燃え尽きたモノはドコに行っちゃう、の?
2021/12/6・月曜日・・・追加添文・・・
「質量の有る魂魄が不滅」ならば、その行き先はアル・・・
だが、
「質量が無くなる魂魄」ならば、何処に行き先がアルのか・・・
「魂魄消滅=エネルギー」・・・「消滅」とは「吸収」・・・?
「光子=電磁波」は「吸収と反射」の関係だが・・・
「認識論」の範疇で、
「存在論」の範疇ではない・・・
↓↑
物質不滅の法則・・・
law of conservation of mass.
化学反応において
反応前の物質の全質量と
反応後に生成した物質の全質量とは
等しいという法則
「質量不変の法則」
law of indestructibility of materials
フランスの
ラボアジエが発見・・・
元素の種類や各々の物質量も変化する
↓↑
素粒子論の世界
物質・質量の
生成
消滅
が広範に起こっている・・・
質量保存の法則
物質の不変性・不滅性は
全く成り立たない・・・
↓↑
化学反応の世界
反応によって
放出
吸収
されたエネルギーに
相当する質量変化が起こり
質量は厳密には保存されていない
「化学反応の前後で
それに関与する元素の種類
と
各々の物質量は変わらない」
という表現が正確な表現・・・
principle of mass
matter conservation
↓↑
相対性理論
「E=mc²」
質量とエネルギーは
等価関係にある
「質量は消滅し
エネルギーに変化する」
↓↑
質量保存の法則
物質不滅の法則
は、破棄
↓↑
閉じた系の
「質量の総和が一定である」
ということを公理として扱っていたが
現代物理学では
「質量の総和が一定である」
は日常的な場面で
あくまで
「近似的に成立するもの」
↓↑
特殊相対性理論
「質量=エネルギー」
等価であり
閉じた系において保存されるのは
「質量の総和」ではなく
「質量を含むエネルギーの総和」
である
化学反応によって
エネルギーが吸収・放出されれば
それだけ
質量も変化する
↓↑
高エネルギーの素粒子反応
粒子が消滅したり
新しく創られたりすることは
ごく普通の現象・・・?
・・・「無から有は生じない」・・・
は、何処へ行ったのか・・・?
↓↑
・・・「火の玉見た!北海道各地で火球か・10月18日夜午後8時56分ごろ・NHKの北海道各地に設置したカメラに上空を流れ落ちる「火の玉」のような光が写っていた」(Twitter)・・・ 北海道各地で「火球」か・2018年10月19日 0時55分 専門家は小惑星の欠片(かけら)などが 大気圏に突入して 燃え尽きる際に光る「火球」ではないかと・・・ 北海道函館市の函館山に設置されたNHKのカメラ 北海道北部の利尻島に設置されたカメラ オホーツク海側の斜里町ウトロに設置されたカメラには 上空や海面が一瞬、青く光る様子が捉えられていた・・・ ツイッター上でも、札幌や函館などの広い範囲で 「火の玉のようなものを見た」などという書き込み投稿・・・ 情報源は(Twitter)から・・・ ーーーーー ETV・札幌(Ch.2) 22;00 フランケンシュタインの誘惑 第二話 「放射能 マリーが愛した光線」 科学史の闇に迫る知的エンターテインメント 「フランケンシュタインの誘惑」 Eテレ 偉人マリー・キュリーの 「放射能への愛」の悲劇 マリア・スクウォドフスカ=キュリー (Maria Skłodowska-Curie) 1867年11月7日 1934年7月4日 丁卯(甲・ ・乙)⇔ 甲戌(辛・丁・戊) 辛亥(戊・甲・壬)⇔ 庚午(丙・ ・丁) 辛卯(甲・ ・乙)⇔ 丙子(壬・ ・癸) 午未=空亡 放射能泉 ラジウム温泉 微量のラジウム、ラドン およびアスタチンから水銀までの 原子核崩壊によって生じる 放射性同位体が含まれる温泉 ラジウムが崩壊したものを ラドン・・・ラドン温泉=ラジウム温泉・・・健康にイイ ラジウム-228は、骨の癌を引き起こし、細胞を壊死させる ↓↑ ラジウム・ガール ラジウム・ガールズ(Radium Girls) 夜光塗料を 時計の文字盤に塗ることで ラジウム被爆(放射線被爆) にかかった アメリカの 女性工場労働者(14歳~)である このような塗装作業は アメリカ合衆国内の 3つの事業所で行われていた ニュージャージー州オレンジ(Orange、1917年頃~) イリノイ州オタワ市(Ottawa, Illinois・1920年代前半~) コネチカット州ウォーターバリーの施設 「ラジウム・ガールズ」という語は、 今ではこれらの施設で働いていた女性を指す・・・ 呼称は 「ゴースト・ガールズ」に変わった ラジウムの蛍光塗料を筆先に浸し、 その筆先を舐めって 文字盤に塗った 「リップ、ディップ、ペイント」 lip dip paint 「唇をつけろ、ちょっと浸(つ)けろ、塗れ」 勤務時間が終わるころには 被爆した。そして 彼女たち自身が暗闇で光るようになっていた ラジウム放射線によって下顎の骨が肥大化し 死亡する従業員が増えていった
・・・ニャンコのモモとブブの眼も夜光塗料だったのかな・・・ ナゼ、「眼(ガン・ゲン)=目+艮=め・まなこ」なんだろう・・・ 「eye=アイ」・・・ 「胡孫眼=さるのこしかけ=猿の腰掛け」? 胡(えびす・コ・ウ)の 孫(まご・ソン)の 眼(め・まなこ・ガン・ゲン) 「猿の腰掛け」・・・無柄で傘が棚状になる茸(きのこ)の総称 「猿滑=さるすべり=百日紅=紫薇」じゃぁない・・・ ーーーーー 猿目・・・???・・・眼玉がデッカイのは「シュメール」人?
大英博物館(youtube) https://www.youtube.com/watch?v=g4tfiOP8Qkw 「シュメール(アッカド語 Šumeru)は、メソポタミア(イラク・クウェート)南部を占めるバビロニアの南半分の地域、またはそこに興った最古の都市文明・初期のメソポタミア文明とされ、チグリス川とユーフラテス川の間の間に栄えた・・・ シュメール人は自らを 「ウンサンギガ=黒頭の民」・・・有無算木(纂義)臥? (シュメール語 ùĝ saĝ gíg-ga・発音uŋ saŋ giga) 「黒頭の民」と呼び、・・・黒陶の民?=山東省 竜山鎮城子崖遺跡から発見 その土地を 「キエンギ(シュメール語 ki-en-ĝir15 ・・・亀=キ=己・・・玄武=蛇+亀=北・北極? 生縁起? 君主たちの地)と呼んでいた」 「シュメール」=アッカド人により用いられた異称 アッカド語の「シュメール」・・・主瞳重留? 「メソポタミア南部のシュメール人地域」の方言 「キエンガ=カンガ」・・・亀円画・漢河=天河 シュメールとは単に言語学的な概念・・・? 「言語学的シュメール人」・・・? シュメール語は孤立した言語であり 近縁関係にある言語をもっていない・・・? シュメールの 言語、文化、外見も 周囲のセム系の民族とは異なっていた シュメールの 男子像を見る限り 大きく彫りの深い目・・・・・・・・・・アイヌ? 高い鼻 巻き毛で髭が多い など セム系と変わりないような 容貌をした像もあり・・・「混血」が著しかった・・・ 民族系統は未だ謎・・・セム系と変わりない アッカド王朝以前の遺跡の シュメール人の容貌 剃髪し 彫りの浅い 髭のない 傾向が多く・・・ アッカド人とは区別できる・・・ 創世記では洪水後 シナル(シュメール地方)に住み・・・シナル=支那留(流)? 「東からやってきた人々」とされ・・・東から=中国+極東 言語的また容貌的観点から モンゴロイドである可能性・・・アイヌ・・・? シュメール人は 征服民か移住民・・・ 移住の時期 地理的な起源 などは不明 シュメール人は メソポタミア平原の出自・・・
