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六拾干支歴・七百壱拾弐・和銅五年正月二十八日


「古事記」上奏の年月日は

 和銅五年正月二十八日

 西暦712年3月13日00時グレゴリオ

 西暦712年3月 9日00時ユリウス

   壬子 癸卯 丁酉 庚子


「日本書紀」の上奏は

 養老四年(720年)だが、月日は「不明」である・・・

 ↓↑

720年 庚申

養老  四年

唐   開元八年

渤海  仁安二年

 ↓↑

「日本書紀」完成・・・

「隼人の反乱」

隼人の反乱

南西諸島を経由の中国との交流活発化

朝廷は

「覓国使(べっこくし・くにまぎのつかい)」

と呼ばれる調査隊組織し

九州南部と南西諸島の調査

 ↓↑

700年(文武天皇四年)

覓国使が九州南部各地で

現地住民から威嚇される事件

 ↓↑

702年(大宝二年)八月

朝廷は大宰府に武器を集め

「薩摩・多褹の叛乱」で

九州南部に兵を送り

日向国を分割し

「唱更国(薩摩国)」

を設置

 ↓↑

713年(和銅六年)

「大隅国」が

「日向国」から分置

律令制導入の

「豊前国」から5000人を移住させ

支配体制強化

律令制

国郡制の導入

班田収授法

九州南部の

「隼人」と緊張

 ↓↑

養老四年(720年)二月二十九日

大宰府から朝廷へ

「大隅国国司

 陽侯史麻呂

 が殺害された」

との報告され

朝廷は

三月四日

「大伴旅人」

 を

「征隼人持節大将軍」

 「笠御室」

 「巨勢真人」

 副将軍に任命し

 「隼人の征討」

 にあたらせた

 ↓↑

 隼人側は

 数千人の兵が集まり

 7ヶ所の城に立て籠もり

 朝廷側は九州各地から

 1万人以上の兵を集め

 九州の

 東側、西側から

 二手に分かれて進軍

 六月十七日

 5ヶ所の城を陥落させた・・・

 残る

 「曽於乃石城(そおのいわき)」

 「比売之城(ひめのき)」

 の2城の攻略に長期戦となった

 「大伴旅人」は

 八月十二日

 都に戻り

 攻略を副将軍らに任せた・・・

 戦争は

 隼人側の敗北

 養老五年(721年)七月七日

 副将軍らは

 隼人の捕虜を連れて都に戻った

 隼人側の

 戦死者と捕虜は

 1400人

 反乱で

 「班田収授法」の適用は延期

 80年後

 延暦十九年(800年)

 適用

 ↓↑

 隼人塚

 隼人七城

 隼人側が立て籠もった7ヶ所の城

 『八幡宇佐宮御託宣集』

 奴久等、幸原、神野、牛屎、志加牟

 曽於乃石城

 比売之城

 曽於乃石城は

 国分城と清水城

 比売之城は

 姫木城と橘木城・・・

 鹿児島県

 伊佐市は

 中世まで

 「牛屎院」と呼ばれた

 戦場近くに

 「隼人塚」

 朝廷側の拠点の

 「豊前国」に

 「凶首塚(宇佐市百体神社)」

 が建てられた。

 「亀ノ甲」遺跡

 霧島市

 向花小学校拡張工事中に

 刀剣や土器などが発見

 隼人の反乱で殺害された

 「国司の墓所」・・・

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 誕生

 パウルス・ディアコヌス

 イタリアの歴史家、作家、詩人 (~799年)

 「満願」

 僧 (~816年)

 ↓↑

 死去

 9月13日(養老四年八月三日)

 藤原不比等

 藤原鎌足の次男(659年~)

 ウマル2世

 ウマイヤ朝

 第8代カリフ (682年~)

 ↓↑

 「意富比垝(オホヒコ)」

 ~

 「乎獲居臣(ヲワケの臣)」

 8人の系図が銘記

 「意富比垝(オホヒコ)」

 を

 第八代

 「孝元天皇」の第一皇子

 「大彦命(四道将軍の一人)」と比定・・・説

 ↓↑

 「乎獲居(ヲワケ)」は

 「意富比垝(オホヒコ)」の孫

 「弖已加利獲居(テヨカリワケ)」

 とし

 「豐韓別命」は

 「武渟川別」の子と比定・・・

 鉄剣銘文の

 「弖已加利獲居(テヨカリワケ)」

 は

 「多加利足尼」の子・・・

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「日本書紀」が完成、上奏され

「古事記」の使命が終わったとして

「720年」は「庚申」で「劫財」

          大運714年5月(2歳)壬寅   正官

                    ┣冲己=偏印  

   壬┏子(壬 癸) 傷官・食神長生⇔庚申   劫財

   癸┃卯(甲 乙) 食神・正財 絶⇔

   辛┣丑(癸辛己)   ・食神 養⇔

   庚┗子(壬 癸) 劫財・傷官 病⇔

    辰巳空亡

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「五行思想」  一般的に言われている「五行思想」の

「木火土金水」を考えて見たい 「陰(ー)陽(+)五行」   木  火     土     金   水   ↓  ↓     ↓     ↓   ↓   モク カ      ド    ゴン  スイ   ↓  ↓     ↓     ↓   ↓ +→甲  丙     戊     庚   壬 ー→乙  丁     己     辛   癸   ↓  ↓     ↓     ↓   ↓  きのえ ひのえ つちのえ かのえ みずのえ  きのと ひのと つちのと かのと みずのと   ↓  ↓    ↓    ↓    ↓  木兄  火兄   土兄   金兄   水兄  木弟  火弟   土弟   金弟   水弟  十二支  四季に対応する五行  春が木    土用  夏が火    土用  秋が金    土用  冬は水    土用  であるが、厳密に言えば、「地支十干」、あるいは「地支蔵干」と呼ばれている「地球」に対する「太陽」の位置関係、「時間の流れ」である。地球に対する太陽の位置は、大まかに言えば「春分・夏至・秋分・冬至」を基点にしての期間である。これは、一日を太陽の位置関係で十二区分している「時刻の時間帯」も同じである。  春は、二月寅、三月卯、四月辰    午前3時~ 5時 ~7時     ↓    ↓    ↓     己丙甲  甲 乙 乙癸戊  夏は、五月巳、六月午、七月未   午前7時~9時~11時~午後13時     ↓    ↓    ↓     戊庚丙  丙 丁 丁乙己  秋は、八月申、九月酉、十月戌   午後13時~15時~17時~19時     ↓    ↓    ↓     己壬庚  庚 辛 辛丁戊  冬は、十一月亥、十二月子、一月丑   午後19時~21時~23時~午前1時~3時     ↓     ↓      ↓     戊甲壬   壬 癸   癸辛己  地球に降り注ぐ「太陽のエネルギー」だが、科学的には「電磁波」である。認識対象物質を視覚的にその「電磁波波長」を基本的な「七色」で確認しているのが人間である。「太陽エネルギー(太陽系以外の宇宙的存在も含む)」はこの地球に「七色波長」以上の「赤外線」、あるいは「紫外線」や、その他の人間の視覚で感知できない「電磁波」を降り注いでいる。人間の肌が「紫外線」、「赤外線」を浴びて影響されていると結果的に判るのは「肌の変化」による。  で、「五行」の「木火土金水」は惑星にも重ねられて理解されているが、この五行を科学認識されている、各惑星と対比してみると、      惑星配列      ↓  太陽→水星→金星→地球→火星→木星→土星     水  金   土   火  木   土(?)      ↑      五行配列  となる。「土」が「土星」では無く、「地球」と重なっている・・・「土」が「土星」では無く、「地球」であるならば季節の変わり目の「土用」が、現象的には「地震の多発」や「海上での土用波」などと言う「地球大地の不安定な期間」であるコトも理解出来るであろう。もちろん、「土星」はこの「土用」にも絡んでいるカモ知れないが・・・地球から観たその「土星の位置の変化」は緩慢であり、地球に対する影響は土星自体からは少ないだろう。  地球の「土用」に目に見えて関係するのは「月=衛星」の「朔望(潮汐・重力)」であるのは常識である。  「太陽エネルギー」の変化を一番恐れているのは「地球上の人間」であるが、太陽系の各惑星は太陽からの距離によって、相互に影響し、相互反応していると考えるのが「理論科学」に於ける認識知識と言うものだ。そして、「考える認識主体の生物」は「地球」に存在する。  太陽→水星→金星→地球→火星→木星→土星→・・・  ↓  太陽←水星←金星←地球←火星←木星←土星←・・  ↓  太陽→・・・・・・・・・・→地球  この結果的な「太陽+衛生(月)」と「地球」の相互関係と反応が「季節の循環」と「時間帯の循環」なのである。  もちろん、地球に降り注ぐ太陽エネルギーの「電磁波の強弱」である。  太陽の電磁波と「五行の気」を比較してみるならば、「五行の色(電磁波)」である。色は光源(白光)としての色であるから、その「三原色(赤+緑+青)のカタマリ=白光」である。プリズムではこの「白光」は「七色」に分解されて見える。   水→金→土→火→木→・・・土星   ↓ ↓ ↓ ↓ ↓    ↓   黒 白 黄 赤 緑(青) 黄  「黒」と「白」は「色彩の明暗強度」であり、基本的には「三原色の明暗強度の偏り」である。とするならば、五行の「水性の気(黒)」と「金性の気(白)」とは「電磁波、波長(赤・青・緑)の強弱」に関係していると考えられる・・・られるのだが・・・「人間の宿命・運命」としての「四柱推命」・・・ボクが考えられる「範囲」は「健康=肉体維持」までだが・・・生物の「発生」にも「死滅」にもこれらの考察からは未だ何等、解答が出てこない・・・それに加えて「絵の具」として物質の属性変化、「色材三原色(赤・青・黄)」の「変化」も考えねばならない・・・なっ・・・今回はココまで。  「西洋占星術」では「冥王星」が発見される以前は「土星」が「冥途の星」であった。「冥王星」が「矮惑星・準惑星」に成り下がった現在、「土星=サターン=Saturn」は再度、その「冥途の星」の役割を担わなければならない(?)  「七曜日」である「土曜日」は「ユダヤ教の安息日」である。「サバト」は悪魔や魔女が集会饗宴して、なにやら人間に対するイタズラ謀議をする日らしいが、「西欧キリスト教徒」が「ユダヤ人」を忌み嫌ってでっち上げたモノに違いない。「サバト」とは「Sabbath」で、本来ユダヤ人の農業耕作「七年目の休耕」で、その休暇の祭り(Sabbatic)であった。現代では大学講師の「七年目毎の休暇」であるらしい。  「Satan」は「悪魔の魔王」で、「Saturn」は本来「農耕の神」で「土星」であり、古代ローマ12月(冬至前後)の農業祭の主神であった。「Saturni a n a g e」とは「黄金時代」と和訳されている。「乱痴気騒ぎ、無礼講」の期間でもあった・・・「錬金術」に利用された「鉛(なまり)」の名称でもある。鉛色とは「青灰色」で化合物質は有毒となるが、金属接合の「ハンダ(盤陀=鉛+錫)」である。「鉛」は放射性物質「ウラン」の、なれのはて、である。  「なまり」の同音異字は「訛り・鈍り」でもあるけれど・・・「コトバ」の「変化」は人間と「人間の諸関係」であったり、人間と「物質(自然界)の諸関係」でもあるんだけれど・・・煎じ詰めれば、「モノ」と「モノ」による諸関係の反応変化である。  「五行」としての「行」・・・「銅+錫=青銅(ブロンズ)」も「鉄+酸素=酸化鉄(錆)」も「水銀+硫黄=辰砂・辰丹・丹砂・朱砂」も「化合変化」として追求したいけれど、「水=水素+酸素+水素」も物質分子としても追求したい。  なんで、こんなコト考えニャァ・・・イカンのだろう・・・

