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凸凹(でこぼこ)・凹凸(オウトツ)・凸+凸・凹+凹の関係


2021/10/31・日曜日・・・追加添文・・・

 水溜まりの道路・・・

 石の河原・・・

 カルデラの阿蘇山・洞爺湖・支笏湖・・・

 ・・・凸凹は「鞘豌豆(さやエンドウ)」等の「鞘豆」の形象・・・?

 ↓↑

 雋=隹+凹=隽・・・携帯電話+lens(レンズ)

  =隹+乃・・・・・凹=乃(すなわち)・・・砂(沙)の和地(倭地)?

   雋(すぐれる)

   シュン

   セン

   すぐ(れる)

   肥える・肥えた鳥肉

   すぐれる

   すぐれた人=俊(シュン)=儁=イ+雋

         俊=亻+夋・・・・・伊藤俊輔

           亻+厶+八+夂

           亻+允+夂

           亻+厶+儿+夂

           夋=厶+八+夂

             允+夂・・・木戸孝允

             厶+儿+夂

         儁=イ+雋

  俊(俊英)・駿(駿足)・峻(峻険・峻厳・峻烈)

    雋鋭

  抜きんでている

  英雋・俊・儁(シュン)

  英雋(エイシュン)


  凹(ヨウ)・ 凹(オウ)

  凹(へこむ)・ 凹(へこます)・ 凹(くぼむ)

  ・・・形象は「溝」or「樋」にみえるけれど・・・?

ーー↓↑ーー

  伊藤博文(いとうひろぶみ)

  1841年10月16日

  天保十二年九月二日

  ~

  1909年10月26日午前9時30分

  明治四十二年10月26日

     大運1904年4月(62歳) 辛卯偏印

                 冲

  辛丑(癸辛己)偏印・比肩冠帯⇔己酉偏官(三合辛)

 ┏戊戌(辛丁戊)正官・偏印 衰⇔甲戌傷官

 ┗癸丑(癸辛己)  ・比肩冠帯⇔己未偏官(冲己)

 ┗戊午(丙 丁)正官・正財 絶⇔己巳偏官

   寅卯空亡

   干合(月日)戊癸

 ↓↑

 明治時代

 4度の内閣総理大臣

 (初代 1885年~1888年・・・乙酉~子戊

  五代 1892年~1896年・・・壬辰~丙申

  七代 1898年・・・・・・・戊戌

  十代 1900年~1901年)・・庚子~辛丑

 「明治憲法」起草の中心人物

 二次内閣では「日清講和条約」の起草

 四次内閣では「立憲政友会」結党

 初代総裁   (1900年~1903年)

 初代枢密院議長(1888年~1889年)

 初代貴族院議長(1890年~1891年)

 初代韓国統監 (1905年~1909年)

 元老など歴任

 ↓↑

 諱  博文(ひろぶみ・ハクブン)

    越智宿禰博文

 幼名 利助(りすけ)

    吉田松陰から

   「俊英」の「俊」を与えられ

   「俊輔(しゅんすけ)」

   「春輔(しゅんすけ)」と改名

 号  春畝(シュンポ)・春畝公

ーー↓↑ーー

  下雋(カセン)

