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老人たちの冷や水作戦・・・

  • 執筆者の写真: Kiriya Kusaka
    Kiriya Kusaka
  • 2022年6月18日
  • 読了時間: 10分

更新日:2022年6月26日

2022/6/18・土曜日・・・追加添文・・・

 アレから随分と断った・・・2022-2007=15・・・15年前の記事を添付・・・



 2007年06月13日20:531

 ・・・「Operation cold water(老人達のクーデタ)」と言う本を読んだけれども・・・

 「老人達のストライキ」とか「TAX ストリー(税金物語)」とかの短編も読んだ・・・

 「年金物語(A pension story )」ってのは無かったけれど・・・

 「老人」って何歳から「老人」なんだろう。100歳以上の日本人が2万とか、3万ぐらいはいるらしいけれど、今現在の「20~30代」の「若者」はあまり長生きしないそうである。どのくらいの生存期間になるのだろうか?・・・今現在、六十歳前後の団塊の世代が「100歳」になっているときは殆どがその肉体的な機能が衰えていると思われるが、ちょうどその時期の50~60になった日本人は寿命が尽きている、と言うことか・・・  で、現実的な「クーデタ」とか「ストライキ」をヤルっていっても、そんなに先が長くない「老人達」・・・「老人達のストライキ」とか、「老人達のクーデタ」とかって、何をやるんだろう・・・「クーデタ」・・・  「無失業」  「無税金」  「無戦争」  の「三無主義」って「1961年12月」に発覚した「クーデタ未遂事件」だったけれど、対「共産主義」としての「国家主義的なクーデタ事件」だといわれているが、まるで、この「三無主義」なら「社会主義」である。しかも「無戦争」ならば現今の「日本国憲法の戦争放棄・戦力放棄」である。  マァッ、「三夢主義」に終わってしまったけれど・・・「公僕」である人間には「三無主義」を「三務主義」として、今現在の政治屋、裁判屋、行政屋には考えてもらいたいテーマではあるなッ。各「行政省庁」の「官僚」をコントロールできなかった「政府」、あるいは官僚とツルンできた「政府」・・・現今、「防衛省」になった「組織」は「総理大臣」なんかの「金建権力」ではコントロールは無理だろう。

 2007年06月14日17:311

 299日目・・・「強制年金保険」を「国家」がやると「年金詐欺保険」、「介護事業」を民間がやると「介護企業家の不正」・・・ダブルパンチの「怒れる老人たち」・・・「国家」を変えよう・・・で、現実的な「クーデタ」とか「ストライキ」をヤルっていっても、そんなに先が長くない「老人達」・・・「老人達のストライキ」とか、「老人達のクーデタ」とかって、何が出来るんだろう?・・・「ストライキ」?、「クーデタ」?・・・「六十歳前後の団塊老人」と「七十歳前後の安保世代老人」のストライキ」は「全国老人全共闘同盟」を結成しての「徴税拒否」である・・・NHKにはできたのだから実行力はアル・・・そして「七十歳以上の安保世代老人のクーデタ」としての「冷や水作戦」は、先ずは「体力的な限界」があろうから、老い先を考え、一ヶ月分の食料を携帯して各地の「小学校・中学校」を占拠し、子ども達に「自分達の人生」をイイもワルイも教えてやる。まったく体力の無い老人は「寺と葬儀場を占拠」し、その場で「心般若心経」を唱え、「ホットケ」と対峙してもら・・・「六十歳前後の団塊世代」はマダマダ体力的運動量があるハズであるから、現在的に就職氷河期に遭遇し、定職の無い「フリーター世代」と「全国老人全共闘ー若者フリーター全共闘」と「連合」し、その彼等若者の実戦部隊とともに「全共闘参謀」としての「知恵」を貸すコトである・・・どんな「知恵」をか・・・六十年代、七十年代の「過去の経験」としての「知恵」である・・・無理な「作戦」はしない。「政権奪取」と「政治」は「オマツリ」であるから・・・全国規模の法的規制の無い「三々五々としての集団散歩」と「目的地」での「集会」ではない「大規模集合」を楽しんでヤル・・・「エエジャナイカ」の中身は「お願い」ではなく、「こうしたらエエジャナイカ」・・・  「こうしたらエエジャナイカ」の「こうしたら」は「未来集団」とかの「某社長」や、豊橋市の世界一小さい「ミクロ単位の歯車」を制作した「樹研工業」の社長、「松浦社長」にチョットは「知恵」を貸してもらうのがイイかも・・・???  2007年06月17日02:451

