淡路島海底に沈んだ「白石村」伝説?
2022/9/9・金曜日・・・追加添文・・・
九月九日=重陽の節句=菊の節句
「規矩・記句」の「隻句・拙句」・・・
宮城県
刈田郡
七ヶ宿町
字関126番地
↓↑
宮城県
白石市
大手町1番1号
古代
東山道
中世
奥大道
近世
関東から奥羽(東北地方)へと続く
奥州道中の宿駅が設けられた
白石からは
山中
七ヶ宿街道から
二井宿峠・金山峠
越え
蔵王町宮を経て
四方峠、笹谷峠越えの出羽道
角田・丸森を経て大沢峠越えの相馬道
古来、交通の要衝
↓↑
奈良時代
養老五年
柴田郡から苅田郷・篤借郷を割いて
苅田郡として成立
平安時代中期(10世紀前半)の
『和名類聚抄』によれば
苅田郡は
篤借郷・苅田郷・坂田郷・三田郷の四郷
刈田郡家は
白石市
本郷遺跡
大畑遺跡に所在
↓↑
平安時代末の11世紀
藤原経清(亘理権大夫)の子
奥州
藤原氏初代
藤原清衡と同母兄弟の
刈田経元は
「後三年の役」
を清衡と共に戦い、戦後
「源義家」
から刈田・伊具の両郡を与えられ
刈田郡
白石
に土着して刈田氏を称した
経元の玄孫である
第5代目当主の
刈田秀信
は
文治五年(1189年)
「源頼朝」
に従い、世代的に族父にあたる
「藤原泰衡」
討伐に従軍し戦死
刈田郡と伊達郡の境にある
厚樫山が
奥州
藤原氏
と
源頼朝率いる鎌倉勢との最大の激戦地となった
秀信の弟
第6代当主
秀長から白石氏を称し
鎌倉時代から室町時代まで
刈田郡を統治
↓↑
室町時代後期(戦国時代)
白石は伊達氏の支配下
「伊達政宗」
は豊臣秀吉の停戦命令を無視し
会津地方の
蘆名氏を攻め滅ぼし
須賀川の
二階堂氏をも攻め滅ぼした
政宗の領土拡張で
「伊達成実」
と共に功績が大きかった
「白石宗実」
は、政宗の領土仕置によって
白石を離れ
宮森城(福島県安達郡岩代町)へと移った
1590年(天正十八年)
秀吉は奥州仕置で
蒲生氏郷を会津に入れ
白石は氏郷の領地となった
氏郷の死後には、その領地を
「上杉景勝」
が引き継ぎ
白石は上杉120万石の一部となった
秀吉の死後
政宗は徳川家康に協力
会津征伐では上杉勢と戦った
政宗は白石城の戦いで
上杉氏から白石城を奪い取り
白石に側近である亘理城主
片倉景綱(小十郎)を入れ
白石は仙台藩の一部となった
↓↑
家康は一国一城令を発令
しかし
白石城は例外的に城として認められ
白石は明治維新までの260余年間
片倉氏の城下町として栄えた
戊辰戦争の際
仙台藩が奥羽越列藩同盟の盟主になり
白石城に
列藩同盟公議府が設置
戊辰戦争敗北で同盟政府は崩壊
片倉家主従は
亘 理 伊達家主従
岩出山 伊達家主従
角 田 石川家主従
らと共に北海道へ移住
片倉家主従は
幌別郡(登別市)
白石村(札幌市白石区)
月寒村(札幌市豊平区)
を開拓
戊辰戦争敗北後
白石をはじめとする
仙台藩南部の5郡は
一時南部氏の所領
後
「白石県・角田県」となった後
「宮城県」となる
↓↑
1954年(昭和29年)4月1日
刈田郡
白石町、大鷹沢村、大平村
越河村、斎川村、白川村、福岡村
が合併し
白石市が発足
↓↑
白石村(しろいしむら)
北海道豊平川中流右岸
月寒川・厚別川・野津幌川流域にあった村
札幌郡に属した
現在
札幌市
白石区
及び
厚別区の全域
月寒川流域
1871年(明治4年)
仙台藩
白石城主
片倉氏家中とその家族約400名によって
開拓が始められた
現在の国道12号沿い
白石公園付近から白石神社までの間
に短期間で住まいを築き
開拓使の
「岩村通俊」判官
は彼らの郷里の名を取り
「白石村」と命名
1874年(明治7年)
村内の26戸が豊平川沿岸に再移住し
上白石村を形成
厚別川・野津幌川流域は
江戸時代は「アシリベツ」とも呼ばれ
明治初年から
白石村に属した
1883年(明治16年)
長野県出身の
「河西由造」
「中沢兼三郎」
らが入植したのを皮切りに
全国各地や近隣市町村からの
農業移民によって開拓が進められた
1902年
白石村と上白石村が合併
二級町村
白石村
旧村名を継承した2大字を編成
1903年
北海道炭礦鉄道
手宮線白石駅が開業
1910年
大字上白石村の一部が
札幌区に編入され
札幌区白石町となる
↓↑
淡路島
大地震で海底に沈んだ
白石村
伝説
古い地図には
白石村と記録
1500年
明応九年
大地震で5つの村が沈んだ
↓↑
佐賀県
杵島郡
白石町
大字
福田1247番地1
1889年(明治22年)4月1日
杵島郡
福治村・六角村・須古村・橋下村
北有明村・福富村・錦江村・竜王村・南有明村
1936年(昭和11年)4月1日
福治村が町制施行とともに改称
白石町となる
↓↑
埼玉県
秩父郡
東秩父村
白石(大字)
↓↑
ボクの「1118日目の日記」から
11+18=11・・・
十一・壱拾壱・足基、十八・壱拾八・始捌・・・
「恥(はじ・チ)る=耳+心」→恥辱・破廉恥・知恥・無恥・・・
「辱(はじ・ジョク)る=辰+寸=貝殻を手にとって土を柔らかにする(寸は手の意味)」→凌辱・侮辱・辱知・辱交・辱友・汚辱・栄辱・国辱・・・
「愧(はじ・キ)=忄+鬼」る・・・
「媿(はじ・キ)=女+鬼」る・・・
「羞(はじ・シュウ・シュ)=羊+ノ+丑」る→羞恥・・・
