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2007年12月・・・15年前の記事・・・追加添文・・・

20022/6/21・火曜日・・・追加添文・・・

   「独裁者」を望む人々は「就職秩序も望む」・・・イワンがノゾム・・・負卯賃?

・・・「独裁者」を育てるのは「ドサクサを嫌厭とする国民のエゴ」・・・?

・・・「独裁者」を育てるのは「ドサクサを好機とする国民のエゴ」・・・?

・・・「独裁者(dictator)」=特定の個人が集団、組織の全権力を握り、支配すること

 獨=犭+蜀=独=犭+虫

   犭+罒+勹+虫

   犭+罒+勹+中+ム

   ドク・トク

   ひとり・ひとりで・ひとつ

   老いて子がいないもの・子孫のいないもの

   ひとつだけ・自分だけ。

   「独逸(ドイツ)」の略

   惸独・惸獨(ケイドク)

   頼りとなる人いないヒト・独身

   身寄りのない人

   慎独・慎獨(シンドク)

   誰もいなくても

   行いをつつしんで心を正しく持つこと?


   蜀(あおむし)

   蜀(いもむし)

   蜀(とうまる)

   蜀=罒+勹+虫

   蜀山人(しょくさんじん)

   玉蜀黍(とうもろこし)

   望蜀(ボウショク)

   蜀黍・唐黍(もろこし)


 蜀犬吠日(ショクケンハイジツ)

  見識の狭い人が理解もできないのに

  賢者の言行を非難すること

  見識の狭い人が理解できないことに対して

  無駄な疑いを持って騒ぎ立てること

  中国の蜀は高い山に囲まれた地で

  ほぼ毎日霧に覆われ

  たまに霧が晴れると

  犬が怪しんで太陽に向かって吠えた

  「蜀犬日に吠ゆ」

 得隴望蜀(トクロウボウショク)

  人間の欲望は尽きることがないということ

  「隴」と「蜀」は中国の地名

  後漢の光武帝が望みを叶えて

  隴を手に入れたが

  次は蜀が欲しいと望んだ故事

  「隴を得て蜀を望む」

 巫雲蜀雨(フウンショクウ)

  離れ離れになって暮らしている夫婦が

  お互いのことを思いやること

  「巫雲」は中国の

  「巫山」という山の雲

  「蜀雨」は中国の蜀国に降る雨

 望蜀之嘆(ボウショクのタン)

  人間の欲望は尽きることがない

 蜀犬、日に吠ゆ

  無知で当たり前のことに

  疑いを抱いて騒ぎ立てること

  見識が狭い人が他人の言動を疑って非難するたとえ

  蜀地方は山地で多雨で天気の良い日が少なく

  太陽が出ると犬が怪しんで吠える

 望蜀

  一つの望みを遂げて、さらに次を望むこと

  人間の欲望には限りがないこと

  後漢書の「既に隴(ロウ)を得て、また蜀を望む」

 2007年12月01日00:232

 377日目・・・「かがみ・かんがみ」・・・鏡・・・「大・今・水・増」鑑(鏡)・・・「かがみ」・・・小泉八雲・・・むかしの英語の教科書に載っていた物語で、母親が死んだ後、成長した娘が母の形見であった手鏡を視てその鏡の中に「母親の顔」を発見したと言うハナシがあったけれど・・・  「鏡」によって、人は自分自身の「客観性」を観れるのナ?・・・「主観性」をも発見してしまうのカナッ?  ・・・どっちにしても個人的には「光→対象物⇔電磁波長→眼→網膜→神経→頭脳の中での映像理解」で視ているモノは「マボロシ(視覚観念理解=主観)」でしかない。  どうやらボクが視えているモノは他人が視えているモノとはチガウようなのだ・・・  鏡を覗いて視ると映っているのは左右逆位置の「自分の顔」だけれど「黒目の縁が紫がかった灰色」になっていた・・・眼が濁っているみたい・・・  鏡・・・祭器・祭祁・祭祀・祭祈  鏡・・・化粧道具  鏡・・・アリスの世界  水鏡  金属鏡  銅鏡  ガラス鏡  ミラー(英語)  シュピーゲル(ドイツ語)  カスレフディス(ギリシャ語・καθρεψτηS)

 カガミは

 「鏡」、「鑑(かんがみる・かがみ)」

 「加賀美・香我美・加々美・各務・鑑」

 「屈み」とも書く。  邪馬台国の女王

 卑弥呼が

 魏の王より

 銅鏡(神獣鏡、三角縁神獣鏡)を贈られた

 「三種の神器」の一が

 「八咫鏡」である。  十字架、キリスト、マリアなどが

 光を反射させた壁などに浮かび上がる

 「隠れ切支丹鏡」の

 「魔鏡」があった。  「閻魔さんの鏡」は生前の悪事をビデオでみせるようなカガミである。  鏡が割れるのは不吉であるらしいけれど正月が過ぎて  「鏡餅を割る」

 とか

 「鏡開き」

 とか言う・・・  語源的に

 「鏡の語源はカゲミ(影見)、あるいは

       カカメ(カカとは蛇の古語=蛇の目)である」

 との説があるらしいが、ボクの考えでは

 「水に映す時の姿勢のかがむ(屈む)」

 で、そして

 「カミ(神=髪)」を「トク(読く=解く・梳く)」

 である。  古代人は

 夜の天体の星を

 「水盤」に水を漲って、背中を屈め、その星々を覗きみたであろうか?  古代の

 「直弧紋の鏡(直弧紋=松本清張氏の説は鏡を割って配下の地方豪族に配布した形」

 が意図的に割られたモノだとするならば

 「占いに鏡を使用し、その判じた結果の割る」

 で、「凶」を分散し

   「ワル=悪」を封じ込め

   「ワル=和を留める」の行為ではなかったのではないか、と思うのだが・・・  鑑鏡・観凶・・・

 カン(諫・諌め)

 に

 キョウ(怯・おびえる)

