?
も含まれ
これらの人々を
葛城氏の領土の一部に住まわせていた
飯豊青皇女は、
この忍海漢人の居住地にある
角刺宮・・・・・・・・・・・つのさし
(つぬさしのみや)に住み、
忍海郎女
(おしぬみのいらつめ)
とも呼ばれた
↓↑
市辺忍歯別王(いちのへのおしはのみこ)の妻(荑媛)
二皇子(億計=おけ・ 弘計=をけ)の
母(荑媛)
↓↑
蟻臣(ありのおみ)・・・蟻=中ム義(羊我)
葦田宿禰(あしだのすくね)の子
娘は荑媛(はえひめ)で
市辺押磐(いちのべのおしはの)皇子の妃
億計(おけ)王(第24代・仁賢天皇)
在位・仁賢天皇元年1月5日~同11年8月8日
弘計(おけ)王(第23代・顕宗天皇)
在位・顕宗天皇元年1月1日~同3年4月25日
をふくむ3男2女を生んだ
↓↑
弘計(をおけ)=来目稚子(くめのわくご)=袁祁王
袁祁之石巣別命・袁奚
億計(おほけ)=大石尊(おほしのみこと)=意富祁王
意祁命・大脚(おほし)・大為(おほす)
字は嶋郎(しまのいらつこ)
↓↑
荑媛(はえひめ・ハエ=荑=艹+夷=つばな・テイ・ダイ・イ)
出たばかりの芽・稗(ヒエ)の類
蕪荑・臭蕪荑・白蕪荑・基原はニレ科
Ulmaceae のチョウセンニレ(朝鮮楡)
異体字=苐・𦯔
別人の荑媛
和珥河内(わにの-かわち)の娘・・・和邇・鰐・王仁
継体天皇元年(507)天皇の妃
1皇子2皇女を生む
↓↑
蠅伊呂泥 & 蠅伊呂杼の姉妹
蝿 伊呂泥
(ハエイロネ)
別名
意富夜麻登久邇阿札比売
(オホヤマトクニアレヒメ)
↓↑
絙某弟(はえいろど・蠅伊呂杼)
絙=糸+亘
くみひも・カン・ガン・コウ
ゆるい・緩む・組みひも・印綬(インジュ)
大縄・太い綱
異体字は「絚・縇・𦀞・緪・縆」
亘=わたる・およぶ・コウ・セン
端から端まで及ぶ・渡る
「亘古(コウコ)」
「亘(セン)」と「亙(コウ)」は別字
「亘=めぐる(巡る・廻る)」
「亙=わたる(渡る・渉る)」
の意であるが、しばしば混用される
↓↑ 某=甘+木・・・あまき・アマキ
・・・アマイキ=阿毎記⇔阿毎王朝の記録?
阿毎王朝記=隋書
袁奚=弘計=来目稚子=袁祁
袁祁之石巣別命
『隋書』卷八十一 列傳第四十六 東夷 俀國
開皇二十年
倭王姓 阿毎
字 多利思比孤
號 阿輩雞彌・・・阿輩雞彌⇔袁奚
雞=奚+隹
遣使詣闕。上令所司訪其風俗。
↓↑ 某=不定称の人代名詞・名を知らない人
それとは定めない人
名をわざとぼかしていう場合などに用いる
↓↑ なにがし・ボウ
第七代
孝霊天皇(コウレイテンノウ・孝靈天皇)
妃
絙某弟(はえいろど・蠅伊呂杼)は
絙某姉(はえいろね・蠅伊呂泥)の妹
(ハエイロネ・別名=意富夜麻登久邇阿札比売)
子は
彦狭島命(ひこさしまのみこと・日子寤間命)
針間の
牛鹿臣の祖(記)
子は
稚武彦命(わかたけひこのみこと・若日子建吉備津日子命)
吉備臣の祖(紀)
吉備下道臣
笠臣の祖(記)
ハエ(蝿)姫も葛城氏
孝元天皇(八代)の時代
姉の子の
吉備津彦と
蝿伊呂杼(ハエイロド)の子の
若日子建吉備津日子命
(ワカヒコタケキビツヒコノミコト)
が吉備へ遠征に行く・・・
↓↑
億計・弘計
の
二皇子は、
葛城氏を通して
忍海部と縁がある・・・
志染(しじみ)の
石室の近くの
押部谷は、
忍海部に由来し・・・屯倉(みやけ・直轄領)だった
志染(三木市)
押部谷(神戸市北区)
↓↑
星川皇子の父は
雄略天皇
母は
吉備臣出身
雄略天皇の皇子
白髪皇子(清寧天皇)の母は
葛城氏
ーーーーー
顕宗紀・・・父の市辺押磐皇子は
雄略天皇に殺害され
日下の志々見(志染)を頼った
志染=しじみ=蜆・志々見=志士を見よ
皇太子の億計皇子ではな
皇子の弘計が天皇位に就く
三年(487年)
月神と日神が人に懸かって
阿閇臣事代に語り・・・阿閇=アヘ=阿倍・阿部・阿武⇔阿毎
月神を壱岐県主の
遠祖・押見宿禰に祀らせ
日神を対馬の下県直に祀らせる
紀ノ生磐(大磐)宿禰が
任那で専横
百済国人300を殺す
天皇崩御
古事記では在位八年
御陵
片岡之石高坏岡上・・・
↓↑
穴穗天皇三年十月
天皇父
市邊押磐皇子
及
帳內
佐伯部仲子、
於
蚊屋野、
爲
大泊瀬天皇
見殺、因埋同穴。
於是、
天皇與億計王、
聞父見射、
恐懼
皆逃亡自匿。
帳內
日下部連使主
(使主、日下部連之名也。使主、此云於瀰)
與
吾田彦、使主之子也、
竊奉
天皇與億計王、
避難
於
丹波国余社郡。
使主、
遂
改名字曰
田疾來、
尚恐見誅、
