喧嘩もジャンケンはグウチョキパァの愚偶遇隅寓求
「にぎ(握)ったグウの親指と人差し指は」
↓↑
「渦の形」にみえる
↓↑・・・二義立つ・・・二記(記紀)多通・・・?
↓↑ 熟田津=にきたづ
愛媛県松山市の
道後温泉付近
にあった船着き場
熟=孰+灬
享+丸+灬
享+九+丶+灬
亠+口+子+丸+灬
亠+口+子+九+丶+灬
火+灬(ひ・ひへん・れっか・れんが)
ジュク
うれる・うむ
こなす・こなれる
つくづく・つらつら
なれる
にえる
にる
うむ・うれる・じゅくす・作物が実る
煮る・煮える
じっと・くわしく・よくよく
十分に発展する・完全な状態になる
熟慮・熟考・熟視・熟思
滾瓜爛熟・審念熟慮
・・・「青柿が熟柿弔う」・・・
↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑
道後(ドウゴ)・・・同語・島後?
道後温泉
愛媛県・・・「伊豫國-謂-愛-比賣(伊予国は愛比売と謂ひ)」
↓↑ 島嶼部
防予諸島・芸予諸島・忽那諸島
島
伯方島・大三島・大島・青島・中島
弓削島・二神島・興居島・九島
↓↑ ↓↑
日振島=「藤原純友の乱」で
純友と配下の海賊の根拠地
「平将門と純友は共同謀議者」?
御五神島・高島・戸島・嘉島
↓↑ ↓↑
横島 (愛媛県宇和島市)・・・宇和島藩
↓↑ 横島 (愛媛県愛南町)
松山市
北緯33度51分7.3秒
東経132度47分11.1秒
↓↑
冠山
約3000年前の縄文中期の
土器・石鏃が出土
↓↑
兵庫の有馬温泉
和歌山の白浜温泉
日本三古湯のひとつ
↓↑
道後温泉の名前の由来
道後の名は
中大兄皇子(天智天皇)
藤原鎌足
らが
蘇我氏を倒した
645年の
大化の改新の後
今治市付近に
伊予国の国府が置かれた
↓↑
国府付近を
道中
都(京)に近いところを
道前
遠いところを
道後
今治より
南の地区を道後
温泉地域を限定して
道後温泉の名称
↓↑
白鷺伝説
足に傷を負った
白鷺が・・・白鷺=しろわし
=斯蘆(サロ)倭史・前57年~935年
新羅・503年~
=ハクロ=葉句賂
岩間から噴出する温泉を見つけ
足を浸し
傷を癒やし飛び去った
鷺谷という場所
その白鷺が舞い降りた跡が残った
ある石(鷺石)を
道後温泉駅前の
放生園(ほうじょうえん)という
小公園の一角に据えられている
↓↑
地名
「前・中・後」
「越前・越中・越後」
「上総・下総」・・・「上総(かづさ)・下総(しもうさ)・安房(あわ)」
「安房」は
忌部氏の故地「阿波」からの移民?
「上総=かみつふさ」
「総(ふさ)=麻(あさ)」
「上野・下野」
「丹後=丹波国」・・・「丹前・丹中」の地名はない・丹波=但馬=多遅麻
「備前・備中・備後=吉備国」・・・吉備=黍(きび)の産地
「筑前・筑後=筑紫国」・・・大宝一 (701) 年
西海道の設置により筑前、筑後の2国に分割
地名の由来は陸地の尽きるの当て字
日本の西端の意味
「記紀に竺志、万葉集に都久志(之)」
「肥前・肥後=肥国」・・・肥前国(ひぜんのくに、ひのみちのくちのくに)
肥後国(ひごのくに、ひのみちのしりのくに)
「ひ・ヒ・匕・七・𠤎」の同音異義のスベテ
「卑弥呼の国」・・・?
「豊前・豊後=豊国」
「二豊(ニホウ)・両豊(リョウホウ)」
↓↑ 「豊前=ブゼン=憮然
豊後=ブンゴ=文語・文後・文護」・・・文彪?
