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理解「出来る」のかな、「出切る」のかな・・・・「日本語文」・・・?

2022/12/14・水曜日・・・追加添文・・・

昨日は

ドカ雪の後で大雨・・・・1メートルを超える積雪が溶けて消滅しつつあったが・・・

今日は細雪・・・  冬・・・コゴエル・・・

橋の下での蓆(筵・莚・むしろ)小屋での茣蓙で寝るコジキはツライょッ・・・

坊主の修行には「こつじき(乞食)」があるけれど・・・

「雪の女王・冬将軍」はダレに加担するんだか

・・・「ブリゴジン」・・・「ワグネル」・・・殺人集団・・・

くたばれッ、「腐汚塵」・・・


 ・・・理解「出来る」のかな、「出切る」のかな・・・・「日本語文」・・・?

 敵国条項(Enemy Clauses、または旧敵国条項)  国際連合憲章の条文において、  「第二次世界大戦中に連合国の敵国であった国(枢軸国)」  第53条、第77条、第107条の3ヶ条のこと  国際連合憲章第2章では主権平等の原則をうたっており、第53条第1項前段では地域安全保障機構の強制行動・武力制裁に対し安保理の許可が必要であるとしている。  しかし、第53条第1項後段(安保理の許可の例外規定)と第107条(連合国の敵国に対する加盟国の行動の例外規定)では、  第二次世界大戦中に「連合国の敵国」だった国が、  戦争により  確定した事項に反したり、  侵略政策を再現する行動等を起こしたりした場合、  国際連合加盟国や  地域安全保障機構は  安保理の許可がなくとも、  当該国に対して  軍事的制裁を課すことが容認され、  この行為は制止できないとしている。  また、第53条第2項では  「本項で用いる敵国という語は、   第二次世界大戦中に   この憲章のいずれかの   署名国の敵国であった国に適用される」  としているが、  具体的にどの国がこれに該当するかは明記されていない。  日本国政府の見解では  日本、ドイツ国(ドイツ連邦共和国)、イタリア王国(イタリア共和国)、ブルガリア王国(現ブルガリア共和国)、ハンガリー王国(現ハンガリー)、ルーマニア王国(現ルーマニア)、フィンランド共和国がこれに該当すると解釈している。  つまりアメリカ合衆国・グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国・フランス共和国・ソビエト社会主義共和国連邦(現ロシア連邦)・中華民国(現中華人民共和国)を含む  51の原署名国の  敵国である。  ・・・現在も「国連」の「敵国」である「敗戦国・日本」が「国連の財源」をどんだけ担っているんだか・・・  ・・・そして、その「シンネン」を「国際人」として実行したのが「緒方貞子」さん、だった・・・

ーーーーー  枕草子  (一二一段)・・・百二十一段・佰弐拾壱段・壱弐壱段・陌念壱段           1+2+1=4=四=肆           1×2×1=2=弐=仁  冬は・・・・・・ふゆ・附諭・付喩・譜愉・阜由・不輸          トウ・問う・等・当・頭・唐・藤・答  いみじく・・・・意味字句  さむき。・・・・作務記・作務衣・作務着          作務衣(さむえ)は、禅宗の僧侶が務め、          雑事(作務)を行うときに着る衣         「作務衣」          本来、作務を行う時に着るもの          僧侶が寺院の管理維持するために着用          作業着          現在の形の作務衣は          明治以後・・・ ーーーーー