從茲遁
入
播磨縮見山石室
而自經死。
天皇、
尚不識使主所之、
勸兄億計王、
向
播磨国赤石郡、
倶改字曰
丹波小子、
就仕
於縮見屯倉首。
(縮見屯倉首、忍海部造細目也。)
吾田彦、至此不離、
固執臣禮。
↓↑
穴穂天皇(安康天皇)即位三年十月
顕宗天皇の父の
市辺押磐皇子と
帳内(トネリ)の
佐伯部仲子(サエキベノナカチコ)は
蚊屋野(カヤノ)で
大泊瀬天皇(雄略天皇)に殺された
それで同じ穴に埋められた
顕宗天皇と
億計王(オケノキミ=仁賢天皇)は
父が射殺されたと聞き
恐怖で、皆、逃亡して匿(カク)れた
帳内(トネリ)の
日下部連使主(クサカベノオミ)
と
吾田彦(アタヒコ)
(使主(オミ)は
日下部連の名前で
使主は於瀰(オミ))
吾田彦は
使主の子供・・・日下部吾田彦
↓↑
は密かに
顕宗天皇と
億計王(仁賢天皇)を奉じ
難(ワザワイ=雄略天皇に殺される危険)
を避け
丹波国の
余社郡(ヨザノコオリ=丹後国与謝郡)へと行った
使主は
遂には苗字を改め
田疾来(タトク)とし
尚、誅殺されることを恐れ
播磨の
縮見山(シジミノヤマ)の
石室(イワヤ)に隠遁し
首をくくって死んだ
天皇は
使主の居場所を分からず
兄の億計王と
播磨国の
赤石郡(アカシノコオリ)に向かい
ふたりとも
字(ミナ=名前)を改め
丹波小子(タニワノワラワ)とした
縮見屯倉首(シジミノミヤケノオビト)に仕えていた
縮見屯倉首は
忍海部造細目(オシヌミベノミヤツコホソメ)
吾田彦はここまで離れることもなく
かたくなに従い
臣としての礼を尽くした
↓↑
日下部連使主
日子坐王の子孫
次に
沙本毘古王(サホビコノミコ)は
日下部連(クサカベノムラジ)
甲斐国造(カヒノクニノミヤツコ)の祖(ヤ)なり
(古事記)
↓↑
日下部連の祖先の
沙本毘古王(サホビコノミコ)は
妹の
沙本毘売命と
垂仁天皇を
暗殺しようとし誅殺
↓↑
日下部
仁徳天皇の息子の一人
「大日下王(古事記)」
「大草香皇子(日本書紀)」
「大草香皇子」の名を冠した集団が
「大日下部」
↓↑
大草香皇子の母親は
「日向出身の
髪長毘売」
「沙本毘古王」も
日向の関係者
ーーーーー
・・・???・・・
古事記字源 ・・・フゥ~っ~、激戦デス・・・1-3・・・アレッ、1-4・・・1:24・・・1:27・・・2-4・・・あの広告、「万达(万達) WANDA」、「天生強要」はナンだッ・・・車がコートの端を走っている?・・・ヘンス電光板の広告映像?・・・1:54・・・フランスがロシアの領域で三色旗を振って勝った・・・ナポレオンのジャコバニズムのトリコロール(縦並び=上下の序列?に青白赤)は現代ロシアに突き刺さるか・・・クロアチア共和国(Republika Hrvatska・Republic of Croatia・フルヴァツカ・クロエイシャ・克羅地亜・呉呂茶)・・・トリコロール(横並び=並列公平?に赤白青+赤白のチェック模様の紋章)・・・日高で7月16日2時13分ごろ地震・・・表彰式も土砂降りのアメ・・・ ・・・混乱して、再三、再四、重複の書き込み、添付・・・ギリシャ神話・・・クロアチアはかってのローマ帝国、(ヴェネツィア・Venezia・イタリア共和国北東部の都市)とアテネ(ギリシャ南東部)の狭間に存在する・・・
ユーゴスラビア連邦人民共和国(1946~) ユーゴスラビア社会主義連邦共和国(1963年4月7日~) 1974年 6共和国 2自治州 を完全同等に置いた憲法を施行 自主管理社会主義・・・?(非)協同生産&協同流通市場管理主義? (非)自給自足健康自己管理主義? ユーゴスラビア連邦共和国(1992年4月28日) の 6つの構成共和国 ・・・七つの国境 六つの共和国 五つの民族 四つの言語 三つの宗教 二つの文字 一つの国家 スロベニア クロアチア ボスニア・ヘルツェゴビナ セルビア モンテネグロ マケドニア が各々独立 1992年4月28日 連邦に留まっていた セルビア共和国 と モンテネグロ共和国 によって 「ユーゴスラビア連邦共和国(新ユーゴ)」 設立が宣言 ↓↑ 2003年2月5日 「セルビア・モンテネグロ」 となった ↓↑ セルビア国内の自治州であった コソボは 2008年にセルビアからの独立 ーー↓↑ーー↓↑ーー 「1992年~1995年 ムスリム (スラブ人イスラム教徒) セルビア人 クロアチア人 の3民族による武力衝突・・・ ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(Bosnian War)=ボスニア紛争 ユーゴスラビアから独立した ボスニア・ヘルツェゴビナ(首都サラエヴォ)での内戦」 ↓↑ 「死者20万、難民・避難民200万 スレブレニツァの虐殺 ボシュニャク人男子、8000人以上が 組織的に殺害(ジェノサイド) ジェノサイド=一つの 人種・民族・国家・宗教などの 民族浄化の虐殺 民族構成員の抹消行為 ボシュニャク人女性の集団レイプ、強制出産」 「1480年代ごろ、オスマン・トルコ帝国による ボシュニャク人=ボスニア・ヘルツェゴビナ=ムスリム人 =南スラブ語族の イスラム教化された人びと」 「地主・富農階層などは 新しい支配者オスマン帝国に 既得権を安堵してもらうために 挙ってイスラム教に改宗 オスマン帝国統治時代には 少数のイスラム教徒地主(ボシュニャク人)が 多数のセルビア人・クロアチア人小作農を使用」 ↓↑ 「人間」ってこの21世紀に於いてさえもトンでもないコトをやらかす存在である・・・ 人間同士のトリブンの争いも「スポーツ」でのルール遵守の「月桂樹奪取」の枠内でおさめればイイのに・・・ 気紛れな神々は自然災害で人間を懲らしめるコトに忙しいのに・・・ ーーーーー テーセウス=アテネ建国の父?・・・テーセ-ウス=テセ-ウス アテネの英雄 「大岩」を持ち上げるほどの怪力だった 海神ポセイドーン と アイトラーとの子 ↓↑ 異説は アテーナイ王 アイゲウス と パンディーオーンの息子の トロイゼーン王 ピッテウスの娘 アイトラーとの子 ↓↑ テーセウスは ペルセポネーを 略奪するため国を留守にし その隙を突かれて王位を追われ スキューロス島の王 リュコメーデースのもとに身を寄せたが リュコメーデースは テーセウスに王位を簒奪されるコトを恐れ 彼を崖から突き落として殺した・・・ ーーーーー 「テーセ-ウス」の「-ウス」とはナニ??? ↓↑ ゼ-ウス信仰 the cult of Ze-us ガイ-ウス・ユリ-ウス・カエ-サル・・・・「替え然る」? (Gai-us Iuli-us Cae-sar・BC100年~BC44年3月15日) ユリ-ウス暦 the Julian calenda ユ リ-ウス(Juli-us、Ivli-vs)・・・「遊離・融離」ウス ユ リ-ウス(Juli-us、Ivli-vs)・・・「遊離・融離」ウス ↓↑ thin 薄(うす)い Wusu=A city in Xinjiang, China. 中華人民共和国新疆ウイグル自治区 イリ・カザフ自治州 タルバガタイ地区に位置する県級市 ↓↑ ho-use wine 家 mo-use strains 鼠 ↓↑ モリロ=Moliro=「トロぺ-ウス」 という タンガニーカ湖に 生息する魚の一種 タンガニーカ湖は グレートリフトバレーの タンザニアとコンゴ間にある アフリカ中部で世界一長い湖 ↓↑ usu=mortar モルタル・しっくい・…にモルタルを塗る 石・レンガをモルタルで接合する mortar=セメント・石灰に砂を混ぜて水で練ったもの 外壁塗装・タイル貼りなどに用いる 膠泥(コウデイ) mortar=乳鉢(にゅうばち)・摺(す)り鉢 破砕機・粉砕機 臼砲(キュウホウ)・迫撃砲・・・ 4.2インチ迫撃砲・花火用臼砲 救命綱を撃ち出す救命用の臼砲 ↓↑ molter=定期的にそれらの外層(羽、表皮、皮膚または髪)を 放棄する動物(鳥、節足動物、爬虫類) (an animal (especially birds and arthropods and reptiles) that periodically shed their outer layer (feathers or cuticle or skin or hair)) ーーーーー 紀 大磐(き の おおいわ) ↓↑ 古墳時代の豪族 紀小弓の子 紀小足の父 ・・・小弓→大磐→小足 465年5月 父(小弓)が 雄略天皇の命を受けての 新羅との交戦中に、病死したと聞いて 百済に向かうが 横暴な振る舞いによって 小弓の後に 大将として権力を握っていた 小鹿火宿禰を怒らせ 小鹿火は、 蘇我韓子 を唆し、彼を暗殺しようとしたが 韓子は返り討ちにされ 小鹿火も、帰還の際、 角国(山口県)に留まった このとき 大磐も一時帰国していたが 再び朝鮮に渡り 朝鮮南部の王となろうとし 自ら神聖(かみ)を名乗った 任那の 左魯・・・「左魯=サロ」? 