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申せ=モウゼ=モーゼ・・・ラモウゼ・・・等モウゼ?


2022/4/25・月曜日・・・追加添文・・・

覶モウゼ・・・「申命記」・・・「猿(さる)」と「申(さる)」との混同

「サルの命の記」・・・

猨女(宇受女・天鈿女命)

猿田彦(青面金剛明王)=庚申=猨田毘古神・・・

「三尸の虫」・・・庚申講・庚申待・・・徹夜・・・

 ・・・「すると、主が、驢馬(ろば)の口を開かれたので、驢馬(ろば)はバラムにむかって言った、「わたしがあなたに何をしたというのですか。あなたは三度もわたしを打ったのです(22:28)」」・・・「驢馬」=「馬+盧(ロ・ル)→盧(虍田皿)」→「毘盧遮那(サンスクリット語、Vairocana(ヴァイローチャナ)」の音訳で「光明遍照( こうみょうへんじょう)」、「毘盧舎那仏」とも表記され、「盧遮那仏・遮那仏」とも記録・・・  「摩訶毘盧遮那仏」、「大毘盧遮那仏(Mahāvairocana=マハー・ヴァイローチャナ)」、聖武天皇の発願の天平十七年(745年)に制作開始、天平勝宝四年(752年)に「開眼供養会」・・・奈良の東大寺の「毘盧舎那仏」で、「大日如来」である・・・「盧」の類字は「蘆=芦・葦・あし」と「鸕(う・ロ)=鵜(う)」である・・・  「大日如来」の原型とは古代エジプトの「アトン神」であろう・・・  「鸕(う・ロ)=鵜(う)」とは  「鸕野讃良(うのさらさ)   菟野沙羅羅   鸕野讃良(うののさらら)   和風諡号は   高天原広野姫   大倭根子天之廣野日女尊  (おほやまとねこあめのひろのひめのみこと)=持統天皇」  であった・・・「ねこ(ネコ・根子)」である・・・  持統天皇  大化元年(645年)~大宝二年十二月二十二日(703年1月13日)  「大海人皇子」が「壬申の乱」勝利後、  「天武二年正月」に  「鸕野讃良皇女」が皇后になった。  子は  「草壁皇子」、  孫が  「文武天皇(珂瑠王子・軽皇子)   倭根子(ねこ)豊祖父」、  曾孫が  「聖武天皇(首皇子)」、  玄孫が  「宝字称徳孝謙皇帝     称徳孝謙天皇   阿倍内親王   高野天皇(高野姫天皇)   倭根子(ねこ)天皇」・・・「ねこ」である。  ↓↑   親   子   孫  曾孫(ひまご・ソウソン)=孫の子(三代後)  玄孫(やしゃご・ゲンソン)=曾孫の子(四代後)  来孫(ライソン)=玄孫の子(五代後)  昆孫(コンソン)=晜孫=来孫の子(六代後)  仍孫(ジョウソン)=昆(晜)孫の子(七代後)  雲孫(ウンソン)=仍孫の子(八代後)   ↓  「子子子子子子子子子子子子」は、  「ねこのここねこ、ししのここじ し  (猫の子子猫、獅子の子子獅子)」  問題を提出  「嵯峨天皇」・・・諱は「神野(賀美能・かみの)」           死刑を廃止           桜見の公式行事           元号は「大同・弘仁」           父は「桓武天皇」           母は「藤原乙牟漏             (ふじわら の おとむろ」  回答者  「小野篁」・・・小野岑守(陸奥守)の長男・副遣唐大使          唐へ渡航に失敗・三度目の航海を拒否  むかし、どこかの大学試験の設問にも出された・・・愚問?・・・「十二の子」の漢字羅列・・・  この時代の日本史は「改竄」された・・・?・・・記録自体が暴露されることを示唆している・・・「乙牟漏」である・・・  「鼠(ねずみ)」の天敵は「猫(ねこ)」である。穀物ならず、記録された「パピルスの紙」も、木造建築も齧(かじ)り、伝染病、疫病の病原菌を媒介運搬するのが「鼠」である・・・「改竄」の「竄」は「宀」+「鼠」である・・・  「ねこ(猫)」は古代エジプト王の名前(ネコ・ネカウ)」でもあり、古代エジプトの「猫神=バステト(Bastet)は猫の女神・ハトホル女神の化身=ラー(太陽神)の瞳(夜光性の目)=聖地は下エジプト第18ノモス=ヘビの首をはねる雌ネコ神」でもあった・・・   ↓  アッシリアと結んでいた  「ネコ(ネカウ)1世」は、  第25王朝(前664~656年)頃の  最後のファラオであった  タヌトアメンを支持して侵入してきた  クシュ(ヌビア)=エチオピア  の軍勢によって殺害   ↓  このヌビア(クシュ・クシ)勢の  ナイル川デルタ地方への侵攻は、  アッシリアの反攻に遭い、  アッシリア勢は  上エジプトへと  南進してテーベを陥れた。   ↓  エジプトを再統一し、  ファラオとして  第26王朝(サイス朝)を開いたのは、  「ネコ(ネカウ)1世」の  息子である  プサメティコス1世(プサムテク1世)  その後を継いだのが  孫の  「ネコ(ネカウ)2世」   ↓  第22王朝 (ブバスティス) (リビア朝・前773~767年頃)の  八代目(or 七代目)の王は  「パミ」  または  「ペマウ」という名前  ネコをあらわす古代エジプト語「マウ(Mau)」の派生・・・?  「マウ」は「ミャァ」、「ニャァ」に訛ると思うが・・・「マウ」なら、もろ「マウス(ねずみ)」の「チュウ、チュウ」と・・・互換された?・・・「ネコ」と・・・紀元前701年、第25王朝(ヌビア王朝)の「シャバタカ」の治世第2年に「野ネズミの大軍がアッシリア軍の軍営を襲い、弓と盾の取ってを齧(かじ)って敗走させた」・・・?   ↓↑  第22王朝の首都「ブバスティス(猫神の都)」とは  古代名で「バスト」・・・「バ」は共通項だが・・・  ペルシャ軍は「猫」でエジプトに勝利した・・・「バステト神」と結びついて崇められるようになる第22王朝時代・・・「紀元前525年、ペルシアのカンビセスはエジプトの前哨地ペレシウムに侵攻。彼は、盾に「猫」を貼り付け、「猫神」崇拝のエジプト兵は、戦闘放棄して敗走・・・  バステト(猫)神崇拝は紀元390年、禁令・・・  ・・・とにかく、飼い猫の「原産地」はエジプト・・・ ーーーーー