 雨が降ったり止んだり、日が射したり・・・ジャガイモ十ヶ、キュウリ三本、トマト二ヶ・・・芙蓉の花が五、薔薇四・・・「シルビア」だと思っていたのはどうやら「むくげ(槿・尨毛・無垢花)」?・・・去年も花図鑑で調べたハズだけれど・・・スグ忘れる・・・「悪(アク)」=「亜(あまねし・ア)+心(こころ・シン)」がナゼ「わるい・にくい」んだか・・・「亜父(アフ・アホ)」に訊いてみたい・・・ブログのTV番組表をみたら以前見た「アンダー・サスピション・UNDER SUSPICION」を再放送したらしい・・・「容疑・疑い・いぶかり・arouse suspicion=疑惑を招く」・・・容疑者の「ジーン・ハックマン」が最期に「冤罪」から解放される、と言う「映画」だったが・・・モノガタリのプロセスで「男女=夫婦」の仲が、信頼関係が、目茶目茶、滅茶苦茶に壊されていく・・・「めでたくない結末」・・・アメリカからのニュースでは「男性歯科医」の下で10年間助手として勤めていた女性が「美人で魅力的」であることを理由に解雇され、裁判訴訟を起こしたが・・・女性の敗訴になったそうである・・・「美人で魅力的な女性」は「家庭の夫婦仲」を壊す要因として認められた・・・?・・・立場が逆になっても・・・? ーーーーー  枕草子  (一一九段)・・・百十九段・壱佰壱拾九段・壱壱九段・佰足玖段           1+1+9=11=十一=壱拾壱=足壱           1×1×9=9=九=玖  繪に・・・・・・・「え・重・獲・得」似            絵=糸+会            繪=糸+會(あう・エ・カイ)                ↓類字                曾(かって・ひい・ソウ・ゾ)                曾=曽                曹(ソウ・ゾウ)・遭(あう・ソウ)                曹操・遭遇→曹禺(萬家宝・劇作家)                   樊噲(ハンカイ)                   范増(ハンゾウ)→鴻門の会                  (亜父・アフ・アホ)       かきて・・・・・・・掛記出・書き手・化記出・下記出  おとる・・・・・・・音留  もの・・・・・・・・物(牛になる勿れ              鶏口となるも牛後となる勿れ)              経口となるも偽諭語となる勿れ              蛍光となるも戯遊誤となる勿れ              傾向となるも義愉互となる勿れ              うしになるなかれ              有視爾名留納化例 ーーーーーーーーーーーー↓牛=(ノ-)+(十)→丑(チュウ)        易経六十四卦        其牛掣。其人天且(鼻+リ)。无初有終。        よのひかるるをみる        そのうしひかれ        そのひとかみ(きられ)・・・・?        かつ        はなきらる        はじめなくおわりあり         ↓        車が引き戻され、        牛も引き止められて進めず        髪を(切られ)、・・・・?        鼻を切られるような        憂き目に遭う        火沢目癸        其牛掣。其人天且劓。无初有終。         ↓        六三        輿の曳かるるを見る。        其の牛、掣(とどめ)られ・・・掣=制+手        其の人、天(かみき)られ・・・天がカミ切られ?                 「切られ」はここに記されていない                 その人、天(上)に(昇り)                 その人、上位にあり                 であろうが・・・「髪」ではない        且            且=かつ・しばらく・とりあえず・くわえて        劓(鼻リ=はなきらる)。                 「劓=鼻切」の切が「且」で                  一文字の                 「天」に「切」が                  懸かって接続しているとは                  無理である・・・                  「天=カミをキラレ」は                  拡大解釈である・・・        初め无くして終り有り。・・・・結果、よし         ↓        見輿曳、・・・輿は「地図」でもある        其牛掣、        其人天        且       「鼻+刀」        無初有終         ↓        輿=牛車        曳=ひく        見輿曳        睽(目+癸)=そむく・逆らう        掣=ひきとめる・違う方向に行く ーーーーーーーー↓睽=目+癸         目が意符         癸が音符         癸(キ)は乖(キ・カイ)の借音         目を乖ける(そむける)         転じて         乖離する・異なる・違(たがう)・・・?         乖(キ)であったとしても「癸」の漢字は         癸(ミズのト)→水が撥(は)ねるで         目の水が撥(は・揆)ねるで、         なみだ(泪・涙・涕)が         目からハジケ出る様であろう         癸の字は「揆(はかる)」、「月経」の意味も・・・?        「揆度(キド・きたく)」         推測する・推し量る・推理・推測        「揆度优劣=優劣を推測する              揆度时势=時勢を推し量る」        「揆」=やり方・方法・はかる・はかりごと        「揆度(きたく)」=やり方        「一揆」=「揆(き)を一 (いつ)にする」         (「孟子・離婁下」)        「説文解字」の説明        「冬時は水土平かにして、揆度すべきなり。         水の四方より流れて地中に入るの形に象る。         癸は壬を承く、人足に象る」         ミズノトはミズノエを継承し、人足にカタチどる          ↓         水の途(都・河川)は         雨水(天雨)から継続、継承し、         (字形)は川渡しの「人足=人の足」とする         天竜川の由来         古くは        「麁玉川・広瀬川」、その後、        「天の中川・天竜川」と呼ぶようになった・・・        「三方ヶ原の戦い」の前哨戦         武田信玄、天竜川渡河阻止のため、         家康が3,000軍勢で         天竜川を渡河         武田軍先鋒馬場信房隊が        「一言坂」で殿軍の本多忠勝、大久保忠佐を攻撃         小杉左近も本多隊の後方で攻撃         家康本隊と殿軍は全軍撤退          ↓         信濃川と呼ばれているのは新潟県域         長野県は         千曲川(ちくまがわ)と呼称が変わる         新潟湾に注ぐ         河口は         阿賀野川河口に近く、信濃川は新潟の地で         合流して河口を共有していた・・・らしい・・・          ↓揆・癸(みずのと・水野賭・視ず能登)?         冬の時期には田畑を平らかに         均(ならし)し、         耕(たがや)し、         四方から水を引き入れる・・・だろう・・・         溌剌(ハツラツ)         撥(バチ・はねる・かかげる)         撥(ばち)=弦楽器(三味線・琵琶)等の弦をハジク               引っ掛け離し、打つヘラ状の道具           桴・枹(ばち・フ・Percussion mallet)は           打楽器(太鼓)を叩く棒         四絃一撥 (シゲンイッパツ)         弦楽器の弦が一斉に掻き鳴らされ、         絹を裂くような物悲しげな音を立てること         撥雲見日 (ハツウンケンジツ)         暗雲に晴れ間の陽射し         心配事が払拭され希望がみえるような様子         撥雲見天 (ハツウンケンテン)         撥乱反正 (ハツランハンセイ)         乱を撥(おさめ)て正に反(かえす)・・・?         乱発を反正で、「撥(おさめる)」ではないだろう        「撥」は「百姓一揆」の「撥=揆」で、         水飢饉状態での支配者暴政への叛乱であるが         打開策の陳情、要請が始まりであった・・・         発=發=ハツ・ホツ・たつ・ひらく・あばく         撥=揆は         雨露、沼沢、小川の象徴         伝統・努力・学問・ 知恵を意味する         象形は刃が四方に出た武器         回転させ用いるもので、回って元に戻るの意        「癸」は「發」で        「癶(はねる・ハチハツ)」に合字は「」        「癶+天」と        「癶+弓(ゆみ・キュウ)殳(ほこ・シュ・ズ)」の         違いである         類字は「葵(あおい)=徳川家家紋」である         ↓        睽(ケイ)=六十四卦の第三十八番目の卦        内卦(下)が兌        外卦(上)が離        で構成        兌の少女と離の        中年女とが目を叛(そむ)け争う        西の九紫・卦象としては・・・?        睽=小事吉        初九、悔亡。喪馬勿逐、自復。見悪人无咎。        九二、遇主于巷。无咎。        六三、見輿曳。其牛掣。其人天且劓。无初有終。        九四、睽孤。遇元夫、交孚。无咎。        六五、悔亡。厥宗噬膚。往何咎。        上九、睽孤。見豕負塗、載鬼一車。           先張之弧、後説之孤。           匪寇婚媾。           往遇雨則吉。        ・・・どっか(何処か)へ、出かけて           雨降りに遭うは吉・・・?        ・・・その度合い、程度はヒトによる・・・        「癸(ミズのト)」が慈雨であればイイのだけれど・・・        雨、雨、降れ降れ、かぁサンが・・・        雨、雨、降れ降れ、もっと降れ        私のイイヒト、連れて来い・・・ ーー↓         瞿麥  (なでしこ)。・・・なでしこ・撫子            瞿麦(クバク・グバク・キョクバク)            蘧麦(キョバク)            瞿=おそれる・みる・ク・グ・キョク              懼れる=恐れる・恐怖            瞿=目+目+隹(ふるとり・スイ)            麥=麦(むぎ・バク・ハク・ミャク)            麥=來+夂=麦=主+夂(おくれる・チ)           「瞿麥=ナデシコ=瞿麦」と           「撫子」は「意味」も違う・・・だろう           「草の花はなでしこ、            唐のはさらなり            やまとも、めでたし」・・・?            カワラナデシコ(河原撫子)は、            ナデシコ、ヤマトナデシコの異名            ナデシコ属の学名で           「園芸品種=ダイアンサス・Dianthus」            秋の七草の一            伊勢ナデシコ            薬用、            開花期の全草を瞿麦(クバク)、            種子を乾燥したものを瞿麦子(クバクシ)            利尿作用や通経作用に効く            カーネーション (D.caryophyllus L.) も            ナデシコ属である。            セキチク(石竹)            別名に            カラナデシコ、            コウアンナデシコまたは            モウコナデシコ ーー  さくら。・・・・・・作句等  山吹。・・・・・・・やまぶき・埜真部記  物語に  めでたし  と  いひたる  男・・・・・・・・・音拠  女の・・・・・・・・音名之  かたち。・・・・・・掛他知 ーーーーー  ・・・モノガタリに「メデタシ」と「イイタル男女のカタチ」が・・・「おとる(劣る)」で「面白くない」んだ・・・モノガタリの男女の結末に嫉妬しているのか・・・?・・・「劣等」・・・「列島」・・・  ・・・「メデタクない」のは「オトらない」のか・・・「優等」・・・「有等・佑等・夕等・友等・悠等・遊蕩・友党・雄踏・勇等・由等・右等・由宇等・U等・熊等・酉等・邑等・結う等・・・言う等」・・・?