「景行天皇
大足彦忍代別天皇
大帯・日子 淤 斯呂 和氣 天皇
大帯=帯方郡?
淤 斯呂 和氣 天皇
淤=氵+於
氵+方+仒
氵+方+人+丶+丶
水・氵・氺
(みず・さんずい・したみず)
オ
ヨ
おり・澱・滓・・・
よどむ・淀(澱・よど)む
どろ・泥
ふさがる・塞がる
泥・澱・滓
どろ・おり・水の底にたまった泥
ふさがる・とどこおる・つまる
泥がたまって流れがつまる
洲・中洲・泥が積もって出来た場所
↓↑ ↓↑
淤=氵+於
扵=手+仒・・・「冫・〃・〟・〝・゛」
オ、ウ、ヨ
おいて、おける
於=才扌人𠆢、丶⺀仒扵
~(場所)で(at)
~(場合)に(on、in)
↓↑ ↓↑ ↓↑
滓=氵+宰
氵+宀+辛
氵+宀+立+十
おり・かす・液体中に沈んだもの・沈殿物
よごれ・けがれ・にごり・黒ずむ
サイ
シ
残滓・残渣
↓↑ ↓↑ ↓↑
帯=丗+冖+巾=滯=氵+ナ+廿+匕+冖+巾
廿+丨+冖+巾
滞=氵+ナ+廿+匕+冖+巾
とどこおる・物事が進まない
はかどらない
止まる・動かない・一箇所にとどまる
渋滞
こる(凝る)・こり固まる
滞水=よどんで流れない水
↓↑ ↓↑ ↓↑
帯水(漢江)=川に由来
帯水層(Aquifer)=地中の透水層において
地下水によって
飽和している地層
地下水で満たされた
砂層等の
透水性が比較的良い地層
一衣帯水(イチイタイスイ)
一筋の細い帯のように長く
狭い川や海峡
二つのものの隔たりが狭く
きわめて近隣していること
衣帯一江・衣帯之水
幅の狭い河川や海峡のこと
「一衣帯水」
李延寿が著した『南史・陳後主紀』
「我為百姓父母、
豈可限一衣帯水、
不拯之乎」
中国の南北朝時代
南朝の陳
第5代皇帝・後主の圧政で民衆が困窮
見かねた
北朝の隨(随)・・・隋・陏
文帝が
陳に攻め入ることを決意した語
581年
北朝の北周の外戚楊堅(文帝)が建国
589年に南朝の陳を滅ぼし中国統一
↓↑ ↓↑ ↓↑
淮水(ワイスイ)=淮河(ワイガ)
倭意素意 倭意臥・歪賀
・・・河口・合流先長江、黄海
「壊河(カイガ・Huai He)」の異名
河南省の桐柏山・老鴉叉が源流
河南省、安徽省、江蘇省の3省を通り
江蘇省で
洪沢湖・・・中国 江蘇省
北緯33度18分27秒・・・横島
東経118度42分36秒
湖の北~西にかけ
宿遷市
南~東にかけ
淮安市
という中国第4位の
淡水湖を形成
ここで分かれて
黄海に注ぎ
残りは
三江営で
長江に流入
↓↑ ↓↑ ↓↑
淮河以北を華北
淮河以南を華南
北は小麦中心の畑作農業地帯
南はコメ中心の水田地帯
↓↑ ↓↑ ↓↑
淮河一帯(黄河と長江の間の地域)を華中
黄河以北を華北
長江以南を華南
とする場合もある
↓↑ ↓↑ ↓↑
「一衣帯水」=長江・揚子江?
「一衣帯水の隣国なのに
もっと仲良くできないものか」・・・無理、無理、ムリ
「One Belt, One Road(OBOR)」・・・無理、無理
Impossible・unreasonable
Pigs don't fly!・out of question・There's no way!
