2014年の綴(つづ)り・・・2021-2014=7
七年目の休耕・・・?・・・まだ、イキをしている・・・
・・・「孫子」、「呉子」・・・「実践論」・「矛盾論」・「遊撃戦論」・「持久戦論」・・・ ーーーーー 1917年 孫文の同志 アジア主義者 宮崎滔天が 毛沢東の故郷の 湖南省を訪れ、講演 毛はこの講演会に出席し、 日本が 欧米白人の アジア支配を打破したことを聞いて喜んだ 後に 毛沢東は 米国記者 エドガー・スノーに・・・恵土賀亜 雪・雪辱・ソソグ 日露戦争当時の 日本の歌詞を紹介 「雀は歌い・・・・・すずめ・ジャク 鶯は踊る・・・・・うぐいす・オウ・ヨウ 春の・・・・・・・はる・シュン 緑の野は美しい・・みどり・リョク ざくろの花は・・・柘榴・石榴 タクリュウ・セキリュウ 木+石+木+留(卯+田) 紅にそまり・・・・くれない・あか・べに・コウ 柳は・・・・・・・やなぎ・リュウ 青葉にみち・・・・あおば・セイヨウ 新しい・・・・・・あたらしい・シンしい 振恣意・思惟・示威・詞意 絵巻になる」・・・えまき・カイカン 禍遺憾・可為漢・掛如何 「当時わたしは日本の美を知り、感じとり、 このロシアに対する勝利の歌に 日本の誇りと力を感じたのです」・・・ ーーー 「孫子」の翻訳 12世紀ごろの 「西夏語訳」 18世紀初頭の 清朝での、 「満州語訳」 中国で布教活動を行っていた イエズス会宣教師の ジョセフ・マリー・アミオ(銭徳明) 満洲語版を基にして 「孫子の抄訳」に 自らの解説を付した フランス語で著述 1772年 パリで 「孫子十三編」として出版 1782年 「北京イエズス会士紀要・第七巻に再録」 ナポレオン・ボナパルトも「孫子」を愛読・・・? 1922年 フランス軍の ショレ(E. Cholet)大佐が 著書“L'art militarie dans l'antiquite chinoise” で言及した・・・ 「孫子」がヨーロッパに伝えられるのは 1905年 英訳 イギリス陸軍大尉 カルスロップ(E. F. Calthrop)によるもの 日露戦争後に 日本研究で 日本に滞在した 語学将校 カルスロップは 日本人の助けを借りて 「孫子」英訳を完成 イギリス人の中国学者 ライオネル・ジャイルズ(Lionel Giles)は 杜撰な翻訳を非難、 自ら中国語原典を元に 「孫子」の英語版を 1910年に出版 同年 ブルーノ・ナヴァラによる ドイツ語訳が出版 ーー 「戦争論」 カール・フォン・クラウゼヴィッツの 「戦争論」との比較 「戦争論」は ナポレオン戦争の 教訓に学んで著された 決定的会戦の重視や 敵兵力の殲滅、 敵国の完全打倒を 基本概念として戦争を論じている 軍事力の正面衝突を 戦争の本質とするため、・・・?・・・政治の本質 戦争遂行をそれに則り行った場合、 国家間の凄絶な総力戦となる 「孫子」はその比較対象とされた イギリスの軍事史家 リデル・ハート 「孫子」を古今東西の 軍事学書の中で最も優れていると評価 ハートは 戦争は直接的な戦闘よりも 策略・謀略を用いた 間接的戦略を重視すべきであると説いた 機甲戦術の提唱者 ジョン・フレデリック・チャールズ・フラー 「戦争論」は未完成な書物で、 読者を誤解に導いたと非難 戦争の真の目的は・・・? ・・・目的は戦争当事者によって 異なる 平和であって・・・・・? 