音更=おとふけ=乙耽・・・緒譯符化・・・孵化?
2021/11/26・金曜日・・・追加添文・・・
「音更(おとふけ)の町名の由来
アイヌ語の
「オトプケ(毛髪が生ずる)」
が転訛したモノ」・・・
禿(はげ)のナヤミ・・・の、解消・・・
動植物、モノ自体の「繊毛・染毛・腺毛」の
「ケ」の必要機能性とはナニか・・・?
「譫妄」・・・?
↓↑
譫妄(センモウ・delirium)
意識混濁で脅迫的な思考や幻覚や錯覚の状態
↓↑
外界からの刺激に対する反応が鈍り
錯覚・妄想・麻痺 (まひ) などを起こす意識障害
↓↑
外界からの刺激に対する反応が鈍り
錯覚・妄想・麻痺(まひ)などを起こす状態
↓↑
外界からの刺激に対する反応が鈍り
錯覚・妄想・麻痺などを起こす
↓↑
・・・「発想の根源」は「コトバの音声、音声としてのコトバ」・・・TVのニュースを見ていたら「音更(おとふけ)高等学校」が紹介されていた・・・十勝平野にある音更町にある農業をしながらの農業科、昼間定時制高校の卒業式・・・「北海道音更高等学校(ほっかいどうおとふけこうとうがっこう、Hokkaido Otofuke High School)は、北海道河東郡音更町にある公立(道立)の高等学校」・・・ボクにとっては「音更(おとふけ・オンコウ)」の漢字が興味の対象だが、「音更(おとふけ)の町名の由来は、アイヌ語の「オトプケ(毛髪が生ずる)」が転訛したモノ」らしい・・・だが、ナゼ、「オトプケ」に「音・更」の漢字を当てたのか?・・・ 「更=さら・ふける・ふかす・かえる・かわる・とお・とく・のぶ・コウ・カウ= 新しいものと入れかわる・入れかえる・更改・更新・更迭・変更・夜を五つに分けた時刻範囲・三更・初更・深更(ふける・シンコウ)・甦 (そ) =更生(コウセイ)・更地(さらち)・今更(いまさら)・更衣(ころもがえ)・更紗(さらさ)」・・・ 「更=かえる・あらためる・取りかえる・こもごも」・・・ 「更=老人・経験を積んだ人・三老五更」・・・ 「更」は「㪅(丙+攴)」の略字・・・「火の兄」の「攴(ボク・ホク)=ぼくづくり・のぶん・とまた(攵・攴)= 「攴」の字は、「撲」と同義同音で「打」で、「手(又)に棍棒を持つ」、「攻撃・叩き・強制」・・・「火の攴」とは「松明(たいまつ)・焚き松・手火松・炬火・トーチ(torch)・篝火」 それに、「道南の江差町で26日、海の色が白く濁っているのが見つかり、道などはニシンの群れ が産卵したあとにみられる群来では」、とのニュース・・・ 「群来(くき)=魚が産卵のために沿岸に大群で来ること・特に、ニシン(鰊・鯡)についていう」、「鰊群来 (にしんくき)=産卵期のニシンが大群で北海道西岸に回遊してくること」、「群来(くき)とはニシンの大群が産卵のため に岸に押し寄せて、放出された白子(しらこ・精子)の色で海が白濁する現象」・・・ ーーーー ↓↑ 1858年(安政五年) 「松浦武四郎」が トカチ内陸・・・「十勝=トカプシ=乳房が付いているところ トカプチ=乳房が焼ける トゥカプチ・幽霊」・・・意味不詳? 「乳房が焼ける」は 「白い」 「乳を温める・乳を煮る」 「張った乳房の乳首、乳孔からの 白い乳の噴出」カモ? 「孔は子供が 乳を吸うことの指示文字」 「鍾乳洞の石灰質を含む 水滴の凝りの石鐘乳」 を探検し、 音更(おとふけ)地内に立ち入る ↓↑ 1874年(明治七年) アメリカ人の ベンジャミン・スミス・ライマンが、 大雪山方面から十勝入りして 音更川を踏査 1879年(明治十二年) 大川宇八郎 が音更に入地 アイヌとの交易を始める 1894年(明治二十七年) 増田立吉 が下士幌で水稲試作 1896年(明治二十九年) 帯広~音更間の道路建設(国道241号) 1901年(明治三十四年) 下帯広外11村戸長役場から分離 音更外2村(然別・東士狩)戸長役場を開設 1905年(明治三十八年) 十勝川に開成橋(十勝大橋の前身)架橋 1906年(明治三十九年) 音更外2村戸長役場を廃止、 音更村として2級町村制を施行 1920年(大正九年) ビート(テンサイ)・・・「beat」?・・・ ↓↑ 「Beatles」? 「The Beatles」? 「beetle」? 