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許すな、明殺者、腐汚沈・・・Putin

2022/3/2・水曜日・・・追加添文・・・

くたばれ、殺人者プーチン・・・

おい、オマエラ

ノウテンキにTVでカタルなッ!・・・

オマエラにはイカリがない・・・

能が腐った生殺与奪者に加担する「ジポンジン」・・・

 ↓↑

 ・・・𪗾然咀嚼,此云佐我彌爾加武・・・

 𪗾然(さがみ・コツゼン?キツゼン?)・・・  忽然=物事の出現・消失が急なさま・突然  屹然=山などが高くそびえ立つさま     孤高を保ち周囲に屈しないさま     他に屈せず、自立しているようす

 ・・・2018年・・・2+0+1+8=11・・・11月27日・・・1+1+2+7=11・・・十一・壱壱・拾壱・足壹・・・eleven・the eleventh・・・1111年11月11日11時・・・?・・・1111 November 11・・・  辛卯年  日本  天永二年  皇紀1771年  中国  北宋 政和元年  遼  天慶元年  西夏 貞観十一年  南越=ベトナム  李朝 会祥大慶二年・・・ベトナム、李朝の              仁宗李乾徳の治世の元号              1110年~1119年  ↓↑  1111年誕生  アンドレイ・ボゴリュブスキー  (Andrei Bogolyubsky)、  ウラジーミル大公・・・裏字意見留考?  (1111~1175年)  ↓↑  1111年死去  アルガゼル(Algazer)  イスラム神学者  スンナ派のイスラーム諸学を形作った  トゥースに帰郷  1111年12月18日死去  ↓↑  ロベール2世  フランドル伯  第1回十字軍に参加  「エルサレムのロベール」  1111年10月5日死没  ↓↑  プッリャ公ルッジェーロ1世  (伊:Ruggero I, 1060/61年~1111年2月22日)  プッリャ・カラブリア  および  シチリア公(1085年~1111年)  ルッジェーロ・ボルサ(Ruggero Borsa)とも・・・  ボルサとは財布の意  金勘定が好きでついた渾名(あだな・綽名・仇名)  ↓↑  ボルサリーノ(イタリア語: Borsalino)  イタリアの  アレッサンドリアに本社を置く  帽子メーカー・及びブランド  2017年12月19日  イタリアの老舗帽子メーカー  「ボルサリーノ(Borsalino)」が破産  「ボルサリーノ(原題: Borsalino )」  1970年公開のフランス= イタリア合作映画  ジャン=ポール・ベルモンド  アラン・ドロン  ビッグ・ガン  「オルネラ・ヴァノー二の歌(L'appuntamento )」  「逢びき(Ornella Vanoni - L'appuntamento)」 https://www.youtube.com/watch?v=Bq37jQTZFkM&feature=related https://www.youtube.com/watch?v=z4nhDtkzhRg  ↓↑  蕭 常哥=ショウジョウカ       蕭=艹+肅         異体字「䔥・萧・萧」         草の名         よもぎ(蓬・艾)の一種・蕭艾         ものさびしい・蕭蕭・蕭条・蕭然         蠨=虫+蕭=足長(脚長・肢長)蜘蛛(くも)       常(つね)に哥(うた)う       与模擬がイツモ歌う・・・?  遼・・・・遼朝・内モンゴルを中心で  ↓↑   契丹族が満州、モンゴル、華北       を支配(907/16~1125)し       中国北辺を支配した契丹人(キタイ人)       耶律氏(ヤリュート氏)の征服王朝       満州から中央アジアの地域に存在し半農半牧       女真と南の宋に挟撃され       1125年に滅亡  ↓↑   ↓↑       黒契丹=カラは黒、キタイは契丹       西遼=契丹人の遼の皇帝の一族の          耶律大石          が          金(女真)・宋軍に          首都燕京を攻撃され          脱出して外モンゴルを経て西進          中央アジアに入り          カラ=ハン朝を倒して  ↓↑      1133年に建国  ↓↑   カラ=黒⇔カラス=烏・鴉           =加羅州・香良洲            枯らす・涸らす・嗄らす  ↓↑        唐州・韓州・・・  の政治家  字は胡独菫  諡は欽粛  容貌魁偉で寡黙  祗候郎君  本族将軍  松山州刺史を歴任  太子太師  国舅詳穏  遼興軍節度使  北府宰相  兼侍中  天慶元年(1111年10月18日)死去  ↓↑

