冬の兆し・・・刑政罪民・・・?
2021/10/27・水曜日・・・追加添加文・・・添文・・・
ケイザイのカンジ「經世濟民(経世済民)」・・・軽罪? ケイバ・・・のカンジ・・・ 12月13日、阪神競馬場・阪神ジュベナイルフィリーズの 競馬で「白馬」の「ソダシ」がG1制覇、優勝・・・?
知らしめる・・・?・・・ナニを・・・? 物事を大勢の人に知らせること 知らしめる・周知させる・告示、周知する・連絡する 伝達する・伝える・連絡網を回す・・・回覧 報せる・広める・報知する・告げる 思い知らせてやる・・・トッチメル・お灸を据えてやる 懲(こ)らしめてやる 知らせる is just to inform. 知らしめる has a compulsive nuance. I recommend you shouldn't say 知らしめる easily ・・・だから・・・知ってナニすんの・・・三サル・・・? しらしめる・・・白い雪が大地を占める・・・東北奥州・蝦夷? 白羅占める・・・新羅占める・・・源氏・・・白旗・・・? 白村江の海戦(663)以後 唐vs新羅戦争 670年~676年 唐と新羅は、同盟を結び 660年に百済 668年に高句麗 を滅ぼしたが その後 唐・新羅戦争 676年 新羅は 伐浦で 唐軍を破って 唐軍排除掃討 半島支配の新羅・・・「しらしめる」?
↓↑ ケイザイのカンジ「經世濟民(経世済民)」・・・刑罪・刑剤・軽罪・・・? 軽 座位・珂瑠皇子・・・刈追字・借往時・往事・王爾・黄示・・・? 文武天皇=倭「根子(ねこ)」豐祖父(豊祖父)天皇 天之眞宗豐祖父(豊祖父)天皇・・・葛野王 豐= 丰+山+ 丰+豆 異体字「丰(簡体字)・𣍈(説文解字)・𧯮(俗字) 灃(俗字)・酆(俗字)・𤲊(俗字) 豊(代用字(新字体)」 母 阿閉(阿陪)皇女=元明天皇 父 草壁皇子 日下部皇子 ↓↑ ↓↑ 安康天皇=穴穗御子(あなほのみこ) 1614年(慶長19) 再建された京都 方広寺大仏殿の釣鐘の銘 「国家安康」⇔大阪の冬夏の陣の イチャモンの銘字 鮟鱇(華臍魚)=深海魚⇔新開衙? 提灯鮟鱇=誘引突起から 発光液を噴出 雄略天皇の時代 日下大王を殺したのは 坂本の祖、根の臣 と 安康天皇(木梨軽皇子の同母弟) 日下大王の妹 日下王(草香幡梭姫皇女) を娶ったのは 雄略天皇 漢風諡号 雄略天皇 和風諡号 大泊瀬幼武天皇 御名 大泊瀬幼武・大泊瀬・幼武 別称 大泊瀬幼武尊 大長谷若建命 大長谷王 ↓↑ 役 小角(えん の おづぬ・おづの ・おつの) 「役=やく=約=薬=譯=訳」の緒書く・・・? 舒明天皇六年(634年)伝~大宝元年六 月七日(701年7月16日)伝 呪術者・修験道の開祖 姓 君 役行者(えんのぎょうじゃ)・・・譯(訳)行の写 役優婆塞(えんのうばそく)・・・訳が優(優れ・優秀) 婆=波(は)+女(おんな) 葉 音名 塞=サイ=差異 加茂役君・・・化して模す訳(やく)の訓(よみ) 賀茂役君(かも の えん の きみ) 諡号 神變大菩薩 尊称 役行者、役優婆塞(えんの うばそく) 父 出雲から入り婿した大角(おほづ)・・・大隅・大須見 母 白専女(刀良女=とらめ)・・・虎目・図羅目・寅目 生地 大和國葛城上郡茅原郷 (奈良県御所市茅原) 没地 天上ヶ岳(箕面市) 宗派 修験道
