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最近の時世の時勢・・・自生・自省・・・不自制

2022/7/23・土曜日・・・追加添文・・・

土曜日・大暑

2022年 壬寅(己・丙・甲)年

07 月 丁未(丁・乙・己)月

     冲己

23 日 丁丑(癸・辛・己)日

08 時 甲辰(乙・癸・戊)


旧6/25・觜宿・西方白虎七宿の第6宿・オリオン座λ星


 「伊予を愛比売といひ(古事記)」・・・   讃岐国   南海道   香川県  「飯依比古」  「伊予之二名島の顔の一つ(古事記)」  ↓↑  エウロッパ (Europa)  エウローパ (ヨーロッパ)

 仮名草子・伊曾保物語(1639頃)上  「イソホといふ人ありけり。   其時代、エウラウハの国中に   かほどの見にくき人なし」  六大州の一  アジア大陸の西部に連なる半島状の大陸と付属の島々からなる  北は北極海、西は大西洋に面し  南は地中海を隔ててアフリカ大陸に接する  北西部にゲルマン民族  南西部にラテン民族  東部にスラブ民族  が居住し、  大小「四四」の独立国がある     ・・・四十四=四拾四=肆拾肆=肆足肆・・・「四国=二面」  イギリス、ドイツ、フランス、ロシア、イタリアなど  セルヴィアの新石器時代の土偶と日本の土偶

 ビンチャの女性像は左右、他は日本の土偶

 マルタの巨石神殿群  ジュガンティーヤ神殿  建造は紀元前4500年から前2000年頃  ↓↑  サルマタイ・・・?・・・座留馬帯=鞍(くら)  (ギリシア語Sarmatai   ラテン 語Sarmatae   英   語Sarmatians)  紀元前4世紀~紀元後4世紀  ウラル南部から・・・・・裏留?  黒海北岸で活動した・・・古句回補句願?  イラン系遊牧民集団・・・ペルシャ=波斯  ↓↑  ・・・伊朗 ・伊郎?     ・・・意覧・伊乱⇔伊都・意図・異図     伊豆・伊曽保=伊蘇普(イソップ)     伊太利亜(イタリア)     伊吹(イぶき)     井伊・伊井     伊賀(イが)     伊予柑(いよカン)     伊呂波(イロハ)     伊部焼(いんべやき)     伊(かれ)・伊(これ)     伊達(だて)     伊達巻(だてまき)     伊蘭=クマツヅラ科の高木・悪臭⇔煩悩?             伊弉諾尊・伊邪那岐命             伊弉冉尊・伊邪那美命  ↓↑ 伊藤     伊=亻+尹       イ       かれ       これ       ただ       かの       第三人称       この       語調を整える助詞       河南省n川の名=伊水       伊太利       人名名のり       いさ・おわむ・ただ・よし       地名       伊串(いくし)和歌山県       伊丹(いたみ)兵庫県       伊井(いい) 福井県       伊仙(いせん)鹿児島県       伊佐(いさ) 沖縄県     尹=ヨ+丿       イン       おさ       おさめる       ただす       長官・監督       安定させる       乱れないようにする       かみ       四等官(シトウカン)  ↓↑   弾正台の第一位  イラン・・・・要らん・入らん・炒らん・煎らん?  紀元前7世紀末から  ウラル南部にいた  サウロマタイに  紀元前4世紀頃東方から  移動してきた遊牧民が加わって形成  サルマタイはギリシア語  ラテン語ではサルマタエ  黒海北岸地域をその名にちなんで  サルマティアと呼ぶため  サルマティア人とも・・・  ↓↑  欧=歐    区+欠    匚+㐅+欠    区+丿+乛+人    匚+㐅+丿+乛+人  歐=區+欠    匚+品+欠    區+丿+乛+人    匚+口+吅+欠    オウ    体を曲げてかがむ    はく・吐く・吐きもどす=嘔    なぐる・うつ・たたく =殴    うたう・歌をうたう  =謳    欧羅巴(ヨーロッパ)の略    エウロパはゼウスが恋に落ちた    テュロスの王女    エウローペーが語源    エウローペーは    フェニキアの古代都市    ティルスの王の娘    『エウロペの略奪』

 エウロパ  ギリシア神話の女性  フェニキアの王・・・フェニキア  ↓↑        (Phoinikē・ポイニーケー            羅 Phoenices            Poeni            ポエニ            英 Phoenicia)            古代の地中海東岸に位置            シリアの一角            北は現シリアの            タルトゥースのあたりから            南はパレスチナの            カルメル山に            至る海岸沿いの南北に細長い地域            現在のレバノン領域            フェニキア人名称は自称ではなく            ギリシア人による呼称            ギリシア人は、交易などを目的に            東から来た人々をこう呼んだ            フェニキアという名称は            フェニキア人            の居住地が            ギリシャ語で            Φοινίκη(Phoinikē; ポイニケー)            と呼ばれたことに由来            フェニキアが            ミュレックス(en)            と呼ばれる貝から取れる            紫色の染料(貝紫)            を特産としていたことから           「紫色」(または「緋色」)            という意味の            ギリシア語を語源・・・            南部の            サイーダなどの町中で            この貝殻の山を見ることができる            フェニキア人の            母体となったとされる            カナンという呼称も            アッカド語で            染料を意味する  ↓↑         キナッフに由来  エウロパ  フェニキアの王  アゲノルの王女・・・上げ乗る?・・・蛙解之留?  雄牛に変身した  ゼウス・・・・・・・是卯州(臼・碓・有珠・渦)⇔宇佐・大分?  によって拐われ  その背に乗ったまま海を渡って  クレタ島・・・・・・呉田・呉太?  に連れていかれ  ゼウスの子供  ミノス・・・・・・・美濃州?  サルペドン・・・?・沙流(差留・猿)部譚?  ラダマンチュス・・・羅拿萬註諏  の3人を生んで  クレタの王  アステリオス・・・・明日照里尾州?  の妃になった  ↓↑  フェニキア王  アゲノルの娘  カドモスの姉妹・・・火度燃・加渡摸・河図摸図?  浜辺で  白い雄牛となった  ゼウスにだまされ  その背に乗って  海を渡ってクレタ島へ運ばれ  ゼウスの子供  ミノス(クレタ王)  ラダマンテュス(冥府の裁判官)  サルペドン(リュキア王)  を生んだ  後  クレタ王  アステリオスの妃となり  死後は女神なった  ↓↑   エウロペ・・・欧州・・・奥州・桜洲・応州・王修?  えうろぺ  Eurp  テロスの  アゲアノル王  と  テレパサ  の娘で  カドモス  と  キリクス  の姉妹  ゼウスは  エウロペに惚れて  白い牡牛に変身して近づき  初めは恐れていた  エウロペが  戯れにその牡牛の背にまたがると  牡牛は疾走して海を渡り  クレタ島に上陸  2人は  ゴルティンの泉・・・語留出音(韻)  の畔(ほとり・湖畔)で交わり・・・畔・滸=姫  エウロペ  は  ミノス  ラダマンティス  サルペドン  を生んだ  ゼウスは彼女に  青銅人間タロス、猟犬、投槍  を与えた  後に  彼女はクレタ島の  アステリオン王  の妻となり  3人の子を養子とした  死後神格化され  牡牛は星座の  おうし座となった  エウロペが牛に乗ってやってきた地域が  ヨーロッパになった・・・  ↓↑         ↓↑