「カブトムシ=beetle(ビートル)」 「クワガタ=Stag beetle (スタッグ ビートル)」 「Stag=去勢されたブタ」? ↓↑ 「甜菜=テンサイ sugar beet Beta vulgaris beet-root)」 「beet=ヒユ(莧)科→比喩・日比? アカザ(藜)亜科 フダンソウ(不断草)属 の二年生の植物で 砂糖大根」 ↓↑ 「フダンソウ(不断草)」 イタリアで「ビエトラ」 イギリスで「チャード」 沖縄で「ンスナバー」 地方の別名 「いつもぢしゃ」 「常菜(とこな・つねな)」 「年中菜」 「唐萵苣(トウヂシャ)」 「かき菜・夏菜・うまい菜・あま菜 ↓↑ 胡麻いらず・かつぶし菜」 耕作始まる 1921年(大正十年) 川上村(士幌町と上士幌町)、 鹿追村(鹿追町)を分村。1級町村となる 1925年(大正十四年) 日本国有鉄道(国鉄) 士幌線(帯広~士幌間)開通 翌年には上士幌まで延伸 1933年(昭和八年) 雨宮温泉を・・・・・「あまみや温泉」? 十勝川温泉と命名 1939年(昭和十四年) 士幌線全通(帯広~十勝三股間) 1940年(昭和十五年) 十勝大橋完成 1945年(昭和二十年) 帯広・音更・幕別・本別・池田を グラマン艦載機が空襲(北海道空襲) 1948年(昭和二十三年) 帯広市立商工高等学校音更分校 (北海道音更高等学校)開校 ↓↑ ーーーー 「乳(ちち・ニュウ)」を意味する 「トカプチ(十勝)」とは? ↓↑ 「此川本名トカチ也。其地名の訳は昔し此辺に小人が住し由なるが、蝦夷人始て此処へ来りしかば、小人窓より魚を出して与へしが、未だ夷人は魚を喰する事をしらざりし也。其魚を取捨て、小人の腕を持て引しかば、其腕抜て小人は逃去りし由。其逃る時にトカチトカチと云て去りしと。トカチは魚が無と言事なりしとかや。よつて此トカチの方至て魚少し。(松浦-武四郎=竹四郎-廻浦日記)」 「トカップ」=魚の皮 「シベ」=鮭(サケ) ↓↑ 地名「シアンルル」が 「トカプチ(十勝)」=「おっぱい(乳)が 涸れるように 運が悪くなれ」、 という意味にされた・・・? ↓↑ 「音更のコロポックル伝説」 ↓↑ 『大昔、この辺りにコロポンクルという とても小さな人たちが住んでいた。 昼はかくれていて働かないけれども、 夜になると5人から10人くらいが、 この辺りの川で 数捜の丸木舟に乗って魚をとっていた。 そして、コロポンクルは、そのとった魚を アイヌのチセ(家)のすき間から 手首だけを出して差し入れ恵んでいた。 しかし、決して姿は見せなかった。 どうも不思議なので、 ある時 アイヌの若者が正体を見届けてやろうと思って、 魚を差し入れた手首をムズとつかんで 有無を言わせずチセの中に引き入れた。 すると、とても 小さなきれいな メノコ(女性)で 腕には 入墨をしていた。 ところがコロポンクルたちは、 姿を(と) いれずみ(文身・刺青・入れ墨・黥) (を)見られたことを非常に怒って アイヌをうらみ(怨・恨)、 どこともなく 舟に乗って去って行ってしまった。 その去って行く時に アイヌは 若くても早く死ね。 永生きするな。 かみ(髪)も ひげ (髭・鬍・鬚・髯・日毛・日下・卑下・非解)も 早く白くなれ。・・・「カミもヒゲも 早く白(しろ)くなれ」 忘れるな。 といい、 トカチ(十勝)という名をつけていった、 とのことである。(吉田巖日記・帯広叢書第23巻)』 ↓↑ 「松浦武四郎の戊午日誌」に数話収録 「トカプチ(十勝)」は 「水は枯れろっ、魚は腐れっ」という呪いの言葉 ・・・「鰊(鯡・ニシン)の群来(精子)=白子」、「乳(チチ)」も、年老いて「髪(カミ)」も、「ヒゲ(髭)」も、早く「白(しろ)くなれ」である・・・共通項は「白」である・・・ 古代国家ならば「新羅」であり、「白頭山(ペクトゥサン・ハクトウサン)=長白山(チョウハクサン)」は、頂上に「天池」と云われるカルデラ湖があり、「黒曜石の産地」で、「中国吉林省と北朝鮮両江道の国境地帯にある山」、古くは「不咸山・白山・太白山」と呼ばれた」で、満州語では「ゴルミン・シャンギヤン・アリン=どこまでも白い山」であるらしい・・・ 「白頭山」に類似する漢字の「白山(しらやま・ハクサン)=御前峰=越白嶺(こしのしらね)」は日本にも存在する・・・「日本の北陸地方、白山国立公園内の石川県-白山市と岐阜県大野郡-白川村にまたがる、標高2,702mの山」・・・「ハクトウサン=嵌句訳得纂」・・・ 