怪しい古事記・乞食・コジキ・・・アズたい 夢 ごゥす 唄(バイ)・・・
「アメの訪問者」・・・「マルレーヌ・ジョベール」・・・
(フランス語原題 Le passager de la pluie
英題 Rider on the Rain)
↓↑
かさぶらんか=6~8月に咲くユリ・・・as time goes by
↓↑
「アンファ」は
・・・「案付蛙」?・・・「編む符蛙(ア・かえる)」・・・
暗怖鴉?
海賊の港だったが
ポルトガル(葡萄牙)に
「アンファ」が焼き払われ
カサブランカ(Casablanca・ad-dār al-bayḍāʼ)
笠(傘・嵩・暈・量・瘡・套・葢・加佐) 振らんか
↓↑ 化作部覧歌
「白い家」となった・・・笠 沙 御前
(かさ さ の みさき)
リュウ サ ゴゼン
笠 狭 ( かささ ) の岬
笠 紗 之 御前而
鷑 咲
鷑鳩
鷑鳩一名 鵧鷑郭 云小黑鳥 鳴自呼江東名為烏鵙
小さな黒い鳥
尾羽は長く、二股に分かれている
口、足、目は黒・巻き尾
若い鳥には白い模様のある灰色の腹
江東省ではカササギを「呉鳥」と呼んだ・・・
江東省での名は「武進・無錫」
呉秋の「巻き尾」・黒オマキザル
「ワシとクロウタドリを突き」
古代人は誤ってチドリ科の猛禽類だと思っていた
カラスより小さいが他の鳥に攻撃的に遂撃
・・・「カサブランカ(Casa Blanca)は6~8月に咲くユリ科の花」
↓↑ 1515年 ポルトガル人によって町が再建 町を 「Casablanca」と名付けた 1755年 リスボン大地震後 ポルトガルは カサブランカを撤退 1912年 モロッコは フランスと保護領条約を締結 ↓↑ カサ ブ ラン カは 笠・傘 歩・巫 乱・覧 科 ? 量 分 等無 化 ? ↓↑ フランスの保護領となった・・・ ・・・Play it, Sam. Play 'As Time Goes By.・・・ 「 as time goes by アズ・タイム・ゴーズ・バイ 明日 他意ム 語得亠 唄 ? as time goes by (時の過ぎ行くままに?) 」 「Here's looking at you, kid.」 ↓↑ 「随」 「随時(ヅイジ・ズイジ)」 「成り行きにまかせる」 「その都度」 「毎時・毎回」 ↓↑ 「逐」 「逐時(チクジ)」 一定の期間ごと 毎時間・毎時 逐時経過・逐時観察 「逐次(チクジ)」 その都度、毎回 「逐字(チクジ)」 原文の文字を 一字一字追っていくこと 「逐語」 順を追って 次ぎ次ぎに行われるさま 順次 ↓↑ 「逐一(チクイチ)」 「一つ一つ順を追うこと」 「いちいち詳細に」 「逐」 「順を追って進む」 「逐撃」 ↓↑ 「都度」 「そのたびごとに」 「毎回」 ↓↑ 都=者+阝=都 耂+日+阝 都=者+阝 者+丶+阝 耂+日+丶+阝 ツ ト みやこ すべて・・・都合 天子の宮城のある地 みやこする・都を定める 大きな町 みやびやか・上品で美しい 集まる・集める 統べる。 