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2007年4月3日~13日・・・追加添文

2022年7月5日・火曜日・・・追加添文・・・

なんか、現在の「文明、文化」は「便利」と同時に「不便」・・・

・・・発明の源は「面倒くさい仕様・使用・私用・施用」の「止揚」・・・?

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 2007年04月03日18:29

 255日目・・・昨夜、「モデム」の調子が突然おかしくなって、通信不能状態・・・「メール」も読めず、「日記」も書く事不能・・・配線が悪いのか、接続が悪いのか・・・お手上げッ・・・万が一のタメに二台のコンピュータを使えるようにしているのだが、ネットの接続機械がパァーなら、二台も意味ナシの状態・・・「PPP」、「LAN」も点滅状態・・・そのうちに点滅もしなくなった・・・使い方の機能操作は単純になっても、殆どが「ブラックボックス(の知識)」で制作されているモノは、機能不能になったら、その中身を理解する高度な知識がなければアウトである・・・ムカシの「ラジヲ」や「テレビ」は調子の悪い時には叩けば聴こえたり、見えるようになった・・・「現代的文明社会」ってのは不便であるナッ・・・不便どころか「人類滅亡」・・・前回「バベルの塔以前」の「言語」を探求なさっている「鈴木」氏の「HP」を紹介したけれど、タロットカードの「バベルの塔(ⅩⅥ・壱拾六・拾陸・16)」の絵を見る限り、「言語の混乱」じゃなくて、「地球の天変地異の大変動・自然災害」のように思える。「塔」に「↙W形の稲妻の閃光」がその上部に落雷し、崩れ、炎を吹き出し、王冠を吹き飛ばされた皇帝(王)と、皇后(王妃)らしき男女が逆さまになって空中に投げ出されている。  「旧約聖書」のモノガタリでは「神の怒りに触れた人間達の言語の崩壊の始り」の示唆説明である。とにかく、「地球人類」が「諸部族・諸民族・諸国民」に分裂する間際の物語である。「一言語の人類」が分裂して、その「一言語」も「多言語」に分裂した、と言うコトである。だが、世界の広範囲な各地域で生活する「人類」規模の「単一言語」があった、とは考えられない。「エデン」と言う限定地域に存在した「アダム」と「イヴ」が人類の「初源」の「唯一の雌雄」で、その範囲の子孫、一族の定住生活圏なら「ワカる」が・・・「エデンの東」へ出て、初源の雌雄が分裂し彼等の「諸家族・諸部族・諸国民」として多数に分岐し、移動し、その地域に定住しても「言語」は単純な「衣食住」、「人体」などに関するモノや、狩などの「合図」としての単純な「音声言語」だったろう・・・だが、個々に分岐し、各地に散らばった各グループの「場所の移動・定住」の異なった経験の繰り返しは、そのレベルの「個別社会」の増殖と成立である。「言語の増殖」も彼等の経験のレベルによる。「個別的格差」が発生するのは当然である。そして、時間による個々別々の彼等の経験は生活技術、知識のレベルに見合った「言語の偏差・格差」の発生であり、形成である。閉鎖され、衣食住を満たされた変化の乏しい地域社会は、他の高度な「技術・言語」の社会と接しない限り、彼等の「言語」は増殖はしないだろう。「新たな言語」を獲得するのは、ある「地域社会の人々」と他の「地域社会人々」の接点としての、アルモノと他のモノの「交易・交換」以外にはない。  両親の庇護のもと、幼児が成長しながら、あらたな言語を獲得し、更に兄弟姉妹、同世代の友人、そしてジジババ、親類縁者、更には成人し、他の異なった共同体に接点を持って、自らの言語増殖をしていくのと同じである。  自らの共同体と比較して、他の共同体とかけ離れた生活の「偏差・格差」に遭遇し、それを意識しないかぎり、特に「抽象化」された人間諸関係の「心理・思想」を説明するコトバは増殖しないであろう。共同体の衣食住が保たれ、その枠内の秩序が「平和」であれば、「コトバ」は増殖しない。初源の分岐した人類は、各グループで移動、移住、定住の繰り返しをせざるを得なかった。なぜなら「エデンの東」には常にその衣食住の生活を脅かす天変地異の「自然」と、分岐した人間同士の生存競争としての争いが起こった。「悪魔(ⅩⅤ)」は人間に知恵をくれたが、「神さま」は人間同志にトラブルを起こさせるべく、「単一言語」を「崩壊」させ、「バラバラ」にさせてしまった、らしい。  イヤァ~、相手の「コトバ」を「理解」し、自分の意図する思惑を「コトバ」で相手に伝達すると言うことは至難のワザである。  地球規模の生活空間で「人類」が「相互伝達・共通理解」の手段としての「単一語を使用していた」とは、その前提として世界規模で、広範囲をカバーする地域的な人間同士の迅速な「交通手段」と「物流手段」、そして「同一秩序」があった、としなければならない・・・また、その「各地域」は、決して「閉鎖された独立地域ではないコト」が条件である。すなわち、「閉鎖された地域の言語」を有さない広範囲な地球規模の「同一言語の単一人間社会システム」でなければならない。  タシカに現代は「陸海空」の「交通手段」がネットワークのように張り巡らせて、世界中のあらゆる「地域間距離」を「時間的」に短縮している。しかも、「国際語」として「共通言語」を必要とされ、必要とされている。  「言語の分裂」は、初めから世界的な規模としての「同一・単一」言語を分裂させたのではないだろう。「雨後の竹の子」のように世界的規模の「単一言語が同時発生」し、それらを世界的規模の「諸地域住民」が使用していた、とは思われない。「共通言語」は時間を経て波及的に形成されていくのだ。しかも、時代の「支配階級」、時代の「中心的覇権支配国家」の言語として貴族宮廷言語としての「標準語(東京方言・北京方言・ギリシャ語・ラテン語)」、あるいは「国際語の変遷→ポルトガル語・スペイン語・仏語・英語・米語」・・・いずれも植民地支配階級の言語で・・・難しいコトバは下々には理解出来なくても、理解されなくてもイかったのである。だが、下々は難しいコトバを知りたかったのだ・・・相手のコトバにこそ自分達の「命」が懸かっていたから・・・  「バベルの塔の崩壊」は、他の地域社会よりも優れた知識、技術を獲得した、「偏差値の高い限られた範囲の単一言語住民の分裂」と考えた方が合理的である。「単一言語の人々の分裂」とその地域からの「分離」、「脱出」、「放浪」、「移住」、「定住」・・・世界各地への「人々の分散」と彼等の「単一言語」の「他言語地域住民」への「言語の波及」である。  ・・・まさに、「Israel(イスラエル)」のエジプト脱出・・・そして、分裂、放浪・・・  「ある地域の単一言語」の「伝播波及の影響度」が、その「伝播波及」を被った人々の「言語」に「外来語」として、今までは未知なモノであったモノに対する意味説明の言葉、概念として「新しい言語」として、使いはじめ、彼等の言語に影響を与えた、と言うコトである。  コトバはモノに対する「区別性」として「音声化・文字化」され、その意味が「分類化」され、「系統化」されてきたし、現在も、未知なる存在のあり方を「存在論」として、その存在を知識として認識する「認識論」として分類化、系統化をしてきている。あらゆる存在のあり方を「一般概念」、「個別概念」、「特殊概念」と区別し、それらの関連性に於いて系統化したモノを「合理的科学理論」としてきたのだ。  ある「限定地域社会」の言語に於いても「発生」と、その「系統化」はなされてきた。言語の発生は、世界中のあらゆる「限定地域でも発生、増殖」した。多くの地域に於いて、ある物に対する「意味」は同じだが、「音声・文字」は異なっていた。ある物に対する「音声」は異なっていたが、「絵」で示すモノは同じ形をしていた。きっと、意味するところは同じであろう。  ラテン語の「リンゴ」の発音に似ているのは「Lingo(嘗め尽くす)」、「Lingua(舌・言語・方言)」で、「Ringor(葉をむき出す・怒る・唸る・怒鳴る)」であった。あの「アダムとイヴ」が食べた禁断の果物の「りんご」を食べる時の人間の表情説明に関連しているよに思える・・・  「リンゴ」    ∥  「りんご」    ∥  「林檎」    ∥  「Apple(アップル)」・・英語    ∥  「μηλο(ミロ)」・・・・・ギリシャ語  ドイツ語では「りんご」を「Affle(アッフル)」、フランス語で、発音が似ているのは「arre(アープル・酸っぱい)」、「appat(アパー・誘惑)」、「appel(アペル・呼びかけ)」、「appeti(アペティ・食欲)」であるらしい。ユダヤ語で「りんご」をどのように発音するのかは知らないが、「りんご・アップル」だったんだろうか、「アダム」と「イヴ」が食べたのは・・・男が飲み込んだのが「喉仏」になったとか、女が飲み込んだのがオッパイになったとか・・・二つも食った女は欲張りではある。  「りんご」の各種族、各部族、各民族、各諸国民の発音、音声が異なっていても、「リンゴの絵」と「リンゴの意味」が同じである、と言うのは、東西南北、平原、高地、低地、海岸沿岸、内陸、沙漠、ツンドラ、南極、北極、世界中に住んでいる人間がいて、どこにでも「リンゴ」と言う実体としての存在が確認できるコトが前提である。存在しないモノを、その「意味」に於いて理解させるのも、理解するのも困難である。妄想するより手が無い。結局、「りんご」と、言うモノは「果物の類」であるらしい、と想像するよりは手は無い。「クダモノ」を見た事の無い人もいるかも・・・そして、「妄想」が人間の「ココロ」に巣食って(?)・・・を、救って、か(?)・・・いるらしい・・・のだ。日本では「林檎」の漢字も、「クダモノの実」としての「リンゴ」も、あまりムカシの文献には見られないようだ。「桃」と「蜜柑」は「古事記」には記されているが「林檎」は無い。「禁断の林檎」は「旧約聖書」伝来以後にPopularになった、のではないのか。「モモ太郎」も「トキジクの実」もアリガタイクダモノであったが・・・「蜜柑=解き字句」ではあるな・・・「垂仁天皇」の「三宅連等の祖」である「多遅摩毛理」がもたらした「非時の香の木」で「橘=蜜柑」であり、「林檎」ではなかった・・・「トキジク(非時香)」の原文は、  令求、登岐士玖、能、迦玖、能、木實   ↓  例求、解き字句、廼胡、化句、納、記字拓(目次通)  で、「垂仁(推認)天皇」は何を言っているんだか・・・土師部(禁止殉死)の「ひばすひめ」と黙示、沈黙の「ホン(ム)チワケ」・・・本、品・・・  それにしても、