 藤原宗円  別名  粟田宗円、宇都宮兼綱  石山寺(大谷寺)座主  宇都宮座主  天永二年(1111年)十月十八日に死没  ↓↑  藤原正家  儒宗  文章博士  式部大輔  藤原北家真夏流(日野家)  式部権大輔・藤原家経の子  文章博士  天永二年十月十二日(1111年11月14日)死去  ↓↑  大江匡房=死没天永二年十一月五日(1111年12月7日)  主君  後冷泉天皇→後三条天皇→白河天皇→堀河天皇→鳥羽天皇  東宮学士  太宰権師  大蔵卿  江家文庫を設置  ↓↑  大江広房→橘広房  大江匡房の養子、後に橘氏長者  文章得業生(もんじょうとくごうしょう)  天永二年(1111年)  美濃国に向かう途中で  下野守・源明国との間で私闘  殺害された  ↓↑  ・・・紀伝道(きでんどう)=日本律令制の大学寮において  歴史(中国史)を教え  後に漢文学の学科である文章道(もんじょうどう)  と統合し  歴史・漢文学の両方を教える学科となり  学科は「紀伝道」  博士は「文章博士」と別々の正式名称を用い  通称として  「紀伝博士」  「文章道」という呼び方も用いられた・・・  ↓↑  永観(ようかん・えいかん)  平安時代後期の三論宗の僧  実父は  文章生  源国経  石清水八幡宮別当元命の養子  禅林寺の7世住持  ↓↑  呂恵卿  中国北宋の政治家  字は吉甫  号は恩祖  閩南晋江(福建省泉州市晋江市)出身  参知政事を務めた新法党の人物  著作  『文集・孝経伝・道徳経注・論語義・荘子解』等  ↓↑  源 国信(みなもと の くにざね)  天永二年一月十日(1111年2月26日)死去  ↓↑  chapter=本・論文などを章に分ける       本などの       章・・・立+日+十       項目・・工+頁+目       人生・歴史などの重要な一区切り       一時期を画すること       たいせつな一部分       tʃǽptər=チャプター           chapters・chaptering・chaptered -ーーーー  CHAPTER 11  創世記  第11章  ↓↑  ヨハネによる福音書  第11章  ↓↑  マルコによる福音書  第11章  ↓↑  マタイによる福音書  第11章  ↓↑  ルカによる福音書  第11章  ↓↑  ローマ人への手紙  第11章  ↓↑  ヘブル人への手紙  第11章  ↓↑  申命記  第11章  過去的出来事の無知  ↓↑  士師記  第11章  遊女  私娼問題  庶子問題  ↓↑  列王紀上  第11章  契約不履行  分断  ↓↑  ダニエル  第11章  南北問題 ーーーーー  舊約(旧約)  ↓  漢字表題(タイトル・title)  創世記  出埃及記=出エジプト記  利未記=レビ記  民數記=民数記(みんすうき)  申命記=申命記(しんめいき)  約書亞記=ヨシュア記(よしゅあき)  士師記=士師記(ししき)  路得記=ルツ記  撒母耳記上=サムエル記上  撒母耳記下=サムエル記下  列王紀上=列王紀上(れつおうき・じょう)  列王紀下=列王紀下(れつおうき・げ)  歷代志上=歷代志上(れきだいし・じょう)  歷代志下=歷代志下(れきだいし・げ)  以斯拉記=エズラ記  尼希米記=ネヘミヤ記  以斯帖記=エステル記  約伯記=ヨブ記  詩篇=詩篇(しへん)  箴言=箴言(しんげん)  傳道書=伝道の書(でんどうのしょ)  雅歌=雅歌(がか)  ↓↑  以賽亞書=イザヤ書  耶利米書=エレミヤ書  耶利米哀歌=哀歌(あいか)  以西結書=エゼキエル書  但以理書=ダニエル書  ↓↑  何西阿書=ホセア書  約珥書=ヨエル書  阿摩司書=アモス書  俄巴底亞書=オバデヤ書  約拿書=ヨナ書  彌迦書=ミカ書  那鴻書=ナホム書  哈巴谷書=ハバクク書  西番雅書=ゼパニヤ書  哈該書=ハガイ書  撒迦利亞書=ゼカリヤ書  瑪拉基書=マラキ書  ↓↑