 ・・・「あべ=安倍・安部・安陪・阿部・阿倍=阿毎」の字形の「変貌閑却(観客)」は「布施・布制」・・・「偏旁冠脚」とは・・・「宀・女・イ・咅・阝・可・ノー・毋毌母」・・・「阝(こざと・阜=おか・フ)」、「阝(おおざと・邑=むら・くに・ユウ)」の「可(べき・カ)」・・・「可謬主義(Fallibilism)・・・「知識についてのあらゆる主張は、原理的には誤りうる」、「知識が絶対に確実であることは不可能」・・・ならば、「誤謬主義」であるな・・・「可=カ・よいべし・よい・よろしい・可否・不可・優良可・可決・許可・裁可・認可・できる・なし得る・可視・可能」・・・加納・叶・嘉納・狩野・叶野・・・化膿・・・「阝」は「Β・B(ビィ)・Β・β(ベタ)」に類似する・・・けれど・・・「阜」を小さな丘、丘陵としたのは「阝」の字形を左に横倒した「∩∩=丘」に見えたから・・・だろう・・・サイトウドウサン・・・は、信長のギフであった・・・  「垂(たれ・スイ)・ 繞(しなやか・まとう・めぐる。まつわる・ニョウ・ギョウ)・構(かまえ・コウ)」・・・「水の入行・水の入口・水の入貢」・・・「足(たり)」の「入港・入行・入稿・入貢」・・・ ーーーーー  枕草子  (一二〇段)・・・百二十段・佰弐拾段・陌弐足段・百念段           1+2+0=3=参           1×2×0=0=零  かき・・・・化記  まさり・・・真作理・磨詐裏  する・・・・諏留  もの・・・・摸之・模埜  松の・・・・真通廼        松=木(十八)+公(ハム)  木。・・・・記  秋の・・・「安芸・亜紀・安岐・蛙記」之        秋=禾(ノ木)+火(ハ人)  野。・・・・埜・乃・埜・廼・能        野=里+マ+ア  山里。・・・耶摩詐賭        纂裏・纂理  山路。・・・耶摩字        路=足+各  鶴。・・・・通留        カク・書く・化句  鹿。・・・・史家・詩化・志賀・詞華・詞花・詩歌・歯科 ーーーーー  ・・・壱百弐拾段・・・イチ飛躍(比訳)、念、拾う譚(探・談)

