知識の源泉・・・単細胞以前・・・ヴィルス以前
- Kiriya Kusaka
- 2022年10月9日
- 読了時間: 19分
更新日:2022年10月10日
2022/10/9・日曜日・・・追加添文・・・

「区別」と「差別」は同じではない
「平等」と「公平」は同じではない
↓↑
「民が主の義」・・・? 政治的な自由
表現の自由
言論の自由を認め 国民が自分たちの 代表を 選挙で選び 代表者に政治を委任 反民主な政治をすれば その是非を選挙に託す・・・
「民」とは何者なのか・・・?
アンタは「民」なのか・・・?
「前衛党」に
洗脳されている「民」に選挙or占拠させる・・・
強制されている「民」に選挙or占拠させる・・・
「前衛党」とは何者の集団なのか・・・?
「知識人」だってか・・・?
ダレが「ナンのチシキ人」なんだか・・・?
「有識人」が「倫理道徳」を有するとはかぎらない
「融資奇人(鬼人・稀人)」・・・カモ・・・かもるヤツラだろう・・・ ↓↑ Distinction and discrimination are not same. 区別と差別は同じではない Distinction is different from discrimination. 区別は差別とは違う ↓↑ 「平等」と「公平」は同じではない 「平等」・・・無条件・体力、能力、性別に於いての考慮、区別なし 「公平」・・・有条件・体力、能力、性別に於いての考慮、区別あり ↓↑ 差別と区別は違う discrimination and distinction are different ↓↑ 区別=distinction 動詞 distinguish ↓↑ 差別=discrimination 動詞 discriminate ↓↑ distinction distinguish between A and B 比較対象を並べる形で使用 ↓↑ discrimination (不利益の差別・格差・優劣・大小・損得) discriminate against C 何かを差別する対象を はっきりさせる形で使用 「何か(対象)」になった 側は不利益になる ↓↑

「市民社会」のルール・・・市(いち)の民(たみ)って、ダレ?
「市民社会」=「交換物市場」を中心とする「人々の協同体」
「市民社会」=「交換物市場」の法による警察の公安秩序維持社会・・・?
英語=civil society・・・「市毘留(シビル) 素差異定(ソ裁定)」?
市民の・民間の・民事の
ラテン語
「civis(市民)」+「-ilis(~ の)」=keiwis(社会)→key-(定住)
citadel(砦)・・・・・茶志内=チャシナイ(アイヌ語)=とりで
citizen(市民)・・・・質頭務・悉頭武?
citizenship(市民権)
city(都市)・・・市定?
civic(市の)・・・市備苦?
civilian(一般市民)・・・市毘留安?
civilization(文明化)・・・市毘頼是諸務?
civilize(開化する)・・・市毘頼是?
↓↑
「三権分立」=「三竦み」・・・にはなっていない?・・・
・・・「ぐう・ちょき・ぱぁ」の鼎でバランス・・・?
・・・「議会=立法権力(蝦蟇がえる)・社会規範、約束」
「政府=行政権力(大蛇へび)・生産活動、秩序維持、警察執行」
「裁判=司法権力(蛞蝓なめくじ・規範、約束の違反有無判定)」
↓↑
天保八年(1837 年)二月十九日
大塩平八郎の乱
大坂町奉行所の元与力
大塩平八郎・・・諱は正高、後素(コウソ )・字は子起
号は中斎・家紋は揚羽
が飢饉に喘ぐ民衆救済の乱を起こした