すべて=全て・みな=皆 ああ・感嘆の声 度=广+廿+又 廿=卄+- 廾(にじゅうあし・こまぬき) ジュウ にじゅう 二十・十の二倍 ド タク ト たび のり はかる めもり わたる ものさし 長さをはかるための基準 決まり・規則・法則 たび・回数 角度や温度などの 程度を示すもの 心の広さ・器の大きさ 度胸 わたす=渡 出家する・仏門にはいる 長さをはかる・みつもる おしはかる・推測する たい 「~したい」 と願い望む意の助動詞 ↓↑ ↓↑ 随時・・・隋時・隋字・隋児 随⇔髄・・・真髄・神髄・心髄・・・真瑞・信瑞 隨・・・・・蕊・蘂・ヅイ 随喜=ズイキ=芋茎 ・・・糸瓜・天糸瓜(へちま)・瓜(うり) 絲瓜(シカ) 成熟した果実は強い繊維性の網状組織が発達 へちま水 去痰作用・咳止め効能 タワシ(束子) 芋茎=サトイモやハスイモなどの葉柄 ↓↑ 隋王朝 楊 堅(文帝)・・・文綴? 541年7月21日 ~ 604年8月13日 大運596年6月(54歳)~606年 己┏丑 偏官・ 辛 酉(庚 辛)偏印・偏印 病⇔甲┏子 乙┏未(丁乙己)食神・偏官 墓⇔壬┗申 ┏癸┗丑(癸辛己) ・偏官冠帯⇔丁┏未 ┗戊┗午(丙 丁)正官・偏官 絶⇔ 寅卯空亡 ↓↑ 隋の初代皇帝 在位 581年3月4日~604年8月13日 小名 那羅延 諡 文皇帝 廟号 高祖 父 楊忠 母 呂苦桃・・・呂の苦の桃(もも) 后妃 独孤皇后・・・父は独孤 信(どっこ しん、502年 - 557年) 西魏の匈奴系軍人・武川鎮軍閥の重鎮 娘たちはこの軍閥から出て 関隴集団系 拓跋国家を樹立した 宇文氏(北周) 楊氏(隋) 李氏(唐) のいずれにも嫁いだ 本名は如願 字は期弥頭 本貫は雲中郡
第2代皇帝 煬帝の父 男子 廃太子 楊勇(房陵王) 晋王 楊広(煬帝) ・・・在位604年8月21日 ~618年4月11日 煬帝は唐王朝による追諡 名 楊広 別名 英 小字 「阿麼」・・・アマ・アメ 麼=麻+幺=麽=嚒 广+林+幺 广+木+木+幺 バ マ モ かすか・小さい・細かい か・や 疑問をあらわす助字 接尾語 疑問詞 などの後につけて語調を整える 么=幺 簒=簒奪・么=幺・・・公の丶が欠ける 纂=編纂・糸=幺+丿+亅+丶 「么=丿+ム=幺」≠「糸=幺+小」 秦王 楊俊・・・秦孝王 字は「阿祗」 祗=示+氐 礻+氐 示+氏+一 示+氏+丶 礻+氏+一 礻+氏+丶 シ ただ つつしむ・うやまう ただ・まさに 限定の意 楊堅と 独孤伽羅・・・独孤 伽羅(から) の間の子 蜀王 楊秀(庶民に落とされた) 漢王 楊諒(庶民に落とされた) 諒=言+京 言+亠+口+亅+ㇵ 女子 楽平公主 楊麗華(北周宣帝の皇后) 襄国公主(李長雅の妻) 広平公主(宇文静礼の妻) 蘭陵公主(字は阿五、柳述の妻) 阿悟、留述 柳=やなぎ=邪(耶)名義? ↓↑ 楊堅 「那羅延」・・・ナラエン=「奈良」に「延」ばす? 延=廴+丿+止(卜丄) という 鮮卑風の・・・鮮の卑 小字 を持っていた 楊氏 元々は 鮮卑 の出身で 本来の姓が 普六茹・・・普六茹(ふりくじょ)=鮮卑語の柳・楊 普(あまねし・フ・ホ)=並+日 六=亠+ㇵ=陸 茹(ゆでる・ジョ・ニョ)=艹+女+口 で 北魏の 漢化政策の際に付けられた姓が 楊 である・・・ ↓↑ ・・・隋王朝の時 ・・・「俀王 姓 阿毎 字 多利思北孤 號 阿輩雞彌」 随=阝+迶=隨 阝+辶+有 阝+辶+ナ+月 隨=阝+辶+左+月 阝+辶+ナ+工+月 ズイ したがう ついていく・よりそう 成り行きにまかせる 易(エキ)の六十四卦の一 ↓↑ 迶=辶+有 辶+ナ+月 ユウ 歩くさま・行くさま ↓↑ 有+α 賄・・・賄賂 鮪=まぐろ 郁=イク かぐわしい さかん ふみ 香気漂ようさま あたたかい 文化のさかんなさま 肴=さかな・酒菜・魚 ・・・佐仮名 ? 