↓↑ ↓↑ ↓↑
「一衣帯水」の両国は近しい関係にある
だが、親しい関係を維持することは難しい・・・正解
↓↑ ↓↑ ↓↑
大分県豊後大野市・・・大きく分けて懸け文語太の異字
緒方町(おがたまち)
滞迫(たいざこ)・・・佐伯⇔横島⇔宿毛
↓↑ ↓↑ ↓↑
淤=水+於
斯呂=斯盧
和氣=捌
?
・・・帯方郡 肥拠・・・比古=日子?
大足日足天皇・・・足=帯=たらし
大帯日子天皇
大帯日古天皇
大帯比古天皇
息子は
「小碓命=倭男具那命
=日本童男=日本建・武」
「景行天皇
大足彦忍代別天皇
大帯・日子 淤 斯呂 和氣 天皇
の時代
菟名手(うなで)が・・・ウサギの名手?
仲津郡(福岡県東部)を訪れると
白鳥・・・「日本建・武」の化身?
が飛んで来て
餅となり・・・餅=食+并=食+丷+开
冬であったにもかかわらず
幾千もの
芋草(里芋)となって茂った
菟名手はこの芋を天皇に献じた
天皇は
「天の瑞物、土の豊草なり」
と
「豊国」と名付けた
豊国の郡
豊前国
田川郡 企救郡
京都郡 仲津郡 築城郡
三毛郡(上毛郡・下毛郡)
宇佐郡
豊後国
日田郡 玖珠郡 直入郡
大野郡
海部郡
大分郡 速見郡 国東郡
↓↑ ↓ ↑
「豊日別(トヨヒワケ)」
「筑紫島。此島亦、身一而、有面四。
面毎有名。故、
筑紫国 謂、白日別。
豊国、言、豊日別。
肥国、言、建日 向日 豊 久士 比泥 別。
↓↑ 熊曾国、言、建日別」
都に近い方から
「前 - 中 - 後」
と分けた
「越(こし)の国」
「越前・越中・越後
(今の福井東部、富山、新潟)」
「吉備 (きび) の国」
「備前・備中・備後
(今の岡山東部、岡山西部、広島東部)」
「肥 (ひ) の国」
「肥前・肥後 (今の佐賀・長崎、熊本)」
愛媛県は
「伊予の国」 と言ったので
「道後」 に対応する旧国名がない
↓↑
一般的には国府付近を
「道中」 といい
それより都に近いところが
「道前」
遠いところが
「道後」
鎌倉時代~安土桃山時代
伊予の国支配
河野一族の
「湯築城」 という城
↓↑
道前・道後の地名
多くの地域で使われていた
道前の名は
秋田、愛知、福島、宮城、岩手県
などある
15世紀の史料
神崎庄(伊予市内)
浮穴郡太田(喜田郡内子町小田)
が道後
国府付近の都より遠い地域を指す一般名詞
広島県
つつじの名所 「道後山」
伊勢
「北伊勢 3郡(員弁・三重・朝明)を
道前三郡
元からの神三郡を
道後三郡と呼ぶ」
↓↑
七街道の一
大化改新(645年)
翌年に詔(みことのり)が出され
地方国府と都を道でつないだ
「七街道」
東海道・東山道・北陸道
山陰道・山陽道・南海道・西海道
道後がある伊予への道は
「南海道」
南海道の終わりに「道後」
南海道は伊予国の国府である今治を終点とし
道後は南海道の後ろの地点
「道後」
↓↑ ↓ ↑ ↓↑
伊予国(愛媛県)=越智国
九州王朝?の職制「評衙=ヒョウガ」
↓↑ の長官「評督=ヒョウトク」
評=言+平・・・言葉の平易化?
郡=君+阝=グン ・こほり
君の邑(ユウ)・子補里・桑折・小折
こおり=氷=ヒョウ=水の固塊
訓を「ゆう=言う・云う・結う」
・・たいら=碓等・平良・多比良・多以良
↓↑ ↓ ↑ ↓↑
熟田 (徳島県海部郡海陽町)
ずくだ
吹上町花熟里 (鹿児島県日置市)
けじゅくり
↓↑ ↓ ↑ ↓↑
後岡本宮御宇天皇代
「熟田津に・・・・・熟田津尓(熱田津爾)=燹田津尓?