・・・いつまで・・・やるんだか・・・


 「国連」の「事務総長」は「加盟連合諸国家」の「事務総長」ではないらしい・・・「虚句憐事無躁長」で、「韓国の番長」なんだろう・・・国際連合事務総長(Secretary-General of the United Nations)・・・イャぁ~、名は人を顕すと言うが「潘基文」・・・「藩(ハン)」は 「かき・かこい」で、江戸時代の政治体制で各地方領主の支配領域だが・・・中国では「県令」・・・だが「潘(ハン)」は「しろみず・うずまき・あふれる」である・・・英語が「water in which rice has been washed」ならば「米の白い砥ぎ汁」だな・・・流すには勿体無い・・・半島支配階級の北も南も「日本人」には理解できない「指導層・インテリ」が多い・・・ソウ簡単には「水に流せない新羅の指導者」なのだろう・・・「潘=氵(水)+番(ノ米田)」で、「ミズのバン」である・・・歴史的な「日本の支配階級」の「血縁出自」は「大陸」と「半島」である。その枠での「血縁の怨恨」である。どばっちりを受けているのも、受けてきたのも「血筋」に限れば「原住民=縄文人」である・・・  「舞台上」の「国家の政治支配」連中とは、木戸銭を払って升席に座る「観客」には「善人、悪人」も「どうにも、し難い連中」であるが、単なる「舞台上の役者」である。役者も生活を懸けての演技だが、登場人物を操っているのが「脚本家」、それらを養っている「スポンサー」が「支配階級」・・・「金の使い方」、「人の使い方」をヨクヨク「勉強」しないと彼等も豪華なソファーには踏ん反りかえるコトができないのだろう・・・ ・・・国際連合憲章(Charter of the United Nations)の「略称はUN Charter」・・・「Charter」は「章」である・・・「Charter」がナゼ「憲章」と「漢字訳」されるんだか・・・ ーー  charter  国王または政府発行の設立勅許状、特許状  団体本部が出す支部設立許可、土地譲渡証書  特権・特免  ・・・「相互契約」の  「契約書(a contractan agreementa promise)」、  「契約する(contract        《to do, with somebody for something         [doing]》make)」ではないらしい・・・ ーー  「日本語訳は日本の外務省によるもので正文や公定訳文ではない(日本語訳が必ずしも正確ではないと見なされる)」とウイッキペデアには記されている。「日本語訳が必ずしも正確ではないと」とすると、「正しい日本語」ってナンだ?・・・「日本語」には「正しいモノがない」んだろう・・・「コトバの意味既定」が曖昧である、と言うことに尽きる・・・「民間団体」=「non-governmental organizations」=「非政府組織」=「NGO」・・・ナニが違うのか・・・「文字」も異なるし、「音声」も異なっている。「意味内容」はどうか・・・内容理解度は「読む人の勝手」だが・・・その「内容」は「支配者の意思」である・・・ ーー  前文  われら連合国の人民は、  われらの一生のうちに  二度まで  言語に絶する悲哀を  人類に与えた戦争の惨害から  将来の世代を救い、  基本的人権と  人間の尊厳  及び  価値と  男女  及び  大小各国の  同権とに関する  信念をあらためて確認し、  正義と条約その他の  国際法の源泉から  生ずる  義務の尊重とを維持することができる  条件を確立し、  一層大きな  自由の中で  社会的進歩と  生活水準の向上とを促進すること、  並びに、このために、  寛容を実行し、  且つ、  善良な隣人として  互に平和に生活し、  国際の  平和  及び  安全を維持するために  われらの力を合わせ、  共同の利益の場合を  除く外は  武力を用いないことを  原則の受諾と  方法の設定によって確保し、  すべての  人民の経済的及び社会的発達を促進するために  国際機構を用いることを  決意して、  これらの  目的を達成するために、  われらの  努力を結集することに決定した。  よって、われらの各自の政府は、サン・フランシスコ市に会合し、  全権委任状を示してそれが  良好妥当であると認められた  代表者を通じて、  この国際連合憲章に  同意したので、  ここに国際連合という  国際機関を設ける。 ーー  国際連合憲章第29条  補助機関  安全保障理事会は、その任務の遂行に必要と認める補助機関を設けることができる。(Article 29)  The Security Council may establish such subsidiary organs   as it deems necessary for the performance of its functions.  この規定に基づき、  1993年には  旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所が、  1994年には  ルワンダ国際刑事裁判所が  安全保障理事会の決議に基づいて設置された。 ーー  国際連合憲章第9章  第55条  目的  人民の同権及び自決の権利の原理の尊重に基礎を置く諸国民間の平和的且つ有効的関係に必要な安定及び福祉の条件を創造するために、高裁連合は、次のことを促進しなければならない。  a.一層高い生活水準、完全雇用並びに経済的   及び社会的進歩及び発展の条件  b.経済的、社会的及び保健的国際問題と関係国際問題の解決   並びに教育的国際協力  c.人種、性、言語又は宗教による差別のない   すべての者のための   人権及び   基本的自由の普遍的な尊重及び遵守 ーー  第57条  専門機関  政府間の協定によって設けられる各種の専門機関で、経済的、社会的、分家的、教育的及び保健的分野並びに関係国際分野においてその基本的文書で定めるところにより広い国際的責任を有するものは、第63条の規定に従って国際連合と連帯関係をもたらさなくてはならない。  この第57条と経済社会理事会に関する  第10章の第63条の規定に従って  国際連合の各専門機関が設けられている。 ーー  ・・・理解「出来る」のかな、「出切る」のかな・・・・「日本語文」・・・? ーー  敵国条項(Enemy Clauses、または旧敵国条項)  国際連合憲章の条文において、  「第二次世界大戦中に連合国の敵国であった国(枢軸国)」  第53条、第77条、第107条の3ヶ条のこと  国際連合憲章第2章では主権平等の原則をうたっており、第53条第1項前段では地域安全保障機構の強制行動・武力制裁に対し安保理の許可が必要であるとしている。  しかし、第53条第1項後段(安保理の許可の例外規定)と第107条(連合国の敵国に対する加盟国の行動の例外規定)では、  第二次世界大戦中に「連合国の敵国」だった国が、  戦争により  確定した事項に反したり、  侵略政策を再現する行動等を起こしたりした場合、  国際連合加盟国や  地域安全保障機構は  安保理の許可がなくとも、  当該国に対して  軍事的制裁を課すことが容認され、  この行為は制止できないとしている。  また、第53条第2項では  「本項で用いる敵国という語は、   第二次世界大戦中に   この憲章のいずれかの   署名国の敵国であった国に適用される」  としているが、  具体的にどの国がこれに該当するかは明記されていない。  日本国政府の見解では  日本、ドイツ国(ドイツ連邦共和国)、イタリア王国(イタリア共和国)、ブルガリア王国(現ブルガリア共和国)、ハンガリー王国(現ハンガリー)、ルーマニア王国(現ルーマニア)、フィンランド共和国がこれに該当すると解釈している。  つまりアメリカ合衆国・グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国・フランス共和国・ソビエト社会主義共和国連邦(現ロシア連邦)・中華民国(現中華人民共和国)を含む  51の原署名国の  敵国である。  ・・・現在も「国連」の「敵国」である「敗戦国・日本」が「国連の財源」をどんだけ担っているんだか・・・  ・・・そして、その「シンネン」を「国際人」として実行したのが「緒方貞子」さん、だった・・・ ーーーーー  枕草子  (一二一段)・・・百二十一段・佰弐拾壱段・壱弐壱段・陌念壱段           1+2+1=4=四=肆           1×2×1=2=弐=仁  冬は・・・・・・ふゆ・附諭・付喩・譜愉・阜由・不輸          トウ・問う・等・当・頭・唐・藤・答  いみじく・・・・意味字句  さむき。・・・・作務記・作務衣・作務着          作務衣(さむえ)は、禅宗の僧侶が務め、          雑事(作務)を行うときに着る衣         「作務衣」          本来、作務を行う時に着るもの          僧侶が寺院の管理維持するために着用          作業着          現在の形の作務衣は          明治以後・・・ ーーーーー  ・・・冬ですか・・・コゴエル・・・橋の下での蓆(筵・莚・むしろ)小屋での茣蓙で寝るコジキはツライょッ・・・坊主の修行には「こつじき(乞食)」がある・・・



