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権力を握るモノは暗〇される・・・蘇我の入鹿・・・

2022/9/28・水曜日・・・追加添文・・・

朝からドンヨリとした曇りだが・・・午後は晴れるかな・・・

本日も朝7時半から交差点でタチん坊・・・交通安全の日・・・

 ・・・「黄幢」の色と形、そして「マルタ(Malta・英語はモールタ)=摩爾太・馬爾太・馬爾達・馬児達・馬耳他・瑪児太・馬他[出典・丸太・丸田・馬耳他(中国)・馬爾他(台湾)」の国名漢字にコダワル、「マリ(Mali)=語源はカバ(Hippopotamus・河馬)・マンサー・ムーサー(旧約のモーゼと同義の名)=Mansā Mūsāの王国1312年~1337年?=馬里・馬利」の国名漢字にもコダワル・・・丸い後光で描かれる「マリ-ア(マル-ヤム)←モーゼの姉のミリ-アム(Miry-am・Miri-am)」にも・・・「マル」が長い「バナナ」にナルのか?・・・ボクの小さい頃、北大病院の看護学校卒業生の看護婦だったオフクロの同窓会が大学であって、その会合にはボクも一緒に連れられて、参加したコトがある。そして彼女が必ず連れて行ってくれる大学構内の場所は、大学の「植物園の温室」だった。彼女がそこで教えてくれる植物の名前は「樹木にナッいる房状のバナナ」・・・バナナは当時はメロンと同じくらいの高級品、しかも北海道では植物園にしか存在しない稀有で、特別な貴重な植物だった・・・ブログで調べてみたら、「北海道帝国大学医学部付属、1920年9月~看護法講習科設置(厚生女学部、看護学校)」、「植物園の温室」では「熱帯の希少種、沖縄で盛んに栽培されているシマバナナ(熱帯雨林室・亜熱帯室)」との紹介記事・・・ボクが子供の頃に観たのは「沖縄のシマ-バナナ」だったんだろうか・・・

 (鹿児島県中之島のトカラ(吐噶喇)-バナナ) ーーーーー  ↓↑  バナナ(banana・学名 Musa spp)  界  :植物界 Plantae  階級なし:被子植物 Angiosperms  階級なし:単子葉類 Monocots  階級なし:ツユクサ類 Commelinids  目  :ショウガ目 Zingiberales  科  :バショウ科 Musaceae  属  :バショウ属 Musa  ↓↑  バナナがナゼ、  「甘蕉(かんしょう)」なのか?・・・類似発音は「甘藷・甘薯・甘蔗(砂糖黍)」・・・「かんしょ=さつまイモ」は    サツマイモ(薩摩芋・Ipomoea batatas)で    ヒルガオ(昼顔)科サツマ-イモ(芋・藷・薯)属の植物    食用部分の塊根(肥大した根)  別名は

