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安東昌益・・・「ム」と「么」と「公」のカンジ・・・

2022/5/17・火曜日・・・2008年の記録に追加添文・・・

 漢字は「自然」ではなく

 人間の認識対象に対する

 脳ミソによる

「表現手段」としての

「人工・人造」の産物である

 ↓↑

「么」

 么=丿+厶

   ヨウ

   バ

   マ

   モ

   「幺」に同じ

    ちいさい・ほそい

    おさない・いとけない

    あどけない=幼

   「麽」に同じ

    バ・マ・モ

    かすか・小さい・細かい

    か・や

    疑問をあらわす助字

    接尾語・疑問詞

    などの後につけて語調を整える

    ↓↑

   「α+么」の漢字

    仫=イ+么=「仫佬(ムラオ・ムーラオ)」=中国の少数民族名

    庅=广+么=麼=麽=嚒

    嬷=女+麽

      女+广+林+么

     =バ・マ

      母・老女・老婦

    嚒=口+麽

      口+广+林+么=

    懡=忄+麽

      忄+广+林+么

     =バ

      恥じる・恥ずかしがる

 ↓↑

 簒=竹+目+大+么=篡=竹+目+大+ム

   竹+目+大+丿+厶

   竹+目+一+人+丿+厶

   サン

   セン

   うばう・奪い取る・盗(と)る

   横取りする・横領

   ↓↑

   簒(うば)う

   簒(と)る

   簒奪(サンダツ)

   簒立(サンリツ)

簒=竹+目+大+么

  竹+目+大+丿+厶

ーーーーー

「自然真営道」に関して(2008年)


 「安藤昌益・安永寿延著・平凡社選書46・1976年7月9日発行」を読み終えた。

 久しぶりに本に 何ヶ所も赤線をひいてしまった。

 「1976年」にはボクは、ドコに居て、ナニをやっていたんだろう?

 ・・・2008-1976=32、32年前・・・ドコかの国の「異邦人」としてフラフラし始めていた 時期・・・この本の著者である「安永寿延」先生は1929年生まれで、元気でいらっしゃれば、今年は 79歳である、ナッ。先生は名古屋大学文学部哲学科の卒業で、当時は和光大学人文学部教授であったら しい。この安永先生の本を読んで「安藤昌益」研究と同時に、そのベ-スとなっている先生ご自身の「中 国古典」の知識内容はスゴイナァ~と、今更ながらに思う・・・ 「安藤昌益」のコトは歴史上の人物として、時たま蘭学者関係の他の本に付随的に出てくる名前と、医者で東北人だったらしい、くらいにしか知識も認識もなく、その経歴内容も人名辞典で調べたくらいで、その詳しい「人物像」は知らなかった。1976年代に安永先生の著作を読んでいたならば、ボクの生き方も少しは変わっていたかも、と思う。と 言うのは「文字霊」を「漢字」そのものと、その「部首造り」、その「音訓」と、その「漢字の同音異字 漢字」を探求するようになったのは、1982年に「ワープロ」や「NEC88コンピュータ」を手に入 れて「文章」を書きこむようになった後からであった。丁度書き込んでいたものが「古事記」に関するも のだったからである。要するに無意識に打ち込んだ検索漢字が、文章上、意味の異なる「同音異字漢字」が多かった、と言う ことだった。 「安藤昌益」の書いた「自然真営道」は一般的には難解であるらしく、当然、「安藤昌益」を研究紹介 している安永先生の本も「難解」である。理解するには前提的に「中国古典」のかなりの原典を読んでそれなりに「理解」していなければ、チョッと専門学者や研究者以外にはその内容を把握できかねるシロモ ノである。しかも「安藤昌益」と同時代の蘭学者や、漢方、朱子学者の日本人の書いたモノを読んでいな いと更に「理解困難」であろう、とは思う。