差仮名 ? 宥=ユウ なだめる ゆるす 責めない・とがめない 大目にみる 気持ちをやわらげ静める 宥恕・宥免・宥和 恩宥・寛宥・赦宥 侑=ウ ユウ すすめる たすける むくいる ゆるす 料理やお酒などをすすめる かばってたすける=佑 お礼をする。 罪などをゆるす 囿=ユウ その 苑(その) 鳥や動物などを放し飼いにする庭 畑・菜園 物事が多く集まっている所 とらわれる=因われる こだわる・見識が狭い 陏=タ・ダ ズイ うり=瓜・うりの実 古代中国の地名 䳑=ユウ あじ 鳥の名・きじ(雉)の類 あじ・あじがも 鳥の名・カモ科の鳥 ともえがもの古名 蛕=回虫(かいちゅう) 人や動物の消化器官の寄生虫 姷=女+ナ+月 栯=イク 栯李(いくり)=バラ科の落葉低木 庭梅(にわうめ) 㤢=心+有 戫=有+或 月+戈+口+一 イク・ヨク 模様が美しい・あやのあるさま 非常に速い 䨖=雨+有=霽=雨+齋 雨+月 サイ・セイ はれる・空が晴れる 気持ちがすっきりする 䆜=穴+有 宀+八+月 賄=貝+有 貝+月 ワイ カイ まかなう まいなう 宝・財貨 まいなう まいない。贈り物。わいろ。 まかなう 食事の世話をする きりもりする・やりくりする 痏=殴られるなどしてできた傷 酭=ユウ 報いる・杯する 酒食を相手に勧める 銪=ユウ 化学元素の一・ユウロピウム 龓=有+龍 有+龍+龙 ロウ・ル・イウ・ウ ↓↑ 哊峟洧 烠珛絠 詴㤫㬼 䀁䒴䞥 䵋 ↓↑ 意到筆随 (いとうひつずい=伊藤比通随?) 文章を作るときに、思ったままに筆が進むこと 文章を書きたいと思う気持ちのままに筆が進む 「意至りて筆随う」とも 『春渚紀聞』「東坡事実・文章快意」 類義語 意到心髄(伊藤 真髄) ↓↑ 嫁鶏随鶏 (かけいずいけい=家系図医系・異系?) 妻が夫に従うことのたとえ 雌の鶏が雄の鶏に従うという意味 「嫁鶏鶏に従う」とも ↓↑ 管仲随馬 (かんちゅうずいば=漢注随話?) 聖人の知恵を借りること 昔の人の経験を尊重すること 「管仲」・・・管 夷吾(カンイゴ) 春秋時代の 「斉国」の政治家 ・・・日本思想の原点=管仲? 桓公に仕え、覇者に 押し上げた 親友は「鮑叔」・・・アワビの叔父 叔=兄弟の三番目 年齢の順に上から「伯・仲・叔・季」 末の世 「随」は従う 春秋時代、名宰相の管仲は 戦いから帰るときに道に迷い 馬を放ち、馬の後についていくと 帰ることができた 「管仲馬に随う」とも ↓↑ 銜尾相随 (かんびそうずい=完備総随?) 一列に連なって、切れ目なく進む様子 「銜尾」は後ろの馬が 前の馬の尾をくわえること 「相随」は前のものについていくこと 狭く険しい山道などで 前の馬の尾を後ろの馬が加え 一列になって 前についていくという意味 「銜尾相随う」とも 『漢書』「匈奴伝」 類義語 銜尾相属(巻尾相続?) ↓↑ 形影相随 (けいえいそうずい=継泳・経営・桂栄総随?) 心の善悪が行動に出ること 「形影」は姿形と影 影は体の動きと 同じ動きをするということ 「形影相随う」とも 『列子』「説符」 ↓↑ 彩鳳随鴉 (さいほうずいあ=西法随蛙?) 