 なぜ、  「ラモーゼ」  を  「モーゼ」と重ねて考えないのだろう?  ボクの知りうる情報は限られているが・・・  以下はブログ記事からの「コピペ」・・・   ↓  「ラモーゼ」  アメンホテプ三世  アメンホテプ四世  の時代のエジプト宰相  父は  ネビィ  母は  アプヤ  父はデルタ地帯の  アメン神殿の穀物の管理者  妻は  メリエトプタハ  二人に子供はいなかった・・・  「ラモーゼ」が  アメンホテプ三世に仕えた頃、  彼の墓の製作にかかった・・・  後  アメンホテプ四世(アクエンアテン)が  アマルナに遷都、  ラモーゼも  アマルナに転居  墓は  未完のまま放棄・・・・・未完で使用されなかった?  墓は  1879年  ビリー・スチュワートにより発見  スチュワートは  1882年  墓を再調査  後  ガストン・マスペロ  が研究  1924年  ニューヨークメトロポリタン美術館の  ロバート・モンドによって  現在の状態に復元   ↓ ーーーーー  旧約聖書  民数記 第21章 21:1 時に ネゲブ に住んでいた カナンびと アラデの王は、 イスラエルが アタリム の道をとおって来ると聞いて、 イスラエルを攻撃し、 そのうちの数人を捕虜にした。 21:2 そこで イスラエルは主に誓いを立てて言った、 「もし、  あなたがこの民を  わたしの手にわたしてくださるならば、  わたしは  その町々を  ことごとく滅ぼしましょう」。 21:3 主はイスラエルの言葉を聞きいれ、 カナンびとをわたされたので、 イスラエルは そのカナンびとと、 その町々とをことごとく滅ぼした。 それでその所の名は ホルマ と呼ばれた。 21:4 民は ホル山 から進み、 紅海の道をとおって、 エドムの地を回ろうとしたが、 民はその道に堪えがたくなった。 21:5 民は神とモーセとにむかい、 つぶやいて言った、 「あなたがたはなぜわたしたちを  エジプトから導き上って、  荒野で死なせようとするのですか。  ここには食物もなく、  水もありません。  わたしたちは  この粗悪な食物は  いやになりました」。 21:6 そこで主は、 火のへびを民のうちに送られた。 へびは民をかんだので、 イスラエルの民のうち、 多くのものが死んだ。 21:7 民はモーセのもとに行って言った、 「わたしたちは主にむかい、  また  あなたにむかい、  つぶやいて罪を犯しました。  どうぞ  蛇(へび)  を  わたしたちから取り去られるように  主に祈ってください」。 モーセは民のために祈った。 21:8 そこで 主はモーセに言われた、 「火のへびを造って、  それを  さおの上に掛けなさい。  すべての  かまれた者が仰いで、  それを見るならば  生きるであろう」。 21:9 モーセは 青銅で一つのへびを造り、 それをさおの上に掛けて置いた。 すべてへびにかまれた者は その青銅のへびを仰いで見て生きた。 21:10 イスラエルの人々は道を進んで オボテ に宿営した。 21:11 また オボテから進んで東の方、 モアブ の前にある荒野において、 イエアバリム に宿営した。 21:12 また そこから進んで ゼレデ の谷に宿営し、 21:13 さらにそこから進んで アルノン川 のかなたに宿営した。 アルノン川は アモリびとの境から 延び広がる 荒野を流れるもので、 モアブ アモリびととの間にあって、 モアブ の境をなしていた。 21:14 それゆえに、 「主の戦いの書」 にこう言われている。 「スパ  の  ワヘブ、  アルノン  の谷々、 21:15  谷々の斜面、  アル  の町まで傾き、  モアブ  の境に寄りかかる」。 21:16 彼らはそこから ベエル へ進んで行った。 これは主がモーセにむかって、 「民を集めよ。  わたしは  かれらに  水を与えるであろう」  と言われた  井戸である。 21:17 その時イスラエルはこの歌をうたった。 「井戸の水よ、  わきあがれ、  人々よ、  この井戸のために歌え、 21:18  笏(しゃく・コツ・コチ)  と  杖(つえ)とをもって  司(つかさ)たちが  この  井戸を掘り、  民の長(おさ)たちがこれを掘った」。 