 「甘藷(かんしょ)、唐芋(からいも、トウいも)・・・漢書・韓書・巻書・官書

  琉球薯(リュウキュウいも)、とん、はぬす」・・・  で、バナナは中国語で  「実芭蕉(みバショウ)」・・・実の場所を得  「香蕉(xiangjiao)=コウショウ」・・・考証  ↓↑  アラビア語で  「手足の指=banan(バナーン)」が語源   ↓↑  指=手の指(finger)・・・・弖(氐・弟・𠂤・堆→碓)    親指(the thumb)    人差し指(index)    中指(middle・second)    薬指(ring・third)    小指(little・foth・pinkie)    足の指(toe)・・・足(あし・ソク)=股・又・亦・俣   ↓↑        の   ↓↑        toe=訳重=とえ=問え・訪え   ↓↑             十重?  原産地は熱帯アジア、マレーシア  バナナの栽培の歴史は  パプアニューギニア  野菜(果菜)に分類  高く伸びた茎のような部分は  偽茎(ギケイ)=仮茎(カケイ・かりくき)  最初は下へ向けて成長し、  後に上へ向けて成長して  湾曲(ワンキョク)する  古代のインド以西の中東地域では  バナナは  イチジク(無花果)・・・「壹、位地、位置」の「字句」  と呼ばれ、  マケドニア(馬基頓・馬其頓・瑪設度尼・馬其頓・馬其頓)  の  アレクサンドロス(亜歴山)3世は  インド遠征でバナナを見て、  イチジクと記した・・・  アラビア語の  コーラン(クルアーン)=Quran・Koran・・・クゥラン?  ↓↑             回教の   句胡(空)覶無?              回紇(ウイグル)の表記、              中国語の             「古蘭=可蘭」に由来          ・・・暗唱=暗誦すれば文字は無用で、  ↓↑         Quran=旧乱・究覧・空欄・球卵?  では            Q・u・ra・n?  楽園の禁断の果実の  「talh」=バナナ・・・タルハ(Talh-ah)?・・・「talk」?             花崗岩の丸石が広がる             ゴロタの岩石沙漠=ṣaḥarā(サハラ)                      Sahara                      タルハ(Talhah)?             ハマダ?             ゴロタ・・・釣り場?             大小不揃いの丸い石場の渓流             根魚が住みつく             タルハ=TARHA・フィンランド語で                「市民菜園」             嘲り=トゥライハ(小さなタルハ)?  ヘブライ語聖書では  禁断の果実は  「エバのイチジク」と記録  創世記の  「知恵の樹の実」は、  ・・・イチジクではなくバナナであった・・・?  「知恵の樹の実」=「リンゴ(林檎)」は  後世の誤訳の俗説・・・?  ↓↑  日清戦争の  9年後の1903年  日本統治下の台湾から神戸港に向けて、  七駕籠(カゴ)のバナナを輸入したのが始まり  白人に迎合的で卑屈な  アジア人(中国系や日系)を  揶揄するスラング  黄色い皮をむけば中身は白いので、  「黄色人種なのに中身は白人のつもり」・・・  戦国時代に  ポルトガル(葡萄牙)人の  キリスト(基督)教宣教師の  ルイス・フロイスが  織田信長  にバナナを献上  ↓↑  マレー半島原産の  「ムサ・アクミナータ」  フィリピン原産の  「ムサ・バビルシアーナ」  の2種が一般的バナナ  ローマ帝国の初代皇帝  Augustus Caesar  の大病を治癒した侍医  アントニウス・ムサ(Antonius Musa)  の名が学名「Musa spp」の由来・・・Musa=芭蕉  BANANA=英語のスラングで  「Build Absolutely Nothing Anywhere Near Anything」  (何処にも何も建てられない奴ら)  鹿児島県中之島の「トカラ(吐噶喇)バナナ」  吐噶喇列島=全七島        口之島・中之島・平島        諏訪之瀬島・悪石島・小宝島・宝島  沖縄の「シマ(島・嶋・嶌)バナナ」  「ラカタン (Lakatan)=フィリピンで好まれるバナナ」  「プラン-テン=Plan-tain         プランテイン・プランティン・プランテーン」   バショウ(芭蕉)属・・・松尾芭蕉=金作・通称は甚七郎               甚四郎・名は忠右衛門宗房               俳号は実名の宗房~桃青、               芭蕉(はせお)   の草本植物の一種   バナナと異るが、区分は不明瞭   差異は植物学上の正式な分類ではなく、   食べ方による   日本語では   リョウリバショウ(料理芭蕉)・クッキングバナナ」  ・・・次の絵(イコン)は「大天使ミカエル」である・・・絵画(ウイッキペデア添付の)から観える範囲では彼の翼の段状に重なった羽根毛の形は6段(?)、「バナナの房」にも似ているが・・・マリ王国の絵の「丸木舟の集まり」にも・・・モチロン、「三日月の集合体」のカタチである・・・  「エン-ジェル(angel)=アンゲロス(angelos・アンギラス・アンガロス)=ヘブライ語はマル-アハ (mal’aḵ=mal'akh) =イスラムはマラク (malak・マラーイカ=malā'ika・マラーイク(malā'ik) =ミーカール (Mīkāl)」  で、情報伝達者であり、現在的には「情報局・宣伝媒体・情報網」の人間である・・・「エン・・・」と「マル・・・」である・・・  「旧約聖書に4つの翼を持つケルビムと6つの翼を持つセラフィムの記述」があるが、「天使の翼の絵の最古のものは、テオドシウス1世治世(379年–395年)の「君主の石棺」である、らしい・・・

 「グロス-ミッチェル (Gros Michel・愛称は big Mike)   デザート用に栽培」・・・  「Michel=ミッシェル=マイケル(Michael)・ミハエル、ミヒャエル(Michael)=ミゲル(Miguel)=ミケーレ(Michele)=ミカ((Mika))=ミハイル(Mikhail)=ミーカーイール(イスラム)」は「大天使・熾天使(シテンシ)」の名・・・「ネハシム-セラフィム(燃える蛇)」・・・  「セフィロト(Sephirothic tree)の木=生命の樹(Tree of Life)」は「バナナとバナナの樹」か?・・・女性の「月のもの(ヘブライ語)」・・・「バナナ-ボート」ってナニ?・・・タロットの18は「コフ(ネツァク→マルクト)=月(Moon)」・・・「マルクト(Malchut=王国)=第10のセフィラ・物質的世界」・・・ ーーーーー