「慙(はじ・ザン)」る→慙愧・・・
「怍(はじ・サク)=心+乍(ながら・サ・ジャ)」る→・・・
「忸(はじ・ジク・ニク)=心+丑」る・・・
「怩(はじ・ジ・に)=心+尸+匕」る・・・
「土師(はじ・ドシ)=十+一+師」器・・・
「端(はし・はした・タン)=立+山+而」る→端緒・・・
「把持(ハジ)」→「把握」・・・
「恥じる」、「耳」と「心」が合体するとナゼ「はじる」になるのか・・・心の中の耳、心にとどめておく耳・・・
大修館漢和辞典には「耻(はじ・はじる・チ)=耳+止」は「恥の俗字」であるそうだが、「耻」が本字、源字ではないのか・・・
「俗字」の同音異字は「俗事(世間の雑事)・俗耳(世間の人々の耳→噂か、風聞)」である・・・「俗(ゾク・ショク)=イ+谷(ハ合・たに・コク・ヤ)」→「人のハが合(∧+一+口)う」で、「谷」とは山と山の山間(やまあい・サンカン)のコトである。
「山(やま・サン)」の同音異字は「纂・算・讃・賛・惨・参・産」でもある・・・
「山の枕詞」は「あしひきの (あしびきの・足引きの)」である。
問題は「あしひき」の理由である「サンの同音漢字の意味」である・・・
「山の名前」には意味がある・・・
以下はブログ記事の「枕詞(まくらことば): あしひきの」から拝借いたしました・・・断りも無く、ゴメン・・・
ーーー
「万葉集・萬葉集」→「萬用習・判用修」
0107
「あしひきの」山のしづくに妹待つと我れ立ち濡れぬ山のしづくに
サンのシズク
0108
我を待つと君が濡れけむ「あしひきの」山のしづくにならましものを
サンのシズク
0267
むささびは木末求むと「あしひきの」山のさつ男にあひにけるかも
サンのサツオ
「あしひきの」岩根こごしみ菅の根を引かばかたみと標のみぞ結ふ
ガンコン・コゴシミカンのコン
0460
栲づのの新羅の国ゆ人言をよしと聞かして.......(長歌)
0466
我がやどに花ぞ咲きたるそを見れど心もゆかず.......(長歌)
0477
「あしひきの」山さへ光り咲く花の散りぬるごとき我が大君かも
サン・サエヒカリ
0580
「あしひきの」山に生ひたる菅の根のねもころ見まく欲しき君かも
サンにオイタルカン
0669
「あしひきの」山橘の色に出でよ語らひ継ぎて逢ふこともあらむ
サンキツのイロ
0670
月読の光りに来ませ「あしひきの」山きへなりて遠からなくに
サンキヘナリテ
0721
「あしひきの」山にしをれば風流なみ我がするわざをとがめたまふな
サンニシヲレバ
0920
「あしひきの」み山もさやに落ちたぎつ吉野の川の.......(長歌)
ミサンモサヤニ
0927
「あしひきの」山にも野にも御狩人さつ矢手挾み騒きてあり見ゆ
サンニモヤニモ
1088
「あしひきの」山川の瀬の鳴るなへに弓月が岳に雲立ちわたる
サンセンのセのナル
1242
「あしひきの」山行き暮らし宿借らば妹立ち待ちてやど貸さむかも
サンギョウキ
1262
「あしひきの」山椿咲く八つ峰越え鹿待つ君が斎ひ妻かも
サンチンサク
1340
紫の糸をぞ我が搓る「あしひきの」山橘を貫かむと思ひて
サンキツを貫カム
1415
玉梓の妹は玉かも「あしひきの」清き山辺に撒けば散りぬる
キヨきサンへンに
1416
玉梓の妹は花かも「あしひきの」この山蔭に撒けば失せぬる
コのサンインに
1425
「あしひきの」山桜花日並べてかく咲きたらばいたく恋ひめやも
サンオウカジツ
1469
「あしひきの」山霍公鳥汝が鳴けば家なる妹し常に偲はゆ
サンカクコウチョウ、ナンジが
1495
「あしひきの」木の間立ち潜く霍公鳥かく聞きそめて後恋ひむかも
ボクのカンリツち
1587
「あしひきの」山の黄葉今夜もか浮かび行くらむ山川の瀬に
サンのコウヨウコンヤモカ
1603
このころの朝明に聞けば「あしひきの」山呼び響めさを鹿鳴くも
サンコび
1611
「あしひきの」山下響め鳴く鹿の言ともしかも我が心夫
サンゲ
1629
ねもころに物を思へば言はむすべ為むすべもなし.......(長歌)
1632
「あしひきの」山辺に居りて秋風の日に異に吹けば妹をしぞ思ふ
サンヘンに
1761
三諸の神奈備山にたち向ふ御垣の山に秋萩の.......(長歌)
1762
明日の宵逢はざらめやも「あしひきの」山彦響め呼びたて鳴くも
サンゲンキョウめ
1806
「あしひきの」荒山中に送り置きて帰らふ見れば心苦しも
コウサンチュウに
1824
冬こもり春さり来れば「あしひきの」山にも野にも鴬鳴くも
サンニモヤ
1842
雪をおきて梅をな恋ひそ「あしひきの」山片付きて家居せる君
サンヘンフキ
1864
「あしひきの」山の際照らす桜花この春雨に散りゆかむかも
サンのサイショウ
1940
朝霞たなびく野辺に「あしひきの」山霍公鳥いつか来鳴かむ
サンカクコウチョウ
サンニワカ
2148
「あしひきの」山より来せばさを鹿の妻呼ぶ声を聞かましものを
サンヨリキセバ
2156
「あしひきの」山の常蔭に鳴く鹿の声聞かすやも山田守らす子
サンのジョウインに
2200
九月の白露負ひて「あしひきの」山のもみたむ見まくしもよし
サンのモミタム
2219
「あしひきの」山田作る子秀でずとも縄だに延へよ守ると知るがね
サンデンサクるシ
2296
「あしひきの」山さな葛もみつまで妹に逢はずや我が恋ひ居らむ