女性が身分の劣る男性に嫁に行かされること そのことに不満を持つこと 美しい鳳が 鴉に嫁ぐというたとえ 妻が夫のことをいい加減に扱うこと 劉将孫「沁園春」 ↓↑ 水随方円 (すいずいほうえん=推隋法縁?) 民の善悪は政治を行うものによって感化される 人は環境や人間関係次第で 善悪のどちらにも感化される 「随」は従うこと 「方円」は四角いものと円いもの 水は容器の形に従って 四角にでも円にでもなる 『韓非子』「外儲説・左上」 ↓↑ 随鴉彩鳳=彩鳳随鴉 (ずいあさいほう=随蛙西法?) 劉将孫「沁園春」 ↓↑ 随縁放曠 (ずいえんほうこう=隋援奉公?) どんな因縁にも縛られることなく 気の向くまま自由に振舞うこと 因縁に任せて物事にこだわらず のびのびとしていること 「随縁」は縁に従って物が生まれて変化すること 「放曠」はなにものにも縛られず心が自由なこと ↓↑ 意到りて筆随う (いいたりてふでしたがう) 思いのままに筆が動いて文章が書けること 自分が書く気になれば 筆がひとりでに随ってくるという意 『春渚紀聞』 ↓↑ 影の形に随うが如し (かげのかたちにしたがうがごとし) いつもいっしょにいて離れないこと ↓↑ 随徳寺をきめる (ずいとくじをきめる) 後先かまわずに一目散に逃げ出すこと 「ずいと出て行く」をしゃれで 寺の名に仕立てた 「一目散」を山号になぞらえて 「一目山隋徳寺」とも ↓↑ 善悪の報いは影の形に随うが如し (ぜんあくのむくいは かげのかたちにしたがうがごとし) ↓↑ 水は方円の器に随う (みずはほうえんのうつわにしたがう) ーー↓↑ーー 紀元前333年 ローマ暦年 ローマ建国 紀元421年 干支 戊子 日本 皇紀328年 孝安天皇六十年 中国 周=顕王三十六年 秦=恵文君五年 楚=威王七年 斉=威王二十四年 燕=文公二十九年 趙=粛侯十七年 魏=恵王後元二年 韓=昭侯三十年 ↓↑ マケドニア王国 アレクサンドロス3世 小アジア西部を攻撃 リュキア ピシディア を征服 ↓↑ アケメネス朝 ペルシア ダレイオス3世 ペルシアに亡命していた ギリシア人傭兵隊長 カリデーモスを イッソスの戦いへの準備をしたとし処刑 ↓↑ アレクサンドロス3世 キリキアでの イッソスの戦いで ペルシア軍に大勝 ダレイオス3世は 妻 2人の娘 母の シシュガンビス 多くの財宝を残して逃亡 家族は アレクサンドロス3世 に捕らえられたが、厚遇 ↓↑ アレクサンドロス3世 将軍ネアルコスを 新しく得た リュキア パンフィリアの サトラップに 将軍 アンティゴノス1世を フリギアの サトラップにした ↓↑ ペルシア軍を拠点から孤立させるため イッソスから南の シリアとフェニキア まで進軍 ビブロス サイダ を得ると ティルス を包囲攻撃 ダレイオス3世からの 和平を求める手紙の返事として アレクサンドロス3世は ダレイオス3世の 無条件降伏を要求 ↓↑ 中国 楚が 斉を攻撃 斉軍を破り 徐州を包囲 斉の 田嬰が 張丑を派遣し 楚の 威王を説得すると 楚は軍を返した ー↓↑ーーー 紀元前133年 干支 戊申 日本 開化天皇二十五年 皇紀528年 中国 前漢 元光二年 ↓↑ ローマ 執政官 ルキウス・カルプルニウス・ピソ・フルギ と プブリウス・ムキウス・スカエウォラ ヌマンティア戦争 スキピオ・アエミリアヌス 率いるローマ軍により ヌマンティアが陥落 