白雉元年(650年)・・・新羅の記事 京に 志明院を創建 寺院 役行者霊蹟札所など 弟子 韓國 廣足=韓国広足 韓の国の広の足・・・典薬頭 「外従五位下の韓国広足は小角を師としていたが その後に師の能力を妬んで讒言した」 とする説・・・ 葛木山の神である ・・・葛野王(かどののおう かどののおほきみ) 弘文天皇(大友皇子=伊賀皇子) の第一皇子 光仁天皇の従兄 淡海三船の祖父 官位 正四位上・式部卿 「葛野王」は 文武天皇継承論議で 親ー子ー孫の 直系継承を主張し 「弓削皇子」を一喝・・・・弓削氏⇔道鏡 「一言主」が 「葛野王」の「一言=一喝」 父 弘文天皇(父 天智 母 伊賀宅子娘) 母 十市皇女(父 天武 母 額田王) 妹 壱志姫王 子 池辺王=淡海三船の父 藤並王 田辺王 ↓↑ 人に乗り憑依(う)って 文武天皇に 役の優婆塞の謀反を讒言・・・ 「一言主」は 「役の優婆塞」の呪法で縛られて 今(『日本霊異記』執筆の時点) になっても呪縛は解けない・・・ ↓↑ ・・・能の演目『葛城』では、「女神」・・・ ↓↑ 『古事記(712年)・下つ巻』 460年(雄略天皇四年) 雄略天皇が名を問うと 「吾は 悪事も一言 善事も一言 言い離つ神 葛城の一言主の大神なり」 ↓↑ 『日本書紀(720年)・雄略天皇』 「一事主神(一言主神)」・・・「一(壹・壱)字」 797年に書かれた『続日本紀(797年)・巻25』 高鴨神(一言主神)が天皇と獲物を争って 天皇の怒りに触れて土佐国に流された ↓↑ 『日本霊異記(822年)』 一語主(一言主)は 役行者に使役される神 ↓↑ 文武天皇三年(699年)五月二十四日 讒言され 「役小角」は 「伊豆島」に流罪・・・「出雲」の島? 小角が 鬼神(キジン=記人)を 使役して 水(みづ=密・瑞・観ず?)を汲み 薪(まき=巻・真紀?)を採らせていると噂 ↓↑ 大宝元年(701年)一月 大赦で 茅原に帰る 六月七日 箕面山(みのおやま・みのおのやま) 瀧安寺の 奥の院にあたる 天上ヶ岳にて入寂・享年68 ↓↑ 中世 金峰山、熊野山の縁起を 合わせて作られた 『両峰問答秘鈔』 『修験指南鈔』 などがあり 詳細な 『役行者本記』という 小角の伝記が現れた 寛政十一年(1799年) 聖護院宮盈仁法親王が 光格天皇へ 役行者御遠忌(没後)1100年を迎えることを上表 正月二十五日 光格天皇は 烏丸大納言を勅使として聖護院に遣わして 神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)の諡を贈った 勅書は天皇の真筆で聖護院の寺宝 大宝元年八月三日(701年9月9日) 大宝律令が完成 翌年公布 初めて日本の国号が定められた 遣唐使 粟田真人に初めて節刀を与え 唐との国交正常化を目指し 日本の国号変更(倭→日本に漢字表記を変更)通告 ↓↑ 「一言主」とは・・・「ことわざ(諺)」・・・? 「一言居士」・・・ ↓↑ 加減乗除の実数で説明できるモノ・・・読み書きソロバン(算盤・十露盤) 壹・壱・移置・位置・位地・移置・市・・・イチ・・・ 初発(存在)の分裂(動的変化)の開始・・・ 個体(初・壹・壱・一)の分割は貳(二)から始まる・・・ 全体(全・零・0・〇)の分割は貳(一)から始まる・・・ ↓↑ はじめ 一・紀・大・春・哉・吉・朝 基・元・啓・玄・新・造・朔 児・初・順・源・素・東・肇 ↓↑ 肇=𢼄+聿 聿(ふで)で 書き「啓(はじめる)」こと ↓↑ 啓=戸+攵(攴)+口 異体字「启(簡体字)・啟(旧字体) 啔(異体字)・闙(異体字)」 「戸+攴(手の動作)+口」 戸を手でひらく 口で言葉を発する ケ ケイ ひらく はじめる 言葉を発する・説明する 目上の者に申しあげる 貴人の行動 行啓 ↓↑ 崇神天皇(すじんてんのう) 開化天皇十年~崇神天皇六十八年十二月五日 120歳 第十代天皇 在位 崇神天皇元年1月13日~同68年12月5日) 『日本書紀』 御間城入彦五十瓊殖天皇 御肇国天皇 諱 御間城尊 別称 御肇國天皇 御眞木入日子印恵命 所知初國御眞木天皇 美萬貴天皇 父 親開化天皇 母 親伊香色謎命 ↓↑ 皇后 御間城姫 ↓↑ 子女 垂仁天皇 彦五十狭茅命 国方姫命 