那奇他甲背・・・「なきたこせ・なきたこは」? 「那奇他甲背」は欽明天皇条にみえる 「那干陀甲背(なかんだこうはい)」 「那奇陀甲背(なきだこうはい)」 は、 「那奇他甲背」と同一人物・・・? たちが計略を担当し 高句麗と結んで百済人を殺害 帯山に城を築いた上で道や港を塞ぐ妨害を行った それに激怒した 百済王に将軍の 古爾解らが率いる兵を城に差し向けられ 激しい戦いの末に 左魯 那奇他甲背 をはじめ300人近くが死亡 大磐は 487年に倭国に帰国・・・ ーーーーー 大山 捨松(おおやま すてまつ)・・・松(松平=徳川)を 捨てた 安政七年二月二十四日(1860年3月16日) ~ 大正八年(1919年)2月18日 大山巌の妻。旧姓は山川 幼名はさき、のち咲子(さきこ) 愛国婦人会理事 赤十字篤志看護会理事。 庚申(己・壬・庚)⇔己未(丁・乙・己) 己卯(甲・ ・乙)⇔丙寅(己・丙・甲) 己未(丁・乙・己)⇔辛丑(癸・辛・己) ↓↑ 大山 巌(おおやま いわお・大山 巖) 天保十三年十月十日(1842年11月12日) ~ 大正五年(1916年)12月10日 薩摩藩士 陸軍軍人 幼名は岩次郎 通称は弥助 雅号は赫山 瑞岩・・・・瑞の岩? ・・・瑞穂・瑞光・瑞兆 瑞皐(高野)・玄瑞(久坂) 瑞西・瑞士・・・Suisse スイス⇔推す 瑞典・・・Sweden スエぇデン=末重伝? 字は清海 階級は元帥陸軍大将 従一位大勲位功一級公爵 ↓↑ 戊辰戦争 新式銃隊を率い 鳥羽・伏見の戦い 会津戦争などの各地を転戦 12ドイム 臼砲・・・迫撃砲・・・臼の石を包む? や 四斤山砲の改良も行い 大山の設計した砲は 「弥助砲」と称された ↓↑ 大警視(第2代) 陸軍大臣(初・2・3・4・6・7代) 陸軍参謀総長(第4・6代) 文部大臣(臨時兼任)・・・文の部の太神・太人・替人 ・・・対人・大人・碓人・代尽・・・? (臨事・臨字・綸旨の兼任・検認・建仁・謙仁・兼人) 内大臣(第5代)・・・・・・名意・那意・・・ 元老、貴族院議員を歴任 西郷隆盛・従道兄弟 の従兄弟 ↓↑ 大山 柏(おおやま かしわ) 柏=十(拾・足)+八(捌)+白(曰・いわく・磐口) 1889年(明治22年)6月2日 ~ 1969年(昭和44年)8月20日) 日本の考古学者 戊辰戦争研究家 陸軍軍人 貴族院議員 陸軍少佐、従二位、公爵 文学博士(慶應義塾大学、1945年) 職業軍人時代 第三十二警備隊 第三十三警備大隊大隊長 室蘭・・・北海道(北加伊道・北蝦夷道)、室の蘭? 北歌意道・北甲斐道 室蘭=アイヌ語の「モ・ルエラニ(小さな・下り路)」 防衛隊 第八独立警備隊隊長 後 大山史前学研究所所長 慶應義塾大学文学部教授 日本の考古学の基礎を築いた 戊辰戦争研究家 ↓↑ ーーーーー 垂仁天皇二年条の分注 都怒我阿羅斯等 (つぬがあらしと) 『日本書紀』に伝わる古代朝鮮の人物 『日本書紀』では「都怒我阿羅斯等」 他文献では 「都怒賀阿羅斯止」 「都怒何阿羅志止」 「都奴加阿羅志等」 『日本書紀』では「于斯岐阿利叱智干岐 (うしきありしちかんき)」の別名 意富加羅国(大加耶=大加羅)の王子 敦賀=つるが=角鹿(つぬが)の地名由来・・・ 蘇那曷叱知(そなかしち・蘇那曷叱智) 崇神天皇65年7月 蘇那曷叱知が 任那から朝貢 帰国に際して天皇から任那王へと 赤絹100匹(200段)が贈られたが 途中でこれを新羅に奪われ これが任那と新羅の争いの始まり・・・ ーーーーー
ーーーーー 雄略天皇(三十四) 大磐宿禰の専横・・・・磐井・石井 蘇我韓子宿禰の死・・・韓子・韓姫・・・眉輪・目弱・都布良・円 ↓↑ 雄略天皇九年夏五月、 紀大磐宿禰、聞父既薨、乃向新羅、 ・・・紀=糸の己(糸巻) 大磐(生磐)⇔磐余=神武天皇 紀の田鳥→紀の小弓→紀の大磐(生磐)→紀の小足 執 小鹿火宿禰 所掌兵馬・船官及諸小官、專用威命。 於是、 小鹿火宿禰、 深怨乎 大磐宿禰、 乃詐告 於韓子宿禰 曰 「大磐宿禰 謂僕曰、 我當 復執 韓子宿禰 所掌之官不久也。 願固守之。」 由是、 韓子宿禰 與 大磐宿禰 有隙。於是、 百濟王、 聞 日本諸將、緣小事有隙、 乃使人 於韓子宿禰等曰 「欲觀国堺。請、垂降臨。」 是以、韓子宿禰等並轡而往、 及至於河、 大磐宿禰飲馬於河。 是時、韓子宿禰、 從後 而射 大磐宿禰 鞍几後橋。 大磐宿禰、愕然反視、 射墮 韓子宿禰、 於中流 而死。 