 新約(しんやく)  馬太福音=マタイによる福音書  馬可福音=マルコによる福音書  路加福音=ルカによる福音書  約翰福音=ヨハネによる福音書  ↓↑  使徒行傳=使徒行伝(しとぎょうでん)  羅馬書=ローマ人への手紙  哥林多前書=コリント人への第一の手紙  哥林多後書=コリント人への第二の手紙  加拉太書=ガラテヤ人への手紙  以弗所書=エペソ人への手紙  腓立比書=ピリピ人への手紙  歌羅西書=コロサイ人への手紙  帖撒羅尼迦前書=テサロニケ人への第一の手紙  帖撒羅尼迦後書=テサロニケ人への第二の手紙  提摩太前書=テモテへの第一の手紙  提摩太後書=テモテへの第二の手紙  提多書=テトスへの手紙  腓利門書=ピレモンへの手紙  希伯來書=ヘブル人への手紙  雅各書=ヤコブの手紙  彼得前書=ペテロの第一の手紙  彼得後書=ペテロの第二の手紙  約翰一書=ヨハネの第一の手紙  約翰二書=ヨハネの第二の手紙  約翰三書=ヨハネの第三の手紙  猶大書=ユダの手紙  啓示錄=啓示録(けいじろく)  ↓↑  書卷分類  摩西五經=モーセ五書  四福音書=四福音書(よんふくいんしょ)  心臟書=心臓の書  歷史書=歴史の書  預言書=予言の書  書信=書簡(しょかん)  保羅的書信=パウロの書簡  傳記=伝記(でんき)  ↓↑  聖經編  排的構成  經節  章節  綱目  註解  ↓↑  希伯來文=ヘブル語  亞蘭文=アラム語  拉丁文=ラテン語  希臘文=ギリシャ語  原文=原文(げんぶん)  直譯=文字どおり  七十士譯本=七十士希臘譯本       =七十人訳(ななじゅうにんやく)  死海古卷=死海写本(しかいしゃほん) ーーーーー  ・・・バベル・・・言語崩壊・・・???・・・  祥=礻+羊=示+羊=𢒑    さいわい・さち・きざし・ショウ    さち・めでたい    嘉祥(カショウ)・吉祥    きざし・前ぶれ    祥雲    喪明けの祭り    祥月    通仮字「翔・詳・常」    異体字「祥・𢒑」    清祥・多祥・不祥事    嘉祥・瑞祥・発祥    忌み明けの祭り    祥月・小祥・大祥    発祥・吉祥・不祥事    さが=祥兆・前兆  ↓↑  さが=性=相=たち     生まれつきの性質・性格     持って生まれた宿命     いつもそうであること・常態・尋常     ならわし・習慣     よいところと悪いところ     特に、欠点や短所  ↓↑  比べた時、比較したときのモノの  …さ+が=……~さ+が=「様子、様態」が…である       …凄さが・甘さが・辛さが・華麗さが       …適切さ がアル、ナイ  ↓↑  サガ=佐賀=嵯峨・砂賀・佐雅・相賀        ・・・相模(佐賀美・相見・さがみ)  ・・・佐賀美邇・・・・サガミに      迦美而、・・・かみて     (古事記)  ↓↑  さがなし=意地が悪い・性格が悪い・たちが悪い       性なし       口が悪い・口うるさい       いたずら好きだ       差が無し=同じ・同類・同種・・・?  ↓↑  さがなし=形容詞・ク活用 未然形       さがなく・さがなから       連用形       さがなく・さがなかり       終止形       さがなし       連体形       さがなき・さがなかる       已然形       さがなけれ       命令形       さがなかれ       性格が悪い・ひねくれている       意地が悪い  ↓↑  さが=よいところ・質  なし=無い  ↓↑  サガ(アイスランド語: saga 複数形: sögur)  おもに中世  アイスランドで成立した  古ノルド語(古北欧語、古アイスランド語とも)  による散文作品群の総称  サガ=古アイスランド語の     segja(「言う」を意味する動詞     