学ぶこと…マネルこと・・・知識の自己生産物は無?
2021/10/29・金曜日・・・追加添加文・・・
狩猟・漁労・果実採取・・・
生産物⇔使用価値⇔利用価値⇔交換市場⇔交換価値⇔交換価格=売買商品
自由交換物=商品⇔使用価値→相互の交換価値=売買価格⇔自由選択
「知識=ことば=言語」の商品化⇔学問市場
「知識=ことば=言語」使用の独占化
独占「支給・配給」権⇔「利用権・使用権・選択権」の独占
→「利用・使用・選択」の禁止
↓↑
認識知識(詞・ことば=言葉・辯・弁・辭・辞)の恒常性
辯=辛+言+辛=ム+廾=弁
辭=辭=𤔔+辛
爫+龴+ 冂+厶+又+立+十
𤔔=爪+マ+禸+ヌ
辭=辞=舌+辛=千+口+立+十
辭=辤=受+又+辛
辭=辝=台(臺)+辛
・・・ナゼか「辞退・辞任」の熟語・・・
↓↑
五感認識対象物⇔五感
(視・聴・味・臭・触)認識⇔思惟・思考
⇔言辞音声付与
⇔記号文字付与
⇔概念規定
⇔相互概念確認
⇔規定概念使用=音声・文字・記号
⇔言語発信(伝達)・言語受信(理解)
⇔言語相互交換(会話・文通)
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恒常性=ホメオスタシス(homeostasis)
生物の内部環境を一定の状態に保ちつづけようとする傾向性
生体恒常性=生体内恒常化作用=生体機能全般
↓↑
活きモノの条件=吸収と排泄の恒常性・・・「人間の条件」も・・・?
↓↑
食物摂取の恒常性→体内連鎖への恒常性変化
消化→肉体構成・体力維持
エネルギー化学変換
消化酵素による化学的消化
食物排泄の恒常性→自然界連鎖への恒常性
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萬=𥝄・𥝅・万・㸘・𠃡=蠍・蠆・蝎
↓↑
𤔔=爪+マ+禸+ヌ+辛=治める・乱れる
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異体字「亂・乱・𤔐=𤔔」・・・?
↓↑ ↓↑
𤔔=舌=𤔐=爫+冖+幺+又
爫+マ+禸+ヌ=千+口=爫+冖+幺+又
ノ+十+口
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𤔐=爫(爪)+冖(ワ)+幺+又
𤔔=爫(爪)+マ+禸+ヌ
爫(爪)+マ+冖(冂)+ム+又
禸(ぐうのあし・ジュウ)
禹禺离禽
↓↑ ↓↑
受=爪+冖+又
伝受・授受・納受・拝受・傍受
受諾・受容・甘受・受難
受益・受戒・受給・受検・受験
受章・受賞・受精・受禅・受胎
受託・受注・受動・受理
受領(ジュリョウ)
受領(ズリョウ)
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受⇔学=學=𦥯+子
臼+爻+冖+子=斈=文+子
E+爻+ヨ(⺕・彐=彑)+冖+子
覚=覺=E+爻+ヨ+冖+見(目+儿)
覚=⺍+冖+目+儿
⺍+α
蛍=螢=炏+冖+虫
営=營=炏+冖+呂
栄=榮=炏+冖+木=荣
労=勞=炏+冖+力
↓↑
爫+α・・・𠂢=⺁+爪(瓜)⇔⺁+𧘇=永
愛=爫+冖(ワ)+心+夂(夊)
舜=爫+冖(ワ)+舛
爵=爫+冖(ワ)+罒+艮+寸
爭=爫+彐+亅
爫(爪)++
争=⺈+肀(尹)
𦘒聿
妥=爫+く(L)+ノ+一
挼
鶏・雞
渓
谿
淫
↓↑
餒=食+妥=餧=食+委
餓え
鮾=魚が腐る
家畜に餌を与える
人に食べ物を与える
↓↑
𠂠=爫+丂(干)
↓↑
釆=ノ+米
爫+一+㇉
釆=のごめ=乃(廼・埜・野・之)米?
