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壹萬(万)~壹億(憶・臆)・・・万葉と纂帖の憶良


2013年01月09日

空(零)~卑(壱)~王仁(弐)~足(拾)~百襲~橘三千代~安萬(万)侶~憶(億)良・・・

   櫔=木+厂+萬=栃 · 杤 · 𣜜・橡・・・とち

   蠣=虫+厂+萬=牡蠣・蛎・

     かき・イタボガキ科の二枚貝の総称

 ・・・ナゼ、ボクが「歴史上の記録」に於いて「一」~「九」、「十」~「十九」、「二十」~「二十九」、「三十」~「三十九」、「四十」~「四十九」、「五十」~「五十九」、「六十」~「六十九」、「七十」~「七十九」、「八十」~「八十九」、「九十」~「九十九」・・・「100」~「1000」~「10000」~・・・と「数字」にコダワリ(拘り)続けるのかは・・・単純明快である。  「加減乗除」の計算、会稽(会計)が「アホ」だからである。  そして、ナゼ、ボクが「漢字」、あるいは「文字」に於いて「点(・)と線(|、-)」に「コダワルのかは」は、それらの「音読み」が「テン」であり、「セン」で、記録文字の「始原」であるからだ・・・「萬」はモチロン「億」まで数えたことが無いのだが・・・  コダワリは「十三」から始まった。そして「十一」、「一」、「二」、「三」、「四」~・・・無限に、と続いた・・・数えることの「パラノイア症」になってしまった・・・「22=二十二=弐拾弐=弐弐=弐足弐=念弐」は「に拾うニ」、「に足る二」、「念じるニ」だから「相似」、「宗二・宗次・宗司・宗治」で「宗像・宗形・宗方・棟方」の「送辞・掃除・荘子・総司・総字」だからどうしょうもない・・・  今回はナゼ「十一」なのかを「風土記」の漢字から・・・その前に「旧約聖書」の「創世記第11章・バベルの塔 11:1」には「全地は同じ発音、同じ言葉であった」と記されている。  「風土記」は「風(几+ノ+虫)・土(十+一)・記(言+己)」の熟語である。  「風(フウ・フ・かぜ・かざ)」は「几+蚤?」なのかは詳しくは調べていないが、  「几(キ・おしまづき・肘掛・机・脇息・几帳=仕切り・床几=折りたたみ式の腰掛け。座にひもや皮, 布などを張り,脚はX形に組み,持ち運ぶのに便利に作られている。古代から中世にかけては胡床(牀)(こしよう)と呼ばれていた)」  の中の字は「虫」とされている。虫ならば「ノ」は「触覚」だろう。類字に「虱(しらみ・シツ・シチ)=蝨」がある。「刃の虫々」である。「貫蝨之技」は「シラミを矢でツラヌク技」だそうだが、「虱潰しにやる」とは「徹底的に、トコトンやる」であるのだが・・・  「風」とは「息」である。そして「風邪」とは「咳(せき→ゴホン、ゴホン)」の伴った高熱状態である。  「土」が「十(|+一)」と「一」から造作された画数三の漢字である。「士(シ)」も「土(ド)」と同様の造作だが「十」の下の「一」が短い・・・「十字架」の下の字が「土台が長い」か「士台が短い」の相異である。これは何を意味するのか・・・?・・・「ながいイチ」と「みじかいイチ」である・・・長命、短命・・・長州、ロングアイランド、長崎、伊太利亜半島、紀州、ショートアイランド、淡路島、淡州、契丹、丹後、丹前・・・?  で、「風土記」であるが、例のごとく・・・ ーーーーー  風土記出典  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』  風土記(ふどき)  一般には  地方の  歴史や  文物を記した  地誌  狭義には  日本の  奈良時代に  地方の  文化風土や  地勢等を  国ごとに  記録編纂して  天皇に  献上させた  報告書  正式名称ではなく  ほかの風土記と  区別して  「古風土記」ともいう  律令制度の  各国別で記された  幾つかが  写本として残されている  古風土記  奈良時代初期の  官撰の地誌  元明天皇の  詔により  各令制国の  国庁が  編纂し  主に  漢文体で書かれた  律令制度を整備し、全国を統一した朝廷は  各国の  事情を知る必要があった  中国の事例に倣い、  風土記を編纂させ、  地方統治の指針とした  『続日本紀』の  和銅6年5月甲子  (ユリウス暦713年5月30日)の  条が風土記編纂の官命  この時点では風土記という  名称は用いられておらず  律令制において  下級の官司から  上級の官司宛に提出される  正式な  公文書を意味する  「解」(げ)と呼ばれていた  記すべき内容として、  1.郡郷の名(好字を用いて)  2.産物  3.土地の肥沃の状態  4.地名の起源  5.伝えられている旧聞異事  写本として  5つが現存  『出雲国風土記』がほぼ完本  『播磨国風土記』  『肥前国風土記』  『常陸国風土記』  『豊後国風土記』が一部欠損して残る  他の国の風土記も  存在したと考えられているが  現在は  後世の書物に  逸文として  引用された  一部が残るのみ  ただし  逸文とされるものの中にも  本当に奈良時代の  風土記の記述であるか  疑問が持たれているものも存在する  各国の風土記  太字は写本として現存するもの  ※は  逸文として  他の書物に残っているもの  無印は逸文であるか  疑わしいものしか残っていないか  未発見のもの ーー  畿内  山城国風土記※  大和国風土記  摂津国風土記※  河内国風土記  和泉国風土記  東海道  伊賀国風土記  伊勢国風土記※  志摩国風土記  尾張国風土記※  参河国風土記  遠江国風土記  駿河国風土記  伊豆国風土記  甲斐国風土記  相模国風土記  下総国風土記  上総国風土記  常陸国風土記  東山道  近江国風土記  美濃国風土記  飛騨国風土記  信濃国風土記  陸奥国風土記※  北陸道  若狭国風土記  越前国風土記  越後国風土記※  佐渡国風土記  山陰道  丹後国風土記※  丹波国風土記  因幡国風土記  伯耆国風土記※  出雲国風土記  石見国風土記  山陽道  播磨国風土記  美作国風土記  備前国風土記  備中国風土記  備後国風土記  南海道  紀伊国風土記  淡路国風土記  阿波国風土記  讃岐国風土記  伊予国風土記  土佐国風土記  西海道  筑前国風土記  筑後国風土記  豊前国風土記  豊後国風土記  肥前国風土記  肥後国風土記  日向国風土記  大隅国風土記  薩摩国風土記  壱岐国風土記  対馬国風土記 ーー  中国の風土記  中国の書籍の名  晋の  平西将軍の  周処による  『周処風土記』に始まり  盧植による  『冀州風土記』  沈瑩による  『臨海風土記』  陸恭之によるとされる風土記  『後魏風土記』  などが存在するとされる  辺境生活の  見聞をまとめたものであろうといわれる  詳細は不明 ーー  古風土記以外の風土記  『三河後風土記』  『東北後風土記』  『斐太後風土記』  『新編武蔵風土記』  『新編相模風土記』  『新編会津風土記』  『今日の風土記』  等が挙げられる


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