 昨夜は豪雨と雷・・・今朝は晴れていたので洗濯し、外に干し、しばらく本を読んでいた・・・10数年も前に名古屋の大須観音前の古本屋で2、3百円で買った「天保騒動記・青木美智雄著・昭和54年(西暦1979年)2月25日・三省堂発行」の再読・・・その間、雨がふりだしたのにも気がつかず・・・「秋の空」でもない「夏の空」なのに・・・「一二二段・夏は世にしらずあつき」・・・濡れた洗濯物を取り込んで5分もしないうちに晴れ間・・・「平成騒動期」も末期に近いが・・・  「天保騒動記」を再読しながら、「日本の空洞化現象の本質」が記されているように思える・・・日本国内の農村の空洞化は人口減、そして日本産業の産業都市の空洞化は資本の国外投資・・・人も資本も「カネの産む方へ流れる」のは当然である。今や世界規模で余った「資本」も「労働力」も「儲け」を追って動き回っているが、その「資本も労働力」もイズレは「現地」と利害対立するのは当然である・・・それに、江戸時代は「村」と「町」の「概念」が「人口」の多寡だけではなく、「村=農業地=百姓」、「町=商工業地=商工人」と区別され、その行政方法も明確に「区別」されていた・・・  「世事見聞録」・・・以下はスベテ、ブログ記事からの部分抜粋し、少々改作して添付したもの・・・ ーー  「世事見聞録(せじけんぶんろく)」  江戸後期の記録  七巻  著者は「武陽隠士」  本名・経歴不明  武蔵南部に隠棲した旗本クラスの武士、  御三家または親藩に仕えた浪人、  吉原付近に住み,公事師を業としていた者  ではないかという説・・・があるらしい・・・  成立は  文化十三年(1816年)ころ  内容は、意味字句、文字どおり・・・  「世事見聞」の随筆記録  武士・百姓・町人・被差別民  寺社・医業・陰陽道・盲人・公事訴訟・遊里・芝居  など・・・  ・・・高利貸も・・・  「世事見聞録」における  武士感覚や  儒教倫理には  元本が利息を生む  貨幣経済の「高利貸し資本(家)」は嫌悪された ーー  「世事見聞録」は  「武陽隠士」が  文化13年(1816年)に  江戸時代の社会風俗の実情を、  怒りをこめて書き上げた・・・?  将軍は  徳川十一代  家斉  「寛政の改革」を断行した  松平定信は、4年前に老中を辞任 ーー  この本「世事見聞録」は、  青蛙房(せいあぼう)が  昭和41年(1966年)に新装版として出版  3500円也・・・当時の本の価格・・・当時、ボクがプラスチック加工工場でしていたアルバイトの「時給が87円也」・・・道理に構はず、「損益利欲の事のみ」・・・の価格・・・ダレが買えたんだか・・・ ーー  「世事見聞録」  ・・・邪悪の智恵深きゆゑに、己が欲情を二重にも三重にも隠して工み謀りし事ども多く、善悪正邪正急に見分け難く、吟味逸々(いちいち)に手間取るなり・・・  ・・・御当地は武士を相手取りて訴訟すること容易に出来る故、少しのことも大騒に申立て出づる事なり・・・  ・・・双方五分づつの失なる時は、先づ武士が負け、町人が勝つなり。勿論武士は十の内九ツまで利屈宜しくとも、後の一ツに利欲の筋あれば、その一ツにして負くる事なり。依つて少しばかりの利欲拘りたる事にて、従来の大恩を請けし武士を、町人が取つて落す事あり。武士は兼ねて恩をあたへ置きしとても、その恩を余りて過失の供入りにもならずして、負けて仕廻ふなり・・・  ・・・江戸・京・大坂そのほか繁花の地の町人遊人等は、居ながら公事出入りを致し、いさゝかの事をも奉行所へ持ち出して埒を明くるなり。殊に手代など遣ふ程の身上なるものは、己れは病気と称して手代を出し、又は公事師(くじし)などいへるものを雇ひて名代(みょうだい)を出し、公事の懸引を打ち任せ置き、己れ病気と奉行所を偽りながら、その日一日家内に慎み居るにもあらず、私用または遊興の事に他出いたし、公儀を恐るゝ気色少しもなし。  また公事師などといへるものは、  奉行所の  懸引き功者にて、この事を申し立つればこれに響き、彼れを押す時はこれに落著するなど、  上を謀り相手を犯し、  吟味役人に怖ぢ恐るゝ真似方の気にて、  さも実明に見せ、その容体よくよく役人の気に入り、  進退押し引きその図に当り、  方便虚偽をはかるなれど、  通して遺し置く程の事になりて、  終には白きを黒きといひ紛らして  勝をとる事にするなり。  また関東の国々、別けて江戸近辺の百姓、公事に出ることを心安く覚え、また常に江戸に馴れ居て  奉行所をも恐れず、  役人をも見透し、  殊になにかの  序に兎角  江戸へ出たがる曲ありて、  やゝともすれば出入りを拵(こしら)へ、  即時に江戸へ持ち出し、  また道理の前後も落著の詰りもよくよく弁へて、  心強く構へたるものなれども、  遠国の百姓は中々左様のことにあらず・・・ ーー↓  公事師(くじし)  江戸時代に存在した訴訟の代行を業とした者  出入師(でいりし)   公事買(くじかい)などとも呼ばれる。  明治期に  代言人制度を経て日本における  弁護士制度の源流となった  現在の  「事件師」にあたるもの・・・? ーー↓  事件屋(じけんや)とは弁護士の資格をもたずに、他人の揉め事や争い事に介入し、金銭的利益を挙げることを生業とする裏稼業の俗称である。  広義における事件屋とは、  倒産整理屋や  サルベージ屋なども含む。  狭義の意味では、  単に交通事故などにおける  示談屋を生業にする者を指す。  問題を解決するにあたって手段は合法、非合法を問わない。  また隙があれば依頼人も標的にする。 ーー↓  江戸時代、「出入師・公事買」などとも呼ばれた  非合法の訴訟代理業者。  訴訟当事者の依頼を受けて  訴訟技術を教示し、  書面の代書を行い、  内済(ないさい)=和解の斡旋」をするほか、  当事者の親族、奉公人、町村人あるいは  町村役人などを偽称して出廷し、  訴訟行為の代理ないし補佐を行って礼金を得、  また古い借金証文や売掛帳面などを買い取り、  相手方が訴訟による失費や手間をいとい  内済すると見通して出訴するなど、  裁判・訴訟に関する知識や技術を  利用したさまざまな行為を稼業とした。  江戸時代、  民事訴訟の代行を業とした者。代言人。  奉行所公認の代書業として  公事宿がある。  その職務はおおむね、訴訟技術の伝授、代筆にとどまったが、実際には公認の有無の差しかなかったとも言われ、公事宿の主人・下代が公事師まがいの行為をしていることはもちろんあった。  「公事三年」という諺があるほど裁判には時間がかかる。その為地方から出てきた訴訟人が年単位で公事宿に滞在することも珍しくはないという。  また裁判を長引かせ宿に滞在させたり、依頼者に多額の礼金を要求したり、証文を捏造するなど、こうした悪徳な公事宿は数多く存在していた・・・らしい・・・「悪徳弁護士」が多いョなッ・・・  「腐敗、堕落」、そして「詐欺(詐偽)と強盗」は「カネ社会文明文化」の「仇花」・・・「絢爛豪奢」はダレのモノの「文化」か・・・  イャ~ァッ、山の裾野までの黄金色の稲穂・・・見事に波打っているけれど、個人農家の機械化による大規模農業・・・「人民公社」、「ソホーズ・コルホーズ」の「失敗」の原因は・・・「強制」と「収奪」・・・「プチブル国家」はナニを目指すべきか・・・ ーーーーー  枕草子  (一二二段)・・・百二十二段・壱佰弐拾弐段・壱弐弐段・陌念弐段           1+2+2=5=五=伍           1×2×2=4=四=肆  夏は・・・・なつは・名通葉・納津波        カは・化葉・掛葉・加葉・歌葉        ゲは・解葉・外葉・気葉・下葉・毛葉  世に・・・・よに・与爾・代爾・余爾・預爾・誉爾        ヨに・「夜・輿・與・四・予・豫」爾  しらず・・・視等事・示等・白州・白洲・白砂・白子・新羅事  あつき。・・亜通記・亜通紀・厚保記・厚木・厚着 ーーーーー  ・・・「公事師(クジシ)」は「公事詞・公事史」で、「句字師」だろう・・・