 ボクの興味深かったのは「安藤昌益」の思想はモチロンだったが、安永先生のこの本の260ページから始まる「一 法の世」の「私」と言うところで、

 「ム(し)は、自ら営むをムとなす。

  ムに背くを公となすと云えること。

  公は自ら営むことを為さず、

  道を盗む。故に失(あやま)りなり

  (稿・自・卷一・字書卷)」

 の「自然真営道」からの抜粋ヶ所である。

 「ム」は「私」の源字である。

 「ム=わたくし・わたし・よこしま」であり、

 片仮名の「ム(む)」である。

 「ム(ヨコシマ・邪・横)」に関しては随分とボク自身も研究して来た。「ムー大陸」にも雑誌「ムー

」にも興味があったが「ヨコシマ(ム・邪)」に関してボク自身の専売だとは思っていたが、既に「安藤

昌益」が言及していた。

 「公」は「ハ+ム」の合字である。「ハム=HAM・HUM」で、「食(はむ)」であり、

 ハ・ム=葉・務=頗・夢=把武=?・夢=歯無=羽務

     ↓

    言葉詞 邪 把握 名古屋 尚歯会 奥羽

 「波務」である・・・興味のある人は「横島・横嶋」の地名を九州、四国の緯度33度の地図の位置と

、広島(厳島近辺)に発見したらその各「横嶋」を腺で結んで観て欲しい・・・逆「台形」になっている

ハズだが・・・

 更に興味のある人は以下の「ページ」をクリックして「一大発見」を参考にして欲しい・

・・・

「一大発見」

現存・古事記・漢字源の世界(2)・再三考

 ↓↑

 「台=ム(よこしま)+口(国・くち)」で、「邪馬台国」の「邪」と「台」と「国」で、「馬抜け」

である。

 「横(よこしま)」が横線、横糸、「並列」で「横並び」は「公平」である。「縦(たてしま)」は縦

線、縦糸、「縦列・直列」で「階級序列」である。

 「よこしま」を「国家支配者」が嫌うのは「横列」で「平等=公平」であるからだ。「両翼」は「鳥(

とり)の羽」である。

で、「安藤昌益」の書いた「自然真営道」だが、

「科学理論=合理的理論」と言う「科学認識思想の原点」がある、と思うのだが・・・

「自然科学」・・・存在の構造・形態に対する「本質概念規定」の「論証」

 と

「社会科学」・・・人間社会の協働生活の「慣習・掟・法律」の「論理・理屈」

         基本的には「共同体」の維持継続の

         個々人相互の約束事だが

        「嘘・盗み・殺傷・差別」に関する掟

 は別物で異なる

 ↓↑

 「科学」と「科学思想」とは何か?

 ↓↑

 「科学=存在と、その存在説明のコトバ・記号との一致」

  と

 「科学思想=存在と、その存在説明の仕方・方法=存在の認識の仕方・方法」

 ↓↑

 「五行思想」を

 「思考手段の基礎」とした人物に

 「安藤昌益(あんどう しょうえき)」が存在した。

 彼は江戸時代の「元禄16年(1703年)-宝暦12年10月14日 (旧暦)11月29日」人物で医者であり、秋田藩

に在住し、その「号」は「確龍堂・良中」と名乗ったらしい。

 以下は殆ど、「日本の名著・安藤昌益・中央公論社・昭和46年11月1日発行」や「ウキッペデア百

貨辞典」、その他の「安藤昌益研究のHP」から勝手に改作「抜粋」したものである。

 改作というよりマッタクの「抜粋」紹介です・・・学問上、スミマセン!

・・・追々この「五行思想」の持論は

   このページの進行プロセスで展開していきます。


 ・・・・安藤昌益・・・


 陸奥国「八戸の櫓(やぐら)」横丁に居住し開業医となった。

 延享元年(1744年)8月の八戸藩の日記には、櫛引八幡宮の流鏑馬の射手を治療したことが記録に残され

ている。

 同年に八戸の「天聖寺」にて講演を行う。

 宝暦8年(1757年)にも同寺で討論会を開いている。

 その後、

 出羽国大館に帰郷。弟子の「神山仙確」は八戸藩主の側医。


 身分・階級差別を否定して、全ての者が労働に携わるべきであると主張した。

 徹底した平等思想を唱えている。特に著書『自然真営道』の内容は、共産主義や農本主義、エコロジー

に通じる考えとされているが、無政府主義(アナキズム)の思想にも関連性があるという、間口の広さが

見受けられる。

 またこの書の中で

 安藤は日本の権力が封建体制を維持し

 民衆を搾取するために儒教を利用してきた、とみなし、

 孔子と儒教を徹底的に批判した。

 発見者・狩野亨吉をして「狂人の書」と言わしめ、「レーニン」をもうならせたという。

 ↓↑

 ナゼ、「レーニン」が出て来るんだか?

 ↓↑

 後に在日「カナダ大使」である

 H(ハーバート)・ノーマンの手により、

 『忘れられた思想家―安藤昌益のこと』が

 記されることで周知の人物となった。

 ↓↑

 ノーマンは「暗殺(?)」されたらしい。

 ↓↑

 安藤昌益の「著書」

 稿本『自然真営道』

 (1753年、刊行。全101巻。1899年、狩野亨吉が再発見。)

 『統道真伝』(1752年頃著す。全5巻。)

 刊本『自然真営道』(3巻3冊)