ハン・ベン
三重県「釆女町(うねめちょう)」?
↓↑
采=爫(爪)+木
サイ・ワケ
うねめ=采女・・・菜の花
采≠釆=ノ+米
采配
𣐰=コ・・・木の𠂠・・・?
↓↑
爲=爫+尸+¬+㇉+灬
潙撝僞偽嬀(為)
爲=行為
噕・爳・鄬・𢏽・𤓸・𦥮・𨤒
采=爫+木
采配
彩・採 ・埰=坟墓=塚
色彩・採取
虹彩 採用
光彩 採掘
爰=爫+一+友
爫+ナ+又
爫+一+ノ+又
援・媛・猨
寽=爫+寸
将・捋・埒・埓・埒
孚=爫+子
フ
たまご・はぐくむ
孵化
浮・浮遊
手=扌+聿・弖・氐
↓↑
「今夕亡𡆥」
今夜(今夕)
憂い「𡆥=囚(とらわれ)」は
ないだろうか・・・?
↓↑
『説文解字』
漢字の形成・用法
「指事・象形・形声・会意・転注・仮借」
「年=一度の農作物の収穫」を意味
↓↑
「月蝕・月食=地球の月への朔望観察形象」
太陽→地球の夜の影→月
「日蝕・日食=月の太陽への重なり観察形象」
地球→月の昼の影→太陽
↓↑
「年・歳・祀」
「紀年」
王の在位年数=紀年
紀=糸+己
周のでは「年=稔・穣=みのり」
の字が
「祀=まつる」
の字にとってかわった・・・?
↓↑
中国
殷・周時代
「王」
秦代以降
「皇帝」
それ以前の古い称号
「后」が存在
王・皇帝に君主号が変遷し
后はそれに次ぐ称号とされた
王、皇帝に次ぐ存在は
王・皇帝の
正妃 or 母親
皇帝の正妃を皇后
皇帝の母親を皇太后
と称した
皇帝が「天」の権威
皇后は「后土=地」に基づく称号
↓↑ ↓↑
祀=示+巳
「妃(きさき)=第一夫人」
王妃=queen consort
女王=queen regnant
と
「皇后(コウゴウ)=おほきさき
皇后宮(きさいのみや)」
天皇や皇帝の複数の妻妾の
最上位の女性
皇后=empress
初代皇后
天平元年(729年)
第45代
聖武天皇の皇后
光明皇后(藤原安宿媛)
『日本書紀
養老四年(720年)五月癸酉条』
「菅野真道」
らによって
延暦十六年(797年)完成に記録
文武天皇 元年(697年)
~
桓武天皇 延暦十年(791年)
まで95年間の歴史
全40巻
編年体、漢文表記
略称 続紀(ショッキ)・・・ショッキ?
初代神武天皇の
正妃
媛蹈鞴五十鈴媛命
(ヒメタタライスズヒメ)
以後すべての
「オオキサキ」に
「皇后」の漢字字を当て
光明皇后よりも
前の天皇正妃も
「皇后」と呼ぶ
初婚でない
「伊香色謎命
中磯皇女
寶女王(皇極天皇)」
元々別の天皇・皇族の妃
いずれも子があった
↓↑
「媛蹈鞴五十鈴媛命
穴穂部間人皇女
藤原多子」
夫天皇の崩御後
別の天皇・皇族と再縁
「穴穂部間人皇女」は子も儲けた
↓↑
延喜二十三年(923年)
「醍醐天皇」が
「藤原穏子」を皇后に冊立し
皇后宮職ではなく
最初の
「中宮職」が設置され
付置された
「皇后」の呼称として
「中宮」が用いられた
↓↑
皇后の「養蚕」・・・?