サンサナ
2313
「あしひきの」山かも高き巻向の崖の小松にみ雪降りくる
サンカモコウキ
↓
歌 柿本人麻呂
巻10-2313
↓
足曳之=あしひきの
ーーー↓
「説文解字〕には
「曳」
「臾曳(ユエイ)するなり」とある
両手で人を曳く意とする説など
說文 臾曳也。
易·睽卦
見輿曳、其牛掣
「輿」→万物をのせる物の意・地図
輿人(ヨジン)→こしをかつぐ人
輿丁(ヨチョウ・ヨエイ)→こしをかつぐ人
輿丁→車の台をつくる職人・雑役夫・多くの人々・衆人
輿図(ヨズ・トヨ)→ヨズ=世界を描いた地図=「輿地図」の略
トヨ=領土
輿地(ヨチ)→大地・全地球・全世界
輿論(よろん)→とは、世の中の多くの人の意見という意味
「輿」→車軸の上に置いて、その上に人や物をのせる台 転じて、人や物をのせて、かついで運ぶ乗り物 「みんなの」という意味が生じ、 また、「世間の人々の意見・考え」 「見輿曳。其牛掣。其人天且〓。无初有終。 (よのひかるるをみる。そのうしひかれ。そのひとかみきられ、かつはなきらる。はじめなくおわりあり) 「輿」は車のこと。「車が引き戻され,牛も引き止められて進めない。髪を切られ、鼻を切られるような憂き目に遭う 睽. 睽(ケイ)は 六十四卦の 第三十八番目の卦 内卦(下)が兌、 外卦(上)が離で構成 兌の少女と 離の中年女とが 目を叛け争う 西の九紫であり卦象 最悪 ーー 「神輿・御輿」 神道の祭の際に、神霊が御旅所などへ渡御するに当たって一時的に鎮まるとされる輿である。通常は担ぎ上げて移動するもの。それを台車に乗せて曳くものなどがある。祭りによっては、御輿の巡行に、山車(やま・だし)、鉾(ほこ)、だんじり(だんぢり・楽車・壇尻・台尻・段尻・地車)、屋台が随行する場合もある。 「御輿」は「輿」に「御」を付けたもの 通常はさらに「御」をつけて「おみこし」と呼ばれる 神が乗る「神輿」とも書かれる 「鳳(ホウオウ・鳳凰)」を屋形に頂くものを 特に 鳳輦(ホウレン)という 輦(てぐるま・レン)=夫+夫+車 「ヤマ(山)の上に金鶏 鳳(おおとり・ホウ・ブ)=几+一+鳥 凰(おおとり・オウ・コウ)=几+白+王 鴻(おおとり・コウ・グ)=氵+エ+鳥→こうのとり 鵠(おおとり・コク・ゴク) 燕雀鴻鵠(エンジャクコウコク)・ 大鵬(おおとり・タイホウ)=大鳳 北の果てにある海に棲む「鯤(コン)」と呼ばれる巨大な魚が、巨大な鳥「鵬(ホウ)」と化し、九万里(約36万キロ)まで飛び上がって舞う(荘子・逍遥遊篇) 「輿=地図」とは・・・地上を「俯瞰(フカン)・鳥瞰(チョウカン)」した「絵図」であろう・・・ 兎に角、「神鳥」を載せた「やま=担ぎ台」が「御輿・神輿」で、引きずり回す「山車」である・・・「だんじり・だんぢり」とは祭礼に奉納される「山車(だし)」のことだが・・・「旦地理」であろう・・・「旦」は歌舞伎俳優の「女形=オヤマ」の当て字で、「おやま」は一説には女郎、花魁の古名・・・「ガンタン=元旦」の「日(太陽)の出」である・・・ 由来は・・・周公旦(シュウコウタン)の「旦」であろう・・・姓は「姫」、諱は「旦」・・・魯の開祖で周公の称号。文王の第四子で、初代武王の同母弟である。次兄・武王の補佐を勤め、さらに武王の少子(年少の子)の成王を補佐して建国直後の周を安定させた。太公望や召公奭と並び、周建国の大功臣の一人。 「三監の乱」 殷の帝辛の子の 武庚(禄父)は 旦の同母兄の 管叔鮮(第三子)と 同母弟の 蔡叔度(第五子)と 同母弟の 霍叔処ら 三監に監視 霍叔処を除く二人が 武庚を担ぎ上げて乱を起こし、 旦は武庚と兄の管叔鮮を誅殺し、 弟の蔡叔度をその 息子の仲胡に家督を継がせ、流罪にした 七年後、旦は成王に政権を返して臣下の地位に戻って 雒邑(洛陽)を周の副都とした 旦は、周代の儀式・儀礼の「周礼」、「儀礼」を著した 周公の墓 2004年に 中国 陝西省 宝鶏市の 周公廟付近で 墓が発見されているらしい・・・「宝の鶏」市である・・・ ーーー↓ 足曳之=あしひきの・・・・・・即英詞→悪し引き埜(廼) 山鴨高=やまかもたかき・・・・纂応用項 「鴨=甲+鳥」・・・オウ・ヨウ・かも 巻向之=まきむくの・・・・・・勘考詞・緘口詞 木志之子松尓=きしのこまつに 墨子詞四章也=兼愛・非攻 三雪落来=ゆきふりけり・・・・三節絡(洛)記 ↓ 足引きの 山かも高き 巻向の 岸の小松に み雪 降りけり ↓ 墨子(ボクシ・生没年不詳、紀元前450~390頃?) 中国戦国時代の思想家 河南魯山の人 その著書名 篇数 七十一篇(五十三篇のみ伝わる) 墨家思想の始祖 功利・尚同 天志 兼愛・非攻 兼愛 「天下の利益」は平等思想 「天下の損害」は差別 非攻 非戦論 「人一人を殺せば死刑、なぜ百万人を殺した将軍が勲章か」 博愛(兼愛)を説いて全国を遊説 墨子 十大主張を説いた 諱は翟(羽+隹)=墨翟(ボクテキ) ウキペディア? 生年月日 紀元前470年~紀元前391年 墨守 絶対に守り抜くの意味 墨守 専守防衛の意味 儒家の 仁を差別とみなし、 血縁によらない普遍的・無差別的博愛を説いたらしく 秦帝国成立後、墨家は忽然と消えた。 