 イーオー・・・伊緒⇔伊豫⇔壹與・壱与?  (希臘語Īō=イヲ・ラテン語Io=イヲ)・・・イヨ  ゼウスの恋人  牝牛に姿を変えられて  ギリシアから  エジプトまで各地をさまよった  ↓↑  アイスキュロスら悲劇詩人の多くや  オウィディウス  ヒュギーヌス  年代記作者の  カストールらは  ↓↑  河の神  イーナコスの娘  ↓↑  ヘーシオドス  アクーシラーオス  によれば  ペイレーンの娘  アポロドーロスは  イーアソスの娘との説も紹介・・・  ↓↑  イーナコスは  アルゴス地方(アルゴリス)を流れる河で  アルゴスは  ゼウスの妃  ヘーラー信仰の中心地  イーオーは  アルゴスで  ヘーラーに仕える女神官  ↓↑  アポロドーロス(II巻1.3)  イーオーは  ヘーラーの神職にあったが  ゼウスがこれを犯し  ヘーラーに発見されそうになった  ゼウスは  イーオーを  白い牝牛の姿に変え言い逃れた  ヘーラーは  ゼウスから牝牛を乞い受け  全身に眼がある  「普見者(パノプテース)アルゴス」  に見張りさせた  アルゴスは  牝牛を  ミュケーナイの森の中に連れて行き  一本のオリーブの木につないだ  ゼウスは  ヘルメースに  牝牛を盗むよう命じた  ヒエラクスがこのことを漏らし  ヘルメースは  石を投げつけて  アルゴスを殺した  ヘルメースは  「アルゲイポンテース(アルゴスの殺戮者)」  と呼ばれた

 牝牛(イーオー)  は解放されたが  ヘーラーが  虻(あぶ)を送って耳の中に入れ  牝牛は逃げ惑って  イオーニア湾(イオニア海)  イリュリアー  を通過し  ハイモス山を経て  トラーキア海峡・・・・虎紀(記)亜・寅起亜?  (ボスポラス海峡)  を渡った  この海峡は  スキュティアー  キメリアー  ・・・决めり蛙(ア=鴉⇔からす=烏=ウ=兎)     加羅州・カラス=船体寄せのフックが付いた梯子  などの地をさまよい  エジプト(埃及)  に至り  イーオー  は元の人間の姿に戻った

 ↓↑  後  イーオーは・・・女神イシス(Isis)になった         ・・・石州?・医師素・・・磐州=奥州            石見・岩手・磐城・岩木・岩見沢  ナイル川・・・尼羅・尼児・内留・尼罗河・尼羅河・the Nile         萎える・葦える・名重瑠・綯いる・名意留?  の河辺で  ゼウスとの子  エパポス・・・エパポス(Epaphos) ・・・?  ↓↑  を生んだ  ヘーラーが  クーレースたちに命じ  エパポスを隠したため  ゼウスは  クーレースたちを殺し  イーオーは息子を捜しに出かけ  シリアの  ビュブロス王  の下で養育されていた  エパポスと巡り会った  エジプトに戻った  イーオーは  この地の王  テーレゴノス・・・弖(氐)重例語之素?  と結婚した  ↓↑  イーオーは  デーメーテール・・・出重女(目)重出得留?  の像を建て  エジプト人は  デーメーテール・・・出目照?  と  イーオー  を  イーシス  と呼んだ  エパポスは  エジプト王となり  ナイル川の娘  メムピス・・・  と結婚し  メムピス市を創建  二人の娘  リビュエー・・・  と  ポセイドーン・・・  との間に  アゲーノール・・・・  ベーロス・・・  の双子が生まれた  ↓↑  プロメーテウスの予言  アイスキュロス  の悲劇  『縛られたプロメテウス』  では  イーオーは  ヘーラーの  虻に追われて逃亡するうちに  スキュティアー  の岩山に縛り付けられた  プロメーテウスに出会う  プロメーテウスは  イーオーがさらに各地をさまよった末に  エジプトで元の姿に戻り  エパポスを生むこと  イーオーの子孫の  13代目の末裔が・・・・宗女の壱與、十三歳?  プロメーテウス  を解放するだろうと予言・・・  ↓↑  アピス (Apis)  古代エジプトの都市  メンフィス  で信仰された  聖なる牛  エジプト神話の創造神である  プタハ神の化身  別名ハピス (Hapis)    ハピアンク (Hapi-ankh)  ↓↑  オシリスの牡牛  メンフィスでは  プタハの牛には  全身に29の特徴があるとされ  その全てを満たす牛を  アピスとして飼育し、崇拝  もし誰かが  新しいアピスを見つけた時には  前のアピスは  ナイル川に沈められた・・・  ↓↑  イーナコス(Īnachos)  アルゴリス地方を流れる  イーナコス河の河神  イナコスとも  ソポクレースは  悲劇『イーナコス』を書いたが散逸  オーケアノス  と  テーテュース  の子  姉妹の  メリアー  との間に  ポローネウス  アイギアレウス  をもうけた  ゼウスに愛された  イーオー  や  ミュケーナイ  の名の由来になった  ミュケーネー  百眼の巨人  アルゴス  も  イーナコス  の子といわれる  ↓↑  ヒュギーヌスによれば  イーナコスは  ポローネウスの娘  ニオベーの子  アルゴスの子  ピラントスの子  トリオパース  と  オレーアスの子で  クサントス  と兄弟であり  アルゲイアー  との間に  イーオー  をもうけた  ↓↑  オーケアノスの子で  姉妹の  アルゲイアーとの間に  ポローネウスをもうけた  ↓↑  ヘーラー  と  ポセイドーン  が  アルゴリス地方の  領有をめぐって争ったとき  イーナコスは  河神  ケーピーソス  アステリオーン  とともに  アルゴリスを  ヘーラーのものと判定  ポセイドーンは  怒って河を干上がらせ  夏になると河から水が消えてしまう  ポセイドーンは怒ってこの地を  洪水で沈めてしまったので  ヘーラーは  ポセイドーン  に水を引かせるよう頼んだ  ↓↑  イーナコスはこの地の最初の王で  自分の名にちなんで河を  イーナコス河と名付け  ヘーラーを祭祀した  イーナコスは  エジプトからの植民者・・・・  ↓↑  イーナコスを  イーオーの父とする説では  イーナコスは  キュルノスに命じて  イーオーを探させたが  キュルノスは発見できなかったので  カーリア地方の  ケロネーソス地方に移住した  イーナコスは  ゼウスを糾弾しようとしたが  イーナコスは  ゼウスの送った  エリーニュスに苦しめられ  ハリアクモーン河に身を投げた  このためその河は  イーナコス河と呼ばれるようになった ーーーーー  ???・・・伊予(伊豫)・・・四国・・・愛媛・・・  「伊予の二名之島(古事記)」  「伊豫=伊予=伊与=伊與」・・・  「伊予を愛比売といひ(古事記)」・・・   讃岐国   南海道   香川県  「飯依比古」  「伊予之二名島の顔の一つ(古事記)」  「讃岐=讃伎=賛支」  ・・・