千千衝倭姫命 倭彦命 五十日鶴彦命 豊城入彦命 豊鍬入姫命 大入杵命 八坂入彦命 渟名城入媛命 十市瓊入媛命 皇居 磯城瑞籬宮 ↓↑ 「価値=value・worth・merit 金銭に換算できる価値としてはvalueもworthも用いる value=主として有用性・重要性などに関する価値 worth=精神的・道徳的など本質的な価値 merit=賞讃に値するよさを表す・付加価値 Different people have different values. ↓↑ 「使用価値=use value・utility value value in use」の説明 「労働価値=labour of value」の説明 「希少価値=rarity(レアラァティ) value scarcity(スケアシティー)value」の説明 「交換価値=exchange value」の説明 ↓↑ 経済学=人間社会における 物質的な生活資料の 生産と交換の 諸法則性の論理 ↓↑ 人間社会における 生産関係と 生産物の 分析された本質説明を基礎に その交換市場に於ける 商品(交換物となった生産物)の 使用価値としての 商品交換での 需要供給関係で 価値変化を変動させる 交換媒介物(金)との関係の 在り方を説明する理論・・・? ↓↑ 政治経済学(political economy) Economics ↓↑ ギリシャ語 οικονομία(家政術)に由来 漢語の「経済」 「世の中を治め 人民を救う」 「経世済民(経国済民)」の略語 東晋の 「葛洪」の・・・葛城・葛木・桂木 『抱朴子(ホウボクシ)』 の記述が初出 祖父が三国時代の 「呉」の国の大臣 父が地方長官 『抱朴子(ホウボクシ)』 内篇20篇、外篇50篇 内篇は仙人になる修行方法の記録 東晋の 「建武元年(317年)」に完成・・・317 重視するのは 「金丹」で、金丹の服用で 不死の生命を得る(金丹篇) 金丹は 丹砂(天然の硫化水銀)を材料として得られる 還丹と黄金を材料とする金液 「黄白篇」で 錬金術 ↓↑ 内篇は神仙術に関する諸説を集大成 後世の 「道教」に強い影響を及ぼした 『抱朴子』は緯書を引いて 体内の 「三尸の虫」が 「庚申の日」に 「司命神」に人の悪事を訴え 「竈の神」も晦日に司命神に悪事を訴える という説を述べ 司命神は訴えられた悪によって 人の寿命を縮め 仙術を行っても無効になる (微旨篇。司命神は対俗篇) 道徳主義は 『抱朴子』の特異な点で 後に 『太上感応篇』の「善書」に発展・・・? 道蔵の太清部 『太上感応篇』30巻 「李昌齢」の伝 「鄭清之」の賛 李昌齢=「李石」 =南宋の紹興・乾道年間(12世紀)の人 「鄭清之(1176~1251)」少し後の人物 30巻の大部分は 「李昌齢=李石」の「伝(注釈文)」で 本文は全文1274字 ↓↑ 「李昌齢=李石」は 「伝(注釈)」を書いた人で作者ではない 『太上感応篇』 「司過の神」が人間の罪の重さに応じて禍を与える 「三台・北斗神君」が罪を記録し 「三尸・竈神」などが罪を報告 善行と悪行を羅列し 悪行の方が多い 内容は『抱朴子』の抜粋に近く 内篇の対俗・微旨両編と関係が深い・・・ ↓↑ 経=糸(幺小)+圣(又十一) 済=氵+斉(亠乂丿二亅) ↓↑ 訳語の考案者 「福澤諭吉」 講義名として 「経済」という語を 用いた時点(1862年、1868年)で すでに 1862年発行の辞書 『英和対訳袖珍辞典』が・・・英・和・対訳 袖珍=そでに入る小型な辞典・ ポケット型辞典 「political economy」の訳語として 「経済」「経済学」の訳語を記録 同年 「西 周」が手紙の中で 「経済学」の語を使用 訳語として同時期に 「資生」も提唱された・・・「資生堂」?洗濯石鹸・・・ シルヴィ・バルタン ドライウエイにハルがくりゃ・・・ ワンサカ・わんさか・ィエィッ、ィエィッ、ィエィッ レナウン、レナウン、れなうん、Renown 明治35年(1902)・創業者の佐々木八十八 アラン・ドロン 「D'urban c'est l'elegance de l'homme moderne. (ダーバン、現代を支える男のエレガンス)」 山東如意グループ(山東省)の傘下・・・? ・・・なんで、潰れたんだか・・・大雪・・・ コロナは雪の結晶に似ている・・・