「経世済民」=「 世 ( よ ) を 經 ( をさ ) め・ 世の經・・・経過? 民 ( たみ ) を 濟 ( すく ) ふ・民 を 濟 (きよめる)?」 「経国済民」=「經世濟俗」=「皆有經濟之道、謂經世濟民」 「Economy」の訳語「経済」ではなく 「政治・統治・行政」全般を指示する語 ↓↑ 「economy=家事する、倹約する」・・・「済みません」って? ↓↑ 濟=氵+齊 氵+亠+刀+丫+丿+一+丨 サイ セイ すます すむ すくう なす わたす わたる たすける・困難からすくう 成る・成し遂げる 川をわたる・渡し場 通る・通過する 中国の川の名・済水(セイスイ) すむ・すます・終える 濟ます(すます) 濟む(すむ) 濟う(すくう) 濟す(なす) 濟す(わたす) 濟る(わたる) ↓↑ 齊=斉=斊=亝 セイ・サイ・シ ととのえる ひとしい ものいみ ひとしくする ととのう・ひとしい・きちんとそろう ひとしい・みな 中国の王朝名 まぜあわせる・調合する・整える ものいみ 神仏を祭るとき 飲食や行動を慎んで 心身を清める=斎・・・斎戒沐浴 もすそ・裳のすそ・衣服のすそ ↓↑ 「政治体制」としての概念 「民主主義」 「政治のあり方を地域居住民が決める権利」を有する 「政治体制」 ↓↑ 「経済体制」としての概念・・・? 「資本主義 社会主義 共産主義」 ↓↑ 民主主義・・・選挙で 人々に公平な 政治を委ねる人を選ぶ思想 ↓↑ 民の 政治的な自由、表現の自由、言論の自由を認め 国民が自分たちの 代表を 選挙で選び 代表者に政治を委任 反民主な政治をすれば その是非を選挙に託す ↓↑ Distinction and discrimination are not same. 区別と差別は同じではない Distinction is different from discrimination. 区別は差別とは違う ↓↑ 「平等」と「公平」は同じではない 「平等」・・・無条件・体力、能力、性別に於いての考慮、区別なし 「公平」・・・有条件・体力、能力、性別に於いての考慮、区別あり ↓↑ 差別と区別は違う discrimination and distinction are different ↓↑ 区別=distinction 動詞 distinguish ↓↑ 差別=discrimination 動詞 discriminate ↓↑ distinction distinguish between A and B 比較対象を並べる形で使用 ↓↑ discrimination (不利益の差別・格差・優劣・大小・損得) discriminate against C 何かを差別する対象を はっきりさせる形で使用 「何か(対象)」になった 側は不利益になる ↓↑ 「人種差別撤廃条約」 「人種差別」 (racial discrimination) ↓↑ 「人種、皮膚の色、世系(descent) 又は 民族的 若しくは 種族的出身に基づく あらゆる 区別、排除、制限・・・・区別・・・? 又は 優先であって 政治的、経済的、 社会的、文化的 その他のあらゆる 公的生活の分野における 平等の立場での 人権 及び 基本的自由を 認識し 享有し 又は 行使することを 妨げ 又は 害する 目的 又は 効果を有するものをいう (1条1項)」 ↓↑ It's not a discrimination but a distinction! 