 ・・・友人の「うさ子」さんの

 「一(壱)、二(弐)、三(参)・四(肆)・五(伍)」の一昨日の「猿」のハナシだけれど

 「三猿=みざる・いわざる・きかざる」

 「しざる=セザル」

 「ござる=悟ざる」

 ・・・

 「六(6)ザルの隠すモノ」は

 「陸・陸奥」の

 「サル(去る・然る・沙流・笊・去る)」で

 「申(さる・もうす)」かも・・・

 「69」は

 「♋(蟹座)」のマークだけれど「6・9」は上下逆位置の勾玉の形で

 「オタマジャクシ(カエルのコ)」で

 「魂(たましい)」の形で御座るな・・・  「七(漆)ザル」は

 「ナナザル・シチザル」か

 「メスザル」か「ウルシザル」で

 「八(捌)ザル」は

 「サバクザル」で

 キワマッタ「九(仇)ザル」は

 「アダざる・かたきざる」で

 「十(拾・什・X)ザル」は

 「タル(足)ざる」で

 「トウザル」で

 「アシザル・ペケ、バツ、メざる」かも・・・  申(さる)→猿(エン)→媛→延→円→縁→轅(黄帝)→姫(足跡)→猿女→宇受(珍・軫)女・・・

 古事記・・・猿田彦(さるたびこ・エンデンゲン=遠伝言・燕伝諺)・・・

 溺死・・・船沈没・・・海難、遭難・・・

『古事記』

  猿田毘古神、猿田毘古大神、猿田毘古之男神

『日本書紀』

  猿田彦命


中世に

 「庚申信仰」

 「道祖神」

 と結びついた

 「邇邇芸命」

 の

 「天降り」・・・役人退職後の民間企業への高額給料取得者・・・?

 で

 「天の八衢(やちまた)に立って

  高天原から葦原中国までを照らす神」

 神の

 鼻の長さは七咫(ななあた)

 背(そびら)の長さは七尺(ななさか)

 目は八咫鏡(やたのかがみ)の形で

 赤酸醤(あかかがち)のように照り輝いている

 ・・・

 「天照大御神」・・・亜米利加を照らす大恩人・・・?

 と

 「高木神」・・・・・アリナミン発見の海軍軍医「高木某」

 は

 「天宇受売(あめのうずめ・アメのユヅめ)命」

 に、その神の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じ

 その神が

 国津神の

 「猿田毘古神」

 で

 「邇邇芸(ににぎ)命」

 らの先導をしようと迎えに来ていた

 「邇邇芸(ににぎ)命」

 らが

 「葦原中国」に着くと

 「邇邇芸(ににぎ)命」は

 「天宇受売(あめのうずめ)命」に

 その名を明らかにしたのだから

 「猿田毘古神」

 を送り届け、その名前をつけて仕えるようにと言った

 「天宇受売(あめのうずめ)命」

 は

 「猿女君(さるめのきみ)」

 と呼ばれるようになった

 『日本書紀』では

 「猿田彦」が

 「天鈿女(あめのうずめ)命」・・・

   鈿=金+田=かんざし=金指・・・金デン=金伝

         兂・簪・笄・楴・釵・サン

         篸=竹+參

             参=㕘・叅・叄・叁 

 に自分を送り届けるように頼んだ

 猿田毘古神は

 故郷である

 伊勢国の五十鈴川の川上へ帰った

 「猿田毘古神」は

 伊勢の

 「阿邪訶(あざか・一志郡阿坂村・現松阪市)」

 の海で漁をしていた時

 「比良夫貝(ひらふがい)」

 に手を挟まれ、溺れ

 海に沈んでいる時に

 「底度久御魂(そこどくみたま)」

     ・・・テイトク=提督

 「猿田毘古神」が吐いた息の泡が昇る時に

 「都夫多都御魂(つぶ たつ みたま)」

    ・・・ト   フタツ ゴコン

    ・・・訳(通)附他譯 語根

 泡が水面で弾ける時に

 「阿和佐久御魂(あわさくみたま)」

    ・・・アワサクゴコン

    ・・・阿波(安房・安和

          粟=西+米

          沫=氵+末)

         サク=作・索・策・差句

         ゴコン=語根・語今   

 という三柱の神が生まれ

 海中で溺れた際に生じた泡の三柱の神は

 「阿射加神社(三重県松阪市大阿坂・小阿坂神社)」

 鎮座・・・ 


 『倭姫命世記(神道五部書の一)』

 「倭姫命」が

 「天照大神」を祀るのに相応しい地を求め

 諸国を巡り

 「猿田彦の子孫」である

 「大田命(おおたのみこと)」

 が倭姫命を先導し

 「五十鈴川」

 の川上一帯を献上

 「大田命」

 の子孫は

 「宇治土公(うじのつちぎみ)」と称し

 代々伊勢神宮の

 「玉串大内人」に任じられた

 ・・・大田命を猿田彦の子孫と主張し始めたのは

 鎌倉時代に成立した

 『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』

 『倭姫命世記』

 であり

 延暦期成立と見られる

 『皇太神宮儀式帳』

 や後三条朝までの編年記事が見える

 『大神宮諸雑事記』

 では、「宇治土公(うじのつちぎみ)」

 は単に大田命の子孫であるとだけ主張し

 大田命の遠祖に猿田彦を架上した・・・

 「児島系図」

 で

 「久斯比賀多命三世孫」の

 「久斯気主命」を祖とし

 「石部公」

 「狛人部」

 と同族であるとされ

 これに従えば

 「三輪」氏族となる・・・


  コメント欄

目、だいじょうぶですか。

大蛇の古語は「はは」だって、何かの本で載ってたけど本当?

「ペケバツめざる」って、おもしろいですね

 ↓↑  「はは」ですか?・・・「はふ・はぶ」か、「はは・はば」の文字が重なったモノかも(濁点の端折ったモノ)・・・チョロチョロと這うモノは「虫」でヘビ(蝮)の類だから・・・  「お(を)ろち=高志の八俣ー遠呂智」→大蛇⇔「うわ(は)ばみ(蟒蛇=ボウジャ・モウジャ=虫+莽+虫+它)=宇和場見(宇和島の場所を見よ?)」・・・「莽」は「イヌがウサギを追い出す意味」があるらしい・・・「虫+莽」ならヘビとマングースの戦いで、ヘビをヤツケルことかも・・・  ちなみに「古事記」に記録されている「八俣の遠呂智」の「俣(また)」は和製漢字であるらしいのですが・・・