↓↑ 「経済」=「世の中を治め、人民を救う」 「経世済民=経国済民」の略語 日本 1729年 太宰春台が『経済録』、経世論を著 経済と意味が類似の古典的漢語 「理財」・「食貨」・「貨殖(興利)」 などがあった ↓↑ 市場経済(Market economy) 企業や個人が 自己利益を最優先し 物財を生産し 需要・供給の 商品市場の枠内の仕組みの 売買交換によって 分配する形態の経済 規範や指令もなく 市場における消費の動向によって 生産活動が規定される 個人の自由度が高く 意思決定が分散的で 希少性の変化に柔軟に反応 ↓↑ 経済理論が保証する市場経済の効率性は 私有財産権 取引の自由 企業参入退出の自由 完全情報公開などの条件が必要 条件が満たされない場合に 市場崩壊 ↓↑ 計画経済 (Command economy) 中央当局によって あらゆる 経済活動が運営されている形態の経済 指令経済とも 産業への必要物資 生産目標 生産割り当てなどが定められ その計画に基づいて 経済活動が遂行 経済資源や労働力を 計画的に運用することができ 特定の産業を集中的に発展できる 労働者の インセンティブが欠如しやすい インセンティブ(incentive) 労働意欲を引き出す 生産外部からの刺激 「餌・ニンジン」 生産性を上げる 労働条件と結果の 報酬・奨励・報奨 「カネ、権力、名誉、仕事、自由・・・」 ↓↑ 政治学=人間社会の協生論 法律学=人間社会の約束論 ↓↑ 経世済民(けいせいさいみん) 世の中をよく治め 人々を苦しみから救うこと 「経」は治める、統治する 「済民」は人民の難儀を救済 「済」は救う、援助する 「經世濟民(経世済民)」 「世を經(をさ)め 民を濟(すく)ふ」 「経国済民」 ↓↑ 東晋の 「葛洪」・・・葛野王・葛城王・葛木皇子 の著作 『抱朴子』内篇(地眞篇) ・・・ウリ(朴)の子を抱く 子(シ・ス・ツゥ)=了+一=書籍の終始・始終 接頭・接尾の「子」・思想家の書籍の名 「經世濟俗」という語 「經世濟民」とほぼ同義で用いられ 隋代の 「王通」 『文中子』礼楽篇に 「皆有經濟之道、謂經世濟民」 「經濟」が「經世濟民」の略語として用いられていた 『晋書』殷浩伝(唐) 『宋史』王安石伝論(元) などに 「經濟」の字句 政治・統治・行政一般を意味する 清末 「戊戌の政変」後 科挙の新科目 「経済特科」は、この用法 ↓↑ 近世以前の日本 「経世済民(経国済民)」 が一つの言葉として用いられることはあまりなく 「経国」 「済民」 などがそれぞれ別個に用いられた 江戸時代 「経世済民(経済)」 が用いられた 明末清初の 考証学者による 「経世致用の学」の影響で 日本でも 儒学者・蘭学者などによる同種の 「経世論(経世済民論)」が流行した 初めて「經濟」の語を書名とした 「太宰春台」 『経済録』(18世紀前半)は 「凡(およそ)天下國家を治むるを 經濟と云、 世を經め民を濟ふ義なり」とし 「經世濟民(經濟)の學」は 政治学・政策学・社会学 などの広範な領域のコトバであった ↓↑ 戸後期 貨幣経済が浸透し 「經濟」のなかでも 「社会生活を営むのに必要な 生産・消費・売買などの活動」 と強調 ↓↑ 