top of page

女帝達の時代・・・女に課せられた義務ではなく、女が序列で得た独裁権利・・・

2021/9/17・金曜日・・・追加添文・・・追加転嫁分・・・?

 女帝達の時代・・・女に課せられた義務ではなく、女が序列で得た独裁権利・・・  則天武后の時代の倭国・高句麗・百済・新羅・・・  新羅・第二十七代王・善徳女王(在位632~647年)・姓は金、諱は徳曼  新羅・第二十八代王・真徳女王(在位647~654年)・姓は金、諱は勝曼  日本・第四十一代 ・持統天皇(在位690年2月14日                ~697年8月22日)・諱は鸕野讚良 ーーーーー  則天武后  在位期間 690年10月16日~705年2月22日  都    洛陽  姓・諱  媚娘→武照(武曌)  諡号   則天大聖皇帝       則天順聖皇后  生年   武徳七年1月23日       (624年2月17日)・・・645年(大化の改新)  没年   神龍元年11月26日・・・ 660年(百済滅亡)・663年(白村江の戦)       (705年12月16日)・・ 703年1月13日(大宝二年十二月二十二日                持統天皇死没・大宝三年・12月17日の火葬?)                   大宝二年(702年)12月13日に発病                   12月22日崩御・1年間の殯(もがり)の後                   大宝三年(703年)                   火葬され天武天皇陵に合葬                   天皇の火葬はこれが初  父    武士彠           母    楊夫人 ーーーーー  景龍四年(710年)・・・・・・・・710年  干支=庚戌  日本  和銅三年  皇紀1370年  中国  唐 景龍四年  唐 隆元年    景雲元年  四月十三日(和銅三年三月十日)  元明天皇  藤原京~平城京に遷都  唐で、安西節度使が設置  劉知幾、『史通』を撰述   ↓↑  死去  1月28日(和銅2年12月20日)  下毛野古麻呂、飛鳥時代の貴族  11月9日(和銅3年10月14日)  黄書大伴、飛鳥時代の守  安楽公主、唐の中宗の娘(684年~)  韋皇后、唐の中宗の皇后  実叉難陀、唐代の訳経僧(652年~)  僧伽、唐代の僧(628年~)  中宗、唐の第4代皇帝(656年~)  李重福、唐の皇族、中宗の庶長子(680年~)   ↓↑  711年  干支 辛亥  日本  和銅四年  皇紀1371年  中国  唐 景雲二年   ↓↑  伏見稲荷建立。  上野国に多胡郡設置  (日本三大古碑の一・多胡碑建立)  万廻(マンエ・萬迴)  632年・貞観六年~711年・景雲二年)  唐代の神異・風狂の僧  号は法雲公  『宋高僧伝』巻十八  「唐-虢州-閿郷-萬迴伝」の記録   ↓↑  712年  干支 壬子  日本  和銅五年  皇紀1372年  中国  唐 景雲三年、太極元年、延和元年、先天元年  3月9日(和銅五年一月二十八日)  「古事記」完成、元明天皇に献上  出羽国を新たに設置  誕生  杜甫、唐の詩人(詩聖)  (~770年)  770年  干支 庚戌  日本  神護景雲四年、宝亀元年  皇紀1430年  中国  唐 大暦五年  8月  弓削道鏡が失脚、下野に配流  9月  和気清麻呂らを召還  10月23日(神護景雲四年十月一日)  瑞亀献上により改元  10月23日(宝亀元年十月一日)  白壁王即位  第四十九代  光仁天皇   ↓↑  8月28日(神護景雲四年八月四日)  正徳・孝謙天皇(阿部皇女)・・・阿部  第46・48代天皇(718年~)   ↓↑  10月31日 (宝亀元年十月九日)  文室浄三 (693年~)  阿倍仲麻呂・・・・・・・・・・・阿部  奈良時代の遣唐留学生(698年~)  中国名  朝衡=晁衡  筑紫大宰帥・阿倍比羅夫の孫  中務大輔・阿倍船守の長男  弟は阿倍帯麻呂  唐王朝  玄宗皇帝の  図書館長  秘書監・衛尉卿  左散騎常侍(従三品)  鎮南都護・安南節度使(正三品)  ベトナム総督  天平宝字五年(761年)から  神護景雲元年(767年)まで6年間  