 確かに今現代の場所の地名でもある「水俣」・・・

「水銀垂れ流し窒素会社」は「毒蛇」・・・

 2007年12月03日00:231  378日目・・・スケートリンクの「フギヤスケート」・・・順位決定競技が終わった後での緊張感から解放された演技・・・勝ちにこだわらず、何かに一所懸命に、酔ったように、「自分を忘れた」ように、「自己表現」できるって素晴らしいねッ・・・転んでも笑って舌をだす彼・・・そして「ペア」のスケートダンス、スゴイなァ~、あの息の合ったカップルの演技・・・ボクも我を忘れ、夢中でTV画面に視線を釘付けにされてしまっていたけれど・・・今は、なんか、この「シアワセな時間の脳裏の余韻」を閉まっておけない気分、ミンナにお喋りしたい気分・・・  けれどもTVの画面は「外人横綱復帰」、「マラソン」、「昭和40年代の歌手と歌」、「学校にも行けないカンボジアの少女」、「行列のできるナントカ」、「パレスチナの薬品医療品不足の命の危機」、「自動車事故」、「火事での幼いこどもの死亡」、「失恋怨恨での闇サイト共犯、強盗、拉致未遂」、「ベイルートでの戦禍で殺されたこども」、「バレー」、「野球」、「美味しそうな料理」・・・地球は、世界は、日本は、あらゆる「現実と情報」が氾濫・・・ボクの周りの「日常の生活」は喜怒哀楽、悲喜こもごもが混在しているのに・・・僅かなこの「シアワセな気分」だけが頭に響いている・・・そしてこの「共感者」を独りぼっちの部屋で捜している・・・モウ君がいないから、明日の朝、ボケていなければ「ママ」に聞いてもらおう・・・

2007年12月03日 20:13

ステキな「共感者」が、見つかるといいですね。 そういうパートナーが、現れるかどうかって

占いではどのくらい予測できるんですか?

↓↑

2007年12月04日 01:27

・・・モウ、今朝、「ママ(女将)」に「共感・共鳴」してもらったんけれど。 ↓↑ 「そういうパートナーが、現れるかどうかって

 占いではどのくらい予測できるんですか?」

↓↑

 ・・・「共感のパートナー」ですか?・・・

 毎日、ボクは「喜怒哀楽の共感」を押し付けてしまうヒトとは

 出会っているんだけれど・・・モチロン、ボク自身も・・・  一般的には「共感できるだろう主観的テーマ」が出会いの双方に前提としてアルならば、「ランダム」に「複数の諸関係の時期と場に於いて出来事としてアル」とは思うなッ・・・この「ランダム」を過去的なプロセスを振り返って考えて見ると、あらかじめ「シナリヲ」が準備され、お膳立てされているモノの結果のように思います。  美術、演劇、舞踏、映画、演奏などの会場で、スポーツ競技会場での勝敗で、「観賞者」⇔「作品」、「観客」⇔「演技・演奏・競技」、「読者観賞者⇔作品」の関係性で、そしてある「事件の結果」を知るコトで、各々がこれに一方的に向いて「喜怒哀楽」を「自己納得・自己確認」しながら、周りの人々と群れて「オォ~ッ」って「共感的現象」をかもし出しているみたい。今流行の「空気をヨム」って言うよりも「空気にノル」って感じ・・・シラケている場合も多いけれど・・・  でも、「特殊で相互の共感の内容」は左右前後の人との再確認のコミュニケーションが「スゴカッタ~ねっ!」と始まった時からである、と思う。  その中の「一人」が特殊な出会いの「ステキなヒト」かも・・・  「観賞者・観客・読者」⇔「観賞者・観客・読者」同士の関係で、「共感現象の中」で「共感の特殊個別的な再確認」は気薄になっているみたいに思う。  「家族関係」は「男女の対」から始まってその諸関係のプロセスで「喜怒哀楽の共感」を当たり前のように「確認」しあっている、と思う。  で、問題の「共感」の出発点である「家族関係」をはじめれない人間や壊してしまうヒトも多いけれど、単にマイナーに「無いかもしれないと思っているだけ」のヒトが多い見たい。  「家族関係」、社会生活では、どんなヒトであろうともこれに擬似する体験無しでは生きてはいけない存在だし・・・  「偶然」は無く、あるのは「必然」のみ。  「偶然」と思うのは「主観の認識領域」で、「必然」は「変化する存在の領域」にあるから・・・出会うべくして出会う・・・と思います。  「予感・予知」は「主観的なモノ」だが、「感じる領域の特殊個人的な生理的敏感さ」が「出来事・事件の前兆」を「感知・直観」するモノ。五感としての「直感」では無く、経験としての「直観」です。  問題の「パートナー」・・・残念ながら・・・  「四柱推命」は「決定論」だけれども、「ステキな共感者」としての「パートナーと出会う時期」として、「どのくらい予測可能か?」の「目盛り」は無いんではないかな。  ・・・イイ時はすべてがイイ。ワルイ時は踏んだり蹴ったりが占うまでも無く現実です。  すべての「占い」は、占い者の「現在的な過去的状況の主観的な経験」を踏まえた「結果論」、その未来的な傾向性だと思っています。  「透視や霊能者」は「占い」とは別と考えています・・・が・・・  「ウエストサイド物語」の「マリア」と「トニー」がデュエットで歌っている「Tonight」は「過大な期待感(予感・予測)」で、結果は、その「共感」で思いを遂げたモノだけれど・・・その先は視えていなかった・・・殆どの「観客」はその物語の未来的結末を知っていたハズ・・・で、ボクが「監督」ならば「ハッピィエンド」で完結させるんだけれど。  「異性運・仕事運・出世・金運」等は人間同士の出会いと、出来事、その関係時期の吉凶レベル。その時期、いい意味での「共感者」とはかぎりません。「非共感者・不共感者」かも。「理解」してもらうのは並大抵ではないし、誤解、曲解、不理解がアタリマエ・・・リリーの歌じゃないけれど、「共感」はベットの中でも、とても、とても・・・  出会いの時期の「感性的な好き嫌い」は別にして、タブン、イイもワルイも「相互に共感者」になるのには「出会って後からのかなりの時間」が必要かも・・・我慢、忍耐も「共感の兆」・・・

↓↑

おもしろいですね、ありがとうございます。

・・・我慢、忍耐も「共感の兆」・・・

↓↑

 2007年12月05日 16:22

 訪問者の「足跡公開」=「番外編」で公開・・・

↓↑

「これ(番外編)は何を戒めるための暴露(全体公開)なのですか?」

  ↑

 そうですか、「足跡の公開」が「戒めのタメ」とか、「暴露(処刑)」とは思いもつきませんでした・・・

 「理由」は、以前は「新たな足跡の訪問者」には必ず「MIXIのメッセージ」から「ご訪問ありがとう」のメッセージを個別的に送っていたのですが・・・「足跡の日記での公開」が「サラシモノ」にしているなどとは思いもよりませんでした・・・ボクの問題意識・・・個別的に「メッセージ」を送れなかったコトに対する、再訪問での訪問者が確認してくれるコトか、自分自身への訪問「アクセス数」を顕示したかったコトだけですが・・・