そして 彼らは荒野から マッタナ に進み、 21:19 マッタナ から ナハリエル に、 ナハリエルから バモテ に、 21:20 バモテ から モアブ の野にある谷に行き、 荒野を見おろす ピスガ の頂に着いた。 21:21 ここで イスラエルは アモリびとの王 シホン・・・・・ 使者をつかわして言わせた、 21:22 「わたしにあなたの国を通らせてください。  わたしたちは  畑にも  葡萄(ぶどう)畑にも、はいりません。  また  井戸の水も飲みません。  わたしたちは  あなたの領地を通り過ぎるまで、  ただ  王の大路を通ります」。 21:23 しかし、 シホン はイスラエルに 自分の領地を通ることを許さなかった。 そして シホンは民をことごとく集め、 荒野に出て、 イスラエルを攻めようとし、 ヤハズ にきて イスラエルと戦った。 21:24 イスラエルは、 刃(やいば)で 彼を撃ちやぶり、 アルノン から ヤボク まで彼の地を占領し、 アンモンびとの境に及んだ。 ヤゼル アンモンびとの境だからである。 21:25 こうして イスラエルはこれらの町々をことごとく取った。 そして イスラエルはアモリびとのすべての町々に住み、 ヘシボン とそれに附属するすべての村々にいた。 21:26 ヘシボン はアモリびとの王 シホンの都であって、 シホンは モアブの以前の王と戦って、 彼の地を アルノン まで、ことごとくその手から奪い取ったのである。 21:27 それゆえに歌にうたわれている。 「人々よ、  ヘシボンにきたれ、  シホンの町を築き建てよ。 21:28  ヘシボンから火が燃え出し、  シホンの都から炎が出て、  モアブの  アルを焼き尽し、  アルノン  の  高地の君たち  を滅ぼしたからだ。 21:29  モアブよ、  お前はわざわいなるかな、  ケモシ  の民よ、  お前は滅ぼされるであろう。  彼は、  むすこらを逃げ去らせ、  娘らを  アモリびとの王  シホンの捕虜とならせた。 21:30  彼らの子らは滅び去った、  ヘシボン  から  デボン  まで。  われわれは荒した、  火はついて  メデバ  に及んだ」。 21:31 こうして イスラエルは アモリびとの地に住んだが、 21:32 モーセはまた人をつかわして ヤゼル を探らせ、 ついにその村々を取って、 そこにいた アモリびとを追い出し、 21:33 転じて バシャン の道に上って行ったが、 バシャンの王 オグ は、その民をことごとく率い、 エデレイ で戦おうとして出迎えた。 21:34 主はモーセに言われた、 「彼を恐れてはならない。  わたしは彼とその民とその地とを、  ことごとく  あなたの手にわたす。  あなたは  ヘシボンに住んでいた  アモリびとの王  シホンにしたように  彼にもするであろう」。 21:35 そこで彼とその子とすべての民とを、 ひとり残らず撃ち殺して、 その地を占領した。  ↓ 第22章 22:1 さて、 イスラエルの人々はまた道を進んで、 エリコ に近い ヨルダンのかなたの モアブ の平野に宿営した。 22:2 チッポル の子 バラク イスラエルが アモリびとにしたすべての事を見たので、 22:3 モアブ は大いにイスラエルの民を恐れた。 その数が多かったためである。 モアブ イスラエルの人々をひじょうに恐れたので、 22:4 ミデアン の長老たちに言った、 「この群衆は  牛が野の草を  舐(なめ)つくすように、  われわれの周囲の物をみな、  舐(なめ)つくそうとしている」。 チッポルの子 バラク はこの時 モアブの王であった。 22:5 彼は アンモンびとの国の ユフラテ川のほとりにある ペトル に使者をつかわし、 ベオル の子 バラム を招こうとして言わせた、 「エジプトから出てきた民があり、  地のおもてを  おおってわたしの前にいます。 22:6  どうぞ  今きてわたしのために  この民を  呪(のろ)ってください。  