 「鹿鳴」=『詩経(小雅)』・・・  小雅=子カラス=小烏?  カラスの赤ちゃんナゼ鳴くの?・・・  コケこっこのオバさんに・・・  「阿毎王朝・俀王姓-阿毎-字-多利思北孤-號-阿輩雞彌」  「王妻-號-雞彌・後宮有女六七百人・名-太子爲-利歌彌多弗利」    妻は雞彌            太子の名は利歌彌多弗利  ↓↑  こけこっこの おばさん(雞彌)に  あかいお帽子(ぼうし) ほしいよ  あかいお靴(くつ)も ほしいよと  かあかあ なくのね  カラス?・・・加羅州・香良洲・・・「韓・漢・唐」  カラス?・・・マリア・カラス(Maria Callas)        (ギリシア語 Κάλλας=カラス=美しい  クロウ(crow)  クロス(cross)・・・cloth(クロス・tablecloth・wall cloth)                タペストリー(tapestry)  カラス?・・・敵船を引き寄せ、乗り込むための・・・  ガレー船に備え付けた先端に爪カネ(フック)を取り付けた  「耳字」状の渡し板、梯子「架橋(艦上桟橋)」・・・  ・・・海戦に有効な武器だったが     重い梯子は船体のバランスが取れず     強風などで転覆、沈没もした?  ↓↑  エウロパ・・・重卯(兎・鵜・烏)蘆(葦・芦・呂)葉?