 もちろん、「足跡公開」の「権利」とか「義務」などとは考えもしなかった・・・以後は「足跡公開」を慎みたいと考えています。

 2007年12月05日22:581

 379日目・・・「免疫の意味論(多田富雄著)」は既に古本屋で買って読み、本棚に飾ってあったのだが、買ったコトも忘れて、同じ古本屋で「タイトル」を忘れしまったのか、「免疫」と言う文字だけで、同じパターンで、違う時期に一冊、二冊、合計三冊も買ってしまっている。確かに古本の値段は「200円」なのだが、マタマタ、ボケッ・・・ィヤァ~、それにしても、「モノ見方、考え方」ってイロイロあるもんだなぁ~・・・今日(2007・12・5)の中日新聞の「時のおもり」と言う「中村桂子(JT生命誌研究館館長)」のコラムで「弱者の生命奪う”リハビリ打ち切り”」と言うモノが記されていた。抜粋してみると・・・  「免疫は医学として見ると、文字通り体内に侵入する外敵から身を守るー疫を免れるために生命が持つメカニズムだが、そのためには、自己と非自己の区別が必要になる。ここで、自己とはなにかと言う基本的問いが生じるのである」  と言う問題設定がなされて中村桂子氏のコラムが展開されていく・・・当の「多田富雄」氏が実際に脳梗塞で倒れ、リハビリで快復し、その立場(弱者?)から「診療報酬改定、リハビリ中止は死の宣告」と言う投稿文を「朝日新聞(2006/4)」にしたらしい。  「弱者の立場の基準」はナンだろう?・・・「医療費を支払う能力」・・・カネの有無?・・・なんだろうか?  「免疫の意味論」を著作した「多田富雄著」は「温厚」であったらしいが、当の「本人」が病で倒れ、快復してからの「発言・言動」は激しくなっていったらしい。  ・・・「免疫の意味論」を書いた時までは「客観主義的」な「学者」の「理性論的」だったのだろう。自分の「立場」がまさに「脳梗塞」に襲われた後に、その「医療制度」の「理不尽」さに「主体的」に「感情論的」になっていったのだろう・・・「四年間リハビリ」でなんとか快復した彼は「改正医療保険の発症後180日間のリハビリ上限」に怒っているらしい・・・救われた自分と、救われないであろう他人の比較に於いて・・・怒っているんだろうか?  だれもが「我が身を抓って他人の痛さを知ろうとはしない」し、事実、その「痛みを感じるコトは無理」だろう。自分自身の問題になった時に他人の痛みが、自分自身のモノとして直に解かるのだ。  今日のTVのニュースでも公表されたリストに自分自身が薬害投与で「C型肝炎」になったことを初めて知り、「訴訟」を起こした女性が報じられていた。それまで彼女は「C型肝炎」になったコトを「運命」だと思って諦めていたらしい・・・この「運命」とはナンゾヤ?・・・  「出来事的」に「明日は我が身である」との「覚悟の無いモノ」は「運」に流されるのだろう。  「自然界の出来事の流れ」は「自然」である。「幸、不幸」も無く「生から死」の異なった時間の枠があるだけである。その「出来事」を感情、理性に於いて「運命」と言い、考えているのは今のところ「エゴな人間」だけであるであるらしい・・・

 2007年12月07日00:521

 380日目・・・ボクの小説「イースト・サイド物語」って「墨東奇譚」じゃないんだけれど・・・ミュージカル映画「ウェストサイド物語」はボクが高校生くらいの映画であったと思うが・・・「ウエスト・サイド物語(West Side Story)・1961年制作」だったんだ・・・60年安保闘争の一年後・・・過去ボクの人生で繰り返し何回も観た映画であった。先日も何かのキッカケで思い出してしまった。最初、観賞した時のあのダンスの動きに「凄いッ」と感激し、後に映画「フラッシュダンス」を観てそのダンスの動きは「ウェストサイド」の比じゃないと思った、のだが・・・やっぱし「ウェストサイド」はスゴイッ。あの歌と音楽のメドレーの「旋律・楽曲」と「指を鳴らす音」は今でもフィに耳に響いてくる。だが、ボクは、その「英語の歌詞」を例のごとくあまり意識して聴いてはいなかった・・・特殊な聴覚障害であるみたい(かがみ=カマギ・モスラ=らもす・ラドン=どらん・じどうしゃ=どぅしゃ)  ・・・「歌詞」・・・  「何か起こりそう(Something’s Coming) 」  「マリア(Maria)」  「アメリカ(America)」  「サムウェア(Somewhere)」  「トゥナイト(Tonight)」  「クラプキ巡査への悪口(Gee, Officer Krupke)」  「ひとつの心(One Hand, One Heart)」  「クール(Cool)」  「あんな男に~私は愛している         (A Boy Like That/I Have Love)」  「恋は永遠に(Somewhere ‎‎–Finale–)」  「West Side Story」は「戦争の勃発とプロセス、そして結果」・・・「ジェット団とシェーク団」のチンピラグループの街の野外運動場の縄張りを巡っての争いの物語であったが・・・まさにあの時代の「アメリカの繁栄と中南米諸国の貧困、移民と人種対立」、そして、その背景にある「東西冷戦」への批判、すなわち、「反戦」映画であった・・・一見、「愛には悪も無く、善(正義)も無い」と言う「コトバ」とシェクスピアの「ロミオとジュリエット」をベースにした「ラブロマンの悲喜劇」のように思ってしまうが、まさに「戦争・紛争」の「原因・発端」であるクダラナさと、そのプロセスでチョッとしキッカケで「自分自身の意図」とはマッタク逆の状況に巻き込まれてしまう人々の恐ろしさ・・・である。  冒頭の「イーストサイド物語」とは日本と大陸中国、東南アジア諸国からの「研修生」なる「日本の現状」である・・・昨夜のNHKの「クローズアップ現代(12月5日)」の報道・・・  「外国人研修生」制度をめぐっての「不当な低賃金労働をさせられていた」と「公的機関」に訴える「外国人研修生・実習生」が続出しているらしい。訴えているのは「自分自身の権利」を知識として有しているからだ。「自己主張が強い中国人」とはそれなりの「教養レベル(読み書き勘定)」で判断出来る存在だからである。ムカシのクーリーとか農奴なんかじゃない・・・現実的に今現代も人種差別の激しい「アメリカ」からもその日本的状況を「強制労働(奴隷労働)の状況下」にあると批判されているらしい・・・日本の中小企業では大陸中国、東南アジア諸国から「出稼ぎ」を名目「研修生」として「違法低賃金」でこき使い、送り出す中国、東南アジア本国の「派遣業者」は膨大な「担保(200万円・300万円)」を前払い契約で搾取し、しかもその「契約書」は「日本の生命会社」が被契約者に渡す「契約書」のように細かく読解不能、理解不能のような文面で、相手の確認する暇も与えず契約サインをさせてしまう・・・「人買いと身売り」・・・  中国人の派遣業者の言い分・・・「お前達は中国人の出稼ぎのくせに、日本で日本人と同じ待遇を望んでいるのか」・・・であった。ここには「愛国主義」も「中華民族主義」も無い。あるのは「資本」と「労働市場」の論理である。そして「人権を自覚しつつある貧農、貧困中国人」である。  「West Side Story」の歌詞、「アメリカ・アメリカ」は現在の「ジャパン・ジャパン」の現状でもある。  「日本」の「低賃金労働者不足(補外国人)=失業者(日本人臨時雇用者・ニート・フリーター・ホームレス)」・・・混沌とした不安定な社会情勢で・・・ヒトラーは「失業者」に公平(?)な「仕事=労働=生活」を与えたのだが・・・「排外主義の思想・汎ゲルマン主義の思想」も与えた。その「思想洗脳のテコ」は「スポーツ」と大衆を動員する「映画・演劇・芸術・イベント・卍の旗」、規律ある軍事パレードでのプロパカンダであった・・・かっての「ソ連」、現在的にはロシアのプーチンが似たようなコトをやっている・・・どの国家の支配者も「国民」を「洗脳」せずしては国家運営はできない・・・日本支配階級に組するイデオログー達は「洗脳するコト」を、不安な状況の日本国民達は「洗脳されるコト」を望んでいるらしい・・・

