2013年の拾月の壱拾八日の書き込み記事
さかな=差仮名・佐加奈・詐化名・・・真名=まな=茉菜・魚・・・漢字・監字
夕方、時刻は16時35分頃、病院に行く途中北東の山間から薄黄色の大きな月が半分突き出し、北西の山裾に橙色の大きな太陽が同時に沈んでいった。空には雲ひとつない一日・・・今度は「台風27号」ですか・・・「症候」、「病+気」、「病+状」、「疾+病」・・・「疾病(シッペイ・シツビョウ)・疾患(シッカン)」・・・「日本語」の「一語」には「意味」があり過ぎだなぁ~である・・・よくもマァッ、こんな「言語・ことば」で生活しているもんだが・・・ヒトビトが「だまされる」のは「騙される言語基盤」がガッチリしているからだろう・・・「国会の質疑・応答」をTVで視て、キイてイテも・・・一方の「質疑」には「そうだ・そのとおりだナ」と思考反応するが・・・ソレに対する「応答」にも「なるほどナ」と思ってしまう・・・そのほとんどの「質疑応答」は「未来対処」に対する「どうする・どうなんだ・どうするつもりだ・すべきではナイか」に対する、「考えています・かんがえます・思います・するつもりです」・・・コトバの「未来形・已然形」での「質疑応答」である・・・具体的な「質疑」には「検討中・対処中」、「最大限努力中・努力をするつもり」・・・である・・・「ナイ」は「否定」なんだか、「肯定」なんだか・・・ それに、この「国会質疑応答の報道」にナゼ「解説」がヒツヨウ(必要・必用)なんだか・・・ 「病気」に関してはもっと「シツヨウ(執拗)」な「解説」がヒツヨウだろうが・・・「執拗」の「拗」は「手+幼」で「ヨウ(エウ)・ねじる・ねじれる・ねじける・すねる・ねじれる・まっすぐでない」ある。ブログ辞典の「執拗」説明が「自分の意見にいつまでもこだわりつづけるさま・えこじ・がんこ」だが、それも「肯定・否定」するのも「一般的判断」の「正・誤」と、「善・悪」の内容次第である。「正誤・善悪」も「ダレの基準」なんだか、「ダレの常識」なんだか、「コレ、なぁ~に」、「どうして、ドウシテなの、なぜ、ナゼなの」と執拗に訊いて来るのはコトバを憶(覚)え始めた「幼子・幼児」である・・・漢字分解での理解ならば原則的な「部首(形象)文字」の意味さえ理解していれば「簡単」である・・・ならびに「同音文字漢字」がイメージできれば更にではあるが・・・原則は「形象」である。 ・・・耳も大切だが「音」で確認する「ことば」は、目で確認する「コトバ」イジョウに微妙で曖昧である・・・だが「聴いた音」を記憶し、正確に「ピアノで再現」出来るヒト(日本人)がいる・・・今見終わったTV番組の「中居正広の金曜日のスマたちへ」・・・「世界の天才頭脳大集合スペシャル!」・・・そして「計算した結果の答え」を即時に出すヒト(ドイツ人)も・・・各数字が色で、しかも計算結果が、その「色の塊り」として頭の中で形成され、コトバ(音声)で表現できる・・・「悩の認識、記憶」の「機能」は理解できるとしても、ボクにはその「計算思考」機能は理解できない・・・それ以前にボクの「加減乗除の計算」思考は「紙と鉛筆」を使用したアナログ計算で、それでも間違ってしまう・・・計算機の利用では「キィボードの押し間違い」が多発だが・・・ 「催眠状態」での「医療手術」には「麻酔薬」は「無用」なのだろうか・・・以前、大陸中国では「ツボ(経絡)」に針を刺し、「無痛状態で患部の手術」に成功したと言うニュースがあったが・・・異常な「痛」は辛いけれど、精神的にも、肉体的にも「無痛」は怖ろしい・・・「正常」な人間感覚と人間意識、思考、判断の「異状事態」である・・・「ナニが正常」であるかの「基準」が問題ではあるのだが・・・その基準に対する「執拗」が徹底されていない・・・ ーー 「病(やまい・ヒョウ・ビョウ・ヘイ)」 病=疒(やまいだれ・ダク・ニャク)+丙(ひのえ・ヘイ) 疒=亠+爿(ショウ・ソウ・牀=床・寝台) 漢音→ヘイ・ヒョウ ↓ 丙(ひのえ・ヘイ・ヒョウ)→并(あわせる・ならぶ・ヘイ・ヒョウ) 「疾患の原因が明確になっているモノ?」