 ・・・「老人達の冷水作戦」・・・老人達の「クーデター」は成功するのだろうか?・・・ところで、「クーデタ」と言ってもその意味がイマイチである。以下の説明は・・・「出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」から・・・ __________  クーデター(仏語・英語 coup d'état, 西語 golpe de Estado, 独語 Putsch)は、迅速な襲撃で政府の実権を握る行為で、特に  「権力者内部の少数グループ(軍部など)が武力によって実権を握る行為」  を指すことが多い。短期間での権力掌握に失敗し、武力衝突が長期化した場合は内乱、内戦と呼ぶのが一般的である  より大きなグループによる反乱や被支配者側から政治的意図から体制を変革する「革命」とは異なる  ただし、必ずしも排他的な概念ではなく、「革命的意図」を持ったクーデターもある  日本語では

 流血もなく平和裡に成功した場合は政変

 武力衝突や流血をともなった場合は「武力政変」などと訳される  クーデターはフランス語で「国家への一撃」の意味がある  現代社会において「クーデター」は「非合法で超法規的武力による権力奪取」として否定的に見られる傾向が強い __________  なるほど・・・コトバとしては「アイマイ」ではあるな・・・しかもここには「クーデタの目的」が「実権を握るコト」としか語られていない。おまけに、「革命(階級交替)」ではないとしながらも「革命的意図」を持ったモノもあるらしい、と記されている。  「クーデタ」であろうが「革命」であろが、「反革命」であろうが、どんな時代でも「納税者」、特に「中産階級」と「軍隊」にその「公的利益」をアッピ-ルする「大義名分」が必要である。  現実としては世界中、時代が要請する状況として「騒擾・騒乱」、「内乱・内戦」としての「事件」は数多くあったとは思うが、どこをドウ捜しても「階級的革命秩序形成」は無かったし、今現在も「階級交替としての政府」は存在せず、そして「市場経済・物流経済」で「資本蓄積」が成されるかぎり、将来もそんな「無階級・無階層」の「社会秩序」は存在しないだろう。  「革命」も「反革命」も「クーデタ」も、その状況を担う実体の「スポンサー」が必ず存在する。人々の生活の場である社会諸関係は「利害諸関係の秩序バランス」である。この「損得」のバランスが偏重すると「既成秩序崩壊」の「混乱」、暴力による「騒擾・騒乱」、「内乱・内戦」が起るのだ。時には対外戦争にまで発展する。  かっての戦国時代の「下剋上」、豊臣秀吉の朝鮮派遣、江戸時代初期の「浪人騒乱」、「百姓一揆」、大正時代の「米騒動」などは人々の最低限度の生活崩壊、「衣食住の秩序」が崩壊しつつあるプロセスで発生した。  「市場経済」を前提とした「日本国憲法のコトバ」自体が一国内の人々の「最低限度の公平な生活の保障」と「戦争放棄」を謳っているのだから、誰の眼からみても「階級の利害」を超えて(?)「革命的秩序規範」であるのは「革命的」ではある。  そして、いかなる現実的な「階級・階層」であろうが、この「階級的利害の国家システム」を生活で「切実に意識」するかどうかは、その時代の人々の「知識と意識レベルの問題」である。人々に生活と生命の「損得勘定」をさせ、「損得感情」を起こさせるモノはその時代の現実的な自分自身に対する「理不尽」と「不合理」を自覚した時である。  「国民年金」、「国民健康保険」、「国民介護保険」は「国家が保障」する「強制徴収保険」であった・・・これらが「崩壊」しつつあるのは「保障」するモノが結果として無い、と、そのカラクリを国民が知ったからである。  「日本国民」は「税金の徴収」とその「予算」と「使途」のカラクリの不合理さには、とにかく大目をつぶってきたが、「国家強制保険のデタラメ」を許せないのは当然である。個人と国家の「契約保険」だったのだから。そしてデタラメは同じだが「国家の予算・税金徴収・使途」を許してきた根拠は国民全体に還元されていると漠然と「他人事」として思ってきたからである。  「自由な市場経済」で「法が保障」しているモノは、「ダレ」にでも「金持ちになれる自由な権利」と「貧乏人になれる自由」である。だが現実的には「ダレ」もが「金持ちにはなれない」が、「ダレ」もが「憲法で保障」される、と言う「最低限の生活貧乏人にはなれる」のである。そして「最低限で生きていくコト」も保障しているし、実際、最低限以下で生きてつつあるのカモ・・・「中流意識」は「如何なるレベル」の生活者にもシフトする「幻想」だから。ホームレスでも意識ダケは「中流」・・・  だが前提にした「自由な市場経済」を「立法・行政・司法」でコントロールしなければ現実的な「最低限度の生活・生命」も「公平」には「保障」されないのである。そして、国民の意識は「国家保険」の「保障されない保険」のデタラメを知った・・・「クーデタ」を阻止するだろう任務を担う「自衛隊」と「公安警察」の「国家保険」は大丈夫なのか?  この「見せ掛けのルール」での「国家行政システム」の「実質コントロール」は破綻しつつあり、国民の「信頼」を破壊しつつある・・・  「反日本国憲法国家」は、「日本国民」、「日本国老人」の「日本国憲法維持、堅持」と言う「クーデタ」で転覆されるであろうか・・・「老人」のスポンサーが現今の「若者」であるならば、その企ては成就するカモ・・・