「焚書坑儒」で秦帝国の思想統制政策により、集団消滅したらしい・・・ 墨(すみ・ボク・モク)=里+灬(カ・烈火)+十+一 守(まもる・もり・シュ・ス)=宀+寸 ーーーー↓ 2315 「あしひきの」山道も知らず白橿の枝もとををに雪の降れれば サンドウも 2324 「あしひきの」山に白きは我が宿に昨日の夕降りし雪かも サンニ 2350 「あしひきの」山のあらしは吹かねども君なき宵はかねて寒しも サンのアラシハ 2477 「あしひきの」名負ふ山菅押し伏せて君し結ばば逢はずあらめやも サンカンオウし 2617 「あしひきの」山桜戸を開け置きて我が待つ君を誰れか留むる サンオウ 2649 「あしひきの」山田守る翁が置く鹿火の下焦れのみ我が恋ひ居らむ サンデンシュ 2679 窓越しに月おし照りて「あしひきの」あらし吹く夜は君をしぞ思ふ アラシクフク 2694 「あしひきの」山鳥の尾の一峰越え一目見し子に恋ふべきものか サンチョウのオ 2704 「あしひきの」山下響み行く水の時ともなくも恋ひわたるかも サンカキョウみ 2760 「あしひきの」山沢ゑぐを摘みに行かむ日だにも逢はせ母は責むとも サンタクエグ 2767 「あしひきの」山橘の色に出でて我は恋なむを人目難みすな サンキツ 2802 思へども思ひもかねつ「あしひきの」山鳥の尾の長きこの夜を サンチョウのビ 3002 「あしひきの」山より出づる月待つと人には言ひて妹待つ我れを サンヨリ 3008 「あしひきの」山を木高み夕月をいつかと君を待つが苦しさ サンをボクコウみ 3017 「あしひきの」山川水の音に出でず人の子ゆゑに恋ひわたるかも サンセンスイの音に 3051 「あしひきの」山菅の根のねもころに我れはぞ恋ふる君が姿を サンカンのコン 3053 「あしひきの」山菅の根のねもころにやまず思はば妹に逢はむかも サンカンのコン 3189 「あしひきの」山は百重に隠すとも妹は忘れじ直に逢ふまでに サンハヒャクジュウに 3210 「あしひきの」片山雉立ち行かむ君に後れてうつしけめやも ヘンサンキジ 3276 百足らず山田の道を波雲の愛し妻と語らはず.......(長歌) サンデン 3335 玉桙の道行く人は「あしひきの」山行き野行き.......(長歌) サンギョウき 3338 「あしひきの」山道は行かむ風吹けば波の塞ふる海道は行かじ サンドウ 3339 玉桙の道に出で立ち「あしひきの」野行き山行き.......(長歌) ヤギョウきサンギョウき 3462 「あしひきの」山沢人の人さはにまなと言ふ子があやに愛しさ サンタクジンの 3573 「あしひきの」山かづらかげましばにも得がたきかげを置きや枯らさむ サンカヅラ 3655 今よりは秋づきぬらし「あしひきの」山松蔭にひぐらし鳴きぬ サンショウインに 3680 夜を長み寐の寝らえぬに「あしひきの」山彦響めさを鹿鳴くも サンゲンキョウめ 3687 「あしひきの」山飛び越ゆる鴈がねは都に行かば妹に逢ひて来ね サンヒビ 3700 「あしひきの」山下光る黄葉の散りの乱ひは今日にもあるかも サンカコウる 3723 「あしひきの」山道越えむとする君を心に持ちて安けくもなし サンドウ 3789 「あしひきの」山縵の子今日行くと我れに告げせば帰り来ましを サンマンのシ 3790 「あしひきの」玉縵の子今日のごといづれの隈を見つつ来にけむ ギョクマンのシ 3885 いとこ汝背の君居り居りて物にい行くとは.......(長歌) 3886 おしてるや難波の小江に廬作り隠りて居る.......(長歌) 3911 「あしひきの」山辺に居れば霍公鳥木の間立ち潜き鳴かぬ日はなし サンペンに 3915 「あしひきの」山谷越えて野づかさに今は鳴くらむ鴬の声 サンコク 3957 天離る鄙治めにと大君の任けのまにまに.......(長歌) 3962 大君の任けのまにまに大夫の心振り起し.......(長歌) 3969 大君の任けのまにまにしなざかる越を治めに.......(長歌) 3970 「あしひきの」山桜花一目だに君とし見てば我れ恋ひめやも サンオウカイチモクだ 3978 妹も我れも心は同じたぐへれどいやなつかしく.......(長歌) 3981 「あしひきの」山きへなりて遠けども心し行けば夢に見えけり サンキへナリ 3983 「あしひきの」山も近きを霍公鳥月立つまでに何か来鳴かぬ サンモキンキ 3993 藤波は咲きて散りにき卯の花は今ぞ盛りと.......(長歌) 4011 大君の遠の朝廷ぞみ雪降る越と名に追へる天離る.......(長歌) 4076 「あしひきの」山はなくもが月見れば同じき里を心隔てつ サンハナクモ 4111 かけまくもあやに畏し天皇の神の大御代に田道間守.......(長歌) 4122 天皇の敷きます国の天の下四方の道には馬の爪.......(長歌) 4136 「あしひきの」山の木末のほよ取りてかざしつらくは千年寿くとぞ サンのボクマツ 4149 「あしひきの」八つ峰の雉鳴き響む朝明の霞見れば悲しも ハチツホウのキジ 4151 今日のためと思ひて標し「あしひきの」峰の上の桜かく咲きにけり ホウのジョウ 4154 「あしひきの」山坂越えて行きかはる.......(長歌) サンハンエツえ 4156 あらたまの年行きかはり春されば花のみ.......(長歌) 4160 天地の遠き初めよ世間は常なきものと.......