御蚕(おかいこ)の養育管理
蚕(サン)=天+虫」
纂・簒=二人の人の
中のム(ヨコシマ)
↓↑
𤔔+α
亂・辭・覶・薍
亂=𤔔+乙
𤔔=爫(爪)
+
禸=冂+厶
+
又(右手)
で、もつれた糸を解きほどく様
受=爫(爪)+冖+又
↓↑
覶=𤔔+見=覼 ・・・
覶=爫+龴+冂+厶+又+見=楽しげに見る・閲覧
怠(ム口心)者=生きるために「競争」を遺棄した人間・・・?
怠け者=なまけもの・・・
↓↑ 第2次補正 一般会計総額約32兆円の3分の1近く 予備費 「10兆円の予備費を追加」 ・・・?・・・ 象形 卜(うらない・卜)の 亀(かめ・キ)の甲に現れた割れめの形 ↓↑ 兆=冫+儿+冫
↓↑ 亀甲 (キッコウ・キコウ かめのこう・かめのこ・かめこう) カメの甲羅 六角形状のもの 亀甲括弧 括弧の種類のひとつ=〔 〕の形 模様の種類・亀甲繋ぎ 家紋「亀甲紋」 「子持ち亀甲」 地名 亀甲町 (かめのこうまち) 青森県弘前市 亀甲町 福岡県大牟田市 亀甲町 大阪府大阪市福島区 亀甲町 亀甲 (かめのこう) 福岡県八女市の亀甲 熊本県玉名市の亀甲 岡山県 久米郡 美咲町 亀甲駅周辺の地名
雪・細氷=氷の結晶 微細な規則性のある結晶構造が 発達し密度が比較的低い (空気を多く含む) 浮遊する濃密な 雪片の塊である 雲から落下 ↓↑ 霰・雹・凍雨=氷の粒 霰・雹・凍雨=雪片が落下するまでの間に 融解や凝固(凍結)を 経ることで生成 霰・雹・凍雨の粒は 規則性のない結晶から構成され 密度が高い (空気をあまり含まない) 晴れた空から (地表付近で 水蒸気が昇華して生成され) 落下してくる氷の微小な結晶 ↓↑ H2〇=水 〇ーHー〇 / ∖ H Hー〇ーH ∖ / ∖ 〇ーHー〇 〇 / ∖ / H Hー〇ーH ∖ / 〇ーHー〇 ナゼ、自然界の「造形」は
↓↑ 兆=冫+儿+冫 チョウ(テウ) きざす・きざし・まえぶれ 兆候・前兆・予兆 うらない・うらなう 占兆 数の名=一億の一万倍 数の多いこと ↓↑ 古代の占い 亀の甲を焼いてできる裂け目の形 物事が起こる前ぶれ 災いの兆 1億の1万倍 10の12乗 (10)¹²=1000000000000 古代中国で1億の10倍 「億」の次、「京」の前の単位 「一兆」は「一億の一万倍」
↓↑ 頫=兆+頁(page)・・・「兆(きざ)しのページ(頁)」・・・? チョウ フ ふす・ふせる・うつぶす・うつむく うなだれる 顔や身体を下に向ける=俯・・・項垂れる みる・会う また・まみえる 天子にまみえる ↓↑ 俯・・・項垂れる 項=工(匠)+頁(ページ・page) うなじ=海路・唸じ・脰・領・・・得名字? 俯=亻+府 亻+广+付 亻+广+寸 フ(付) ふす(伏・臥・匐・焄) ふ(付) うつぶす(俯伏) うつむく(俯向) ふす・ふせる うつぶす・うつむく うなだれる(項垂れる) 顔や身体を下に向ける かくれる・閉じこもる ↓↑ 府=广+付=倉庫 文書や財宝を収める所 腐=广+付+肉=去勢する刑罰・腐敗 符=竹+付=割符・証拠・印章 未来記・きざし(兆候) 神仏の守り札・御札 腑=月+广+付=五臓六腑・内臓・ 椨=木+广+付=たぶの木 クスノキ(楠・樟木) 捬=扌(手)+广+付=防ぐ・守る 撫でる・さする 焤=广+付+火=腐=𣩇=𢋲=𢉶=爛=腐爛 本 作 腐・烂也 腐る・朽ちる・崩れる・滅びる 古くて役に立たない 無能・心を痛める 