↓↑ シュメール文明後 アッカド バビロニアの支配 バビロニアが ペルシャ帝国に併合されて シュメール人が姿を消すまで続いた・・・ (Wikipedia) ーーーーー ・・・シュメール文化 紀元前4000年~紀元前3901年まで ↓↑ 紀元前5000年~紀元前3000年 仰韶(ギョウショウ・ヤンシャオ)文化 黄河文明で彩陶と呼ばれる土器が有名 黒の彩陶で人面、動物、および幾何学模様を作成
半坡陶符(ハンハ トウフ)文字・・・半端(頗)ないッテ? 国西安市の半坡遺跡から出土 新石器時代の 文字に近い形態の記号の一種・・・漢字の起源? 半坡陶符(ハンハ トウフ)文字は シュメール文字に類字(類似)している・・・「麦」の文字
↓↑ シュメール農業 灌漑農業 灌漑は 羽根つるべ・運河・水路・堤防・堰・貯蔵庫 を使って行われた ↓↑ シュメールの神々 地母神ナンム 愛の女神 イナンナ or イシュタル 風神エンリル 雷神マルドゥク ーー↓↑ーー
ウル第三王朝(3rd dynasty of Ur) 紀元前22世紀~紀元前21世紀 ウルの軍事司令官 ウル・ナンムが自立し 前22世紀末に ウル第三王朝を建国 ウル・ナンムは 神殿の建築や運河の建設 ウル・ナンム法典を定めた この法典は のちに 古バビロニア王国でまとめられる ハンムラビ法典に影響を与えた 第2代シュルギの時代までに 行政機構が確立 王権の神格化も進んだ 王朝は アムル人やエラム人の侵入に苦慮 シュルギ王 シュ・シン王 は侵入を防ぐために防壁を設けた ↓↑ 紀元前2004年(or紀元前1940年) シュ・シンの息子 イビ・シン王の時代に エラムが侵攻するとウルは陥落 エラム人によって王は東方へ連行され ウル第三王朝は滅亡 後 都市国家バビロンは アムル人の影響下に置かれ 紀元前1830年 バビロン第1王朝が誕生 紀元前18世紀に 第6代の王 ハンムラビが メソポタミアを再統一 アッシュールは 紀元前1813年 アムル人の シャムシ・アダド1世が 古アッシリア王国の エリシュム2世を破って新王に即位 が ヒッタイトの台頭に押された 中アッシリア王国の時代 当初は フルリ人の ミタンニ王国勢力圏下に置かれたが アッシュール・ウバリト1世の治世に ミタンニ王国の影響下を脱し バビロニアを征服して 古代オリエントの一大勢力となった・・・ 歴代君主 ウル・ナンム(前2113頃~前2096頃) シュルギ (前2095頃~前2048頃) アマル・シン(前2047頃~前2038頃) シュ・シン (前2037頃~前2030頃) イビ・シン (前2029頃~前2006頃) ・・・「ジッグラト=ジグラート(英語 Ziggurat アッカド語 ziqqurat) 古代メソポタミアで 日乾煉瓦を用い数階層に組み上げ 建てられた巨大な聖塔(高い所)」 シュメール語でジッグラトを表す語は 「エ・ウ・ニル(驚きの家・高い所)」 ・・・高木神=高皇産霊尊 =高御産巣日神 =別天津神の一柱 別天津神(ことあまつかみ) 天地開闢にあらわれた 五柱の神々(古事記) =2番目に生まれた神 =八百万神に先駆け 天之御中主神 神産巣日神とともに 最初に高天原に成りました神 造化三神の一神 子に 思金神(おもいかね) 栲幡千千姫命(たくはたちぢひめ) ↓↑ 天照大神の御子神 天忍穂耳命(あめのおしほほみ)が 高御産巣日神の娘 栲幡千千姫命と結婚し 生まれたのが 天孫-邇邇芸命 高木神=高皇産霊尊 =高御産巣日神 は 天孫邇邇芸命の外祖父 高良山=高皇産霊神(高牟礼神)が鎮座 高牟礼山と呼ばれていた ・・・「警告・避難・安全」の場? ↓↑ ↓↑ ウルのジッグラト(エ・テメン・ニグル) 紀元前2100年頃 ウル第三王朝のウル・ナンムが建造 規模は 第一層が底面62.5m×43m、高さ11m ・・・外壁基底部に 瀝青(コールタール)塗装で防水塗装 ↓↑ ↓↑ 第二層が底面38.2m×26.4m、高さ5.7m 最上部に月神ナンナを祀る神殿 ↓↑ ↓↑ ドゥル・シャッルキン(コルサバード) 紀元前八世紀末 アッシリア帝国時代 サルゴン2世によって建造 基部が長方形であったウルのジッグラドとは異なり 