 ギリシア神話の女性  フェニキアの王  ↓↑ ・・・フェニキア=ポエニ  ↓↑   (Phoinikē・ポイニーケー       羅 Phoenices        Poeni・・・補重似・保重爾・補繪丹?        ポエニ・・・「ポエニ戦役」               補繪丹染液?               補重爾選易?               吠回邇・吼・咆?               啼・哭・呼号?                   古語織・凝織?       英 Phoenicia)       古代の地中海東岸に位置       シリア・・・知理蛙・史理蛙・私利悪・後蛙(雅)?            (叙利亜・叙里亜・西利牙・西里亜             尻屋・敘利亞・敘利亞)       の一角       北は現シリアの          タルトゥース(Tartus)          ・・・樽(木尊)当有珠(臼・碓・渦)?          アンタラドゥス(Antaradus)          アンタルトゥス(Antartus)          トルトーザ(Tortosa)          とも呼ばれ          同心円状の          二重の城壁で囲まれた          コンセントリック型の城を          築いた・・・          近郊に          アムリット(Amrit)・・・編理通訳?          の遺跡があり          アレクサンダー大王・・・亜暦山          以降          ギリシャ語で          マラトゥス(Marathus)            ・・・真羅訳有諏(碓・臼)?          十字軍の拠点          マルガット城・・・丸(円・球)臥通訳?         (Margat・Qalaat al-Marqab)          ヨハネ騎士団の拠点         ↓↑シリア西部の港湾都市           ラタキアに次ぐ           シリア第二の港湾都市           地中海に面する           沖合約2.5キロメートルにある           アルワード島とともに          (ある倭蛙土・word?)           フェニキア人の植民都市         ↓↑ 交易の要地            のあたりから            南はパレスチナの            カルメル山に  ↓↑         ↓↑  ↓↑           「珂瑠=軽               刈・乂               借・仮・狩               雁」める             ・・・軽(蝦瑠)女留                孝徳天皇(珂瑠=軽)                文武天皇 (珂瑠=軽)                木梨軽皇子  ↓↑         ↓↑            至る海岸沿いの南北に細長い地域            現在のレバノン領域             ・・・例葉之(埜)務?                  詞(記紀壱拾壱)ム(武)?            フェニキア人名称は自称ではなく            ギリシア(希臘)人による呼称            ギリシア人は、交易などを目的に            東から来た人々をこう呼んだ            フェニキアという名称は            フェニキア人            の居住地が            ギリシャ語で            Φοινίκη(Phoinikē; ポイニケー)            と呼ばれたことに由来            フェニキアが            ミュレックス=Mulex(法螺貝・骨貝)            と呼ばれる            貝から取れる            紫色の染料(貝紫)            を特産としていたことから           「紫色」(または「緋色」)            という意味の            ギリシア語を語源・・・?            南部の            サイーダ             ・・・「齋・歳・祭・差異・賽」意拿?            などの町中で            この貝殻の山が存在する            フェニキア人の            母体となったとされる            カナン・・・仮名務?            という呼称も            アッカド語で            ・・・「赤・紅・朱・丹・緋」化土?            染料・・・・・・・・占領・選良?            を意味する  ↓↑         キナッフに由来・・・記名通附?  ↓↑    ↓↑    ↓↑       カルタゴ=加留多語・歌留多語・骨牌語・carta語       フェニキア語       Kart‐Hadasht(新都市)       その国民をローマ人は       ポエニ(Poeni)と呼んだ       テュロスからの植民(前814)により       誕生したカルタゴ市は       西への海上交通の要衝を占め       肥沃な後背地の       シドラ湾以西・・・支寅?       大西洋岸に至る       フェニキア系植民市群の       西地中海交易網を手中に収めた  ↓↑  フェニキア=旧約聖書中のカナン人の語源        前14世紀の       「アマルナ文書」・・・        ・・・「天・海人・海部・海女・海士」留名?           「余る名」・「阿毎留名=阿毎王朝」?           「尼留名=北条政子」?        などにみえる        キナフ(Kinaḫḫu)・・・記(紀)名附?        である        これは        深紅色or赤銅色を意味し         ・・・和銅=元明天皇の年号            慶雲五年(708)一月十一日            ~            和銅八年(715)九月二日        この地方特産の        染料の色        住民の肌の色に由来する・・・        フェニキア人        という名称は        ギリシア語        フォイニケス(Phoinikes)        ラテン語の        カルタゴ人        ポエニ(Poeni)で        キナフと同義  ↓↑     ↓↑        テュロス王        アゲノル(Agēnōr)の子の一人        フォイニクス(Phoinix)の名が        フェニキアという地名になった        フォイニクス・・・?        ギリシア神話の英雄        ボイオチアの        アミュントル王・・・蛙観諭(由)務採?        の息子        母に頼まれ        父の愛妾を誘惑し        父によって        目をつぶされ・・・・・・盲目        ペレウス・・・・・・・・経例碓(うあす・臼)        のもとに亡命した        ペレウスは        彼を医術者        ケンタウロスの・・・建(健)太郎州?        ケイロン・・・・・・形論・景論=景行天皇                   高橋景保                  (シーボルト事件)        のところへ連れていき        視力を回復させ        ドロペス人・・・泥経諏?             ・・・泥=氵+尼=水野尼?                 水野~尼ヶ坂?名鉄瀬戸線                 水野常倫尼?                 1848~1927                 明治-大正時代の                 愛知県尾張の尼僧        の王にし        息子        アキレウス・・・アキレス⇔アキレス腱        の教導を依頼        トロイ戦争に        彼は        アキレウスとともに参加        アキレウスの死後は        その遺児        ネオプトレモス・・・        の後見役となり        トロイ落城後        ネオプトレモス        と一緒に帰国する途中で死亡・・・  ↓↑     ↓↑        紀元前320年or紀元前319年        アレキサンダー(亜歴山)Ⅲ大王        ↓↑・・・ロシア捕鯨用貨物船           「アレキサンドル(260総トン)」            日露戦争開戦で            1904年(明治三十七年)2月10日            捕獲            7月10日に汽船           「歴山丸」と命名            翌年に拿捕の抗議が棄却され        ↓↑  7月4日に雑役船(潜水艇母船)となった        死後        オルキュニアの戦い       (Battle of Orcynia)        エウメネス        ・・・重梅(埋め・倦め・宇目)音諏?        と        アンティゴノス        との間で戦われた会戦        エウメネスは        テネドス人・・・ギリシアの        ↓↑     「テネドス(Tenedos)島の人」                現在                ギリシャ‐トルコ戦争後                1923年よりトルコ領                ダーダネルス海峡の入口付近にある                面積40平方キロほどの                トルコ北西部の島                 ボズジャ島=Bozcaada                      猫の島                古代には「レウコフィリス」島                トロイアは                大陸側のボズジャアダ(テネドス)の                対岸の丘に造られた都市                トロイの木馬                テネドスの海戦(Battle of Tenedos)                紀元前86年                ルキウス・リキニウス・ルクッルス                デマゴラス                率いるローマ・ロドス艦隊                と                ネオプトレモス        ↓↑      率いるポントス艦隊の間の海戦       「フォイニクス」・・・不死鳥=火の鳥        を急派し       「フォイニクス」は        ペルディッカスに夜襲を仕掛け        彼を生け捕りにし        エウメネスの許まで連れて行き        エウメネスは        首謀者を処刑して事態を収拾  ↓↑     ↓↑        紀元前321年        ヘレスポントスの戦        小アジア北西部        ヘレスポントス近郊の        ディアドコイ戦争の会戦  ↓↑     ↓↑        エウメネス        と        クラテロス               ネオプトレモス        連合軍が戦い  ↓↑     ↓↑        エウメネスが指揮         麾下(キカ) の・・・帰化・幾何・気化・奇禍?           麾=广+林+毛=指図旗・指揮旗        ファルナバゾス=アケメネス朝ペルシアの提督        と       「フォイニクス」・・・不死鳥=火の鳥        が勝利した  ↓↑    ↓↑

   フォイニクス    英語フェニックス(Phoenix・不死鳥)    鷲に似て    羽根は赤と金    500年に一度    父鳥の遺骸を    ヘリオポリスの太陽神の神殿に葬るため    アラビアからエジプトに来る聖鳥    自ら焼け死んで甦るという伝説は    ローマ期以降のもの    イエス・キリストの復活の象徴ともされた    エウロペ    の兄で    フェニキア    の名祖の人物で    英雄アキレウスの養育者  ↓↑    ↓↑