ハノイの安南都護府に在任  天平神護二年(766年)  安南節度使を授けられた  最後は潞州大都督(従二品)   ↓↑  岑参、唐の詩人 (715年~)  杜甫、唐の詩人、詩聖(712年~) ーーーーー  650年2月15日  孝徳天皇  白雉改元・・・白雉=しろキジ           =白 記事・白生地           =斯盧黄地・新羅木地  白雉献上の儀式に  豊璋が出席  豊璋は日本の百済人質  太安万侶の一族の  多蒋敷・・・多蒋敷(おほのこもしき)   ↓↑   「出自謚神武皇子神八井耳命」        『古事記』中巻        『日本書紀』巻第四綏靖天皇即位前紀に        『和州五郡神社神名帳大略注解』所引の        久安五年(1149年)の        「多神社注進状」に        「蒋敷は太安万侶の祖父」とされている        『日本書紀』巻第二十七        天智天皇即位前紀        斉明天皇七年(661年)        同母妹を        百済王族の        扶余豊璋の妻とした   ↓↑   豊璋には織冠が授けられた  の妹を  豊璋に娶わせていた・・・  倭兵5000と  軍船170艘で  百済へ30年ぶりに帰国   ↓↑  663年8月27、28日  倭国水軍は唐-新羅軍と  白村江(白江、白馬江)で衝突し  大敗  豊璋は数人の従者と共に高句麗に逃亡  高句麗も  668年  に唐に滅ぼされ  豊璋は高句麗王族らと  唐都に連行  高句麗王の  宝蔵王らは許され唐の官爵を授けられ  豊璋は嶺南地方に流刑   ↓↑  「日本書紀(推古三十五年・627年)」  「夏五月、蝿有り、聚集れり   その凝り累なること十丈ばかり   虚に浮かびて以て信濃坂を越ゆ。   鳴く音雷の如し。   すなわち東のかた上野国に至て散りぬ」  「蝿の群れ」=蜜蜂?   ↓↑  「日本書紀(皇極二年・643年)」  「百済の太子余豊、   蜜蜂の房四枚をもって三輪山に放ち、養う。   しかれどもついに蕃息(うまわ)らず」  養蜂の初め   ↓↑  奈良時代  三韓からの蜂蜜献上  天平十一年(739年)  渤海国から  「文王致聖武天皇書」に添え  「大虫皮、羆皮各七張   豹皮六張、人参三十斤   蜜三斤」  と記録  天平宝字四年(760年)  五大寺に使を遺わし  毎寺雑薬二櫃と  蜜缶1口とを施す  と記録   ↓↑  平安時代  「延喜式(905~927年)」  「蜜、   甲斐国一升   相模国一升   信濃国一升   能登国一升五合   越後国一升五合   備中国一升   備後国二升」  別の箇所に  「摂津国蜂房七両   伊勢国蜂房一1斤十二両」  を献上と記録   ↓↑  柞=木+乍    ははそ=コナラの別名    クヌギ(櫟・国木・歴木・樟・椚木)    ↓↑  ↓ ↑  ↓  ↑  ↓    句抜き(櫟=木+楽・國+木・木+章・木+門+木)    ↓↑    ↓    ↑ ↓   ↑           記紀  記紀 記紀 記紀 記紀          楽学  古句  章  文 聞    ↓↑           ミズナラ(水楢)などを含めて呼んだ・・・    観事奈良(名等・あすか=飛鳥・明日香)    ↓↑    誤って    カシワ(柏=記紀+新羅        栢=記紀+百済        槲=記紀+斛(コク=國・ゴク=語句)          斛=角+斗            ます・ますめ            桝・舛・枡・升            斗斛⇔北斗七星               小熊座⇔大熊座=大隈座                   大隈重信?               