 2007年12月08日14:001

 381日目・・・「ボケのおバァちゃんが犬に助けられた」・・・以下2007年12月8日土曜日の「日刊スポーツ新聞」からの抜粋・・・ __________  行方不明30時間、犬と抱き合い無事  茨城県東海村の認知症の女性(73)が5日朝から行方不明になり、約30時間後に、自宅から約5キロ離れた同県ひたちなか市の公園近くで無事保護されていたことが7日、分かった。茨城県警ひたちなか西署によると、発見された女性の傍らには体長約1メートルの犬が、ぴったりと寄り添っていた。女性は、氷点下の屋外で一夜を過ごしたとみられ、同署は「犬の体温で凍死せず助かったのではないか」と話している。  ひたちなか西署によると、女性は5日午前7時半すぎ、自宅で家族が姿を確認したのを最後に行方が分からなくなった。同日午後10時すぎに捜索願が出て、同署と消防団が捜索していた。  6日午後1時ごろ、自宅から直線距離で約5キロ離れた、ひたちなか市東石川の公園近くの空き地で、犬を抱いて座っていた女性を通りかかった男性が発見。住所を尋ねても答えられなかったため、犬と一緒に同署に連れて行ったという。  同署は捜索願が出ていた女性と確認。なかなか言葉が出ないため、約30時間の行動は確認できなかったが、薄手のセーターにジャンパー、ズボンという軽装だった女性に署員が「寒くなかった?」と声を掛けると「全然寒くなかった」。「暖かかった?」との問いには「うん」と答えたという。犬は署内でも寄り添い、ひざの上に乗るなど女性のそばを離れなかったという。  同署は女性が屋外で一夜を過ごした可能性があるとし、「犬を抱いていたため毛布代わりとなり、体温低下が避けられ、凍死せずに助かったのではないか」としている。水戸地方気象台によると、ひたちなか市に隣接する水戸市では6日午前0時から同8時まで氷点下が続き、最低気温は氷点下2・1度だった。  「飼っているの?」と聞かれた女性が「うん」と答えたため、同署は女性の犬と思い「犬も一緒です」と家族に伝えると、女性の家族は「犬は飼っていますが、今、ウチにいます」。女性が飼っている犬ではないことが判明したという。  同署は「この犬、飼いませんか」と勧めたが、女性の家族は「1匹飼っていますから」とやんわり拒否。本来なら、この犬は拾得物として扱われ、飼い主が現れるなどしなければ“処分”されるところだったが、同署は首輪があることから飼育されている犬と判断。「感謝状を贈るわけにもいかない。“犬道上”の見地からの特例」とし発見場所近くで逃がした。犬は黒と白のまだら模様で雑種のオス。推定年齢は5~6歳。署員が山盛りのペットフードを出すとペロリと平らげたという。 [2007年12月8日7時46分 紙面から] ______________  「“犬道上”の見地からの特例」とし発見場所近くで逃がした。犬は黒と白のまだら模様で雑種のオス。推定年齢は5~6歳」・・・おばぁちゃんを助けてくれた「犬」をまた「野良犬」にしてしまったんだろうか?・・・「女性の家族は「1匹飼っていますから」とやんわり拒否」・・・「ボケのおバァちゃん」、「彼女を助けた犬」に対して「家族」の「おもい」は「ドコ」にあるんだろう?・・・まさか、「厄介モノ」を助けた「お節介なイヌ」とは思ってはいないだろうなッ?!・・

 2007年12月09日16:461

 382日目・・・十一年前に出会って以来「片想い」してきた彼女から「バンダイの「ムゲンプチプチ」=携帯用の四角いおもちゃと「3Dジグソー クリスタルパズル」=プラスチックの立体ジグソーパズル」が欲しいって・・・「玩具?」・・・ドンなモノなんだろう?・・・とにかく、こりゃぁ何とか捜し見つけてプレゼントしなくちゃぁ、と思いながらデパート巡りと玩具屋巡りだったけれど・・・ドコにも売ってない・・・店員はその製品は「品切れです」とか、「生産中止になったみたいです」とか言われた。丸善の本屋を訊ねて店員に訊いてみると「以前は置いてあったのですが・・・取り寄せるとなるとロット単位になりますし・・・とにかく仕入れモトに確認して見ます」・・・最後に「ロフト」・・・「3Dジグソー クリスタルパズルはあります。でもバンダイのムゲンプチプチは人気商品でしたが仕入れてもすぐに売り切れてしまうモノですから・・・当分は店頭には並ぶ事はありません」・・・ヨカッタッ、とにかく「3Dジグソー クリスタルパズル」だけは手に入れた・・・「神さま、お願いします・・・ムゲンプチプチ」・・・どうしよう・・・近くの商店街に「玩具屋」があったハズだな、と思い出して訪ねてみた・・・あった「ムゲンプチプチ」が・・・「観音様」と「妙音様」、それに「マリア・キリスト・ホトケ」さま、感謝します、ありがとうございました・・・「片想いの恋」は成就しないとは思うけれど・・・出会ったあの「12月9日」からはアッと言う間・・・