 大半が関東大震災で焼失。

 ↓↑

 安藤昌益

 「人間の解放と不平等の撤廃をめざし」、

 そのための手段として、

 自然の回復と農業の重要性を主張した。

 産業革命以前に、

 「人間の解放と自然との共生」という思想を構築した。

 ↓↑

 狩野は1908(明治41)年1月、『内外教育評論』という雑誌に「大思想家あり」というタイトル

で、はじめて「安藤昌益」を明らかにし、その存在を紹介した。

 それを『日本平民新聞』が、

 「百五十年前の無政府主義者・安藤昌益」という記事に要約・紹介した

 ↓↑

 戦後の安藤昌益研究

 1950(昭和25)年、

 E・H・ノーマン(1909~57)の

 『忘れられた思想家―安藤昌益のこと』刊行。

 日本生まれのカナダ人で、有能な外交官であり、優れた歴史家でもあった

 ノーマンは、昌益を

 日本の民主主義的伝統として紹介した。

 ↓↑

 60年代における昌益研究

 1961(昭和36)年に、

 旧ソ連の日本学者

 ラードゥリ・ザトゥロフスキーが

 『安藤昌益―18世紀日本の唯物論哲学者』

 1962年には

 北京大学の朱謙之

 「安藤昌益―18世紀日本の反封建思想の先駆者」を発表。

 1980年代

 安藤昌益全集(18)が刊行。

 80年代後半から90年代

 昌益をエコロジー思想の先駆者として注目。

 昌益が自然と人間の関係という近代的な問題を

 18世紀中葉に鋭く洞察していた。

 その解決の唯一の道が、

 農業にもとづく

 「自然世」(自然と人間の営為が矛盾なく統一された社会)の実現であり、その結果達成される農業エ

コロジーの思想が評価された。


2、昌益とその時代──昌益思想の背景


 徳川幕府、元禄時代は

 経済成長が

 農業生産力の向上や商業的農業の発達によって、

 商品経済が発展し、商人階級の社会的地位の向上は、

 都市の形成と発展をもたらし、それを可能にした。

 その貨幣経済と流通機構の発達は、

 農村の

 自給自足経済を破壊し、

 農民の貧困をもたらした。


 元禄期を頂点に、

 開発と経済成長は限界点に達し、

 農業生産は停滞ないし下降した。

 農業にその経済的基盤を求めてきた

 武士階級と幕藩体制は、危機的状況を迎えつつあった。

 八代将軍徳川吉宗の

 「享保の改革」の本質は、

 農民収奪の強化による

 財政のたてなおしと、

 「諸事権現様御掟の通」

 という復古主義以外で、

 根本的な解決にならなかった。

 貨幣経済の発展とその定着によってもたらされた

 経済合理主義による

 人間疎外、

 生産力の発展がもたらした

 余剰生産物の発生による

 非生産者階級の台頭と成長、

 その非生産者階級による

 農民搾取、不平等、農村窮乏化と都市への人口集中

 社会的矛盾が顕在化した。


 昌益の思想が

 人間と自然の関係、あるいは

 人間同士の関係、また、

 食や性、生や死という

 人間や社会の根源的問題に深い洞察をおこなっていた。

 昌益の思想の背景には社会的矛盾への凝視があった。


 この時期におこなわれた海陸の流通網の開発・整備は、

 貨幣経済の発達と、

 綿花・養蚕・藍・紅花・煙草・菜種などの

 商品作物の生産や特産地化をした。

 非食農産物の生産増大は、結果的に

 食料生産の減少や自給自足経済の崩壊を招いた。

 結果、飢饉の際に夥しい餓死者を出し

 日常的にも

 貧富の差を拡大し、農村の疲弊と都市への人口流入をもたらした。

 金銀銅山の開発は、深刻な鉱害を農村部にもたらした。


 この時期に確立した蝦夷地(北海道)や琉球(沖縄)にたいする侵略と支配を前提とする日本的華夷秩

序は、アイヌや琉球にたいする差別や民族支配、搾取などを生んだ。