 「鈴木健二」氏のおっしゃっている・・・「バベルの塔」崩壊以前の「人類のコトバ」・・・  英語アルファベット  Aa・Bb・Cc・Dd・Ee  Ff・Gg・Hh・Ii・Jj  Kk・Ll・Mm・Nn・Oo  Pp・Qq・Rr・Ss・Tt  Uu・Vv・Ww・Xx・Yy  Zz  26文字→2+6=8(八・捌)  26文字→2×6=12(壱拾弐)  ・・・タシカに「ローマ字」としての「アルファベット」の「一文字」には「意味」があるし、あった。しかも、「Α(エイ・ア・アルファ・あ)・・・」の頭文字を有する「単語」は「同類系統の意味を有する単語」である。若干「A」の意味から逸れていくのは「A・・・」+「B+C+D・・・」と合体されているからである。すなわち、「A」を保持しながら、加えられた「B」、「C」、「D」の意味である。「漢字」と同じでは、あるなッ。どんな「漢字」であろうと、「・(点・テン)」と「一(線・セン)」の合体であり、「・(テン)」と「一(セン)」に分解出来るのだ。  ・・・「天川(テンセン)」とは「天の川」・・・「典撰(テンセン)」とは「字典」・・・「天の転=北斗七星」と「撰の箋=短冊(短尺)」・・・なるほど「七夕」のネガイゴト・・・音臥意語賭・・・  ギリシャ語アルファベット  Αα・Ββ・Γγ・Δδ・Εε  Ζζ・Ηη・Θθ・Ιι・Κκ  Λλ・Μμ・Νν・Ξξ・Οο  Ππ・Ρρ・Σσ・Ττ・Υυ  Φφ・Χχ・Ψψ・Ωω  24文字→2+8=10(壱拾・足)  24文字→2×4=8(八・捌)  ニホン語  あいうえお・・・亜意有、重嗚  かきくけこ・・・化記句、卦個  さしすせそ・・・作詞諏、施素  たちつてと・・・多知通、出斗  なにぬねの・・・名似奴(駑怒帑)、音、之  はひふへほ・・・葉比譜、経補  まみむめも・・・真実務、目模(女母)  やゐゆゑよ・・・夜易喩、恵与  らりるれろ・・・等理留、例賂  わゐゆゑを・・・和意遊、恵緒  ん・・・・・・・・・雲・云・運  「運」か、ッ?・・・やっぱし「三浦按針」と名乗った「ウィリアム・アダムス」だョ、「日本語」を「音愚留諏」にしたのは・・・「徳川家康」の出身地は元々、「三河」の「土豪」だったし・・・1600年は「日本語」の革命的な「関が原」の転換期でもあった・・・と、「顧問」としてのセッシャは、将軍さまに、もうそう(妄想)をタケタイ・・・  最近、「ペトログラフ」なる「古代文字」が世界中の各地から発見されているらしい・・・「共通文字」があるらしいが、正確には「解読」されているモノではないらしい。写真でみても「高度(?)に組織化された文字」とも思えないが、5000年~6000年前の「世界三大古代文明+中南米古代文明」よりも昔に「万年単位」の「古代文明」があったであろうことは事実だと思える。だが世界規模の「単一言語」であったか、どうか・・・言語の系統化はグローバルになればなるほどに重要な言語は音声に於いても意味に於いても「国際的に共通言語化」され、人類規模で一般化される。  ・・・「地球単一言語の形成」は「バベルの塔崩壊」以前になされた。そして「崩壊」し、「多言語」となった。そして、インターネットは国際的な「単一言語」を必要としている・・・そして、再度「バベルの崩壊」が繰り返し起るのに違いない・・・「神」によるのではなく、「人間」自らの仕業によって・・・