英語のsay     ドイツ語のsagen     に相当する)から派生した言葉    「語られたもの、語り物、物語」     を意味する  ↓↑  「さがみに カミて カミくだき・・・」   佐賀美邇・・・・サガミに    迦美而、・・・かみて    於    吹棄氣    吹之・・・  ↓↑  天照大神(アマテラス)  と  建速須佐之男命(スサノオ・素戔嗚尊)  の誓約(ウケイ・占い)   うけい(うけひ)=宇気比、誓約、祈、誓   あらかじめ宣言を行い   そのどちらが起こるかによって   吉凶、正邪、成否などを判断する  ↓↑  天照大御藭詔  「然者、汝心之芿明、何以知。」  於是、  速須佐之男命  答白  「各宇氣比而生子。(自宇以下三字以音、下效此)」  ↓↑  故爾各中置 天安河而、宇氣布時、  天照大御藭、  先乞度  建速須佐之男命  所佩  十拳劒、打折三段而、  奴那登母母由良邇(此八字以音、下效此)  振滌  天之眞名井而、  佐賀美邇・・・・  迦美而 ・・・・  (自佐下六字以音、下效此)、  於   吹棄氣   吹   之  狹霧所成藭御名、  多紀理毘賣命(此藭名以音)、  亦御名、謂  奧津嶋比賣命。  次  市寸嶋上比賣命、  亦御名、謂  狹依毘賣命。  次  多岐都比賣命。三柱、(此藭名以音)。  ↓↑  速須佐之男命、  乞度  天照大御藭  所纒左  御美豆良  八尺勾璁  之  五百津之美須麻流珠而、  奴那登母母由良爾、  振滌  天之眞名井而、  佐賀美邇・・・・  迦美而、・・・・  於  吹棄氣  吹  之  狹霧所成藭御名、  正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命。  亦乞度所  纒右御美豆良之珠而、  佐賀美邇・・・・  迦美而、・・・・  於  吹棄氣  吹  之  狹霧所成藭御名、  天之菩卑能命。(自菩下三字以音)。  亦乞度所  纒御𦆅之珠而、  佐賀美邇・・・・  迦美而、・・・・  於  吹  棄氣  吹  之  狹霧所成藭御名、  天津日子根命。  又乞度所  纒左御手之珠而、  佐賀美邇・・・・  迦美而、・・・・  於  吹  棄氣  吹  之  狹霧所成藭御名、  活津日子根命。  亦乞度所  纒右御手之珠而、  佐賀美邇・・・・  迦美而、・・・・  於  吹  棄氣  吹  之  狹霧所成藭御名、  熊野久須毘命。(自久下三字以音)。  幷五柱。  ↓↑  於是  天照大御藭、  告  速須佐之男命  「是後所生   五柱男子者、   物實   因我物所成、   故、自吾子也。   先所生   之   三柱女子者、   物實   因汝物所成、   故、乃汝子也。」  如此  詔別也。 ーーーーー  ・・・佐賀美邇・・・・サガミに=佐我彌爾(書紀)      迦美而、・・・かみて =加武而(書紀)       於吹棄氣吹之・・・ =吹棄氣噴(書紀)       噛みに噛み砕き       吐き出した息吹の・・・       吹き棄(うつ)る気吹(いぶき)の             𪗾然咀嚼(書紀)             吹棄氣噴之而」       𪗾然咀嚼(書紀)       𪗾然咀嚼、此云            佐我彌爾=佐賀美邇(古事記)            加武而 =迦美而(古事記)           吹棄氣噴之=吹棄氣吹之(古事記)  ↓↑  𪗾然(さがみ・コツゼン?キツゼン?)に  咀嚼(か・ソシャク⇔租借)みて     ・・・かじる=囓る・齧る・噛る・・・化字留・佳字留        bite (at)・gnaw (at)・nibble (at)・crunch            chew・・・栗鼠・鼠          リス(栗鼠)は、ネズミ目(齧歯目)リス科             くりス・移鼠=クリスト