是三臣、由前相競、行亂於道、 不及百濟王宮 而却還矣。 ーーーーー 大碓(おおうす)・小碓(をうす) 大 臼 小臼 有珠 有珠 宇津 宇津 うず=渦・宇都・宇須・右図・髻華・烏頭 ーーーーー 曰=エツ・のたまわく・のたまう・いう・いわく 曰く・言わく・言はく・云く・曰はく・白く・岩久・巖句 白=「打ち明ける・もうす(白す=申す)」・告白・自白 =しろ・しら・しろい・もうす(申す)・ハク・ビャク 臼=𦥑=E+ヨ =うす=臼=キュウ =石や木などを刳(く)り貫き(えぐり・刳・抉・剔) そのなかで穀物などを 杵で搗(つ)き砕いたり、餅を搗いたり 磨(す)りつぶす道具 臼の部品構成漢字 臼・臾・舁・舂・舅・與・興・舉・舊 臼の部品構成漢字 臼・臾・舁・舂・舅・與・興・舉・舊・・・ ↓↑ 碓=石+隹 ウス?・・・ ↓↑ The usu-yo of ganpishi, called hishi (an old name of ganpishi), was especially used by noblewomen during the Heian period and the word 'usu-yo' became a popular name. 斐紙(ヒシ・ひし)と呼ばれていた 雁皮紙(ガンピシ)は 特にその「薄様」が 平安時代に貴族の女性達に好んで用いられ 「薄様」が通り名となっていた ↓↑ In the recent times, the term 'usu-yo' disappeared and all ganpishi came to be called torinoko. 近世にはいると、 「薄様」の名も消えて 「雁皮紙」をすべて 「鳥の子」と呼ぶようになる・・・? 「雁皮(がんぴ)を主原料とした上質の和紙 鶏卵の色に似た淡黄色で 強く耐久性があり、墨の映りもよい」 「ガンピ、コウゾを原料とした良質の和紙 淡黄色を帯び、卵の殻の色に似る」 「鳥の子紙は雁皮と楮(コウゾ)を混ぜたもの」・・・ 雁皮(がんぴ)=ジンチョウゲ(沈丁花)科の植物 瑞香・輪丁花 Daphne(ダフネ⇔月桂樹=odora) 追うアポローンと逃げるダプネー 実は有毒だが歯痛、口内炎の漢方 雁皮紙は雁皮から作られる和紙 古代では 斐紙や・・・甲斐(史)? 肥紙と・・・肥前(史)・肥後(史)? 呼ばれた 紙=かみ=髪=かみ=神・守・加味・咬み・上・香美・加美 ↓↑ Kokin (literally, 'old Kin') was such an old stringed instrument as to be mentioned in "Shikyo," together with Se (ancient Chinese plucked zither, usu. with 25 or 23 strings). 古琴は・・・琴=王+王+今 瑟・・・・・瑟=王+王+必(かならず)・・・可ならず(す)? 「古今(集)」は「おおごと(瑟・大事)・シチ・シツ」 とともに 『詩経』にもみられ・・・詩経=シキョウ・シケイ=私刑・死刑? 古い弦楽器である 竪琴=harp(ハープ)・・・竪(臣の又で立つ)琴(二人の王の今) 琴・瑟・筑・箏=西洋楽器のツィター(zither)に似る ツィター属(zither family) ーーーーー
ーーーーー
↓↑
2000 Mt.
Usu Eruption,
the Snow Brand food poisoning incident,
Miyake-Jima eruption
平成十二年(2000年)
有珠山噴火・雪印乳業製品食中毒・三宅島噴火
↓↑
アモーレ=Amore・・・mio
アモレ ミオ=阿(蛙・鴉)漏れ、澪・見尾・水脈
対訳(usu.in songs) love
abbreviation of
「~…」の省略形・略語・略字・略称
↓↑だ
渦(うず)=川や海などの渦巻き=whirlpool,eddy
(eddyは
whirlpoolよりも小さく
煙・風・砂塵の渦巻き)
whirlpool(ワァルプゥ=wə'rlpu'l
ワールプール
ワァプぅル?)=ぽい捨て
トーネード(トルネード・Tornado)
大渦巻き=maelstrom
ヴォーテックス(vortex)
whirl と swirl
編集=editing・compilation
edit・・・エヂター=edited; edition; editor.