   フォイニクス(Phoinix)    深紅色を意味する古代ギリシア語    神話・伝説中の    2人の人物    1羽の鳥が有名    ↓↑    フェニックス(Phoenix)    ↓↑    フェニキア王    アゲノル(Agēnōr)の子    ゼウスにさらわれた妹    エウロペの捜索を父に命じられ    兄弟の    カドモス・・・化土模す?    らと旅に出たが    発見できず故国には帰らず    シドン(orテュロス)に定住し王となった    フェニキア人の民族名の名に由来  ↓↑    ↓↑    フェニキア人    ギリシア語    フォイニケス(Phoinikes)    ラテン語    ポエニ(Poeni)    カルタゴ人を意味    意味は    キナフと同義    テュロス王    アゲノル(Agēnōr)の子の一人    フォイニクス(Phoinix)  ↓↑    ↓↑    カルメル山の山腹の洞窟に    旧石器時代後半から    ナトゥフ時代(ナトゥフ文化)    にかけて狩猟民が住み    原始的な定住農耕に向かった・・・  ↓↑    ↓↑    ほうおう座(鳳凰座)=Phoenix    晩秋の地平線近く    南天の星座    不死鳥(フォイニクス)    500年ごとに火中に身を投じ    生命を新たに蘇(よみがえ)らせる    ドイツの天文学者    J.バイヤーが    星図「ウラノメトリア・Uranometoria」    で新設した南天12星座の一    α星ザウラクが光度2.4等    ほかには目につく輝星はない    概略位置は    赤経1h0m,赤緯-48゜    午後8時の南中は12月上旬  ↓↑    ↓↑    フォイニクス(Phoenix)   「やしの木=なつめやし=棕櫚・棕梠・椶櫚」    を意味する語根に由来    地名    囚人のパウロがローマに行く時に    乗った穀物船は    冬の停泊地を求めて    良い港から    フォイニクス・・・クレタの南側    に向けて出帆    船は嵐に遭って    マルタ島で難破  ↓↑ ↓↑  エウロパ  フェニキアの王  アゲノルの王女

 ポエニ戦争(羅 Bella Punica)  共和政ローマ  と  カルタゴ  との間で  地中海の覇権を賭けて争われた一連の戦争  ポエニとは  ラテン語で  フェニキア人(カルタゴはフェニキア系国家)  を意味  紀元前264年  ローマ軍による  シチリア島上陸から  紀元前146年  カルタゴ滅亡まで3度にわたる戦争  ↓↑  紀元前264年~紀元前241年  シチリア島をめぐる  一連の戦闘と海戦  シチリア島  西半分がカルタゴ領  東半分がギリシア人勢力の  シラクサ  北東の  メッシーナは  カンパニア人の傭兵部隊  マメルティニが占領  シラクサの僭主  ヒエロン2世は  マメルティニに対して攻撃を開始し  マメルティニは  ローマとカルタゴ  の両方に助けを求めた  ↓↑  カルタゴ出兵  ローマも  マメルティニと同盟を結び  紀元前264年  出兵  マメルティニは  カルタゴ軍を追い出して  ローマ軍を市内に入れた  カルタゴ軍は城外には出たが撤退せず  シラクサ軍も近くに陣を構えていた  ローマ軍が両軍を攻撃  カルタゴ・シラクサに勝利  紀元前263年  シラクサは  ローマと講和して同盟  ↓↑  紀元前262年  ローマは  カルタゴが守る  アグリゲントゥム(アグリジェント)  を攻略  ローマは  カルタゴの補給を断つ  大艦隊を建造  カラス装置(コルウス)  ↓↑     ↓↑