「故事師」はどうか・・・


 あはれなるもの・・・って?・・・ナニ?・・・「主観的な感情」・・・「シャボン玉」、「アブク」・・・「泡(あわ)」、「沫」、「粟」、「安房」、「阿波」・・・「ア割れ」、「蛙話例」・・・  地名の「安和(あわ)」の漢字には、土佐高知県須崎市「安和(あわ)」、沖縄県名護市「安和(あわ)」もあれば「安陪(あぶ)」もある・・・  以前にも書き込んだが「安和(あんな)」は、日本元号・・・「康保」の後、「天禄」の前。「968年から970年」までの期間、「968年(康保五)八月十三日」改元。時代の天皇は「冷泉天皇=憲平親王」、「円融天皇=守平親王」、「円融天皇」のライバルは「為平親王」で、左大臣「源高明」の娘の婿である・・・「礼記」の「是故治世之音、安以楽其政和」からの出典らしいが・・・「憲平→為平→守平」・・・ ーー↓  安和元年(968年)  八月、京辺の山野の盗賊を追補する。  安和二年(969年)  三月、安和の変により、  左大臣  源高明が大宰権帥に左遷され、  これにより  藤原氏の圧倒的支配体制が整う ーー事件  安和二年(969年)三月二十五日  左馬助  源満仲と  前武蔵介  藤原善時が  vs  中務少輔  橘繁延と  左兵衛大尉  源連の  謀反を密告  関白  藤原実頼は  橘繁延と僧・蓮茂を捕らえて訊問  検非違使  源満季(満仲の弟)が  前相模介  藤原千晴(藤原秀郷の子)と、  その子  久頼を一味として捕らえて禁獄  左大臣  源高明が謀反に加担していたとされ、  太宰員外権帥に  左遷、九州へ流された  橘繁延は土佐、  蓮茂は佐渡、  藤原千晴は隠岐に流刑  一年後に「源高明」は京に戻った・・・ ーー  ・・・「あんなぁ」は問いかけの前置きのコトバで、「あんなぁ、アレ、ナンだった?」、「あれだよ、あれ、アレ」・・・「話し手も聞き手も共に知っている人や事物の状態を話すさま」・・・事件、事態、状態の程度の強調で「あんなに酷いとはネッ」。「あんなもんだろう」・・・「アワレだな」・・・「アワの例」とは幕末明治に起こった事件の重なり・・・ ーーーーー  枕草子  (一二三段)・・・百二十三段・壱佰弐拾参段・陌百念参段・壱弐参段           1+2+3=6=六=陸           1×2×3=6=六=陸  あはれなるもの  孝ある人の子。・・・・孝明天皇(幼称は煕宮・諱は統仁)             木戸孝允(桂小五郎)  鹿の音。・・・・・・・史家の子・詩歌の音・歯牙の根  よき男の  わかきが  御嶽精進・・・・・・・みたけそうじ・オンゴクショウジン             ↓             吉野の金峰山に参詣しようとする者が             参詣に先立つ前行として             五十日から100日の間             写経などをすること             ↓             オンゴクショウジン             音 語句  生じん             遠 国   招じん             オンゴクセイシン             恩 国 精 神(政審・誠心・清真)             怨 国 西 進(誠真・清新・生新)    し  たる。  へだて・・・・・・・  居て  うち  おこなひ・・・・・・  たる  曉の・・・・・・・・あかつきの・亜化通紀之  ぬか・・・・・・・・ぬか・額=ひたい・ぬかずくこと・礼拝            糠・濡化・抜かる→漬かる・浸かる  いみじう・・・・・・意味字得  あはれ・・・・・・・蛙葉例  なり。・・・・・・・名理  むつ・・・・・・・・陸奥            睦            明治天皇(第122代天皇)            諱は睦仁            御称号は祐宮            お印は、永            明治大帝・明治聖帝            睦仁大帝            とも称された  ましき・・・・・・・真史記・真識・真死期  人などの・・・・・・  目・・・・・・・・・  さまして・・・・・・  聞くらん・・・・・・  思ひやり、・・・・・  まうづる・・・・・・真得事留  程の  ありさま、  いか  な  らんと  つつしみ  たるに、  平に  まうで  つき  たる  こそ  いと  めでた  けれ。  烏帽子の・・・・・えぼし・得模詞・獲母子・重墓誌  さまなどぞ  少し  人  わろき。  なほ  いみじき・・・・・意味事紀・意味時期  人と  聞ゆれど、  こよなく  やつれて  まうづと  こそは  知りたる  に、  右衞  門  佐  信賢は  「あぢきなき   こと   なり。   ただ   清き   衣を   著て   まう   でんに、   なでふ   事か   あらん、   必   よも   あしく   て   よ   と、   御嶽   のたまはじ」  とて、  三月  晦日に、  紫の  いと  濃き  指貫、  しろき、  青山吹の  いみじく  おどろ  おどろ  しき  など  にて、  隆光が  主殿亮  なるは、  青色の  紅の衣、  摺り  もどろ  かし  たる  水干袴  にて、  うち  つづき  詣で  たり  けるに、  歸る  人も  まうづる  人も、  珍しく  怪しき  事に、  「すべて   この   山道に、   かかる   姿の   人   見え   ざりつ」  と  あさまし  がりしを、  四月  晦日に  歸りて、  六月  十餘日の  程に、  筑前の  守  うせに  し  かはりに  なりに  し  こそ、  實に  いひけんに  違はず  も  と  聞え  しか。  これは  あはれなる  事  には  あらね  ども、  御嶽の  ついで  なり。  九月  三十日、  十月  一日の  程に、  唯  あるか  なきかに  聞き  つけたる  蟋蟀の  聲。  鷄の  子  いだきて  伏したる。  秋  深き  庭の  淺茅に、  露の  いろいろ  玉の  やうにて  光り  たる。  川竹の  風に  吹かれ  たる  夕ぐれ。  曉に  目覺し  たる  夜  なども。  すべて  思ひ  かはし  たる  若き  人の  中に、  せく  かた  ありて  心  にしも ーー    に    し    も ーー  任せぬ。  山里の  雪。  男も  女も  清げなるが  黒き  衣  著  たる。  二十日  六七日  ばかりの  曉に、  物語  して  居明して  見れば、  あるか  なきか  に  心細げなる  月の、  山の  端  近く  見え  たる  こそ  いと  あはれなれ。  秋の野。  年  うち  過し  たる  僧たちの  行し  たる。  荒れ  たる  家に  葎は  ひかかり、  蓬など  高く  生ひたる  庭に、  月の  隈なく  明き。  いと  荒うは  あらぬ  風の  吹き  たる。  ・・・