edit out
(原稿・映画フィルムなどの一部)を削除する
↓↑
比較、比肩・・・ comparison・compare A to B
ヒケン
丕顕・・・「丕(ヒ)」=「大(ダイ)」の意
疋絹(絹布地二反)
披見・卑見・鄙見
疲倦(倦怠)
秘鍵・・・鍵=金+建⇔金(女真・女直)がタケルの秘密
被験・・・被験薬(Investigational New Drug)
未承認の開発中の薬剤
治験実施の目的となる薬剤
↓↑
キタラー(古代ギリシア語:κιθάρα)
古代ギリシアの弦楽器
ラテン語で、「cithara」
キタラ
または中世以降は
チタラ
と発音
近代ギリシア語では、kithara は本来の意味を失って
ギター(guitar)を意味する
ーーーーー
・・・???・・・
古事記字源 ・・・「ディオニューソスの狂宴」・・・「7月5日、赤坂自民亭、&、立憲民主党議員パーティー」・・・「宴の後」・・・
・・・神話って「人名、神名」が入り混じっていて、地方にも波及、拡散、混合、習合されていて理解には混乱する・・・もちろん、類似のモノガタリは細かいところで「複数の異説」になる・・・ ーーーーー イカロス(Ikaros)・・・破滅する者・・・享受、陶酔、過信 ギリシア神話 工匠ダイダロス・・・・・創造する者・・・設計、工作、慎重 と クレタ王 ミノス・・・・・・・・・独裁者・エゴイスト・セルフッシュ の 女奴隷の・・・・・・・・奴隷=家畜? ナウクラテ・・・・・・・愛玩動物?・・・名得句等弖(氐)? の間に生まれた ダイダロスは ↓↑ ミノス王の娘 アリアドネ(Ariadnē)・・・ミィ・ハァちゃん ↓↑・・・「潔らかに聖い娘」の意味 ↓↑ アリアドネーは アテネから生贄として送られてきた テーセウス(Theseus)・・・アテネ建国の父とされ 「大岩」を持ち上げるほどの怪力だった 数々の英雄譚の主人公で ↓↑ ヘラクレスと比肩 に恋をし 自分をアテーナイへと 共に連れ帰り 妻にすることを条件に ↓↑ ↓↑ だがテーセウスの 正妃・正妻にはなれなかった? ナクソスの島で ↓↑ ↓↑ テセウスに捨てられた・・・? 理由はアリアドネの妊娠中の つわり(悪阻)、おそ(悪阻)による 吐き気と嘔吐・・・を嫌った? セックスが出来なくなった男のエゴ? 単にアリアドネーに飽きた? その後 アリアドネは ディオニューソスと結婚・・・? 理由はディオニューソスに拉致強姦? テーセウスの正妻は ↓↑ パイドラ(アリアドネの妹?)・・・ナゼ? パイドラー(Phaidrā,ラテン語: Phaedra) テセウスの前妻の義理の息子 ヒッポリュトスに パイドラの乳母を通じて 恋文を渡すが拒否され、 コレへの口外を誓わされたが 「舌は誓ったが、心は誓わぬ」、と・・・ パイドラは 夫への露顕を恐れ ヒッポリュトスが自分に ↓↑ 暴行を働いたと夫に偽り訴えて殺させた ↓↑ 後にパイドラは嘘がバレて自殺 虚偽の遺書を遺して自殺 ↓↑ テーセウスとパイドラの結婚の経緯は? 援助を申し出で ↓↑ テーセウス(Theseus)は同意・・・テーゼ(These)+ウス ↓↑ テーゼ=These・ドイツ語で「肯定的に主張すること そうする為の判断・命題・綱領・定立 政治運動などの基本的な方針、綱目方針書」 usu=《略語》=usual=usually. ūsū=ablative singular of ūsus ウス=Usu=有珠 ウス=usu=薄い「」 ↓↑ ウス=use(臼・碓・堆)を英語では「mortar」? に 迷宮ラビリントスから テセウス を救い出す 方法(糸巻きの糸を手繰る)・・・伊都の巻物(書物)を手探る たぐる 意図・異土 てさぐる を教えた テセウスは 「赤い麻(あさ・マ)の糸玉と短剣」を持って迷宮へ ↓↑ アテネから 怪物ミノタウロス(牛頭人身の怪物) の 生贄として送られてきた テセウスは ↓↑ ミノスの妻 パーシパエー が ポセイドンから贈られた生贄の 牡牛と関係し 産んだ子 怪物ミノタウロス(牛頭人身の怪物) を退治 ↓↑ 怪物ミノタウロスを殺され 怒った ミノス王は ダイダロス と イカロス 父子を迷宮 ラビリントスに閉じ込めた だが ダイダロスは 蝋で固定した羽根の翼を発明考案し 迷宮からの脱出した だが 息子 イカロスは父親の忠告を忘れて 天高く飛翔し太陽に接近しすぎ その熱で翼の蝋が溶け 海中に墜落して溺死 その海は イカロス海と呼ばれた ↓↑ イカルス (1566 Icarus)小惑星 1949年に W.