差別: discrimination 区別: distinction ↓↑ discriminate と distinguish は共に区別するという意味 discriminateは distinguishより 微細な、細かな差を区別 ・・・大小の問題か・・・ ↓↑ discrimination と distinction は 共に区別、差別、識別という意味がある ーーーーー 区別(クベツ) 差別(サベツ) 個別(コベツ) 戸別・箇別・古別 ↓↑ 北海道の地名(α+別) ↓↑ 登別(のぼりべつ) 幾春別(いくしゅんべつ・三笠市中島) 厚別(あしべつ・あつべつ) 芦別(あしべつ) 紋別(もんべつ) 門別(もんべつ) 幕別(まくべつ) 稲志別 (いなしべつ・中川郡幕別町) 岩尾別 (いわおべつ・虻田郡倶知安町) 牛首別 (うししゅべつ・中川郡豊頃町) 礼作別 (れいさくべつ・中川郡豊頃町) 南布礼別 (みなみふれべつ・富良野市) 今別(いまべつ) 江別(えべつ) 湧別(ゆうべつ) 姉別(あねべつ) 沖万別(おきまんべつ) 鬼志別(おにしべつ) 雄馬別(おまべつ) 音別 (おんべつ・釧路市) 止別 (やんべつ・斜里郡小清水町) 来別 (らいべつ・厚岸郡厚岸町) 上春別 (かみしゅんべつ・野付郡別海町) 上鷲別 (かみわしべつ・登別市) 勲祢別 (くんねべつ・足寄郡陸別町) 薫別 (くんべつ・足寄郡陸別町) 更別 (さらべつ・河西郡更別村) 然別 (しかりべつ・余市郡仁木町) 苫別 (とまべつ・幌泉郡えりも町) 雷別 (らいべつ・川上郡標茶町) 虹別 (にじべつ・川上郡標茶町) 勇駒別 (ゆこまんべつ・上川郡東川町) 遠別(えんべつ・天塩郡遠別町) 目梨別 (めなしべつ・天塩郡豊富町) 歌別 (うたべつ・幌泉郡えりも町) 振別 (ふるべつ・広尾郡大樹町) 余別町 (よべつ・積丹郡積丹町) ↓↑ 大別(おおべつ) 札幌別(さっぽろべつ)・・・札幌の旧名 毘砂別 (びしゃべつ・石狩市浜益区) 弁華別 (べんけべつ・石狩郡当別町) 仁別 (にべつ・北広島市) 愛別(あいべつ) 貫気別 (ぬきべつ・沙流郡平取町) 本別(ほんべつ)・(本別町・足寄町・陸別町) 本別町(ほんべつちょう) 北海道 十勝総合振興局管内の 中川郡の町 アイヌ語の 「ポン-ペッ=(pon-pet=小さい・川)」 美蘭別 (びらんべつ・中川郡本別町) 和天別 (わてんべつ・白糠郡白糠町) ↓↑ 別苅(べっかり) 北海道 増毛郡 増毛町 別苅 士別(しべつ) 北海道 上川地方北部 読みが同じ 標津(しべつ)町と区別するため 「サムライ士別」と呼ぶ ↓↑ 国分・・・河川が国境・・・國別・・・? 国分寺 聖武天皇の詔によって 天平十三 (741) 年 全国60余国に建立された官立の寺 隠僧寺と尼寺 僧寺を金光明四天王護国之寺 尼寺を法華滅罪之寺 国分寺は 国府の近くに 国分尼寺の鐘の音の聞えるところに建立 釈迦如来像を本尊 僧寺に 七重塔を設けて『金光明経』 尼寺に 『法華経』をおき 別に 天皇の書写 金字の『最勝王経』を納めた ↓↑ 秋田県 仁別 (にべつ・秋田市) ↓↑ 群馬県 別所町 (べっしょ・太田市) ↓↑ 埼玉県 別所 (べっしょ・さいたま市) ↓↑ 愛知県 別明町 (べつめい・一宮市) ↓↑ 兵庫県 別所 (べっしょ・姫路市佐土) ↓↑ 広島県 別迫 (べっさこ・世羅郡世羅町) ↓↑ 奈良県宇陀市 菟田野別所 (うたのべっしょ) ↓↑ 愛媛県 別子山 (べっしやま・新居浜市) ↓↑ 福岡県 別府北 (べふきた・糟屋郡志免町) ↓↑ 大分県 別府市(べっぷし) ↓↑ 長崎県長崎市 畦別当町 (あぜべつとうまち) ↓↑ 別名 (べつみょう・富山県富山市) 別名 (べつみょう・兵庫県赤穂郡上郡町) 別名 (べつみょう・愛媛県今治市) 別名 (べつめ い・三重県四日市市) ↓↑ 分別・別動・惜別 別紙・別子・別枝・別使・別司=ベッシ 別詞・・・蔑視(ベッシ)・侮蔑(ブベツ) ↓↑ 区別=distinguish・separate の類義語 差別=Discriminatio 個別=individual ↓↑ 「区別・差別」は 「英語の曖昧さの翻譯」にあるが・・・ 漢字では 「区別」・・・区の別・・・領域、区域の範囲 