 ・・・コルウスorコルバス (corvus)     ガレー船に備え付けられた     渡し板、梯子     「コルウス」はラテン語で     「カラス」を意味     日本語訳で「カラス」が使われる・・・?     「カラス」が餌を啄む姿に似ている・・・?     ポリュビオスによれば     幅1.2メートル、長さ10メートル程度の     「架橋(艦上桟橋)」     滑車により通常は     船体の甲板上に折りたたんである     架橋の先端には     鋭い爪が下方に伸びており     海戦で船体がぶつかった時に     滑車を使って架橋を降ろし     先端を敵船の     甲板に打ち込ませて固定し     敵船に乗り移る     ローマの軍団兵は     カルタゴ兵よりも     白兵戦に長けていたので     「コルウス」によって  ↓↑  海戦でも有利に展開した・・・  を用いた  接舷戦闘で海戦に勝利  ローマは  アフリカ上陸  紀元前255年  スパルタ人傭兵隊長  クサンティッポ  率いるカルタゴ軍に  チュニスの戦いで大敗  撤退の最中に海難事故で  6万の兵を失った・・・  紀元前249年  カルタゴは  ハミルカル・バルカ将軍(ハンニバルの父)  をシチリアに送った  ハミルカル  は勝利を重ね  シチリア島全土の支配を獲得  紀元前244年  カルタゴで権力を握った  大ハンノは  海軍を縮小し  ローマは艦隊を再建  紀元前241年3月10日  アエガテス諸島沖の海戦で  ハミルカルは補給を失い降伏  「第一次ポエニ戦争」決着  ↓↑  「第二次ポエニ戦争」  紀元前219年~紀元前201年  ハンニバル  によるローマ侵攻  ハンニバル戦争  カルタゴは  シチリアを失い  ハミルカル・バルカ  イベリア半島を制圧し  諸部族の軍隊を養成  ハミルカルの死後、長男の  ハンニバル  はローマとの戦争を決意  ローマと同盟していた  イベリア半島の都市  サグントゥム(サグント)  を陥落させ  第二次ポエニ戦争開戦  ハンニバルは  5万の兵と37頭の戦象を連れ  アルプス山脈を越えて  イタリア半島各地で  ローマ軍を撃破  紀元前216年  カンナエの戦い(カンネーの戦い)  馬蹄型の陣形で  ローマ軍を完敗させた  補給に不安を抱えていたハンニバル軍は  イタリアの諸都市を  ローマから切り崩す戦略を優先  敗北したローマは  ファビウス・マクシムス・クンクタトルの  「持久戦法」を採用  マルクス・クラウディウス・マルケッルスは  ハンニバル軍に対して  会戦は避けながら戦闘を仕掛け  ハンニバルを悩ませ  ローマへ進軍は許さず  イタリア半島では  一進一退の膠着が続いた  ハンニバルは  本国との連携や補給を取ることができず  ローマ軍の  スキピオ・アフリカヌス(大スキピオ)に  ハンニバルの本拠地  スペインを攻略され  北アフリカへ逆に侵攻された  カルタゴ本国での敗戦に  ハンニバルは本国に召還  その後  大スキピオに  ザマの戦い(紀元前202年)で  第二次ポエニ戦争は  カルタゴの敗北  ↓↑  ローマを裏切り  ハンニバル側についた  シチリア島の  シラクサ防衛で  アルキメデスも参加  発明した兵器は  マルケッルス  ローマ軍に損害を与えた  シラクサ陥落に際し  マルケッルスは  アルキメデスを殺すなとの命令  だが  配下の兵によって殺された  アルキメデスは  地面の上に図形(円周率の計算)  を描いて計算  ローマ兵がこれを踏み  「わしの図形を踏むな」と叫び  怒った兵士に殺されてしまった  ↓↑  第三次ポエニ戦争  紀元前149年~紀元前146年  カト・ケンソリウス(大カト)  が  スキピオ・アエミリアヌス(小スキピオ)  をしてカルタゴを滅亡させた  カルタゴ  と  ヌミディア  との紛争を条約違反とし  ローマは  カルタゴに対し内陸への遷都を要求  拒否したカルタゴを攻囲し、破壊  ローマ軍は  住民のほとんどを殺すか奴隷にした  さらに  土地を塩で埋め尽くし  不毛の土地にしようとした・・・  ↓↑  ポエニ戦争  海外領土(シチリア)は安価な穀物を  ローマに流通させ、食料供給を向上させたが  自作農の窮乏を招いた  イタリア半島の農地は荒廃  大規模農家が農地を集約させ  商用農作物を奴隷に栽培させた  ↓↑  第二次ポエニ戦争  元老院の指揮権を拡大  ↓↑   第三次ポエニ戦争  シチリア、コルシカ、サルディーニャ  ヒスパニア、アフリカ(カルタゴ)  をローマの属州とした  ローマ軍の主力  中小の自作農を没落させ  軍団を弱体化した  裕福な平民層(プレープス)は  新たに獲得した利権を利用し  従来の貴族(パトリキ)に合流して  新貴族(ノビレス)と呼ばれる層を形成  貧富の格差の拡大  古代地中海の文明化が  ヨーロッパに渡された ーーーーー  「伊予之二名島の顔の一つ(古事記)」  伊豆・伊曽保=伊蘇普(イソップ)  伊太利(イタリア)  伊吹(イぶき)  伊予柑(いよカン)  伊呂波(イロハ)  伊部焼(いんべやき)  伊(かれ)・伊(これ)  伊達(だて)  伊達巻(だてまき)  伊藤   ↓↑  伊=亻+尹    イ    かれ    これ    ただ    かの    第三人称    この    語調を整える助詞    河南省n川の名=伊水    伊太利    人名名のり    いさ・おわむ・ただ・よし    地名    伊串(いくし)和歌山県    伊丹(いたみ)兵庫県    伊井(いい) 福井県    伊仙(いせん)鹿児島県    伊佐(いさ) 沖縄県  ↓↑    尹=ヨ+丿      イン      おさ      おさめる      ただす      長官      安定させる      乱れないようにする      かみ      四等官(シトウカン)      弾正台の第一位 ーーーーー  ・・・ダブった・・・?   中井桜洲  (なかい おうしゅう)  幕末・明治の政治家・鹿児島藩士  幼名は休之進、通称は弘  18才で脱藩  諸藩の志士と交遊  後藤象二郎の知遇を得て英国に留学  帰国後  宇和島藩  伊達宗城に招かれ仕えた  滋賀県知事・元老院議官・京都府知事  等を歴任  詩文を能くした。明治27年(1894)歿、57才  ↓↑  中井 弘(なかい ひろし・ひろむ)  天保9年十一月二十九日(1839年1月14日)  ~  明治27年(1894年10月10日)  薩摩藩士  外交官、政治家  号は桜洲(桜州山人)・・・桜島のある国?  別名  横山休之進、鮫島雲城、後藤休次郎  田中幸介、中井弘蔵  鹿鳴館の名付け親  著書に  『合衆国憲法略記』  『西洋紀行航海新説』・・・・・?  『魯西亜土耳其漫遊記程』・・・?  明治の怪傑、奇人、滑稽家  ・・・「西洋史」を研究した人物・・・鹿児島人・・・  ↓↑  桜島  古代に「鹿児島」と呼ばれていた  1334年(建武元年)  頃の記録では  「向嶋」と呼ばれ  1476年(文明八年)以降  「桜島」の名称が記録に現れ  その後  「向嶋」と「桜島」の名称が併存  1698年(元禄十一年)  薩摩藩の通達で  桜島の名称に統一  「向嶋」の名称は  東西南北どの方向から眺めても  こちらを向いているように  見えることに由来  御岳は  「筑紫富士」とも  ↓↑  「桜島」の名称由来  三説  島内に  木花咲耶姫命を祭る神社が在った  島を「咲耶島」と呼んでいたが  転訛して「桜島」となった  『麑藩名勝考』『三国名勝図会』  10世紀中頃  大隅守を勤めた  桜島忠信の名に由来  ↓↑   桜  島  忠 信  (さくらじま ただのぶ)  平安時代中期の官人  姓は宿祢  官位は外従五位下・大隅守  姓は櫻嶋  文章生  大学寮の  字(あざな)では  櫻藝と称され  文章生の年長者としての堂監を務めた  4年にわたり堂監  除目で任官の機会に恵まれず  一方で大学寮に属していない者が  財力を背景に  文人職を得  憂いた忠信は  官位の売官が横行していると  批判し  官吏社会の腐敗を鋭く諷刺した  落書を出した  本朝文粋には  『桜島忠信落書』として収録  この落書によって  忠信の大隅守が決まった・・・  ↓↑  大隅守となった忠信は  在庁官人らの職務怠慢を糾問するため  郡司を召した  白髪の翁が出てき  白髪の翁を見て憐れに思った忠信は  翁に一首詠ませた  『老いはてて   雪の山をばいただけど   霜と見るにぞ   身はひえにけり』  と返した  忠信は、翁の罪を赦した・・・  逸話は  『今昔物語集』  『宇治拾遺物語』  にも収録  地名の桜島は忠信の姓から由来・・・  『麑藩名勝考』  ↓↑  海面に  一葉の桜の花が浮かんで「桜島」ができた・・・  『麑藩名勝考』  ↓↑  犬上県(いぬかみけん)⇔長浜県  1872年(明治四年)  近江国北部を管轄するために設置  滋賀県北部や東近江市の大部分 ーーーーー  ・・・???・・・