昼行灯・・・Hill & MU(Μ・μ)・・・干留、安堵、夢・・・  「風水学」と言われているものが跋扈しているが、「字面」とおりに理解すれば「風の流れ」と「水の流れ」と言うコトである。  「風の流れ」と「水の流れ」は人間生活の「衣食住」にガッチリと影響を与えているというコトである。先ずは「風水」は「方位学」としての「場所的地勢」であるから「住む住居」としての「大地を土台」とする「建物自体」に影響する。この「建物」に影響する「風(空気)の流れ」を決定づけているモノ、「水の流れ」を決定付けているモノは「山と川」である。加えるに「海、湖沼」と「森林」である。  建物を考えるならば「風水」と言う言葉に「土」が前提になっているハズで、この大地の「土」が欠けている。建物を脅かしているのは「大地の蠢き」である「地震」でもあるからだ。そして単純に考えても大枠は「地震」は「月ー地球ー太陽」の相互の重力による「引力の位置関係」が大であるだろう。  当然、「風水」は「風水+土」である。  人間生活を支える食料が農耕穀物生産で、その集落であるならば農耕地の「土壌」も重要になってくる。  「戦争」ともなれば「都市集落」は外敵からの防衛として特殊な条件を選択しながらその地形、地勢の「風水土」を合理的に考えざるを得なくなるだろう。  そして、人間は「建物自体の空間」に居住するのであるから「建物空間の仕切り」による使用目的による場所が大切であると言うことだ。そこの空間でも「空気の流れ」と「水の流れ」は重要である。「空気の流れ」とは「入出風(空気)調節」で今なら空調機であり、「水の流れ」とは「入出水調節」で、「上下水道」の「飲み水」と「排水」である。  「都市集落建設」、「家宅建設」は「人間生活の場」としては、人間は経験的に「合理的」にならざるを得ない「選択」をしてきた、と言ってよい。  そのムカシの「方位空間的生活の場の学問」、「地相・宅相」が「気門遁甲(風水)学」として体系化されたモノに違いない。だが、方位空間の場所的な「地相・宅相」の根本的な概念の基は「星相」である。  「星相」とは天体の星の位置を地上に写したモノである。地上の方位、「東西南北」は「十二支星座宮」のコトバを「地上に配置」したモノである。  で、その「気門遁甲学」は「合理性」があるのか?・・・「ある」と言えるが、「個人的な開運」としてでは無い。「生活防御」、「災害防御」としての「学問」である。  ならば、「気門遁甲」としての概念規定をどのようにして捉えればいいのか?・・・「気+門」は「空気(気)」の「出入り口(門)」で、「遁甲」は「巡り動く・循環移動(遁)」の「甲」である。そして一般的には「遁甲の術」とは「人目をくらまし、我が身を隠して凶事から逃れる術で、忍術の類い」とあるのだが、「甲」を主語として「遁」の説明ならば、「甲=人間が」か、「甲=アルものに」となるが・・・この「甲」は何を意味しているのか・・・「甲」が巡り動く、循環移動する、あるいは「甲」に隠れる、逃げると言う「甲」とは何か?・・・「風水土」を決定する根幹にある「甲」とは何か?  「忍術」ならば「遁甲」とは「木に隠れる」と言うことだろう・・・「甲」が「東(吉野・東国・比臥史・あづま=吾が妻)」の方向の象徴概念ならば、「東に逃げる」、「記紀に隠れる」ならば、「日本書紀の天武天皇」の記事、「古事記の序文」には納得するのだが・・・  一般的に「甲」とは天体の「木星」である。ギリシャ神話では「ゼウス・ジュピター・ユピテル」と言われている「神」である。そして、「木星」とは「歳星」、「太歳星」と言われているモノであり、時には「天刑星」とか「天形星」とか言われている太陽から「五番目の惑星」である。  「運命学」で「刑」とは年月日時の隣接する十二支が「四番目の支、十番目の支」と関係するコトである。  四番目  勢い恃む刑  寅ー巳  寅ー申  礼無き刑  子ー卯  十番目  恩無き刑  丑ー戌  戌ー未  それ自体の支が重なる  自刑  辰ー辰  午ー午  酉ー酉  亥ー亥  ・・・「木星」がこの年支と月支、あるいは日、時支に位置する時に何かが起こるのであろうか?  「歳星」とは「一年の間の星」であり、天体を十二区分した一区分に「365日間=一年間=十二ヶ月間」存在すると言うコトである。すなわち、天体円周360度を12区分した一区分の「30度」に位置する惑星が「歳星=木星」と言うわけなのだ。  そして「天刑星=天形星」は京都祇園に祭られている「牛頭大王」である。亦の名、別名は「武塔の神」である。そして更なる亦の名が「須佐之男の命」である、と言うことになっている。物語では「蘇民将来」の兄弟の「兄の娘の命」を助けた「神」であった。  「遁甲」が「木星の移動区間の位置するコト」なのだろうか?・・・ここで「遁」の漢字の意味を再考しなければならないだろう。  「遁(トン)」とは漢和辞典には、  ・のがれる  ・のがる  ・逃げる  ・隠れる  ・避ける  ・欺く  ・背く  ・あとじさりする  ・しりごみする  ・巡る=めぐる  とある。実際の実星である「木星=歳星」は正確には一年間にはその「支宮(30度)」には位置しない。ずれていく。ズレると何年後かには木星の滞在位置が一支を跳び越えてしまう時期がある、と言うことだ。例えば、  子→丑→寅→  子→→→寅→  木星は子支から丑支を跳び越えて寅支に位置してしまう。  そこで、「歳星」は「太歳星=木星」とは区別され、実星=木星ではない観念上に想定された「虚星=歳星」として登場することになった。  天体十二支座宮で実星の木星が隠してしまうものが「丑(チュウ・牛・うし)」と言うわけである。もちろん、「うし」は「主神」である。  この「虚星=歳星」の周期は「実星=木星」と異なり   →→歳星→→  子→亥→戌→酉→申→未→午→巳→辰→卯→寅→丑→子→  と「逆旋」する。「気門遁甲の九星」も「逆旋」するのだが・・・  いずれにしても「方位学」は直接的な人間個人の「運命学」では無い、と言える。住む環境を変えればイイ意味でも悪い意味でも「健康に影響」するのは当然である・・・地球の環境は人間の生き方による・・・  「遁甲」の「甲」が「木星」ならば、人間が地上から観察する天空に於ける「木星の位置(気門遁甲学上の位置)」と他の「惑星」の関係となるだろう。   四柱推命の自然弁証法、あるいは、宇宙弁証法  「形態論的」諸関係と「構造論的」諸関係  最近の「生命・生物学」に於ける最高の興味あるニュースは京都大学が研究している「万能細胞」であろう。  「染色体遺伝子」の「構造」が明らかにされてから既に年月を経たが、その染色体の遺伝子DNAが生物諸細胞の「発生」に如何なる機能性を有するのかの解明研究も日進月歩の速さで進行している。  「万能細胞」・・・ある細胞が生物の「生きた諸器官」に分化形成され、その「諸器官」が生物システムとしての「形態」になっていくには、その「万能細胞」が、他の何らかの「刺激」を受けねばならないと言うことであった。当初、その「万能細胞の分化」に「スイッチ-On」として刺激反応を与えたモノが「がん細胞」を発生さる「ヴィルス」であったらしい。  50年前ほどの中学校の「理科・生物学」の教科書には、ダーゥインの「種の起源」や、メンデルの「遺伝法則」が記され、人間の男女の「染色体数」の数の違いも記されていた。  そして雌の卵子と雄の精子での「両性生殖」での個体発生や、カエルの卵子を針で刺激することによっての「単為生殖」でオタマジャクシが発生することも記されていた、と思う。  何かと何かの「関係性」で何ものかが新たな個体ととして形成されていく。そして何かと何かの「関係性」で何ものかの個体がバラバラに壊されていく。  ある一つのモノの「形成」も「破壊」も「関係性」の結果であり、簡単に言えば、その「関係性」での「変化」である、と言える。  「形成変化」には、生物学的な「生きた形態的形成」と、無生物学的、「鉱物的」な結晶の「構造的形成」がある。  生命を形成する諸細胞の「生きたシステム機能」を有する存在をここでは「形態」と呼びたい。「生命形態」である。  無機物でそれ自体生命を有しないモノの構成存在を「構造」と呼びたい。人間が設計し、造り出す建築物、機械類も各部品から成る「構造物」である。  「形態物」は物理的、電気、電磁的、それに「化学的」な反応システムで存在する「生物」のあり方である。それ自体が「新陳代謝システム」で存在しているモノである。それ自体が息づいて「形態変化」をするモノと定義したい。  