バーデにより発見 地球近傍小惑星の一つ アポロ群に属する ↓↑ イカルスの特徴として 近日点では 水星よりも 太陽に近づく ↓↑ 遠日点では 火星軌道の外側で 長楕円軌道を描いている ↓↑ イカルスは 19年ごとに地球の近くを通り過ぎる 1997年 最後に接近は地球に640万km 1968年 60万kmまで接近 地球と月の距離の2倍の距離 ↓↑ 「筑」・・・筑=古代中国の打弦楽器・形は琴に似ているが 爪弾いて弾奏するのではなく 竹の棒で弦をたたいて音を出す こと=筝・琴・瑟 神功皇后(仲哀天皇の皇后 気長足姫 尊(書記) 息長帯比売命(古事記)・大帯比売命・大足姫命 は 「筑=こと=筝・琴・瑟」 を奏でて神託を訊いた後 夫の仲哀天皇は死んだ・・・ 子供は 「誉田天皇、第十五代応神天皇」 「御琴之音=古事記」 筑紫=つくし=土筆・尽くし・衝く刺・突く史・付句史? 竹+巩=竹+工+卂=竹+工+⺄+十 ↓↑ 撃筑=筑(ちく)を撃ち ↓↑ 史記=シキ・しき 大風起兮雲飛揚=大風起こりて雲飛揚す 高祖還帰=高祖還帰し 過沛=沛(ハイ)に過(よぎ)り 留置酒沛宮=留(とど)まりて沛の宮に置酒し 悉召=悉(ことごと)く 故人・父老・子弟=故人・父老・子弟を召して 縦酒。=酒を縦(ほしいまま)にせしむ・・・縦(たて) 発沛中児=沛中の児を発して 得百二十人。=百二十人を得 教之歌。=之をして歌はしむ 酒酣(たけなわ)=酒宴たけなわ 高祖 撃筑=筑(チク・こと)を撃ち 自為歌詩曰=自ら歌詩を為(つく)りて曰はく 大風起兮=大風起こりて 雲飛揚=雲飛揚す 威加海内兮=威海内に加はりて 帰故郷=故郷に帰る 安得猛士兮=安(いづ)くんぞ猛士を得て 守四方=四方を守らしめんと ーー↓↑ーー 「虎渓」の名前由来 夢窓疎石・・・夢窓疎石=ムソウ 夢想・無双・無想 ソセキ 礎石・素籍・祖籍 が訪れ 中国 蘆山の虎渓の風景に似ていた・・・ ↓↑ 永保寺庭園-岐阜県多治見市・・・7/14、38.7度と全国一の最高気温 ↓↑ 虎渓山(コケイザン) 永保寺 鎌倉時代(1313年)開創 小高い虎渓山に佇む禅寺 正式名称は 臨済宗 南禅寺派 虎渓山 永保寺 ↓↑ 1930年(昭和五年) カトリック神言修道会 日本管区の本部修道院として設立 ↓↑ 多治見修道院・・・「多(他・タ・太)字(時・事・持)見集同韻」? (たじみシュウドウイン)・・・周同韻? 岐阜県・・・岐=山支(十又) 阜(𠂤+十・ノ㠯十) 県(目乚亅八) GIFを懸ける⇔グラフィックデータの保存形式の1? ギフ・義附・技附・魏譜・戲附 胃カメラGIF(Gastoroscopy)? 日本の略称はEGD( Esophagogastroduodenoscopy)? 多治見市 カトリック神言修道会(神言会)の修道院 ミサで使うために 葡萄栽培をしていて・・・葡萄⇔葡萄牙(ポルトガル・Portuguese) 多治見産の 類似の類字は「匍匐(ホフク)」? ワインとして広く親しまれていた・・・ ↓↑ 日本で唯一、ワインを醸造する修道院 1930年(昭和五年) ドイツ(独逸)人 モール神父により・・・モール=Mohl・Mohr Maul(ラグビーの陣形) mole(モグラ)=モール=mall(遊歩道) mogol(ポルトガル語)のなまり 原義は「ムガル帝国」 モール織 ・緯に金糸や銀糸を 織り込んで模様を浮織した織物 日本の修道士の養成の修道院として建設された 大聖堂 敷地内に広がる畑で育てられた葡萄は 地下室で醸造され 「修道院ワイン」となった 葡萄栽培し 多治見産のワインとし 毎年11月3日は・・・十一ガツ三二チ 「多治見ワインフェスタ(Wine Festival)」開催 ↓↑ ワインの色・・・ワインレッド・・・赤紫?・・・危険地帯? 紫 高貴な色 染物の紫 醤油の紫 醤油は 筑波山・・・筑の波の山 の麓付近で 多く生産されていた 筑波山を 紫峰(シホウ)といい 醤油の産地であり 醤油=むらさき・・・? ↓↑ 和歌山県・・・・和歌の山の県 の 湯浅が発祥・・・湯の浅 醤油・醬油・ひしほ・・・多聞院日記=室町末期 漿=文明本節用集=室町中期・・・漿醬⇔ショウ・シャウ ↓↑ 醬=將(将)+酉 まさに・ひきいる・はた・ショウ ひきいる・兵をひきいる・軍をひきいる 将軍 たすける・救う・支える・すすむ・おこなう まさに~す=今にも~しそうだ やがて~になりそうだ まさに~す=~しようとする ~したい と未来的な意志を表わす まさに~す=ほぼ~である・ほぼ~に近い はた~か=それとも・または・あるいは と選択の意を表わす もって=~によって・~をもちいて と方法や手段などを表す 漿=血液成分の「血漿」・・・血漿(Blood plasma) 血液細胞・養分・脂質・ホルモン・老廃物の運搬 体内恒常性の維持(緩衝作用)、血液凝固、免疫機能 急激な温度変化の抑制 などの作用・・・ ↓↑