彼らはわたしよりも強いのです。  そうしてくだされば、  われわれは彼らを撃って、  この国から  追い払うことができるかもしれません。  あなたが祝福する者は祝福され、  あなたが呪(のろ)う者は  呪(のろ)われることを  わたしは知っています」。 22:7 モアブ の長老たちと ミデアン の長老たちは 占いの礼物を手にして出発し、 バラムのもとへ行って、 バラクの言葉を告げた。 22:8 バラムは彼らに言った、 「今夜ここに泊まりなさい。  主がわたしに告げられるとおりに、  あなたがたに返答しましょう」。 それで モアブの司(つかさ)たちは バラム のもとにとどまった。 22:9 ときに神は バラムに臨んで言われた、 「あなたのところにいる  この人々はだれですか」。 22:10 バラムは神に言った、 「モアブの王  チッポルの子  バラクが、  わたしに人をよこして言いました。 22:11  『エジプトから出てきた民があり、   地のおもてをおおっています。   どうぞ   今きてわたしのために   彼らを   呪(のろ)ってください。   そうすればわたしは戦って、   彼らを追い払うことが   できるかもしれません』」。 22:12 神はバラムに言われた、 「あなたは彼らと一緒に行ってはならない。  また  その民を呪(のろ)ってはならない。  彼らは祝福された者だからである」。 22:13 明くる朝起きて、 バラム バラクの司(つかさ)たちに言った、 「あなたがたは国にお帰りなさい。  主は  わたしがあなたがたと一緒に行くことを、  お許しになりません」。 22:14 モアブの司(つかさ)たちは立って バラクのもとに行って言った、 「バラムはわたしたちと  一緒に来ることを承知しません」。 22:15 バラク はまた前の者よりも 身分の高い司(つかさ)たちを 前よりも多くつかわした。 22:16 彼らはバラムのところへ行って言った、 「チッポルの子  バラクはこう申します、  『どんな妨げをも顧みず、   どうぞわたしのところへおいでください。 22:17   わたしはあなたを大いに優遇します。   そして   あなたがわたしに言われる事はなんでもいたします。   どうぞきてわたしのために   この民を呪(のろ)ってください』」。 22:18 しかし、 バラムは バラクの家来たちに答えた、 「たとい  バラクがその家に満ちるほどの金銀を  わたしに与えようとも、  事の大小を問わず、  わたしの神、  主の言葉を越えては  何もすることができません。 22:19  それで、どうぞ、  あなたがたも今夜ここにとどまって、  主がこの上、  わたしになんと仰せられるかを  確かめさせてください」。 22:20 夜になり、 神はバラムに臨んで言われた、 「この人々は  あなたを招きにきたのだから、  立ってこの人々と一緒に行きなさい。  ただし  わたしが告げることだけを  行わなければならない」。 22:21 明くる朝起きて バラムは、 驢馬(ろば)に 鞍(くら)をおき、 モアブ 司(つかさ)たちと一緒に行った。 22:22 しかるに 神は彼が行ったために怒りを発せられ、 主の使は彼を妨げようとして、 道に立ちふさがっていた。 バラムは、 驢馬(ろば)に乗り、 そのしもべふたりも彼と共にいたが、 22:23 驢馬(ろば)は主の使が、 手に 抜き身の 剣(つるぎ) をもって、 道に立ちふさがっているのを見、 道をそれて 畑にはいったので、 バラムは、 驢馬(ろば)を打って道に返そうとした。 22:24 しかるに 主の使はまた 葡萄(ぶどう)畑の間の狭い道に立ちふさがっていた。 道の両側には 石がき があった。 22:25 驢馬(ろば)は主の使を見て、 石がきにすり寄り、 バラムの足を 石がきに押しつけたので、 バラムは、また、 驢馬(ろば)を打った。 22:26 主の使はまた先に進んで、 狭い所に立ちふさがっていた。 そこは 右にも左にも、 曲る道がなかったので、 22:27 驢馬(ろば)は 主の使を見て バラムの下に伏した。 