「差別」・・・差の別・・・格差、数量の差異 である・・・ ↓↑ 「区別主義」・・物体、生物の「分類」上の概念・・・? ・・・男女の区別 ・・・雌雄、牡牝の区別 ・・・物質、物体の分類学上の「分別、区別」 ↓↑ 区別 distinction Small children can't distinguish good from evil. differenc ↓↑ 至上主義(英 supremacy) あるものについて それが最上のものだ それに勝るものはない とする立場・・・極上主義? ↓↑ 「芸術至上主義」の・・・「耽美主義」?・・・ クリスタル・透明ロボット 「電光人間」 「アトム、 コールタールを私に塗るのは、ヤメてッ!」・・・ ・・・視えないコトが 「芸術至上主義」なのか・・・ 「幻想、妄想、夢想」は「視えるか」・・・? ↓↑ 平等主義(英 egalitarianism 仏 egalitarisme) 特定の資格・能力・責任・義務 を有する範疇内の人間達 常に 階級・差別 格差・差異・区別 の存在が前提・・・ ↓↑ 利己主義(英: egoism) 自己の利益を重視し 他者の利益を軽視、無視する考え方 それにより 他者が不利益や損害を被る 他者の不利益を求める ↓↑ 万人の利益を求める 功利主義 とは区別される ↓↑ 人種主義(人種差別) 人種主義は否定されている・・・? 「弥助」 「信長」は人種差別ではなく 「人種の区別」を認め 臣下としての身分で差別した・・・? ↓↑ 「人種主義」 戦争による 植民地獲得 奴隷獲得 による 生殺与奪 と 労働、生産物 の 搾取、強奪 ↓↑ 奴隷 法的保護の範囲外に存在 あるいは 法的制度化した「人種主義」 ↓↑ 人種主義 同人種集団内の差別の発生 ・・・コロナ感染差別・・・村八分・・・ ↓↑ 平家の落人民・・・ ・・・「異星人(エイリアン)」・・・ ・・・「異邦人(異国籍人)」・・・ ・・・「職業別集団内の身分秩序」・・・ ー↓↑ーー 橘 山口県南東部 瀬戸内海 防予諸島大島 (屋代島) にある地区。旧町名 1955年 日良居村 安下庄 (あげのしょう) 町 が合体発足 2004年10月 久賀町・大島町・東和町 が合併 周防大島町となる 大島中央の地峡部を占め 北は安芸灘 南は伊予灘 頭島・浮島・立島 を含む イワシ・タイ・ナマコを漁獲 山地斜面では ミカン栽培 ↓↑ 垂仁天皇 多遲麻毛理に 「時じくの香の木の実(ときじくのかくのこのみ)」 (古事記) 田道間守を 常世国に遣わし 「非時香菓」を求めさせたが その間に天皇は崩御した (日本書紀) 九十年春二月庚子朔 天皇命田道間守、遣常世国、令求非時香菓 (香菓、此云箇倶能未) 今謂橘是也 九十九年秋七月戊午朔 天皇崩於纏向宮 時年百卌歲 冬十二月癸卯朔壬子 葬於菅原伏見陵 ー↓↑ーーー 「たちばな=橘」・・・再検討・・・ ↓↑ 「Citrus(シトラス)」・・・史、虎州(須・諏・守・主) は 「レモン(檸檬)」の木に対する古い呼び名 ↓↑ 「柑橘(カンキツ)・枸橘(クキツ)・香橘(コウキツ)=からたち」 「枳殻(キコク・からたち)」・・・帰国・鬼哭・貴国・紀国 カラタチ果実の生薬のことを 「枳実(キジツ・キジュツ)」・・・忌日・期日・記述・既述・奇術 と呼ぶ・・・ ナゼ・・・・・「からたち」なのか・・・? ミカン類「唐橘」の訓読み「からたちばな」・・・ ↓↑ 「から=唐・漢・韓・加羅」+「達・起つ・経つ」 「から=唐・漢・韓・加羅」+「建つ・立つ・発つ」 「から=唐・漢・韓・加羅」+「絶つ・断つ」 ・・・「たつ=辰=龍=竜」・・・・「たつ」? ↓↑ 「橘=木+矞 木+矛+冏 木+予+丿+冂+㕣 木+予+丿+冂+儿+口 木+マ+了+丿+冂+儿+口 十+八+龴+乛+亅+丿+冂+八+口 十+八+龴+乛+亅+丿+冂+儿+口 みかん ↓↑ 斎字句=ときじく=「非時香菓」=みかん ↓↑ 譎=言+矞 キツ ケツ あやしい いつわり・いつわる あざむく 譎詐(ケッサ)・譎略(ケツリャク) あやしい・めずらしい 普通と異なる・譎怪(ケッカイ) 遠回しに言う 遠回しにいさめる 譎諫(ケッカン) 僪=伝説上の「悪鬼の名」・・・鬼室? 