コメント

2007年12月12日 23:30

キリチャンって、一途なんですね。

どんな女性だろう?女王の教室みたいな人かな~。

感謝する対象がいろいろあって、いいね。

 2007年12月12日15:551

 383日目・・・「人命を大切にする国、日本」・・・「12月12日」・・・明日は「C型肝炎訴訟の和解」の内容が「裁判所」から提示される日である。「階級国家」に「一般国民」としての「人命を大切にする国家」などはない。あるとするならば、「階級国家に組する人間」の「売名」の「人名を大切にするコト」であろう・・・「ジンメイ違い」も甚だしい・・・「マスのゾエ」が厚生大臣(?)・・・ボクの使用している漢和辞典には「ます=升・枡」はあるけれど、「舛(ます)=タ+ヰ」では無い。「舛(セン)」の漢音にあるのだが、意味は「そむく・たがう・違う・もとる・間違い・入り混じる」とある。「舛訛(センカ)」の意味は「誤謬」で、「舛錯(センサク)」は「背きたがう・背き乱れる」であった。そして「升の俗字」とあった。「舜」は聖人だったが、「舛」には「国民」の護衛の士としての「爪牙」と、「天蓋」である「爪(ソウ・つめ)+冖(ベキ・蓋い)」がない。「枡」の漢字からすると「相撲、芝居小屋の観覧席の枡形」の「添」であろうか・・・「Mass」をはかって添える「升(舛)添」は出来なかったんだろう・・・「学者」や「タレント」であればあんな「ウソ」など「自己批判の枠内」で済んでいただろうに・・・「マスのゾエ」はとにかく、「シフクのマッチのムのラ」は「政治屋」で、それにヌケヌケととぼける「タヌキ(詫抜き)のフクちゃん」・・・「アベちゃん」、「マスのゾエ」が公約した「最後の一人、一円まで」が「デキマセ~ン」・・・「アベ」は雲隠れしていたが地元モトに現れて大歓迎・・・「C型肝炎」はまさか「最後の一人、死ぬまで」ではないだろうな?!  そもそも「年金問題の出発点」は「掛け金(法的強制加入)」と「支払い金(保障払い戻し金)」、それに「掛ける期間」と「貰える時期」の問題だった・・・「支払い金の未来的財源」がアブナイ・・・何時から「国家詐欺の問題」になったのか、「少子化」・・・問題は今現在の問題である・・・デキナイらしい・・・年金受給対象者の「1975万人」の「金」が浮いているらしいのだ。  はやく、ロボットがコマッタ人間を助けてくれる世の中にならないかなぁ~ッ・・・ロボットの行く末の「運命」も、「ダレのタメの?」と問いかけしたら、その「運命の延長戦」も解り切ったコトだけれども・・・・「ターミネイター」がやってくるかもネッ・・・

 2007年12月14日01:501

 384日目・・・”「わたしの人生を返して」・・・九州訴訟の原告、福田衣里子さん”・・・タイトルも以下の記事も12月13日21時11分配信 産経新聞より抜粋・・・ ___________  大阪高裁での和解骨子案の提示を受け、会見を開く福田衣里子さんら=13日午後  「私たちは福田康夫首相にすでにボールを投げている。今後も粘り強く政治決断を求めていく」。13日、東京都内で会見に臨んだ薬害肝炎九州訴訟の原告の1人、福田衣里子さん(27)。大阪高裁から提示された和解骨子案に失望し、責任範囲の線引きを高裁に求めた国の姿勢を強い口調で批判した。  昭和55年10月、長崎県内の病院で生まれた直後、止血のために血液製剤「クリスマシン」を投与され、平成13年の20歳の時に受けた検査で感染を知った。放置すると死に至ると知り、目の前が真っ暗になった。  高校時代は空手で段位を取り、大学では1年休学してヨーロッパを一人旅。好奇心と行動力に満ちあふれた人生は暗転した。22歳でインターフェロン治療を始め、注射のため週3回の通院と飲み薬の服用を半年間続けた。発熱や倦怠(けんたい)感、脱毛、そして猛烈なかゆみ…。激しい副作用に襲われては体中をひたすらかきむしり、血がふきだした。  治療の間を縫って出席した親友の結婚式。幸せそうな笑顔に接し、「自分は相手の親にも祝福されるような結婚はできるのだろうか。万が一、お産で母子感染すれば、自分と同じつらい思いを味わわせてしまうかも…」と思い悩んだ。結婚や出産をして幸せになっていく友人たちと、家で寝ているだけの自分。将来への不安と焦りが続いた。  平成16年に入り、C型肝炎の医療講演会に出席。そこで出会った弁護士らから訴訟の存在を知らされた。3月に福岡地裁に提訴。4月の意見陳述で実名公表に踏み切り、裁判長に訴えた。  「好奇心でいっぱいだった私の心を、私の前に広がっていたあの人生を返してください」  提訴以来、全国各地を飛び回り、講演会などで被害の深刻さを訴え続けてきた。目標はあくまでも未提訴者を含む被害者全員の一律救済だ。  「患者にはもう時間がない。1日も早い解決を求めて闘い、いつの日か『薬害』という言葉をこの世からなくしたい」 ____________  ボクの知っている「Oさん」、どうしているかな・・・