 W(ダブリュウ)之・・・奥州・欧州・桜洲・応酬・押収?  酔う路通端(ようろっぱ)⇔讃良選・沙羅染(サラセン)・・・  サラセン(Saracen)       ・・・「さら・晒・曝・曬」せん・・・       ・・・「さらすなッ、あばくなッ・曝せ、暴け」?           曝=日+暴・・・曝露(ばくろ)・暴力             日+日+㳟             日+日+共+氺・・・日々、共に水の中?             日+日+龷+八+氺             日+日+卄+一+八+氺             日+日+一+丨+丨+一+八+氺       古代ローマ人が  シリア付近の  アラブ人に対して用いた呼称  中世ヨーロッパではイスラム教徒をさす  「イスラム=サラセン=大食(タージ)=caliphate)と呼ばれる政権・・・             大食=アラブ部族               =タイイ族 (Tayy)               =タジク人・・・・太肉・多字句・截字句?  アッバース朝=エジプト、バビロニアの伝統文化を基礎にし         インド、アラビア、ペルシア、中華、ギリシア         などの諸文明の融合させた「サラセン文化」・・・     「ウンマ」=「イスラム共同体」のアラブ人支配階級の文化・・・     「ウンマ =アラビア語で母と同義」          現代では民族・国民・共同体などを意味     「ウンマ・イスラーミーヤ=イスラーム共同体                  イスラーム国家」 ーーーーー  応県(オウケン)・・・応じて懸ける?  中国  山西省・・・賛成・三世・参政・産生・酸性・纂成  朔州市・・・朔(ついたち・サク)の・・・壱日・作・昨・咲          朔=屰+月            䒑+屮+月            丷+一+屮+月            䒑+凵+丿+月            丷+一+凵+丿+月            サク            きた            ついたち            陰暦の月の最初の日            朔(new moon)            月と太陽の視黄経が等しくなること            (本来             月の始まりを             日没時に見える             月が             観測される時点             その時刻のことで             観測出来るのは             陰暦「三日月=朏」が「新月」)

       州(くに・ス・シュウ)の・・素・周・集        市(いち・シ)・・・・壹・位置・史・詞  唐朝  により設置された  金城県・・・・・金(かね)の城(しろ)を県(懸ける)?  が前身  五代十国時代・・・醐代拾故句字戴?  後唐の・・・・・・語当・語等・語問(答)  応州の州治・・・・応酬  明朝  が成立すると  洪武初年に  金城県は廃止  応州直轄とされ  1913年(民国二年)・・・民の国の二の年 州制廃止で  応県と改称  1949年~1952年  察哈爾省   ・・・察哈爾省(チャハル-ショウ)      中華民国にかつて存在した省      モンゴル族の部族名チャハルに由来      塞北四省の一