(長歌) 4166 時ごとにいやめづらしく八千種に草木花咲き.......(長歌) 4169 霍公鳥来鳴く五月に咲きにほふ花橘の.......(長歌) 4180 春過ぎて夏来向へば「あしひきの」山呼び響め.......(長歌) サンコびキョウめ 4203 家に行きて何を語らむ「あしひき」の山霍公鳥一声も鳴け サンカクコウチョウ 4214 天地の初めの時ゆうつそみの八十伴の男は.......(長歌) 4225 「あしひきの」山の紅葉にしづくあひて散らむ山道を君が越えまく サンのコウヨウに 4266 「あしひきの」八つ峰の上の栂の木のいや継ぎ継ぎに.......(長歌) ハチつホウのジョウ 4278 「あしひきの」山下ひかげかづらける上にやさらに梅をしのはむ サンカヒカゲ 4293 「あしひきの」山行きしかば山人の我れに得しめし山づとぞこれ サンギョウき 4294 「あしひきの」山に行きけむ山人の心も知らず山人や誰れ サンニギョウき 4471 消残りの雪にあへ照る「あしひきの」山橘をつとに摘み来な サンキツ 4481 「あしひきの」八つ峰の椿つらつらに見とも飽かめや植ゑてける君 ハチつホウ 4484 咲く花は移ろふ時あり「あしひきの」山菅の根し長くはありけり サンカンのコンし ーーー 「さくら ばな さき に けら しも あしひきの やま の かひ より みゆる しら くも (『古今和歌集』巻第一・春歌上 紀貫之)」 ーーーーー 枕草子 (一一段)・・・・十一段・壱拾壱段・壱壱段・11段 山は 小倉山。 三笠山。 このくれ山。 わすれ山。 いりたち山。 鹿背山。 ひはの山。 かたさり山 こそ、誰に所おきけるにかと、 をかしけれ。 五幡山。 後瀬山。 笠取山。 ひらの山。 鳥籠の山は、 わが名 もらすなと、 みかどのよませ給ひけん、 いとをかし。 伊吹山。 朝倉山、 よそに見るらん いとをかしき。 岩田山。 大比禮山も をかし、 臨時の祭の 使など おもひ出でらるべし。 手向山。 三輪の山、 いとをかし。 音羽山。 待兼山。 玉坂山。 耳無山。 末の松山。 葛城山。 美濃の御山。 柞山。 位山。 吉備の 中山。 嵐山。 更級山。 姨捨山。 小鹽山。 淺間山。 かたため山。 かへる山。 妹背山。 ーーーーー ・・・いと、をかし・・・?
「2013年4月27日(土)夜11時再放送・・・アンコール音で描く賢治の宇宙~冨田勲×初音ミク 異次元コラボ~」をみた・・・冨田勲(80歳)の「イーハトーヴ交響曲」・・・「宮沢賢治のメルヘン」を「初音ミク」とのコラボ・・・ 「雨ニモマケズ」の音曲は「御詠歌」ではなく、以前伯父の菩提寺で聴いた「法華」のお経を坊主が「合唱」するような「唱歌」みたいだった・・・ 冨田勲氏は1945年戦争さなかに愛知県で大地震を少年時代経験していたらしい・・・ボクはまだ生まれていなかったが・・・三河湾・・・知多半島・・・渥美半島・・・田原藩・・・渡辺崋山の・・・妻は「タカ」・・・文政六年(1823年)、田原藩の和田氏の娘「たか」と結婚・・・ ーーーー 「ゆづるはの峯・阿彌陀の峯・彌高の峯」ってナンだ?・・・ユズリハ(楪、交譲木または譲葉、学名 Daphniphyllum macropodum)はユズリハ科ユズリハ属の常緑高木。古名は「ユズルハ」。「ユズリハ」の名は、春に枝先に若葉が出たあと、前年の葉がそれに譲るように落葉することから。その様子を、親が子を育てて家が代々続いていくように見立てて縁起物とされ、正月の飾りや庭木に使われる・・・ ーー↓ ユズリハ(楪・交譲木・譲葉) 植物界 Plantae 被子植物 angiosperms 真正双子葉類 eudicots コア真正双子葉類 core eudicots ユキノシタ目 Saxifragales ユズリハ科 Daphniphyllaceae ユズリハ属 Daphniphyllum ユズリハ D. macropodum ーー↓ 弓弦羽神社(ゆづるはじんじゃ) 兵庫県 神戸市 東灘区 御影郡家に存在 旧社格は村社 大神に戦勝祈願し、弓矢・甲冑を納めたということから、 社背後の山を 「弓弦羽岳」→「武庫山」→後に「六甲山」と呼ぶようになった ーー↓ 諭鶴羽山(ゆづるはさん) 淡路島 南部に存在 標高607.9mで淡路島最高峰 兵庫県 南あわじ市 灘 黒岩 472番地 ーー↓ 三河地震 1945年 1月 13日 午前 3時38分23秒 愛知県三河湾で発生 マグニチュード 6.8の直下型地震 ーーーー 以下はボクの「家頁」の「銀河鉄道」に関するモノです・・・ ↓ 「銀河鉄道の夜」と「古事記」 http://www42.tok2.com/home/nikorao/tokepe/fanin/pura2/kojiki49.htm ーーーー 枕草子 (一二段)・・・・壱拾弐段・壱弐段・十二段・足弐段 重似談 峯(みね=峰)は・・峰(ホウ)=山(サン)+夆(ホウ) 「山(やま・サン)」 + 「夂(おくれる・チ)」or「夊(スイ)」 + 「丰(すがた・フウ・ボウ)」 ゆづるはの峯。・・喩通留葉の美禰・美祢 嶺(山+令+頁)→纂例の頁 阿彌陀の峯。・・・あミだ→アやダ→文拿 彌高の峯。・・・・ミだか・やだか・ビコウ・ミコウ 彌=や・いよいよ・ビ・ミ ーーーー いと、をかし・・・・?