 彼女も「私、C型肝炎なの」と言っていたけれど・・・彼女は「オカアさん」からの感染だと話していたのだが・・・高校を中退し、その後、大学受験資格に合格し、「この歳でヤット女子大生になったのッ。今、大学生活を楽しんでいる」、と電話をして来たのは随分前だった・・・一人っ子の彼女、最初は好きになった彼氏の浮気で、彼氏と別れたハナシだったが、「ダレか他にイイヒトいないかな」、だった・・・C型肝炎・・・単なる「慢性肝炎」の類ぐらいにしか考えていなかったボクは、今、現在、C型肝炎の恐ろしい事情を再認識している・・・迂闊にも、世話になっている「Kご夫婦」や、「Eさん」に「ダレか彼女にイイヒトを紹介してやってくれない」かと依頼したコトがあったのだ・・・「C型肝炎、ダレのセイ」でもない(?)・・・が、「罪つくりな連鎖」に加担・・・その「鎖の一輪」に・・・彼氏と別れたのは「浮気」なんかじゃなかったのカモ・・・そして、恐ろしいコトに、ボクの「反省意識(?)」は「C型肝炎感染者」であった「Oさん」を「差別意識の立場」で・・・エゴな人間として、考えようとしている。  ・・・アフリカのドコカの国の80%が「エイズ」であるらしい。そして、寿命が短いそのコトを承知で、覚悟で「結婚生活・家族生活・日常生活」をしているらしい。あの若い日本人の海外援助派遣隊員の自作、自演の「コンドームの歌」、その国の街や農村現地、TV番組でギターを弾きながら歌い広め、一躍人気者になり、その国の「準国歌」なった・・・売り上げは援助金にしたいと言っていた彼の「CD」は販売にこぎつけたのだろうか?・・・アレからどうなったんだろう?・・・  「Oさん」、子供の頃、母親に手を繋がれながら陸橋の上で「Oちゃん、一緒に死のう」と言われ、恐ろしくなって母親の手を振り切ってその場から独り逃げ帰ってきた、と話してくれたけれど・・・その「オカァさん」の事情を詳しくは訊かなかった・・・  でも、自覚して、覚悟して、「生きる」って、スゴイ!!

 2007年12月15日00:251

 385日目・・・「日本に来た最初のイギリス人・ウィリアム・アダムス=三浦按針(PC・ロジャーズ著・幸田礼雅翻訳)・新評論1993年9月30日発行」。  「ウィリアム・アダムス」は1600年4月に日本の豊後大分に「リーフデ号」で漂着した人物で、日本に帰化した「三浦按針」のことである。「リーフデ」はこの本では「慈悲(ジヒ)=哀れみ」と訳されてた・・・「自費」とか「字比・時比・事比」ではないよナッ・・・「あわれみ=泡例見・泡霊見・安房令見・亜我見」でもないよ、ナッ。  でも、「文字の比較」で「蛙吾見(カエル・ゴ・ケン)=変えて・語を・検よ(兼よ・診よ)」である  英語なのか、オランダ語なのかは解からないが、オランダの船であるからオランダ語としての「リ-フデ=慈悲・あわれみ・アワレみ」だろうとは思うが、英語であれば、「リーフデ」は、  「LEAF(葉・賜る)・LEAVE(告別・委ねる)・LIFE(命)・LIVE(生活)」  あるいは  「REEF(暗礁・礁脈・鉱脈)」  「REEVE(結ぶ・代官・地方長官)」  「REAP(刈入れ・収穫・報酬・再生)」  かも・・・  ここはボクの「文字魂の妄想研究の日記」だから「言葉=LEAF・LEAVED」とも考えたい。彼に関して、今までボクが手に入れ、知りうる文献、人名辞典、百科事典で判断出来る事は「妄想・想像・憶測・推測」の範囲を出なかった。だが、例の古本屋で今回300円で手に入れた「日本に来た最初のイギリス人・ウィリアム・アダムス=三浦按針(PC・ロジャーズ著・幸田礼雅翻訳)」はかなり具体的な「三浦按針」の人間像を知る事ができた。  「三浦按針」を描いたイギリスの「針を見守る男」と言う小説が「リチャード・ブレイカー」なる人物によって書かれているらしい。このコトは「日本に来た最初のイギリス人・ウィリアム・アダムス=三浦按針」の序文を書いている「エドマンド・ブランデン(1896~1974生存・英国の詩人・批評家)」が記している。  ボクは江戸時代の「蘭学者の原点」が「三浦按針」だと思っているのだが・・・「サツマイモ=甘藷」を琉球から日本に持ち込んだのも彼であったとこの本の著者は言っている・・・その意味からも江戸の「魚問屋」に生まれて、凶作に備えてサツマイモの栽培を小石川薬園で行い、その普及を奨励した「青木昆陽・敦書・文蔵(1698~1769)」に重なっている。「青木昆陽」は何しろ江戸幕府の「官庫書籍」の閲覧を許され、「書物方」に採用されて日本各地の「古文書図書」の蒐集に専念した人物である。モチロン、蘭学者となり、「藩藷考」を著作した。  「青木昆陽」

 後には「書物奉行」となり、オランダ語研究の「和蘭文字略考」なども著作した人物である。  ウィリアム・アダムス(1564~1620年)             1600年漂着             1620年平戸で死亡              ‎‎⇕  支倉   ・  常長(1571~1622年)             1613年遣欧使節             1620年帰国  この二人の背後の支配者は、  アダムス(イギリス・オランダ)←徳川家康          関東           ↓   ↓↑・・・・・関が原、大坂の陣以降の確執           ↑          東北  支倉常長・ルイス・ソテロ      (スペイン・バチカン)←伊達政宗  であった。

 2007年12月15日22:41

  386日目・・・「セイント(Saint)=聖人」・・・「セント(Saint)=サン・セン(San)」、「サンタ(Santa)=ニコラオ=ニコラス」・・・前回の「ウィリアム・アダムス」こと「三浦按針」が乗って来、豊後沖で漂着した「船の名前」は「リーフデ号」であった。「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」には5隻の船名が次のように記されてある。 ______________  ホープ号("希望"の意・旗艦)  リーフデ号("愛"の意)  ヘローフ号("信仰"の意・ロッテルダムに帰還した唯一の船)  トラウ号("忠誠"の意)  フライデ・ボートスハップ号("良い予兆"あるいは"陽気な使者"の意) ________  ココでは「慈悲(ジヒ)」ではなく