ティベリウス・グラックスが 護民官 無産市民救済のための 「センプロニウス農地法」を提出 元老院支持者によって殺害 ティベリウスの死を契機に ローマは 「内乱の一世紀」へ突入 アッタロス朝 (ペルガモン王国)の 国王アッタロス3世が死去 遺言により 王国がローマへ遺贈 ↓↑ 中国 六月 李広 らが率いる30万の前漢軍が 朔州で 匈奴軍を迎撃した (馬邑の役) ー↓↑ーーー 紀元前33年 干支 戊子 日本 崇神天皇六十五年 皇紀628年 中国 前漢 竟寧元年 朝鮮 高句麗 東明聖王五年 新羅 赫居世二十五年 檀紀2301年 仏滅紀元 511年 ↓↑ アレクサンダー・ヘリオスが メディア王国の イオタパ姫と結婚 アウグストゥスが 2度目の執政官 もう1人は ルキウス・ウォルカキウス・トゥッルス ー↓↑ーーー 紀元前3年 干支 戊午 日本 垂仁天皇二十七年 皇紀658年 中国 前漢 建平四年 朝鮮 高句麗 瑠璃明王十七年 新羅 赫居世五十五年 百済 温祚王十六年 ↓↑ 前漢建平四年、正月 大規模旱害 西王母騒動 民衆は 西王母を祀り踊り 各地に伝わり 秋に収束 ー↓↑ーーー 3年 干支 癸亥 日本 垂仁天皇三十二年 皇紀663年 中国 前漢 元始三年 朝鮮 高句麗 瑠璃明王二十二年 新羅 赫居世六十年 百済 温祚王二十一年 ↓↑ 前漢元始三年 王莽 礼制・学制の改革開始 帝舅衛氏 何武・・・何の武? 鮑宣 の漢の忠臣を殺害 ↓↑ 高句麗 瑠璃明王 卒本城から 丸都城に遷都 ↓↑ 垂仁天皇の皇后 日葉酢媛命が崩御 野見宿禰 が 埴輪を考案 ↓↑ 誕生 パウロ、キリスト教の伝道者 『新約聖書』の著者の一人(~67年頃) ー↓↑ーーー 13年 干支 癸酉 日本 垂仁天皇四十二年 皇紀673年 中国 新 始建国五年 朝鮮 高句麗 瑠璃明王三十二年 新羅 南解王十年 百済 温祚王三十一年 ↓↑ アブガルス5世 オスロエネ(エデッサ)王に復位 ティベリウス ゲルマニアからローマに凱旋 ストラボン 地球の形状に関する本を出版 オウィディウス Epistulae ex Pontoの1~3巻を出版 ↓↑ 死去 王政君=元帝(劉奭)の皇后(紀元前71年) ー↓↑ーーー 33年 干支 癸巳 日本 垂仁天皇六十二年 皇紀693年 中国 後漢 建武九年 隗囂 漢復十一年・・・ 公孫述 龍興九年 朝鮮 高句麗 大武神王十六年 新羅 儒理王十年 百済 多婁王六年 ↓↑ ガルバ ローマ執政官 ローマで金融危機 ティベリウス帝 貸付銀行設立 ↓↑ 後漢 建武九年 光武帝 隴西を平定 隗囂 病死 八月 その子 隗純を追撃し 来援した 公孫述・・・ の将 田弇 趙匡 を撃破 匈奴が 北部国境を襲撃 対策として呉漢らを派遣 百済 多婁王 初めて 稲田(陸稲)を作らせる ↓↑ 死去 十月十八日 大アグリッピナ 初代ローマ皇帝 アウグストゥスの孫娘(紀元前14年) ー↓↑ーーー 133年 干支 癸酉 日本 成務天皇三年 皇紀793年 中国 後漢 陽嘉二年 朝鮮 高句麗 太祖王八十一年 新羅 祇摩王二十二年 百済 蓋婁王六年 ー↓↑ーーー 233年 干支 癸丑 日本 神功皇后摂政三十三年 皇紀893年 中国 魏 太和七年、青龍元年 蜀 建興十一年 呉 嘉禾二年 朝鮮 高句麗 東川王七年 新羅 助賁王四年 百済 仇首王二十年 ↓↑ 