豆腐・腐刑 拊と通用し「撃つ」 爛(ただれる) ↓↑ 顽=頑=元+頁 無知蒙昧である 冥頑不灵 頑固である しぶとい いたずらである 頑=愚鈍・愚頑 冥頑不灵(愚昧頑鈍不灵活) 靈 靈=灵 不容易变化或动摇=頑固・頑强・頑敌 頑症・刁頑・负隅頑抗 淘气・胡闹・頑皮・頑童 霊=灵・・・魂魄 肉体に宿って肉体を支配し 肉体を離れても存在する 精神的本体=霊魂・たましい・たま ↓↑ もも=桃=百々=腿=股・・・「眺望」・・・ ↓↑ 誂=言+兆 チョウ あつらえる さそいかける・いどむ たわむれる・からかう・もてあそぶ 日本 あつらえる・注文して作らせる ↓↑ 晁=日+兆 チョウ あさ あけがた=朝 朝衡=晁衡=阿倍 仲麻呂 文武天皇二年 698年 ~ 宝亀元年正月 770年 遣唐留学生 姓は朝臣 筑紫大宰帥・阿倍 比羅夫の孫 中務 大輔・阿倍 船守 の長男 阿倍 帯麻呂の兄 ↓↑ 挑発=挑撥(チョウハツ) 相手を刺激し 事件や紛争などを引き起こすように また 好奇心や欲情などをかきたてるようにしむける ↓↑ なごやか=名護屋化・那古屋化・名児耶化 なごやか=和やか 和やか(なごやか) ものやわらかなさま 穏やかなさま 複数の人が気分がやわらいでいるさま ↓↑ にこや=和やか うれしそうににこにこしているさま 和やかな顔つき」 ものやわらかなさま・優美なさま 和やかさ ↓↑ Mainly we use 和やか about atmosphere. harmonious family 和やかな家族(かぞく) warm discussion 和やかな 話し合い(はなしあい) ↓↑ なご‐やか=和やか ものやわらかなさま 穏(おだ)やかなさま 和(なご)やか=柔やか=にこやか ↓↑ ほほえみ(微笑)を浮かべるさま アルカイク・スマイル (アルカイック・スマイル Archaic smile) にこにこしているさま 「―にあいさつを返す」 物腰・筆跡などの柔らかいさま ↓↑ 東大寺 諷誦文 平安初期点(830頃) 「女衆は(みやび)たる、 窕(ナゴヤカ)なる形を現はすと雖ども」 窕⇔宨=宀+兆=テワ・チョウ・ほしいまま 兆(きざし・チョウ) 漢字文化圏における数の単位の一 兆がいくつを示すかは時代や地域により異なる 現在 日本・台湾・韓国・香港 では (10)¹²=1000000000000 『書経』 「兆民」・・・中江兆民? 「億兆」・・・山上憶良? という語で 天下の 多くの人々を意味する用法
↓↑ ↓↑ 兆 ↓↑ 中江 兆民 弘化四年十一月一日 (1847年12月8日) ~ 明治三十四年 (1901年)12月13日) 大運1898年1月(50歳)~1908年 丙午劫財建禄 ┏丁┏未丁乙己比肩・比肩冠帯⇔辛丑 ┗壬┏子壬 癸正官・正官 絶⇔庚子 ┗丁┗丑癸辛己 ・偏官 墓⇔乙丑 丙┗午丙 丁劫財・劫財建禄⇔壬午 申酉空亡 ↓↑ 土佐藩高知城下で 足軽の子として誕生 思想家、ジャーナリスト 政治家(衆議院議員) 自由民権運動の理論的指導者 東洋のルソー 本名(諱) 篤介(とくすけ・篤助) 幼名 竹馬 號 兆民・秋水・青陵・木強生 「秋水」の號は弟子の 幸徳秋水に譲り渡した 慶応三年 フランス外交団の通訳 明治四年(1871年) 廃藩置県 岩倉使節団 司法省9等出仕 11月 横浜から出帆 アメリカ 第三共和政のフランスへ渡航 ↓↑ ジャン=ジャック・ルソーの 