  中国の旧県名

  前漢

  湖北省(コホクショウ)南部

  通城県(ツウジョウ)西北に設置

  湖北省咸寧市に設置

  南朝の陳(557~589)時代

 「雋州(ジュンシュウ)」と改称

 ↓↑

 「雋修羅碑」=雋敬(字:修羅)をたたえた碑


 ・・・「臥薪嘗胆」は「明治生まれの支配階級の切望」、「昭和生まれの人間の願望は日本国憲法死守」である?・・・ ーーーーー  「維新=「詩経」大雅の文王から  ↓↑  「維(こ)れ新(あらた)なり」      「詩経 大雅、文王・「周雖二旧邦一、其命維新」      「周雖旧邦 其命維新      (周は旧邦なりといえども、       その命これ新たなり)」      「すべてが改まって新しくなること」      「海外は“維新”のことを       “restoration”と訳した       “restoration”=「回復・復元」      「維新=復古」・・・  ↓↑  「天保元年(1830年)   水戸藩   藤田東湖が   藩政改革の決意を述べる際に   「詩経の大雅・文王篇」の一節   「周雖旧邦 其命維新   (周は旧邦なりといえども、    その命これ新たなり)」   を引用して用いた   安永八年(1779年)   平戸藩主   松浦清(松浦静山)   が藩校を設立した際   校名を   「維新館」と名付け   幕府から   「維新とは不穏当である(倒幕の意思ありか)」   と問責されたが、その後も校名に変更はなかった  ↓↑   『日本書紀』   大化二年(646年)三月の記事   大化改新の詔に応じた   皇太子(中大兄)の言葉とし   「天人合応厥政惟新」とあり   「天も人も合応(こた)へて    厥(そ)の政(まつりごと)    惟(これ)新(あら)たなり」   と訓まれている・・・漢籍文は不明・・・ ーーーーー  維=糸+隹=つなぐ・これ       イ(ヰ)(漢音)・ユイ(呉音)   =大綱・国家の大本    維綱・綱維    つな・糸すじ    維管束・繊維・地維・天維    つなぎとめる    維持    すみ(隅)    四維(礼、義、廉、恥)    文のリズムを整え強める助字・これ    維納(ウィーン)    維摩(ユイマ)    中国語の维(維)    次元三维空间=3次元空間    思惟・思索    維=惟     繫(つな)ぐ・接続する→维系    保つ・守る    维持=維持    維持する・保つ    隹=隹・・・・集=木の上の小鳥(隹)       ・・・・維=幼く小さい鳥(隹)          繊維=糸の管  維=幺+小(亅八)+隹    糸(いとへん・いと)    +    隹(舊鳥・旧鳥・古鳥・小鳥・dove・small bird)      舊(艹隹臼)=旧(ふるいの意)」      の漢字に使用されているからの理由で      雀・隹・・・尻尾を振(ふ)る小鳥だろう?      Radical short Tailed Bird      尾の短い鳥類の総称(説文解字)      側面から見た鳥の形象      偏旁の意符は鳥に関することを示し      「推・誰」の声符としても使われている    隹    隻・一隻・隻眼    雙(双)・雙生児・双子・双頭の鷲・双眼鏡    携・携帯    隼・隼人・・・隼=十字にトマル隹    雀・孔雀・朱雀・紅雀    雅(雅)・優雅・雅楽・鴉・烏    雁・贋作・贋物・贋者・偽物    集・集合・集会・集積・集中    雄・英雄・雄姿・幹雄    勧・勧誘    雎(みさご)・雎鳩・鶚    雋(すぐれる・すらりとしている      シュン・セン・ゼン)      形のととのった鳥・柔らかな鳥肉      雋=隹+凹=隽=隹+乃      雋=jùn・名・才能過人的人        漢書·卷二二·禮樂志       「至武帝即位,進用英雋」        唐·白行簡〈李娃傳〉       「其年,遇大比,詔徵四方之雋」        通「俊」・傑出、出眾。如:「雋才」        晉書·卷七九·謝安傳       「萬字萬石,才器雋秀」    雋    儁=イ+雋=俊      儁才(シュンサイ)      儁傑・儁出・儁劭・儁望・儁異    儁=才知・英才・秀才・俊英・俊秀      俊才・駿才    梯=木+弟=はしご・テイ      険しい崖沿いに木や藤づるなどで      棚のように設けた道・桟道      谷や川などにカケ渡した仮の橋      双方の関係を取り持つこと・仲介      仲介人、媒介物      仲立ち・橋わたし      梯形・雲梯・魚梯・舷梯 (ゲンテイ)      段階・順序に従った区分      梯団・階梯      梯子(はしご)  「梯儁」 ーーーーー