鷸=イツ・かわせみ しぎ シギ科の水鳥 カワセミ科の水鳥 驈=股間の白い黒馬 鱊=イツ いさざ ばらたなご 魚の名・コイ科の淡水魚 いさざ 素魚(しろうお)の別名 霱=雨+矞 イツ めでたい前兆の雲 端雲(ズイウン) 鐍=金+矞 ケツ かけがね・帯留め・錠前の金具 かなめ・物事の要点 繘=糸+矞 釣瓶(つるべ)の縄 その縄を用いて井戸水を汲む 憰=忄+矞 ケツ いつわる・あざむく・だます 怪しい 潏=氵+矞 イツ ケツ シュツ わく・水が湧き出る・その音 人工的に作られた小さい洲 水の流れが速いさま 水の流れるさま ↓↑ 矞・・・裔=衣+冏・・・末裔 イツ キツ ケツ 錐で穴をあける うがつ(穿) 「矞雲(イツウン)」=三色のめでたい雲 驚く・動物が驚くさま だます・たぶらかす ↓↑ ↓↑ 異体字「桔」 声 符「矞=キツ」 矞・劀・䆷・𧽻・鷸・𧑐・鐍・噊 繘・遹・潏・譎・驈・憰・𦇹・䤎 ↓↑ 「橘 三千代=県 犬養 三千代」・・・懸ける兼用、未知(途・満)豫(世) 665年? ~ 天平五年一月十一日 733年2月4日 ↓↑ 和銅元年(708年)十一月・・・倭道・和同・話同? 元明天皇(阿閉皇女)から 「橘」宿禰姓を賜った ↓↑ 敏達天皇系皇親 「美努王(みぬおう・みのおう)」 に嫁し 「葛城王(橘諸兄)」 「佐為王(橘佐為)」 「牟漏女王」 を生む 天武天皇十三年(684年) 第一子 葛城王(橘諸兄)を出生 ・・・葛城皇子=中大兄皇子=天智天皇 軽皇子(文武天皇)は 天武天皇十二年に出生し 元明天皇(阿閉皇女) と 三千代 とは主従関係で 三千代は 軽(珂瑠)皇子の乳母・・・ ↓↑ 「美努王」と離別し・・・? 「藤原不比等」の後妻になった・・・? 「光明子(安宿姫)」 「多比能」 を生む 「藤原不比等」は 持統天皇三年(689年)の 直広肆・判事の職 持統天皇十年(696年) 高市皇子の死去に伴い 政権中枢に参画 文武天皇元年(697年)八月 藤原不比等の娘 「宮子」が 「文武天皇」夫人となり 「藤原朝臣姓」が 不比等とその子孫に限定され 「藤原氏=不比等家」が成立 文武天皇即位に伴う 不比等の栄達の背景に 「阿閉皇女(元明天皇)」 の信頼を受けた 「橘三千代」の存在があった・・・ ↓↑ 『続日本紀』 慶雲四年(708年)七月壬午(十七日) 阿閉皇女は即位し 元明天皇 和銅元年十一月 大嘗祭 ・・・・蛞蝓(なめくじ)→大蛇(へび)→蝦蟇蛙(かえる) 「藤原不比等」は 右大臣に任命 『続日本紀』 「葛城王(橘諸兄)」の上奏文に 癸未(二十五日)の御宴で 三千代は 元明から 天武天皇の代から仕えていると称されて 杯に浮かぶ「橘」とともに 「橘宿禰」の姓を賜り 橘氏の祖となった 「県犬養」 一族のなかで ↓↑・・・犬神満たす記=犬上御田鍬? 推古、舒明天皇 時代の外交官 三田耜とも書く・景行天皇庶皇子の子孫 小野妹子遣隋使の後を引き継ぎ 推古 二十二 (614) 年 矢田部造らとともに 遣隋小使として中国に渡る ↓↑ 「橘」姓への改姓は 「三千代」のみであるが 改姓後も 「県犬養」一族に属し続けている 藤原宮跡からは 大宝元年の年記を持つ 「道代」木簡 大宝三年の年記を持つ 木簡群に含まれる 「三千代」木簡が出土 橘姓への改姓と同時に 名も 「道代~三千代」に改名・・・ 同年五月 前夫の 「美努王」が死去・・・ ↓↑ 元明の即位後 宮人筆頭として 藤原不比等とともに 朝廷に影響力 『続日本紀』 三千代 養老元年(717年) 従三位 養老元年以前の職掌・位は不明 霊亀元年(715年)時点で 従四位・尚侍・・・ 霊亀二年(716年) 娘の 「安宿」が 皇太子 「首(聖武天皇)」の 妃となり(光明皇后) 「県犬養唐の娘」・・・県の犬養の「唐」? 