 2007年04月07日20:02

 256日目・・・「リンゴ」に関しては「旧約創世記のアダムとイヴ」に関連させて前回、若干触れたが・・・「リンゴ」って、本当に「アダム」が食ったクダモノだったんだろうか?・・・  リンゴの原産地は「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」によれば、 __________  カザフスタン南部、キルギスタン、タジキスタン、中国の新疆ウイグル自治区など中央アジアの山岳地帯、カフカスから西アジアにかけての寒冷地だといわれている。現在日本で栽培されているものは、明治時代以降に導入されたもの。病害抵抗性、食味、収量などの点から品種改良が加えられ、現在7500以上の品種が栽培されている。亜寒帯、亜熱帯及び温帯で栽培可能だが、暑さに弱いため熱帯での栽培は難しい。  と記されている。日本では明治時代に注目される「クダモノ」となったのだ。  前回、記したように「桃」と「蜜柑」は「古事記」には記されているが「林檎」は無い。「禁断の林檎」は「旧約聖書」伝来以後にPopularになった、のだ。「モモ」も「トキジクの実」も在り難いクダモノであった。だが・・・「蜜柑=トキジク」ならば、同音異字は「解き字句」ではある。「オヤジGag」なんって思わないで欲しいのだが・・・「ゴトバ」の謎解きだから・・・「垂仁(推認)天皇」の「三宅(纂拓)連等の祖」である「多遅摩毛理(多字真模理)」がもたらしたのは、「非時の香の木」で「橘=タチバナ=蜜柑」であり、三月三日のお雛様にに添えられるのも「タチバナ」である。「林檎」ではないのは事実である。だが、

_____  「トルコで約8000年前(2007年から見て以後同じ)の炭化したリンゴが発見されている。スイスでは遺跡から約4000年前のリンゴの化石が見つかっており、その時点で既にリンゴは栽培されていたとする研究がある。16 - 17世紀頃になるとヨーロッパでリンゴの栽培が盛んになり、17世紀前半にはヨーロッパからアメリカへ持ち込まれ、現在では世界中の寒冷地でリンゴが栽培されている。  日本へは中国から最初に持ち込まれ「和りんご」などと呼ばれていたが、現在、和リンゴは長野県上水内郡飯綱町で一軒の農家が栽培してその姿を伝えている。熟すると赤くなり、収穫適期はお盆前である。  また2003年より「彦根りんごを復活する会」が、全国に残存するワリンゴや野生種を調査し数十種類の木(数百本)を育て、収穫した実はお盆に各地の寺社に奉納している。「彦根」って、あの桜田門外で暗殺された「井伊直弼」・・・の根拠地・・・  中国の書物『本草綱目』に「林檎一名来禽,言味甘熟則来禽也。」(林檎(りんきん)の果は味が甘く能く多くの禽(鳥の意)をその林に来らしむ。故、来禽(らいきん)の別名がある)との記述がある。  「アダムとイヴ」の「りんご」が「リンキン」なら「理夢記夢」、「ライキン」なら「礼記夢」かも・・・ _____  平安時代中頃の書物『和名類聚抄』には「利宇古宇(りうこう、りうごう)」」としてリンゴが記述されており、これが訛って「りんご」になったと考えられている。  「利宇古宇(りうこう、りうごう)」」・・・「利字古字」じゃぁないョなッ、老眼になったら同じような漢字に見えるんだけれど。  序でに、追加、「ウィキペディア」より抜粋・・・ _____  ニュートンのリンゴ  木から落ちるリンゴを見てアイザック・ニュートンが万有引力の法則に気づいたという話は有名だが、この話はヴォルテールが伝えたもので、史実である。このリンゴの木は枯れてしまったが、接木をして増やした2世代以降の木は世界各地で今も栽培されている。ニュートンのリンゴは「ケントの花(華)」といい、生食用ではなく料理用である。味は渋みと酸味が強いが、追熟させると甘く、酸の効いたいい味になるという。  ボクにとっては、「1666年」の西暦年号に執着したい。 _____  1964年3月、イギリス物理学研究所より日本学士院に対してニュートンのリンゴの苗が寄贈されたが、防疫検査により、この苗木はすでに高接病ウイルスに汚染されていることが発覚。一時は焼却処分が検討されたが、学術上貴重なものであること等から例外的に東京大学理学部附属小石川植物園に隔離され、ウイルス除去の研究対象となった。1980年、ようやくこの木からウイルスに汚染されていない接ぎ穂の切り出しに成功。これ以降、ニュートンのリンゴは国内各地に移植されている。 _____  聖書におけるリンゴ  旧約聖書に登場するアダムとイヴが、蛇にそそのかされて食べた善悪を知る果実がリンゴであるというのは、俗説である。なお、イチジクの実でもない。なお、あわてて飲み込もうとしたアダムが善悪を知る果実をのどにつかえさせ、これがのどぼとけの始まりであるとの故事から、男性ののどぼとけは「アダムのリンゴ」ともいわれる。  ・・・「リンゴ」でもない、「イチジク」でもない、とするならナニ?・・・「楽園追放」の絵画に於いて、彼らの「裸体の前」を隠す「葉っぱ」・・・って?・・・「葉隠」、できないじゃん。 _____  ギリシャ神話におけるリンゴ  ギリシア神話には、「最も美しい女神に与えられる」と言われた黄金のリンゴを巡って3女神が争い、遂に「トロイア戦争に至るエピソードがある(パリスの審判)。また、ヘラクレスの12の冒険の中にも黄金の「リンゴをとってくる話がある。  ・・・イヤァ~、「リンゴ」ってフルイんだ・・・で、「ミカン」は「オレンジ」だから、江戸時代と重なるのは、「ウィリアム・アダムス」渡来の1600年~オランダとイギリス「名誉革命」に関係した「オレンジ公(ウィリアムⅢ)」だよ・・・ _____  ウィレムはオランダ独立の英雄ウィレム1世(沈黙公)の曾孫として生まれた。  ウィレム1世に始まるオラニエ(Orange)=ナッサウ家は、南フランスのオランジュ(オランダ語でオラニエ、英語でオレンジ)とドイツ中西部のナッサウに領地を持ち、オランダでも最有力の貴族で、ウィレム沈黙公以来ネーデルラント連邦共和国(オランダ共和国)統領(総督とも言う)を務めていた。  オランダ統領であった父ウィレム2世は1650年、ウィレムが生まれる8日前に天然痘で死去した。生まれた時に父が死んでいたため、ウィレムは出生と同時に家領のオラニエ、ナッサウを継承したが、オラニエ家がオランダ統領職を世襲することに反対する共和派が、成人後もしばらくはウィレムの統領就任を認めなかった。ウィレムの母はチャールズ1世の王女メアリー・ヘンリエッタ・ステュアートであったが、1660年には母も死去している。幼くして両親を亡くし、名門貴族の当主として育てられたウィレムは寡黙で慎重な性格を身に付けた。