237~238~239 卑弥呼 使者を魏に派遣 ー↓↑ーーー 333年 干支 癸巳 日本 仁徳天皇二十一年 皇紀993年 中国 東晋 咸和八年 後趙 建平四年 成漢 玉衡二十三年 前涼 建興二十一年(西晋元号を継続使用) 代 烈皇帝(拓跋翳槐)五年 朝鮮 高句麗 故国原王三年 百済 比流王三十年・・・比較、王の流れ 新羅 訖解王二十四年 ー↓↑ーーー 干支 癸酉 日本 允恭天皇二十二年 皇紀1093年 中国 宋 元嘉十年 北魏 延和二年 北涼 義和三年、承和元年 北燕 太興三年 朝鮮 高句麗 長寿王二十一年 百済 毗有王七年 新羅 訥祇王十七年 ー↓↑ーーー 1333年 4月9日 (正慶二年=元弘三年閏二月二十四日) 後醍醐天皇 配流先の 隠岐を脱出して京へ向かう ↓↑ 1334年 干支 甲戌 日本 元弘四年、建武元年一月二十九日~ 皇紀 1994年 中国 元 元統二年 朝鮮 高麗 忠粛王(重祚)三年 ー↓↑ーーー 1333年 干支 癸酉 日本 後醍醐天皇 元弘三年 光厳天皇 正慶二年(五月二十五日まで) 皇紀 1993年 中国 元 至順四年、元統元年十月八日~ 朝鮮 高麗 忠粛王(重祚)二年 ー↓↑ーーーー 現存『古事記』の写本 「伊勢本系統」の 1371年 南朝 建徳二年 北朝 応安四年 ~ 1372年 南朝 文中元年 北朝 応安五年 真福寺の僧 賢瑜によって写された 真福寺本『古事記』三帖(国宝) 奥書 祖本は 上・下巻が 大中臣定世 本 中巻が 藤原通雅 本 ↓↑ 道果本 上巻の前半のみ 南朝 弘和元年 北朝 永徳元年 1381年 写 ↓↑ 道祥本 上巻のみ 応永三十一年 1424年 写 ↓↑ 春瑜本 上巻のみ 応永三十三年 1426年 写 ↓↑ の 道果本系 三本は 真福寺本に近く 伊勢本系統 ↓↑ 矢田部 公望 (やたべ の きんもち) 平安時代中期の官人・学者 矢田部稲吉 あるいは 大内記 矢田部名実 の子 官位 外従五位下・文章博士 ↓↑ 延喜四年(904年) 日本紀講筵に 尚復として参加 『日本書紀私記』の一つである 『延喜公望私記』を著 ↓↑ 左少史・権少外記を経て 承平二年(932年) 外従五位下・大外記に叙任 承平3年(933年) 阿波介・・・ に任ぜられた 承平6年(936年) 日本紀講筵で 文章博士として講師 ↓↑ 『日本書紀私記』の一つである 『延喜公望私記』は 父 または 兄弟とされる 矢田部名実 の残した 『元慶私記』に 公望が自説を加えることで成立・・・ 散逸、逸文として 『釈日本紀』 『和名抄』 等に伝わっている 『先代旧事本紀』の作者・・・ ↓↑ 矢田部公望は 「古事記」を 編年体でないことで低く評価 『先代旧事本紀』の方が より古い史書と主張・・・ ↓↑ 不慮=思いがけないこと・不意・意外 ↓↑ 度会 家行 (わたらい いえゆき) 康元元年(1256年) ~ 正平六年 観応二年 1351年・・・? 伊勢神宮の 外宮(豊受大神宮)の神官 伊勢神道の大成者 没年は 正平十七年 貞治元年 1362年・・・? という説もある・・・ ーーーーー ・・・???・・・怪しい「古事記・乞食・コジキ」・・・ あず たい夢 ごゥす 唄(バイ)・・・
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