ーー 今現在・・・TV北海道7チャンネルで 00:50 シネマ☆ランデブー 「三國連太郎さんを偲んで・未完の対局」 <1982年/日本> 【監督】佐藤純弥 【出演】三國連太郎 ・・・をミテイル・・・4/28/AM3:00・・・ ーーーー イト、アミダか、ミロクか、オシャカか・・・ホッケキョウ・・・
安陪の原・・・ナニをスルのやら、いと、をかし・・・九拾六・・・「第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する」・・・「蟹座(69)」は「9←69→6」の「入れ替え数字」・・・ 「蟹座の象徴意」とは「かに座(蟹座、Cancer)は、黄道十二星座の1つ。トレミーの48星座の1つでもある。星座のほぼ中央にあるM44(プレセペ星団、プレセペ散開星団)が有名である。 ウィキペディア」・・・「かに座は最も明るいβ星でも3.8等、他は4等星以下」の星座。 M44(プレセペ星団)・・・散開星団→纂解政談 アラビア名・・・アンナトラ(An natra)→案名虎 M44・・・ε星 γ星、δ星、θ星、η星の作る四辺形と中心の「M44」の領域は、 二十八宿の「鬼宿(和名は魂緒(たまを)」、 積尸気(シシキ or セキシキ)と呼ばれる。 師士記 関史記 屍体の山から立ち上る精霊(魄)が集まる姿 α星:4.2等星、F0型。 ι星:4.3等星、G6型。4.2等と6.6等の星から成る二重星 M1「かに(蟹)星雲」は 「かに(蟹)座」ではなく「おうし(牡牛)座」にある 隣接星座 やまねこ(山猫)座 ふたご(双子・双児・双生児)座 こいぬ(子犬・仔犬・小犬)座 うみへび(海蛇)座 しし(獅子)座
占星術 「6月21日頃から7月21日頃」の人の誕生星座(太陽星座) 「黄道十二宮」の「巨蟹宮」に太陽が位置する期間 「座」は星の天体図形の位置、 「宮」は天体「30度×12区分=360度」の区分 ギリシャ神話では 「蟹のカルキノス」は、「ヘラクレス」と同じ「レルナという沼地に住んでいる友人であり異父兄弟のヒュドラ」の戦に加勢して「ヘラクレスの足」を鋏みで切ろうとしたが、「ヘラクレス」は振り払い踏みつぶした。「女神ヘラ」は、「友達思いのカルキノス」を哀れに思って、天の星座にした。 「女神ヘラ」は、ゼウスの「愛人の子ヘラクレス」を憎み、「ヘラクレス」と格闘中の「ヒュドラ(9つの頭を持つ大蛇で一つの頭を切ると、切られた部分から2つの頭が生えてくる)」に「巨蟹」を加担させて、「ヘラクレスの脚を鋏みで切断」させようとしたが、逆に「巨蟹」は踏み潰されて殺され、「かに座」にされ、退治された「ヒュドラ」も「海蛇座」にされた。 父「テュポーン」と母「エキドナ」の間に生まれた「巨蟹」であり、「ヒュドラ(九頭龍)」の盟友。 「愛する人を守る?精神」は、「かに座(7月20日生~8月10日生 or 6月22日~7月22日生まれの人)の性格の象徴」・・・らしい・・・ 「蟹(かに・カイ・ゲ)」=解+虫=角+刀+牛+中+ム 蟹座 本質・・・母性本能・家族主義・マザコン もったいない主義・情緒多感 対人関係・身内主義・排他的 論理、合理性を求めるが 相手の屁理屈、駆け引きを嫌う 独立、独歩、非集団行動、気分屋、突発行動 過剰な 信頼第一主義が翻って騙されやすい 懐疑的、妄想的、警戒心、用心深い 裏切られると 臆病、心配性、神経過敏 好き嫌いの激変、変化 ・・・蟹座=カニザ→化似座・掛爾座・・・「座(すわる・サ・ザ)」は、「平安時代から戦国時代まで存在した主に商工業者や芸能者による同業者組合のこと。朝廷や貴族・寺社などに金銭などを払う代わりに営業や販売の独占権などの特権を認められた」・・・「織田信長」の「楽市・楽座」・・・独占禁止法・・・TPP・・・「商売の自由」って、「無税」・・・「無消費税」、すべて「無搾取」・・・「無国家」・・・一体、「儲け」はドコにイクのだろう?・・・「自由交換市場」・・・「座数」の「座(广+人+人+十+一)」は「数助詞」でもある・・・「女が助ける詞(コトバ)」・・・「清少納言=セイショウナゴン=聖書有納言」・・・? ーーーーー 枕草子 (一三段)・・・十三段・壱拾参段・壱参段・拾参段 原は 竹原。・・・・・・地名としては広島県の『竹原地区』が有名。 名字の由来もこの地名が由来? 地名 広島県竹原市 千葉県館山市竹原 愛媛県松山市竹原 山形県南陽市竹原 長野県中野市竹原 福井県小浜市竹原 福岡県宮若市竹原 熊本県阿蘇市竹原 ーーー↓ 甕の原。