ペルセポネー・・・経留施保音重? ↓↑ ディオニューソスは オリンポスの神の座を得て レルネー(ヒュドラーの棲む沼地) の底なし沼を通って・・・ The Learnean Hydra タルタロス(冥界)に下り ギンバイカ(銀梅花・銀盃花 フトモモ科の単型の属・・・蒲桃(ふともも) ギンバイカ属の常緑低木 太股=太腿 英語、マートル(Myrtle) ドイツ語、ミルテ(Myrte) の木を ペルセポネー(冥界の女王・別称コレー=若い娘、乙女 冥界の王ハーデース=プルートーの妻) に贈り、これと引き替えに 母親の セメレー(テーバイ王カドモス とその妻 ハルモニアーの娘) を連れ戻し 神性を分け与え セメレーは女神となった セメレーは トロイゼーンの アルテミスの神殿に入り、天に昇った ディオニューソスは 他の死者たちが セメレーを 嫉妬したり 憤慨したりしないように 母の名前を改め テュオーネー として神々に紹介・・・ ーーーーー ・・・???・・・ ディオニューソスの狂宴・・・ ↓↑ アリアドネーの フランス語 アリアーヌ イタリア語 アリアンナ ↓↑ アリアドネー と テーセウス は クレータより脱出後 二人は子供もつれて ナクソス島へと至った・・・ ↓↑ 諸説(プセウド・アポロドーロス) ナクソス島で ディオニューソス が彼女に恋し 拉致誘拐し レームノス島へと連れて行き アリアドネーと交わり トアース、スタピュオス、オイノピオーン、ペパレートス あるいは オイノピオーン、エウアンテース、スタピュロス の三人を産んだ・・・ ↓↑ 別説 アリアドネーは ナクソス島に至り 悪阻(つわり)であったため 彼女が眠っているあいだに テーセウスは 彼女を置き去りにし去った この後 ディオニューソス が彼女に恋をし妃とした・・・ ↓↑ ホメーロスの 『オデュッセイア(巻11、324-5)』で 一行が ディアー島・・・出意蛙鴉トウ(等・問・答)? に至ったとき ディオニューソス・・・出意於入得素諏? の了承のもと・・・・・ナゼ了承したのか? アリアドネーは アルテミス(Artemis) に射られて・・・ナゼ射殺したのか? 月の女神セレーネー、闇の女神ヘカテーと同一視 アポロンと兄妹の二卵性双生児、双子 ディアナ(ローマ神話・Diana)と同一 死んだ・・・ ↓↑ 大女神=アリアドネー 5世紀の辞典編纂者 ヘーシュキオスの記録・・・ クレータ島 では、 アリアグネー・・・阿利、倦(あぐ)ねる・・・? と呼ばれていた 「いとも尊き(女・女神)」の意味 女神はエーゲ海の多くの島で知られている ディオニューソス・・・バックス (Bacchus) - ローマ神話の酒神 の 妃として結婚の祝祭が行われていた ↓↑ アポロンの竪琴(ハープ・harp・弦鳴楽器) キタラー(古代ギリシア語:κιθάρα) 古代ギリシアの弦楽器 ラテン語で「cithara 」と綴られ キタラまたは中世以降は チタラと発音 ↓↑ 近代ギリシア語では kithara は本来の意味を失って ギターを意味 ↓↑ アルゴス・・・・有る語素 では アプロディーテー・ウーラーニアー (「天のアプロディーテー」の意) の社殿の傍らに アリアドネーの墓が存在していた・・・
ー↓↑ー--
・・・???・・・
↓↑ ↓↑
「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
+
(表紙・画像・音楽)」の
移転先・・・
↓↑
ボクの「古事記字源」の発端・・・
↓↑
干支歴
↓↑
追加添文
「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
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