 正始元年(240年)  帯方郡の新太守  弓遵・・・弓+尊(酋寸)+辶  は  魏の詔書・金印紫綬を  配下の  「梯儁」・・・梯(仲介者)は儁(すぐれている)         十八弟イ隹凹         拾葉知は音(乙)の            イの臼の窪(くぼみ)・・・臼=阿蘇山          隹=舊(艹+隹+臼)トリ              日下の              古い鳥の              凹(巣=畄+木)              畄=とめる・とまる・リュウ・ル              臼=くぼみ・・・臼=碓=うす=有珠  に持たせて  卑弥呼  のもとへ送った  弓遵は  同六年(245年)  嶺東へ遠征して  東濊を討った後  帯方郡が所管していた  辰韓  八国を  楽浪郡へ  編入の決定を  現地に伝えた際  通訳が  誤訳を犯し・・・誤訳  韓族を激怒させ・・・韓族は「譯轉有異同」、            語訳の何の内容に激怒したのか?            ・・・「慰安婦⇔委按夫」?  郡内の韓族が  帯方郡=紀元前108年から西暦313年まで存在?  ↓↑  204年から313年の109年間存在?     「海を渡ってくる胡人を帯方と呼んだ」?      公孫康が      朝鮮半島-楽浪郡の南部に設置した郡      真番郡、臨屯郡、玄菟郡と共に漢四郡の一     「東の濊、南の韓、南端の倭が属す」?     「313年、 韓・濊族に滅ぼされた」?     「314年に楽浪、帯方郡共に、高句麗に滅ぼされた」?      ↓↑  ↓↑ 「帯方=タイホウ=大鵬=大豊=大宝」     「大宝=大寶、日本元号、慶雲の前・701年~704年」     元号     大宝 (梁)     南朝梁で使用(550年 – 551年)     大宝 (日本)     文武天皇の時期に使用(701年 – 704年)     大宝 (南漢)     五代十国時代、南漢で使用(958年 – 971年)     大理国で使用(1149年 – 1155年)     大宝 (黎朝)     ベトナムの後黎朝で使用(1440年 – 1443年)     大宝 (蔡伯貫)  ↓↑ 明代に蔡伯貫が使用(1565年)  の  崎離営を襲った・・・崎離(キリ)営(エイ)⇔陣営・軍営  弓遵と  楽浪太守  劉茂  が討伐  魏軍は  韓族を滅亡させた  弓遵  は戦死  同八年(247年)  弓遵から引き継いだ  帯方郡太守  王頎・・・・頎=斤(おの・キン)+頁(一ノ目八)  は  倭の使者から  邪馬台国と  狗奴国との交戦の報告を受け  自ら上洛して官の決裁を仰ぐ  魏朝から  魏の  少帝の  詔書  と  黄幢  を携えた  塞曹掾史の  張政が派遣された・・・ ーーーーー    隹    雉(きじ・チ)    雇・雇用・解雇・回顧    雍(なごむ)=亠+乡+隹           やわらぐ・雍雍・雍和           ふさぐ・さえぎる・雍防           いだく・保つ・雍樹      雍歯(?~紀元前192年)      秦末~前漢の武将・沛の人      君主が恨みに偏らずに恩賞を与えることの代名詞    擁・擁護・擁立    雌・雌雄    雕(わし)・鷲    雖(いえども)=口+虫(中ム)+隹    雛(ひな)・鶵    雜(雑)・雑兵(ぞうひょう)・雑炊     ・雑巾・雑事・混雑・乱雑    難(難)・難破・難事・難治・難字    離・離反・剥離・離脱・離縁・離別・離婚     ・離陸・離岸      離合集散    雧= 雥+木=集    䨊=「䨊」隹が三つ+(淵のつくり部分)  ↓↑       「維」の読み    イ・ユイ    つな・つなぐ・これ・これ・しげ    すけ・すみ・ただ・たもつ    ふき・ふさ・まさ・ゆき    意味    綱(つな)・四すみ(四維)を引っぱる綱(つな)    車の覆(蓋・おおい)、    天幕、天蓋などの四すみの押さえづな    つなぐ・つなで引きしめる    体制を引きしめておさえる    「礼・義・廉・恥」の四つのおおもと    これ=次の語をさし示して強調するコトバ    これ=「是、是れ、之、之れ、維、惟」は同意  ↓↑    維管束(イカンソク・vascular bundle)    植物が持つ内部組織の1つ    植物体の全体に亘ってその内部を貫く    役割として    液体(主に水や養分)の運搬と    植物体の機械的な支持    維管束を持つ植物は    シダ植物と種子植物   「維管束植物    植物の根、茎、葉っぱまで通っている管で    維管束は    道管    師管(篩管)    の2つの管でできている」 ーーーーー  ・・・

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