勝利ではない・・・・・勝負の世界は勝利である ということを クラウゼヴィッツは 最後まで 理解できなかった と指摘・・・・・・当然であるカナ、ジョンもねッ ーー↓ 日本への伝来 「孫子」 ↓ 「続日本紀」 天平宝字四年(760年) 反 藤原仲麻呂勢力に属し、 大宰府に左遷されていた 吉備真備のもとへ、・・・・・吉・備・真・備 桃太郎には黍団子と犬・猿・雉 桃=木兆・黍=禾人水・戌申記事 百太郎 「孫子の兵法」を学ぶために 下級武官が派遣された記録アリ 吉備真備は 「藤原仲麻呂の乱」で活用 「恵美押勝の乱」・・・・・??? ↓(ウイキペデア) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E4%BB%B2%E9%BA%BB%E5%91%82%E3%81%AE%E4%B9%B1 ↓(ボクの家頁)・・・これは「消滅」しています・・・ http://www42.tok2.com/home/nikorao/tokepe/fanin/pura2/kojiki33.htm ↓ 孝謙太上天皇 ↓ 阿倍皇女=孝謙・称徳女帝 ↓ 駅鈴・印璽の確保 道鏡と 対立した 大師(太政大臣) 藤原仲麻呂(恵美押勝)が 政権奪取に失敗 ↓ 大江匡房 兵学を修め、 「孫子」も 源義家に教え授けた・・・源氏は「新羅」系である 源義家が 前九年・後三年の役で 孫子の 「鳥の飛び立つところに伏兵がいる」 という教えを活用し 伏兵を察知し、敵を破った (古今著聞集) ↓ 武田信玄が軍争篇の一節より採った 「風林火山」の旗指物 ーー 徳川幕府 戦国時代に蓄積された 軍事知識の 理論的体系化がなされる・・・ 「兵学(軍学)」 江戸時代には、 五十を超える 「孫子の注釈書」が出版 中国で 明代から清代に出た 注釈書が日本に伝わり、 覆刻 ↓ 劉寅の 「武経七書直解」 趙本学の 「孫子校解引類・(趙注孫子)」 ↓ 日本人 林羅山の 「孫子諺解」 山鹿素行の 「孫子諺義」 新井白石の 「孫武兵法択」 荻生徂徠の 「孫子国字解」 佐藤一斎の 「孫子副註」 吉田松陰の・・・吉田寅(とら)次郎 虎 二郎 ↓ 父は萩藩士 杉百合之助・・・? 山鹿流 兵学師範であった 吉田家の養子 藩校明倫館を経て、 諸国を遊学。 ↓ 佐久間象山に砲術と蘭学を学ぶ 「孫子評注」 など・・・ ーー 明治以降 日本は近代的兵学として プロイセン流兵学を導入 日露戦争の バルティック艦隊撃破の 東郷平八郎の 「丁字」戦法採用 「孫子」の 「逸を以て労を待ち、 飽を以て飢を待つ (軍争篇)」 武藤章陸軍中佐 「クラウゼヴィッツと孫子の比較研究」 (偕行社記事・1933年6月) 1972年 山東省 銀雀山から、 「竹簡孫子」や「孫臏兵法」が発見された ーーーーー ・・・「戦争の根幹」は「自然界の枠内」での「人間個々人」の意識、「個々の家族枠」、「各々の一族郎党縁者枠」、「個々の村落地域集団枠」、「個々の社会的な地域集団組織枠」、「個々の社会的職業集団枠」、「国家意識」・・・としての・・・「エゴ」の「常態化された意識」に尽きる・・・ミンなエゴです・・・ 「モーゼ、ブッダ、キリスト、マホメット」から「カミ」を差し引けば残るのは「ヒトビトの自己存在のエゴ体=自然体」である・・・エゴ=自己の生命維持と保持・・・獲護・恵互・・・? 「自然体=エゴ体」からの解放は「カミの教え」であった・・・元々、「アブラハム、モーゼ」の「旧約のカミ自体」が「エゴ」で「嫉妬深い存在」で、「災いと救い」の存在と自認しているのだが、お節介で、押し付けがましい彼を信じれば「解放の場所」を保障してくれるのだ・・・ その「カミの領域」とは「地上」であった・・・「天国」ではない・・・「地上の領域(パレスチナ)」である・・・「カミ」に手伝ってもらって、やっと艱難辛苦、試練苦難の結果手に入れたのに・・・今現在は「解放の場所」でもない・・・ 「ナゲキの壁」を護るため馬鹿でかいコンクリートの壁が国境を囲みつつある・・・莫大なコンクリート、ダムでも建設すれば、とも思うが・・・エゴ意識が肥大化した「国家領域の壁」である・・・秦の始皇帝は「万(萬)里の長城」を築いたが・・・「文字」、「度量」も統一した・・・後は「不老不死」で「永久権力者」になればイイが鍵は「ジャパンの蓬莱国」・・・「徐福(ジョフク)=徐市(ジョフツ)」・・・「市(フツ)」は「割烹着・前掛け・エプロン・白衣=医服」で、「柹=杮(こけら・ハイ)」の「右の字の市」・・・ 