『社会契約論』 の部分訳 漢字カタカナ混じり文の 『民約論』校訂に携わった 民権論の専門教授 ↓↑ 明治二十四年(1891年)7月 北海道 小樽へ移り 4月 小樽初の新聞 『北門新報』を創刊し主筆 『北門新報』の社主は 金子元三郎 日本に亡命していた 金玉均を介して 兆民が紹介された ↓↑ 明治二十六年(1893年) 札幌で 「高知屋」開業 「北海道山林組」設立 明治二十七年(1894年) 常野鉄道 毛武鉄道 など数多くの発起人 明治三十年(1897年) 中野清潔会社設立 明治三十一年(1898年) 群馬の 遊廓再設置運動など 虚業的とも評される 数々の事業や政治的活動 いずれも失敗 12月 国民党を結成 大阪で喉頭癌 満54歳で死去 ↓↑ 輕宨・放肆也 窈窕・閒貞靜意 輕宨・非 止・窈窕本 从穴 窕肆也・輕窕者・好放肆也・亦从穴 恐卽窕字之譌 ↓↑ 放肆=勝手気ままで・したいほうだい 傍若無人 大自然是放肆的・顽强的 大自然は勝手気ままで手ごわいもの 「無釐頭」 「放肆=ホウシ=放恣」 無釐頭=無茶苦茶な、筋が通ってない nonsensical・unreasonable・absurd ↓↑ 窕=宀+儿+兆 窕=穴+兆 宀+八+兆 チョウ ヨウ あでやか おくゆかしい ふかい 深い・奥深い・底知れない しとやかで美しい・奥ゆかしい かるい・軽々しいさま・軽率 あでやか・なまめかしい・妖艶なさま 門前町-窕(もんぜんまち-うつろ) ・・・うつろ=宇津呂=空虚 ↓↑ 「にこやか」は 「なごやか(和やか)」 「おだやか(穏やか)」 類義漢字 和(やわ)らぐ 和楽 和気藹藹 和気靄靄 藹藹 靄靄 ↓↑ 名古屋=尾張名古屋 千葉県成田市 福島県猪苗代町 にも 「名古屋」の地名 成田市名古屋 下総台地の丘陵の 和(なご)やかな地形の場所 猪苗代町 猪苗代湖北岸の 穏やかな平地 ↓↑ 尾張 名古屋市 「那古野(なごの)」=平坦地 穏やかな入り江につけられた地名 佐賀県唐津市 「名護屋浦」 豊臣秀吉の朝鮮出兵時の 名護屋城=名護屋 海辺なので 魚子(なこ)という漁村 ・・・魚=まな=眞名・・・眞魚(まお) さかな =肴=乂+有(ナ月=肉=ジク=字句) 有=ナ+月・月=肉=ジク 字句・磁区 磁器・磁気・ 磁石 佐伯 眞魚(さえき の まお) 弘法大師=空海 山口県 阿武町-奈古(なこ) 千葉県 館山市-那古(なこ) 沖縄県 名護(なこ)市 ・・・こなご=こおなご(小女子) いかなご 体が小さく 女の子のように可愛い・・・ 時間がたつと 表面が崩れるほど繊細な魚 水揚げしすぐに砂や海藻などの 不純物を取り除くために 表面が崩れないように 真水で洗い 塩ゆでされ 茹(ゆ)で上がったものは・・・茹=ゆでる=煠 風に当てながら春の日差しで 約15分~20分程天日干しにして出荷 春を告げる一品 ↓↑ 高知県土佐市 と 須崎市の境に 「名古屋坂」という峠道 ↓↑ 「なごや」に似た 「ねごや」地名・・・ねこや? 