_____  江戸長崎の「蘭学者」は当時の「西洋事情」をしっていたのさッツ・・・

 2007年04月08日15:02

 257日目・・・「リンゴ」じゃないなら、「イチジク」でもないって・・・?・・・同音異字とするならば、「イチジク=一字句・壱字句・市字句・位地字句・位置字句」か、「イチジク=意知字句・異知辞句・易値事句」・・・また、「ウィキペデア」より抜粋・・・イチジク ____  イチジク(無花果、映日果、英語 木はfig tree、実はfig)は、クワ科イチジク属の落葉高木。学名はFicus carica。別名、蓬莱柿(ほうらいし)、南蛮柿(なんばんがき)、唐柿(とうがき)など。 _____  「イチ」と「ジク」の英語なら「itch(痒いこと・疥癬の虫=ヒゼンのムシ=肥前の無私、無視、無死、生し)」で「jig(活発な舞踏・分銅ばり・治具)」か、「gig(魚ヤス・掛け鉤針)」である。「ichthyography」とは「魚類記載学」である。「魚(まな)」とは「サカナ(作仮名)」で、「マナ」とは「真名字=漢字」であるだろう。  で、「イチジク」の別名が「蓬莱・柿」で、「南蛮柿・唐柿」とは、ネッ・・・  英和辞典で調べれば、この「イチジク」とは・・・「fig(フギ)」なら、まさに「不義密通」の「不義」で、「付議・溥儀・附議」で、「譜を疑う」である、ナッ。「イヴ(エヴァ)=女媧」は「神のオンナ」で、あったんじゃぁ~なかろうか・・・?・・・不義の相手はモチロン、「アダム(仇務)=伏羲(フッキ)」である。「女媧」と「伏羲」は古代中国の伝説上の男女神で、身体は「蛇」とされているが・・・「羲和」とは「羲氏」と「和氏」で、古代中国「尭帝」に仕えて「暦(こよみ)」をつくった人物達であり、太陽の御者であり、太陽、太陽の運行そのものであった。「和(大和)」とは、「話(ハナシ)」は「倭(わ)」、天体の「環(循環)」、そして「輪(外輪山の阿蘇)」と、「羽(奥羽・蝦夷=カイ)」の「把(把握)」であるだろう。  「女媧」は「五色の石(磐)を練って天の割れ目を被い、大亀の足を切って天を支える柱とした女神である」・・・ボク的にはこれを翻訳(?)すると、  「誤植(五食)の   版(飯)を   音(値)って、   添(そえる・テン=槇=槙=まき=巻)の   話例の   模句(目)を   被い、   記(紀)の   亜詞を   生って   典を支える   注(註)とした   音名化実   である」  となるんだけれど?・・・とにかく、  英語辞典の「fig」・・・「フギ」とは・・・  ①つまらぬモノ・些細・タバコ小片   A fig for   A fig for you   A fig for fame!  ②服装・着るモノ・様子・健康状態・意気  ③・・・を飾る  「fig・ment」・・・作り話・虚構  「fig・urative」・・比喩的の・転義の・象徴的な  「fig・ure」・・・・線形・人物・絵姿・婦人の裸身        ・・・・数字・数・計算        ・・・・「占星天象図・十二宮図        ・・・・ウソ        ・・・・想像する  である。 ____  「無花果」の由来は花を咲かせずに実をつけることから。実際には外から見えないだけで花嚢の内部に小さな花をつけている。  別表記の「映日果」は中世ペルシア語の「アンジール」を中国で音写し、「果」を補足したもので、日本ではこれを「えいじつか」と読み、転じて「いちじく」と呼ばれるようになったとする説があるいっぽうで、果実が一ヶ月で熟すから、または、一日一果実ずつ熟すからという「一熟(いちじゅく)」から転じて「いちじく」と呼ばれるようになったとする説もある。  中国の特産地である新疆ウイグル自治区のウイグル語でもアンジールと呼ばれている。  中国の古語では他に「阿驛」、「阿駔」とも音写され、「底珍」、「天仙果」などの別名もある。 ____  「アンジィル」ならば「暗示、言いる」か、「案じ、按字、謂いる」の「按針(三浦)、謂いる」である。  「えいじつか」ならば「英字通化」だろうッ・・・違うの?・・・「英語の字を通して仮す」でしょうッ・・・? ____  葉は三裂または五裂掌状で互生する。葉の裏には荒い毛が密生する。葉や茎を切ると乳汁が出る。  初夏に花軸が肥大化した花嚢の内面に無数の花をつける。このような花のつき方を隠頭花序(いんとうかじょ)という。  雌雄異花であるが同一の花嚢に両方の花をつける。栽培品種には雄花がないものもある。  果実は秋に熟すと濃い紫色になる。食用とする部分は果肉ではなく花托(かたく)である。 ___  ・・・「隠頭花序(いんとうかじょ)」だってッ・・・  隠(いん・隠す)  頭(とう・塔・唐・藤・等・当・問う・答)  花(か・華・洟・鼻・端・端・葉名)  序(じょ・女・如・叙・除・徐・助・所・汝・恕・鋤・字与)  ・・・?