柄杓(ヒシャク)            容量の単位・十斗            斗斛(トコク)・万斛(バンコク)            訳古句・都國   萬古句・萬國        神集=神代・記紀上記           示し申す隹              (舊とり・旧とり・古とり               尾短の鳥               毘胆・尾譚・備譚               短尾の鳥              「耽美・嘆美・歎美」           舊とり=舊字體=舊漢字           篩(ふるい・sieve)        郡柏=君阜(岐阜)・紀伯・記紀新羅        膳=肉(ジク・にく)+善            字句・似句 羊(筆字)が晋         =かしわで=柏手=膳部=高橋        可士和)    ↓↑          をいうこともある・・・    (季 秋⇔記 安芸・阿記)    語頭の    2音が同音(はは・ハハ)で    母の意にかけて用いる・・・双葉   ↓↑  「いかにせん   結ぶ木の実を・・・・掬ぶ             記紀の             實            (拾・日・昵・暱・字通)   待たずして・・・・・眞多事史(詞・氏)照(弖・氐))   秋の・・・・・・・・安芸・亜紀   ははそ(柞)に・・・母祖・葉把素(蘇・會・措)   落つる・・・・・・・乙津留   山風」・・・・・・・纂(サン=簒・篹・籑・算)             封(附得・符有)            ↓↑   海道記=かいどうき・カイダウキ  鎌倉時代の紀行・一巻・作者未詳・・・時代もんかどうか?  貞応二年(1223)・・・・・・・帝王(綴負似撚)?  京都と鎌倉間の  東海道を往復した際の紀行・・・  文体は漢文脈の濃い和漢混交文  仏教思想の影響が強い   ↓↑  「膳夫」の長官を「膳臣」  『日本書紀』・『高橋氏文』によると  「大彦命の孫   磐鹿六鴈(いわかむつかり)命が   景行天皇53年10月の東国巡幸の際に   供膳の功績で   膳臣(かしわでのおみ)の姓と   膳大伴部を賜った・・・」  「武蔵国造や   安房国造の名前に   膳大伴部   膳大伴直」  「膳臣」の   若狭国造も存在した   これらの集団は   海産物を掌握する   安曇連配下の   海部(あまべ)とともに   大王(天皇)への食料供給を担当   養老令制で   膳部が品部として所属し   宮内省   大膳職が160人   内膳職が40人   東宮主膳監が60人とある   このほか   大神社にも   膳夫が設置された   ↓↑   天武天皇十三年(684年)十一月1日条   膳氏は「朝臣」の姓を与えられた   膳朝臣はのちに氏名を  「高橋」に改めた   平安時代   高橋氏   と   安曇氏   が膳部を担当し   内膳司長官の奉膳職を世襲した   ↓↑  貞応二年(1223)・・・1+2+2+3=8  干支=癸未  日本  貞応二年  皇紀1883年・・・1+8+8+3=20⇔2+0=弐・似・仁  中国  南宋  嘉定十六年  金   元光二年  大真国 天泰九年  中国周辺  西夏   光定13年、乾定元年旧12月~  モンゴル 太祖(チンギス・ハーン)十八年  大理国  天開十九年  朝鮮  高麗   高宗十年  ↓↑  誕生  一条 実経 は、鎌倉時代の公卿  従一位、摂政 関白、左大臣  五摂家の一・一条家の祖  号に円明寺殿、後一条入道関白  法名に行雅、行雄、行祚  通称は円明寺関白  死没  宣宗、金の第8代皇帝(~1163年)  ↓↑  1222年  干支 壬午  日本  承久四年、貞応元年四月十三日~  皇紀1882年・・・1+8+8+2=19・・・1+9=10  中国  南宋  嘉定十五年  金   興定六年、元光元年8月9日~  大真国:天泰八年  中国周辺  西夏  光定十二年  モンゴル帝国  太祖(チンギス・ハーン)十七年  大理国 天開十八年  朝鮮  高麗  高宗九年  ↓↑  誕生  3月30日(貞応元年二月十六日)  日蓮  鎌倉時代の僧  日蓮宗開祖(~1282年)  唯円、鎌倉時代の浄土真宗の僧(~1289年)  ↓↑  死亡  6月29日(貞応元年五月十九日)  河野通信  平安時代、鎌倉時代の武将(1156年~)  伊予水軍の将 時宗開祖  一遍の祖父・・・「自修改組一変」? ーーーーー  ・・・???・・・

Comments


特集記事
最新記事
アーカイブ
タグから検索
まだタグはありません。
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page