名古屋市 緑区 鳴海城は 別名「根古屋城」 「根古屋」などの地名 静岡県沼津市 根古屋・・・根古=ねこ=猫 興国寺城跡に残る地名 新潟県魚沼市 根小屋 魚野川を挟んで 「堀之内」という地名 豪族屋敷村にちなむ地名 秋田県北秋田市 根小屋(ねこや) 福島県いわき市植田町 根小屋(ねこや) 群馬県東吾妻町 根古屋(ねこや) 茨城県水戸市 根古屋(ねこや) 静岡市 根古屋(ねこや) 茨城県行方市 根小屋(ねこや) 千葉県成田市 根古屋(ねこや) ↓↑ 那古野=名古屋 和やかな気候の土地=なごや(和や) 霧(ナゴ)発生がしやすい土地 漁師=ナコ 城下の集落を 根古屋(ねこや)と呼ぶ 大波が越えた土地=波(な)越え(ご) ↓↑ 那古野(なごの) 「なごの」 明治二十二年 愛知郡 那古野 村 当時は「なごや」と呼称 明治三十一年 明治三十五年 那古野 町 「なごの」に呼称変更 ↓↑ 和やか・凪ぐ・なごむ 心和ぐ・心を和ませる・柔よか・柔やか 和よか・折り合う・合う 穏やか・和順・心温まる・心暖まる 藹然・侃侃・靄然・藹藹・和気靄々 和楽・柔和・和ぐ やんわり・柔らかい・物柔か 和気・柔軟 むつまじい・やわらかい・やわらかだ・ねんごろ 身近・和らげる・仲よい・和気藹々 胸を撫で下ろす 助かる 息をつく・息が抜ける・気が落ち着く ぬくもり・交流 くつろぎ和やか・心地よさ・柔和な・温和な ソフトな・人情味のある・リラックスした 融和的な・仲良く・くだけた 安らかな・心をなごます和やか・幸せな 団らん笑いの絶えない・仲むつまじい 心のふれあい・穏和・仲良しこよし もの柔らかい・穏やかな・いやし系和やか 親しみ深い・庶民的な・暖かい 打ち解けた・友好的な・家庭的な ほのぼのした・こまやかな和やか 琴線にふれる ↓↑ 和やか(なごやか)・長閑(のどか) ー↓↑ーーー 生活の保障・・・「衣食住」 ↓↑ 「公地公民」 ・・・土地と人民の国有化(公有化・王有化) 大化の改新 全ての土地と人民は 公 天皇に帰属するとした制度 ↓↑ 645年(大化元年) 「乙巳の変」 ↓↑ 645年 干支 乙巳年 皇極天皇四年=大化元年 皇紀1305年 唐 =貞観十九年 新羅=仁平十二年 ↓↑ 大化の改新 7月10日(皇極天皇四年六月十二日) 中大兄皇子・中臣鎌足ら 蘇我入鹿を宮中で暗殺(乙巳の変) 7月11日(皇極天皇四年六月十三日) 蘇我蝦夷自殺 7月12日(皇極天皇四年六月十四日) 皇極天皇退位 孝徳天皇(軽皇子)即位 7月17日(皇極天皇四年六月十九日) 初めての元号を 「大化」と定める 8月 東国に国司を任命 戸籍の作成 鐘匱の制 男女良賤の法制定 十月七日(大化元年九月十二日) 古人大兄皇子を征討 人口調査を実施 12月 難波長柄豊碕宮に遷都 孝徳天皇が 難波に遷都(難波長柄豊崎宮) ↓↑ 持統天皇(鸕野讃良)誕生 ↓↑ 天智天皇(中大兄皇子)は・・・孝徳天皇? 646年(大化二年) 改新の詔 4か条の主文 副文から構成 第1条 「従前の天皇等が立てた 子代の民と各地の屯倉 そして 臣・連・伴造・国造・村首 の所有する 部曲の民と 各地の田荘は これを廃止する」 と定められた ↓↑ 大化以前 天皇や豪族らは 各自で私的に土地・人民を所有・支配 天皇・王族は 私的所有地である 屯倉と 私的支配民である 名代・子代などを保有し 豪族らは 私的所有地である 田荘と 私的支配民である 部曲などを保有していた ↓↑ 改新の詔第1条 私的所有・支配を禁止 全ての土地・人民は 天皇(公)が所有・支配する体制の確立 私地私民制から 公地公民制への 転換を宣言 ↓↑ 公地公民の原則 朝廷は 班田収授法 に基づき 人民へ 口分田を与え 租税を納める義務を課した 701年 大宝律令に継承 律令制の根幹原則となった 奈良時代 三世一身法 墾田永年私財法 