 昌益は、こうした無法にたいして激しく憤り、異民族支配や侵略行為を厳しく弾劾している。


 徳川幕府の成立から昌益誕生にいたる百年間は、社会的・経済的・文化的に大きな激動期であり、昌益

が生きた時代は、こうした歴史の転換点に位置し、その矛盾がさまざまなかたちで露呈した時代である。

 昌益はこの時代にあらわれた自然と人間との矛盾や、人間社会の問題点を総合的に検討し、旧来の伝統

教学の一つひとつを俎上にあげ、そのすべてを否定した。

 そして新たに誕生した独立自営農民の立場にたち、旧来のものにかわる新たな自然・経済・社会・文化

観の構築をめざし、自然と人間の統一的な世界観である「自然真営道」を提示した。

 昌益は、晩年その思想を自ら実践に移した。

 ↓↑

 と言うことらしい・・・なんか・・・どうでもイイみたいになっちゃったデス。

 ・・・あしからず・・・

 ↓↑

 安藤昌益の循環と調和の自然観

 昌益は、『自然真営道』「大序」巻で、


 自然トハ互性・妙道ノ号ナリ。

 互性トハ何ゾ。

 曰ク、

 無始無終ナル

 土活真ノ自行、

 小大ニ進退スルナリ。


 小進木・

 大進火・

 小退金・

 大退水ノ四行ナリ。


 自リ進退シテ

 八気

 互性ナリ。


 木ハ始メヲ主リテ、

 ソノ性ハ水ナリ。

 水ハ終リヲ主リテ、

 其ノ性ハ木ナリ。

 故ニ

 木ハ

 始メニモ非ズ、

 水ハ

 終リニモ非ズ、


 無始無終ナリ。


 火ハ動始ヲ主リテ、

 其ノ性ハ

 収終シ、

 金ハ収終ヲ主リテ、

 其ノ性ハ

 動始ス。

 故ニ

 無始無終ナリ。

 是レガ妙道ナリ。

 妙ハ

 互性ナリ、

 道ハ

 互性ノ感ナリ。

 是レガ

 土活真ノ

 自行ニシテ、

 不教・

 不習、

 不増・

 不減ニ自リ然ルナリ。

 故ニ是レヲ

 自然ト謂フ


 昌益によれば、

 根源的な存在である

 土が

 大小進退の

 自己運動をおこなって、

 木・火・金・水の

 四つの元素になる。


 さらにこの四つの元素が、

 相互に

 転化・作用しあって

 八気となり、

 この八気の

 循環と相互作用によって、

 宇宙・自然の森羅万象が

 調和と

 有機的関係のもとに営まれる。


 昌益は

 万物を生み育て、さらに分解・再生させ万物の存在基盤となる

 土の作用と、

 万物の発盛枯蔵をつかさどる

 春夏秋冬の四季という自然現象から、

 木火金水の

 四行を

 体験的にイメージした。


 五行説についても

 牽強付会な俗説を排し、

 五行説が本来もっていた

 唯物論的な

 性格を回復する。

 具体的には

 進退概念をさらに発展させ、

 互性(万物に内在する相互転化・相互作用)という

 弁証法的な

 概念を確立。

 この互性概念を

 五行説に

 適用し、

 土に

 他の

 四行を

 統括する

 根源的存在としての

 位を与えた。


 五行説を

 四行説に

 改変し、

 弁証法的に

 再構築した。


 昌益は、当時、

 荒唐無稽な思弁に堕していた

 陰陽五行説に、

 本来の

 弁証法的・唯物論的な

 性格を回復・付与させた。


 根源的物質である

 土活真が、

 進退・退進の

 自己運動(自行・自感)をして、

 宇宙(回日星月)

 転定(=天尊地卑に象徴される天地という語句の差別性と固定的な観点に反対し、新たに転定の文字を

当ててその対等性と運動性を強調した)

 万物が形成され、森羅万象が営まれるとするが、

 この土活真の生成活動を

 直耕(後述する「人間の直耕」に対する

 「転定の直耕」)と呼ぶ。


 昌益はこれを次のように表現している。


 (土活真が)