 「愛(アイ)」とされているが、この「愛」と言う漢字は日本語で  いつくしみ  かわいがる  あわれむ  めでる  このむ  おしむ(をしむ)  ものおしむ

 そして、「仏教的な意味」では、  「異性やモノをむさぼる(貪る)」である・・・

 「アイ」がこんな意味になるとは困ったぁ~ッ?!  兎に角、アダムスは母国に帰りたかったが、徳川家康は許さなかった。第一に「世界の情報源」がアダムスであった。第二には「先端科学的知識の源泉」がアダムスであった。その代わりに家康は徳川家臣団の一員、いやそれ以上の「政治顧問」としての地位と権力を与えた。もちろん、オランダ、イスパニア、ポルトガル、外国使節に対する外交顧問としての地位を与えた。しかも家康のみならず「幾何学や数学、航海術」を徳川家臣である旗本にも授けた。  そして、アダムスは

 「1602年頃

 日本橋「大伝馬」町の名主で、家康の御用商人の

「馬込 勘解由」の娘

「お雪(マリア・Maria)」

 と結婚し、

「息子ジョゼフ(Joseph・よせふ)」

「娘スザンナ(Susanna・Susan・Sue・すう)」

 を得た。

 妻の名が「お雪(Snow)」で、「マリア(Merry)」は「切支丹」の洗礼名であろう。   Maria・・・Marilyn(海)・毬=球・・・球磨  Joseph・・よせふ=寄せ譜  Suanna・・すうざん=数算  「馬込(?)」は「九州佐世保の事件」・・・  「切支丹」の「丹」は赤色、紅色 を意味する。漢字の示唆からは 「切(七刀=七区分=七曜日)」の 「七刀支(十二支・360÷12=30度=一支)」が 「丹=赤=火」ならば「丹」は「南方」で、 「巳ー午支(子支から七番目の支)ー未」の 「午=六(月)=亠(音略・ナベ蓋)+ハ(葉・捌)」、 「午支(ゴシ)の端(ハ・ズイ)」とは 「端午(五月五日)・井宿」である。  気門遁甲の「九紫(九州・筑紫)・火」。人間ならば「南蛮人」である。航海での目印は「南十字星(Southorn Cross)」、中国での南の星座は「赤鳥・朱鷺」、二十八宿(7宿X4=28宿・360÷4=90度)では「午支=鬼宿」に重なっている。西洋では天体円周十二区分、一区分30度の「蟹宮・獅子宮・乙女宮」であるが、「十二星座=蟹座・獅子座・乙女座」は天体を散らばめている実際の星々の図柄の位置である。  「ウィリアム・アダムス」が漂着したのは「1600年4月」であった。4月の星座は天頂に「獅子座」、南に「ヘビ座」、西に「カミのケ座」、「おとめ座」である。  今月は12月・・・その時の彼が見上げた天体に観える星座は天頂に「アンドロメダ」、それを基準意に南の六十度の範囲に「魚座」、更にその南に「鯨座」、南西に「南の魚座」、真南には「鳳凰」、すなわち「火の鳥(フェニックス)」であった。  Andromeda→「アンドロメダ」→安堵・路・目・拿   ↓   南天六十度   ↓  「魚(まな)」→マナ(愛)→真名(漢字)  「鯨(くじら)」→魚+京→真名の京→  「Whael(ウェィル)」→ホェール→Howl(わめく)  「南の魚」→Southen Fish→スゥーザン・フイッシュ  「鳳凰(ホウオウ)」→ホウオウ→法皇→訪欧→火の鳥  「火の鳥」→フェニックス→不死鳥  「リーフデ号」は江戸湾で沈没。アダムスは「西洋式の帆船」の建造を要請され、「伊東に日本で初めての造船ドック」を設け、「80t」の帆船を建造、1604年(慶長9年)に完成させ、更に「120t」の大型船を1607年に完成させた。この船は1610年、房総の御宿海岸で遭難し救助された前フィリピン総督ロドリゴ・デ・ビベロに貸し出されて、「サン・ブエナ・ベントゥーラ号」と名付けられた。  その後、アダムスは250石取りの旗本に取り立てられ  相模国・逸見(へみ)・・・「逸見=イツミ=何時見」  に領地を与えられたのである。

 「逸見(イツミ)」と読むならば、「いづみ」でもある。

 「いづみ」ならば、  いづみ =泉(セン)  泉・・・宮城県中部の山名、仙台北西の都市名  泉・・・千葉市東部の町名  泉・・・熱海市北部の温泉地名  泉・・・京都相楽郡の木津町  泉・・・大阪府南部の地名  泉・・・兵庫県加西市中部の地名  泉・・・熊本県中部  和泉・・旧国名で、大阪の和泉・機内五の一    ・・泉州(セン・シュウ=Saint・San)  和泉・・大阪南部の市名  和泉・・福井県東部大野郡の村名  泉水・・  泉美・・  出水・・鹿児島県北西部、八代海に面する郡町名  いすみ  夷隅・・千葉県南東部の郡町名  ↓  いずも=何時模  出雲・・島根県東部の旧国名  伊豆見  ↓  伊豆・・静岡県東部と伊豆諸島の旧国名  九州の「いづみ」は幕末、「蘭学者の根拠地」であった。  「アダムスの手紙」  ・・・あらゆる海図、地図、地球儀に於いて日本の位置が間違っている。なぜならその岬は「35度30分」に位置しており、これは大変な間違いです。結局「32度30分」で島影をみたのは、4月19日のことでした・・・  緯度「33度」は殆ど「阿蘇山山頂」を東西に線引きする「緯度」である。この線上に地名の「横島(よこしま)」が存在している。そして、中国の「会稽」・・・  緯度「35度以北~38度近辺の間」、世界地図をみれば「仙台」の延長線に中国の「天津」、イランの「テヘラン」、トルコの「アダナ」、「イズミル」、そしてギリシャの「アテネ(アテナ)」、ポルトガルの「リスボン」が並んでいる。  緯度「33度」近辺はイラクの「メソポタミア」、イスラエルにある三大宗教の聖地「エレサレム」が存在する。  北米大陸は「ロスアンゼルス」、「サンデゴ」、「メヒカリ」

      「フェニクッス」・・・「火の鳥」である。  ・・・来る12月25日、「メリー・クリスマス」!!  ・・・サンタくろうす  ・・・Sun  ・・・Santa  ・・・San  ・・・セント  ・・・Saint  ・・・泉都・船都・船頭・選図  ・・・CENT  ・・・Center  ・・・Century(壱〇〇年・一世紀)  ・・・

ーーーーーー

 ・・・???・・・

 (表紙・画像・音楽)」の

  移転先・・・

 ↓↑

 ボクの「古事記字源」の発端・・・

 ↓↑

 干支歴

 ↓↑

 追加添文

 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」





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