 2007年04月10日18:32  258日目・・・「選挙」が終わった・・・日本中があんなに「政治屋」や、「行政官僚屋」に「不信」を抱いているようにみえたのに・・・「中央政府」や「東京都政」、「地方自治」の「中央、地方行政」の「行政官僚」に対する「選挙」での「不信」は無かった?・・・んだろうかねッ・・・日本国中の選挙前の「政治・行政・司法・立法」に対する「批判的」な「ニュース、報道」、「タケシ」だって「オオタ総理」のお笑い番組だって、そして、「インターネット」での「情報」だって「無力」だったんだろうか?・・・それとも、沈没寸前の客船なのに、「アベ船長のコトバ」を信じて、まだまだ「大丈夫」と思っているんだろうか?・・・「日刊スポーツ」の「大谷」氏の「コラム」に「東京都知事選挙」に対する文言が載っていた。なるほど、かの「イシハラ」を選択した「東京都民」って言うのは、汗臭い下着を洗濯もしないで汗まみれで「博打のチョウハンのフダ」を張っているんヤカラが多いんだろう、ナッ。まさにその「親分」を支えようとしているのが地方から流れ込んだ「鉄火場都民」で、それを仕切っている「親分」も「賭博屋」なんだろう、カネ・・・選挙用の目尻を下げた「ニコニコ顔」は随分カガミを睨んで訓練したんだろうな・・・自分を騙せない目蓋の神経だけは神経質に閉じたり開けたり・・・「石原産業」と似たり寄ったりで、シェルフェルトの後始末はダレがスルのか、ネッ?・・・不思議に思うのは「日刊スポーツの三面社会記事」である。「スポーツ新聞」って言うよりも、まさに「一流の社会正義の詳細三面記事情報の瓦版」であるな、特に「コラム」は、サッ・・・「痣日」、「読捨」、「痲委日」、「惨閨」などの「三流新聞」では決してあんな「紙面」をつくれないだろう。ほとんど、巧い具合に読者を騙すレトリックの多い「権力」の「ゴヨウゴヨウ請部務」だ・・・逆転、逆立ち・・・「戦前」からの「体質」を変えるのはとってもムズカイシんだろうなっ。定年退職するらしい「団塊の世代(?)」は現在「六十歳」前後・・・「1965」年代には「18、19」の大志を抱く青年だった。「1975」年代には「28、29」の世界をシカリ見据える働き盛りだった・・・あの時代の「悪」に対する「鉄腕アトムの危機感」を最早、持ち合わせていないんだろうか?・・・「1960」年代を二十歳前後でエネルギッシュに街頭に出た日本人は現在、「70歳」前後・・・あの時代の「正義漢の姿」は見る影も無い・・・みんな、ショウガナイ、とでも思っているんだか・・・だが、一票を投じて「不信の人間(?)」を選ぶ大勢の人々の根拠はなんだろうッ・・・太鼓持ち・・・陰での愚痴り屋人民・・・「坊ちゃん」、どうするの?・・・「おキヨ」はいないし・・・イギリスもウンざりだし・・・風呂にでもいくかッ・・・ コメント イヌきち