 転ニ升リ、升降、

 央土(大地)ニ和合シテ、

 通・横・逆(通は上から下、横は左右、逆は下から上への運動・作用の方向性を表現する)ヲ決シ、

 穀・男女・四類・草木、生生ス。

 是レ

 活真、

 無始無終ノ直耕ナリ。

 故ニ転定、回・日・星・月、八転・八方、通横逆ニ運回スル転定ハ、

 土活真ノ全体ナリ


 昌益は

 「男女ハ小ナレドモ転定ナリ」とか

 「人ハ自然ノ全体ナリ」というように、

 転定(大宇宙)に対して、

 人間を小転定(小宇宙)ととらえている。

 さらに転定と小転定たる人間は、単に大小の関係にあるだけではなく、

 相互に作用・規定しあっているとする。

 転定と小転定は

 相関関係にあり、転定における

 土活真とその展開としての四行の作用、

 つまり

 転定の直耕(自然のはたらき)は、

 小転定たる人間の誰もが日常、炉における煮炊きや顔面において目の前に確認できるとする。


 転定ノ八気・互性ノ妙気行(はたらき)ハ、

 悉ク炉内ニ備ハルナリ。

 是レ何ノ為ゾ。

 人、穂莢ノ穀(穀物)ヲ煮テ食ハンガ為ナリ。

 転下・万国・万家異ナレドモ、炉ノ四行・八気・互性ノ妙用ニ於テ、只一般(まったく同じ)ナリ。

 此ノ一般ノ炉ニ助ケラル人ナル故ニ、

 人ノ業ハ直耕(農業)一般、万万人(すべての人)ガ一人ニ尽シ極マルコト、明ラカニ備ハル其ノ証、

是レ炉ナリ。

 嘆、明ラカナルカナ。

 活真、人ノ身内ニ備ハル。

 四府蔵・八気・互性・通横逆ノ

 妙行スル活真在リテ、

 自知・自行シテ為ル所ナリ。

 故ニ

 家内ノ炉、腹内ノ府蔵、与ニ相同ジ。

 府蔵ノ八気・互性ノ気行、面部ニ発現ス


 すべての存在が

 「土活真」という根源的存在から生じたとする

 昌益の

 一元論は、

 必然的に

 万物は等価・同等のものである。

 昌益はこの本来、等価・同等なものを

 人為的に差別することを

 「二別」と名づけ

 きびしく批判。


 昌益は次のようにいう。


 男女ハ万万人ニシテ只一人ナル明証ノ備ハリ、

 面部ヲ以テ自リ知レテ在リ。

 面部ノ八門(目耳鼻などの諸器官)ニ於テ二別(差別)無キコトハ、

 是レハ

 上ニ貴キ聖王ノ面部トテ、

 九門・十門ニ

 備ハル者無ク、

 是レハ

 下賤シキ民ノ面部トテ、

 七門・六門ニ備ハル者無ク、

 面部ニ大小・長短・円方ノ小異有レドモ、

 八門ノ備ハリニ於テ、

 全ク

 二別有ルコト無シ。

 是レ人ニ於テ、

 上下・

 貴賤ノ

 二別無キ

 自然・備極ノ明証ナリ。

 四行・進退・互性・八気ノ妙道ニ、

 外無ク

 内無ク、

 微シモ

 二別

 無キ所以、

 是レナリ。

 故ニ、

 人身ノ尺・心・行(人間の身体・心情・行動)ニ

 大違無キ所以ナリ。

 本是レ

 転定・活真、一体ノ為ル所ナリ


 昌益は人間の食と、

 食を通じての自然とのかかわりについて次のようにいう。


 転定・活真、一歳・八節ノ妙行ハ、穀・万物、生成ノ為ナリ。

 此ノ穀ハ、

 只

 人食ノ為ナリ。

 是レ

 転定・活真ノ

 直耕ナリ。

 此ノ故ニ

 転定、回・日・星・月ノ八運、

 八気、通横逆、自行ノ妙道、互性ノ気行ハ、

 穀・人・四類(鳥獣虫魚=動物)・草木生成スル

 活真ノ直耕ナリ。

 直耕トハ

 食衣ノ

 名ナリ。

 故ニ

 転定・人・物ハ、

 食衣ノ

 一道ニ尽極ス。

 其ノ外ニ道ト云フコト

 絶無ナリ。

 故ニ道トハ

 直耕・

 食衣

 ノ

 コトナリ


 食ハ、

 人・物与ニ其ノ親ニシテ、諸道ノ太本ナリ。

 故ニ

 転定・人・物、

 皆、

 食ヨリ生ジ

 食ヲ為ス。

 故ニ

 食無キ則ハ、

 人・物、

 即チ

 死ス。

 食ヲ為ス則ハ、

 人・物、

 常ナリ。

 故ニ

 人・物ノ食ハ

 即チ

 人・物ナリ。

 故ニ

 人・物ハ人・物ニ非ズ、

 食ハ人・物ナリ。

 分キテ人ハ、

 米穀ヲ

 食シテ

 人トナレバ、

 人ハ

 乃チ

 米穀ナリ。

 人ハ唯食ノ為ニ

 人ト成ル迄ナリ。

 曾テ

 別用無ク、

 上下・貴賤、聖(聖人)・釈(釈迦)・衆人(直耕する民衆)ト雖モ、

 食シテ居ルノミノ

 用ニシテ、

 死スレバ

 本ノ食ト為リ、

 又

 生ジテ

 食スル迄ノ事ナリ。

 故ニ

 言語モ、

 聖・釈モ、説法モ教解モ、鳴クモ吠ユルモ、

 皆

 食ハンガ為ナリ。

 故ニ

 世界ハ

 一食道ノミ


 人間や動物にとって欠かせない食物の獲得が、人間や動物の直耕にほかならない。

 昌益が人間の直耕、すなわち食物を生産する農業やそれに従事する農民を至尊のものと位置づけるのは

当然である。

 昌益は農民について次のようにいう。


 (農民は)