「柹」の右の字は「Unicode:U+3427=(亠)+ヤ+/+丶」の 「第」の略字に類字・・・ ーー 「十+冂(エンがまえ・マキがまえ・ケイがまえ・キョウ)」、 or 「一+巾(はば・きれ・キン)」、 or 「丶+帀(めぐる・ソウ)」・・・ ーー いずれにせよ、「モーゼ、ブッダ、キリスト、マホメット」は「カミ」を梃子にして「自然秩序意識=弱肉強食のエゴ意識」からの「人間意識の解放」を「人間社会の秩序形成意識」へと転換を試みたのだ・・・ 「自然」からの「解放」とは、元々「自然体=エゴ体」である「人間」の「人間社会でのエゴの相互抑制と相互協力の秩序」、「人間生活での社会的公平秩序」をである。 だが、「人間社会」はそれを「拒否」した。「王」なる支配者「サウル」を望んで・・・「個々人のエゴなる自由」を選択してきたのである・・・おれも、あんたも、「コイズミ」、「アベちゃん」の選択に「自由」に間接、直接加担したかも・・・おまけに「マスゾエ」までも・・・それでも「選択の民主主義」は存在している。埃及はその「選挙」すらも拒んだ。タイ、ウクライナはどうか?・・・大陸中国、北朝鮮にはそんなモノすら存在しない・・・どうやら、ヒトビトが望んでいるモノは「選挙制度」ではなく、「衣食住の安定」と「政治行政の公平」であるらしいが、「個々人の意識」は「エゴの根源なるカネ」からは解放されるコトを望んでいないようである・・・ 人間最大の発明である「交換物の媒介道具」として「カネ」・・・その道具としての「使用価値」の「カネ」が、「使用価値」の無い「カミ」と「交換」された・・・のだ・・・しかも「交換機能」は「蓄積、退蔵機能」ともなった。不便だからダレかに「預ける」か、あるいは「強制的に徴集される」か、ダマサれて奪われるモノにもなった・・・そして、その「使用の選択の自由意識」が「地上」に「階級・格差」社会として実現されてきた・・・「カミの使い方」・・・確かに色々である・・・今や、カード、そしてコンピュータ上の「暗号」で「数字の金額が動く」・・・ 「自然」が元々「自然の生きた実体」である人間を「解放」してくれるハズがない・・・ 「国家民族主義者」ぶって、「縄張り争い」で血を流しているが・・・「国家」、「民族」ってナンなだか? 「自然」が望むものは「自然ソノモノでアレ」と云う事なのか、どうなのか、自然災害での犠牲、ナニがあっても「自然と上手く相互に生活しろ」と云う事なのか・・・ 自然が「望むモノ?」は変化と新陳代謝、そのバランスである・・・人間が望むバランスではな・・・ ・・・将来、食生活で「万能細胞」=「STAP(スタップ)細胞」の培養で「動物性タンパク質」の摂取は「家畜の肉=屠殺」からではなくなるかも・・・ 意識的、目的的な戦争での領土争いでの「殺し合いの場」は「国境」でもなく、「戦線」でもなく、マダラな「日常生活の面と空間」での「場」そのものが、「軍事兵器」でない、自動車、電車、工場排ガス、原発、ガス、灯油ストーブ、家庭用電化製品、加工冷凍食品、医療薬品等の諸々の使用によって「無意識的(?)」な殺傷現場となっているのに・・・使い方、食べ方の問題なのか? せめて、「狭い人間諸関係の社会の枠内」だけでも、と思うが、「ソウは問屋が卸さない」のが・・・カネの世の中・・・ で、そもそも、「戦争」はダレのモノなのか・・・一人相撲ではない、戦争仕掛け人の相手がいるコトだし、其のスポンサーも存在する・・・
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