 2007年06月19日23:301

 ・・・「日本国憲法国家」は存在しない・・・

 存在するのは「反日本国憲法国家」である。「日本国憲法下の国民」、「日本国憲法下の日本地区居住民」はその「日本国憲法」ではその「権利」も護られていないし、その「義務」も護っていない。「クーデタ」を起こすまでもなく、既に「日本国憲法国家」は「なし崩し的アイマイクーデタ」で転覆されているのである。現政権も過去の政権も実質「反日本国憲法下の非合法政権」である。「日本国憲法国家が転覆」されてからは久しいのである・・・「国政、地政選挙」は「非日本国憲法下」で「非合法」的に「非国民の選挙」として行われてきた。「老人」も「壮年」も「若者」も「日本国憲法」での「法律」では護られていないのである。当然にも「非合法政権下の非国民」である「非国家官僚・地方官僚」にも「日本国憲法下の法」を護る「義務」はさらさらないのは当たり前である。この「非日本国憲法国家組織」のスポンサーはダレなのか?・・・「朕の信頼している臣下(2・26クーデタ事件)を暗殺」したその「朕」と「臣下」の「スポンサー」とはダレであったのか?  地方の農村で喘いでいた「貧農農民」ではなかったョなッ。  「生産物強奪権=盗みの権利」を握る「権力者」の「スポンサー」とはダレなのか・・・「国家(天皇)の律令制度」が「荘園地主」に侵食され、「荘園(貴族官僚)制度」が「地頭(武士)制度」に侵食され、「守護(領主)大名」が「下剋上の家臣」にとって替われた・・・「権力の移行」は「土地と生産者の支配権を暴力と詐欺で握って拡大していったモノ」であったが、「スポンサー」とは時代の全階層、全階級の「アタリマエ化」された「強奪システム意識」であり、「強奪システム精神」である。  すべての人々が「強奪」を「理不尽」と思うコトも、考えるコトもせずソレが「アタリマエ」である、としたその場所での、その時代での「精神」と「意識」である。  「自然界」での・・・異種間、あるいは同種間での「弱肉強食」は、自己存在維持のタメに、「騙」し、「暴行」し、時には「殺傷」して何らかのモノを相対する相手から「強奪」する「相互了解の精神意識」なのだ・・・  この「自然法則=弱肉強食」を乗り越えられない「人間界」でも同じである。「同族人間社会」の異なるトコロは「強奪方法」が「直接的で露骨」ではナイ、と言うコトである。生殺与奪権を握った「支配階層維持の掟」があるのだ。その同族社会の支配階層を除外した「殺すな」、「嘘をつくな」、「盗むな」のオキテである。  それら三つが「同族人間の居住地域に住む相互の社会的ルール」である。敵対する「異種族社会の人間」には当然、「殺せ」、「嘘をつけ」、「盗め」である。そして、「盗むコト=強奪が本質」である。  「近代~現代市民社会」で国内関係、国際関係に於いても本質は同じである。露骨でないのは「自由な商品売買市場」と「自由な労働売買市場」に覆い隠されているからだ。そして、この「自由市場」が「詐欺・強奪」を相互に「アタリマエなモノ」としている「格差階級社会システム容認」の「精神」と「意識」の根源なのである。  ・・・ダレもが騙して「金持ちになれる」、そしてダレもが騙されて「貧乏人になれる」と言う「自由なシステム」は、階層階級を越えた「自由な精神と意識」に支えられているのだ。  ィヤァ~、日本国民はみんなダマサレテイルのダガ、ダマサレテも生活にはなんら影響しない「同族」がワンサカいるのだが・・・「来年の種籾」まで搾り取っては、その階層維持基盤として、元も子もなくなるのは時間の問題である・・・ナッ。

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 ・・・???・・・

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