各辺が約43mの正方形の基部 中心部の周りを左回りに螺旋状に 七回巻く傾斜路によって頂上に達する 傾斜路の幅は1,8m 正方形の基部と螺旋状の傾斜路の構造は 新バビロニア時代の バビロンの ジッグラト(エ・テメン・アン・キ)と同様 四層までの外壁に 下部からそれぞれ 白、黒、赤、青の彩色が確認 青は瀝青(コールタール)・・・ ーーーーー エ・テメン・アン・キ・・・ 「重・出莬(菟=月)・安・基」? (シュメール語 Etemenanki) 天と地の基礎となる建物・・・という意味 シュメール人が建設を開始し、工事が中断 それを カルデア人の・・・軽皇子=珂瑠皇子=文武・孝徳天皇 孝徳天皇二年(大化二年)春正月甲子朔 (西暦646年)の「改新の詔」に基づく政治改革 新バビロニア王国時代の 紀元前7世紀末に ナボポラッサル王が再建に着手 紀元前6世紀前半に その長男 ネブカドネザル2世王の時に完成 バビロンの マルドゥク神殿(エサギラ)の・・・丸(円)度得矩・重差規等? 中心部に築かれたジッグラト(聖塔)・・・字通具等斗 底面約91m×約91m、 高さ約90~91m(高さは推定)の 7層建て 各層が七曜を表し 1階が土星、2階が木星、3階が火星 4階が太陽、5階が金星、6階が水星 7階が月であった バビロニアの天文学で 地球から遠い順に 「土星・木星・火星・太陽・金星・水星・月」 と考えられていた 各層には神室があり 頂上(7階)には 神殿(至聖所)があった・・・ ↓↑ シェーンコレクション (ノルウェーの実業家 マーティン・シェーン(Martin Schøyen) が 設立した書物収集団体)が所有する 紀元前604年〜562年頃の 黒い石碑に刻まれた碑文と絵と バビロンの遺跡に残る遺構から判明・・・ ーーーー ・・・だから、ナニ・・・ 「ベルリンの壁」は1989年11月9日に 崩壊させた「平和の壁(Peace Wall)」 北アイルランドの首府ベルファスト(Belfast)には カトリック系住民と プロテスタント系住民の居住区を隔てる壁がある・・・ この21世紀の現代に ネタニヤフ(1949年10月21日)も壁を延々と・・・ 己丑(癸・辛・己) 甲戌(辛・丁・戊) 甲申(己・壬・庚) 午未=空亡 ・・・金属製の靴の中に入ったデザートを 安倍夫妻に出した・・・ナゼ? 同類の トランプ(1946年6月14日) 丙戌(辛・丁・戊) 甲午(丙・ ・丁) 己未(丁・乙・己)⇔戊午(丙・ ・丁) 子丑=空亡 アメリカ不動産で資本を貯め込んだ 彼が「アメリカ白人労働者」の権利を護るなどとは有り得ない ・・・「ラジウム・ガールス」・・・ ・・・多分、彼は米国人ではないカモ・・・? 「侵入を防ぐために防壁」を設け続けている・・・ 城壁の有る都市はイズレ陥落する・・・ 「悪貨は良貨を駆逐する」のは自然なんだが・・・? ↓↑ ↓↑ ・・・・
・・・まさか、謀略事故?・・・「日本時間午後5時50分ごろ、台湾東部の宜蘭県で台湾鉄道の特急列車が脱線事故」?!・・・2018年10月21日(日)、今夜はここ蝦夷地ではハッキリ「十三夜の月」が観える二十一時・・・「十三夜」と「栗(くり)名(な)月(つき・ゲツ⇔月)」、「月=肉(にく・ジク)=舟(ふね・ふな・シュウ・シュ)」・・・「月=ゲツ=解通」?・・・「月=ガツ=臥通」・・・「月=つき・づき=尽・搗・突・撞・衝・着・点・築・槻・付・憑」?・・・「十三夜」が金曜日と重なる時はあるのか?・・・「栗(西+十+八)=リツ・リ・くり・おののく・きびしい・ブナ科の落葉高木・栗子・おそれる・おののく・きびしい・栗烈・異体字は「傈・𡨓・㮚・𣗴・𣡷・𣡼・凓・慄・𠘍・𢢙・𤠫」・繁体字は「凓・慄」・・・戦慄」・・・「名(夕+口)=メイ・ミョウ・な」、異体字は「命・䫤・詺・銘」・・・耶蘇教・基督教・吉利支丹・切支丹・・・