 直耕・直織シテ安食・安衣シ、

 無欲・無乱・無法ニシテ

 自然・転定・直業ノ直子ナリ。

 転定・万穀生ノ直耕ヲ継ギテ自ラ耕織シテ、

 即チ

 転定ノ家督ナリ。

 故ニ

 ……人倫ノ養父母ナリ


 転下ニ

 君臣・工匠・商家(士・工・商)ノ

 三民

 無クシテ、

 耕農ノ一家スラ行ハルル則ハ、

 転下ノ人倫微シモ患フル事無シ

 耕家無キ則ハ、

 三民

 忽チ

 滅却


 食物を得るための直耕のほかに、子孫を残すための男女の交合も直耕と考える。昌益は次のようにいう


 夫婦交合ノ道ハ

 天地・自然・進退ノ

 感和ニシテ、

 男女生生無限・活真・自感ノ妙道也


 和合ハ

 夫婦ノ道、

 生生ノ本ニシテ、

 万用ヲ逹セシム


 人ハ

 自然真感ノ

 小転定ニシテ、

 感和・妻合スルハ

 乃チ

 人ノ花咲キ

 子ヲ結ビ

 真仏ヲ

 生ズルナリ。

 男ハ

 二八ニシテ自リ知リ、

 女ハ

 二七ニシテ自リ知ル。

 乃チ

 自然ノ真伝ナリ。

 ニ男女

 通心シテ

 子ヲ生ミ、

 人倫ノ相続ハ

 転定ノ生生ニ継ギテ、

 直耕シテ

 人間

 常中ス

 ↓↑

 昌益は、個体を維持するための

 食行動と

 種を存続させるための生殖行動を最重要のもの

 根源的なも

 のと考えた。


 以上をまとめると


 昌益の自然観は、

 第一に、

 それが

 気一元論である

 ということ。

 昌益は

 根源的物質である

 土活真が、

 無始無終の

 自己運動を展開して、

 宇宙の森罹万象があらわれるとし、

 これを

 「転定の直耕」と

 呼ぶ。

 転定宇宙のすべての存在は、

 もとをただせば

 一気の発現・変化したものが

 有機的に結合し、

 構成されたもの

 である。

 したがって、

 それらに

 優劣や差別はない

 というのが昌益の考え方であり、

 ここから徹底した

 平等主義が導き出される。


 第二に、

 宇宙である

 大転定に

 対して

 人間を

 小転定と

 とらえ、

 農業と

 男女の交合を

 人間の

 直耕

 として

 その思想の根幹に位置づけた。

 それはいずれも

 個体と

 種の維持にとって

 欠かせないものである。

 この

 食と

 性の重視が

 ラジカルな

 農本主義と

 人間観の

 根拠となっている。


 差別と支配の根絶

 社会思想


 昌益は

 宇宙・万物は

 土活真という

 一気の展開したもので、

 すべての存在は

 同等・等価なものであるとする。

 つまり現象として確認される

 さまざまな

 変化や

 差異は、

 根源的な

 一気の発現のしかたの

 違いであって、

 本質的なものでは

 ない

 というのである。


 昌益は、

 この相互に

 関連・変化する

 自発的で

 有機的な

 関係を「自然」、

 その自然を前提にした

 社会を

 「自然世」

 と呼んだ。


 昌益はこの自然世について次のようにいう。


 自然ノ世ハ

 転定ト与ニ

 人業ヲ行フテ、

 転定ト微シモ異ナルコト無シ

 真ニ

 転定ノ

 万物生ノ耕道ト、

 人倫

 直耕ノ

 十穀生ズルト与ニ行ハレテ、

 無始無終ニ

 転定・人倫

 一和ナリ。

 転定モ自リ然ルナリ。

 人倫モ自リ然ルナリ。

 故ニ

 自然ノ世ト

 云フナリ。

 各々

 耕シテ

 子ヲ育テ、

 子壮ンニナリ

 能ク耕シテ

 親ヲ養ヒ

 子ヲ育テ、

 一人之レヲ為レバ

 万々人之レヲ為テ、

 貪リ取ル者無ケレバ

 貪ラルル者モ無ク、

 転定モ人倫モ

 別ツコト無ク、

 転定生ズレバ

 人倫耕シ、

 此ノ外

 一点ノ私事無シ。

 是レ自然ノ世ノ有様ナリ


 自然ノ人倫ニハ、

 上モ無ク

 下モ無ク、

 王モ無ク

 民モ無ク、

 仏モ無ク

 迷ヒモ無ク、

 統ベテ

 無二ナリ

 ↓↑

 つまり自然世においては、転定の運行にしたがって、人間本来の営みである直耕(農業)に励み、自然

と一体になって生活し、階級や支配などの不当な差別はないとする。

 一方、こうした自然状態を歪め、差別や支配を正当化する作為を「私制」とか「私法」といい、その私

法にもとづく社会を「法世」と呼んで対峙させる。では、自然にしたがって直耕に励み、支配や搾取のな

い平等な自然世が、不平等な法世に変わったのはどうしてなのか。

 昌益はその原因を

 「聖人」と呼ばれる

 支配階級と

 そのイデオローグに

 求めている。

 昌益は次のようにいう。

 ↓↑

 聖人ハ

 不耕ニシテ、

 衆人ノ

 直耕・転業ノ穀ヲ

 貪食シ、

 口説ヲ以テ

 直耕・直職ノ転子ナル

 衆人ヲ誑カシ、

 自然ノ転下ヲ盗ミ、

 上ニ立チテ

 王ト号ス


 (聖人は)