「構造物」は物理的、電気、電磁的な反応のみで存在する「無生物」のあり方である。生物以外の自然界に存在し、あるいは形成された固体、液体、気体を含めた存在物のあり方である。それ自体が自然の外的な要因の影響を受けて無機的に「構造変化」をするモノ、そして人為的に構造物として「構成」されたモノと定義したい。  そして、この宇宙、地球に「存在」するあらゆるモノは、それ自体では「存在」していない、と言うことに尽きる。すなわち、「存在」と「諸存在」の「諸関係」でしか「存在」しないのである。  しかもその「存在」のあり方は、「形態変化」と「構造変化」のプロセスとして「存在」している。  「弁証法」とは字のごとく、モノとモノの「関係性」と、その関係性に於ける「変化のあり方」を「説明」する「論理方法」である。  「変化」とは「時間」である。「時間」とはモノの「変化」である。  「四柱推命」とは、ある時間帯、ある時点の生命体の「変化形態」の「命」のあり方である。  そして、この「人間の命」が、自然、社会の諸関係で影響され、反応しながら「変化」していくプロセスを「推理」していく「自然弁証法」であり、「社会弁証法」の「論理」なのである。  「自然弁証法」はその肉体的実体の変化、「社会弁証法」はその精神的観念思考の変化であり、対人諸関係での「存在行動」の傾向性である。  ・・・つづきはマタの機会で・・・  前述のつづき・・・   前回、「弁証法」とは字のごとく、モノとモノの「関係性」と、その関係性に於ける「変化のあり方」を「説明」する「論理方法」である、と記したが、この「弁証法」なるモノは意外と「自明」なモノとして「理解」しているヒトは少ないのではないだろうか・・・  和英辞典の「弁証法」は英語で「DIALECTIC」と記されている。  では「DIALECTIC」を英和辞典で調べてみると、  形容詞として  「1)弁証(法)的」、「2)方言の」、  名詞として  「1)(哲学)弁証法」、「2)(しばしば)論理的討論」  と記されている。前後の単語を見ると、  DIAGRPH・・・分度尺・作図器  DIAL・・・日時計・指針面・目盛盤・ダイアル  DIALECT・・・方言・ある階級、職業、仲間などの慣用語  DIALCTAL・・・方言の  DIALECTIAL  MATERIALISM・・・唯物弁証法  DIALECTOLOGY・・・方言学・方言研究  DIALING・・・ダイアルを使っての測定  DIALOGIC・・・問答の・対話体の  DIALOGIST・・・対話者  DIALOGUE・・・対話・問答・対話(劇)・対話の台詞  DIALPHONE・・・自動式電話  DIALPLATE・・・文字盤・指針面  DIALTONE・・・発信音  DIALYSE・・・(化学)を透析する  DIALYSIS・・・分離・透析・隔膜分離  DIALYTIC・・・分離力のある・透膜性の  DIALYZER・・・透析器  とあり、「弁証法」そのものの具体的な「意味説明」、いかなる「論理内容」かの「説明」はない。で、漢和辞典を調べてみると、「弁論して証明するコト」とあるだけである。  「弁」の意味は、  1)冠・早い・急ぐ・怖れる・慄く・擦る・撫ぜる・打つ・叩く  2)別ける・裂く・区別する・分離する・わきまえる  3)明らかにする・調べる・おさめる・正す  4)ウリのなかご  5)ウリの種子を含んだ柔らかい部分  6)ウリの種  7)果物の房・ミカンなどの肉の一片  8)花びら・花弁・花片  9)弁・チュウブ(器管)を通す気体、液体の調節膜  10)二者間の対話、論議の是非を判断するコト  とある。  「DIALYSIS=分離・透析・隔膜分離」で、  「弁=別ける・裂く・区別する・分離する・わきまえる」  であるから、以上を踏まえて考えると、「二者間の論議の是非」は二者間のどちらが筋が通っているかを証明する「論法」であるらしい。だが、この「是非」を「判断する基準」はナンであるだろうか?・・・コトバに筋が通っているとは、「事実・事件」の「発端」と「プロセス」とその「結果」の「事実的説明」である。では、この「事実・事件」はどのようにコトバで「説明」されるのか?  どんな場合でも「事実・事件」は「5W・1H」での言語法則で述べられるであろう。即ち、主語と述語と目的語とその関係性の状態説明であり、 WHO・・・・誰 WHEN・・・何時 WHERE・・ 何処 WHAT・・・何 WHY・・・ 何故 HOW・・・ どのように  を駆使した「コトバ」での説明である。既にこの叙述パターンが「事実・事件」と一致し、第三者にも共通認識されるならば、「弁証法」である、と言える。問題は「事実・事件」に遭遇した「立場」によってこの「事実・事件」が歪められる場合である。人間同士の関係性での「心理」は、状況によっては「事実」をコトバにしない、出来ない、と言うコトがママあるからだ。しかも「妄想・空想・幻想」は人間の特権である。  だが、自然界の「モノ」に関する叙述は共通の言葉を有する人間の間ではそのモノの存在のあり方には共通認識ができるだろう。「1+1=2」、「水=ミズ=WATER=H2O」と共通認識できる。  「弁証法=DIALECTIC」とは、あるモノの「構造」、あるいは「形態」の「コトバ」を駆使した説明である。  ここでは「DIALECTIC=弁証法」とは「存在物」のあり方を説明する「DIALECTIAL MATERIALISM=唯物弁証法」に限られる。  「DIALECTIAL MATERIALISM=唯物弁証法」の「MATERIALISM」が「唯物」とされるのは「弁証法」が「唯一」、「物質のみを対象」に認識説明するモノであるからだ。  「DIALECTIAL MATERIALISM=唯物弁証法」が「人間心理」や「人間妄想」を説明するものではないのは自明であるだろう。そして、単なる「モノ」の説明ではない。モノ、生物、無生物を含めた存在のあり方を「構造=構成の形成物質の部分」として、「形態=生態の形成物質の部分と機能(新陳代謝・反応)」として説明する「コトバの論法」が「弁証法」なのである。  すなわち、人間の「認識対象」とする「モノ」を「個別なコトバ」、「特殊なコトバ」、「普遍的なコトバ」としての意味の区別性を持たせ、その「機能性」として説明される「論法」である。  「存在」しないモノはこの論法からは排除されるのである。故に「唯一」対象とするのは「存在するモノ」だけの「論法」なのだ。  人間の「観念内部」それ自体に形成された「妄想・幻想・空想」は別次元の「論法」で説明される。その「説明論法」は「自己存在=実存」の「快=不快」、「利己=利他」の「心理学」の領域である。  当然にも、自然環境の枠内で生活する「人間社会」の個々人のあり方の根源は「人間諸関係」に於ける「利害関係」の「心理の動き」による。  既に「弁証法」が如何なる「論理」かを説明した。  「正・反・合」、「止揚」などと「ヘーゲル」や「マルクス」を難解に考える必要はない。あらゆる「存在物」の認識対象として「コトバ=意味」を付与される。そして区別、分類され、系統、体系化される。「一般」、「特殊」、「個別」として。特殊なモノは、一般のモノから個別、別個なモノとして区別される。  「一般化」された「コトバ」は、共通の同じ意味を持つ。対象物の有する事実、実在としての種、類として「共通の意味」を持つのだ。  同類、同種のモノは「共通の意味」を持ち、それに「+アルファーの意味」を持つモノを「特殊」とし、「個別」なモノとする。まったく別個な意味の持つモノは「異種」として区別される。  ある「存在物」の「意味説明」を「言語法則」に則ってすればイイ。そして、説明されたモノが、一つのコトバに規定され、それが「一般的な共通のコトバ」として了解されればイイのだ。  ここに「原材料」が工場に運びこまれ、工場労働者の手によって工業生産され、「製品」となり、出荷され、問屋をとおして、小売店のタバコ屋の店頭で並べられた「商品」となった「ライター」をボクが100円で買ったとする。そのボクに私有された「ライター」が如何なるモノかを説明せよ、とするならば・・・ソレを説明するコトバの叙述はどうなるか?・・・  ボクに私有された「ボクのライター」の「履歴」は  1)原材料の説明  2)製品の構造、部品、機能、用途の説明  3)商品となった説明  4)ボク個人の私有物になった説明  5)その使用目的の説明  などなどが「説明」される。