 𪗾然咀嚼、此には佐我弥爾加武(さがみにかむ)と云ふ。?  相武国=さがむのくに=相模国  「𪗾=歯+吉」=異体字「𪙏=歯+害」・・・?   𪗾=齒+吉=齿+吉    =カツ・ケチ・ゲチ       吉(柔)=害(硬・固)・・・?        硬いモノはよく齧る・咀嚼・反芻        老人の歯=こう歯会=尚歯会        尚歯会        主宰は遠藤泰通(遠藤勝助)        高野長英、小関三英、渡辺崋山        江川英龍、川路聖謨        シーボルトに学んだ        鳴滝塾の卒業生        吉田長淑に学んだ者などが        中心となって結成        尚歯=尚(とうとぶ)           歯(年歯・年齢)           老人への敬老  ↓↑  𪗾然咀嚼  𪗾然咀嚼、  此云  佐我彌爾  加武而  吹棄氣噴  之狹霧吹棄氣噴之狹霧、  此云  浮枳于都屢伊浮岐能佐擬理所生藭、  號曰  田心姬。  次  湍津姬、  次  市杵嶋姬、  凡三女矣。  ↓↑  𪗾然咀嚼、而吹棄氣噴之 狹霧所生藭  囓斷瓊端、而吹出氣噴之 中化生藭  囓斷瓊中、而吹出氣噴之  囓斷瓊尾、而吹出氣噴之  囓斷劒末、而吹出氣噴之  ↓↑  尚歯会  最高齢の主人を含む  7人の高齢者が招かれ、集まり  詩賦、和歌を作る  音楽歌舞の遊宴  7人は「七叟」  その他は「垣下」で相伴  845年  唐で  白居易が催した故事が起源  ↓↑   貞観十九年(877年)  南淵年名  がその山荘で行なった  「皇年代略記」陽成に  「元慶元年三月   大納言   南淵年名   設二   尚歯会宴一」  「濫觴抄」下に  「尚歯会   陽成二年丁酉(貞観十九)三月   南淵年名設」  ↓↑  安和二年(969年)三月十三日  藤原在衡によって  粟田山荘で(日本紀略、本朝文粋)  天承元年(1131年)三月(二十日とも二十二日とも)  藤原宗忠によって  白河山荘で(百練抄、長秋記、今鏡、古今著聞集)  それぞれ開かれた  白居易の先例にならって  詩賦の遊宴  ↓↑  承安二年(1172年)三月十九日  藤原清輔によって  白河の宝荘厳院において催された  和歌の尚歯会の最初(百練抄、愚昧記)  ↓↑  養和二年(1182年)  賀茂茂重  (古今著聞集)  以後、  尚歯会は  詩賦と和歌とに分かれた  ↓↑  江戸時代  年賀の席で兼ねて行なわれ  連歌、俳諧を交えて行なわれた  ↓↑  「風のしがらみ」  宝永四年(1707年)十二月十一日  中院通茂  が77歳のとき尚歯会を催した  ↓↑  「渡辺幸庵対話」「嬉遊笑覧」によれば   宝永五年(1708年)十二月  谷中感応寺のとなりの草庵で  渡辺幸庵の尚歯会があった  渡辺は127歳で上座  「長生殿裏春秋富」  「不老門前日月遅」  の2句を書いて壁に掛けた  ↓↑  「翁草」によれば  正徳五年(1715年)三月  江戸  生島幽軒八十の賀に  老人7人の集会  榊原越中守家来  初名金五郎 志賀瑞翁 167歳  医師 小林勘斉 136歳  松平肥後守内 佐治宗見 107歳  旗本 初名権左衛門 石寺宗寿 97歳  医師 谷口一雲 93歳  旗本 下条長兵衛 93歳  浪人 岡本半之烝 83歳  旗本 初名山田市之烝 亭主 生島幽軒 81歳  ↓↑  「翁草」によれば  享保八年(1723年)三月一日  霊元法皇の御所から高寿の人を召され  尚歯会に准られ  ↓↑  「武江年表」によると  享保十一年(1726年)十一月十八日  「大道寺友山翁尚歯会   志賀随翁   其余六人の翁会すると云、姓名未詳」  ↓↑  「視聴草」によると  明和六年(1769)  奥医師  武田長春院の尚歯会が  仙台河岸の別荘であった  ↓↑  「尾張名所図絵」によると  安永十年(1781年)三月九日  内藤閑水の催しで  府下高齢者9人が  金剛山長栄寺に集会し  尚歯会で  詩歌連俳を詠出 ーーーーー  ???・・・𪗾然(さがみ・コツゼン?キツゼン?)・・・  忽然=物事の出現・消失が急なさま・突然  屹然=山などが高くそびえ立つさま     孤高を保ち周囲に屈しないさま     他に屈せず、自立しているようす  ・・・

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