 (エデンの園?)   ↓↑  ・・・「知恵の実(M.sapientum)=生食用の五尺バナナ」・・・「林檎(りんご)」ではなく、「エデンの園(Garden of Eden・Gan Eden)パラダイス(paradisus・ギリシア語=παράδεισος)=地上の楽園」の果物は「バナナ」・・・シュメール・アッカド語で「エデン=平地」・・・「天国」ではない「地上の楽園」の食べ物、「バナナ」である・・・「葉菜名」と「馬名納」だろう・・・  丸い林檎ではなく、反ったバナナである・・・  1666年はニートンの「万有引力」←林檎(りんご)の落下  1667年は  ジョン・ミルトン(John Milton)が  「失楽園(Paradise Lost)=楽園喪失・楽園追放」である・・・ ーーーーー   ↓↑  ロバート・フック(Robert Hooke)  1635年7月28日(7月18日 (旧暦)    ~  1703年3月3日)   ↓↑  イギリスの自然哲学者、建築家、博物学者  王立協会フェロー  1664年  最初の連星(おひつじ座γ星)を発見した   ↓↑  1666年のロンドン大火後・・・1999年のノストラダムスの予言   ↓↑           恐怖の大王が空から来る   ↓↑           1666⇔1999の逆数字  1666年には王立協会で  「On gravity(重力について)」と題して講演   ↓↑  ニュートン  1645年   ~  1665年・・・ペストの大流行   ↓↑  1666年のロンドン大火後・・・1999年のノストラダムスの予言   ↓↑           恐怖の大王が空から降りて来る   ↓↑           1666⇔1999の逆数字  万有引力  二項定理を発見  微分、微分積分学へと発展させた   ↓↑  1687年7月5日  ニュートン力学  3巻「自然哲学の数学的諸原理  (プリンキピア・Principia)」で  公表  ニュートンが数学的記述を用いて体系的にまとめあげた  古典力学の体系の基本原理   ↓↑  1696年4月  王立造幣局監事  錬金術の研究・・・  1699年  王立造幣局長官   ↓↑  1705年  アン女王からナイトの称号   ↓↑  1720年までに  南海会社(奴隷貿易の会社)  の株に1万ポンドの投資  株が暴落し倒産、彼は大損した   ↓↑  愛猫家  研究所で2匹の猫を買っていた ーーーーー  「Marco(馬可・マルコ)・Matthaus=Matthew(馬太・マタイ)」・・・

 「馬の名前」を有する人物・・・  「司馬喜→司馬談→司馬遷→→→→」  「司馬懿(179年~251年9月7日)→」  蘇我稲目→「蘇我馬子」→蘇我蝦夷→蘇我入鹿→蘇我赤兄→  であるカナ・・・  「葉菜名(ばなな)」と「馬名納(ばなな)」、  バナナは「房」、バナナ一本の形は「ノ(ヘツ・ヘチ)」で片仮名の「ノ」、「刀の反り」、「反りは湾曲のマガリ(曲)」で「蛇」、「曲者のヨコシマ(邪)」、「邪の道は蛇」・・・  ・・・バナナ-ボート・・・リンゴか、バナナか、無花果か?  ・・・どうやら、「黄幢」の妄想は様々なモノと重なり、「バナナの形と色」でアルところに落ち着きそうである・・・ 浜村 美智子・・・バナナ・ボート・・・

Harry Belafonte - Day-O (The Banana Boat Song) (Live)

古事記字源

 ・・・「アレキサンダー大王(3世)」を調べていくプロセスで、アッチ、コッチへと「文字とコトバ」がトンでしまう。紀元前356年(乙丑)、357年(甲子)・・・なんせ、漢字のアテ名が「亜歴山」で、

 「亞=亜(つぐ・ア・エ・次位の・一位に準ずる・亜種       next・as~as the next       close=近似する=closely・resemble・approximate       nearly→副詞=ほとんど=similar       approximately equal      (アプロクシメットリー イコール記号は「≈」       「≒」記号は日本、台湾、韓国のみで使用 nearly equal(ニアリー イコール=同じ)        ほとんど等しい        数学的には無限小数を有効数字にマルめる 「nearly equal」は和製英語      白亜=白堊・・・堊=亞+王=あ・ア・アク        =白壁=白の漆喰(唐音の石灰の当て字)           =漆喰=消石灰に麻糸などの繊維、            ふのり(布糊・布海苔・布苔・海蘿)            角叉(つのまた)=紅藻類スギノリ目の            ↓   海藻・暖海の岩上に生育                扁平な葉状で                鹿の角の叉状に分岐し、                上部は            ↓   ヘラ(箆)状                トサカ(鶏冠)状の形                色は緑紅色・紫紅色など                煮出して糊(のり)状物質を            ↓   土壁用の糊料とする            などの粘着剤を加え            水で練り、            砂や粘土を加えることもある            漆喰=うるし+くう            漆=(氵+黍)=七→シチ・シツ                唐黍=とうきび=玉麦               玉蜀黍=とうもろこし=玉黍                苞黍=つときび               南蛮黍=なんばんきび                真黍=まきび                   吉備真備                   持統天皇九年                    (695年)                     ~                   宝亀六年十月二日                    (775年11月3日)               高麗黍=こまきび            喰=(口+食)=ショク=蝕                  蜀=罒+𠣜(勹中ム)                  触=觸=角+蜀(罒勹中ム)                     さわる・ふれる                     接触・触冒・触忌                     感触(觸)                     触(觸)媒                     触(觸)角を持つ                     丸眼で桑に群がる幼虫                     青虫→蚕(かいこ・サン)                  織・職・色                  殖・稙                  埴→埴輪=はにわ                  燭・襡・稷・禝・属  ・・・古代ギリシャ、ローマ人の騎兵の「兜(かぶと・冑・カッシウス(cassis)」の形態は「鶏冠(とさか)」・・・「インペリアル・ガリック型の兜(ガレア=galea)=兜の頭頂部に羽根型の飾り。百人隊長(ローマのケントゥリオ=センチュリオン)」は「鳥の羽毛」、「馬の毛」などで横に広がった飾り物を取り付けていた・・・  アレキサンダー3世時代(紀元前300~紀元前200)の古代ギリシャの騎兵、歩兵の兜は・・・密集陣形(ファランクス)の重装歩兵(heavy infan-try・ホプリテス(hoplites)・ホプロマクス(Hoplomachus=重装剣闘士)の絵画に描かれる「兜」も同形であるが・・・アレキサンダーの「マケドニア兵の兜は視野を広く取るために、同時期のギリシャ文化圏の兜のように頭部全体を覆う防御面で秀でたものでなく、より簡略化された兜をもっぱら被っていた」らしい・・・  青銅製の兜と脛当及び皮革を固めた鎧(マケドニア兵は鎧を着ず盾を胸甲代わりに着けた)を装備・・・アレキサンダーの乗馬での戦闘のモザイク画には大王は兜を被っていない。だが、ダリウス大王は頭には戦闘帽を被っている。彼の兵士は「ターバン」状のモノ・・・アステカ(メシカ)帝国(1325 or 1345~1375年建国~滅亡1521年8月13日)の戦士は兜に羽根飾り、背中に背負っている「箒(ほうき)」の様なモノに「旗布」が結ばれたて描かれている絵があるが・・・「ジャガー戦士」はジャガーの毛皮を着ている・・・彗星の核は「コマ」と呼ばれるが意味は「髪」らしい・・・そして、彼らの主食はトウモロコシ(玉蜀黍)=唐黍(トウキビ)だった・・・