だが、結果、これらは「ボクのライター」となったからには、「ボクの特殊、個別としてのライター」と言うコトバが、1)2)3)のすべての「意味内容」を含有されたモノとしてあり、しかも他の多数の製品、商品である「ライター」からは区別されたモノ、4)5)としてあるだろう。  ここでは「ライター」としての「一般的な名詞(コトバ)」の意味内容として付与されている「2)製品」の「メーカー」、「機能」、「構造」、その「構造を形成する諸部品」など、すべての実体的な「部分構成」と、その「部分諸関係の機能」としての意味が含有され、それを使用するヒトには「何等かのモノに点火する道具」として「ライター」の「名詞」は共通認識され、了解されている、ハズである。  だが所有者、私有者、使用者によっては「用途目的」は個別、特殊的に「何々スルためのライター」と多様化される、であろう。  「説明内容」は構造形態を構成している各部分の特殊、個別的に区別されながら説明され、最終的には結果としての一つの総体としてのコトバ、「ライター」として「機能性を有するモノ」である、として一般的な共通概念となる。  ある「構造物」、「形態物」を「諸部分」に「分解」、「分析」し、その「諸部分間」の「諸関連」、「諸関係」と、その諸結果の「諸機能性=相互諸反応」と「全体的機能性」を説明するのが「弁証法」なのである。  「水」の存在としての「化学的説明」は、「化学分子式」としては、  H+H+O=H2O・・・水素+水素+酸素=水  である。「+」は結合の記号だが「関係性」の説明であり、「H2O」は「関係性の反応結果」である。すなわち、ある「形」の「変化」である。  現代科学、1950年代にアメリカのワトソンとイギリスのクリックによって遺伝子が二重螺旋構造になっていることが明らかにされたのだ。      /         \    P=リン酸    /D・・・G≡C・・・D\  D=デオキシリボース   P\            /P A=アデニン・・ A=T・・ 対塩基    /D・・・A=T・・・D\   T=チミン・・・ T=A・・ 対塩基   P\            /P  G=グアニン・・G≡C・・ 対塩基    /D・・・C≡G・・・D\   C=シトシン・・ C≡G・・ 対塩基   P\           /P  P―D・・・ヌクレオチド      D・・・T=A・・・D      \      /  現存するアミノ酸は二十種で、この種類は三つの組を形成する。それは  4×4×4=64  の「64の情報」を有し、この重複が多数のアミノ酸を形成する。このアミノ酸の組み合わせがタンパク質を形成している。 対塩基=対のエン(円)のキ(祁・鬼・気・記)・・・星座宮  「易」であるが、「八卦」である。  そして、  「八×八=六四」=「8×8=64」  の現象を言うものである・・・遺伝子の組み合わせ「64=六十四=六拾四」は、「易」の「六十四」でもあった。  「64」となるのは、細かく言えば「2の六乗」、「4の三乗」、「8の二乗」である。  ・・・思惟(シイ)の本(モト)・・・  2×2×2×2×2×2=64  4×4×4=64  8×8=64  2×4×2×4=64・・・6+4=10・・・6×4=24  「━(陽爻・+・プラス)」、 「‐‐(陰爻・-・マイナス)」  「爻(コウ・カウ・ギョウ・ゲウ)」は漢和辞典には「まじわる(まじはる)・ならう・かたどる・かわる」と訓んで、「易の卦を組み立てている横面」と説明されている。  陰爻(-)を、陽爻(+)を・・・・両儀 両儀が四象に分れる 老陽 陽の中の陽 少陰 陽の中の陰 少陽 陰の中の陽 老陰 陰の中の陰  四象は更に八卦へ 卦漢字分解方位読み訓み象意人物乾(十日十乞)北西ケンいぬい天父兌(八囗儿)西ダとり澤=沢少女離(亠メ凵ム冂隹)南リうま火次女震(雨辰)東シンう雷長男巽(己己共)南東ソンたつみ風長女坎(十一欠)北カンね水次男艮(目ヒ)北東ゴンうしとら山少年坤(十一申)南西コンひつじさる地母  八卦から六十四卦へ  八卦を組み合わせて8×8=64(大成卦)  大成卦 \上天沢火雷風水山地下天01 乾43 夬14 大有34 大壮09小畜05 需26大畜11 泰沢10 履58 兌38目癸54帰妹61中孚60 節41 損19 臨火13 同人49 革30 離55 豊37家人63既済22 賁36明夷雷25 无妄17 随21噬ロ盍51 震42 益03 屯27 頤24 復風44 女后28大過</TD>50 鼎32 恒57 巽48 井18 蠱46 升水06 訟</TD>47 困64未済40 解59 渙29 坎04 蒙07 師山33 遯31 咸56 旅62小過53 漸39 蹇52 艮15 謙地12 否45 萃35 晋16 豫20 観08 比23 剥02 坤  東洋の暦や占星術に使用されている  「六十干支」サイクルの「干」とは何か?  「六十干支」の「十干」は、「十二支」とのサイクルの組み合わせで「六十干支」で「120干支」とならないのは「十干」に「+-」があり、「十二支」に「+-」があり、その組み合わせが「+の干」と「+の支」、「-の干」と「-の支」の「同気」になっており、干支は「+-」では組み合わせにされていないからである。  甲(+)乙(-)  丙(+)丁(-)  戊(+)己(-)  庚(+)辛(-)  壬(+)癸(-)  子(+)丑(-)  寅(+)卯(-)  辰(+)巳(-)  午(+)未(-)  申(+)酉(-)  戌(+)亥(-)  「干(カン・ほす・ひる)」の漢字のヨミは  おかす・そむく・さからう・求める・預かる・かかわる  楯(たて)  ほす・かわかす・ほす・ひる・かわく・水際・岸・ほとり  都の外回りの地  などである。そして「干」には次の熟語がある。  干羽  干戈  倒置干戈  干害  干渉  干将莫邪  干城  干拓  干潮  干天  干犯  干満  干与  干預  干禄  若干  梅干  欄干  「干」の漢字分解は「干=(一)+(十)」で、「マイナス・プラス」であるからして「十干」が  五陰(-)=乙・丁・己・辛・癸  五陽(+)=甲・丙・戊・庚・壬  であることを「文字自体(字体)」が示唆していている。現代科学では物質のプラズマ状態の「イオン」と呼ばれるモノである。  熟語の意味からして「干」は「乾す=ほす・乾かす=かわかす・干からびる」で、「一」は「天=太陽」であり、「十」は「太陽の光線」であり、その「太陽光線(十)」を浴びて「物体の水分が無くなってしまう状態」であるだろう。電子レンジの中で水分が蒸発してしまう現象であるだろう。  で、「六十干支」の「干」は「天干」とも呼ばれる。  「干」の逆字が「土」、あるいは「士」であるが、「五行・十干」は「気」である「エネルギー」であるからここは「干の逆字」は「十(太陽光線)」が「一(大地)」に突き刺さった「土」である。  だから「干支」の「支」漢字は本来は「干支=干土」で、「土」である、としたかったのではないか?・・・天が注ぐエネルギーに反応する「地球のエネルギー」そのものである。だが「(十二)支=(十二)土」でなく、「支=枝」としたのは「時間の経過」で眼に見える現象が大地で根付き「生長変化」する「植物」であった。「天干」のエネルギーを受けて反応する地球のエネルギーが人間の眼に見えて動的な現象化したものが「生物」としての「動植物」なのだ。そして、その生長現象を観察する目安は「月の朔望=新月・満月」の「十二ヶ月」と重なっていた。「太陽」の周期と「月」の周期が一致する時期はいつか?  太陽・・・365.2422日x19年・・・6939.6018日   月・・・29.53058日x235月・・6939.6863日  となり、ほぼ等しい。「235=12月x19年+7ヶ月」で、19年間に「七ヶ月」の「閏月」を挿入すれば「年周期=月周期」が一致すると考えた。それでも「(365と1/4)x19=6939と3/4」日で、更に端数を完璧にするにはこの「76倍年」とした。そして「干支=60」サイクルを一致させる年と日の周期、  「76年x20=1520年=9253x60日」  と  「1520年x3=4560年=76x60年」  を考え出した・・・実体も数字も一致するが、エネルギーが地球上生物に変化を与えるとしたら・・・?・・・この周期・・・干支の循環エネルギーが人間に与える一歳の時の受け身の体力と、六十歳になった時の受身の体力は、当然違った反応を示すであろう。ましてや人間は「1520年」、「4560年」もの寿命を有していない。