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数字の學・・・代数學・・・幾何學・・・



 ・・・NHKスペシャル「新映像の世紀・第2集グレートファミリー・新たな支配者」を見終わったけれど・・・「1920年代、巨大財閥のグレートファミリー」、昨日の深夜にも「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド(There Will Be Blood)」をみたけれど、「カミ」に翻弄される人間なのか、「カネ」に翻弄される人間なのか・・・人間の発明した「数字」だけは「ウソ」にも「ホントウ」にも正直であるが、その数字を扱っているのが「人間」でもある・・・白熱教室の「カリフォルニア大学バークレー校のエドワード・フレンケル教授」を観ていると、その顔の表情がカッテのTVを賑(にぎわ)していた「超能力者・ユリゲラー」に重なってしまった・・・「科学認識の理論」には「数字」が絶対必要条件であるだろう・・・  だが、「数学の漢字概念(コトバ)」は滅茶苦茶(目茶苦茶)に難しいと云うか、それ以前に「数学」を学びたいと考えている人びとに混乱を与えいると、ボク的には「理解」してしまう。ダイタイからして「数学の教科書」の説明文である難解な漢字とカタカナ・・・高校生がアレを読んで「数学自体」を理解できているはスゴイ・・・デアル・・・「数字」と、その数字を操作する「数式の記号」がなければ無理だとも思うが・・・  それでも、デアル。「記号・数式」の計算操作だけで理解できる(?)ヒトは。頭の時間的な回転は速いだろう。算盤や、暗算の達人もスゴイとは思うが、ノートに筆記計算で計算結果の「答えの数字」を得るのが速いのも「コトバの思考」ではない別モノだろうな・・・数学の計算をコトバで理解しようとするヒトは「結果の答え」も遅くなる。コトバを介在している分、「鈍(にぶい)」のは当然である・・・  数学者には「漢字文字」自体が「記号」なんだろうが・・・「漢字字体の本質」は考えていないのかも・・・でも、物理学者であった「朝永先生(朝永 振一郎・1906年(明治三十九年)3月31日~1979年(昭和五十四年7月8日)」の新書本は「コトバ」を慎重に、明確に、一般人にも理解できるように使用していたようには思うが・・・「理論物理学者」は前提的に「コトバの理論の哲学者」だったハズだから当然か・・・  「数学」は「数字規則とその計算方法(規則)の学問」であるが、「算数=加減乗除」は「日常生活の学問(知識)」だと思う・・・  ブログ記事の説明、  「かんすう(関数=函数=function)とは二つの変数x、yがあって 、xの値が決まると、それに対応してyの値が一つ決まるとき、yはxの関数であるという。  記号y=f(x)で表す。  xを独立変数といい、二つ以上のこともある」  ・・・そもそも「関数」=「函数」なのか?・・・漢字から考えると納得のいかないシロモノである・・・  f(x)=y・・・「f(x)」の「f」と「(x)」の関係は「関係する関数」だが、「(x)」は函(はこ)の中に存在する「函数(function)」である。「x」は変数だが、「函の中の変化する数字」であり、変化することによって「y」の数字の値も変わる、と云うコトだろう・・・これは、箱の中のリンゴの数(x)によって、価格の「y」が決定される、と云うコトでもある・・・具体例で考えれば、  「f(?)」は「函(f)の中の(数?)」  であり、  「f(函)」の  「蓋(ふた)」を開けたら  「xの個数」が存在し、  「yの価格」の数値がわかる(決定)、  と云うコトだ。  「1箱の(リンゴ)=f(x)」の「価格=y」は「リンゴの個数=x」で決まる、と云うことである。これは、函の中身は何であれ、「x、y」の「グラフ(図式)」の「質と量の関係」性で示すコトができる・・・  で、  「数学の特に   函数解析や   変分法における   汎函数(はんかんすう、英: functional)は、   ベクトル空間から   その係数体   あるいは   実数値函数の空間への   写像のことを指して言う。   言い換えると、   ベクトルを入力引数とし、   スカラーを返す函数である(ウイッキペデア)」  ???・・・これって、何の説明なんだか・・・理解できる人はスゴイ・・・  別の「ウイッキペデア」の記述には、  「高木貞治の『解析概論』では「函数」表記   この本は、   1938年に初版が出版   著者の逝去した翌年の   1961年に現行第3版が出版   序文によれば、著者の指示により   数学用語を現行のものに改めた・・・   ・・・それでもなお「函数」表記であり、   当時は   函数   が主に用いられた」   とある・・・現行のモノとは「関数」と云う「漢字」のコトだろう・・・それでも、猶(なお・なほ・尚・直・犹)である・・・  「1958年、文部省の指導により函数は関数に統一された・・・」  ・・・問題は文部省の「常用漢字」にあるらしい・・・  「字体に関する話」であるらしいが、その「漢字字体の意味内容」が全く述べられていない・・・原則的に「漢字」は「一漢字文字」が「概念・範疇・本質・カテゴリー・表意、内意の既定」である。その漢字文字の構成始原は「点(・=テン)と線(1・一=イチ)」である・・・それを踏まえ、それによって構成、組み合わされた一漢字文字も「概念・範疇・本質・カテゴリー」されたモノである。「函」と「関」は概念規定が異なるのである。モチロン、「函-中の数」と「関-係の数」は異なる・・・そして「学術用語」、特に「物理学用語」ではコレらを全く無視しているように思う・・・「専門用語」とは無茶苦茶である・・・明治時代の「文明文化」の「苦労の所産(?)」である「新漢字熟語造語」の思想はないようである・・・    どうやら、ここは「簡略字」であっても、中国語の「函数論」の漢字ブログ辞典の方が理解しやすいのは当然である・・・ ーーーーー  ・・・「人間」も様々、色々だが、「人間の諸行も所業、所行も」・・・スゴイ・・・

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