 ・・・「唐黍、麦、米、芋(薯)」、そして「バナナ」は人類の初期の炭水化物としての「主食」であった(?)・・・日本の東北縄文人の主食は「栗(くり)」であった・・・

 毛(髭=ヒゲ=絹糸と呼ばれる長い雌しべ、トウモロコシのヒゲは雌しべ)を包皮(包葉)から吹きだす「唐黍=玉蜀黍=Zea mays」の原産地は中南米である。トウモロコシが世界に拡大したのは「クリストファー・コロンブス(Cristoforo Colombo)」の「新大陸発見(1492年10月11日)」以降である・・・毛唐が南蛮人(ポルトガル人)であるとは「トウモロコシの毛」に関係するだろう・・・

 「赤毛」を被った「赤報隊(明治維新期に結成された草莽(そうもう)隊の一・関東、東北の脱藩士や豪農商を隊員として相楽総三らによって組織化され、年貢半減を掲げて維新政府の官軍の先方として戦ったが、後、偽官軍として処断、処刑された」・・・彼らのスローガンは「御一新、旧幕府領の当年分、前年未納分の年貢半減」・・・博徒の親分、「黒駒(小池)勝蔵(1832年・天保三年)~1871年11月26日(明治四年10月14日?)も「赤報隊」の一員だった・・・

 「小麦、大麦、水稲、粟(粱)」=「禾(いね・のぎ・ひいず・ひで・カ・ワ=形象は茎の先端に穂先が垂れかかる様)の実(穀物)」は圧倒的な収穫で、人間の食糧として「人口増加」を保障したが、大規模な人間の組織的な協働耕作は長期間、365日の「天変地異=季節の天候次第、大地の変動=噴火、地震、津波」、「疫病」などに左右されてきた・・・今現在もコレラは変わるコトはない・・・

  「PTT、PTA」でもなく、「TPP=経済連携協定(EPA)・(自由貿易協定)」だった・・・一見、「食糧流通の均衡化」だが、「流通業者」は「穀物相場=博打」で投機的に「買い占め、価格を高騰させ」て儲けるのが相場である・・・

 「米騒動(1918年米騒動=大正七年の日本で発生)」した。近年では「1993年(平成五年)の米騒動」で、日本商社の「外国米(タイ米)」の買い占めで、タイ国内の米高騰、従来「安いタイ米輸入」で生活をしていた周辺諸国の危機的な食糧不足を招いた。旧ソ連のウクライナの飢饉・・・

 ホロドモール(Holodomor, Famine Genocide)、1932年~1933年、ウクライナの国境は封鎖し、ウクライナ地域で政治的に起こした大飢饉「農業集団化・国営農場(ソフホーズ)、集団農場(コルホーズ)」で、ソビエト連邦のスターリンの小麦徴発政策と、農民の強制移住、強制労働だった。結果は「250万~1450万人」の餓死者・・・

 ソ連崩壊は「フルシチョフ(1894年4月17日~1971年9月11日・最初の妻ガリーナは飢饉で餓死)」、「ブレジネフ(1964年10月14日)、コスイギン」時代でも「ウクライナの小麦不足(1962年)」、1972年の凶作、1975年のデタント(緊張緩和)でアメリカからの穀物輸入、1985年「ゴルバチョフ」時代の「チェルノヴィル原発事故(1986年4月26日)」である・・・

 「食糧危機」は各々の人間共同体(協同体)同士の「掠奪(食糧・労働力=奴隷)戦争」である・・・

 だが、「戦争目的」は「飢餓、飢饉による食糧確保」から逸脱し、単なるエゴな国家的支配階級の下で、強盗、「殺傷目的」となり、今日的な「世界紛争」へと引きずってきている・・・

 「飽食」などとはダレのコトバなんだか、「ダーウインがキタ」の野生動物以下になり下がって殺傷をしている・・・釈迦は呑気だった・・・モーゼ、キリスト、マホメットは「人間の餓え」からの解放、その生きている「現場の人間」の危機的状況の打開を目指したが、「人間相互の責任」を「神」に押し付けてしまった・・・「断食 (fasting)=ラマダーン」はスリムになるコトが目的ではないコトを知るべきだな・・・喰える時には喰うべきであるが、「餓え」を忘れては、ダレかが「餓えているコト」を忘れては救いようがない・・・

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 トウキビの日本語方言

 まんまん=広島県、島根県南部

 まるきび=岐阜県の一部

 うらんだふいん=沖縄県竹富島(オランダ大麦)

         怨んだ附韻、訃音?