そこで バラムは怒りを発し、 杖(つえ)で 驢馬(ろば)を打った。 22:28 すると、主が、 驢馬(ろば)の口を開かれたので、 驢馬(ろば)はバラムにむかって言った、 「わたしがあなたに何をしたというのですか。  あなたは  三度もわたしを打ったのです」。 22:29 バラムは、 驢馬(ろば)に言った、 「お前が  わたしを  侮ったからだ。  わたしの手に  剣(つるぎ)があれば、  いま、お前を殺してしまうのだが」。 22:30 驢馬(ろば)はまたバラムに言った、 「わたしはあなたが、  きょうまで  長いあいだ乗られた  驢馬(ろば)ではありませんか。  わたしはいつでも、  あなたにこのようにしたでしょうか」。 バラムは言った、 「いや、しなかった」。 22:31 このとき 主が バラムの目を開かれたので、 彼は主の使が 手に抜き身の 剣(つるぎ)をもって、 道に立ちふさがっているのを見て、 頭を垂れて 平伏(ひれふ)した。 22:32 主の使は彼に言った、 「なぜあなたは  三度も驢馬(ろば)を打ったのか。  あなたが  誤って道を行くので、  わたしはあなたを妨げようとして出てきたのだ。 22:33  驢馬(ろば)は  わたしを見て  三度も身を巡らしてわたしを避けた。  もし、  驢馬(ろば)が身を巡らして  わたしを避けなかったなら、  わたしはきっと今あなたを殺して、  驢馬(ろば)を生かしておいたであろう」。 22:34 バラムは主の使に言った、 「わたしは罪を犯しました。  あなたがわたしをとどめようとして、  道に立ちふさがっておられるのを、  わたしは知りませんでした。  それで今、もし、  お気に召さないのであれば、  わたしは帰りましょう」。 22:35 主の使はバラムに言った、 「この人々と一緒に行きなさい。  ただし、  わたしが告げることのみを  述べなければならない」。 こうして バラムは バラクの司(つかさ)たちと一緒に行った。 22:36 さて、 バラクはバラムがきたと聞いて、 国境の アルノン川 のほとり、 国境の一端にある モアブの町まで出て行って迎えた。 22:37 そして バラクは バラムに言った、 「わたしは人をつかわして  あなたを招いたではありませんか。  あなたは  なぜわたしのところへきませんでしたか。  わたしは実際あなたを  優遇することができないでしょうか」。 22:38 バラムはバラクに言った、 「ごらんなさい。  わたしはあなたのところにきています。  しかし、今、  何事かを  みずから言うことができましょうか。  わたしはただ神が  わたしの口に授けられることを  述べなければなりません」。 22:39 こうして バラムは バラクと一緒に行き、 キリアテ・ホゾテ にきたとき、 22:40 バラクは 牛と 羊とを ほふって、 バラム および 彼と共にいた バラムを連れてきた 司(つかさ)たちに贈った。 22:41 明くる朝 バラクはバラムを伴って バモテバアル にのぼり、 そこから イスラエルの民の宿営の 一端をながめさせた。 ーーーーー  片仮名・・・「コンガラガッ」てしまう・・・  「笏」・・・象牙製の牙笏(げしゃく)と木製の木笏(もくしゃく)があるらしい・・・王笏(おうしゃく、sceptre、scepter)は、君主が持つ象徴的かつ装飾的な杖であり、「レガリア」の一種?・・・  「レガリア(ラテン語regalia)・リゲイリア(英語regalia)は、王権などを象徴し、それを 持つことによって正統な王、君主であると認めさせる象徴となる物品である。 天叢雲剣 などの刀剣、伝国璽などの印璽が用いられる例があるほか、西欧諸国においては王冠・ 王王笏・宝珠の3種」・・・「三種の神器」らしい・・・  「笏」=「竹+勿(なかれ・モチ・ブツ)」とは元来は裏にメモの紙片を貼り備忘に役立てたもの・・・  なるほど、「勿論(モチロン)」か・・・これは「民数記」に記録されている「12の杖」である・・・

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