 ↓↑ ↓↑  察=宀+祭    サツ    あきらか    しる    みる    あきらか    あきらかにする    よく見る    くわしく知る・くわしく調べる    見分ける・区別する    さっする・おしはかる・思いやる    忖度?    御明察  ↓↑ ↓↑    仰観俯察・・・行間譜冊?      目に入る様々なものや、現象を観察すること    察言観色・・・察元鑑識?      人の言葉や表情      顔の様子から相手の性格や考え方を見抜くこと     「色」は表情や顔つき言葉を観察する     「言を察して色を観る」とも読む    彰往察来・・・照皇殺等意?      昔の出来事を明らかにし      先のことを予測すること     「彰」は明らかにする意     「察」は様々な事情を考えること     「往を彰かにして来を察す」とも読む    明察秋毫・・・名刹集合(習合)?      どんな小さなことも見逃さない      非常に優れた洞察力     「秋毫」は秋に生え変わる獣の細い毛      その細い毛さえも見分ける意  ↓↑ ↓↑  哈=口+合    口+亼+口    口+人+一+口    コウ    ゴウ    ソウ    ハ    すする    魚が数多く集まるさま    魚が口をぱくぱく動かすさま    すする・すすり飲む    外国語の「ハ」の音訳  ↓↑ ↓↑  爾=一+八+冂+丨+㸚    一+八+冂+丨+爻+爻    一+八+冂+丨+㐅+乂+爻    一+八+冂+丨+爻+㐅+乂    一+八+冂+丨+㐅+乂+㐅+乂  爾=尓=𠂉+小(亅+ハ)・・・髪挿しの鍵は葉?    ジ    ニ    その    なんじ    おまえ・あなた    二人称の代名詞    その・それ    この・これ・ここ    かれ・指示代名詞    しかり・しかく    かくのごとし・そのとおり   「のみ」と読み、「~だけ」の意    他の語の下に添えて、状態を表す  ↓↑ ↓↑  の管轄  1958年に廃止  山陰県に編入・・・纂の韻(音)に懸ける  1960年に再設置  ↓↑ ↓↑   中 井 桜 洲  (なかい おうしゅう)  幕末・明治の政治家・鹿児島藩士  幼名は休之進  通称は弘  十八才で・・・拾捌差異?  脱藩・・・・・奪葉務?  諸藩の  志士と・・・・詩史・詩誌・史誌・誌紙?  交遊  後藤象二郎  の知遇を得て  英国に留学・・・イングリッシュ (English)  ↓↑      英語(English language)          イングリッシュ (Engrish)          非英語圏の人が使う奇妙な英語          音愚(具・倶・禺)理通諏?          イングランドの          イングランド人         (English people  ↓↑      Englishman or woman)  帰国後  宇和島藩  伊達宗城  に招かれ仕えた  滋賀県知事  元老院議官  京都府知事  等を歴任  詩文を能くした  明治二十七年(1894)歿、57才  ↓↑ ↓↑  中井 弘(なかい ひろし・ひろむ)  天保九年十一月二十九日  (1839年1月14日)  ~  明治二十七年  (1894年10月10日)  薩摩藩士  外交官、政治家  号は桜洲(桜州山人)  別名  横山休之進、鮫島雲城、後藤休次郎  田中幸介、中井弘蔵  「鹿鳴館」  の名付け親  著書に  『合衆国憲法略記』  『西洋紀行-航海-新説』  『魯西亜-土耳其-漫遊記程』  明治の怪傑、奇人、滑稽家  ↓↑ ↓↑  犬上県(いぬかみけん)⇔長浜県  1872年(明治四年)  近江国北部を管轄するために設置  滋賀県北部や東近江市の大部分  ↓↑ ↓↑  犬上(いぬがみ)神社  琵琶湖のほとり  湖東の犬上郡中央部、豊郷町に鎮座  犬上郡のある近江の国は  百済から入植した帰化人が開いた土地  犬上郡の地名にもなっている  犬上氏は  天日槍(あめのひぼこ)  ↓↑ ・・・・『日本書紀』で         「天日槍」         『 古事 記』で         「天之日矛」         他文献では         「日桙(ひぼこ)」         「天日槍命・天日桙命」         「海檜槍(あまのひぼこ)」         『日本書紀』の          垂仁天皇三年三月条          新羅王子と名乗る・・・・新羅          天日槍が渡来し          羽太の玉         (はふとのたま) 1箇          足高の玉         (あしたかのたま) 1箇          鵜鹿鹿の赤石の玉         (うかかのあかしのたま) 1箇          出石の小刀         (いづしのかたな) 1口          出石の桙         (いづしのほこ) 1枝          日鏡         (ひのかがみ) 1面          熊の神籬         (くまのひもろき) 1具  ↓↑      などを献上  とともに  百済から・・・百済  渡来した豪族  犬上郡の県主(あがたぬし)だった  神社は犬上氏の祖を祀っている  ↓↑ ↓↑  犬族が蛇族を征伐?  ↓↑ ↓↑  王脩(王修)  叔治  魏. 生まれ  青州北海郡営陵県  王脩(オウシュウ)  字は叔治(シュクジ)  魏書列伝  袁紹(エンショウ)始め  北方の群雄への忠誠を誓い  清廉忠直  司空掾・行司金中郎将・魏郡太守を歴任  賞罰を厳格に定めた法を制定  建安二十一年(216年)  大司農兼郎中令  ↓↑ ↓↑  アムル人  紀元前2000年期前半  中東各地で権力を握った諸部族  アッカド語はアムル(Amurrū)  シュメール語はマルトゥ(mar.tu)  旧約聖書は  アモリ人=エモリ人  ハムの子である  カナンの諸部族の一  アラム人と混同されるが  全く別ものである  ↓↑ ↓↑  (Margat、Qalaat al-Marqab)  ↓↑ ↓↑  桜島  古代に「鹿児島」と呼ばれていた  1334年(建武元年)  頃の記録では  「向嶋」と呼ばれ  1476年(文明八年)以降  「桜島」の名称が記録に現れ  その後  「向嶋」と「桜島」の名称が併存  1698年(元禄十一年)  薩摩藩の通達で  桜島の名称に統一  「向嶋」の名称は  東西南北どの方向から眺めても  こちらを向いているように  見えることに由来  御岳は  「筑紫富士」とも  ↓↑ ↓↑  「桜島」の名称由来  三説  島内に  木花咲耶姫命を祭る神社が在った  島を「咲耶島」と呼んでいたが  転訛して「桜島」となった  『麑藩名勝考』『三国名勝図会』  10世紀中頃  大隅守を勤めた  桜島忠信の名に由来  ↓↑ ↓↑   桜  島  忠 信  (さくらじま ただのぶ)  平安時代中期の官人  姓は宿祢  官位は外従五位下・大隅守  姓は櫻嶋  文章生  大学寮の  字(あざな)では  櫻藝と称され  文章生の年長者としての堂監を務めた  4年にわたり堂監  除目で任官の機会に恵まれず  一方で大学寮に属していない者が  財力を背景に  文人職を得  憂いた忠信は  官位の売官が横行していると  批判し  官吏社会の腐敗を鋭く諷刺した  落書を出した  本朝文粋には  『桜島忠信落書』として収録  この落書によって  忠信の大隅守が決まった・・・  ↓↑ ↓↑  大隅守となった忠信は  在庁官人らの職務怠慢を糾問するため  郡司を召した  白髪の翁が出てき  白髪の翁を見て憐れに思った忠信は  翁に一首詠ませた  『老いはてて   雪の山をばいただけど   霜と見るにぞ   身はひえにけり』  と返した  忠信は、翁の罪を赦した・・・  逸話は  『今昔物語集』  『宇治拾遺物語』  にも収録  地名の桜島は忠信の姓から由来・・・  『麑藩名勝考』  ↓↑ ↓↑  海面に  一葉の桜の花が浮かんで「桜島」ができた・・・  『麑藩名勝考』  ↓↑ ↓↑  「鹿鳴」=『詩経(小雅)』      「鹿鳴の詩」に由来・来客をもてなす語      「呦呦鹿鳴、食野之苹      (呦呦と鹿は鳴き       野の苹〈よもぎ〉を食う)」 ーーーーー  ・・・???・・・

 (表紙・画像・音楽)」の

  移転先・・・

 ↓↑

 ボクの「古事記字源」の発端・・・

 ↓↑

 干支歴

 ↓↑

 追加添文

 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」

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