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 トウキビの外国語

 英語=corn(コーン)

    Indian corn(インディァン・コーン)

    maize(メイズ)

 ドイツ語=Mais(マイス)

 オランダ語=mais(マイス)

 フランス語=maïs(マイス)

 イタリア語=granoturco(グラノトゥルコ)

       granturco(グラントゥルコ)

 スペイン語=maíz(マイス・マイース)

 ポルトガル語=milho(ミリオ)

 ラテン語=Zea mays (ゼア・マイス)

 ギリシャ語=καλαμπόκι(カラボキ)

 ロシア語=кукуруза(ククルーザ)

 アラビア語=ドラ・・・銅鑼・dram・虎・彪・寅

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     Taj Mahal=タージ・マハール=白亜の宮殿(廟堂)           王妃ムムターズ・マハル             Mumtāz    Mahal・・・まはル             Momtāz-i   Maḥal・・・まわル?           の           「ムム」が消え、→「mum=mom」?                    「無務毋武夢鵡」                    「ム=私・ヨコシマ」           ターズがインド風発音のタージに訛った?           直訳は「王冠の宮殿」・・・空洞の宮殿?           空白の墓・・・廟堂           grave(グレイヴ)           tomb(テウーム)           sepulcher(セパルカ)の墓の建築物だろう.  の  「歴=こよみ=暦」・・・歴史・暦史=calendar(カレンダー)  の                 日読み?月読み?  「山=やま・サン・ザン」  で、  「山」は  「щ(シチャー)・・・キリル(Cyrillic alphabet)文字          ・・・「櫛+ヽ」?   ш(シャー)・・・・キリル文字・・・櫛?   Ε(イ)の横倒し   ∃(よ・ケイ)の横倒し・・・ヨ=彐(ケイ)=豚の頭   △△(三角・参画)・∧∧・M・W」  に類似、類字するから・・・  「ギョシャ=馭車=禦者=Auriga(アウリーガ)」スル如く、  「トレミーの48星座」の  「Ἡνίοχος(ヘーニオコス)=御者(ギョシャ)」座を含めて  「プトレマイオス」も、  「アラートス( Aratos)」も  星座として天体に配置した・・・  「馬車と馬と馭者、車道」・・・ナゼ、「馬(うま・バ)」が「午(うま・ゴ)」の漢字として、「12支の正午、南方位の午の位置(位地)」を獲得したのか?・・・  「うま・ウマ・宇摩→horse→Ἵππος(híppos・ヒッポス)」・・・  「ヒポクラテス(ヒッポクラテース・Ἱπποκράτης=Hippocrates・紀元前460年頃~紀元前370年頃)」の医者・・・  ヒポポタマス(Hippopotamus)は  「河馬=魁罡」・・・魁罡=北斗七星  星座としての  「こうま座(小馬座・駒座・Equuleus)は、   トレミーの48星座の1つ   全天88の星座の中で南十字星(座)の   次に小さく、また   全ての星が4等級以下の星座」で、  「アラトス=アラートス(Ἄρᾱτος・Aratos・Aratus)・紀元前3世紀のギリシアの詩人、マケドニアの人」  の  「星座(現象=ファイノメナ)=星の配置」  にはないらしい・・・  「こうま(子馬・pony=ポニー)座=Equuleus(エクレウス)」・・・  「プトレマイオス(Claudius Ptolemaeus・83年頃~168年頃)」  は  「(Πππου -ροτομή=híppuː protomɛ̌(ヒップー、プロトメー)=ウマの首」、  「子ウマ=άριον=hippárion(ヒッパリオン)」  としたらしい・・・が、  「hippo」は「河馬(hippopotamus)」の短縮形で、「hippopotamos」=「hippos(馬)+potamos(河)」、古代エジプトでは  「河馬」=「デブ(db)」で  「神々の母、原初の水の中にいるもの」・・・子宮の羊膜中の水は「羊水」というが、「河馬水」ではない・・・「羊水(amniotic fluid=amniotic liquid=羊膜内の流動性液体)」は、「羊膜上皮から分泌し、羊膜腔を満たす液体で、爬虫類、鳥類、 哺乳類といった有羊膜類の胚、胎児は、羊水に浮かんで発育する」らしいが、ナゼ、「羊水」と云う漢字に一般化されたんだろうかは・・・羊、山羊の放牧民の日常生活からだろう・・・  デンデラ(Dendera←Tentyra=テンティラ)の守護女神で、妊婦、安産、養育の「牝河馬の神」・・・北天の星座がカバに結び付けられ、王家の谷ある「セティ1世の墓の天井に天の女神」として描かれている・・・  「トゥエリス=タウレト(牝河馬神)=デブ(db)」→「ハトホル(牝牛神)」に習合されていった・・・