により 人民による土地の私有が認められ 土地の公有という 公地公民の原則が次第に形骸化 土地私有によって 荘園が盛行すると 公地公民制は崩壊 公地公民を原則とする 律令制も瓦解へ・・・ ー↓↑ーーー 班田収授法 古代日本 農地(田)の支給・収容に関する法体系 班田収授制 飛鳥時代後期~平安時代前期 にかけて行われた ↓↑ 戸籍・計帳に基づいて 政府から 受田資格を得た 貴族や人民へ田が班給され 死亡者の田は政府へ収公された 班給田は 課税対象で収穫から 租が徴収された ↓↑ 均田制と班田制 仕組みに違い 唐の均田制 3年ごとに実施される 戸口所属認定 土地認定機能を持つ 造籍と 土地分配機能を持つ 収授が分離され 収授が 毎年の計帳作成と 同時に実施された ↓↑ 日本の班田制 戸口所属認定を持つ造籍と 土地認定機能・土地分配機能 を持つ班田が 6年ごとに 戸籍に基づいて班田が実施 土地を分配する収授が 班田手続の1つ 「戸」も 造籍と班田の結果として形成される組織 班田の実施には 中央(太政官)への申請と 校田帳・授口帳の提出と 民部省による両帳の勘会を経て 班田実施を命じた 太政官符(班符)の発給を必要とする 中央による統制が強い制度 日本書紀 646年正月 改新の詔 「初めて戸籍・計帳・班田収授法をつくれ」 班田収授法の初見だが このとき班田収授法が施行されたかは? 班田収授法の発足は 初めて戸籍が作成された 670年 or 飛鳥浄御原令が制定された 689年以降・・・ ↓↑ 班田収授法の本格的な成立 701年 大宝律令制定 班田収授制 律令制の根幹をなす 最重要の制度 ↓↑ 班田収授 六年に1度行われた 「六年一班」 戸籍も 六年に1度作成 戸籍作成に併せて 班田収授も実施 ↓↑ 戸籍で 新たに受田資格を得た者に対して 田が班給されるとともに 死亡者の田は収公された ↓↑ 戸籍作成の翌年から 班田収授の手続きが開始 戸籍作成翌年の 10月1日~11月1日までの間 京又は国府の官司が帳簿を作成し 前回との異動状況を校勘する 翌1月30日までに 太政官へ申請し 2月30日までに許可され 班田収授が実施 ↓↑ 律令(田令) 口分田・位田・職田・功田・賜田 が班田収授の対象とされ 例外は 寺田・神田のみ ↓↑ 班給面積 口分田(1段=360歩) 良民男子 - 2段 良民女子 - 1段120歩(男子の2/3) 官戸・公奴婢 良民男女に同じ(男子:2段、女子:1段120歩) 家人・私奴婢 良民男女の1/3(男子:240歩、女子:160歩) 位田 正一位 - 80町 従一位 - 74町 正二位 - 60町 従二位 - 54町 正三位 - 40町 従三位 - 34町 正四位 - 24町 従四位 - 20町 正五位 - 12町 従五位 - 8町 職田 太政大臣 - 40町 左右大臣 - 30町 大納言 - 20町 大宰帥 - 10町 大宰大弐 - 6町 大宰少弍 - 4町 以下 大監~史生まで2町~1町を支給 大国守 - 2町6段 中国守・大国介 - 2町2段 中国守・上国介 - 2町 下国守・大上国掾 - 1町6段 中国掾・大上国目 - 1町2段 中下国目・史生 - 1町 郡司大領 - 6町 少領 - 4町 主政・主帳 - 2町 功田・賜田 功田・賜田は支給面積の基準無 ↓↑ 班田収授 奈良時代最末期 浮浪・逃亡する百姓の増加 そうした百姓を 