だが、地球上の個々の生物、生命体は、  1)60ヶ年・・・土・木・火・地球・金・水→←太陽1             ↓       2)60ヶ月・・・地球→←月・太陽2             ↓  3)60ヶ日・・・地球→←太陽3             ↓  4)60ヶ時・・・地球←←太陽4  の「60x60x60x60」の循環組み合わせの「天干と地支エネルギー」の相互影響下で「発生」し、この時点を「宿命」としながら、その後の時間のズレの影響を受けながら特殊、個別の形成形態を変化させながら生きて行くコトになるだろう。  とにかく、「干」は地上の植物の生長現象で「枝=支」を突き出すモノが「幹=根幹=干」として重ねられ、考えられたのであろう。まさに私達は「木の年輪(干=幹)」と「木の節(支=枝)」にその一年間の、太陽と地球大地のエネルギーの具体的な変化の証しを発見するだろう。さらに詳細にこの「一年輪」を調べれば「一ヶ月、一ヶ日、一ヶ刻(2時間)」の時間帯の「木の生長状況」を知るコトができるだろう。当然、木が生長(細胞分裂)する「特殊個別的な場所的異なった環境」は木そのものを「特殊個別的な木」として現象実体化するであろう。  全宇宙からの影響   ↓  太陽(天干)→生物(生命体)←地球(支)                 ↑                 全宇宙からの影響  「干=十干」とは天からこの大地である地球に降り注いでくる「太陽のエネルギー」のコトである。これは「太陽=宇宙のエネルギー」としてもイイだろう。現実的にはその殆どが「可視光線を含む電磁エネルぎー」である。そして天体惑星としての「木星・火星・土星・金星・水星」が五行に重ねられた。木星は幸福の星であるが、土星も古代中国では幸福の星であった。しかも各惑星の「天体周期」も観測されていた。結果、各惑星の「会合周期」も計算され予測されるモノとなったのである。  で、現代科学の明らかにした太陽系の空間配置は、既に述べたように  太陽→水星→金星→土星(地球)→火星→木星→土星  である。以前、既に述べたが五行上の「土(土星)」と「地球」の位置が重なっているコトである。当然、天体を観測認識する「生命体=人間」の存在するのは「地球」であるから「土星」の意味は「地球の意味(土)」と重ねられているのは当然である。  「五黄土星」は「黄帝」であり、「中央」であり、「宮」であり、「土」とは「戊・己」で、大地である。そして「地球=大地」は「生物の屍=人間の死」への還元の場所であり、「土星」は、肉体から離れたタマシイの「鎮魂の場所」として「鎮星」と呼ばれたのである。すなわち、「土星」は大地に眠る死者を祭る天空の祭神でもあった。  「十干=天干」は純粋に「+-」にされているが、地球のエネルギーである「十二支」の方は一応、「各支」そのものが「+-」にはされているが、純粋な「+-」とはなっていない。  十二支の「内部構成」は「地支の蔵干」としてその「エネルギー」を「+-」を含んだモノとされている。例えば「子=壬+癸」、「丑=癸+辛+己」とされているのだ。しかも「壬+癸」は「子」の「構成要素」であるとともに、「子」の地球のエネルギー活動「壬→癸」の時間の流れでもある。同様に「癸+辛+己」は「丑」の「構成要素」であるとともに、「丑」の地球のエネルギー活動「癸→辛→己」の時間の流れでもある。  しかも個々の「十二支」がそれ自体「+」か、「-」と決定されているのは「十二支の蔵干」の「本気」が「+」であるか、「-」あるかによってはいない。「巳(-)の本気が丙(+)」、「午(+)の本気が丁(-)」、「亥(-)の本気が壬(+)」、「子(+)の本気が癸(-)」である。各十二支が含むエネルギーは「+-」が渾然としている。だが、この「渾然」にもエネルギーの結合(方合・三合・支合)、反発(沖)としての「数理」から成り立っている。  いわば、十二支は、それ自体「+-」の循環が単なる順番で決定されている。  下の図式でしめした「㊤ ㊥ ㊦」の「㊦」の部分が「本気」と言われるモノである。「㊤=初気」、「㊥=中気」と呼ばれている。  また、この「蔵干」の「午」と「申」も複雑に「+-」を含んでいる、と考えている人々もいる。  十二支の分野蔵干  ↓    ↓  子(+)=㊤壬    ㊦癸(-)  丑(-)=㊤癸 ㊥辛 ㊦己(+)  寅(+)=㊤己 ㊥丙 ㊦甲(+)  卯(-)=㊤甲    ㊦乙(-)  辰(+)=㊤乙 ㊥癸 ㊦戊(+)  巳(-)=㊤戊 ㊥庚 ㊦丙(+)  午(+)=㊤丙    ㊦丁(-)・・㊤丙 ㊥己 ㊦丁  未(-)=㊤丁 ㊥乙 ㊦己(-)  申(+)=㊤己 ㊥壬 ㊦庚(+)・・㊤己 ○戊 ㊥壬 ㊦庚  酉(-)=㊤庚    ㊦辛(-)  戌(+)=㊤辛 ㊥丁 ㊦戊(+)  亥(-)=㊤戊 ㊥甲 ㊦壬(+)  子(+)=㊤壬    ㊦癸(-)  丑(-)=㊤癸 ㊥辛 ㊦己(+)  上の各十二支の「初気=㊤」と「本気=㊦」は前後の十二支と連続している。「中気=㊥」は「三合・方合」の要になっている「蔵干」だが、流れを見ると「丑ー寅」、「巳ー未」、「申ー戌」の「中気=㊥」同士が「干合」関係になっており、「辰の㊥癸」と「亥の㊥甲」の「中気=㊥」の「干合」相手「戊」と「己」がどの十二支の「中気=㊥」には存在しない。  「戊」と「己」は「中気=㊥」には存在せず、「初気=㊤」と「本気=㊦」にしかしないのである。「土=戊・己」は、  「丑(本気)→寅(初気)」  「辰(本気)→巳(初気)」  「未(本気)→申(初気)」  「戌(本気)→亥(初気)」  の支に含まれ、  「丑(本気)」・寅(初気)」 沖↓↑己  沖↓↑己  「未(本気)」・申(初気)」  「辰(本気)」・巳(初気)」 沖↓↑戊  沖↓↑戊  「戌(本気)」・亥(初気)」  この関係は「沖支」で「戊・己」が現出してくる。そして「土用」とも言われ、一般的にはこのサイクルには地球の大地が不安定な時期で、土用波とか地震の発生時期でもある。  「蔵干の中気」同士の「干合」は以下のパターンになっている。  丑(-)=㊤癸 ㊥辛 ㊦己(+)              |             干合(水)              |  寅(+)=㊤己 ㊥丙 ㊦甲(+)  巳(-)=㊤戊 ㊥庚 ㊦丙(+)              |             干合(金)              |  未(-)=㊤丁 ㊥乙 ㊦己(-)  申(+)=㊤己 ㊥壬 ㊦庚(+)              |             干合(木)              |  戌(+)=㊤辛 ㊥丁 ㊦戊(+)  「甲ー己」と「癸ー戊」の関係では  午の(㊤丙 ㊥己 ㊦丁)  申の(㊤己 ○戊 ㊥壬 ㊦庚)  の「蔵干」に「己・戊」が存在させれば「亥(甲)ー午(己)」と「辰(癸)ー申(戊)」の「中気」同士の干合もありえるコトになるが、「蔵干」理論の整合性は崩れてしまう。「戊・己」の「蔵干」は特殊と考えたほうがイイであろう。当然、「中気」としての「甲」と「癸」は「干合」相手はいない。  で、地球に降り注いでくる「エネルギー(天干)」はどのように分量が決定されているのか?・・・1)の(太陽1)を大枠として  太陽と地球の位置関係→365日(太陽3)・・地球の自転朝昼晩(太陽4)  太陽と月と地球の位置関係→12ヶ月・・・(太陽2)  農耕中国人は地球の「寒暖」を太陽との位置関係で「24節気」と「72候」の区分分けもした。  しかも「太陽の黒点周期」は「九年」となっている。  「気門遁甲」は「十干十二支」も重ねるが、そのサイクルの基本的は「9~1の循環」で、縦横斜めを加算した和が「十五の魔法陣」である。      6   1  8       + + +      7+ 5 + 3       + + +      2  9  4  「0」と言う概念は古代中国では未だ考えられてはいなく、十の位に桁が上がる「究極」の極まった数字が「9」であった。「黒点」は太陽自体の変化の循環周期である。当然、地球上に影響を及ぼす。  *「太陰太陽暦」での「会合周期」は「科学史から見た占星術」、「中国占星術の世界・橋本啓造著・東方書院・1993年発行」を参考にしました。  気門遁甲盤の「五黄土星」・「二黒土星」・「八白土星」の「土星」の数字はナニを意味するのか?  ・・・「八角形」に納まる方位の動きはナニを意味しているのか?  「五行思想」に於ける「土星」、「土=戊・己」とはナニ?  「午支」の蔵干に存在する「丙」「己」「丁」の「己」とは何か?   