ーーーーー 十三夜の月 ・・・栗名月・豆名月⇔円ではない 満月ではない 歪んでいる形の 満月の二日前の月 楕円・勾玉形? 十三夜とは 十五夜の約一ヶ月後に巡ってくる月 旧暦の9月13日頃の月 新暦では10月の中旬から下旬ごろ 「後の月(のちのつき)」 「二夜の月(ふたよのつき)」・・・似よる之(の・シ)通記? などの異名・・・ ーーーーー https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%88%E3%83%A9 ↓↑
イワーン=イーワーン・・・・・・・・磐武・意倭務・違和武? (ペルシア語 eyvān アラビア語 īwān 英語 Iwan) イスラーム建築 一方が完全に開き 三方が壁で囲まれ 柱がない大空間で・・・「柱=命」が無? 天井がアーチ状・・・・「鴉蛙地(知)」? ・・・日月知・・・ となっているホール・・・穴・孔・坑・阿那・阿奈 ハトラ神殿 ハトラ・・・鳩羅・斑鳩?・・・ハ虎・葉寅?・・・壬申の乱? (アラム 語 Ḥaṭrā アラビア語 al-Ḥaḍr) 座標 北緯35度35分17秒 東経42度43分06秒 ハトラ(イラク) アルケサス朝・・・有る化指す? パルティア・・・・葉瑠出意蛙 の領内にあった ハトラ イラク北部のモースル州の南西約100km サルサル・ワジ川・・・猿・申・沙流・和字選? 猿ヶ森砂丘(別名、下北砂丘、青森県) 「鳥取砂丘・猿ヶ森砂丘・庄内砂丘 石狩砂丘・志多見砂丘」 のほとりの 砂漠地帯・・・・・・・鳥取or陸奥(猿ヶ森砂丘) 都市遺跡 ハトラの太陽神殿には イワーン形式の建物 パルティア帝国の主要都市 ↓↑ パルティア(前247年~後224年) 古代イランの王朝 アルサケス朝(アルシャク朝)とも アルサケス朝パルティア と表記も 前3世紀半ば 中央アジアの遊牧民の族長 アルサケス1世(アルシャク1世・・・有る差化州・有る釈) によって建国 ミトラダテス1世(ミフルダート1世)・・・見虎-伊達-州? 在位、前171年~前138年 以降 イラク、トルコ東部、イラン トルクメニスタン・・・・・取る句女似州譚? アフガニスタン西部 パキスタン西部 の西アジアの範囲を支配 住民の多くは セム系の アラム人やアラブ人 イラン系の人々も住んでいた 前1世紀以降 ローマと衝突 アルメニア・・・有る女似蛙? や シリア・・・・・「知り・尻・臀・私利・後」を蛙(かえる)? メソポタミア バビロニア の支配を巡って争った 紀元116年~198年の間 ローマ軍の攻撃 117年 トラヤヌス帝は・・・・・・・虎殺怒州綴? ハトラの近郊までやってき指揮・・・後、撤退 ↓↑ 116年のトラヤヌス帝 216年のカラカラ帝 の襲撃をも退けた ハトラだったが 末期には 王位継承を巡る内乱の中で 自立した ペルシスの支配者 アルダシール1世(在位226年~240年) によって滅ぼされ サーサーン朝ペルシアによって征服・破壊 ↓↑ NHKTV 1984年 ↓↑ パルミラの「女王」 ゼノビア(ラテン語 Zenobia Iulia (or Julia) Aurelia Zenobia」 公文書には「Bat-Zabbai=Al-Zabbaの娘の意味」 「戦士女王(Warrior Queen)」 3世紀の パルミラ王国の「女王」 パルミラにある ギリシア語・パルミラ語合璧碑文では パルミラ語(アラム語パルミラ方言)で 「最も傑出した敬虔なる女王 セプティミア=バト=ザッバイ」 273年・・・⇔卑弥呼(生年不明~242年~248年) ↓↑ 景初二年(239年)12月 卑弥呼、難升米らを魏に派遣 正始元年(240年) 帯方郡から魏の使者 詔書、印綬を奉じて 倭王に拝受 正始四年(243年)12月 大夫の伊聲耆、掖邪狗ら八人を 復遣使として魏に派遣 掖邪狗らは率善中郎将の印綬を受けた 正始六年(245年) 難升米に黄幢を授与 ↓↑ 正始八年(247年) 倭は載斯、烏越らを帯方郡に派遣 狗奴国との戦いを報告 魏は張政を倭に派遣 難升米に詔書、黄幢を授与 