2007年04月11日 07:58

なんかミーハーなんだよな。誰を選ぶかの基準が

 2007年04月12日01:58

 259日目・・・以前、古本屋で購入し、ザァ~と目を通し、ツンドクしていた「漢字の発掘・加藤常賢著・角川選書53・昭和46年発行」を再度ガッチリ(?)、読んだけれども・・・著者の先生は明治27年生まれ、愛知県出身であるらしい・・・「漢字」も「甲骨文字」から研究するとなると、大変だったろうなぁ~と思う。面白かったけれども、ボク的にはイマイチ説明がすっきりいかない箇所もあったけれども、フゥ~ンって・・・「漢字」が現在の漢字文字になるまではかなりの「字形」も「発音」も「意味」も変わってきた歴史的プロセスがあったんだよナァ~って・・・漢字はモチロン、すべての「文字の初源」は「表意文字(絵文字)」であることが原点である、とは思うが・・・その結果の「単語」になったプロセスは複雑である・・・「A+B=AB」、{「阝+丁+口=阿」+「咅+阝=部」}=阿部・・・  で、「十干」と「十二支」なんだけれども、古代中国「殷・商」王朝では「十干」の「順序」は確立されていなかったんだろうか?・・・加藤常賢先生の漢字の初源の「形の意味」では・・・「亀甲文字」をここに示すのは困難だけれども、以下の不正確な字面構成から大体、イメージして欲しい・・・    ボクが示した亀甲文字     ↓  甲・・田・十・㊉・・豆の外皮が割れた形  乙・・~・Z・燕・・鑿(木工のノミ)の形  丙・・内・丙・・・・机(几)の形  丁・・↑・□・●・・釘(くぎ)の形  戊・・←+⊂+=・・・削刀・鉋(木工のカンナ)の形  己・・コ+L・・・・糸の曲がった形  庚・・E+ヨ+耒+○・・両手で杵を持ち臼で穀物を脱穀  辛・・▽+十・・・・・刺青の針の形  壬・・工+〇・Ⅰ・王・・糸巻きの形  癸・・↥+⇔・・・・・三鉾の武器の形  であるらしいが、「形の意味」はわかったが、これらの「形」からは「数詞」としての「意味関連=順番の意味」が、イマイチ、不明である。だが、次の説明も先生は書いている・・・  「殷代」では」、不思議なことに、生まれた日の干の名を人の名とした。だから太甲とか太乙とか父癸とかいう名がト辞に見えている」  と。そして「殷王朝」は高級文化で、殷王朝を滅ぼした「周王朝」は西方の蛮族で、低級文化であった。周王朝は殷王朝の文化に影響されていたが、「十干」で名をつけるのが廃れてしまった、と。  「殷王朝」は「数詞」としての「十干」を「王の生まれた日」として、その名前として付けた、とは、その「十干」は「甲(1)・乙(2)・丙(3)・丁(4)・戊(5)・己(6)・庚(7)・辛(8)・壬(9)・癸(10)」となっていたのだろうか?・・・加藤先生の文脈からは「十干」は日ごとの十サイクルの数詞として使用されているようだが、日ごと循環プロセスが、大工の木工、工作、あるいはそれに付け加えられた織工の手順の順番?・・・では無いんじゃぁなかろうか・・・日が巡る一日目、二日目・・・十日目の連続、関連性には、あるモノの「変化」が基礎になっているハズである。当然、「暦」を創り出した「一日~十日ごとの循環」は「太陽と地球上のある定位置の変化観察」であろうとは思うが・・・古代に於いては「月(衛星)」の「朔望の形」で、後には「月の朔望日数」と「太陽の位置」の「調節」だった。「衛星(エイセイ)」の同音異字「衛生」とは「生き物を衛(まもる)」である・・・地球上の生き物を「永世・永逝」として「衛る」のが「お月さま」の役目であるらしい・・・  で、目に見える生活の糧である「甲=㊉」が「豆の外皮の殻が割れた(穀物・作物・果実)の形」で、それが順列の「第一番目」としてなっていたならば、その「甲(1)」に続く「第二番目」の「乙=~」が「木工の鑿(ノミ)」である、とするなら「第一番目」に連続するその「変化の意味」が「数詞」としては続かない、のではないのか。  「植物の豆が殻を破って芽を出した」ならば、「乙(L)=~・∫、Sの逆字を横に描いたモノ」は「芽が伸びていく生長の茎の形」ではないのか。  当然、第三番目の「丙=一+内」が「几=机」ならば、更に連続の意味が無い。「丙」は地面の内部(冂)で根(人)をはって、外部に生長し「分かれた葉っぱ(一)」の形である、と思う。  第四番目の「丁=↑・口・●」は確かに「釘(金+丁)の形」には見えるが、大地に根を張って更に生長した植物の「茎(」)と枝(一)」である。  第五番目の「戊」は「カンナ・削刀」とされているが、植物が繁茂している「戊(茂・モ・しげる)」の「草冠(艸・++・廾)」の省略されたモノで、「戊(斧・鎌)」で刈り取られるべき「草(茎・枝)」である。時代的には「戊」が「茂」よりも古字であるらしい。で、「戊」は「厂(ガン・崖・断崖・切り立った磐の崖)」と「戈(ほこ・鉾)」の合字で、生長した植物の茎や幹が「硬く(固く)」なってガッチリと引き締まり、天空に向ってそびえ立った形であるだろう。  第六番目の「己(コ・キ・糸口・紀の本字・始まる・私=ム)」は「糸の先のグルグル曲がっている形」らしいが、  「已(イ・終わる・決まる・はなはだ)」  と  「巳(シ・ジ・へび・はらみ子・始まる)」  の類字がある。「亀甲文字」も殆ど同じ形をしているらしいが、「己(糸=花蕊・雄蕊・雌蕊)」は、「已」と「巳」も兼ねて、稲や麦のタラチネの穂先、作物、果物植物の花の「つぼみ」と「開化」の状態を、その意味で示唆しているのではないか・・・植物の最終段階は未来的な自分自身の「種子」を遺すコトである。  第七番目の「庚(コウ・キョウ・とし・よわい・年齢・道・変わる・償う)」の漢字を加藤先生は「糠(ぬか)」を例題に、「米+康」の「康」は「庚+米」であり、穀物を脱穀するタメに「両手で持った杵」で、「臼」の中を突いている形と言っておられる。「康」は「やすらか・やわらぐ・たのしい・むなしい」で、「徳川家康」、「国家安庚」、「康煕字典」などに使用されている漢字である。なぜ、「むなしい」の意味もあるのかは「ヌカ喜び」と言う熟語もある。喜びが瞬時に怒りや悲しみになってしまうコトだ。「束かの間の喜び」って・・・「束」って、刈り取った稲か麦などの「束(たば)」だよな・・・精米する前の「衝かぬ間の喜び」だったカモ・・・  ここで、大地から収穫された「穀物種」の「杵と臼」を使った「精米の加工」段階に入ったのだ。  殻の外皮に包まれた種  ↓  割れる  ↓  出芽  ↓  茎  ↓  葉分かれ  ↓  生長  ↓  固い茎、幹  ↓  枝葉  ↓  蕾  ↓  花弁の開化  ↓  花蕊(はなしべ)の糸の先端の授精、授粉  ↓  種を包んだ果実形成  ↓  「庚」=人間の手による「脱穀」  ↓  玄米の精米による黄粉である糠(穅)の発生  ↓  精米と糠  脱穀の後の第八番目の「辛(シン・▽+十=刺青の針の形)」とは何であろうか?・・・精米された「米」と「糠」が、次のプロセスとして、肌に墨を入れ込んでいく「針」を意味する「辛(シン・からい)」とは?・・・精米された米を生産者から収奪、「税金の辛苦」ではないのか?・・・糠(ぬか)しか食べられない人々への「刺青の辛(針)」。あるいは穀物生産に携わり、秋の収穫、生産結果を手するまでのプロセスの「辛苦」の振り返り、カモ・・・「辛夷(シンイ)」とは「白い木蓮の花」らしく、中国の「木蓮」は初春に桃色を帯びた紫の花らしい。「刺青」され、変色した「肌とその周辺の色」ではないのか・・・「白色」は純白無垢の象徴で、五行の「金=庚辛=白」ではある。  第九番目の「壬」が(糸巻き、布巻きの形)」ならば、植物、穀物生成の順番、序列の意味としては、まったく「連続」しない。だが、「壬」が「糸巻き・布巻き」ならば巻かれた糸や布が膨らんでいく。甲骨文字では「壬=ノ+一+一」の真ん中の「一」が「●」になっている。「壬」が「妊娠・孕む」の意味ならば、穀物倉庫に増えて行く「穀物の貯蔵」であろう。  そして、第十番目の「癸」が「十の三先が尖った鉾先」ならば「兵の持つ兵器」である。漢和辞典には「癸」は「測る・はかる」とある。当然、何をハカルのかは支配者が収奪できる「穀物の収穫量」を「武器」を手にした「官吏・兵」にさせての意味であろう。  「癸」の「癶」は「背く・叛く・ひらく・ゆく」の意味である。「天にソムかれる」のか、「天に叛く」のか、記録されるべき「漢字(文字)」は、「支配者側の道具」である。「十干」のすべての主語は「収奪支配者」の立場としての「観察説明」であり、その「コトバ(概念)」である、とは思うのだが・・・  まあ、「イヌ」も墓場に埋葬されていた青森県の三内丸山古代遺跡(約5500年前~4000年前の縄文時代の集落跡)周辺には「栗(クリ)」が栽培されて食用されていたみたいだから「癸」の「癶」は「背く・叛く・ひらく・ゆく」は「毬栗(いがぐり)」の「イガ・棘・針」カモ。鯨(クジラ)の骨も出てきているようだし・・・第一番目の「甲」が「㊉」で、「殻の割れた種」であるならば「栗」・・・?・・・加藤常賢先生は甲骨文字の「甲=㊉」を人間の首から上の「頭蓋」とも考えているようだし・・・タシカに「兜(かぶと)=冑=甲」と同じ意味で使用されている。  「甲賀忍者メッ」、「イや、伊賀忍者かッ?」、「なに、甲府のラッパ、スッパ、ダトゥッ」、「甲斐のシノビだとはナッ・・・」、「タケダの軍師はヤマモトのカンスケ」・・・「カイ、蝦夷の人間・・・?」。  ツカレタ・・・ネマス・・・ コメント 退会したユーザー

2007年04月12日 22:04

その脳みその思考回路分けて欲しいです。(切実)