「己(コ・キ・おのれ)」が「おのれ・よこしま」とヨマレるのは何故か?  ・・・「天動説」とは別の意味で「人間=認識主体=己」が存在する太陽系の中心が「地球=己」であるからだろう。  「己」の類字に「蛇」の「巳(シ・ジ・み)」と、「月已望=十五夜の満月」の「已(イ・やむ・おわる)」がある。  すると「己=地球」であるとするならば、当然にもにも「戊」が「土星=鎮星」を意味する。逆に「戊」の漢字の由来から推理するならば「地球」の可能性もある。   戈・・・カ・クワ・ほこ   戊・・・ボ・ボウ・モ・つちのえ・・・(ノ+戈)   茂・・・ボ・ボウ・モ・しげる・廾(丱)+戊   戉・・・エツ・オチ・ゲツ・ガチ・まさかり(鉞)   戍・・・ジュ・シュ・まもる・   成・・・セイ・ジュウ・なる・なす   戌・・・ジュツ・シュツ・・シュチ・いぬ   戎・・・ジュウ・ニュウ・武器・汝・えびす   我・・・ガ・わ・われ   戒・・・カイ・・いましめる・ものいみ=斎戒(沐浴)                         ↑      「沐浴」は「沐」の漢字は何故「?(水)+木」なのか?  (*「沐浴」は官吏の休暇の下賜。帰宅してカミを洗うこと。恩恵)  「遁甲」の「甲」が「木星」であるならば一年間の位置する「木星=ジュピター=歳星=主催星」の恩恵(沐浴)を「地球」が受ける位置である。だが「木星」は「三碧」と「四緑」の二種類あり、「土星」は以下の「三種類」ある。  「遁甲」が「木星=歳星」ならば2008年の「甲」は「北方=子支」にあるが、その位置で「木星」と重なっているのは「六白金星」である。  「五黄土星」・・・地球(己)?  「二黒土星」・・・?  「八白土星」・・・?  「五黄土星」・「二黒土星」・「八白土星」のいずれかが「中央」に位置する時には必ず「北東・中央・南西」の斜め(/)に「五黄土星」・「二黒土星」・「八白土星」が位置する。  ここでは「己=私=ム」を「地球」としたいが、「地球(己)=土星(戊)」として重なるモノとして考えたい。  季節的には「丑辰未戌」支の「土用」であるが、「午支」の「月の蔵干分野期間」とされる「丙(初気=節入り以後、十日間と三・五時間)」、「己(中気=初気以後、九日間と三時間)」、「丁(本気=中気以後、十一日間と三・五時間)」の「己」とは何か?・・・対沖の「子支月の蔵干分野=初気(壬)・本気(癸)」であるならば、「午支月の中気(己)」は非合理であるとは思う。  午支の「己」・・・太陽(丙)と火星(丁)の間に存在する「惑星(地球=己)」と言う意味の「配置」か?・・・理論的な整合性として「午の中気(己)」は無いモノとして考えたい。  子(壬   癸)    ↓↑  ↓↑ ←支沖の関係で「双方の気」が散じる  午(丙 己 丁)      ↑      己が残留して「午=己」になってしまう?・・・よこしま  即ち「午支」は「初気(丙)・本気(丁)」である・・・「ウマしマジ」で、「大化の改新」は「645年」で、「ムシゴロシ」、島の大臣の館で、焼き殺された「蘇我=(我、蘇える)の馬子、真面(目)」である、ナッ。  「土星=鎮星(填星)」は天体円周の図式「二十八宿」で、一年間に「13と5/112」度で「一宿」を移動し、28年間で天空円周を一周する。即ち、一日に「1/28」度、移動する。月がおよそ「1/28日」で「一宿」移動し、「28日=一ケ月の朔望」で天空円周を一周移動するところを、土星は28年間かかる。豊穣と農耕の守護星、土星は「鎮星」と記されるが、「填星」とも記されている。「填(?)」は「テン・デン・チン・ヂン・塞ぐ・埋める・みたす・しずめる」ともヨマレている。両方とも「鎮魂=たましいをシズメル、弔う」であろう。「弔う」の漢字が「弓+l」は弓に矢を番えて引く「射手座」の「ケイローン・ケンタウロス」である。「ケイローン」は「医者の神」である。矢尻(斗宿)の方向は・・・蠍座の心臓(心宿)を狙っている。  惑星のおよその天体円周黄道を移動する日数は  木・・・ 4380日≒12年  火・・・  687日≒ 2年  土・・・10950日≒28年  金・・・  224日  水・・・   88日   日・・・  365日= 1年  月・・・   29日≒28日  である。  「文殊菩薩」の「宿曜経=二十八宿」ならば「水瓶座=ペガサス座(守護星は鎮星=土星)」である。「ペガサス」とは「翼を有した天の白馬(天馬)」である。「ペガサス」は「霊感」と「不死」の象徴でもあった。  そして西洋占星術では「羯宮=山羊座」の守護星が「土星=鎮星」である。コレに架かっているのは「虚宿=から星」で、これは梵語では「植物のハリタキ」で、「摩登伽経」では「飛鳥」となっている。「虚」は「あき」ともヨマレる。  尻とり遊びのように連鎖していくと、  虚宿=飛鳥=あすか=娃州掛(化・禍)=亜素化(アマネシのモトの変化)         =明日香(日月の日の退き、あるいは能義の日)         =安 宿(ウのオンナの宿泊地)=奈良         =空 宿(そらやど・あきやど・クウシュク・アキシュク)         =穐諏句=秋祝(秋分)=安芸(安岐・亜紀)諏句         =鬼宿  で、「飛鳥(ヒチョウ・とぶとり=斗分酉・渡武都里)=火鳥(鳳凰=ホウオウ=法王=ノリのキミ=海苔の畿味・宇美古家)=秘帳」だ。  そして「比帳(比べる帳・較べる帳)」で、「肥長(肥の長・コエのオサ)=肥の国」、「卑の国の重」、「一の国の調」、「妃の国の帳」・・・なるほど、渦の音に秘められた「アワジ(淡路)=亜和字=あまねし和字」の「鳴門秘帳」ではあるな。  ・・・「磨羯宮」の「羯」は「般若心経・般若波羅蜜多大心経」にある「真言」の「羯諦、羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提莎訶」の「羯」でもある。呪文で、「彼岸に到れり、菩薩に。めでたし」とされ、一般的には意味不明らしいが「羯=羊+日+勹+・+ム」の漢字を調べればその「意味」も見えるハズである。羯=去勢された羊。  「羯= 羊+  日+          勹+  (乙)  + ム」      ↓   ↓           ↓    ↓     ↓    「ヒツジのニチ(ヒ・ビ・カ・ジツ)はツツムのオツニョウのヨコシマ」      ↓   ↓           ↓    ↓     ↓     ヨウ   クサ           ク   イツ・オト  シ・カイナ  である。「羊=䒑+キ」で「芋(いも)」に類似しているのだが・・・。  「お彼岸」は「春分・秋分」の日であり、「昼夜等分の日」であり、その「太陽出没の方向」ではあるが、この日が「菩薩」なら、その同音異字は「ボサツ(捕殺・母殺・模刷)」である・・・「日輪・月輪・観音・文殊」等の菩薩は文字通りの意味だ。「観音菩薩」は「ボサツの音を観よ」である。  だとするならば、「真言」の「羯諦=ギャーティ=義夜定」は「月(チャンドラ)の位置する磨羯宮」で、ここの「宮座の各宿星」は、「斗・牛・女・虚」等の宿(星座)である。  その「磨羯宮」の守護星は「土星(鎮星)」なのだ・・・「磨羯宮」は「鎮魂のホシ(保支・星・干)」であり、「鎮魂」されるのは、当然にもその宮にある「斗(はかる)・牛(うし・ぬし)・女(おんな)・虚(あき)」等の宿命の人物である。「小峰有美子」氏によれば「空海」は「女宿の日」に生まれたと記録にあるらしい。  中国の「蘇州天文図」によれば、その配置図は、  同音異字  ↓  「斗は二十五度・幽洲」=「都」  ↓         ↓  はかる      かくす=墓留・隠す・・・測る二十五度  「牛は七度  ・星紀」=「義喩土、(七・奴)、世紀・精気・西紀・生起」   ↓        ↓   うし・ぬし    ほし =有死・主(奴死)・・烏・・七奴  「女は十一度 ・揚州」=「序努、(壱・拾・壱・怒)、要周」   ↓        ↓   おんな     あげる=音名・・・・・・・・遠那、壱拾壱度、安芸留  「虚は九度  ・元号」=「去土、(九・土)=九州、言合」   ↓        ↓   あき      もと =亜紀・・・・・明(秋・穐・飽・空・安岐)                     の句のタビ(侘美)のモト  である。  「羯(カツ・ケツ・ケチ」は「去勢された羊・五胡の一で『匈奴』・羯鼓は太鼓の両面をバチで打ちならす両杖鼓」で、「かつ」とヨマれる。。