 デンデラ神殿には黄道帯(十二宮)の彫刻がある・・・  「ヒッポカムポス(古希=ἱππόκαμπος・hippokampos           ラテン語=hippocampus)」  は、  「ギリシア神話の半馬半魚の海馬」、  「ヒッポカンポス=英語で           hippocamp(ヒッポキャンプ)           hippocampus(ヒッポキャンパス)           sea-horse」・・・  「アラートスの(神話的主題の詩、『現象(Phaenomena)』=紀元前275年頃の本」にはこの星座の記述はない、らしい・・・  「子馬座」は  「プトレマイオス」以後の座図らしい?・・・  「ペガスス座(Pegasus)=Ἵππος             =(híppos=ヒッポス=馬・ウマ」  の座・・・ペガスス=「Πήγασος (ペーガソス)」・・・  「射手座(Sagittarius・サギッターリウス)」=「半人半馬のケンタウロス一族のケイロン」・・・  「ケイロン(Cheirōn・Chiron)」は  「医者、医術の「アスクレピオス」の先生・・・   ↓↑  「ケンタウルス座=Centaurus(ケンタウルス)          =kéntauros」・・・          「ポロスの星座」であり「射手座」とは異なる           これらの二つの星座は混同された・・・   ↓↑  射手座  二十八宿の第8宿「斗宿」  「北斗」に対して  「南斗」=「南斗六星」  英語で  「Milk Dipper(ミルクディッパー)」  アラビアでは  「al-Naʽām al-Ṣādirah=天の川の水を飲んで             帰っていく             ダチョウ(駝鳥)の群」  六星のうち、  「枡」にあたる4星は  「ミボシ=箕星」   ↓↑  「アラートス」の著書、  「現象」  の中の記述は  「エウドクソス」  の「星座と気象」に関する著書を、  「韻文の詩」に書き改めたもの・・・  「現象」は、現代の星座名と同じく、記述としては最も古い。  「アラートス」は天文学には詳しくなかったので、記述には誤認も含む・・・らしい・・・  で、  「星座に関するギリシア神話」は、ほとんどが  「アラートスの記述(紀元前275年頃)」を基盤しているらしく   ↓↑  五角形の「ぎょしゃ(馭者・禦者)座(Auriga=アウリーガ=Ἡνίοχος=ヘーニオコス=御者座・カペラ」は既に記述したが、馬車の発明は「アテナイ王エリクトニオス」・・・御者(馭者)は馬と車を制御する「馬追い、馬車追い」である・・・馭車・御車の誤運転のハナシは「太陽神アポローンの子パエトーン」でアポローンのチャリオット(馬車)を借りて、その馬車を制御できずに世界を火焔地獄にしてしまったコトである・・・最近は老人の誤運転事故が多い・・・酒の飲み運転事故は公務員も・・・運転中の携帯電話、ポケモン狩りの事故も・・・  技術、技能、知識の「自己過信」も「無自覚、無知、無恥」も「誤まりを招く」が「相手の存在、認識対象の存在」の中にあってのコトである・・・しかも、ホンの僅かな「nearly equal」の差の結果である・・・ ーーーーー

 ・・・「アレキサンダー大王(3世)」のハナシだが、「亞(亜)歴山」の漢字での「歴史=暦史」→「古与見(こよみ)」の西暦は「ユリウス暦(曆)」と「グレゴリオ暦(曆)」がある・・・「曆」・・・「清代に乾隆帝の諱(弘暦)であるので、使用が避けられ代わりに厤、歴が用いられた」らしい・・・「厤(厂+禾+禾)象なり」=「等間隔に並べる」・・・「金文では蔑暦=軍功の評」?・・・「蔑(さげすむ・ないがしろにする・ベツ・メチ)」で熟語は「蔑称・侮蔑・軽蔑・蔑視」だが、「軍功のヨしワルしの評価」ならば、「軍拙を並べて侮蔑する」か?・・・「暦=厤+曰=𤯍(𤯌)」の「隷釈」って?、「碑文資料・石刻資料=隷書体の文字」と云うコトか・・・なんで、「奴隷」と「隷書」の「隷」が同じなんだか・・・「曆=𢍷(止+止+厂+禾+禾+日+廾)」・・・この漢字構成のイメージは階段状の田畑に植えられた禾と禾の間に昇る太陽、あるいは月に手併せ、拱く急勾配の山間地の階段状水田の「棚田」だろう・・・広重の浮世絵、「信州更級-田毎の月(嘉永六年)」・・・