卑弥呼死亡 男王が立つが、国が混乱 卑弥呼の宗女 「壹與・臺與」を 13歳で王に立て鎮定 ↓↑ 秦始二年(266年)・・・266年 倭の女王の使者が朝貢(晋書) 287年(三国史記) 倭軍が新羅に攻め入り ↓↑ 一礼部(地名)を襲撃して火攻め パルミラ王国瓦解 ガリア帝国も ローマへ統合した アウレリアヌス の凱旋式でローマ市内を引き回された ゼノビアは黄金の鎖で自らを縛り その美貌と威厳をローマ市民に示した・・・ 凱旋式の後 ローマ国内の ティブル(ティヴォリ)の ウィッラ・ハドリアナの近郊に 高級な別荘(ヴィラ)を与えられ 社交界で活躍し贅沢に暮らした ゼノビアは ローマの元老院議員 と再婚し、数人の娘にも恵まれ 娘達もローマの貴族と結婚した・・・ ゼノビアに勝利した アウレリアヌス(275年暗殺)・・・秦始二年(266年) ・・・275年⇔266年=秦始二年・壹與=臺與 275-266=9 よりも長く生きた・・・ アウレリアヌス・・・合う例理鴉(蛙)奴主? ↓↑ パルミラ・・・・・・原見等・原観羅・葉留見等? ベル大神殿・・・・・部留 ↓↑ 2018/10/21 13:50 あの日 あのとき あの番組 失われた街をたずねて~ シルクロード・シリアの旅 人類共通の遺産・世界遺産が 内戦やテロで危機にさらされている NHK特集のシリーズ 「シルクロード」に 記録された在りし日の 遺跡や暮らしから、 平和について考える ーーーーー アッシュール(アッカド語 Aššūrāyu アッシリア語 ašsur) アッシリアの 最初の首都となった チグリス川西岸の都市 それを中心とする地域 その主神 現在のイラクの カラト・シャルカト サラーフッディーン県に位置 ↓↑ アッシュール 「都市アッシュール」 それを中心とした地域で「アッシュールの地」 それらを守護する「アッシュール神」が 同一の名前 粘土板文書では 発音されない限定符によって 三者が区別 ↓↑ 都市アッシュール 𒌷(ウル)・𒀸𒋗𒁺 𐎹(アッシュール)と表記 ↓↑ アッシュールの地 𒀸𒋗𒁺 𐎹(アッシュール)・𒆠(キ)と表記 ↓↑ アッシュール神 アッシュール市そのものが神格化された神 配偶神は ムリッス女神 (バビロニアの エンリル神の 配偶神 ニンニル)・・・人似る? ↓↑ サルゴン二世・・・・「沙流・猿・申」+「言」? (BC721~705) アッシュール神が世界創造時からの神 エヌマ・エリシュにおいて アヌ (メソポタミア神話)の父とされる アンシャルと習合された アンシャルが選ばれた理由は 名前の類似による・・・「名前の類似」デス・・・? ↓↑ 次代の センナケリブ(BC704~681)により行われた アッシュル至上主義的宗教改革により マルドゥク・・・丸(円)度得句=360度 のものであった エヌマ・エリシュ 新年祭などでの主神の座を奪い 名実共に最高神の地位に就く ↓↑ 治世のほぼ20年間 バビロンより奪われた マルドゥク神像は アッシュール市に留め置かれ バビロニアでは 新年際が開催されることはなかった 𒀭(ディンギル、en:Dingir)・・・出音義留? ・ 𒀸𒋗𒁺 𐎹(アッシュール) と表記 ↓↑ 紀元前14世紀後半から アッシュール-ナシルパル2世・・・ナシルパル=名詞留葉流 の世まで 新アッシリア国王の都市 アッシュールナシルパル2世によって 紀元前883年に カルフ(ニムルド)・・・軽附(似武留土) へ首都が移された後は イシュタル(イシス) と アッシュールの神殿とともに アッシリアの宗教的な重要性を維持し続けた ↓↑ アッシュールは シン・シャル・イシュクン の治世の紀元前614年に 新バビロニアの ナボポラッサル と メディア王国の キュアクサレス2世 の連合軍によって征服された ーーーーー ・・・???・・・
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