 雨がシトシト。今朝から寒い日・・・八月参拾日・・・長い「段」だなぁ~・・・原文を貼り付けて・・・考え込んでしまう・・・「三百二十三段(323-124=199)」まで「壱百九拾九段」もある・・・上り詰めることが出来るのか、どうなのか・・・「蝦夷拾遺」は「青島俊蔵政教(�樊起・のりおき)」の関わった著書・・・  以下はブログ記事からの抜粋で改作添付したもの・・・ ーー↓  青島俊蔵の「蝦夷拾遺」  アイヌの民俗から自然、人文、地理などが詳しく報告され、ロシア人に関しても大部な報告がされ、ロシアの歴史やロシア語まで収録され、禁制のキリスト教、ギリシャ正教などを紹介。  この報告書は幕府からまったく無視され、後に彼が処分される理由となった。  青島俊藏は  松本伊豆守の家来  「平賀源内」の弟子  蝦夷探検の任務にあたっていたが、任務が中断され青島は最上徳内と松前藩に残務処理を行ったうえ、江戸にもどって御用御免となり探査に参加した部下もすべて浪人となった。  青島は、その後「蝦夷拾遺」を改訂し、より詳細な報告書をまとめた。数年後にクナシリでアイヌ人の暴動が起き、青島が再起用され、最上らとともに再び蝦夷地に現地調査を行い、暴動の原因や経緯を報告。  だが、松平定信に以前の蝦夷探検こそが暴動の芽を生み出したとし、青島と最上は牢屋に繋がれ、寛政二年(1790)八月五日、青島は「遠島」を申し渡され、その後に牢中で死亡。 ーー  当時の老中  田沼主殿頭意次(とのものかみおきつぐ)の指揮で  天明五年(1785)  「最上徳内常矩」は  「青島俊藏」の「小者(こもの)」と成って蝦夷地へ渡った  初名が  「高(かう)元吉(げんきち)常矩(つねのり)」  「最上徳内常矩」の名乗りはこの時かららしく  苗字の  「高」は、  「高宮」から  「宮」を省いたモノで、  通称は「元吉」以前は  「房吉」  後に  「億内」とも言った  字(あざな)は  子員  号は  鴬谷・甑山・白虹斎  寛政二年(1790)入牢の際の吟味書に、  「羽州村山郡楯岡村百姓間兵衛倅(せがれ)」  「高宮甚兵衛」の  「第二子」とあるらしい・・・  ・・・徳内は、本田利明の家から呼出されて調(しらべ)を受け、  寛政二年  七月  十三日に、  久世丹後守は  根岸肥前守鎮衛(しづもり)と連名で、  老中  松平越中守に・・・・陸奥白河藩(松平越中守家)            九代            松平越中守定信(1758~1829)  吟味書を上(たてまつ)り  越えて  八月五日に事件の判決を下した  「其方儀(そのはうぎ)   不埒(ふらち)の筋も   無之候間(これなくさふらふあひだ)   無構(かまひなし)」・・・無罪・・・  ・・・「候間=候あいだ」の「間」は「・・・であるので」で、「理由の説明」であるらしいが・・・?・・・「候(そうろう)=です・ます」・・・「間」は「天智天皇」の妹で、「孝徳天皇」の皇后の名は「間人皇女(はしひとのひめみこ)」の「間(あいだ・すきま・はざま・ま・カン・ケン)」である・・・「一間 =6尺」は計量法施行法(昭和二十六年法律第208号)第5条第1号においても踏襲・・・同時に「1尺=(10/33)メートル」と定められ、「一間=約1.818189メートル」・・・「あひだ」は「亜非拿・亜披打」だろう・・・?・・・あるいは「間→ま→真」・・・「間(あひだ)=門(モン)+日(ヒ)」→「英田(あいだ)」・・・ハザマでゴザロウ・・・ ーー↓  同名の異著の「赤蝦夷風説考」  最上徳内の    「赤蝦夷風説考」  巻頭に「最上徳内常矩著、本田三郎右衛門利明訂」  本文は徳内の話しを聞き取って  「本田利明」が書いたモノらしい  仙台藩の医者  「工藤平助」の同名の著「赤蝦夷風説考」  双方の内容は「赤蝦夷=ロシア」を意識するモノで、まったく別モノではないが・・・ロシアが本々「赤」とは「ウオッカ」の呑み過ぎで「ハナ」が赤かったせい・・・だろう・・・ ーー  「蝦夷土地開発愚存之大意」の末尾に  「北夷」、「本田利明」の  「二印」を捺した  本田利明の  自筆本らしいモノが、  史料編纂所の  所藏する  「向山誠齋」の「誠齋雑記」中に  合綴(ゴウチョウ)されているらしい・・・ ーー  「工藤平助」の「赤蝦夷風説考」  明五年(1785)の  「蝦夷地検分」はこの書が動因  「風説考」の大要は、  露国南進の対応策として  蝦夷地の開発  ロシア交易 ーー↓  勘定奉行  松本伊豆守秀持は、  勘定組頭(くみがしら)  土山宗次郎孝之に意見書を求め  「風説考」と合せて、  天明四年(1784)六月  老中  田沼主殿頭意次    (とのものかみおきつぐ)に提出した  天明五年  山口高品(たかたゞ)  庵原宣方(いはらのりかた)  皆川秀道  佐藤行信  青島褹起(のりおき)  等の  五有司の蝦夷地派遣  有司派遣目的  蝦夷地の産業と  露国に対する国防との調査  山宗次郎は、  天明三年(1783)に  平秩東作(へづつとうさく)を・・・?経ヅツ→盗作・倒錯・藤作  内密に蝦夷地の調査させていた  山口等は二年に亙つた調査の大要を纏めて、  天明六年(1786)十一月  「蝦夷拾遺・四巻」を著した  書名は  「新井白石」の  「蝦夷志」の修補  天明六年(1786)十月の  「蝦夷拾遺」には、  「佐藤行信」の序文のあるものもあり、  別に  「青島俊藏」の  天明八年(1888)六月の  附言並びに別巻のものもある  文化五年(1808)に  この書を手写した  会田安明は  「自在漫録・第五巻」の中に、  「蝦夷拾遺」と同別巻とは、  「青島俊蔵」共に作るとしている ーー  「蝦夷拾遺」は結局  「松本伊豆守秀持」の逼塞(ひつそく)のために、  検討されなかった・・・  徳内は単身奥羽に下り、再び蝦夷に渡つた・・・   蝦夷地は寒い雪国ではある・・・ナッ・・・ ーーーーー  枕草子  (一二四段)・・・百二十四段・壱佰弐拾四段・陌念肆段・壱念肆段           1+2+4=7=七=漆           1×2×4=8=八=捌  正月に寺に籠りたるはいみじく寒く、雪がちにこほりたるこそをかしけれ。