 2007年04月13日01:22

 260日目・・・昨日の「つづき」・・・で、今日は「十二支の漢字」の初源・・・やっぱし、「加藤常賢」先生の「漢字の発掘」の「形の意味」を参考にして・・・とにかく、ボクは「出鱈目」で、「アソビ」の「漢字オッタッキー」だし・・・「中国古代人」に直接逢うのも憚れるから・・・で、よくもぬけぬけと逢うョな、「アベ&オンカホウ」・・・「蛙部」と「音掛方」か・・・   ボクがイメージして、組み併せた「漢字の発掘」に記されている(不正確)な甲骨文字の形。意味は「加藤常賢」先生の説。     ↓  子・・♀・∃+㊉+人+∈+∩=尸の形  丑・・∋+)・Э+)=手の形  寅・・∈+↥+∋=両手で矢を真っ直ぐにする形  卯・・ο+)(+ο・q+p・d+b=馬の轡カガミ  辰・・|+7+ヽヽ+|=蜃(おおはまぐり・大蛤)  巳・・〇+し・P・止+它=蛇、蝮の形  午・・8・↑・↥=杵の形  未・・耒・Ψ+八=木の枝が繁茂する形  申・・ξ・S・∈+|+∋=稲光・背骨と肋骨の形  酉・・立+∀・耳+∀=酒壺  戌・・∇+|・厂+戈=鉞(まさかり)  亥・・〃+∫・∋+∫・亠+ノ+カ=豚・猪  加藤先生は「十二支」の動物に当てられた漢字は「巳」と「亥」だけである、と言っている。  まあ、タシカに「十二支」は「動物の星座」の「循環」ではないだろう。ヤッパシ「支」と言うから「植物=樹木」の生長過程ではないのか・・・西洋、中東でも「木星=歳星」が「十二座宮=十二獣帯」の「一座宮」に回座して居座る時期をその一年間の「一星座宮」とした。中国でも同じように「一支の歳」とし、それを「十二動物」に当てたのは、中東、西洋の影響だろう。  「十二支」は古代でも「円周天体の十二ヶ月・十二時間」の「区分」だった、とは思うが、古代中国「殷」の発明だったのだろうか、「十二区分」、天体「十二星座・十二座球」。一般的には「円周360度、十二区分」は「メソポタミア」、「古代中東」が発生の地と言われている・・・中国に伝播されたのは「殷・商」王朝後のコトではないのか、「殷王朝」を滅ぼした「周王朝」は西の蛮族、「西夷」だったらしいから。まさに「鶏の足跡」のような「楔形文字」を発明、使用した古代「シィメール」、それに、古代エジプトの書記である「トト神」は、鳥の「トキ(朱鷺・鴇)の頭」を有する存在として「絵画」に描かれている。そして、古代中国の「文字の発明者」は「鶏の足跡」から文字を発想、発明した「蒼頡」である、とされている。この「蒼頡」は「蛇身人首」の「伏羲=包犠」氏よりも後の時代の「黄帝」の史官だった、と言われている。「女媧」はギリシャ神話では「エキドナ(Έχιδνα)」で、上半身は美女で下半身は蛇だった。で、「黄帝」も「人身牛首」だった。まるで、ギリシャ神話に出てくる「ミノタウルス=人身牛頭」との重なりである。「蒼頡」の漢字分解は「蒼=艸+倉=青い」、「頡=吉+頁=真っ直ぐな首筋・飛び上がる・伝説上の獣名・除く・掠めとる・盗む」である。「頡頏(ケッコウ)」とは「鳥が飛びあがり、飛び降りる様子」であるらしい。古代文明の文字の発生共通項は「トリの足跡」であるらしい。  古代「エジプト」の「星座宮」には「八区分」されているモノも見かけたコトがある。中国では一般的には「十二方位」と言うよりも「ハ方位」と呼ばれる。中国の「唐王朝」時代に「弘法大師・空海」がもたらした「宿曜経」は「十二座宮の区分」となっている。  「十二支」が「植物の発生形態変化」の「区分」であるとするならば、「子」は亀甲の「尸」ではなく、「0+∫・δ・ρ=おたまじゃくし」で、「種」そのもの。「オタマジャクシ」とは「柄杓の形=北斗七星」でもある。「子(シ・ス)」の漢字そのものは「了+一」で、終りと始まり、始まりと終りである。円周循環の出発点であると同時に終着点である。似ている漢字には「孑(ケツ・ケチ・あまる・のこる・小さい)」があり、沼、湖、水溜りの面で活動する「蚊の幼虫」の「ボウフラ(孑)」の意である。「孑」は、「孔舎衛(くさか)」、「孤立・孤独」、そして「諸葛亮孔明(181~234年甲寅8月23日死亡)」、儒家の「孔子」の合字で「ボウフラ」のアソビ・・・である。「孔=孑+乙=♀+∫=コウ・あな」は、燕(つばめ)に女性が子供を授かるコトを請い願うコト、らしい・・・「乙」に類字する英語の「Z」はアルファベット「26番目の文字」で、「数学での第三の未知数」、ギリシャ神話の主神「Zeus(ゼウス)」である。「Z字形」とは「電光・稲妻」である。「Zadkiel(サドキエル暦)」とは「占星暦」である。「zodiac(ゾデャク)」とは「十二宮星座・獣帯」で、「Zero(ゼロ)」とは「零=雨+令」である。  「丑」は「手」だとするならば、「葉っぱ」の形である。まさに、「杻(チュウ・もち・もちの木)」で、樹脂から「鳥餅」をつくる木であるらしい。そして別意では「手枷(てかせ)」で、木製の手錠のことであるとされている。  ボク的には「丑」は、漢字の分解では