 転道ヲ盗ンデ

 衆人ノ直耕ヲ

 掠メ取リ、

 私法ノ学術ヲ制シテ、

 押ヘテ以テ

 上ニ立チ、

 不耕貪食ニシテ

 賁リ衣テ

 栄曜ヲ

 為ス


 (聖人は)

 自然ニ背キテ

 自然ノ転下ヲ掠押シ、

 自然・転定ノ直耕道ヲ

 盗ンデ

 耕サズシテ

 貪リ食ヒ、

 自然ニ之レ無キ

 君臣ヲ立テテ

 衆人ノ上ニ立チ、

 王業ヲ始メテ、

 自然ニ乱ノ名モ無キ

 直安ノ世ヲ

 兵乱ノ世ト

 為シ、

 后世乱乱ニ止ムコト無シ。

 是レ

 自然無事ノ世ヲ

 大変ノ世ト

 為ス


 聖人ノ教ヒハ、

 衆人ヲ

 誑カシ、

 天下ヲ

 盗ミ、

 己レヲ

 利スルノ

 大偽ナリ


 そのうえ聖人は、

 貨幣制度を創始して

 人間社会を欲望の巷とし、不平等と欺瞞を拡大した。

 貨幣経済の悪弊について、昌益は次のようにいう。


 金ヲ掘リ取リ

 金銀銭ヲ鋳テ

 天下ノ通用ト為ス、

 聖人ノ為ス所ニ

 始マル所ノ者ナリ。

 是レ乃チ

 大イニ

 自然ヲ失ル


 金ノ通用成リテ以来、

 欲心始メテ発リ、

 万人凡テ

 金ヲ以テ諸用ヲ弁ジ

 栄華ヲ欲ス。

 故ニ

 欲心盛ンニ

 妄行ノ世ト為ル


 聖人出デテ

 金ノ通用ヲ始メテ以来、

 自然ノ

 人行・心情、反覆シテ

 利欲ノミニ倒惑


 社会を乱した聖人と並んで、「聖釈」と一括される釈迦をはじめとする宗教者や、支配階級に奉仕する

学者たちも「不耕貪食」者として指弾される。昌益は次のようにいう。


 聖人・釈迦ト云フ者ノ為ルコトヲ省ヨ。

 嘆切レ果テタル誑衆・迷世・利己ノ戯罪ナリ


 釈迦、

 不耕ニシテ衆ヲ

 誑カシ、

 心施ヲ貪リ食フテ、

 自然・直耕ノ

 転定ノ真道ヲ盗ム

 釈・達(達磨)