 愛馬ブケパロスとアレクサンドロス3世  イッソスの戦いを描いたモザイク壁画で  「ポンペイ(Pompeii・Pompei)遺跡  (イタリア・ナポリ近郊の古代都市   79年8月24日・・・己卯・壬申・癸亥(グレゴリオ暦24日)                 辛酉(ユリウス暦24日)   ヴェスヴィオ火山噴火の火砕流で地中に埋没)」  より出土  「ブケパロス」は大王の  「黒い馬」で、   額に星模様、or 牛の角の形があった  「ブーケパロス(雄牛の頭)」   βούς(ブース=牡牛)   βού(プー=牝牛]   κεφαλή(ケパレー=頭)   ポンペイ遺跡の出土壁画の馬には   角が描かれているが、馬の色は「茶色」である・・・ ーーーーー  西暦  1年    1月    1日  庚申(猿)/戊子(鼠)/己卯(兔)   ↓↑  1年(庚申)2月(戊丑)1日(庚戌)   ↓↑   節分日以降は辛酉年-庚寅月   ↓↑  1年 2月  10日  辛酉(鳥)/庚寅(虎)/~己未(羊)   ↓↑  アレクサンドロス3世=亜歴山-三世            亜の歴(史)の山(算・纂)の三世紀            アマネシのコヨミのヤマのサンヨ            アレク-サンド-ロス-3世            阿連句-作務努-賂素-纂所為?  (ギリシア語=Ἀλέξανδρος Γ')  紀元前(ユリウス暦)  356年 乙丑・・・・      沖刑   7月 癸未      害   20日 戊子・・・・癸巳(グレゴリオ歴換算)  ~  紀元前323年6月10日  在位  紀元前336年~紀元前323   ↓↑  ピリッポス2世  と  エペイロス王女  オリュンピアスの間に生まれた  ピリッポス2世はヘーラクレースを祖  オリュンピアスはアキレウスを祖  13歳  都ペラから離れた  「ミエザの学園」で  アリストテレスの講義を受けた   ↓↑  紀元前338年  アレクサンドロスは一軍の将として父に従って  ギリシアの南部に出兵  カイロネイアの戦いで  アテナイ・テーバイ連合軍を破る  アレクサンドロスは精鋭の騎兵を率いて  アテナイ・テーバイ軍を壊乱させ、  マケドニアの勝利に大きく貢献  父ピリッポス2世は  ギリシア諸ポリスに  コリントス同盟(ヘラス同盟)を締結  全ギリシアの覇権を握る  紀元前336年に護衛の  パウサニアスに暗殺された。   ↓↑  20歳  マケドニア王を継承  敵対者を排除してマケドニアを掌握  トラキア人と戦うために  イストロス川方面に遠征  反旗を翻したテーバイを破壊し、  父王暗殺後に混乱に陥っていた  全ギリシアに再び覇を唱えた。  ギリシアの諸ポリスを制圧し  マケドニア本国の押さえを  重臣  アンティパトロスに任せた   ↓↑  「アレクサンドロス」=「イスカンダル」   ↓↑  紀元前333年  アレクサンドロスは  アンティオキアの北西  イッソスで  ダレイオス3世のペルシア軍10万と遭遇し  イッソスの戦いでは  騎兵と近衛兵、徴募兵を指揮し  ペルシア軍を敗走させ、  ダレイオスの母・妻・娘を捕虜にした  和睦の申し出を拒否し進軍   ↓↑  「アレクサンドロス東征記(Anabasis Alexandri)」  (Alexándrou anábasis)=内陸への遠征  2世紀にアッリアノスにより書かれた  プトレマイオス1世の書いた  「アレクサンドロス大王伝」などの資料で記録   ↓↑  エジプトの征服  シリアでは反ペルシアの都市が多く歓迎されたが、  フェニキアのティール(Tyre・ティルス)を屈服させ  南下してエジプトに侵入   ↓↑  紀元前343年  エジプトは  アルタクセルクセス3世  によって征服されていたが  ペルシアの統治が弱く、  アレキサンドロスが占領  紀元前332年  エジプト人に解放者として迎え入れられ  ファラオとして認められ、  「メリアムン・セテプエンラー」  の  ファラオ名を得て、  アメン神殿にその像を祭られた  西部砂漠の  シワ・オアシスにあるアメンの聖地で  自らをアメンの子とする神託を得た  後  ナイルデルタの西端に都市を建設  アレキサンドリアとした   ↓↑  ペルシア王国への遠征再開   ↓↑  「ガウガメラの戦い」  「ペルシス門の戦い」  紀元前331年  アレクサンドロス軍47,000は、  チグリス川上流の  ガウガメラで  20万~30万ともいわれた  ダレイオス3世指揮下のペルシア軍を破った  ダレイオスが  カスピ海東岸に逃れると、  ペルシャ王国の中枢に乱入し  バビロンやスーサの主要都市を略奪、  ペルセポリス  では一般民衆に対しても  凄惨な虐殺と強姦、徹底的に破壊、焼き払った  この破壊は、  ペルシア戦争時に  ペルシアが  アテナイのアクロポリスを焼き払った復讐  ペルシアの中枢を占領した後も、  ダレイオスを追った   ↓↑  翌年、紀元前330年  ダレイオス3世が  ベッソスによって暗殺  ベッソスは  ペルシア国王アルタクセルクセスを自称し  抗戦  ベッソスの不義不忠を糾弾し攻め  ベッソスは、  スピタメネスと  オクシュアルテスに捕えられ  エクバタナで公開処刑   ↓↑  ソグディアナ方面の占領  中央アジア方面へ侵攻  再び反乱を起こした  スピタメネスを中心とする  ソグド人による激しい抵抗に直面  紀元前329年~紀元前327年  ソグディアナとバクトリアで  ゲリラ戦(Siege of the Sogdian Rock)を強いられた  遊牧民である  スキタイ人も攻撃を仕掛けてきたが、  大王の部下  クラテロスは勝利した   ↓↑  紀元前328年  大王は  帰順したこの地方の有力者、  オクシュアルテスの娘  ロクサネを妃とした   ↓↑  インド遠征  インドへの遠征を開始  紀元前327年~紀元前326年  スワート渓谷  コフェン戦争  アオルノス包囲戦  紀元前327年~紀元前326年  紀元前326年  インダス川を越えて  パンジャブ地方に侵入  5月にヒュダスペス河畔の戦いで  パウラヴァ族の王  ポロスを破った  後も周辺の諸部族を平定、進軍  カタイオイ人も制圧  部下が進軍を拒否し  兵を返すことにした。   ↓↑  11月から  Hydraotes川(ラーヴィー川)を南下  全軍を3つに分割し  クラテロスと共に残存する  敵対勢力(en:Jat people系族のen:Malhi)を  駆逐(en:Mallian Campaign)し、  インダス川を南下し  Patala(タッター)に出た。  ゲドロシア砂漠(パキスタンバローチスターン州)  を通って  カルマニア(イランケルマーン州)に向かい、  紀元前324年  スーサに帰還  この際、部下の  ネアルコスに命じて  インダスからペルシア湾を通って  ユーフラテス川の河口までの航海を命じた  この探検航海によりこの地方の地理が明らかになり  ネアルコスの残した資料は  後世散逸したものの  ストラボンなどに引用された  紀元前324年  スーサの合同結婚式が行なわれた   ↓↑  バビロン帰還と大王急逝  バビロンで帝国を  ペルシア、  マケドニア、  ギリシア(コリントス同盟)  の3地域に再編  同君連合の形  ペルシア人を積極的に登用  ペルシア人とマケドニア人の融和を進めた  ペルシア帝国の後継者を宣し、  ペルシア王の王衣を身にまとい  ペルシア風の平伏礼などの儀礼や統治を  導入し  専制君主化とマケドニア人の反発を招いた   ↓↑  バビロンに戻り  アラビア遠征を計画  が、  蜂に刺され、祝宴中に倒れた  10日間高熱に浮かされ  「最強の者が帝国を継承せよ」  と遺言し、  紀元前323年6月10日  34歳の若さで死去  死因は毒殺説、熱病(マラリア=malaria)説  癲癇発作  アレクサンドロス3世は  虹彩異色症・・・左右の眼の虹彩の色が異なる          or、一方の瞳の虹彩の一部が変色          オッドアイ(odd eye)  だった?・・・モモちゃんは左目が無い隻眼だった・・・   ↓↑  大帝国の遺将たちが  バビロン会議、  トリパラディソスの軍会  協定によって安定化を目指したが  「最強の者が帝国を継承」で  アンティゴノス、  セレウコス、  プトレマイオス  他の諸将による  ディアドコイ戦争で  分裂  紀元前3世紀  アンティゴノス朝マケドニア、  セレウコス朝シリア、  プトレマイオス朝エジプト  の  ヘレニズム三王国が出現  三国鼎立で落ち着いた   ↓↑  紀元前168年  アンティゴノス朝が滅び  西方は順次ローマに併合  ヘレニズム諸三国は  ローマに滅ぼされた  東方はパルティアが勃興  セレウコス朝の領土の大部分を奪い、  東方領はマケドニア人の手を離れた  以後東地中海から中央アジアに至る地域は  イスラーム帝国の出現まで  大統一を見なかった  アレクサンドロスの遺体は  ペルディッカス  が  バビロンから  王都ペラへ移送途中に  プトレマイオスに強奪され、  ミイラとしてエジプトに埋葬された・・・   ↓↑  アレクサンドロス大王の一族は  ディアドコイ戦争中に殺害され、  大王の血統は断絶   ↓↑  サンドロコットス  プルタルコスなどによれば、  アレクサンドロスがインドに侵入した時、  マケドニアの陣営に1人の若者が訪れて  インド東部への道案内を申し出、  若者の名は  サンドロコットスといい、  彼がのちの  チャンドラグプタであるとした・・・ ーーーーー  ・・・  白鳥(はくちょう→swan)座(Cygnus=キュグヌス)=「Ὄρνις =オルニース=鳥=Κύκνος(kýknos=キュクノス=白鳥」・・・「鷲」、「鶏」・・・「白鳥」になったのは「ヤマトタケル(倭 健=大和健)」だったが・・・ ーーーーー  ・・・権力を握るモノは暗殺される・・・

ー↓↑ー--  ・・・???・・・    ↓↑   ↓↑  「プラトン古事記をカタル(古事記字源)   +  (表紙・画像・音楽)」の   移転先・・・ https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12  ↓↑  ボクの「古事記字源」の発端・・・ https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2022/9  ↓↑  干支歴 http://meisiki.bake-neko.net/keisanBXG4.html  ↓↑  追加添文  「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」 https://haa98940.wixsite.com/mysite/single-post/2006%E5%B9%B4%EF%BC%91%EF%BC%91%E6%9C%88%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%8E%E9%A0%83%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB


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