・・・・・甕原離宮の場所 木津川の南岸、 木津川市加茂町法華寺野の辺り 山背 国分尼寺があった 天平十三年閏三月九日 平城宮の兵器を甕原宮に運ばしむ 甕原(みかのはら=三香原・万葉集) 国分寺の場所は 元の恭仁宮、 木津川の北岸 恭仁宮=布当宮(ふたぎのみや)とも 布当(ふたぎ)の山 木津川市鹿背山 まんえふしふ=万葉集 巻六の 田辺福麻呂歌集の歌 「布当宮(ふたぎのみや→二(蓋・亠)義廼観夜)」 大養徳恭仁大宮(やまとのくにのおほみや) 名前は 十三年の十一月二十一日の勅 「布当宮(ふたぎのみや→二義埜視也)」 ーーー↓ 「1050 田辺福麻呂歌集・巻六・雑歌」 讃久邇(恭仁)新京歌二首(并短歌) 明津神 吾皇之 天下 八嶋之中尓 國者霜 多雖有 里者霜 澤尓雖有 山並之 宜國跡 川次之 立合郷跡 山代乃 鹿脊山際尓 宮柱 太敷奉 高知為 布當乃宮者 河近見 湍音叙清 山近見 鳥賀鳴慟 秋去者 山裳動響尓 左男鹿者 妻呼令響 春去者 岡邊裳繁尓 巌者 花開乎呼理 痛□怜 布當乃原 甚貴 大宮處 諾己曽 吾大王者 君之随 所聞賜而 刺竹乃 大宮此跡 定異等霜 ↓ 現(あき)つ神 我が大君の 天(あめ)の下 八島(やしま)の内に 国はしも さはにあれども 里はしも さはにあれども 山なみの よろしき国と 川なみの たち合ふ里と 山背(やましろ)の 鹿背山(かせやま)の際(ま)に 宮柱(みやばしら) 太敷(ふとし)きまつり 高知らす 布当(ふたぎ)の宮は 川近み 瀬の音ぞ清き 山近み 鳥が音響(ねとよ)む 秋されば 山もとどろに さを鹿は 妻呼び響め 春されば 岡辺(をかへ)も繁(しじ)に 巌には 花咲きををり あなあはれ 布当の原 いと貴 大宮所 うべしこそ 吾が大君は 君ながら 聞かしたまひて さす竹の 大宮ここと 定めけらしも ーーー↓ 朝の原。
霧立ちて雁ぞ鳴くなる 片岡の 朝の原は もみぢしぬらむ 「片岡」奈良県北葛城郡王寺町の 「明神山」アタリ(辺り→ヘン)か・・・? 「朝(あした)の原」は 地名かどうか不明らしい・・・ ーーー↓ その原。・・・・・長野県 下伊那郡 阿智村 園原の里 「その原や ふせ屋に おふる帚木(ははきぎ)の ありとは みえてあはぬ君かな・新古今(恋一)」 「薗原」の地名 新古今集の坂上是則の短歌 源氏物語 狭衣物語 後拾遺和歌集の馬内侍の短歌 金葉和歌集の師賢 などに、その記録があるらしい・・・ ーーー↓ 2 萩原。・・・・・萩原菅原神社(はぎわらすがわらじんじゃ) 萩原天満宮(はぎわらてんまんぐう) 熊本県八代市萩原町にある神社 社記 「天徳三年(960)、勅宣により 菅原道真公を 日置高庭の境内末社に祀る。 南北朝他戦国期に度々戦火にあい後、 造営して菅原大神を相殿に祀る」
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萩原神社 大阪府堺市日置荘原寺町75番地 文永三年(1266) 「右方鋳物師者、日置、金田、長曽禰 此三ヶ所也」の記録から 丹南郡日置荘が、鋳物師の住まい 近世の日置庄を称す領域は、 天保年間の 西村明細帳に、 七ヶ村と記してある。・・・宮城県刈田郡七ヶ宿・白石 同年代の絵図(菅生神社蔵) 日置荘、丈六、高松、草尾新田、大保、狭山付近 ーーー↓
萩原の地名 北海道伊達市萩原町 青森県青森市大字大別内字萩原 青森県青森市浪岡大字細野字萩原 青森県中津軽郡西目屋村大字居森平字萩原 福島県南会津郡南会津町高野字矢萩原 関東 茨城県神栖市萩原 群馬県高崎市萩原町 群馬県伊勢崎市境萩原 千葉県茂原市萩原町 千葉県印旛郡印旛村萩原 千葉県印旛郡本埜村大字萩原 中部 富山県富山市萩原 福井県越前市萩原町 山梨県甲州市塩山(上|下|中)萩原 岐阜県瑞浪市稲津町萩原 岐阜県下呂市萩原町 岐阜県揖斐郡池田町萩原 静岡県御殿場市萩原 愛知県名古屋市昭和区萩原町 愛知県一宮市(萩原町|西萩原) 愛知県愛西市勝幡町萩原 近畿 三重県亀山市関町萩原 京都府京都市北区大宮萩原 京都府京都市北区西賀茂西萩原 京都府福知山市(字萩原|萩原新町) 京都府八幡市川口萩原 京都府京田辺市打田萩原 京都府南丹市日吉町保野田萩原 京都府船井郡京丹波町大迫萩原 兵庫県神戸市須磨区多井畑字萩原 兵庫県神戸市北区淡河町萩原 兵庫県川西市萩原 兵庫県たつの市揖保町萩原 奈良県生駒市萩原町 奈良県宇陀市榛原区萩原 奈良県吉野郡東吉野村大字萩原 和歌山県伊都郡かつらぎ町大字萩原 和歌山県日高郡日高町大字萩原 中国 鳥取県日野郡日南町萩原 島根県益田市匹見町匹見萩原 広島県三原市大和町萩原 広島県安芸郡熊野町萩原 山口県下関市豊田町大字萩原 山口県宇部市大字西岐波萩原 山口県美祢市於福町下萩原 山口県熊毛郡平生町大字宇佐木平生萩原 山口県熊毛郡平生町大字大野北大野萩原 四国 徳島県鳴門市大麻町萩原 徳島県那賀郡那賀町大久保字萩原 香川県観音寺市大野原町萩原 愛媛県松山市萩原 高知県宿毛市萩原 九州 福岡県北九州市八幡西区萩原 福岡県筑紫野市大字萩原 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町吉田萩原 長崎県島原市萩原 熊本県熊本市萩原町 熊本県八代市萩原町 熊本県玉名郡和水町萩原 大分県大分市萩原 ーーー↓ 「萩原」・・・いと、おほし・・・ ーーー↓ 粟津原。