「堀達之助」らの 『英和対訳袖珍辞書』で "economy"=「家事する、倹約する」 とし "political economy"(古典派経済学で経済学を意味) に「経済学」の訳語を与えた 「西 周」 によると日本における 最初の西洋経済学入門書 「神田孝平」訳の 『経済小学』(1867年(慶応三年)刊 では 「経済学」を 「ポリチャー エコノミー」 と読ませ 同年末に刊行された 「福沢諭吉」の 『西洋事情 外篇』巻の3 でも同様の用法として 「経済学」の語が見える 前年1866年(慶応二年)刊の 『西洋事情 初篇』巻の1 には 「経済論」の語がある・・・ ↓↑ 「経済(学)」が 「エコノミー」 「ポリティカル・エコノミー」 の訳語として 「西 周」は 『百学連環』(1870年(明治3年)刊)で 「エコノミー」 と 「ポリティカル・エコノミー」 の区別を重視し 前者に「家政」 後者に国家の「活計」を意味するものとし 津田の訳語「経済学」では 「活計」の意味を尽くしていないとし 「制産学」の訳語を与えてた 個人(企業)の「家計・会計」 と 国家規模の経済運営を「理財」の訳語が用いられた 1881年刊『哲学字彙』で "economics"の訳語 明治初期の大学・専門学校の学科名としては 「理財学」が用いられた しかし国家レベルと個人・企業レベルの 「エコノミー」を包括して 「経済」とする用法が次第に普及 江戸時代以来の 「貨殖興利」という用法も存続したため 本来の 「経済」 の語に含まれていた 「民を済ふ」 という規範的な意味は稀薄となった 新しい用法は 本来の意味の 「經濟」という語を 生み出した 「中国(清)」にも翻訳を通じ 逆輸出され 以後東アジア文化圏全域で定着した ↓↑ 「大塩平八郎の乱」 ・・・権力を握る「目的=戦略」は脳外だった・・・ ↓↑ 「大塩平八郎」 寛政5年1月22日 1793年3月4日 ~ 天保8年3月27日 1837年5月1日 ↓↑ 別名 正高・後素 通称 平八郎 号 中斎 平八郎の 実の祖父・政之丞が 阿波国・・・阿波・アワ・あわ・・・ 泡=氵+勹+己 =液体に包まれた己(おのれ・よこしま・キ) あわ・あぶく・ホウ・foam・bubble 泡沫(ホウマツ・うたかた) 液体もしくは固体が その中に気体を含んで丸く膨らんだモノ 気体を包む液体の表面張力により作られる 固体の泡は 液体の状態で形成され固体化されたモノ 脇町の出身 与力・・・與力 大塩家に 養子に入った 祖父と混同された・・・ ↓↑ 出生地 大坂天満 と 阿波美馬郡 の2説 ↓↑ 幼名 文之助 諱 正高・後素 字 子起・士起 与力退職後 連斎・中斎 ↓↑ 『洗心洞箚記』・・・箚記(サツキ)=箚を札の義に用いた慣用音 ものを書きしるす簡札 読書したり、話を聞いたりしたときの 感想・意見などを 気のむくままに書き記すこと その記録・随想録 『二十二史箚記』は 箚記(読書雑記を箇条書きしたもの)の形式 中国の正史二十二史の 編纂形式や構成・内容について 考証し論評した書 清代の 「趙翼」の著 本編36巻と補遺1巻 乾隆六十年(1795年)の 自序 嘉慶五年(1800年)の 銭大昕等の序文がある 「廿二史箚記」とも記される 『古本大学刮目』 『儒門空虚聚語』 知(真の認識)と行(道徳的実践)とは表裏一体 人間の知(認識)は 行(行為・実践)の一部であって 分けることはできない ↓↑ 天保八年 二月十九日 (1837年3月25日) 大坂(大阪市)で 大坂町奉行所の 元与力 大塩平八郎(中斎)と その門人らが起こした 江戸幕府に対する反乱 ーーーーー ・・・???・・・
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