「弁証法」としての「変通」  「変・通」とは  「十干」が「関係反応」し、  「変化」して意味の通じる「出来事のコトバ」で  「関係事象の反応、結果の意味概念」である。  「関係事象」とは  「十干」同士の「関係と過程、結果の出来事」である。   例:水素2→関係←酸素・・・水素と酸素は比喩としての「十干」            ↓           水←・・比喩としての「変通」   上のような考え方を、  各「十干」同士の関係で  「事象=変通」が起こるモノとした。  「十干の実体」が明らかにされない限り、  「観念論」であり、「形而上学的な仮説」である。    甲乙丙丁戊己庚辛壬癸←十干   甲X   乙   丙   丁   戊   己   庚   辛   壬   癸   ↑   十干   この「十干(気)」の「実体」は何か?・・・  この「実体」は今現在、「仮称体・仮構体」であり、現代「科学」で発見され、理解されている「物質」としての「原子・分子」などとの「実体概念」とは全く異なっている。  多分、五種類の電磁化した「+-のイオン」である。「イオン」とするならば人間の認識対象となる「実体」は「物質」で、「唯物論」を根拠しているモノである。  ソレゆえに、「十干(イオン)」としての関係性の「反発・結合」反応での「思考、認識の形式」は「自然弁証法」的に似ている。  「自然弁証法」そのものである。  仮の説  本来的には「+・-」の「イオン(干)」化したモノが「一つの五行」となり、その「質量の電磁気」をおび、「電磁波」を放射しながら外見的には安定化してみえる「アルモノの状態・形態」である。  五行「思想」のあらゆる根本的なモノとしての存在概念は「木・火・土・金・水」の抽象概念に分類されるが、現存在としての「樹木」、「気体としての炎」、「土砂、岩石」、「金属類」、「液体」ではない。  あらゆるモノが「木・火・土・金・水」の抽象化概念に「属性化、体系化」されるという「仮説」である。  多分、ある質量を持った「分子(諸干関係の結合体・構成体)」の「個体・液体・気体」の位相であり、異相である。  そして、現実的な存在物は「五行の混在」として存在し、その相互作用によって活動変化、形態変化し、外的な五行によっても影響反応、変化している。  (+甲-乙)=木の磁気をおびているモノ  (+丙-丁)=火の磁気をおびているモノ  (+戊-己)=土の磁気をおびているモノ  (+庚-辛)=金の磁気をおびているモノ  (+壬-癸)=水の磁気をおびているモノ  の一対(+-)のモノが、ある条件の下では  自らの「干」から数えて「六番目の干」が結合し、他の干に変化し、その結合した一対の五行も変化する。  甲(+) 乙(-) 丙(+) 丁(-) 戊(+)  ↓    ↓    ↓    ↓    ↓  戊    辛    壬    乙    丙  土    金    水    木    火 ←干合(結合)概念  己    庚    癸    甲    丁  ↑    ↑    ↑    ↑    ↑  己(-) 庚(+) 辛(-) 壬(+) 癸(-)  「十干の気」は確実に人間の「五感(特に視覚的色)」で感じられる「太陽エネルギー=電磁波」を「五行=十干=イオン」として「分類」したモノである。  その視覚的な「十干の関係性」は基本的には「十天干・十二支内部の蔵干」の「幾何学的な関係性」とその思考認識で成り立っている。  円の平面図で十二分割し、その枠内の関係性を表現すれば、  円、  円の各30度の十二等分割、  円内90度で結ばれる正方形、  円内60度で結ばれる正三角形、  円の中心点を通る直径の対衝各ニ点、  円の十二分割点を横軸並行に直線で結合する各二点、  円の十二分割点を縦軸並行に直線で結合する各二点  円周十二分割内の  幾何学図(地球)に重なる  円周十天干(太陽電磁波)の関係性での  時間的「十干の強弱」である。   意志発現機能としての「変通」   各干の関係し、反応変化したモノは   次の「十種類」の「変通」で、その「事象的性質」である。   ここでは「変通」を形成する関係諸十干は例えるならば   染色体上に存在する「遺伝子」に似ている。   「自律神経」でない「脳神経系統」で、   「思考」と「判断」によって   自らの実行、行動を「意志発現」し「機能」させるモノ   人間存在に於ける、「生命諸活動」に於ける   「十干諸関係」の   「脳内エレメント(変通)」の機能   1) ・・比肩・・諸関係の主体(自分自身・肉体・自我)        自我の発現=自己存在の生命活動と維持の根源        自己主張、自立、自己存在の保守性        ↓   2) ・・劫財・・自我の我慢、忍耐、抑制        妥協・諦め        ↓   3)・・食神・・緩慢、楽天的に創造、表現        愉快・柔らかな才能発揮        ↓   4)・・傷官・・緊張、焦燥感で創造、表現        怒り・鋭利で繊細、厳格な才能発揮        ↓   5)・・偏財・・社交性        協調・現実的な損得バランス        ↓   6)・・正財・・合理性        無駄の排除、余裕の保守        ↓   7)・・偏官・・現実的、即対応な行動、実践性        現場的な判断、行動、実行        ↓   8)・・正官・・規範的な行動、実践性        マニュアルの枠内での判断、行動、実行        ↓   9)・・偏印・・感情、情緒・喜怒哀楽、不安        好奇心、好き嫌い、ヒラメキ        ↓   10)・・印綬・・理性・悟性、理屈        論理的、一般知識、教養   上の「変通」をコントロールする他の「変通」   1') ・・比肩・・自己主張、自立、自己存在の保守性を        コントロールする変通が        「正官(規範性)」である        ↓   2') ・・劫財・・自我の我慢、忍耐、抑制、妥協・諦めを        コントロールする変通が        「偏官(現実性)」である        ↓   3')・・食神・・緩慢、楽天的に創造、表現        愉快・笑い・柔らかな才能発揮を        コントロールする変通が        「印綬(プライド)」である        ↓   4')・・傷官・・緊張、焦燥感で創造、表現        焦り・怒り・鋭利で繊細、厳格な才能発揮        コントロールする変通が        「偏印(懐疑・機転)」である        ↓   5')・・偏財・・社交性・有効性        協調・現実的な損得バランス        コントロールする変通が        「劫財(我慢)」である        ↓   6')・・正財・・合理性        無駄の排除、余裕の保守        コントロールする変通が        「比肩(自我)」である        ↓   7')・・偏官・・現実的、即対応な行動、実践性        現場的な判断、行動、実行        コントロールする変通が        「傷官(怒り)」である        ↓   8')・・正官・・規範的な行動、実践性        マニュアルの枠内での判断、行動、実行        コントロールする変通が        「食神(楽しみ)」である        ↓   9')・・偏印・・感情、情緒・喜怒哀楽、不安        好奇心、好き嫌い、ヒラメキ        コントロールする変通が        「正財(合理性)」である        ↓   10')・・印綬・・理性・悟性、理屈        論理的、一般知識、教養        コントロールする変通が        「偏財(社交性)」である  「変通」  「四柱命式」に現されるモノは「八字」に限定され、偏っている場合がほとんどですが、生きて存在する人は前提的に、潜在的にこれら「十の変通=十の性格」をすべて有し、そのバランスを潜在的にとろうとしているのです。  生まれ持った「資質」は実現されるだろう「宿命的性格」傾向の「種」であり、その外的環境に関わり、影響されることにより「発芽」し、「幹」となり、「枝」となり、「葉」を出し、「花」を開花し、更には「花」の一部は特殊個別的な「実」をつけるのです。  「実」をつけた段階で、その内部に「種」を持ち、最初の「種」はそのプロセス的なあらゆる「段階的性質」を含み持って「完結」した、と言えるでしょう。  「種」はすべての「性格を潜在」させ、その潜在性をプロセスで顕在させるのです。  だが、人間に於いて外面的に「完結した性格」など、あろうはずがありません。それは自己に秘められた「潜在的なモノ」であるはず。  なぜならヒトの「性格基盤」である「感情」も「理性」も常に外的、内的に偏って動いているからです。  外的にはアナタがその時々に対するヒトや環境、雰囲気、状況によって、「ヒト」として有する「基本的性格=格式変通」を軸にしながら「重なり合った複数の他の性格」を使い分けるのに違いありません。  内的にも個人的な「基本的性格」と言われるものを軸にして「対人関係」や、「諸状況」に於いて「十の中の他の性格」、あるいは「複合的な性格」としてめまぐるしく変化させるでしょう。  結論は人間とは元々「多重人格=多重性格」であり、その使い分けを状況に応じてこなしているのです。  そして常時、顕在化させ、十の中の一、その偏向しているモノが「格式変通=パターン化された性格=性格の傾向性」と言われているものなのです。  ですから、この偏向したモノの長所を引き出し、短所を抑えるモノが「時間的・場所的」な人間諸関係の環境的、すなわち、「運行=天の時・地の利・人の和」となるわけです。  もちろん、その逆も真です・・・「天の不時・地の不利・人の不和」。  「人間実体」の心理も行動も「複雑怪奇」・・・  既に述べた「十種類の変通概念」は個々人の「生日天干」を基軸にした「他の十干(生年月時の各天干)」関係と、分野蔵干(生年月日時の地支にある各干)」関係で形成されるモノである。          →変通(事象)←生年月時の天干  生日天干<          →変通(事象)←生年月日時の地支分野蔵干  生日天干地支→変通(事象)←サイクル干支  何故、「各変通」を決定する「生日天干」が基軸なのか?、その根拠は何か?・・・「その日」とは?  「科学的」に「変通概念」を規定するとするならば、この機能性を実証するためには膨大な「対象観察」と、その「データー」が必要である。  人間の精神活動に於ける「変通分類の機能性」を実証するためには膨大な数の人間行動の「観察」と、その「行動・活動」に於ける「精神分析」、「心理分析」が必要である。  古代中国人には膨大な個々人の「観察データー」があったのだろうか?  「観察結果」の「変通」だったのであろうか?  それとも「クリエーター」があらかじめ組み込んだモノなのか?  ある人間が、この「四柱推命学」を体系理論化するとしたら、膨大な「戸籍記録(個々人の生年月日時の干支サイクルの記録)」に基づいた「立運以後の時間的経過の全個々人の履歴調査」が必要であったハズである。  「社会保険庁」の役人の杜撰な仕事ではコマルのだが・・・  そして「格式変通」を基軸にした個々人の「性格傾向性」は「決定論的」であるが、「事実」なのであろうか・・・?  人間の認識に於いて「未来は不確定で仮説的」だが、「過去は確定された事実」である。  「昨日の未来予測」は「今日の過去的反省」である。  「昨日の未来予測」は「今日の現実的事実」である。  ボクにとって「サイクル変通の出来事的な事実」は「否定」しがたいのは「事実」である。  「統計学」的傾向ではなく、「確率論」的傾向ではない、「決定論」としての「変通事象」が現実化する・・・  「宇宙」も「自然」も「存在法則」としては「決定論」である。  「偶然」も「突然」も「人間認識の範疇概念」である。「存在法則」には「偶然」も「突然」も無い。あるのは「決定法則(性)」だけである。  「決定論」であるからこそ、「認識主体」の人間にとっては「科学理論」なのだが・・・  妄想、空想、奇想、幻想、思想する「人間の脳機能」も「宇宙・自然界」の存在活動の申し子であるが故に「決定論の枠内」にあるのは当然である。  