・・・・・「あわづがはら」大津市の琵琶湖に臨む松原 近江八景の一 鳰の海(琵琶湖)粟津原 大津市の 瀬田唐橋から 膳所(ぜぜ)に至る 旧東海道の松原 木曽義仲=朝日(旭)将軍討ち死にの地 官位は左馬頭兼伊予守、征東大将軍(平家物語) 以仁王の令旨によって挙兵 以仁王の遺児を 北陸宮として擁護 倶利伽羅峠の戦いで平氏を破って上洛 ーーーーーー↓ 木曽義仲 生誕 久寿元年(1154年) 死没 寿永三年一月二十日(1184年3月4日) 享年三十一 改名 駒王丸、義仲 別名 木曾次郎、木曾冠者・・・木曾=きそ=基礎・起訴・礎・埆・木祖
朝日将軍(旭将軍) 戒名 徳音院義山宣公 墓所 滋賀県大津市馬場の朝日山義仲寺 京都市東山区法観寺(首塚) 長野県木曽郡 徳音寺 官位 従四位下、左馬頭、越後守、伊予守 征東大将軍 氏族 清和源氏為義流(河内源氏) 父 源義賢 母 遊女(小枝御前) 養父 中原兼遠 兄弟 仲家、義仲、宮菊姫 妻 正室 藤原伊子? 妾 巴御前? 子 義高(義重、義基)、四郎義宗 ーーー↓ 奈志原。・・・・・白浜町日置の「志原海岸?」 ーーー↓ うなゐごが原。・・項(うな)居(い)ゴ 童児の髪を うなじの あたりで結んで垂らしたもの 女児の髪を 襟首のあたりで切り下げておくもの うないがみ 童児、幼い子供のこと うない‐こ〔うなゐ‐こ〕 髫=髪子 うない髪にした子供 元服前の少年 わらべ ーーー↓ 安倍の原。・・・・大阪府大阪市阿倍野区? ーーー↓ 篠原。・・・・・・滋賀県野洲市 壇ノ浦合戦で捕らえられた 平宗盛が斬られた場所 ーーーーー ・・・「原(はら・ゲン)」は・・・いと、をかし・・・ ーーー↓すべてブログからの参考、参照添付・・・ 原の意味 - Google 検索 https://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&aq=&oq=%E5%8E%9F%E3%81%AE%E6%84%8F%E5%91%B3&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4ADFA_jaJP411JP413&q=%E5%8E%9F%E3%81%AE%E6%84%8F%E5%91%B3&gs_l=hp...0.0.0.11.618406...........0.GheF6Qziwc8 げん【原】とは [音]ゲン(漢) [訓]はらもと はら 「原野/高原・湿原・草原・氷原・平原」 「源」と通用 みなもと。水源。 「原泉」 物事のもと。起こり。始め。 「原案・原因・原稿・原作」 ごげん【語源/語原】 個々の単語の本来の形や意味 個々の単語の成立の由来や起源 ごげんがく【語源学】 言語学の一部門 語源を 史的言語学や 比較言語学の方法により 追究する学問 きげん【起源/起原】 物事の起こり。始まり。みなもと げん‐い【原意】 もとの意味。本来の意味 げん‐いん【原因】 ある物事や、ある状態・変化を引き起こすもと また、その事柄 あまのはら【天の原】 広々とした大空 「天の原ふりさけ見れば大君の御寿(みいのち)は長く天足らしたり〈万・一四七〉」 日本神話で、天上界のこと。 高天原 「天の原石門(いはと)を開き神上がり〈万・一六七〉」 [枕詞] 「富士」にかかる やつばら【奴儕/奴原】 複数の人を卑しめていう語。やつら はら【原】 草などが生えた、平らで広い土地。野原。原っぱ ーーーーー ・・・ハラハラする・・・ 腹(フク)=肉(月)+ノ一+日+夂(夊) 胎(タイ)=肉(月)+台(ム口) ・・・派等(ハトウ)・・・葉等(はら)・・・
パラパラ、バラバラです・・・薔薇の象徴は「英国」・・・
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・・・???・・・
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