「広刀自」も 「首(聖武天皇)」の 妃となる ↓↑ 養老四年(720年) 夫の 「不比等」 死去 『続日本紀』 養老五年 正三位に叙せられ 宮人最高位に叙せられた 同年 元明天皇の危篤に際し出家 733年(天平五年)一月十一日 薨去 同年十二月二十八日に従一位 760年(天平宝字四年)八月七日 正一位 大夫人の称号を贈られた ↓↑ 養老五年(721年)五月 元明太上天皇(阿閉皇女) の病平癒を祈念して仏門 ↓↑ 県犬養氏 屯倉を守護する 伴造氏族の一 「壬申の乱」 「県犬養大侶」が 「大海人皇子(天武天皇)」 に近侍 天武天皇十三年(684年) 「宿禰」姓を賜った ↓↑ 「非時香果」 「橘の実」が 「時を選ばず(非)に香る果実」・・・ みかん・・・ 蜜柑・美柑・味感・未完・未刊・・・? ↓↑ ?~和銅元年五月三十日(708年6月22日) 『六国史』 「弥努王・美奴王・美弩王・三野王」 など記載 敏達天皇の後裔 四位 栗隈王の子 官位 従四位下・治部卿 ↓↑ ↓↑ 「栗隈王」 筑紫率(筑紫大宰) 唐と新羅の使者を送迎 672年 壬申の乱で 中立・・・天智天皇、大友王子(弘文天皇) 近江朝の暗殺者に狙われた 675年に兵政官長・贈従二位 663年 「白江村の戦」以後 唐は 新羅支配下にある百済の復興運動を 新羅は 唐支配下にある高句麗の復興運動を 後押しし 各国とも 日本に使者を派遣し 親を通じようとした・・・? ↓↑ ↓↑ 天智天皇十年(671年) 六月 新羅が調 七月 唐の使者 「李守真」 と 「百済の使者」が帰国し 十月 「新羅の使者」 「金万物」 が再び調 十二月十七日帰国 十一月 対馬から報告 「唐の使者」の 「郭務悰」 「百済の送使」の 「孫登」 ら二千人の来朝の意 十二月三日 天智天皇死亡 「大友皇子(弘文天皇)」が朝廷 翌672年 3月30日 「郭務悰」帰国 3月28日 「高句麗の使者」 「富加扑」らが調 日付は 「近江宮」からのもので 筑紫の 「栗隈王」とずれがある・・・ 使節の往来は 他の時期と比べて多かった・・・ ↓↑ ↓↑ 「壬申の乱」 6月~7月 近江朝廷は 筑紫大宰に 兵力を送るよう命じる使者を派遣 「大友皇子(弘文天皇)」は 「栗隈王」が 「大海人皇子(天武天皇)」 配下だったことを危ぶみ 使者に 「もし服従しない様子があったら殺せ」 と命令 ↓↑ ↓↑ 使者から符(命令書)を受けた 「栗隈王」は 国外への備えを理由に出兵を断った 使者 「佐伯男」は 「栗隈王」を殺そうと剣を握って進もうとしたが 栗隈王の二人の子 「三野王(美努王)」 と 「武家王」 が側にいて剣を佩き 退く気配がなかったため 恐れて断念 天武天皇四年(675年)三月十六日 諸王四位の 「栗隈王」 が兵政官長 「大伴御行」 が大輔に任じられた ↓↑ ↓↑ 天武天皇五年(676年)六月 「栗隈王」 四位で病死 『続日本紀』『新撰姓氏録』 に贈従二位 『姓氏録』を基に 「栗隈王」の父を 「難波皇子」とする説・・・ 二者の活動年代には 隔たりが大きく(約80年) 父子関係は疑問 『公卿補任』『尊卑分脈』の記載 「難波皇子」 と 「栗隈王」 の間に 「大俣王(おおまたのおおきみ)」 を補うと・・・繋がる? ↓↑ ↓↑ 長崎県 「栗隈王」を 日本の水の中に住んでいる動物を 取り纏める人であったとし 彼の子孫の神主が 「河童」に慕われるという昔話がある・・・? ↓↑ by 「wikipedia.