「弁証法」としての「変通」  「変・通」とは  「十干」が「関係反応」し、  「変化」して意味の通じる「出来事のコトバ」で  「関係事象の反応、結果の意味概念」である。  「関係事象」とは  「十干」同士の「関係と過程、結果の出来事」である。   例:水素2→関係←酸素・・・水素と酸素は比喩としての「十干」            ↓            水←・・比喩としての「変通」   上のような考え方を、  各「十干」同士の関係で  「事象=変通」が起こるモノとした。  「十干の実体」が明らかにされない限り、  「観念論」であり、「形而上学的な仮説」である。    甲乙丙丁戊己庚辛壬癸←十干   甲X   乙   丙   丁   戊   己   庚   辛   壬   癸   ↑   十干   この「十干(気)」の「実体」は何か?・・・  この「実体」は今現在、「仮称体・仮構体」であり、現代「科学」で発見され、理解されている「物質」としての「原子・分子」などとの「実体概念」とは全く異なっている。  多分、五種類の電磁化した「+-のイオン」である。「イオン」とするならば人間の認識対象となる「実体」は「物質」で、「唯物論」を根拠しているモノである。  ソレゆえに、「十干(イオン)」としての関係性の「反発・結合」反応での「思考、認識の形式」は「自然弁証法」的に似ている。  「自然弁証法」そのものである。  仮の説  本来的には「+・-」の「イオン(干)」化したモノが「一つの五行」となり、その「質量の電磁気」をおび、「電磁波」を放射しながら外見的には安定化してみえる「アルモノの状態・形態」である。  五行「思想」のあらゆる根本的なモノとしての存在概念は「木・火・土・金・水」の抽象概念に分類されるが、現存在としての「樹木」、「気体としての炎」、「土砂、岩石」、「金属類」、「液体」ではない。  あらゆるモノが「木・火・土・金・水」の抽象化概念に「属性化、体系化」されるという「仮説」である。  多分、ある質量を持った「分子(諸干関係の結合体・構成体)」の「個体・液体・気体」の位相であり、異相である。  そして、現実的な存在物は「五行の混在」として存在し、その相互作用によって活動変化、形態変化し、外的な五行によっても影響反応、変化している。  (+甲-乙)=木の磁気をおびているモノ  (+丙-丁)=火の磁気をおびているモノ  (+戊-己)=土の磁気をおびているモノ  (+庚-辛)=金の磁気をおびているモノ  (+壬-癸)=水の磁気をおびているモノ  の一対(+-)のモノが、ある条件の下では  自らの「干」から数えて「六番目の干」が結合し、他の干に変化し、その結合した一対の五行も変化する。  甲(+) 乙(-) 丙(+) 丁(-) 戊(+)  ↓    ↓    ↓    ↓    ↓  戊    辛    壬    乙    丙  土    金    水    木    火 ←干合(結合)概念  己    庚    癸    甲    丁  ↑    ↑    ↑    ↑    ↑  己(-) 庚(+) 辛(-) 壬(+) 癸(-)  「十干の気」は確実に人間の「五感(特に視覚的色)」で感じられる「太陽エネルギー=電磁波」を「五行=十干=イオン」として「分類」したモノである。  その視覚的な「十干の関係性」は基本的には「十天干・十二支内部の蔵干」の「幾何学的な関係性」とその思考認識で成り立っている。  円の平面図で十二分割し、その枠内の関係性を表現すれば、  円、  円の各30度の十二等分割、  円内90度で結ばれる正方形、  円内60度で結ばれる正三角形、  円の中心点を通る直径の対衝各ニ点、  円の十二分割点を横軸並行に直線で結合する各二点、  円の十二分割点を縦軸並行に直線で結合する各二点  円周十二分割内の  幾何学図(地球)に重なる  円周十天干(太陽電磁波)の関係性での  時間的「十干の強弱」である。   意志発現機能としての「変通」   各干の関係し、反応変化したモノは   次の「十種類」の「変通」で、その「事象的性質」である。   ここでは「変通」を形成する関係諸十干は例えるならば   染色体上に存在する「遺伝子」に似ている。   「自律神経」でない「脳神経系統」で、   「思考」と「判断」によって   自らの実行、行動を「意志発現」し「機能」させるモノ   人間存在に於ける、「生命諸活動」に於ける   「十干諸関係」の   「脳内エレメント(変通)」の機能   1) ・・比肩・・諸関係の主体(自分自身・肉体・自我)        自我の発現=自己存在の生命活動と維持の根源        自己主張、自立、自己存在の保守性        ↓   2) ・・劫財・・自我の我慢、忍耐、抑制        妥協・諦め        ↓   3)・・食神・・緩慢、楽天的に創造、表現        愉快・柔らかな才能発揮        ↓   4)・・傷官・・緊張、焦燥感で創造、表現        怒り・鋭利で繊細、厳格な才能発揮        ↓   5)・・偏財・・社交性        協調・現実的な損得バランス        ↓   6)・・正財・・合理性        無駄の排除、余裕の保守        ↓   7)・・偏官・・現実的、即対応な行動、実践性        現場的な判断、行動、実行        ↓   8)・・正官・・規範的な行動、実践性        マニュアルの枠内での判断、行動、実行        ↓   9)・・偏印・・感情、情緒・喜怒哀楽、不安        好奇心、好き嫌い、ヒラメキ        ↓   10)・・印綬・・理性・悟性、理屈        論理的、一般知識、教養   上の「変通」をコントロールする他の「変通」   1') ・・比肩・・自己主張、自立、自己存在の保守性を        コントロールする変通が        「正官(規範性)」である        ↓   2') ・・劫財・・自我の我慢、忍耐、抑制、妥協・諦めを        コントロールする変通が        「偏官(現実性)」である        ↓   3')・・食神・・緩慢、楽天的に創造、表現        愉快・笑い・柔らかな才能発揮を        コントロールする変通が        「印綬(プライド)」である        ↓   4')・・傷官・・緊張、焦燥感で創造、表現        焦り・怒り・鋭利で繊細、厳格な才能発揮        コントロールする変通が        「偏印(懐疑・機転)」である        ↓   5')・・偏財・・社交性・有効性        協調・現実的な損得バランス        コントロールする変通が        「劫財(我慢)」である        ↓   6')・・正財・・合理性        無駄の排除、余裕の保守        コントロールする変通が        「比肩(自我)」である        ↓   7')・・偏官・・現実的、即対応な行動、実践性        現場的な判断、行動、実行        コントロールする変通が        「傷官(怒り)」である        ↓   8')・・正官・・規範的な行動、実践性        マニュアルの枠内での判断、行動、実行        コントロールする変通が        「食神(楽しみ)」である        ↓   9')・・偏印・・感情、情緒・喜怒哀楽、不安        好奇心、好き嫌い、ヒラメキ        コントロールする変通が        「正財(合理性)」である        ↓   10')・・印綬・・理性・悟性、理屈        論理的、一般知識、教養        コントロールする変通が        「偏財(社交性)」である  「変通」  「四柱命式」に現されるモノは「八字」に限定され、偏っている場合がほとんどですが、生きて存在する人は前提的に、潜在的にこれら「十の変通=十の性格」をすべて有し、そのバランスを潜在的にとろうとしているのです。  生まれ持った「資質」は実現されるだろう「宿命的性格」傾向の「種」であり、その外的環境に関わり、影響されることにより「発芽」し、「幹」となり、「枝」となり、「葉」を出し、「花」を開花し、更には「花」の一部は特殊個別的な「実」をつけるのです。  「実」をつけた段階で、その内部に「種」を持ち、最初の「種」はそのプロセス的なあらゆる「段階的性質」を含み持って「完結」した、と言えるでしょう。  「種」はすべての「性格を潜在」させ、その潜在性をプロセスで顕在させるのです。  だが、人間に於いて外面的に「完結した性格」など、あろうはずがありません。それは自己に秘められた「潜在的なモノ」であるはず。  なぜならヒトの「性格基盤」である「感情」も「理性」も常に外的、内的に偏って動いているからです。  外的にはアナタがその時々に対するヒトや環境、雰囲気、状況によって、「ヒト」として有する「基本的性格=格式変通」を軸にしながら「重なり合った複数の他の性格」を使い分けるのに違いありません。  内的にも個人的な「基本的性格」と言われるものを軸にして「対人関係」や、「諸状況」に於いて「十の中の他の性格」、あるいは「複合的な性格」としてめまぐるしく変化させるでしょう。  結論は人間とは元々「多重人格=多重性格」であり、その使い分けを状況に応じてこなしているのです。  そして常時、顕在化させ、十の中の一、その偏向しているモノが「格式変通=パターン化された性格=性格の傾向性」と言われているものなのです。  ですから、この偏向したモノの長所を引き出し、短所を抑えるモノが「時間的・場所的」な人間諸関係の環境的、すなわち、「運行=天の時・地の利・人の和」となるわけです。  もちろん、その逆も真です・・・「天の不時・地の不利・人の不和」。  「人間実体」の心理も行動も「複雑怪奇」・・・  既に述べた「十種類の変通概念」は個々人の「生日天干」を基軸にした「他の十干(生年月時の各天干)」関係と、分野蔵干(生年月日時の地支にある各干)」関係で形成されるモノである。          →変通(事象)←生年月時の天干  生日天干<          →変通(事象)←生年月日時の地支分野蔵干  生日天干地支→変通(事象)←サイクル干支  何故、「各変通」を決定する「生日天干」が基軸なのか?、その根拠は何か?・・・「その日」とは?  「科学的」に「変通概念」を規定するとするならば、この機能性を実証するためには膨大な「対象観察」と、その「データー」が必要である。  人間の精神活動に於ける「変通分類の機能性」を実証するためには膨大な数の人間行動の「観察」と、その「行動・活動」に於ける「精神分析」、「心理分析」が必要である。  古代中国人には膨大な個々人の「観察データー」があったのだろうか?  「観察結果」の「変通」だったのであろうか?  それとも「クリエーター」があらかじめ組み込んだモノなのか?  ある人間が、この「四柱推命学」を体系理論化するとしたら、膨大な「戸籍記録(個々人の生年月日時の干支サイクルの記録)」に基づいた「立運以後の時間的経過の全個々人の履歴調査」が必要であったハズである。  「社会保険庁」の役人の杜撰な仕事ではコマルのだが・・・  そして「格式変通」を基軸にした個々人の「性格傾向性」は「決定論的」であるが、「事実」なのであろうか・・・?  人間の認識に於いて「未来は不確定で仮説的」だが、「過去は確定された事実」である。  「昨日の未来予測」は「今日の過去的反省」である。  「昨日の未来予測」は「今日の現実的事実」である。  ボクにとって「サイクル変通の出来事的な事実」は「否定」しがたいのは「事実」である。  「統計学」的傾向ではなく、「確率論」的傾向ではない、「決定論」としての「変通事象」が現実化する・・・  「宇宙」も「自然」も「存在法則」としては「決定論」である。  「偶然」も「突然」も「人間認識の範疇概念」である。「存在法則」には「偶然」も「突然」も無い。あるのは「決定法則(性)」だけである。  「決定論」であるからこそ、「認識主体」の人間にとっては「科学理論」なのだが・・・  妄想、空想、奇想、幻想、思想する「人間の脳機能」も「宇宙・自然界」の存在活動の申し子であるが故に「決定論の枠内」にあるのは当然である。


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