舟乗りせむと・・・船乗世武登=船乗世武登
月待てば・・・・・月待者=月侍者?
潮もかなひぬ・・・潮毛可奈比沼=潮毛可奈比渟
今は漕ぎ出でな・・今者許藝(芸)乞菜=おつな
(額田王・萬葉集・八)」
・・・「萬= 万」・「八=葉知・捌」・・・
↓↑ 太安万侶・・・・稗田阿礼
「熟田津=熟田津石湯行宮=飽(熟)田津」・・・?
↓↑ ↓ ↑ ↓↑
「熟の
田津(たづ) ・・・・・・新江の鶴
尓(に)=𠂉(かみさし)+小(亅八)
小(しょう・しょうがしら・なおがしら)
ジ
ニ
その
なんじ・おまえ・あなた
二人称の代名詞
その・それ・この・これ・ここ・かれ
指示代名詞
しかり・しかく・かくのごとし
そのとおりである
「のみ」と読み、「~だけ」の意
他の語の下に添えて
状態を表す
尓=爾
↓↑ ↓↑ ↓↑
船乗世武登
船に乗って世(参拾)の武闘(武当)
船乗、世の武が登り
↓↑ ↓ ↑ ↓↑
月待者
解通(月)を待(ま・タイ・待機)つモノは
就きの侍(はべ・ジ・シ)るモノは
↓↑ ↓ ↑ ↓↑
潮毛可奈比沼
潮(氵の朝・水の 龺=乹=乾く月)の
毛(縮む毛糸=波化・わづか・モウ・マオ)
仮名異ヌ(奴・濡)
↓↑ ↓ ↑ ↓↑
今者許藝乞菜」
今の者、乞菜を植える藝(わざ)を許される
今の者、菜を乞い、
↓↑ ↓ ↑ ↓↑
上の字が
「熟田津(にきたつ)に
船(ふな)乗りせむと
月(つき)待てば
潮(しほ)もかなひぬ
今は漕(こ)ぎ出(い)でな」
と・・・変換されるのか・・・?
第三十七 代斉明天皇
新羅征伐で九州を訪れる際
伊豫の熟田津(御幸寺山付近)で
「額田王」が読んだ歌・・・?
↓↑
「拳(こぶし)=うづ=渦=うつ=撃・打・征伐」
「握=扌+屋
扌+尸+至
扌+尸+𠫔+土
扌+尸+一+厶+十+一
↓↑ ↓ ↑
よこしま=「道理にはずれた」
邪・涜・冒・犯・姦・奸・宦・菅・漢
佞・侫・辟・違・慝・䜛・讒
弄(もてあそ)ぶ
挵・捓・玩
翫(もてあそ)ぶ
↓↑ ↓↑
邪=牙+阝
異体字「斜・耶・衺・𧘪
𨚌・爷・爺・𤕓」
繁体字「衺」
邪悪(ジャアク)
邪曲(ジャキョク)
↓↑ ↓↑
狼籍
狼藉
狼狽
↓↑ ↓↑
琅邪=琅邪郡
(瑯琊郡
ロウヤ-グン=ラウヤ-グン)
秦代~唐代に
山東省東南部と江蘇省東北部
にまたがる地域に設置された郡
紀元前221年(始皇26年)
秦が斉を滅ぼして中国を統一し
天下を36の郡に分けた
前漢時代
徐州に属した
新の王莽のとき
填夷郡(チンィグン)と改称
異体字「𤦴・𤨜・瑯」
繁体字「瑯」
↓↑ ↓↑
琅邪=後漢が建国後、琅邪郡にもどされ
41年(建武十七年)
光武帝の子の
劉京が琅邪王に封じられ
琅邪郡は琅邪国に改められ
開陽県に郡治が置かれた
開陽・東武・琅邪・東莞
西海・諸・莒・東安・陽都
臨沂・即丘・繒・姑幕
の13県を管轄
晋時代
琅邪国は
開陽・臨沂・陽都・繒・即丘
華・費・東安・蒙陰
の9県を管轄
南朝宋時代
琅邪郡は費・即丘の2県を管轄
北魏時代
琅邪郡は北徐州に属し
即丘・費の2県を管轄