 直耕者ノ心施ヲ貰イ、

 之レニ救ハレナガラ

 衆生ヲ救フト云フハ、

 迷妄・顛倒シタル

 戯言ナリ


 仏氏ノ法、

 末世ニ至リ

 僧ハ虚偽ニ辛苦シ、

 衆人ハ

 僧等ニ誑カサレ迷倒ス。

 転下ノ

 邪魔、

 世界ノ

 怨、

 乱世ノ

 根、

 之レニ過ギタルハ無シ


 字書・学問ハ、

 不耕貪食シテ

 転道・転下・国家ヲ

 盗ムノ根ナリ

 字書・学問ハ

 転道ヲ盗ムノ器具ナリ。

 真道ハ

 炉・面ニ備ハルコトヲ

 知ラズ。

 故ニ

 文字・書学ヲ用ユル者ハ、

 転真ノ大敵ナリ


 要するに本来、二別(人為的な差別)のない自然を歪め、自然に反する作為(私法・私制)によって支

配と搾取を正当化し、制度化した聖人や、こうした支配階級に奉仕し、衆人(民衆)の目を眩ます宗教者

や学者などの不耕貪食者の欺瞞を、昌益は徹底的にあばきつくしたのである。昌益は、こうした不耕貪食

者の教学や悪行にたいする否定を「破邪顕正」という。昌益は『統道真伝』や稿本『自然真営道』前半の

「学問統括ノ部」においてこうした諸学の欺瞞・本質を暴露し、完膚なきまでに攻撃している。

 では自然に反する二別(差別)を前提にした法世を、どうしたら自然世に戻すことができるのか。昌益


 私法盗乱ノ世ニ在リナガラ

 自然活真ノ世ニ契フ論


 において次のようにいう。


 上下盗乱ノ世ニ在リテ、

 自然活真ノ世ニ

 達スル

 法有リ。

 失リノ

 上下二別ヲ以テ、

 上下二別ニ

 非ザル法有リ

 上ノ領田ヲ決メ、

 之レヲ耕サシメ、

 上ノ一族、

 之レヲ以テ食衣足ルトスベシ。

 諸侯、之ニ順ジ

 万国凡テ是ノ如クシテ、

 下、衆人ハ一般直耕スベシ。

 税斂ノ法、立テザル故ニ、

 下、侯・民ヲ

 掠メ取ルコト無ク

 上下在リテ二別無シ。

 モシ耕道ニ怠ル侯・民有ル則ハ、

 之レヲ制シテ耕サシメ、

 之レヲ上ノ政事ト為ス。

 諸国ノ不耕貪食ノ遊民ヲ停止シテ、

 其レ

 相応ノ田地ヲ与ヒテ

 耕サシム。


 金銀ノ通用ヲ止ム。

 字書・学問

 賞罰ノ法ヲ止ム。

 凡テ悪事ヲ為ス者之レ有ル則ハ、

 其ノ一族之レヲ捕ヘ、

 先ズ

 食ヲ断チテ

 飢苦ヲ為サシメ、

 異見ヲ加ヘテ

 一タビハ之レヲ免シ、

 飢苦ニ懲リテ

 再ビ悪事ヲ為サズ、

 能ク耕ス則ハ可ナリ。

 若シ弁ヒズ、

 再ビ悪事ヲ為サバ、

 一族之レヲ殺ス。

 上ハ上ノ領田ヲ耕サシメ、

 安食衣シテ、

 只、

 直耕怠慢ノ者ヲ

 刑ムル則ハ、

 下ニ耕ヲ怠ル者出ヅルコト無シ。

 此ニ於テ


 無欲・

 無盗・

 無乱・

 無賊・

 無悪・

 無病・

 無患ニシテ

 活真ノ世ナリ


 昌益がいうには、歪められた法世をいきなり二別のない自然世に戻すことは難しい。そこで、とりあえ

ず上下という二別は認め、すべての者に田畑を与えて直耕させる。

 上と称されるものは、諸侯や衆人が直耕に励んでいるかどうかの監視だけをその役目とする。上をふく

むすべての者がそれぞれに必要なものだけを生産して生活する。

 自給自足が原則であり、支配機構も不要だから税金の徴収はない。

 また、余剰生産物を売買することもないから、貨幣は不要である。賞罰を規定した法律や生活からかけ

離れた学問も必要がないから消滅する。

 悪事をはたらく者や直耕を怠ける者の処断は一族の者にまかされる。これを邑政(村落自治)という。

こうしてすべての人間が直耕に励み、自給自足の生活をすれば、搾取や差別のない自然世と同様の暮らし

が実現できるという。

 昌益は、他者から利益を掠め取る商業や、自然を略奪・破壊する鉱工業を否定し、人間にとって必要不

可欠な食料を生産し、真の価値を生み出す産業として農業を中心とする第一次産業だけを認めた。昌益は

次のようにいう。


 自然ノ人ハ

 直耕・直織ニシテ、

 原野・田畑ノ人ハ穀ヲ出シ、

 山里ノ人ハ材、薪木ヲ出シ、

 海浜ノ人ハ諸魚ヲ出シ、

 薪材、魚塩、米穀互イニ易エ得テ、

 浜・山・平・里ノ人倫与ニ皆、薪・飯・菜ノ用、

 不自由ナク安食・安衣ス

 金ハ

 万欲・万悪ノ太本ナリ。

 之レ出デシヨリ

 転下

 黒暗・乱欲・妄悪ノ世ト為ル

 故ニ

 此ノ商道ハ、

 不耕ニシテ

 利ヲ巧ラム

 諸悪ノ始メナリ。

 (商家は)

 悉ク無益有害、

 世ニ無クシテ

 人用ノ欠ケザル

 栄用ノ事ノミ業ト為シ、

 利欲ノミニ泥ミ、

 人性ヲ知ルコト無


 昌益のいう

 「転人一和ノ直耕」すなわち

 「自然と人間の調和」であり、そしてそれを実現する道は、直耕すなわち農業をおいてないという。


 農業ノ道ハ、

 万国・人倫、自然

 具足ノ妙道ニシテ、

 天下ノ太本

 ↓↑

 ・・・なんか・・・エライと思うよ・・・

 「土・努・度・奴」で、「怒」・・・

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