栗隈王」 かっぱ=合羽=箕(みの)=竹+其・・・蓑笠 藁(わら)を編んで作られた雨具 雨を防ぐために衣服の上からまとう外衣 ーー↓↑ーー 「橘 広 相」は (たちばなのひろみ) 「阿衡」という役職を提案、上奏 「藤原基経」は拒否 ↓↑ 「阿衡」議論・・・阿倍仲麻呂=朝衡・晁衡? ↓↑ 宇多天皇は・・・・「宇土半島=熊本」・・・? 「藤原基経」の権勢に恐れ 「橘広相」を流罪 891年 関白 「藤原基経」 死去 後 息子の 「藤原時平」 へ権力交代・・・ ↓↑ 宇多天皇 「藤原時平(21歳)」が 若輩で 「関白の職」を全うできないとし 「関白」の地位を空席とし 「天皇親政」とし ↓↑ 「藤原氏」に対抗する人物とし 「菅原道真(すがわらのみちざね)」 を 「蔵人頭」としてを抜擢 ー↓↑ーー 893年・寛平五年五月十一日 大宰府は 新羅の賊を発見 「新羅の賊 肥後国 飽田郡に於いて人宅を焼亡す 又た 肥前国 松浦郡に於いて逃げ去る」 ↓↑ 894年・寛平六年(894年)四月 対馬島を襲う 参議の 藤原国経を大宰権帥として派遣 この間 遣唐使が定められ 唐の関与を窺うためであった・・・ ↓↑ 唐人も交えた 新羅の船 大小100艘に乗った2500人 新羅の賊の大軍が襲来 対馬に侵攻 9月5日の朝 45艘で賊徒来襲 対馬守に配されていた 文屋善友は郡司士卒を率い 弩を構えた数百の軍勢で迎え撃ち 賊を追撃、220人を射殺 賊は計、300名を討ち取り 船11、太刀50、桙1000 弓胡(やなぐい)各110 盾312 の兵器を奪い ひとりを生け捕った ↓↑ 捕虜の証言 民間海賊による略奪ではなく 新羅政府による襲撃略奪 捕虜曰く 「新羅は不作で餓えに苦しみ 倉も尽きて王城も例外ではなく 王、仰せて、穀絹を取らんが為に 帆を飛ばして参り来た」と 大小の船100艘、乗員2500 逃げ帰った将軍は3人 1人の「唐人」が強大 と証言 朝鮮側の資料 『三国史記』 889年の記事 国内の不作 重税 反乱勃発 同年九月十九日 大宰府の飛駅の使が 撃退の成功を伝え 遣唐使も中止 翌年九月 壱岐島の官舎が賊のため全焼 おそらく本年度・・・ 寛平七年(895年) 新羅の賊が壱岐を襲撃 官舎が焼かれた ↓↑ 894年・甲寅 日本 寛平六年 中国 唐 乾寧元年 南詔 嵯耶六年 八月 菅原道真、遣唐大使 九月 菅原道真、遣唐使が廃止 前年より 「寛平の韓寇」 ↓↑ 誕生 小野道風(~967年) ↓↑ 997年・長徳三年 高麗人が 対馬、肥前、壱岐、肥後、薩摩、大隅 など九州全域を襲い 民家が焼かれ、財産を収奪し 男女300名がさらわれた 奄美島人も賊に参加・・・ 11月 政府は南蛮の討伐を 貴駕島に命じ捕縛を求めた 被害 筑前、筑後、薩摩、壱岐、対馬 ↓↑ 1001年・長保三年(1001年) 高麗人海賊襲来 ↓↑ 1020年・寛仁四年)十二月 女真による 刀伊の入寇 再び薩摩国が襲撃され人民が拐われた ーーーーー
・・・???・・・
(表紙・画像・音楽)」の
移転先・・・
↓↑
ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2022/5 https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2022/10
↓↑
干支歴
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追加添文
「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
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