北周時代
北徐州は沂州と改められ
琅邪郡は沂州に属した
583年(開皇三年)
隋が郡制を廃止
琅邪郡は
沂州と改められた
607年(大業三年)
州が廃止、郡を設置
沂州は琅邪郡と改称
臨沂・費・顓臾
新泰
沂水・東安・莒
の7県を管轄
621年(武徳四年)
徐円朗が唐に滅ぼされ
琅邪郡は唐の沂州となった
742年(天宝元年)
沂州は琅邪郡と改称
758年(乾元元年)
琅邪郡は沂州と改称
琅邪郡の呼称消滅
「琅邪-王」氏
瑯邪郡臨沂県を本貫
魏晋南北朝時代の門閥貴族
王導、王羲之らを輩出
「琅邪-諸葛」氏
琅邪郡陽都県を本貫
諸葛亮らを輩出
「琅邪-顔」氏
琅邪郡臨沂県を本貫
顔之推、顔師古、顔真卿らを輩出
「瑯琊-鄭」氏
琅邪郡を本貫とする
朝鮮の氏族
↓↑ ↓↑
琅玕=崑崙に産する宝石名
↓↑ ↓↑
曲(よこしま)
欺・瞞・虚・偽・嘘
うそ=宇曽・憂そ・獺・鷽
枉=木+王・・・小節・木節
暴・・・あばく
訐
謀・謀略・策謀・謀判
虐・・・しいたげる
僻
凶
回
迂回(ウカイ)
奸
悖戻(ボツレイ)
邪道(ジャドウ)
横島(オウトウ)
・・・応答・櫻桃・黄桃・王統
↓↑ ↓↑
握=扌=手
尸=屍
一=初・始・肇
厶=シ・私・・・𠫔=異体字「𠮛 ・肱」
𠮛=旨=シ・むね・うまい
十=拾・足
一=壱・壹・・・・臺・薹
↓↑ ↓↑
手扌(て・てへん)
アク
にぎる・拳骨(げんこつ)・握り拳
にぎる・つかむ・にぎりしめる
手中におさめる・自分のものにする
容量の単位・ひとにぎりの量
にぎり・長さの単位・にぎりこぶしの幅」
「一握の砂(いちあくのすな・A Handful of Sand)」・・・
「いのちなき 砂のかなしさよ さらさらと 握れば指の あひだより落つ」
↓↑ ↓↑
の由縁だろう・・・
把握=握力
↓↑ ↓↑
由縁=ユエン=所以・油煙・油烟・湯圓
ゆえん
ーーーーー
・・・???・・・
地理志
中国,正史の志の中で
地理的叙述を行っている部分
24の正史のうち
《漢書・後漢書・晋書・宋書・南斉書・北魏書
隋書・新唐書・旧唐書・新五代史・旧五代史
宋史・遼史・金史・元史・明史》
の16に1~7巻・地理志が含まれ
郡国志(後漢書)・州郡志(宋書・南斉書)
地形志(北魏書)
などは実質は同じ意
前漢帝国における
行政組織の整備とともに
郡県制を中心とした
全国の地理的事実を
正史の志の一部門として記載
ーーーー
・・・???・・・
熟=孰+灬
享+丸+灬
享+九+丶+灬
亠+口+子+丸+灬
亠+口+子+九+丶+灬
火+灬(ひ・ひへん・れっか・れんが)
ジュク
うれる・うむ
こなす・こなれる
つくづく・つらつら
なれる
にえる
にる
うむ・うれる・じゅくす・作物が実る
煮る・煮える
じっと・くわしく・よくよく
十分に発展する・完全な状態になる
熟慮・熟考・熟視・熟思
↓↑ ↓↑
熟田+(徳島県海部郡海陽町)
読み方 ずくだ
吹上町花熟里+(鹿児島県日置市)
読み方 けじゅくり
↓↑ ↓↑
「熟田津=熟田津石湯行宮=飽(熟)田津」・・・?