初期荘園が受け入れ 次第に弛緩し 桓武天皇は 6年1班を 12年1班に改め 班田収授の維持を図った 田地の不足 班田手続きの煩雑 偽籍の増加 等 平安時代初期 班田収授が実施されなくなった 902年(延喜二年) 醍醐天皇により班田が行われたが 実質的に最後の班田となった ↓↑ 班田収授が行われなくなって以降 班給された「公地」は 実質上農民の 私有地となっていった 最終的には国衙領として 国司の領地のごとき存在となっていく (荘園公領制) ー↓↑ーーー 灌漑施設(溝・池)を新設し 墾田を行った場合 三世(本人・子・孫、又は子・孫・曾孫) までの所有を許し 既設の灌漑施設 (古い溝や池を改修し使用可能にした場合) を利用して墾田を行った場合は 開墾者 本人一世の所有を許す ↓↑ 三世一身法施行の前年 閏4月25日(旧暦) 太政官が奏上し裁可された政策の中に 良田百万町歩開墾計画があった 食糧増産を目的として 新たに百万町歩の農地を開墾する 壮大な計画だった 人口増加で 食糧不足が生じた 辺境での 国防費の財政需要が生じた・・・ 実権を握っていた 長屋王(長屋親王) による計画だった・・・ ↓↑ 三世一身法の施行 墾田が増加した・・・ 「三世一身法」から 二十年後の 743年 「墾田永年私財法」 「三世一身法があるが 期限が到来すれば 収公してしまうので 農民は 怠けて墾田を行わない」 とある・・・ 「三世一身法の効果」は 二十年未満しか継続しなかった・・・ ・・・「怠け者の人間」・・・ ・・・生きるために「競争」を遺棄した人間・・・? ↓↑ 「20年で三代が経過し、収公の期限が終わった」 ・・・大寺社や貴族豪族の 利益誘導を目的とした法改正・・・ 既存の灌漑施設を用いた墾田は 一代のみで収公されるので その墾田では既に農民が怠ける事態が起きていた 単なる意欲減退ではなく 意図的に荒らした後で 再開墾すれば 再び所有権が得られる・・・ ↓↑ 「三世一身法」 「墾田永年私財法」と併せて 律令体制の根幹である 「公地公民制」の崩壊の前兆・・・ 「公地公民制」が「律令体制」の根幹・・・ ↓↑ 「班田収授法」の実施 平安時代以降 「公地公民制」の崩壊 「養老律令」 の 「田令 農地開墾に関する規定がない 全ての農地が「公地」とされた以上 新規開墾は国家が行わねばならず それが不可能であるなら 何らかの手段で 民間に委ねる事は必須 民間での墾田を推奨するため 三世一身法を 特別措置法的に定めた・・・ 「三世一身法」 は 「律令の不備を補完」する法令だった・・・ 以上の原文は「コンピュータでの 「検索」した「ブログ記事」からの参考、参照、抜粋 及び by 「ウイッキペデア」からの部分添付・・・ ボクのモノは それらの記事に「・・・」と「?」を付けた箇所のモノだけデス 勝手に拝借ゴメン・・・ ーーーーー ・・・???・・・クイッパグれの原因・・・ 公での社会生活を「個人的に怠けるコト」・・・ 体力的に「協同体の人としての機能を失うコト」・・・ 共同体の 衣食住の「社会的管理、保証」が崩壊状況にあるコト・・・ ・・・???・・・ 「自然崇拝」から逸脱し「人間崇拝」しすぎるから・・・? 「民」の漢字の「原義・原意」・・・意図的に目を潰された「奴隷」・・・?
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