崇神天皇七年 遥拝所創建 祭神は 菊理媛尊(白山比咩大神) 伊邪那岐尊(伊弉諾命) 伊邪那美尊(伊弉冉命) の三柱 717年(養老元年) 修験者 泰澄 が 加賀国(越前国) 白山の主峰、 御前峰(ごぜんがみね)に登り 緑碧池(翠ヶ池)から 十一面観音の垂迹である 九頭龍王(くずりゅうおう)が出現し、 自らを 伊弉冊尊の化身で 白山明神=妙理大菩薩 と名乗って顕現した・・・ ーーーーー アイヌのトラブル・・・ ↓↑ 「江戸時代初期 寛文九年六月(1669年6月) シブチャリ以東の 太平洋沿岸に居住する アイヌ民族集団 メナシクルと、 シブチャリ から シラオイにかけての アイヌ民族集団 シュムクルは、 シブチャリ地方の 漁猟権をめぐる争いを続け 両集団の対立は、 1648年の戦いまで遡ることが出来、 日高国域を中心に蝦夷が蜂起した シャクシャインの戦いによって 十勝国域内でも和人が殺された。 また、 蝦夷(アイヌ)同士による戦いも行われ 十勝に侵入した 北見アイヌ(または日高アイヌ)と 十勝アイヌの戦いが チョマトー(河西郡域、帯広市)で行われた・・・ 蝦夷の人々の間では古くから 芽登温泉が知られていた・・・ ↓↑ 「シャクシャインの戦い=寛文蝦夷蜂起」 1669年6月(寛文九年六月) シブチャリの首長 シャクシャイン を中心として起きた、 松前藩に対する アイヌ民族の大規模な蜂起 ↓↑ 江戸時代後期、 十勝国域は東蝦夷地に属し 国防のため 寛政十一年 東蝦夷地は公議御料(幕府直轄領)とされ 文政四年 一旦松前藩領に復し 安政二年 再び公議御料となり 仙台藩が警固を担当 安政四年 上川郡域で 十勝岳が噴火(安政噴火) 安政六年 6藩分領で 十勝国を領国に加えた仙台藩によって 広尾に出張陣屋のひとつ トカチ陣屋が築城された・・・ ーーーーー ・・・「群来=くき=句規」・・・「鰊=にしん=鯡・二心・2進」・・・「魚(まな・眞名=漢字)が産卵(サンラン・簒蘭)のために沿岸(怨願)に大群(タイグン・大軍・他意具務)で来る」・・・???・・・ ・・・入院中は従姉の差し入れの「佐藤さとる(暁)、村上勉のコロボックル物語(1) 、だれも知らない小さな国」を読んだが・・・「こぼしさま」は 「コロポックル」か、 「すくなびこな(少名毘古那・須久那美迦微・少彦名・少日子根 )」か、 「ちいさこべ=ちひさこべ(小子部 鉏鉤=さひち・生年不詳~天武天皇元年(672年)七月or8月)・姓(カバネ)は連・672年、壬申の乱の時に尾張-国司守として大海人皇子(天武天皇)に味方し、内乱後に謎の自殺をした」・・・大海人皇子は「鉏鉤は功ある者である。罪なくしてなぜ自殺したのか。これは陰謀があったのか」・・・とか、白々しい・・・鉏鉤・・・ 「ソゴ=齟齬・鉏鋙・䶥牙」=「上下の歯がかみ合わない事」=「物事がうまくかみ合わないコト・食い違い・ゆきちがい」・・・「䶥牙」・・・「錕鋙=古代的寶刀・寶劍」・・・ 「鉏=金+且=身に添えて持つ小刀・さえ・ソ」 「鉤(金+句)=鈎(金+勾)= かぎ・こ・こう・はり・ち・はぜ」 =先が曲がった棒状の金属製の器具で 曲がった部分を引っ掛けて使う フック(hook)」 「鋙=金+吾=くいちがう・ギョ・ゴ」 ・・・「少子部蜾蠃(ちいさこべのすがる・日本書紀・日本霊異記」に記される「雄略天皇」の臣下で「小蚕(こかいこ)」と「子飼い」を勘違いした人物・・・「養蚕の繭」と、「嬰児の養育」・・・ 「少子部栖軽(すがる)」とも 「蜾蠃」の「蜾=虫+田+木」 「蠃=亡(亠L)+口+月+虫+刃」 =蝸牛(かたつむり)・ラ・カ 「栖軽=すがる=縋る=頼るとする・助力を求めて頼りとする」 =すがりつく 「すがる=ジガバチ=似我蜂」の古名 「蜂の異名・鹿の異名」・・・ ーーーーー ・・・???・・・すがる・・・棲臥留・守臥留・素臥留・数臥留・諏臥留・蘇臥留・州臥留・・・ス・ガ・ル・・・津輕(つがる)?・・・津軽三味線・・・駿河(するが)?=「敦賀(つるが)は、福井県南西部(嶺南地方)の敦賀湾に面する市・原子力発電所が多く立地、昆布の加工地」・・・江戸時代は若狭藩(小浜藩)・・・「角鹿(つぬが)」・・・ツヌガアラヒト・・・
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