「丑」は

 「彐+|」か

 「7+7+二(一+一)」にも見えるが、手(∋+〉)であるなら「熊手」のように見える。「熊手=熊の手」は「酉の日」に売っているモノで、穀物や落ち葉をかき集める道具である。「酉」は秋真っ盛り季節である。秋の収穫物をかき集める「手」である。  「寅(イン)」は亀甲文字からも、空に向っての木の真っ直ぐな生長である。寅の合字には「演(引き伸ばす・述べる・染み込む・潤す)・螾(蝉のつくつくぼうし=寒蝉・ミミズ)・縯(長い・引く)」がある。そして「夤=タ+寅」は「大きい・延びる」がある。「寅(イン)」がナゼ「虎(コ・とら)」と重なったのか・・・「寅」の漢字は見つめれば不思議に動物の「虎の顔」に見えてくるのだが、漢字分解すれば、   寅(イン・エン・とら)   ∥   宀(宇宙の天蓋・ヽ+∩・ベン・メン・う・ウ)   +   T(釘・丁・↑・ ̄+|・T形定規・チョウ・て・テ)   +   田(㊉・□+十・国の四方・デン・た・タ)   +   ハ(両足の歩行・人・ハチ・は)  「寅」とはボク的には「宇宙の天蓋から釘を挿された国の十のハ(コトバ)」である・・・のだが・・・春雷のカミナリ(稲妻とゴウ音)である・・・?・・・「寅」の亀甲文字が「∈↑∋ハ」の組み合わせなら「手を併せて、天を拝んでいる人」である。  「寅」がどうして「とら(虎)」になったのか?・・・「虎=虤」の合字には、「虝・鷉・彪・號」で、「虎=虍」であるならば「虖・虐・膚・慮・虚・虗・虜・虔・遽・虞・處・虙・廬・嘘・瘧・虒・遞・箎」、「虎の皮の文様」と「虎の唸り声」にあるらしい。そして「虍=ト(占・☳)+皮(革)+七(牝・7・匙・小刀)」である。「虎の皮の文様が占いの☳を示し、七は匙(柄杓)」・・・そして日本語の「トラ」は「斗等・図螺」か「図は裸」かも。ユダヤ(イスラエル)人の「旧約聖書」の「律法(律法の写し)」は「デウテロノミウム=(第二の律法)トーラー」と呼ばれている・・・この円盤十二支区分の「寅支」と相対して向かい合っているのが「申支」である。「寅⇔申」の関係を「冲・中・衝」と言っている。正面衝突であるから、その「衝突した結果」は「己己(キキ・ココ・おのれ、おのれ・おと、おと・な、な)」なのだ。  寅(己=土・丙=火・甲=木)        ⇓    衝突して己己が残る        ⇑  申(己=土・壬=水・庚=金)  「卯」が「馬の轡(くつわ)」とは思われないし、「卯=劉=殺す」とも思えない。「卯」は「柳」の右部分にも、「迎・貿」の部分にも、「昴(すばる)」の部分にもなっている。似ている漢字は「卵」であるが、「卯」には「ゝ(核・黄卵)」がない。多分、亀甲文字の形は「木の幹や枝に吹き出した芽」である。「卯」が兎(ウサギ)になったのは「兎(兔)の耳の形」であるからだろう。  「辰」は「蜃(おおはまぐり)=二枚貝」であるらしいが、亀甲文字は「丙」にも見える。「柄」と言うかんじもある。「一+匚(C)+=し+ハ」ではイメージが湧かないだろうが、「渦巻いている形」にも見える。「貝」なら螺旋状の「巻貝」で、「二対」になっているモノにはみえない。形は北極星を中心に回転する北斗七星の「形」である。辰は漢字の「農・振・脤・娠・縟・脣・震・振・辱」、あるいは「唇(くちびる)」に合体されて「うごめき・振るえる動作」を意味しているし、季節の土用を含む「辰支の時期4月後半」は大地が不安定である。また「辰」はうごめく「水銀」と「硫化硫黄」の化合物である「辰砂」の熟語になっていおり、「丹砂・朱砂」とも言われているからツボメタ唇の「赤色・朱色」を示唆している。「辰巳=巽」は南東で、「巳支」の「朱鳥(鶉)の尾」と接し重なる「辰支」は、「蒼龍(青龍・大樹)の頭」であり、対をなす「赤い目のマブタ」であり、樹木であるならば「固くて赤い蕾(つぼみ)」である、と思う。  「巳」は「巴」と同じで、トグロを巻いたヘビである。「蕾」が膨らんで開き、「花弁の渦状の重なり」を見せだした形である。  「午」は亀甲文字では「杵」であるらしいが、「ヽ+8」は「一糸に二個の玉が通してある様」に見え、あるいは尖がった「蔕の付いた柿の実」、碇の様な「⇡・↑+0」のように見える。「ゝ+8」なら「果実」のぶら下がった形ではないのか・・・漢和辞典には「午=∧+十」とあり、「逆らう・交わる」とある。なった「果実」は上には向かわず、地上へと垂れ下がるのだ。「正午」は「中天」と言われる太陽の位置で、降り注ぐ太陽光線が一番強烈な時間帯である。「午」は「上から下への動作」の意味であろう。  「未」は「耒」でもあるらしいから「落葉した裸の木と枝」であろう。「Ψ+↑」にみえるのも同じであろう。「未」が「羊」に重なったのは「耒」の亀甲文字の上部が「羊の角(∪)」に見えたからだろう。  「申」は亀甲文字では「☈・S・ζ・ξ」に見えるが、「Ε+|+∃」もあり、これは「加藤」先生によれば「背骨と肋骨」らしい。だが、「神=示+申」の「申」は「雷電」で、「落雷の稲光、稲妻」を示す、であるから「申=田を貫く光線(☇)」で、日本語である「稲妻=いなづま=稲夫=電光」によって、「穀物」が実るのは当然で、ギリシャ神話の「ゼウス・ユピトル・ジュピター」は「雷神」であり、「殷王朝」の漢字「殷」は「カミナリの轟く音」である。「旧約聖書」の漢字の翻訳には「申命記」のタイトルがある。「モーゼ」が「イスラエルの全ての人々に告げた神の命令のコトバ」が記されているヶ所である。  「申」は「実が弾け落ちる」ではないのか・・・  「申」は既に述べた「寅」との関係「中・冲・衝」も再読して貰いたい。  「酉」は「酒壺」だから収穫した穀物の「果汁・酒液」としての貯蔵である。  「戌」は「厂(一+ノ)」と、「ゝ(刀)」、「戈」で「鉞・斧」あるから樹木の伐採か、手入れであろう。「収穫物=酒」の武器による収奪かも・・・  「亥(ガイ)」は「豚(肉+豕)」や「猪(豕+者)」であったが、「亥豕之譌(ガイシのカ)」は文字校正の誤りであるらしい。「己亥(キガイ)」を「三豕(サンシ)」と読んだ故事。「晋師(三豕=己亥)渉河」・・・で、漢和辞典の「亥(きざす)」の亀甲文字は「二(陰気)+♀(男)+子を抱いている♀(女)」である、と説明されている・・・果汁、果実酒でも飲んで、寒い冬を夫婦が子供と春の緑を待っているのかも・・・「亥」の合字には「刻(コク・きざむ)」がある。「一刻」は「2時間」である。  「猪=豕+者」の「者(シャ・は・とは・ば・れば)」で、人物やモノの「主語」を示す「は」で、亀甲文字では「窯の中の焚き木」が燃えて、その窯の上から炎が出ている形になっている。「者」の古い字は「日」に「ゝ」が付いている。  「豚=肉+豕」、「猪=豕+者」の「豕」が「イヌ(犬・狗)」である、との見解もあるのだが、一般的には「ケモノ(獣)扁」と言われているから「獣(ジュウ)」とは「犬(ケン)」であろう。そして、見かけが「犬(四肢で歩く)」に似ている動物のことだ。異なるのは「毛の状態=畄」と「口の形=口+一」であろう。「大」が「一+人」なら「犬」は「一+人+ゝ(チュ・てん・ぽち)」であり、「ゝゝ」は「油皿の中の灯火(ともしび)」である。「犬」が人間に付きまとう友達で、「友の始の備」で「チュ(治癒・智喩)」の「テン(天・槇・典・点・転・顛・填・添・店=广占)=Ten(十)」の「ポチ(仏)」・・・「犬座」って・・・ドコにあるのか知っている?カナ・・・そしてギリシャ神話の「犬座」のおハナシを・・・「ポチとタマ」は「ワンコ」と「ニャンコ」だョ・・・

ーーーーーー

 ・・・???・・・

 (表紙・画像・音楽)」の

  移転先・・・

 ↓↑

 ボクの「古事記字源」の発端・・・

 ↓↑

 干支歴

 ↓↑

 追加添文

 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」




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