↓↑ ↓↑
尓=𠂉(かみさし)+小(亅八)
小(しょう・しょうがしら・なおがしら)
ジ
ニ
その
なんじ・おまえ・あなた
二人称の代名詞
その・それ・この・これ・ここ・かれ
指示代名詞・
しかり・しかく・かくのごとし
そのとおりである
「のみ」と読み、「~だけ」の意
他の語の下に添えて
状態を表す
尓=爾
↓↑ ↓↑
乹・軋轢
↓↑ ↓↑
藝=蓺+云
蓺+二+厶
艹+埶+云
艹+埶+二+厶
蓺+一+一+厶
艹+坴+丸+云
艹+坴+九+丶+云
艹+圥+土+丸+云
艹+坴+丸+二+厶
艹+埶+一+一+厶
艹+坴+丸+一+一+厶
艹+坴+九+丶+二+厶
艹+圥+土+丸+二+厶
艹+土+儿+土+丸+云
艹+圥+土+九+丶+云
艹+土+儿+土+九+丶+云
艹+土+儿+土+丸+二+厶
艹+圥+土+九+丶+二+厶
艹+圥+土+丸+一+一+厶
艹+坴+九+丶+一+一+厶
艹+圥+土+九+丶+一+一+厶
艹+土+儿+土+丸+一+一+厶
艹+土+儿+土+九+丶+二+厶
艹+土+儿+土+九+丶+一+一+厶
艸・艹・艹・⺾
(くさ・くさかんむり・そうこう)
ゲイ=藝=ギ
ウン=芸
うえる
わざ
藝術=わざ・技術・学問・知識・身につけた技能
芸植(う)える・草木を植える・種をまいて栽培する
↓↑ ↓↑
藝=艹+埶(うえる・ゲイ)+云
艹+土+土+丸+云
艹+十+一+十+一+九+丶+二+ム云
異体字「艺(簡体字)・芸(新字体)」
乙=云・・・・・?
乙=乚=云・・・?
「埶」=両手を添える様
・・・埶≠執≠孰
熱勢≠墊摯褺蟄縶贄
・・・・熟(うれる・ジュク)
敦(あつい・トン・タイ)
塾(まなびや・ジュク)
憝(うらむ・タイ)
直物に手を添え土に植えること
「艸」を添え
「蓺」として
植物とし
「藝」は「云」を音符とし
「たがやす」に意を持った別字であったが
後に混同された
植物を植える
技・技術
藝才能也
人前で演じるための特技
日本語
呉 音 : ゲ
漢 音 : ゲイ
訓読み : うえる・のり・わざ
↓↑ ↓↑
物部氏の末裔
石上宅嗣
藤原仲麻呂討伐で
大納言
自分の旧邸宅を
阿閦寺(あしゅくじ)として改築し
敷地の一郭に
古今の漢籍を中心とした
書籍を収蔵
希望者に閲覧を許可した
芸亭(ウンテイ)
賀陽豊年
宅嗣は豊年を芸亭に招いて研究をさせた・・・
『続日本紀』
天応元年(781年)六月
宅嗣の死亡記事
『続日本紀』が完成した
延暦十六年(797年)
芸亭が存続現存
天長五年(829年)
空海が
綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を設置
吉備真備の「二教院」
石上宅嗣の「芸亭院」
で、芸亭の現状を
「始めありて終りなく、
人去って跡(芸亭院)あれたり」
と記録
↓↑ ↓↑
「芸」の字
「芸亭」の芸(ウン)は
「芸=藝(ゲイ)」とは異なる系統の字
「くさぎる(雑草を刈る)」
「書物の虫を防ぐのに使う香草」
の字だが
字形は同一「同形衝突」
芸(ウン)の活字の草冠を
↓↑ ↓↑
「++」4画で
「芸=藝(ゲイ)」と区別
字形の
「芸(ウン)」=「芸/藝(ゲイ)」
で互いに区別することはできない
ーーーーー
・・・???・・・
Comments