は基本的に「丙(ヘイ)=火=熱」 「病理学的に特徴のある場合の名称?」は基本的には「炎症」 「症(ショウ)」は・・・「證(あかし・ショウ・セイ)=言+登」の俗字 症=疒(やまいだれ・ダク・ニャク)+正(ただしい・ショウ・セイ) 「病気状態=病症をあらわす名称」は 身体機能が見た目、「正常」ではない 症候群と同じ 症候群は、原因は異なるが似た様な身体機能疾患状態 「疾患」=病理的な原因、症状、形態的変化の少なくとも二つを示すもの 疾病は病名、疾患は疾病に関連するまとめた名前 「障害」・・・「障(さわり・ショウ)=阜+立+日+十」だが 「丘」が太陽(日光・旭日)を「十(遮っている)」 元々は「障礙」で「障」の「礙=石+疑」である 「石=岩→癌」で、現在なら「結石・血石」だろう・・・ 漢音を取れば 障礙・傷害・生害・生涯・障碍 身体的な機能や動作が不完全な状態 ーー ・・・イズレにしても「医者の専門用語」は「患者サイド」のモノではナイ・・・ ・・・なぜ「病=疒+丙」が「日本語」の「やまい」なんだ、なぜ「症=疒+正」が「やまい・ショウ・セイ」なんだか・・・「疒(やまいだれ・ダク・ニャク)」→「广(まだれ・ゲン・コン)」→「厂(がんだれ・がけ・カン・ガン)」である。いずれも「山の壁面・山の頂上」で、「崖崩れ」である・・・そして「土砂災害」・・・ 「や・ま・い」、「や・まい」、「やま・い」・・・「やまい」は「火山の噴火災害」を「人体のヤマイ」に重ねたのだ・・・そして「山威・山畏」・・・「山」は「神域・聖域」である・・・「古事記」では「イザナミ(伊邪那美)」が死んだ原因である・・・「産後の肥立ちが悪かった」のだ・・・「産褥(サンジョク)=妊娠・分娩によってもたらされた母体の諸変化・分娩の終了から非妊正常状態に復元するまでの6~8週間の期間を産褥、産褥期といい、産褥にある婦人を褥婦(puerperant)という」、「産後の肥立ちがよい」である・・・ 「日本書記」では「イザナミ・イザナギ」の漢字は「イザナミ(伊弉冉・伊邪那美・伊耶那美・伊弉弥)」、「イザナギ(伊弉諾・伊邪那岐・伊耶那岐)」で、「イザナミ」の別名は「黄泉津大神・道敷大神」である・・・ ここには「弉(さかん・ショウ・ソウ)=壯+廾=爿+十+一+廾(サ)」の漢字が使用され、「爿(ショウ・ソウ)」は「寝台の脚(足)」である。「士」 「壯=壮(さかん・つよし・ショウ・ソウ)」は「弉=奘」の音訓も意義も同義である。そして「お灸をすえる回数」・・・「艾(もぐさ・よもぎ)・捥ぐさ」。 道教の「壮士・荘子」である・・・ 「士(シ)」は専門職の称号だが「周代の身分制社会構造で支配者層は、周王の下に諸侯・卿・大夫・士で構成されて官職と邑(都市国家)を世襲していた。士は支配階層の最下層に位置していた」・・・であるが、「土(ド)」と同様で、分解すれば「十+一」である・・・ 「弉」は「奘=爿+十+一+大」の俗字であるらしく「ソウ(サウ)・ゾウ(ザウ)・ジョウ(ジヤウ)」、「large・powerful・stout・thick」・・・「三蔵法師=玄奘三蔵=玄弉三蔵」・・・30代前後のエネルギッシュな「男」と言う事らしい・・・ 「廾(キョウ)とは、両手を捧げている様」で、「神前の儀礼」で「拱(こまね)く」である・・・「こま(狛・駒・高麗・独楽・小間)ねく(音句)」 「病」とは「爿(ねだい・きぎれ・ショウ・ソウ)=寝台」、「爿=牀(ベッド)・牀=床(ゆか・とこ)」に倒れ込むコトなのだ・・・ベットに寝込んでの元気の快復(回復→開腹)は人による・・・ 「禁忌症」と「適応症」・・・火山近辺の温泉湯治で悪化する、善化する「病気」であるかな・・・ ーーーーー 枕草子 (一六三段)・・・百六十三段・壱佰六拾参段・壱六参段・陌陸足参段 1+6+3=10=十=壱拾=足 1×6×3=18=十八=壱拾八=壱足捌 とく・・・とく・・・涜=みぞ・用水路・溝涜・けがす・けがれる ーー↓ ↓ 涜職・涜神・汚涜・自涜・冒涜 ↓ ↓ 解く・説く・讀(読)く 梳く・・・カミを櫛梳く 疾く・・・すぐに・早速・急いで・すでに・とっくに ↓ やまい・とし・はやい・シツ ↓ 病気・疾患・疾病(シッペイ)・悪疾・眼疾 痼疾(コシツ)・痔疾(ヂシツ)・肺疾・廃疾 速度がはやい 疾走・疾風(シップウ) ↓ なやむ(悩) やましい(疚しい・疾しい) 良心がとがめる・後ろめたい 病気であるような気がする・気分が悪い シツ 疾苦・・・憎む ↓ トク 得・特・溶く 禿・篤 都区・督・徳 ーー↓ ゆか・・・床 しき・・・敷き もの・・・物 絨毯・絨緞→十段・拾段・銃弾・拾弾 ーー↓ーーー↓ ゆかしきもの・・・懐かしい、心引かれる ーー↓ 卷・・・・巻=巻物→書物 染・・・・そめる・セン→潜・撰 染=氵+九+木→水(軍)九鬼 村濃、・・むらご(斑濃・叢濃)・・・ソンノウ=尊皇 染め色の名 同色でところどころを 濃淡に暈(ぼ)かし染め出したもの 斑濃の威(おどし)」の略 むらごのおどし(斑濃の威) 鎧(よろい)の威の一 白地に左右、または上下の 一隅を濃淡に威(おど)混ぜとしたもの 括物・・・くくりもの・カツブツ ばらばらのものを一つにまとめる くくる・くびれる・入り口を締めくくる 括=手+舌(千+口・ノ+古・ノ+十+口) カツブツ ↓ 活物=生きて活動しているもの 華岡青洲 ーーーーーーーーーーーー↓本文を抜粋し、添付させてもらいました・・・ http://members2.jcom.home.ne.jp/326ohe/hpsozai/sub7.hanaoka/naigai-1.htm ーーーーーーー↓ 「内外合一・活物窮理」 「内外合一」とは? 外科ニ志スモノハ先ズ内科ニ精通セザルベカラズ。 苟モ之を審カニシテ之ガ治方ヲ施サバ外科ニ於テ間然アルナシ。 内外ヲ審査シ始メテ刀ヲ下スベキモノナリ。 又 方ニ古今ナシ内外一理。古ニ泥ヅマバ以テ今ニ通ズベカラズ。 内ヲ略セバ以テ外ヲ治スベカラズ。蘭ヲ言フ者ハ理ニ密ニシテ而モ 法ニ疎ナリ。漢ヲ奉ズル者ハ法ニ精シクシテ而モ跡ニ泥ヅム。 故ニ我ガ術ハ治ヲ活物ニ考ヘ、法ヲ窮理ニ出スト言ウニ在リ。 又 凡ソ病ヲ療スルニハ其ノ方ヲ処シ、剤ヲ製スルニハ必ズシモ局方ニ 拘ハラズ薬餌ノ及バザル所ハ針灸コレヲ治シ針灸及バザル所ハ以テ 腹背ヲ刳割スベク、以テ腸胃ヲ湔洗スベシ。苟モ以テ人ヲ活カスベキ モノハ宣シク為サザル無カルベシ。 「内外合一・活物窮理」 青洲の学問の帰結であり、 彼の医道哲理であり、また彼の人生観であった。 大江医家史料館には 「活物窮理」の文字が 安東九華の書で額で掲げられている ↓↑ 華岡青洲(はなおか せいしゅう) 宝暦十年十月二十三日 (1760年11月30日) ~ 天保六年十月二日 (1835年11月21日) 科医 世界で初めて 全身麻酔を用いた手術(乳癌手術)を成功 諱は震(ふるう) 字は伯行 ーー↓ など・・・ 染め・・・ たる。・・・ 人の・・・ 子・・・ 産み・・・ たる、・・・ 男・・・ 女・・・ 疾く・・・ 聞・・・ かま・・・ ほし。・・・ よき・・・ 人は・・・ さら・・・ なり、・・・ えせもの、・・・ 下種の・・・ 分際・・・ だに・・・ きか・・・ ま・・・ ほし。・・・ 除目の・・・ まだ・・・ つとめて、・・・ かならず・・・ しる・・・ 人の・・・ なる・・・ べき・・・ をりも・・・ 聞か・・・ まほし。・・・ 思ふ・・・ 人の・・・ おこせ・・・ たる・・・ 文。・・・ ーーーーー ・・・ヒトのオコセタル文・・・
Comments