雨などの降りぬべき景色なるはいとわろし。  初瀬などに詣でて、局などするほどは、榑階のもとに車引きよせて立てるに、帶ばかりしたる若き法師ばらの、屐といふものをはきて、聊つつみもなく下り上るとて、何ともなき經のはしうち讀み、倶舎の頌を少しいひつづけありくこそ、所につけてをかしけれ。わが上るはいとあやふく、傍によりて高欄おさへてゆくものを、ただ板敷などのやうに思ひたるもをかし。「局したり」などいひて、沓ども持てきておろす。衣かへさまに引きかへしなどしたるもあり。裳唐衣などこはごはしくさうぞきたるもあり。深沓半靴などはきて、廊のほどなど沓すり入るは、内裏わたりめきて又をかし。  内外など許されたる若き男ども、家の子など、又立ちつづきて、「そこもとはおちたる所に侍るめり。あがりたる」など教へゆく。何者にかあらん。いと近くさし歩み、さいだつものなどを、「しばし、人のおはしますに、かくはまじらぬわざなり」などいふを、實にとて少し立ち後るるもあり。又聞きも入れず、われまづ疾く佛の御前にとゆくもあり。局にゆくほども、人の居竝みたる前を通り行けば、いとうたてあるに、犬ふせぎの中を見入れたる心地、いみじく尊く、などて月頃もまうでず過しつらんとて、まづ心もおこさる。  御燈常燈にはあらで、うちに又人の奉りたる、おそろしきまで燃えたるに、佛のきらきらと見え給へる、いみじくたふとげに、手ごとに文を捧げて、禮盤に向ひてろぎ誓ふも、さばかりゆすりみちて、これはと取り放ちて聞きわくべくもあらぬに、せめてしぼり出したるこゑごゑの、さすがに又紛れず。「千燈の御志は、なにがしの御ため」と僅に聞ゆ。帶うちかけて拜み奉るに、「ここにかうさぶらふ」といひて、樒の枝を折りて持てきたるなどの尊きなども猶をかし。犬ふせぎのかたより法師よりきて、「いとよく申し侍りぬ。幾日ばかり籠らせ給ふべき」など問ふ。「しかじかの人こもらせ給へり」などいひ聞かせていぬるすなはち、火桶菓子など持てきつつ貸す。半挿に手水など入れて、盥の手もなきなどあり。「御供の人はかの坊に」などいひて呼びもて行けば、かはりがはりぞ行く。誦經の鐘の音、わがななりと聞けば、たのもしく聞ゆ。  傍によろしき男の、いと忍びやかに額などつく。立居のほども心あらんと聞えたるが、いたく思ひ入りたる氣色にて、いも寢ず行ふこそいとあはれなれ。うちやすむ程は、經高くは聞えぬほどに讀みたるも尊げなり。高くうち出させまほしきに、まして鼻などを、けざやかに聞きにくくはあらで、少し忍びてかみたるは、何事を思ふらん、かれをかなへばやとこそ覺ゆれ。  日ごろこもりたるに、晝は少しのどかにぞ、早うはありし。法師の坊に、男ども童などゆきてつれづれなるに、ただ傍に貝をいと高く、俄に吹き出したるこそおどろかるれ。清げなるたて文など持せたる男の、誦經の物うち置きて、堂童子など呼ぶ聲は、山響きあひてきらきらしう聞ゆ。鐘の聲ひびきまさりて、いづこならんと聞く程に、やんごとなき所の名うちいひて、「御産たひらかに」など教化などしたる、すずろにいかならんと覺束なく念ぜらるる。これはただなる折の事なめり。正月などには、唯いと物さわがしく、物のぞみなどする人の隙なく詣づる見るほどに、行もしやられず。  日のうち暮るるにまうづるは、籠る人なめり。ばらの、もたぐべくもあらぬ屏風などの高き、いとよく進退し、疊などほうとたておくと見れば、ただ局に出でて、犬ふせぎに簾垂をさらさらとかくるさまなどぞいみじく、しつけたるは安げなり。そよそよとあまたおりて、大人だちたる人の、いやしからず、忍びやかなる御けはひにて、かへる人にやあらん、「そのうちあやふし。火の事制せよ」などいふもあり。  七つ八つばかりなる男子の、愛敬づきおごりたる聲にて、さぶらひ人呼びつけ、物などいひたるけはひもいとをかし。また三つばかりなるちごのねおびれて、うちしはぶきたるけはひもうつくし。乳母の名、母などうち出でたらんも、これならんといと知らまほし。  夜ひと夜、いみじうののしりおこなひあかす。寐も入らざりつるを、後夜などはてて、少しうちやすみ寐ぬる耳に、その寺の佛經を、いとあらあらしう、高くうち出でて讀みたるに、わざとたふとしともあらず。修行者だちたる法師のよむなめりと、ふとうち驚かれて、あはれに聞ゆ。  また夜などは、顏知らで、人々しき人の行ひたるが、青鈍の指貫のはたばりたる、白き衣どもあまた著て、子どもなめりと見ゆる若き男の、をかしううちさうぞきたる、童などして、さぶらひの者ども、あまたかしこまり圍遶したるもをかし。かりそめに屏風たてて、額などすこしつくめり。顏知らぬは誰ならんといとゆかし。知りたるは、さなめりと見るもをかし。若き人どもは、とかく局どもなどの邊にさまよひて、佛の御かたに目見やり奉らず、別當など呼びて、打ちささめき物語して出でぬる、えせものとは見えずかし。  二月晦日、三月朔日ごろ、花盛に籠りたるもをかし。清げなる男どもの、忍ぶと見ゆる二三人、櫻青柳などをかしうて、くくりあげたる指貫の裾も、あてやかに見なさるる、つきづきし男に、裝束をかしうしたる餌袋いだかせて、小舎人童ども、紅梅萌黄の狩衣に、いろいろのきぬ、摺りもどろかしたる袴など著せたり。花など折らせて、侍めきて、細やかなるものなど具して、金鼓うつこそをかしけれ。さぞかしと見ゆる人あれど、いかでかは知らん。打ち過ぎていぬるこそ、さすがにさうざうしけれ。「氣色を見せましものを」などいふもをかし。  かやうにて寺ごもり、すべて例ならぬ所に、つかふ人のかぎりしてあるは、かひなくこそ覺ゆれ。猶おなじほどにて、一つ心にをかしき事も、さまざまいひ合せつべき人、かならず一人二人、あまたも誘はまほし。そのある人の中にも、口をしからぬもあれども、目馴れたるなるべし。男などもさ思ふにこそあめれ。わざと尋ね呼びもてありくめるはいみじ。 ーーーーー  ・・・勝手に音読、「不埒(ふらち)の筋も無之候間(これなくさふらふあひだ)無構(かまひなし)」・・・

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